米国西部法会での説法

李 洪 志

一九九九年二月二十一、二十二日ロサンゼルスにおいて


 皆さん、こんにちは!(拍手)
 
 本来ならば、今回の法会を西部地区の体験交流会にしたかったのです。その目的は、西部地区の学習者がより良く修煉し、更に良い修煉環境を持つようにするところにあります。これがこの地域の法会であり、この地区の学習者の問題を解決するための法会なので、それ以外の多くの人々に教えず、世界各地に知らせることもしませんでした。もっと重要なのは、皆さんが安定した環境を有し、落ち着いて修煉し、いかなることにも影響されないようにしたいからです。現在、各地区に多くの学会と補導点があるので、活動も多くなっています。もし私がどこかへ行くたびに、皆さんが追いかけて来るのであれば、皆さんは修煉の時間がなく、安定した修煉環境もなくなります。これはあなたの修煉にとって良いことにはならないので、多くの人にあちこち駆け回ってほしくありません。もちろん、皆さんもこのことが分かっていますが、やはりどうしても師父に会いたいと思っています。この心情を私は分かっていますが、実はあなたがしっかり修煉して成就できれば、更に簡単に私に会えるようになります。

 皆さんが既に来た以上、落ち着いて西海岸の学習者がこの間の修煉を通じてどのような向上と収穫があったのかを聞いたり見たりしましょう。彼らの発表と体験から、自分の差を見出すことができ、修煉の中で自分自身をより良く向上させることができます。皆さんも自分のことを振り返って、違いを探し、お互いに促し合いましょう。これが私たちの法会の根本的な目的です。もし、私たちの法会がこの役割を果たすことができなければ、法会を開いてはならず、開いても無駄になり、法会の意義を失ってしまうことになります。大法の全ての修煉形式及び私が行った全てはみな、皆さんができるだけ早く向上して上ってこられるようにするためです。もし、そうではなく、この目的に達することができなければ、私はこれらのことをしません。もちろん、皆さんの現在の修煉形式の中に、煉功以外に、法を弘めるということもあります。これは当時、私が法を伝え始めた頃から現在に至るまで、残したものです。これも非常に重要であり、確かに非常に良い作用を果たすことができます。ですから、各地区でやはり法会を開くべきです。ただし、私が思うには、各地区の場合はやはり地域的なものにし、小規模の法会にしたほうが良いと思います。大規模な法会は年に一回か二回くらいにすれば良いと思います。頻繁に開きすぎてはならず、形式的なものになってはいけません。本当に皆さんが着実に向上できるように何らかの役割を果たさなければなりません。

 ご存知のように、この法について私は既に高い次元のものを説きました。『転法輪』という本から、皆さんは比較的に法を理解しやすいのです。その後説いた法ですが、もし『転法輪』を読まずに、直接各地での説法を読めば、理解することもできますが、一貫して修煉を指導することができません。法は圓容なので、その全体は繋がっているものです。どのように法を読んでも、説明することができます。順番通りに読んでも、逆から読んでも、真ん中から読んでも、どんな方法で読んでも、どのようにこの大法を読んでも、大法は繋がっており、互いに説明することができ、互いに関連しています。これがすなわち大法の圓容不破の要素なのです。私が各地で説いた法は、実は異なる地区、異なる情況に応じて説かれたものです。特に、アメリカやヨーロッパの一部の国で宇宙の構造について多く説きました。もちろん、これらのことは皆さんの修煉と切り離してはいけないことです。皆さんの修煉の目的はどういったものなのでしょうか? 皆さんが圓満成就したら、当然のことですが、この空間にはいません。それで、必然的にほかの空間と宇宙の構造に関わってしまいます。ですから、私はこういったものを説きました。しかし、異なる地区の学習者と異なる情況に対して、私は異なる角度から、異なる方式で法を説いています。これが私の説法の特徴です。

 誰にも自分が執着しているものがあり、誰もが常人社会で自分が認識した真理を持っていると思っているため、人間はこういうものを固守して自分の人生を維持させています。実は皆さんに教えますが、常人の中でどんな理を悟ったとしても、人類より高い次元にいる生命から見れば、皆間違っています。なぜならば、人類社会は全部逆になっているからです。ですから、皆さんのこの障碍を破るために、つまり皆さんに形成されたこの観念はあなたが法を得ることをひどく妨害しているため、私は異なる地区で異なる人に対して異なる説き方をしました。それによって、あなたの頭にある障碍、法を得ることの障碍を破っています。中国からアメリカに来ている多くの人々は、多くの成果を収めた人で、皆レベルの高い知識人であり、多くの人が学位を持っています。彼らは自分の現代科学に対する認識がわりとはっきりとしたものだと思っています。しかし、実はあなたが思っているこのはっきりとした認識そのものは、既に一つの障碍となっています。なぜならば、この科学について私は既に幾度となく話したことがありますが、科学自身は科学的ではないのです。科学は宇宙人が人間に押し付けたものであり、既に社会全体に浸透し、各方面にこの科学が浸透しています。あなたがその中にいるから、もちろんそれを見分けることができません。それでは、私はどうして現代科学と結びつけて法を説いたのでしょうか? それは科学が人間の観念と行為を変えたからです。人類の生存条件の変化が、人間の行為にも変化をもたらし、人類の全ての文化を変化させました。科学以外の文化は、各民族の文化をも含めて、今日の人間が分からなくなりました。現代科学の方式でこの宇宙の情況を説いてはじめて、現代の人々に理解させ、宇宙の本当の物質の根本的な原因と生命の根本的な原因と、宇宙の根本的な原因が何であるかを分からせることができます。こうして、皆さんが思っている常人の中で得たいわゆる真理を破ることができます。このものを破ることによって皆さんが法、つまり本当の真理を得ることに役立ちます。それが真理ではないと皆さんは気づき、法を得やすくなります。ですから、これも私が異なる人間、異なる情況と異なる地区に対してこの法を説く時の特徴の一つであり、つまり現代人の変異した観念と結びつけて法を説いています。もちろん、多くの人々、特に知識レベルの高い人は長期的に、科学や知識に対して探求したいという習慣と観念を形成しました。いったん、これらのものと接触したら、探求したくなり、それを理解しようとします。彼は既に形成された知識に対する追求心、それに加えて人間の分け前に満足しないという心理作用によって、彼はいつも探求し続けています。実は、人間の考え、人間の観念と人間の現在のレベルまたは将来のレベルで、永遠にこの宇宙がいったいどういったものなのかを突き止めることはできません。それはまったく不可能なことです。なぜならば、人間の考えと人間の言葉はある程度の範囲内のことを言い表すことしかできません。この範囲を超えてしまえば、人類にそれを言い表す言葉はなくなります。それを言い表す言葉がないだけではなく、このような言葉さえないのです。現在の言葉には対応できるものが全くありません。ですから、いくら言い表したくても言い表せないのです。これはつまり、私が時に皆さんに説法する時うまく表現できないことの原因です。

 もう一つですが、人間の考えにはある種のプロセスがあって、このプロセスが合わなくなりました。宇宙のこともはっきり説明することができなくなりました。学習者が法を読む時をも含めて多くの場合、その意味を心底から理解できても、言い表すことができません。全ての学習者にこのような感触があり、それを理解することができますが、うまく表現できません。つまり、それは常人の考え方でも、常人の言葉でも、はっきり表現することができるものではありません。しかし、私はやはりできるだけ人類の言葉でそれを説き、できるだけ皆さんが理解できるようにしています。前回ジュネーブで説法した時、既に非常に難しいと感じ、私さえそれをはっきり説明することができなかったと感じました。

 最近、私は六冊の本を出しました。去年のシンガポール、ジュネーブ、フランクフルト、北米第一回の法会と長春補導員法会での説法、その他に私が学習者に書いた四句からなる詩とも言える本があります。あわせて六冊で、全部出版しました。このようにした目的は何でしょうか? つまり私が各地で説いたものはあの情況の下で聞くのに適しているだけで、ほかの環境で聞くと、それが法だから役立つこともありますが、聞く人の状況に合っていないかもしれません。しかも系統的に法を聞かなかった人は間違って理解してしまう恐れもあります。したがって、この欠点を補うために、説法を整理し、出版しました。本が手に入ったら、皆さんは各地で回して見ている説法のビデオテープを処分すべきです。ご存知のように、このビデオテープには一つの大きな特徴があります。私が質問に回答しているのを皆さんが聞くと、答えが質問に合っていないと感じている場合が多いのです。なぜでしょうか? 時間が限られているので、私が皆さんから出された質問を読み、皆さんがすぐに答えが分かるような場合、私はその質問を利用して他の問題を説きました。もしこの答えと質問が合っていないビデオテープを他のところで聞くと、理解できない人がいます。これらの問題をすべて解決しなければならないので、本を出版しました。先ほど言った話は、つまり私が異なる地区の情況に応じて異なる地区のことを話したということです。

 前回中国にいた時、つまりこの前アメリカに来る前ですが、北京科学技術界の大学教授や科学研究をしている学習者、一部の大法の責任者を招いて科学の見地から詳しくお話したいと関係者に話しました。結局、やりたいことは円満に行うことができなかったのです。多くの他の学習者もやってきて、彼らが出した質問が私が話そうとする内容と一致していないので、説きづらくなりました。皆さんが法を聞きたい、または私に会いたいということに反対しませんが、異なる地区にその地区の情況があります。今日は多く話したくありません。なんといっても法会だから、皆さんの発表があります。明日は皆さんの質問にお答えします。

 皆さんがここにいるので、ついでにいくつかのことについてお話したいと思います。

 まず、法を弘めることについてです。皆さんは確かに多くの努力を注ぎました。しかし、ある問題があります。最近、新しい学習者が少ないということに皆さんは気づいたと思います。なぜこの情況が現れたのでしょうか? 当初、このこと全体は非常に系統的に按排されたからです。しかし、この按排は私の承認を得なかったのです。これは宇宙の中の以前の旧勢力が私が知らず、同意もしていない情況の下で、按排したのです。このように概括的に言うしかありません。法を正すこととは、何を正すのでしょうか? それらの法からずれてしまった旧い全てを正すことです。以前の正しくないものは既に一つの勢力を形成し、一つの系統となったのです。このものは上から下までマイナスの働きをしています。私が法を伝える中で更に多くの人に法を得てほしいのです。旧勢力は既にこのことを段階に分け、このことをする人数が既に足りたと思い、このことを抑制しました。当初、私は二億人が法を聞くように定めたのですが、これらの旧い悪勢力は一億人に限定してしまいました。そのため、皆さんが法を弘めることを更に前進させるには困難がありました。しかし、これからの人々が法を得ることができなくなるということではなく、その後の人々も相次ぎ法を認識し法を得ています。皆さんがすべきことならそれを行ってください。たとえこの情況であっても、無理して誰かに法を得させるようなことをする必要はありません。修煉は自由意志に基づくものであり、修煉したくなければ好きにさせればいいのです。旧勢力の干渉があるから私たちを変えてしまうということをしないでください。この法を認識していない人に法を認識させ、法を知らない人に法を知らせれば、十分心を尽くしたことになります。このようにすればよいのです。先ほど話したのは、このことにある要素が存在しているので、この情況が生じたということを皆さんに教えています。しかし、皆さんは私の話を間違って理解しないでください。また何かが分かったかのように、私の話の一部分だけを取り上げて自分の観念と執着心を抱いて何かを話してはいけません。普通にしていればよいのです。私はただこのことがこのような情況であると皆さんに教えているだけです。

 しかし、今日私がこのことを行っているとき、皆さんを法と結び付けたのです。皆さんの修煉はなぜこれほど速いのでしょうか? 中に多くの要素があります。これが非常に重要な原因です。私がこの法を伝え、法を正している全ての時に、異なる次元に法を聞いている生命がいます。最も低い次元で法を聞き、この世で修煉しているのは皆さんです。ですから、皆さんはこの大法と関連しています。最も低い次元で法を聞いているのは皆さんなのですが、皆さんが将来永遠に最も低い次元にとどまっているということではありません。皆さんは圓満成就し、異なる境地と次元に行くのです。全ては上から下まで関連しているのです。将来、このことが終わったら、将来修煉する人は、今日の法を正すことと関係なく、普通の修煉に入ります。

 今日私が伝えているこの宇宙大法は、人間に最大の機会を与えていることでもあります。なぜならば、これほど大きな法で修煉することは、昔において当然想像もつかないことだからです。ですから、皆さんが今法を得て、私自らの説法を聞くことができ、しかも法を正すことと関係していますが、今皆さんはまだこのことの意義がどれほど偉大なのか想像もつきません。時に皆さんは精進できませんが、それは自分に対して責任を持っていないのです。なんといっても人間だから、人間としての考えがあり、これらのことに気づくことができず、こういう情況になるしかありません。実は、それは言葉で表現できず、将来皆さんは自分がどれほど幸運なのかが分かるようになるはずです。(拍手)

 また、修煉の中で、皆さんは私たちのこの環境が非常に良いと分かっています。煉功点で皆さんは心を開いて話したいことを話せるのです。これは人類社会のいかなる場所でもできないことです。ですから、大法の煉功点に行ったら、浄土に入り、最も神聖な場所に入ったと全ての学習者は感じているに違いありません。皆お互いに思いやり合っています。これは人類のあらゆる環境の中でも見つからないのです。なぜこのようになったのでしょうか? つまり、大法弟子の誰もが自らを修煉しているからです。問題やトラブルが現れたら、皆自分の原因を探しており、自分がきちんと行っていないから問題が生じたのではないかという具合です。皆このようにすべきだと分かっていますが、一部の法を勉強し続けていない人はまだそこまでできません。この一部の人のことに言及したので、それについても話さなければなりません。トラブルに遭ったら皆、内に向けて探すべきだと私は多くの場で皆さんに幾度となく話しました。しかし、トラブルに遭ってやはり内に向けて探すことのできない人がいます。それを認識することのできる人がいますが、それを考えることさえしたくない人もいます。甚だしい場合、自分が修煉の人であることを完全に忘れています。これではまだまだ不十分だと思います。あなたと学習者の間や職場、常人社会のいかなる環境においても、学習者同士の間、或いは学習者と責任者の間に何かのトラブルが現れたら、あなたは自分の原因を探そうとしなかったのです。

 私はいつも皆さんにこのことを話しています。つまり、二人の間にトラブルがあった時、自分に何かの問題があるのではないかとそれぞれの原因を探しています。皆自分にどういう問題があるかを探すべきです。もし第三者が彼ら二人のトラブルを見たら、その第三者も偶然にそれを見たのではないと私は思います。どうして私に彼らのトラブルを見せたのでしょうか、私にまだ足りないところがあるのではないか、と第三者であるあなたまで、考えるべきです。このようにすべきです。しかし、皆さんはトラブルに遭ったらそれを外に押し出して相手の弱点と欠点を探していますが、これは正しくありません。あなたが原因で大法の仕事が損なわれ、大法に損失をもたらすのです。皆さんが大法や大法の仕事をもって、自分の足りないところを取り繕っており、自分の執着を覆い隠しているとあなたは考えませんでした。他の人がやったことが良くないと思って心がすっきりしない時に、どうして私の心がすっきりしないのでしょうか、本当に相手に問題があるのでしょうか、それとも私自身の心に問題があるのでしょうか、とあなたは考えるべきです。しかもそれをよく考えるべきです。もし本当に自分に問題がなく、確かに相手に問題があれば、善意をもって相手に話すべきです。このようにすると、トラブルが現れてきません。きっとそうなります。もし相手が理解できなければ、それは彼個人の問題であり、あなたは話したら話したで、気にしなければよいのです。

 トラブルがなければ向上もありません。環境が非常に平和的で、こういう環境で修煉すれば非常に良いと思っている人がいますが、実はあなたに教えますが、それはかえって良くありません。私はほかでもなく、皆さんのためにトラブルを生じさせているのです。トラブルがなければいけません。なぜならば、トラブルの中でその心が現れ、あなたにそれに気づいてもらい、同時に他の人にもそれを見せることによって、その心を取り除いているからです。トラブルがなければあなたの常人の心を取り除くことができません。ですから、くれぐれも注意してください。いかなる環境においても、特に皆さんが常人の中で修煉しているため、必ずトラブルの中で心性の妨害の中ではじめて、やっと心性を高めることができます。私は説法するたびに、この問題に触れています。ここで法を聞いていた時に皆さんはそれが分かっていますが、外に出るとだめになり、それを忘れてしまいます。

 最近、特にこの一、二年以来、学習者は大幅に向上し、法に対する理解もますます深まっていますが、これは非常に良いことです。大法が伝えだされて以来、私が皆さんを導いて歩んできた修煉の道は、最も正しいのであって、法を伝える方式にしても、社会で伝わっている時の形式にしても、そして私が皆さんに教えた全てはみな、最も正しい道を歩んできました。私達が正しいから、一切の正しくないものは私たちに何かの思惑を持つようになりました。全ての正しくないものが大法の前で表れてくるので、そういったものは必ず大法に対してマイナスの作用を働き、かえって大法について云々するのです。きっとそうなります。

 しかし、逆から言えば、もしマイナスの要素がなく、この大法が何事もなく伝わってしまえば、皆さんに教えますが、大法は現在の人類の道徳基準と同じものになり、現在の人類から非難されることもありません。私たちが歩んだ道が非常に正しいからこそ、全ての正しくないものは表れることができます。それによって皆さんの正しくないものを取り除き、常人社会の正しくない全てを正すことができます。もちろん皆さんが社会の何かのことをするのではなく、良くないものが表れたら常人自身はそれを目にするのです。人間にまだ善の心があり、まだ善良な本性があるので、足りないところと間違いを目にしたら、人類は自らどのようにすべきかが分かり、必然的に常人社会で人の心を正す役割を果たすのです。皆さんは修煉の中で、いかに精進するかのことに多く力を入れるべきであり、常人社会のあれこれを考えないでください。社会のために何かをしたいということを考える必要はありません。皆さんにはこの任務がなく、私も皆さんにこのように教えませんでした。皆さんは修煉の人であり、いかに自分の心性を高めるかということこそ、修煉の根本です。

 ご存知のように、今一億人が大法を学び修めています。この人数自身が働いた作用は既に社会において人心が正されたという変化をもたらしました。必ずそうなります。しかし、これは私がやりたいことではありません。特に大法が伝わっている過程で難があり、常人から大法に対する非難がありますが、皆さんはどのようにこれらの問題に対処するのでしょうか? 学習者は常人が取っているような暴力の行動を取らず、または常人のように、相手にこのようにされたら、同様に相手にやり返し、ひいては相手に劣らないほどやるという行動を取っていません。皆さんはこのようにしませんでした。皆善の心でこの全てに対処しています。これも大法を健全に発展させた要素の一つです。もちろん、皆さんが遭遇した全ての難は皆さんと大法に威徳をも樹立しています。

 皆さんが既に目にしましたが、これほど多くの人が将来圓満成就し、修煉して圓満成就します。天上の神様は、あなたがどのように圓満成就したのでしょうか、どのように修煉してあがってきたのでしょうか、どの法を修めて上がってきたのでしょうか、と聞くのです。もちろん、ご存知のように小道は人を済度することができず、一般の方法も三界を出る神になるまで人を済度することができません。法の大きさとレベルの高さに応じて、済度され成就する神の大きさと次元の高さを決めるのです。将来、あなたがどのように上がってきたのかを神が見る時、さすが大法に従って修めて上がってきたのだと分かるのです。この大法自身が樹立した威徳も極めて重要なのです。一人が正しく行うことができれば、それはあなた個人の修煉のことであり、ある地区の人が正しく行うことができれば、それはその地区の学習者が正しく行ったことになります。もし全世界または大法弟子のいる全ての地区で皆さんが非常に正しく行うことができれば、それは一つの地区、一個人の問題ではなく、大法全体が正しく行われたということであり、大法が正しく歩んだことになります。

 次にもう一つのことについてお話します。もちろん、アメリカにもこのような学習者がおり、ただ人数は少ないのですが、中国大陸にわりと多いのです。一部の人は以前佛教の居士であり、佛教に興味を持っており、または他の宗教に興味を抱いています。大法が人を済度することができると見えた人がおり、または社会で伝わっていることから、大法が人を済度することができ、現在この大法だけが人を救うことができると分かった人がいます。居士だった人は功能または他の人の話を通じて、これを知り、宗教の中に現れた情況をも分かるようになり、宗教が人を済度することがまったくできないと分かったのです。なぜならば、神も見放してしまい、いかなる経書にもその背後の内涵がないため、人を済度するという本当の作用も失ったからです。このような人がこれらを分かってから、大法を学びにきました。しかし、彼らは以前のものと宗教に対する執着を根本から放棄したくはありません。彼らは以前のものを抱きながら大法を利用して自分の目的に達したいと思っています。この心は非常によくありません。もちろん、意識的にこのようにした人、分かっていながらもこのようにした人を、私は全て排除しました。決して彼らに何も得させません。なぜならば、彼らは大法を利用しており、このこと自体は人間にとって非常に良くない、非常に良くない心だからです。無意識のうちにやってしまい、人間としての表面があまり分かっておらず、恍惚としている人の場合、私はできるだけ彼らを正し、この問題を分からせるのです。今日、私がこのことを話したのは、これは決して許されないことだと彼らに知ってもらいたいからです。

 ご存知のように、私が伝えているのは宇宙の法であり、いかなる法門もこの宇宙に含まれており、同時にこの法に覆われているのです。各次元の生命はみな、宇宙大法によって切り開かれたのであって、宇宙の中の各世界、全ての神の世界、佛の世界、各次元の宇宙と各次元の天体はみな、この大法によって切り開かれたのです。この大法が全てを覆いつくしているのではありませんか? 大法の中の多くの人々は以前、佛門の衆生であり、多くの生命は道であり、また多くの人は西洋の人種の神であり、彼らの世界の生命、また皆さんと人類の知らない多くの異なる神の世界の生命でしたが、今法を得に来ています。大法はなぜこのような人を元に戻らせることができるのでしょうか? 私がこのような人を元に戻らせることができるのは、私の説いているものが宇宙の根本大法だからです。一方、いかなる世界の法も宇宙の異なる次元からその人自身が悟った法であり、大法と比べものにならないのです。

 なぜ、他のものを修煉してはならず、大法のみを修煉しなさいと私は皆さんに教えたのでしょうか? 大法は異なる次元の情況と異なる生命の情況を統合し、皆さんが本当に元に戻ることができるようになる唯一の方法です。皆さんの先天にある全てを変えず、同時に皆さんを元のところまで済度することができます。ご存知のように、学習者の中の多くの人は、自分が道であり、自分が西洋の神の形象、または自分が佛家の形象をしていると見え、彼らは皆大法の中で修煉していますが、私は彼らのいかなるものをも失わせず混乱させないのです。彼らが以前どの法門を修めたのかにかかわらず、私は彼らを元のところまで済度することができます。これが唯一の方法です。宇宙の法だけがこれをやり遂げることができ、これは大法と以前のいかなる修煉方法、宗教との最大の区別です。

実は人間は知らないのですが、多くの人は佛を信じ、神を信じると言っていますが、あなたがその神の世界の人間でなければ、彼はあなたを済度しません。以前言った話ですが、キリスト教にしても、カトリック教にしても、彼らの世界には東洋人がいないと言いました。これは絶対的な真理であり、人間には分からないことです。西洋の宗教は遠征軍によって伝わってきたのですが、伝わってきたこと自体は良くありません。なぜならば、イエスとエホバは彼の弟子が東に教えを伝えることを許さなかったからです。つまり、人種を乱してはいけないということですが、彼らにはこれが分かりませんでした。以前話したことですが、イエスに多くの偉大な形象があるのにそれを使わずに、かえって彼が十字架に磔にされている姿をシンボルとしています。これはイエスが永遠に十字架に磔にされたほうがいいと人間が望んでいるようではありませんか?! 人間はまだ自分が良いことをしていると思っています。実は人間がやりたいこと、人間がやったことは必ずしも良いこととは限りません。なぜ、神はまだ人間を見守っているのでしょうか? 人間にまだ神を信じる心があるからです。迷いの中にあって、人間に何が分かるというのでしょうか?!

 大法は全ての生命をその生命が生まれたところに戻らせることができ、これは私に絶対できることです。法を正す実践の中で、いくら次元の高い生命に対しても、これを成し遂げることができました。私のこれほど多くの弟子の中に、この数年来修煉してできた人が既に相当多いのです。圓満成就し、または圓満成就に近い人は相当多いのです。このこと全体がまだ終わっていないので、彼らを抑制しています。彼らは全てを知り見ることができますが、彼らに神通力と法力を発揮させないのです。なぜならば、この地球は耐えられないからです。もちろん、学習者もお互いの切磋琢磨と交流を通じて、だんだんこれらのことが分かるようになり、多くのこともますます明らかになりました。ですから、私が皆さんにこれらのことをお話したのは、つまりその人種に属していなければ、その世界の人間でなければ、そこで受け入れられないということを言いたいのです。

 釈迦牟尼は、如来佛がガンジス川の砂の数ほどいると説きました。異なる世界の生命が悪くなった時、皆下へ落ちていきます。どこへ落ちるのでしょうか? 宇宙の中心へ落ちていき、そこは最も次元の低いところです。宇宙の中心は即ち私たちのこの地球のことで、地球は特殊な環境なのです。皆ここへ落ちてくるので、それで落ちたのです。佛が慈悲深いので、皆自分の世界から落ちてしまった生命を救いたいと思って、彼らを見放さないのです。ですから、実は神々が救いたいのは自分の世界の人であり、ほかの世界の生命には全然手を出すことができません。なぜでしょうか? その生命を構成した全ての要素は皆、その神の世界にある要素であり、この要素を除いてしまえば、この生命も散ってしまいます。誰もそれを勝手にいじってはいけません。昔、人々は皆佛を信じたり、佛や神を拝んだりしましたが、実はそれは神を信じているという一種の正念に過ぎず、佛は彼を見守る方法がなく、彼を見守りたくてもそれができません。もちろん、釈迦牟尼やイエスのような神が下りて人を済度しにきたのは特殊な情況であり、もちろん多くのことと絡んでいるので、これ以上触れません。つまり、大法はこのような役割を果たすことができます。それらの心底からまだ元のものを放棄していない人のことですが、今日私がそれを説いたのはこのような人に機会を与えているのであって、まだ放棄しなければ機会を失ってしまいます。大法は厳粛であり、修煉は厳粛なのです。

 次に、皆さんにもう一つのことについてお話します。つまり学習者が修煉の中でずっとはっきり説明できなかったことですが、それは「天」のことです。現在の科学は、宇宙船が宇宙の外や多くの星に到着しましたが、人間や神の世界が見えず、人間が言っている三界にある異なる天の状態が見えなかったと言っています。したがって、現代人はこの理論をもって宗教や古来からの伝説を覆し、人間の本質を否定しています。実は神が言っている天は人間に見えている「天」とは全く同じ概念ではありません。分子が人間のこの空間の全てを構成していると私はいつも言っていますが、ミクロ的な物質が分子を構成する要素であり、更にミクロ的な一層一層の物質も異なる次元の粒子を構成する根本的な要素です。神は極めてミクロ的な世界にいますが、それは極めて広々とした世界であり、広々とした空間です。私は毎回、皆さんにミクロ世界のことを説きましたが、ミクロのところで構成された空間は神のいるところです。皆さん考えてみてください、人間のいるこの空間の一切、空気、物質、土、石、鉄鋼などこの空間にある全てはあなたの体も含めてみな、分子で構成されていると先日私は説きました。しかし、この分子はこの宇宙の中の最も粗い、最も表面にある最も汚い物質です。この分子ですが、神から見れば全ての分子が土であり、宇宙の中の泥だと思われています。しかも、これは如来という次元での認識です。ですから、エホバまたは女禍が泥で人間を作ったという昔の話は本当なのです。あなたの肉まで分子であり、神から見ればみな泥であり、土であり、最も粗いものです。それでは、皆さん考えてみてください。宇宙船がいくら高く飛ぼうとも、分子という境地から抜け出したのでしょうか? 飛行機が空を飛んでおり、アジアからアメリカまで飛びましたが、なんと高く遠く飛んだのだろうとあなたは思いますが、実はただこの分子の塊の中を飛んでいるだけであり、地上で飛んでいるだけなのです。それは天ではありません。神からみれば、ただ同等の物質の中の距離の違いだけです。ミクロの世界が構成した空間こそ神が言っている本当の天のことです。物質がきめ細かければきめ細かいほど、ミクロであればあるほど、構成した表面も精華で精細なのです。

 全ての物質にエネルギーがあるのです。分子にもエネルギーがあります。ただ人間の体と周りの全てがみな分子で構成されているので、エネルギーを測定する機器まで分子で構成されているため、分子のエネルギーを測ることができません。物質がミクロであればあるほど、そのエネルギーが大きく、放射性も強く、ミクロになればなるほど大きく強くなるのです。これはなぜ神のエネルギー及びその存在形式がそのようなものなのかということの理由です。皆さんに更にはっきり教えますが、地球にいる人間が月、太陽、金星、火星と銀河系、宇宙の外及び遥かに遠い天体を見てそれを天だと思っています。しかし、火星から地球を見る場合、それも天にあるのではありませんか? それも天にあるのです。これは常人の考え方を破った認識なのです。

 更に深く認識する場合は、どうなるのでしょうか? 天とは何かを皆さん考えてみてください。ミクロの空間に入れば、そこが天なのです。最も簡単な例を挙げて説明しますが、一つの物語をお話します。昔、ある道を修めている人が町を歩きながらお酒を飲んでいました。突然ある人を見かけました。この人はまさに自分が探しており、道を修めることのできる人です。それで、彼はこの人を済度し、弟子にしようとしました。「私と一緒に道を修めにいきませんか?」とその人に聞きました。その人は悟性と根基がなかなか良いので、「行きたいです」と答えました。「では、私についてくる勇気がありますか?」「あります。」「私がどこへ行ってもついてくる勇気がありますか?」「あります。」「でしたら、私についてきてください」と彼は言って、大きさが手のひらほどの徳利を地面に置いて、蓋を開き、瞬時に徳利の中に飛び込みました。彼は師父が中に飛び込んだのを見て、師父のまねをして徳利に入りました。見物をしている人々は皆、徳利の口から中を覗きました。あら、覗いてみたら中は広々とした世界なのだ、しかも非常に広いのです。小さい徳利の中に大きな人間がどうやって中に入るのか、と人間は考えてしまいます。なぜならば、その空間に入ろうとすれば、あなたの体の全ての状態はその空間の状態と一致してはじめて中に入ることができるからです。空間の間隔を通り抜ける時、体は必然的にその状態に入るのです。物質の粒子がミクロであればあるほど、その次元の面が広くなります。ミクロ的な粒子の次元の中で、徳利の表現形式は人間が見えた形態ではなく、全ての粒子が通じ合っています。人間に見えた大きさというのは、ただ同じ粒子で構成された時空の中での現れに過ぎません。つまり、この徳利の表面が分子で構成されており、この形をしているとあなたの目はそう見ていますが、ミクロ的なところでは徳利はこのような形ではなく、その境地の宇宙と繋がっているのです。私の話が分かったでしょうか?(拍手) 私はこのことを言っているのです。これは人間が理解できないことであり、人間の概念では理解できないことです。

 人間が天に行ったという話ですが、皆さんに教えますが、もしあなたが突然ある石の中に入ったら、それは天に上ったのではありませんか? 物質で形成された石の表面の中に入るだけなら、それではいけません。石の分子粒子を構成したミクロ的な粒子の境地に入ったら、天に上ったのではありませんか? 自分の体のミクロ的な次元に入ったら、それは天に上ったのではありませんか? いかなる空間の表面粒子を構成したミクロ的な粒子に入ったら、つまり表面粒子より一層小さい粒子の中に入ったら、あなたは即ち天にいるのです。ただ天の次元に違いがあり、ミクロの程度にも違いがあります。ミクロの世界に入ってから、石や体またはある物体の中に入ったように見えますが、実はあなたはその空間と相通じている広々とした宇宙の中に入ったのです。つまり、これは人間の考え方ではありません。人間が認識している東西南北や上、下、中、外は宇宙の中に存在していないのだと私はいつも説いていますが、これは人間の思考概念ではありません。私がこのように説けば、全く人間が考えているようなことではないと皆さんは分かったでしょう。現在の科学は極めて浅はかで、天を見ることも認識することもできません。なぜならば、現在の科学は現有の物質空間の中で這い回っており、制限されているからです。宇宙人が人間に押し付けた科学の限界もここにあり、宇宙人もこの空間の生命なので、宇宙人にも宇宙の真相を認識することができません。

 人間は神を信じていませんが、これは小さな問題ではなく、人間が人間の道徳を滅ぼしているのです。業力で応報に遭い、良いことをすれば良い報いがあり、悪事を働けば良くない報い、悪い報いに遭い、人間が何をやっても神に見られていると人々が信じていれば、敢えて悪事をすることもできません。良いことをすると徳を積み、将来福として報われると人間は分かっています。しかもこれは確かなことです。人間はこれらのことを信じなくなり、科学は現在これらのことを信じていません。それが迷信だと思っています。これは即ち、科学という棍棒を振るって人間の正念を打ちのめしているのであって、人間の最も本質的なものを打ちのめしているのではありませんか? 人間の道徳、正しい信念、正念が全部打ち壊された時、人間ははばかることなく、やりたい放題やってしまいます。自分の目的を達成させるために、手段を選ばずにやってしまいます。これは人類社会が堕落した根本的な原因の一つです。西洋社会は神を信じているようですが、実は彼らは本当に神を信じているのではなく、彼らが本当に信じているのは科学です。神も彼らが想像したような人間の感情を持っている生命ではありません。先ほど私は皆さんのためにある大事な概念を正しました。つまり天に対する認識であり、神と人間が思っている天は同じことではありません。

 多くの人は修煉している中で、時に自分自身が自らの体に入ったかのように見えました。体の中は広々とした空のように、自分が空の中で運行しており、天体の中を歩いています。扉が一つ一つ開かれ、自分が突き進んでおり、更によく見ると、考えを更に拡大してみると、なるほど、自分の体の脈とツボが開かれています。皆さん考えてみてください、修煉の時、最もミクロ的なところからあなたの体を変えています。最もミクロ的なところとは何でしょうか? あなたの他の体は天にいるのではありませんか? その境地にいるのではありませんか? ただ人間が常人の中に落ち、あなたもその全てと共に常人の中に落ちてきており、最もミクロ的な部分まで常人の中に落ちてきたのです。しかし、もしあなたが修めて元に戻るのであれば、この全てを元に戻し正さなければなりません。それで、そのような状態が現れました。歴史上、多くの修煉の人は、この光景を見ましたが、それを言い表すことができませんでした。時に、佛教の中で佛は人々の心の中にいると説いており、道家は人体が小宇宙のようであると説いているなどなどです。つまり、彼らにもこの光景が見えたのです。

 科学を説いた時、科学が良くない働きをしていると説きました。科学は人類の環境を汚染しており、人体の組織を破壊しているだけではなく、宇宙人は最終的に人間に取って代わろうとしています。宇宙人のものは既に人類社会の全ての領域に浸透しており、人類も科学から逃れることができません。全ては科学によって作られたのです。ですから、私たち大法弟子はいかなる仕事をしていても、それをやれば良いのであって、自分の仕事をきちんとこなせば良いのです。これらのことに至っては、関わらないでください。私はこの科学に反対するようにと言っているのではなく、どのように科学を排除するのかを皆さんに教えているのでもありません。この意味ではありません。私は皆さんに科学がどういったものかを教えているのです。科学の多くの物事に対する認識は浅はかで、現有の空間にある物事に対する認識も不十分です。科学が神の存在を認識できないので、自らの発展を制限しています。例えば、現在人類の工業による汚染は非常に深刻だ、と科学者は皆言っています。冷却媒体として使用されているフロンなどが大気中のオゾン層を破壊し、南極でオゾン層の破壊が現れ、一つのホールができたと言われています。実は、科学が神の働きを認識することができないので、オゾン層の破壊でホールが現れたと言っています。確かに現在の工業による汚染は人類の空気をひどく汚したのです。

 しかし、ミクロのところで、厖大な宇宙にある無数の有形無形なものは皆神であり、人類に見えないミクロのところにいます。空気は分子粒子によって構成され、分子粒子はまた更にミクロ的な粒子によって構成されており、この空気の中で一層一層無限にミクロのところに進んでおり、その数は計り知れず、皆神です。彼らは人間の環境がこのようになったのを見て、一つの窓、扉を開け、地球の中の排気ガスを出しています。神はこのようにしており、意図的にそれを開けてからまた閉じるのです。神が人間を守っていなければ人間は生き続けることができません。人間は神を信じていないだけではなく、敢えて神を尊敬してもいないのです。最も簡単な例を挙げましょう。ご存知のように、工業汚染の最も深刻なところは人間の最も多い所、つまり大都市です。なぜ大都市の上空にオゾン層のホールが現れなかったのでしょうか? 神が南極でホールを開けたほうが人類にとって安全だと思っているからです。本来、排気ガスの多いところの上空にホールができるはずですが、なぜそうならなかったのでしょうか? まったく人類が想像しているようなことではありません。中国のチベット高原の上空にもあります。皆人煙の少ないところに大きなホールが現れました。私たちに見えたオゾン層だけではなく、物質の中に含まれているミクロ的な物質の要素は非常に多いので、一本の道を作ってそれを放出しなければなりません。もちろん、これは神が人間のためにやったのです。

 人類の汚染に更に深刻な問題があります。ご存知のように、現在の世界の淡水に本当に清らかな水はほとんどありません。地下水にしても地上水にしても、人間はいくら水をろ過し浄化しても、水の本当の純度に達することはできません。しかも、人類が水を繰り返して使用しているので、水はますます汚染されています。人類の水は循環しており、淡水は循環する物質なのです。淡水は海水と一緒に混ざってしまうことはありません。なぜならば、淡水と海水は同じ物質ではないからです。いかなる物質、いかなるものにも生命が存在しています。表面では水のように見えますが、中に生命があります。土、水と空気等などがますます汚染されている時、人類に対する悪影響もひどくなります。今日の人類の発展は前回の人類の発展の繰り返しであり、前回は今回のために行った実験でした。このまま進んでいけば、人間は畸形になります。工業の排気ガスと廃水によって人間が畸形になり、容貌は非常に醜悪であり、人間でも鬼でもないものになります。このまま更に進んでいけば、このようになってしまいます。更に道徳の腐敗によって現れた人間の犯罪行為などもあります。

 ここでついでにもう一つのことについてお話します。現在の科学は宇宙人が人類に与えたものだと皆さんは分かりました。西洋社会の工業革命の時に既に入ってきたのです。宇宙人は数学や科学から始まり、最も早期の皮相な知識から、近代の機械まで浸透し、最後に今日のコンピューターに至ったのです。更に進んでいけば、その最終的な目的は人間に取って代わることです。どのように取って代わるのでしょうか? 現在のほぼ全ての人類の体に宇宙人によって作られた一層の体があると私は言いました。なぜでしょうか? 宇宙人があなたに注ぎ込んだ科学はあなたの考えの中で変異した人類の考えを構成したからです。人類のいかなる文明時期にもこのような人間はいませんでした。このような考えがあったから、このような体ができたのです。ご存知のように、あなたの体の中の全ての細胞はあなたであり、あなたの大脳は一つ一つの細胞にある大脳と繋がっています。そのため、あなたの体の無数の細胞にある考えは皆、変異した人間の考えであり、体全体がそうなってしまいました。これは神がこのような人を人間として見なしていないことの理由の一つでもあります。人間は既に人間ではなくなったから、神はそれを済度して何をしようというのでしょうか?

 ご存知のように、人間が死んでも、本当に死んだのではありません。最も大きい分子粒子の外殻が脱落したのであって、分子以下の微粒子で構成されたその部分の体は死んでおらず、離れたのです。まさに人間が一枚の服を脱いだように、本当に死んだのではありません。しかし、この空間でのこの人は消えてしまいました。なぜなら、体は火葬され、または土葬され、体は腐り解体してしまうものです。この空間にいるこの人が無くなり、つまりこの次元の粒子が消えたということです。先ほどお話した宇宙人の文化のことですが、彼らは人間の考えをもって気づかれないように彼らに必要な体を作っているのです。それでは、彼らは最終的にどのように人間に取って代わろうとしているのでしょうか? ご存知のように、人間の最も表面的な外殻に取って代わるには方法がなければなりません。それはつまり、今日の人類が使おうとしている「クローン」という方法です。神が人間を見守っていますが、もし神は人間を見守らなくなれば、生命になる要素を人間に注ぎ込まないのです。

 つまり、あなたという人間がこの世に生きているというのは、この肉体があったからでもなく、母親からこの肉体をもらったから生きているのでもありません。あなたにあなたの元神、あなたの全てのほかの神が存在しているから生きています。どうして人間は死んだら、同じ体なのに生きていられないのでしょうか? 全ての元神が離れたからです。つまり、生まれた人間に神を与えず、生を受けなければ、生まれても死んでいるのです。それならどうしますか? 宇宙人が中に入るのです。これが宇宙人が人間に取って代わる最終的な方法であり、つまりクローン人間です。人間は宇宙人に利用され自らを滅ぼしているのに、まだ気が付いていません。まだこの科学を維持し守っており、人類を絶滅させています。将来できるクローン人間は、大量にできてから、皆宇宙人が人体に入って生まれてくるのです。それ以降人間もなくなります。もちろん、今日私がこのことを明らかにすることができたのは、これらの問題も解決されつつあり、多くのことが既に解決できたからです。今日これを明らかにしたのは、現在まで発展してきたことの一部の真相を人類に教えるためです。

 この地球の構造も人類が想像しているようなものではありません。大爆発で星を形成したという理論ですが、全くそのようなことではありません。どのように形成したのでしょうか? 現在の科学の物質の基礎、生命の基礎と宇宙に対する認識は完全に間違っています。神がこの地球を創ったのです。どのように創ったのでしょうか? ご存知のように、この地球は既に幾度となく繰り返されています。各宗教の中にも劫難のことについて言及しました。もしこの地球において劫難が起き、つまり人類が悪くなったら、人類は壊滅され、この地球で壊滅されます。これが大劫です。これより更に大きな劫があり、つまりこの地球そのものが見捨てられてしまうということです。人間は六道輪廻の生まれ変わりの中で、業力とともに生まれ変わっています。悪事をすればするほど、業力が大きくなり、その人が植物に生まれ変わったら、植物が業力によって覆われています。人間の目に見えませんが、業力は最大の分子より小さい粒子の空間に存在しています。人間が植物や物質、動物に生まれ変わり、ひいては土、石にまで生まれ変わりますが、到るところに業力がついてきています。それでは、地球はどうなるのでしょうか? 業力の球のように見えます。私が話した腐ったリンゴの話はつまりこの道理なのです。このような腐ったものをどうして神聖で清らかな宇宙に置くことができるのでしょうか? もう要りません。本当に見捨てられてしまう恐れがあります。

 佛が人間に慈悲深いというのは、地球に近い佛のことを言っているのであって、このような佛は慈悲を重んじています。極めて次元の高い神にとって慈悲とは何でしょうか? 彼は慈悲が執着であると気づきました。彼に慈悲があるのでしょうか? 彼にも慈悲があります。しかし、彼の慈悲の境地と概念は違ったものになります。私が話したように、考えがまったく異なります。彼の慈悲は彼に最も近い衆生に対してのものであって、彼は次元の低い神をも常人と見なしています。それなら、人間はどういったものになるのでしょうか? 微生物、ばい菌にも及びません。人間が道を歩くときにばい菌を踏み殺したら、それを殺生と思う人がいるでしょうか? そうではありませんか? 悪くなった者が大便のようになり、大便の塊になったら捨てられてしまいます。慈悲とか慈悲ではないとかの概念があるのでしょうか? 全くありません。人間は自分が偉いと思っていますが、更に次元の高い神から見れば、何者でもありません。この厖大な宇宙の中において、境地の異なる生命の存在方式と認識に大きな差異があります。私は皆さんにこれほど大きくこれほど次元の高い境地のことを話しましたが、皆さん振り返ってみてください。これほど大きな宇宙の次元でさえ、厖大な天体の中のただの一粒の塵芥に過ぎませんが、地球は何だというのでしょうか? 人間は何だというのでしょうか? そうではありませんか? 人間が自分のことを偉く見ているだけで、自分が偉大だと思っています。この地球は幾度となく更新されたのです。つまりこういう情況です。

 厖大な宇宙の歴史上、この地球は幾度となく取り替えられたのです。どのように取り替えられたのでしょうか? 地球の最も表面の部分がこの次元の物質によって構成されており、この空間の分子で構成された物質によって構成されたので、この空間の物質で造らなければなりません。宇宙という空間にある異なる天体は皆更新されることがあり、新陳代謝という状態があります。一定の天体が解体した後の塵芥またはくずを宇宙の厖大な神は収集し分類して、新しい地球を造り出しました。ですから、現在の科学者は歴史や地理を研究し、ある物質が地球で生じてからどれくらいの時間が経ったとか、地球がこれほどの歴史を持っているとかを言っています。彼らのやり方ではそれを調べることができません。なぜならば、地球が造りだされる前に既に大きな石であったり、大きな天体であったりする物質があるからです。今それを研究しても、地球が造りだされる前に既に存在したので、地球はどれほどの歴史があったのかを解明することができません。多くのことは説かれると、神話のように聞こえます。私は修煉者に法を説いているので、皆さんはそれを受け入れることができます。法は常人に説くものではなく、常人社会に説くものではありません。

 先ほど水について説いた時に海のことに言及しました。実は海はどういうものなのでしょうか? 海と水の概念はまったく異なっています。淡水だけが水であり、海水は人間がそれを水と呼んでいるだけであって、実はそれは別の物質です。水は生命を創造する要素です。ご存知のように、地球は宇宙の中で、ある小さい次元からそれを見ると一粒の塵芥のように見えます。それほど厖大な神はその体積が相当大きいのです。もし彼が一滴の涙を流すと、地球が水没してしまいます。実は海水は神の一滴の涙です。私がこのように話すと、神話のように聞こえます。海水と人間の涙の成分を分析して、それが同じであるかどうかを見てみてください。しかもまったく同じです。もしあなたの涙が海水の体積ほど拡大されることができれば、中にどのような生物がいるのかを見てみてください。鯨がいるかもしれません。笑い話のように聞こえますが、実は本当の話です。地球上の全ての物質と人類の起源について私は全てはっきり説明することができますが、皆さんの修煉と関係ないので、それに触れていません。実は地球上の全てのものにそれの由来があります。

 地球の表面を覆っている黄土がどういうものなのかご存知でしょうか? 実はそれは常人の空間より次元の高い空間にいる生命の糞です。人間が汚い世界に生きていると昔神が言ったのではありませんか? つまりこのことです。高次元にいる生命はその物質が清らかなので、彼の糞は人間にとってきれいなのです。人類より次元の低いものに対しては、人間は汚く思うのです。ですから、人類より次元の高いものを人間はきれいだと思っています。しかし、人類空間より次元が高いため、養分がありません。汚くなければ養分がないので、黄土で何かを栽培すると育ちにくいのです。黒土は腐った植物が入ったため、黄土を色黒くし、養分ができたのです。有機のものが入っているため、人類はそれを利用して耕作をしています。人類より次元の高いものは、植物にとって栄養はありません。

 実は多くの種類の石は土と同じなのです。一般的に言えば、地球を造る際、固く固められたのは石となり、ばらばらになっているのは土となります。しかし、全部そうではありません。赤土と赤い石は実は厖大な生命の血なのです。在席の中に物理や化学を専門とする人が少なくありませんが、このことを信じられなければ分析し研究してみてください。中に含まれている成分はきっと血と同じです。ただそれは長い間凝固していた血なのです。赤土の中に鉄の成分も多く含まれており、人間の血液も同じです。ですから、皆さんに教えますが、宇宙の中の赤い血は大体、正の生命の血です。魔の血が白なので、石灰岩は実は魔の血です。もちろん、それは死亡した後の物質で、この空間では既に働きが無くなりました。魔が爆発され、消滅された後、石や砂、土などのものに作られたので、魔性がありません。人類はそれを使って壁を塗ったり、染料として使ったりしても、問題はありません。

 現在科学者は石炭が厖大な植物によって作られたのだと分かっていますが、これは現在の科学が知ることのできることです。どこからそれほど多くの植物があってこれほど多くの石炭になったのでしょうか? これは科学に知られていないことです。現在の科学者は石油が生物の体の残骸によってできたのだと知っていますが、これは科学者に分かっていることです。しかし、どこからこれほど多くの残骸があって石油になったのでしょうか? これは科学に分かっていないことで、いくら考えてもその回答を得られません。ですから、現在この理論を覆したい人がおり、なぜこれほど多くの動物の残骸があり得るのか、なぜこれほど多くの生物がいるのかと言っています。石油はあまりにも多いのです。実は、厖大な宇宙にあって長い歳月の中で生命が一回一回現れてきたのです。しかも、地球を造る時、将来のエネルギーとして、意識的に宇宙の中のこのようなものを新しい地球に入れました。ですから、これほど多くありますが、それは今回の生命のものではありません。地球上の生命も毎回違っており、同じ時期のものではありません。現在の科学研究は現在の歴史から離れておらず、しかも科学の現在の歴史に対する認識の多くも間違っています。石器時代から現在の人類まで全ての動物を殺してもこれほど多くの石油ができるはずがありません。その上、多くの石炭があります。植物は時期が同じではなく、同じ時期の生命ではありません。もちろん、ほかにもいろいろありますが、話すとたくさんのことがあります。

 更に、ダイヤモンドや金、銀などがあります。もちろん、宇宙の異なる次元を構成するには不可欠な要素となる金属元素もありますが、それは私が説いた地球を構成する成分とまた違います。しかし、金と銀は宇宙の中の金属元素ではありません。金ですが、ご存知のように佛体は金なのです。如来という境地に達した神の体は皆金です。つまり、金は膨大な正の生命の体の残骸です。広々とした宇宙が解体する時に、全てが瞬時に粉々になります。金に異なる次元があり、粒子の大きさも違うと私は説いたことがあります。以前このことを話したことがあります。銀の場合、それは佛より次元の低い菩薩という次元の生命の体の残骸です。

 多くの人はダイヤモンドがある能力を持っていると知っており、つまり邪なものがダイヤモンドを恐れ、エネルギーの小さい負のものはダイヤモンドを恐れています。なぜなら、ダイヤモンドはそういうもののエネルギーを吸収してしまうからです。ですから、ダイヤモンドは厄除けすることができると言っています。厄除けできるとは限りませんが、ダイヤモンドは爆破されたエネルギーであり、功のようなものです。もちろん既に死亡したもので、何の働きもありません。しかし、何と言ってもそのようなものなので、ダイヤモンドに力があります。

 私が話したことに執着を起こさないでください。帰ったら皆ダイヤモンドを買いに行ってしまいます。私が説いたのは法であり、この空間のあらゆるものも持っていくことができず、同時に修煉者にとって何の役にも立ちません。なぜ爆破されたのでしょうか? 先ほど話したように、金ではありますが、純金ではなくなったから、爆破されました。功はどうして爆破されたのでしょうか? 既に不純になったからです。表面ではまだ純のように見えますが、ミクロのところ、極めてミクロのところで観察すると、既に不純になりました。今日は多く話しませんが、今から学習者の発表を聞きましょう。

 明日、皆さんは質問を出すことができます。私はそれに解答します。しかし、新しく入門してきた学習者は、できれば質問を出さないでください。時間が大切だからです。これほど多くの人が皆質問を出せば、解答できなくなります。在席の多くが既に修煉の中である程度の次元に達した人なので、彼らが出す質問は彼らの修煉と向上にとって非常に重要なのです。これは私たちの法会の目的です。新しく入門してきた学習者が出す質問は私に聞かなくても、古くからの学習者と周りの人に聞けば解答してもらえます。ですから、このような学習者は時間を使う必要はありません。これが一つのことです。もう一つですが、修煉と関係のないことを皆さんはできるだけ質問しないでください。知識に関する議論などもそうです。先ほどお話した内容ですが、それは皆さんの知識を豊かにするためのものではなく、皆さんの修煉と関係しているからです。私の話はこのくらいにしましょう。(拍手) これから、皆さんは落ち着いて学習者の発表を聞きましょう。私もここを離れず、聞いています。しかし、私を探さないでください。探しても見つかりません。(拍手)

 皆さん、こんにちは! 昨日交流会が始まった時、皆さんに会っていくつかのことについてお話しました。今回の交流会は主に米国西部地区の体験交流会であって、全米または更に多くの人が参加する大規模の交流会にするつもりはありませんでした。なぜなら、彼らにまだ解決しなければならないいくつかの問題があるからです。これを目的にして私はやってきました。昨日の情況から見ると、他の国から駆けつけてきた学習者がおり、他の地区の学習者と現地の一部の新しい学習者、または私たちに興味がありますがまだ学習者ではない人も今日やってきたようです。皆大法について知りたがっているかもしれません。皆さんが来た以上、私は皆さんに大法に関わるいくつかのことを解答します。これも法会での説法です。それでは、皆さんの質問に解答します。(拍手)

弟子:修煉の人が心の奥で自分の最も本質的な利益を固守していれば、それが偽りの修煉であると師父はおっしゃいましたが…。
師:皆さんに教えますが、修煉は他でもなく人の心を修めることです。これこそ真の修煉です。例えば、今法律や人間に対する要求と制約があるにも関わらず、人間を変えることはできません。表面で人を変え制約しているので、表面において間違いを起こさないように正しく行なうことができますが、実は人に見られていない情況下や、自分の利益が脅かされている情況下で、相変わらず良くないことをしてしまいます。なぜなら、あなたの心が変わっていないからです。つまり、修煉は必ず本当に人の心を変えなければなりません。あなたは高い境地、神の境地に達したければ、神の思想境地に達しなければなりません。表面だけを変え、本質が変わっていなければ、それは嘘偽りのものです。ある時または肝心な時になると、また現れてきます。ですから、人の心を変えなければ、虚像で隠されているだけです。必ず本質から変化して、はじめて本当に自分を変えることができます。つまり、修煉は自分に対して責任を持たなければならず、本当に自分を変え、心の奥から執着している良くないものを放下してはじめて、本当の放下になります。表面では体裁の良いことをし、心の奥で放したくないものを守り固守しているのであれば、それは絶対いけません。ご存知のように、佛、神は衆生のため、宇宙の利益のために命を放棄することができ、何でも放棄することができます。しかも、その時平然として動じないのです。もしあなたを佛の位置に置いたら、あなたはそこまで達することができるのでしょうか? できません。もちろん佛、道は本当にこのようなことに遭うことはありませんが、このような境地に達しています。必ず本当に自分を変えてからはじめて、この境地に達することができます。

 宗教さえ信じていれば天に上り、天国に行くことができ、宗教さえ信じていれば佛になることができると今まで宗教の中で多くの人が言っていました。私に言わせると、それは人を騙しています。成佛とは何でしょうか? 天国に行くとは何でしょうか? 各次元の生命に対する要求は違います。まさに学校のように、一年生には一年生のレベル、二年生には二年生のレベルがなければならず、中学に行ったら中学生のレベルがなければなりません。いつも小学校の教科書を持って、一年生のレベルで大学に行っても、やはり小学生であり、大学に行くことはできません。つまりこういう意味です。これは表面から言っていますが、私たちが言っているのは心からその基準に本当に達してからはじめて、天国に行くことができ、圓満成就することができるということです。宗教を信じている人が祈祷する時、私は間違ったことをしたといって非常に敬虔のようですが、外に出ると相変わらず同じ間違いを繰り返すのです。彼の祈祷は何の役にも立ちません。彼の心は本当に変わっていません。信じていれば、祈祷すれば天国に行くことができると思っていますが、永遠にこのように祈祷すれば、永遠にこのレベルに留まり、天国に行くことができません。「私を信じれば天国に行くことができる」とイエスが言いましたが、イエスの前で祈祷して心からイエスを信じ、このような形式的なことをすれば天国に行くことができると言っているのではありません。そうではありません。毎回の祈祷を経て、同じ間違いを起こさなければ、ますます良くなり、ますますイエスの天国の要求に近づいていくことができれば、はじめて天国の基準に達することができます。これこそ本当に信じているということです。さもなければ、イエスはなぜ多くのことを説いたのでしょうか? その目的は彼の言ったことに従って行ない、更に良く行なうようにするためではありませんか? 私が言ったのはこの意味です。佛教を含めて現在の宗教の場合、皆心の中で修めておらず、形式的なものになってしまい、皆嘘偽りのものです。このことについてはこれくらいにしましょう。

弟子:人間の元神は体から離れてから、どのくらいの時間が経って戻ってこなかったら、肉体が死亡してしまうのでしょうか?
師:これは正確な決まりはありません。例えば、頭の中で戻ってきたくないと思っていれば、この一念が生じたら、肉体が死んでしまうかもしれません。なぜならば、あなたが戻ってきたくないからです。しかし、このようなことは大法の中にはありません。大法を修めながら他のものをも修め、専一に修煉しておらず、本当に不二法門を守ることができなければ、このような危険があります。このように真に修煉しておらず、二股を掛ける人の場合、どのような問題が現れるのかは何とも言えません。

弟子:はじめてニューヨーク説法の中の釈迦牟尼佛に関する内容を読んだ時、思わず泣いてしまい、心の中で師父と呼んでいました。それがなぜなのか自分にも分かりません。
師:これは縁によることです。私は別のことをお話したいと思います。多くの人が大法を学んでから、世界の如何なる宗教も人を済度することができないと深く認識するようになりました。一つは基準がだめになったからです。もう一つは神は今人間を見放してしまったからです。神が人間を見放した原因は多くありますが、その一つは現在の人間の考えは宇宙人によって造られた人間を変異させた考えであり、歴史上今日のような人間が現れたことはありませんでした。歴史は繰り返しているものなので、数回にわたって異なる時期の人類が現れましたが、今日のような人類が現れたことはありませんでした。人間に難がある時、人間を迎えに来て衆生を救い済度するのだと、イエス、佛、神が言ったことがあります。しかし、彼らの目から見ると、現在の人は既に人間ではなくなったので、当然迎えに来なくなりました。彼が迎えるのはまだ人間といえる人です。もちろん、これは概括的に言っているのであって、いろいろな要素によって変異してしまった多くの人がほかにもおり、神はこのような人を人間として見なしていません。これは最も危険なことです。
 
宗教の中で政治屋になって金儲けをする人について、何も言うことはありません。ここで宗教の中にいてまだ修煉したい気持ちのある人についてお話します。その中の一部の人は修煉のことを重要視しています。彼らは私たちの大法を知るようになり、または彼がある状態にいた時、法輪大法だけがあなたを元に戻し、済度することができると他の神が彼にお告げをしたのです。多くの人はこのようなメッセージを受け、このことが分かり、それによって大法を学びにきました。しかし、彼は元のものを頑として放棄しようとしません。彼の目的は自分の元のものを固守し、私の大法を利用して元に戻ろうとするところにあります。それは全くあり得ないことであり、自らを欺き他人を欺くことです。元のものを放棄しなければ、全く済度されることができません。自分を欺くほかありません。

 ご存知のように、他の空間において、その時間で人間のこの空間の時間を見ると、それが非常にゆっくりとしたものだと感じます。頭の中でどのような問題を考えていても、その空間でそれを見ると、それが非常にゆっくり進む過程であると感じます。何かを考える時、まだ考えていない時に、あなたのこれから考えることが何であるのかが分かります。何をやりたいのかをはっきりと見えています。自分の頭の中で何を考えているのかが他の人に分からないと人間は思っていますが、これは常人を騙すことしかできず、神を騙すことはできません。つまり、自分に対して責任を持つという純粋で清らかな考えでこれほど厳粛なことに対処しなければ、済度され、元に戻ることはできません。大法の中の多くの人は以前釈迦牟尼の弟子であり、また他の佛門の弟子もおり、更に他の宗教の弟子もいます。しかも、在席の中の学習者は白人や黄色人種や他の人種の人のように見えますが、あなたは必ずしも本当にその人種の人とは限りません。つまり、あなたがどの天国から来たのかは分かりません。ある民族の人に転生しましたが、それはあなたの本当の姿ではありません。表面から判断してはいけません。しかも、人間は転生の中で全ての民族の人になった可能性があります。しかし、私は皆さんが圓満成就して元の本当の位置に戻ることができるようにすることができます。

 私は皆さんを全部法輪世界に済度していくのではありません。なぜならば、私は佛法の基点に立って宇宙の法を説いており、これほど大きな法を説きました。如何なる宇宙の中の法門または修煉がこの世に残した修煉形式も、異なる次元の天上の神が残したものです(これは本当の神が人間に残した修煉方法を指しています)。異なる次元で人を済度しているこれらの神も宇宙の異なる次元の生命であり、私から見ると、皆宇宙の異なる次元の衆生なのです。この宇宙大法は異なる次元の衆生に彼らの生存環境とその境地の生存の基準を切り開きました。この法はこれほど大きな法であり、全ての生命が中に含まれています。ですから、私は皆さんの問題を解決することができ、この大法で皆さんを元のところまで済度することができます。あなたがどの法門の人であっても、やり遂げることができます。歴史上の如何なる宗教、如何なる法門の修煉形式もこれをやり遂げることができず、なぜならば、彼らが修煉しているのはその法門だけであって、他の法門まで及ぶことができず、それがこの宇宙大法から自ら証明し悟ったものだからです。それに対し、私が今日伝えているのは宇宙の大法であり、これは以前の人々が知っている修煉方法と異なっています。しかし、大法を尊重せず、まだ何かを固守していれば、これは厳粛な問題です。

弟子:宇宙の次元と修煉の次元とは同じことなのでしょうか?
師:先ほど、大法が宇宙の異なる次元の生命に異なる生存環境を切り開いたとお話しましたが、つまり、異なる生存環境に大法の彼らに対する異なる要求と基準があるということです。ですから、修煉の中で、異なる次元に行こうとすれば、必ず異なる次元での大法の要求に合っていなければなりません。修煉の向上、境地の向上と絶え間ない昇華は即ち次元の突破であり、宇宙の次元の突破でもあります。今日の修煉の中で第一層の天の基準に達して、数日後に第二層の天の基準に達しますが、これが宇宙の次元つまり修煉の次元の突破です。更に修煉していくと、三界を突破して三界の外に至ると、六道に入らなくなります。更に上へと修煉していくと、更に大きな天体範囲に入ります。上へ修煉すればするほど、修煉の次元の基準が高くなり、またはそれによって現れる状態も多くなります。

弟子:今までの全ては既に存在しなくなりますが、この全ては衆生の記憶に残るのでしょうか、それとも衆生に深い教訓を残すのでしょうか?
師:この問題は非常に大きいものです。それを知る人もいれば、知らない人もいます。私はなぜ宇宙大法を伝えるのでしょうか? 宇宙にいる全ての異なる次元の生命は皆大法からずれてしまったから、法を正すのです。宇宙は自らの最も良い状態に戻ります。ご存知のように、○○年に大災難がやってくると多くの予言者が言いました。人々は災難があるのを知っていますが、なぜ災難が現れるのでしょうか? 人類社会がここまで腐敗堕落したからです。ご存知のように、今の社会にマフィア、同性愛、麻薬、性の解放と性の乱れなどがありますが、本当に乱れきっています。このようなことをしている人は人間らしくなく、このようなことをしない人も汚染され麻痺してしまい、人間らしくなくなりました。皆この染物がめの中に漬かっており、知らないうちにあなたの観念はそれと一致し、同調してしまい、人間からますます離れてしまいました。人間にこのような腐敗と堕落が現れたのは偶然のことではありません。神はなぜこれに構わないのでしょうか? なぜここまで腐敗堕落したことを許したのでしょうか? 異なる次元の生命が宇宙の根本的な法から離れてしまったからです。ある次元の生命が離れたら、異なる次元でそれが見えるのです。一人の生命が良くなくなったら、この生命を打ち落とすことができ、この生命は落ちてしまいます。もし宇宙全体が長い歳月の中でずれてしまったら、その中の生命は腐敗堕落に気づくことができず、まさに人類が今日の人類がここまで腐敗堕落したことに気づいていないのと同じです。大法を修煉している人がある次元で振り返ってみたら、人類がここまでなってしまったことに気づき、恐ろしいと感じるのです。
 
この全てを元来の最も良い情況に戻し、宇宙の中に劫難が現れないように、つまり人類の災難が現れないようにしなければなりません。現在既に変化しています。人類の中の多くの人が良くなり、今一億人が大法を修めており、皆良い人、更に良い人になるようにと自分に要求しています。世界の更に多くの人がこのようにし、人心が向上しており、道徳が戻って昇華していれば、劫難が現れるでしょうか? 絶対現れません! 自然的な現象はなく、全てに按排があり、いわゆる「偶然」は存在していません。ただ人間が神を信じておらず、分からないこと、説明できないことを自然だと言っています。自然は全く存在していません。各次元に見ている神がいます。しかし、各次元の生命の基準が皆ずれたら、まさに銃を撃つことと同じように、的の中心を狙っている時少しだけずれたら、銃弾がどこへ飛んでいったのか分かりません。つまり、上のほうで少しだけずれたら、下に至った時法がどれほどずれたのか分からないということです。人類に現れたのは、今日の人類の腐敗堕落のひどさです。ですから、それを元来の状態に戻す必要があります。

このことを行なう時、異なる次元から来た人がいるかもしれません。元に戻った時、元々生きていた空間環境はそのままではなくなったと気づきます。大体はまだ元々の形式であり、その世界ですが、あなたがそこで生まれた時より更に美しくなります。多くの衆生は長い歳月の中で衆生が法からずれてから生じたので、宇宙の最初がどういう状況だったのかを知りません。

 深い教訓を残すということにいたっては、圓満成就した覚者にとって教訓などはありません。その高い境地まで修煉したら、全てが素晴らしいのです。しかし、宇宙の中で起きたことはあなたに分かっています。それだけに過ぎません。人類は未来においてどのようになるのでしょうか? 多くの人が修煉していますが、修煉の目的は圓満成就するためです。もし多くの弟子が圓満成就したら、残された良くない人、まだ法を得ていない人が引き続き腐敗堕落したら、どうしますか? そのまま腐敗堕落していくことを決して許してはいけません。宇宙の中に一塊の糞があって、衆生と高級生命がその匂いを嗅ぐようなことが決してあってはいけません。ですから、それを処分しなければなりません。もちろん、私は劫難のことを言っているのではなく、以前言われているあのような劫難は存在していません。皆さんに教えますが、○○年と人々が言っているあの劫難はもうありません。○○年にあることが起きたら、予言がはずれてしまうと多くの預言者も知っています。それは今日大法が伝わっており、多くの人々の心が向上しているためです。もし本当にあの問題が現れたら、これらの良い人はどうなるのでしょうか? つまりこういうことです。しかし、残って次の紀元に入ることのできる人は最後の時の深い教訓を覚えるのです。

弟子:私たちの中の多くの人が科学を研究していますが、どのようにこのことを見るべきなのでしょうか?
師:大法を学んでいる多くの人がレベルの高い知識人であり、つまり多くの人が科学によって作り出されたのです。実は現在全ての人は学校に通ったことさえあれば、科学によって作り出された人になります。科学が人類社会の各方面に浸透したので、あなたが使ったり、接触したり、目で見た全ては全部この科学によって作り出されたのです。ですから、科学を振りきることができません。したがって、あなたが先ほど出したこの問題はありません。なぜならば、人類社会はすべてこのようになり、自分の仕事をきちんとこなせば良いからです。修煉のことにいたって、仕事とは別々のことです。しかし、皆さんの修煉の境地、修煉状態は仕事の中に表れることがあり、あなたは非常に良く行い、どこに置かれても良い人なのです。多くの人が科学に従事している人であり、大法を学んで、大法こそ本当の真理であり、しかも人類の現在の科学はまったく大法と比べることができないと気づきました。在席の大法弟子、皆さんが知っている宇宙の情況と真理は現在の科学をはるかに超えており、最も先端の科学研究も皆さんとは比べることができません。常人が人類を超えた物事を知ることは永遠に許されないことであり、私が皆さんに説いた宇宙の情況は永遠に探測することができません。あなたがどの仕事に従事していても、大法を修めることができます。徐々に大法に対する理解が深まるにつれ、あなたの考えは自然に変化します。なぜならば、真理を前にして、誰もがそれを信じるようになるからです。しかし、あることをはっきりと説明しなければなりません。つまり、如何なる人も常人の執着を持って圓満成就することができません。科学に関しても同じです。異なる常人の心をもって大法に入ってくることはできますが、修煉の中でそれを全部取り除かなければなりません。

弟子:常人の個性は今生での現れだけなのでしょうか? 法がその生命を造った時の境地とどのくらい関係しているのでしょうか?
師:もし高次元から来た生命であれば、その高次元の特徴を強く持っています。これは常人には察しがたいことです。あなたが行った行為の絶対多数は常人としての表れや今生の表れであり、つまり今生において生命、物質と客観的世界に対する認識によって出来上がったあなたの行動様式、態度と思考方式なのです。しかし、あなたがもともと先天的に持っていたものは非常に善の状況下で微かに現れることがあります。常人のことに非常に執着したり、怒ったり、正しくないことを考えている時に、それは少しも現れてきません。

 修煉の中で基準に達したその部分はあなたが圓満成就するまで、常人の中で多く現れることはなかなか難しいのです。

弟子:佛は洪大な慈悲を持つほか、人を済度する能力もなければなりません。この能力は修煉の過程の中でも現れるのでしょうか?
師:皆さんが大法を学ぶ時、本当にこれらの執着を放下しなければなりません。一人の神、人類社会を超えた生命であれば、三界内の低次元の生命であっても、人間を左右する能力があります。三界の外にいる全ての佛、菩薩は皆人を済度することができます。なぜならば、彼は神であり、この能力が備わっているからです。人間にも生まれつき持っている能力がいくらかあるように、神なのでこの能力を持っています。これは皆さんが想像しているような修煉過程での現れではありません。修煉して圓満成就したら、誰それを済度したいとか、家族の人や自分の親戚友人、衆生を済度したいとかを考えてはいけません。私に言わせれば、それは妄想であり、執着と強大な障碍であり、それによって圓満成就できなくなります。全ての観念と執着を放下してはじめて、修煉の道のりにおいて如何なる阻害もなく前進することができます。

 修煉して圓満成就したら人を済度しにくると宗教の中で誓った人がいます。実はこれはその人の顕示心であり、常人の中での各種の複雑な心理の常人としての現われであり、佛がどういう状態なのかまったく知らないのです。この心があれば、修煉は成就することができません。なぜならば、人間を済度することに執着しているからです。佛が人を済度するかしないかは、それは一種の自然な状態です。この千年百年来、人を済度する佛がどのくらいいたのか、皆さんご存知でしょうか? 西洋にはイエスが、東洋には釈迦牟尼が現れましたが、なぜこれほど長い間に二人しか下りてこなかったのでしょうか? 佛が世に下り人を済度しようとした時、すべての神々の同意を得なければならないからです。なぜならば、その佛が直面し、ぶつかる問題は普遍性のある問題であり、他の佛と神、ひいては道のことにまで及んでしまうからです。それは非常に複雑なことであり、人間が想像しているようなことではありません。思い立って執着心が生じてしまい、私も人を済度すると言っている人がいますが、それは常人の心、顕示心と放さない執着心が作用しているのです。

弟子:『転法輪』の中から悟った法理は先生の説法から悟ったものほど多くはありません。
師:『転法輪』は人々を圓満成就させることのできる系統性のある大法と天機なのです。それに対し、『転法輪』と近似している公に発行している済南での説法、大連での説法と広州での説法のビデオテープ以外の私の各地での説法は、単一的で異なる境地での情況、または異なる地区の学習者の情況に対して説いたのであって、普遍性はありません。多くの人は執着心を持ってこれを得たい、あれを求めたいと思っており、このように修煉してはじめて満足できると思っています。みな執着です。着実に修めなければ、自分の時間を無駄にしてしまいます。歴史上今回大法が伝えられることが按排されなければ、皆さん考えてみてください、人類の発展に他の按排でもあるのでしょうか? 自分のことを児戯としないでください。機縁を失ってしまえば・・・。私の今日のこの大法があなたを済度することができなければ、誰も再びあなたを済度せず、しかも済度することもできません。

 皆さんはご存知ではないのですが、当時この大法を伝え出した時、私が最も懸念していることはどういうことだったのでしょうか? 人類の学説があまりに多いので、人々は宗教の中で言われていることさえ信じなくなりました。イエスと佛を本当に信じている人がどれほどいるのでしょうか? 宗教の中の多くの人が守っているのは宗教であり、本当に修煉しようとしているのではありません。イエス(佛も含む)に対する神聖な心はまだあるのでしょうか? どれほどの人が修めることができるのでしょうか? 本を読まないといけません! なぜならば、当時私はすでにこの問題について考えたからです。私が相手にしているのは数多くの人々であり、将来一人一人に直接どのように修めるかを指導することができず、各方面にわたって指導することができません。
 あなたが修煉し、圓満成就することができるように、あなたに責任を持つために、私は皆さんに『転法輪』を残しました。『転法輪』を通じてあなたを圓満成就させることができます。あなたが得るべきことを全部この法に入れ込みました。ですから、この法を読めば、体の変化を感じ、異なる次元での法理を感じ取り悟ることができ、大法の中で向上するのです。この法は本当に貴重なのです。私が自ら説法したものにしろ、皆さんが思っているような、いくら具体的に説かれたものにしろ、私は『転法輪』の中のことを説いているのです。また、『転法輪』の中の全ては「論語」に含まれています。

弟子:先生の海外での説法を一部の弟子が翻訳するように、佛学会に段取りしてもらってもよろしいでしょうか?
師:これは非常に良いことで、大丈夫です。段取りすると言うことにいたっては、皆さんにこのような熱意がなければならないと言うしかありません。このような能力のある人が皆やっていいのです。ただ、所在地区の責任者にはっきりその旨を伝え、意思疎通を図らなければなりません。このようにすれば、研究会の皆さんとの連絡と審査もスムーズにいきます。

弟子:大法の紹介の中に先生のお話がありますが、これらの紹介は捨てられることがあります。このようにして良いのでしょうか?
師:中国以外でこのようなことをするのは、現在やっても良い、このようにしていいと言うしかありません。中国国内ではこのようにしてはいけません。なぜならば、大法は中国ですでに皆に知られているから、このようなことを敢えてする必要はありません。修煉するかどうかはその人個人のことです。しかし、海外の多くの地区で、人々は大法のことがまだ分かっておらず、知らないのです。ですから、このようにしても良いと言ったのです。紹介にある私の話に関して、もしその背後に要素と内涵がなければ、紙にある活字でしかなく、作用はありません。このことについては皆さん安心してください。しかし、皆さん自身は大法を大切にすべきであることを知っておかなければなりません。文字一つ一つを大切にすべきです。これらのことに厳粛に対処すべきであることを皆さん自身は知っておかなければなりません。

弟子:自分の結婚を利用して相手に法を学ばせようと思っている学習者がいますが、先生の法身はどのようにこのことを按排するのでしょうか?
師:このことについて皆さんに教えますが、自分の生活を修煉と一緒にしないでください。また、自分の仕事をも修煉と一緒にしないでください。修煉は非常に厳粛なことであり、大法も非常に厳粛なことであり、どうしても誰それに得てもらわないといけないというようなことではありません。本人が法を得たいと思わなければそれで結構です。もちろん、学習者の心は良いのです。つまり、自分の結婚という重要なことを代価にして相手に法を得てもらいたいと思っています。この心は非常にすばらしいと私に分かっています。しかし、私が思うには、このようにしなければならないということではありません。なぜならば、法は厳粛なことなので、あなたが相手のために払った代価は、その人にとって法を得ることに対して求めがあるということになります。結婚してからはじめて法を得るようでは、その人にとって、これではいけません。第一歩において彼は既に基準に達していないのです。大法はどうしても彼に得てもらわないといけないということではありません。先生、法をこのように説くべきだ、佛は人を済度するときになぜあのように済度しないのか、と言っている人がいます。佛がどうしてあなたを済度しないといけないのでしょうか? 佛は人間に慈悲深いのですが、彼は偉大な神なのです! しかも佛の慈悲も決して人間が想像しているような人格化された慈悲ではありません。人間が言っている慈悲、観念をもって想像している慈悲はただの一種の善です。佛は善であり、これは間違いのないことです。しかし、そのような慈悲は一種の偉大な佛法の力量の現れです。いくら良くないもの、悪いものであっても、鋼鉄のようなものでも佛法の慈悲の威力の前では溶けてしまいます。ですから、魔は慈悲を見たら恐れを感じ、本当に怯えてしまい、溶けて消えてしまいます。決して人間が想像しているようなものではありません。

弟子:真、善の境地の素晴らしさは感じやすいのですが、忍の中には苦痛しかないのでしょうか?
師:これはあなたの常人の考えによる理解です。私が言ったあの道理のように、やりたいことが目的に達することができないことに執着して、腹が立っていますが、面子や体裁を気にして皆の前でそれを表していません。私に言わせると、それは常人の忍であり、まったく修煉者の忍ではありません。あなたの理解は間違っています。私たちの忍の中にいささかの執着もなく、怒りもまったく生じていません。私たちが求めているのはこのような忍であり、これが基準に達している忍です。これらのことを前にして、心がまったく動じておらず、他の人からあなたの忍がよくできているように見えますが、実は心がまったく動じていません。これこそ修煉の忍です。

 法を得たばかりの人が『転法輪』を初めて読んだとき、真と善は私にできると言っています。実はあなたには真も善もできていません。あなたはただ人間の既に堕落した基準をもって自分を量っているだけです。本当に修煉に入ったら、大きな差があると気づくはずです。また、修煉の中で絶えず自分の次元を高めた時、今までの異なる次元からの真善忍に対する認識はそれほど高くないと感じるのです。修煉の次元が高くなればなるほど、真善忍が異なる次元において異なる現れ、要求と状態があります。それが境地であり、果位なのです。忍はあなたに美しい境地をもたらすことができ、このように理解するしかありません。皆さんが何かをやっている時、それが目的に達していない場合、一途に思い込み、食事も睡眠もろくに取れず、他の人に情緒をコントロールされているかのように、他の人に振り回されて生きているのです。つらく生きていますが目覚めておらず、あなたは他人のために生きています。本当に一歩を譲ることができ、それを放棄することができれば、木の生える山がある限り、薪の心配はない、これは常人の言うことですが、本当に一歩を譲ることが出来れば、世界が広くなると感じます。思い切ってそれを放棄すれば、境地が直ちに変わります。この状態のいるとき、全てが軽くなり、これが忍です。しかし、法を多く勉強し、これよりさらに高い境地に達するようにと私は皆さんに要求しています。

弟子:時々修煉者と常人との境界線を見分けることができません。
師:これについてあなたに多く説明しなくても良いのです。あなたが修煉して絶えず精進するとき、何でも分かるようになります。あなたが修煉しているので、すぐに全ての心を取り除くことができません。これはつまり私が言ったその話ですが、修煉の中の境地は全ての環境に現れます。仕事、生活、家庭と社会において、皆あなたを良い人と言うのです。なぜでしょうか? あなたの修煉状態はあなたの全ての生活の中に現れるからです。わざと何かを行っているのではなく、わざと何かを行うのは無理強いして行うことです。しかし、私たちは修煉者として、自らを律し、穏やかな心の状態を保つべきです。如何なることに対しても善の心で対処すべきです。これは私たちが行うべきことであり、執着とは言えません。これは私たちが魔性を抑制し、善の基準に到達し、絶えず向上する境地の中の要求と基準に到達するために取った方法です。これは執着ではありません。

弟子:理性から法を認識すれば、直接常人の観念を取り除くことができ、早く修煉することができます。
師:皆さんが法を認識するとき、皆初期の認識という段階があります。多くの人が『転法輪』を読んで、皆良いと言っていますが、どこが良いのでしょうか? 本当にその人に聞いたら、彼は答えることができません。つまり、これが一種の感性的な認識であり、良いと感じたのです。いったいどこが良いのでしょうか? 中に入って着実に修煉してはじめて、本当の良さに気づくことができます。これは即ち理性まで上昇し、認識することです。もし生活の中であなたの全ての行動がみな修煉者としての基準に達することができ、法に対して人間の考え、観念から理解認識していなければ、既に理知をもって理性的に大法を認識し、自らに対して責任を持つことになります。

弟子:修煉のものを常人にあげることによって、償いとすることができるのでしょうか?
師:できません。このようにしてもよいと私は皆さんに教えたことがありません。なぜならば、修煉のものは量ることのできない価値があり、師父はあなたの圓満成就のために行ったのに、あなたはそれを大切にしようとしません。それはあなたが修煉してできたものだけでなく、師父があなたのために受け持ったもの、やってあげたものも含まれています。このように考えてもいけません。この道理はありません。

弟子:半ば悟った弟子に他の空間の法理を見ることができるのでしょうか?
師:これについて詮索する必要はありません。たくさんの学習者は、特に早く法を得た学習者と初期において法を得た多くの学習者は既にこの状態に入りました。彼は何でも知っており、見ることができ、理解することができます。しかし、彼の次元においてこれを言い表すことができないため、彼は何も話さず、言わないのです。しかし、彼には何でも分かっています。ただ、彼の神通と能力を使うことはできません。なぜなら、皆さんが皆修煉しているから、彼らが皆神通を使ったら、地球は耐えられなくなります。このような人がたくさんいます。

弟子:佛法修煉に極めて大きな自信を持つ人がおり、ひいては常人のやり方で日常問題を解決しようとしません。
師:皆さんに教えますが、私たちの修煉の中でこういう状態が見られます。つまり、法を得たからこれもあれもしたくない、仕事も商売もしたくない人がいます。皆さんに教えますが、見た目では、あなたが本当に法を最も重要なところに位置付け、修煉を最も重要なことにしたように見えます。しかし、他の角度から見れば、あなたは本当に法を理解していません。皆さんに教えますが、あなたは最大限に常人に符合して修煉すべきです。私が言ったこの話は人々が軽視しがちです。皆さん考えてみてください、今一億人が修煉していますが、将来さらに多くなったらどうなるのでしょうか? 人々が何もしなくなったら、社会はどうなるのでしょうか? 社会の人々はどのように大法を見るのでしょうか? これでは大法に泥を塗っているのではありませんか? もちろん、そこまで高い境地の状態に達したら、私はそれについてお話しません。今話しているのは普遍性のある問題です。まだその状態に達してもいないのに、人為的に何かを行おうとするのは正しくありません。普段ぶつかった問題にどのように対処すべきなのか、これはあなたの修煉の中のことであり、具体的な問題に私は答えません。どのように対処し、向上するのかはあなた自身のことです。

弟子:法輪を得たら修煉が既に半分までできたと師父がおっしゃいましたので、それを既に半分成功したと理解している学習者がいます。
師:修煉のことについて、なぜ今日の中国人にこのような考え方があるのでしょうか? 古から今日まであなたたちの思考方式を作り、このような思考方式で法を理解できるようにしています。修煉に関して、皆さんに『転法輪』を与え、法輪を植え付け、師父は大法輪を使ってあなたの全てを純らかなものにしており、確かにあなたの修煉の中の半分の問題を解決しました。これは間違いのないことです。しかし、これだけではありません。この大法自体はその威力があまりに大きいので、人間の修煉をさらに速くしています。師父が法輪を植え付けてくれたので、私は既に半分成功し、今日修煉をやめても、半分成功したという概念ではありません。

弟子:あるとき、四、五人の高次元の大覚者と一緒にいたというお話をされましたが、なぜこのことを言わなければならないのか良く悟ることができません。
師:それはあなたの人間としての考えに障碍があるからです。法はあなたの感受によって説いてはいけません! 良く悟ることができないということは、つまりあなたが心の中で執着している障碍が大きいということを物語っています。意識的に文字を詮索してはならず、一語一行に対してみな意識的にその意味を探るのであれば、これは大間違いです。私は従来から、『転法輪』を最後まで一気に読み通すようにと教えていますが、何を読んでいるのかを分かっていなければなりません。あなたがその次元まで悟るときになると、佛道神はすぐにそれを分からせ、あなたは直ちにその言葉の意味を知るようになります。あなたが悟るべきではない内容は、あなたに分からせることはなく、あなたがいくら詮索しても無駄です。どうしてもこの字面から高い境地の理を知りたいと言うのならば、それは無理強いを行うことです。修は己にありて、功は師にありというように、あなたがどんな方法を考えても、天に上ることができません。つまりこういう意味です。『転法輪』の中のいくつかの内容を読みたくはなく、心性に関する部分だけを読みたい人がいます。皆さんに教えますが、功能やほかのことについて説いているかのように見えますが、中に異なる理、修煉が到達すべき異なる要求が含まれています。全てを連続して読むべきです。毎回読むときに一ページも、一文字も漏れてはいけません。必ずこのように読まなければなりません。『転法輪』の配列順序は人間の修煉に対して極めて厳密な作用があります。

 私は何も考えずにこの部分の法または物語を説いたのではありません。表面では、私はその境地で静かになったときの状態と、私が彼らとつながったときの感じ方を皆さんに教えたかのように見えます。私はまだやらなければならない常人の中のことがあり、常人の体をもっており、皆さんを済度しなければならないので、でなければ、彼らの静は私の境地では静ではないかもしれません。皆さんのような普通の人が彼らとつながったら、あなたの考えは瞬時に何もかもなくなり、全ての常人の考えが全部消滅し尽くされます。彼の考えはこれほど大きな威力があります。あなたは一瞬にしてとても高い境地の要求に達することができるかもしれませんが、それはあなたが修煉して達したのではありません。中にとても深い内涵があるので、人間の考えで法を量らないでください。

弟子:宇宙の中の二種類の非常にミクロ的な物質は真善忍の特性とどういう区別があるのでしょうか? なぜ下の次元に行けば行くほど、ますます対立するのでしょうか?
師:実は皆さんが人間の考えでこれらの事を聞くのは本当に不敬です。もし皆さんが神のようになることができれば、決してこのような質問を出す勇気はありません。これは宇宙大法が生命のために切り開いたものであり、この二種類の物質も大法によって造りだされたものです。私はこのようにあなたに教えるしかありません。生命のある環境での生活は豊かなものであるべきです。人間について言えば、人間がもし人間としての楽しみがなければ、生きていても楽しくなくなり、つまらないと感じるのです。こういう感覚です。生命が楽しく生きることができるようにしなければならないので、大法は異なる次元の生命のために繁栄した社会を切り開くことができます。これは人間が思っているようなことではありません。私はただこの二種類の物質の存在によって相生相克と陰陽が生じたことを話し、陰陽と相生相克の由来について話したときにこの二種類の物質に簡単に触れたのです。しかし、宇宙の中の複雑な要素があまりに多いので、皆さんの現在の修煉と直接関連のないことについては話していません。私はあなたに法理を悟らせ、向上させることのできることを選んで概括的に話しています。多く知りすぎたら、あなたはいつもこういうことばかりを考え、それによってあなたの修煉に影響してしまいます。

弟子:多くの学習者は週末になるとある公園で煉功していますが、いくつかの公園に分散したほうが洪法に良いのではありませんか?
師:これは皆さんが具体的にどのように行うべきかのことです。皆一緒に煉功したほうが場が強くなり、広く影響すると皆さんは思っています。法輪功をやっている人がこれほど多く、エネルギーが強いから、私も始めると思う人がいます。また、このところの人は皆知っていますが、ほかのところの人はまだ知らないので、皆分かれてほかのところに行って、そのところの人にも法を得るようにしようと思う人もいます。これは皆さんの具体的なことであり、自分の行いたいように行えばよいのです。これらのことは私に規定してもらってはいけません。異なる地区、異なる状況、また法に対する異なる次元の認識と状態があるので、これも皆さんの修煉の一部です。どのように行うべきかを検討して、良いと思うやり方でやればよいのです。

弟子:洪法がつまり、煉功と大法の本があれば良いと思っている人がおり、集団煉功と説法のビデオを放映する必要はないと言っています。
師:具体的にどのように行うべきかは皆さんのことであり、これは皆さんの修煉と同じことです。皆さんに教えますが、ビデオを見ること、集団で法を勉強し煉功すること、さらに今日開かれている法会は私が皆さんに残した大法修煉の唯一の形式です。ほかの全ては緩やかなものです。今日来るかどうかも、誰かに呼ばれてきたのではなく、皆自分の意志から来ているのです。修煉はほかでもなく、自分の心次第です。来たくなく、修煉したくなければ、自分で決めれば良いのです。

弟子:白人の学習者はコミュニティのボランティア活動に非常に熱心であり、これが慈悲の現れ、良い人の現れだと思っています。
師:これは常人の奉仕精神ですが、私はこれに反対しません。どの状態においても良い人であるようにと私は要求しているからです。しかし、これらのことを法の勉強と修煉よりも重要なところに位置付けたら、これは間違いです。如何なることに執着してもそれも執着です。しかし、如何なる環境においても正しく行うことができなければ、修煉者としての基準に達していないことになります。つまり、あなたは法の中で絶えず精進するとき、この問題を解決することができ、どのようにすべきかが分かるようになります。

弟子:冬はずっと外で煉功することを続けていますが、この業を滅する方法で、足を組むことに変わって業を滅することができるのでしょうか?
師:こういう言い方はありません。自分のために困難を解決する方法を探し、苦を嘗めない、または簡単に苦を嘗める修煉の道を探そうとしてはいけません。しかし、私が思うには、修煉はほかでもなく向上することであり、いつまでも同じ状態に留まることはありません。足を組むことを恐れるのも執着の心ではありませんか?

弟子:副意識が覚者まで修煉しても、主意識はまた六道に入る可能性があり、それぞれが異なっている個体のようです。
師:このことについて私は既に非常にはっきりと説明しました。この世においてあなたにとって、あなたの主意識も副意識も皆あなたであり、どちらかを認めなくてもいけません。皆あなたと同じ名前であり、あなたと同じことを行い、あなたの大脳を支配しており、皆あなたです。しかし、人間の本当の主宰は主元神であり、あなたの頭が最もはっきりしているとき、あなたの全ての意識はあなたの主元神によって支配されています。なぜでしょうか? 副元神が修煉して圓満成就したとき、あなたはそれに気づくことはありません。彼はあなたと同じであり、同じ姿形をしており、成就して去っていきましたが、あなたは同様に六道に入らなければなりません。主意識が成就するとき、あなたがそれを知っており、修煉が成就しもうすぐ圓満成就すると分かるのです。しかし、副意識があなたの一部でもあるので、あなたが修煉しているとき、副意識も修煉し、あなたが圓満成就したら、副意識もあなたと一緒に圓満成就します。つまりこういう関係です。

弟子:私は以前薬剤師であり、マッサージの手法もいくらかできますが、今でも無償でマッサージすることができるのでしょうか?
師:無償でマッサージをして金儲けしていないことを強調していますが、これで良い事をすることになるのでしょうか? 皆さんに教えますが、修煉はとても厳粛なことであり、私が絶えずあなたの体を浄化しているため、再び体を汚染してはいけません。つまりこういう意味です。人間の肌と肉体が接触すると、お互いの場を繋げてしまうからです。なぜ集団で煉功するとき、エネルギーが強くなるのでしょうか? 皆さんの全ての場、これほど良い場が皆つながったから、進歩が速く、気持ち良く感じるのです。常人は修煉していないので、持っている場はみな業力です。このように話したら、「家の人と一緒にいてはいけない」と多くの人は思ってしまいますが、あなたは修煉者であり、私は既にこの問題を解決してあげました。ですから、このことを考える必要はなく、意識的に何かを恐れる必要もありません。つまり、意識的に何かをしようとするとき、意識的にそれを受け入れることになります。相手にマッサージを施すときに、彼の病を治したいと思っています。現代の医療手段と薬で治療しているのではなく、あなたは自分の体で治療しているため、あなたを汚染してしまう恐れがあります。つまりこういう意味です。生活のために、マッサージ師の仕事をし、他の仕事につくことができない場合、私はあなたの体を封じて、あなたの生活問題を解決してあげます。しかし、これを職業としている人でなければ、やらないほうが良いのです。針灸のことにいたっては、医者であるので、患者に投与したり注射したりするのは影響ありません。これは技術です。

弟子:家族の中に精神病にかかった人がいますが、本人がかかっていない場合、煉功することができるのでしょうか?
師:私は既に言いましたが、家族の中に精神病にかかっている人がいても、あなたも精神病になるとは限りません。このように見るべきではありませんか? 二つの角度から見るべきです。理性的で主意識の強い人であれば、煉功することができます。もし家系に精神病の遺伝があれば、これに気をつけるべきです。精神病にかかっていれば、煉功してはいけません。なぜならば、精神病患者は往々にして主意識がはっきりしていないからです。私があなたを済度しないと私を責めないでください。私のこの法は主意識に与えるもので、この人を済度するためのものですが、その人の主意識がはっきりしておらず、それなら、この法を誰に与えてしまったのでしょうか? 精神病が発作しているとき、あなたの業力、良くない考えと外来の生命があなたを制御しているので、それらに法を与えることができるのでしょうか? できません。つまりこういう理由です。ですから、家族に精神病の遺伝のある人が煉功するとき、くれぐれも気をつけてください。自分を制御する自信がなければ、参加しないでください。精神病にかかっている人は煉功点に来ないでください。法会に出て法も聞かないでください。

弟子:子どもが十二歳で、週に一回煉功しており、夜寝る前に法を聞いていますが、彼の煉功と法の勉強は正常なものなのでしょうか?
師:子どもには子どもの状態があります。法と接触し、法を学んでおり、煉功もしていれば、実は修煉しているのです。これは間違いのないことです。子どもと大人を厳格に区別しています。子どもには大人のそれらの観念、複雑な考えによって構成されたものがないため、非常に単純で、法を速く得ることができます。

弟子:頭の中で良くないことを考えているとき、他の空間で良くない物質が生じてしまいますが、どうしたら良いのでしょうか?
師:できるだけ良くないことを考えないようにしてください。あなたは少しずつ修煉しています。考えてしまってもそれに構わず、恐れもしないでください。「これでどうしたら良いのか」と恐れている時、これが執着です。ですから、できるだけ法をよく勉強し、本を多く読み、純粋で清らかな心の状態を保持したほうが良いのです。しかし、悪いことを少しも考えないということはまったくあり得ないことです。圓満成就するまでそれはあり得ないことです。悪いことを考え、何かのことが生じるとかのことにいたっては、あなたが修煉者であり、皆さんに教えますが、天上では修煉の人を人間としてみなしてはいません。彼らは皆さんが神だと思っています。皆さんが圓満成就したら、将来異なる次元での神になります。ですから、いったん常人を超え、皆さんの体に常人を超えたものを持つようになったら、特に法を正す修煉の時、私は皆さんを見守っているだけではなく、あなたの体の周りに法を守る天竜八部が本当にいるのです。皆さんはそれを知らないだけです。多くの人が煉功をしてから大胆になりましたが、なぜでしょうか? 皆さん自身の要素だけではなく、皆さんに分かっている一面があるので、大胆になったのです。

弟子:子どもの頃から恥ずかしがり屋で、これは強い執着心なのでしょうか?
師:人間として、恥じを知らなければ、この人は非常に悪い人です。修煉者として、これらのことに執着していれば、あなたは他でもなく人間なのです。以前、煉功を始めたら、身だしなみに気を配らず、だらしなくなり、汚い格好をしている人が多くいました。大法弟子がこのようになったら、私に言わせると、大法に泥を塗ることになります。ご存知のように、私は如何なる場で皆さんに説法をする時でも、身だしなみはわりときれいにしていると自分でそう思います。実は私は皆さんに身をもって示しています。私の話し方、生活方式を真似している人さえいるので、私はこれらのことにとても気をつけています。皆さんに良くない行動様式を残してはいけません。皆さんが常人の中で生活しているので、これらのことに気を付けなければいけません。

 私はある情況に気づいています。中国人は表面のことを軽視しており、わりと大雑把です。前回私が言った笑い話のように、中国人は内涵を重視しており、頭の中に様々なアイディアがあり、特技を身に付けており、料理も美味しいのです。しかし、中国人の身だしなみはだらしないのです。私の話を冗談として聞いても良いのですが、白人の場合、料理は中国人の料理ほど美味しくはありませんが、ナイフやフォークをきれいに並べ、これを食べるときはこの食器を使い、これを飲むときはこのグラスで飲む、というように外見に非常にこだわっており、礼儀正しいのです。これは白人と中国人の差異です。しかし、両者を融合させ、中国人はマナーにもう少しこだわり、白人はもう少し内涵があれば、さらに良くなると思います。(拍手)

 白人はマナーをとても重視しており、これは彼らの文化です。白人は時になぜ皆さんのことで怒っているのでしょうか? わけもなく怒っていると思う中国人がいますが、彼らのマナーを破ったら、ほんの小さいことであっても、彼らは非常に腹が立つのです。多くの人は細かいところに気を使わず、例えばお店に入るとき、後ろに人がいる場合、ドアを開けて、そのまま「ボン」と閉めて去ってしまう人がいます。もし後ろの人が白人であれば、怒ってしまいます。あなたは彼らのマナーを破ったからです。これが小さいことだと彼らは思ってはいません。彼に対する失礼な挙動と言動に腹が立つのです。皆さんは彼らの社会で生活しているので、この面に気をつけるべきです。

弟子:私は中国からの学習者で、今回師父に会えて涙が止まらず、気持ちを言い表すことができません。
師:私はアメリカにおり、この半年何回も皆さんに会っているようで、とても容易なことのようです。しかし、中国大陸で多くの学習者がいるのに、私に会うことができません。彼らは師父に会いたがっており、私も彼らのことを気にかけています。こういうことです。

弟子:各空間に一人の私が存在していますが、この空間は三界内に存在しているのでしょうか?
師:そうです。三界の中にあります。三界の中の空間も最も複雑です。将来機会があれば、皆さんに物質の構造についてお話します。その複雑さは人々を驚かせるほどのものです。しかし、それを言い表す言葉もなく、画で表現することもできません。ですから、時に皆さんに説法するとき、本当に人類の言葉を使い尽くしても宇宙の偉大さを表現することができません。

弟子:中国の科学研究部門がパンダを複製していると聞きました。
師:つまりクローンのことですね、そうですか? 皆さんはこれらのことに構わないでください。人類は自らを壊滅しています。この前私は既にお話しましたが、人類がこれを複製したりあれを複製したりしていますが、人類がいったん人間を複製し始めたら、それは宇宙人が人間に取って代わることの始まりです。人間は神の存在が見えないので、人類の限りない追求、いわゆる探索は、聞こえの良い言葉ですが、実は人類を壊滅しており、人間は自らを壊滅させています。

弟子:大法が正道ではないと攻撃している佛教界の人がいます。
師:それに構わないでください。彼らは末法の最期に至りました。これらの問題に対して、私たちも彼らと同じやり方を取れば、つまり彼らが大法を攻撃したら、皆さんも資料を配って彼らを攻撃したら、大法が彼らと同じようになってしまうのではありませんか? 私たちの大法は宇宙大法であり、彼らが今破壊していますが、実は彼らは何者でもありません。当時釈迦牟尼が現れたときに、バラモン教もこのようにやっていました。

弟子:ミクロ的な部分からからマクロ的な部分に演化する過程は即ち、本体の転化過程なのでしょうか?
師:このように理解しても良いのです。修煉が速く進めば進むほど、転化は速くなります。

弟子:なぜ宇宙のある一定の範囲内の他のそれぞれの空間に同時に同じ人が存在しているのでしょうか?
師:この宇宙はこのような複雑な構造です。あなたが生まれてきたとき、多くの空間の中にもあなたが生まれてきました。姿かたちややっていることは大同小異であり、あなたと同じ名前をしています。同時に生まれ同時に死んでいきます。しかし、生活の質において違いがあります。あなたとどういう関係があるのでしょうか? 先ほどお話しましたが、同時に生まれ同時に死んでいきますが、この他に大きな関連はありません。先ほど同時に生まれるとお話しましたが、他の空間のあなたが生まれてこなければ、あなたが生まれたくてもそれが出来ません。彼らが死ななければ、あなたが死にたくてもそれは難しいのです。ですから、さまよっていて転生できない魂は、すべての彼がまだ死んでおらず、其の中の一人が自殺し、どうしても死にたいと思ったので、死んだ後行くところはありません。生きているすべてのあなたが生命の過程を終えてから、やっと一緒に自分の帰る場所を探すことができます。元神にいたっては、先ほど私が既にお話しましたが、元神はすなわちあなたであり、主元神はあなた自身であり、あなたの考えの源はすなわちあなたです。元嬰というのは、修煉の中であなたの智慧と法が生成した佛体です。私たちのこの法は人間の体に本質的な変化が生じるようにすることができ、この体そのものも佛体に変わることができます。

弟子:将来あなたが得道した際、多くの人が受益するかもしれないと師父がおっしゃいました。
師:そうです。皆さん考えてみてください、ある人が佛まで成就したら、その親兄弟、特に親ですが、これほど素晴らしい子供を産んで、福があるのではありませんか? 必ずあります。どれほどの福があるのでしょうか? どの次元に置かれるのでしょうか? 必ず本人の福の多さによって扱われます。子供が佛まで圓満成就したら、その親が修煉しなくても、佛になるのはあり得ないことです。なぜならば、彼は修煉していないからです。その人の福と心性によって決められます。業力の量もとても重要です。親、兄弟だけではなく、あなたがこの世で接触した多くの人と生命および怨恨と縁、あなたが殺した生命などは、あなたが成佛した後、どのように処置されるのでしょうか? あなたはその生命たちを済度しなければなりません。もちろん、これらのことはあなたが修煉して圓満成就したとき、師父は全部やってあげますが、それもあなたが済度したことになります。これらの生命はあなたの世界まで済度されなければならないため、このようにして皆さんにこれらのことを解決してあげました。あなたの役に立った多くの人も放っておくわけには行きません。修煉のことも簡単なことではなく、あなた自身は多くのことの様々な因縁関係を解決することができません。これらのことも師父がやってあげます。

弟子:師父が各地の一部の学習者と接見されるとき、誰も取り残されたくはありませんが、これが執着なのでしょうか?
師:今日はこういう現象があったかもしれません。私が中国で法を伝えたとき、学習者が皆知っており、皆さんも聞いたことがあるかもしれませんが、初日の時皆前方の席を探しており、師父に近いところに座り、受けたエネルギーが強いと思っていました。三日目講習班が終わったとき、前に来る学習者は誰もいませんでした。皆良い席を年寄りの人または他の人に譲り、席取りをする人もいませんでした。会場全体に穏やかな状態が現れました。皆変化の過程があります。もちろん、今日多くの人が地方からやってきたのであって、または長く私と会っていないので、前の方に行って先生をはっきり見てみたいと思っています。この気持ちを私は理解することができます。良い席を取ることにいたっては、このようなことを白人はしないと思います。全体的に言えば、これも表面上のことです。

弟子:古い学習者は心性が高く、功力がますます大きくなっているので、彼らの言動は新しい学習者に大きく影響しています。古い学習者と新しい学習者はそれぞれどのようにこのことに対処すべきなのでしょうか?
師:古い学習者の多くは修煉が良くできていますが、古い学習者の一人一人は皆それほど素晴らしいとは言えません。あなたが基準に達していないから、煉功に来てはいけないと私にはそれを言えません。このようにして良いのでしょうか? いけません。ですから、あなたの多くの言動は他の人に影響してしまうかもしれません。しかし、法があるから、恐れる必要はありません。新しい学習者も法を何回か勉強した後、法をもってすべてを判断するようになります。あなたは古い学習者ですが、どこが間違っているのか新しい学習者には分かっています。人間に自分の考えがあり、その上法もあるので、これらのことは問題になることはありません。皆さんもこのように経験してきました。補導員や古い学習者として、このことを心配するかもしれませんが、出発点と考え方は皆良いものです。皆さんはそれに気づいたら、それを解決する方法を考え、皆さんにできるだけ注意してもらうようにしてください。ですから、古い学習者として、確かに新しい学習者の前で自らのことに気をつけ、自分に対する影響を考えなくても、大法に対する影響を考えるべきです。ここは浄土であり、私は他でもなく、皆さんがトラブルに遭った時、自分の内心を見ないということをしてほしくありません。社会の職場のようになってはいけません。

弟子:修煉する前のある日の夜、寒くて動けなくなりました。
師:個人の状態についての質問は、私が思うにはできるだけ出さないほうが良いのです。あなた一人に一千万、一億種類の状態がありますが、どのように解答するのでしょうか? あなたに教えますが、皆良いことです。昨日私はあることについてお話しました。つまり、それが良いと感じていてもいなくても、実はあなたにはそれを見分けることができません。それがみな良いことだと思えばよいということだけを皆さんに教えます。(拍手) 皆さんに教えますが、皆さん考えてみてください、人類社会の土は高次元生命の糞であり、人間はこのような汚い環境の中で、肥溜めの中に飛び込んだと同じように、既に肥溜めに入ったのに、気持ち良いと感じたら良いことであり、そうでなければ良くないことだと思っています。こういうことにこだわって、何の意味があるのでしょうか? 速く修煉して、どんなことにぶつかっても良いことだと思えばよいのです。実際にそれは本当に良いことです。修煉しなければ、気分が悪く感じたことも含めて、きっとこういう感覚はありません。いくら良い変化であってもあなたの体に現れると、気持ち良く感じないのです。なぜならば、いかなる功とエネルギーにも電気があるから、あなたの体に何らかの反応が現れます。それほど強い功であり、あなたにまだ人間としての体があるから、功が体の中で動くだけで、人体は気分が優れないと感じるのです。修煉がすべてできたとき、そういう感覚はなくなります。天に上っていくとき、空中でいくらかの状態が現れる人がいますが、それを気にしないでください。皆良いことだからです。恐れれば恐れるほど、いろいろ感じてしまいます。なぜならば、あなたに恐れる心があるのも正しくはないからです。

弟子:自分のために存在していながら、無私無我にならければならない、ということをどのように理解すべきなのでしょうか?
師:皆さん考えてみてください、人間は個体の生命であり、修煉も、返本帰真も望まなくなるほど無私無我になることが、真の無我だと理解するのが正しいのでしょうか? あなたの修煉は自分のためではありませんか? しかし、皆さんは修煉の過程でますます善になり、何かを考えるときはみな相手のために考えている、というところまで善になり、無私の生命になるように修煉しています。修煉はあなた自身のために修煉しているのであって、あなたが圓満成就まで修煉したら、同時に相手のために考え、相手のために代価を惜しまないほど偉大な生命にもなりました。個体の生命は永遠に存在するのです。皆自分の個体がなくなるまで修煉したら、それではいけません。ですから、皆さんに教えますが、あなたが元に向かって上昇し、圓満成就しますが、相対的に言えば、あなたが支払った代価はあなたに限りない幸せをもたらすのです。それはあなたが自分で支払った代価によって得たものです。さらに次元の高い美しい世界に戻ろうとすることは、善に向かい、上を目指すことです。無為は自分がなくなる、自我が存在しないことだと理解する人がいますが、実はまったくそうではありません。宇宙に次元があり、厳格に言えば、生命に階級があるのです。それはあなたが修煉によって証明して得た果位と威徳によって構成されています。

弟子:足が硬いということは業力が大きいからですか?
師:これについて私は既に話しました。業力があるから足が痛くなる人もいれば、足をこのように組んだことがないから足が硬いと感じた人もいます。これは体の表面にある生理的状態です。しかし、業力が大きいからそうなったにしても、生理的な要素によるものであっても、皆組めるようになります。痛くならない人は少ないのです。 

弟子:全世界で法を得た人が既に一億人あまりいますが、洪法は今までと同じく重要なのでしょうか?
師:洪法はあなたにとってそんなにやりたくないことなのでしょうか? ご存知のように、皆さんは修煉の中で善を修め、人間が難の中にいるのを見て、その人に法を得てもらいたいと思うようになり,これは皆さんが修煉の中で徐々に備わるようになるものです。人間にいかなるものをあげても、法をあげることより良いものはありません。いくら良いもの、いくら多額のお金を与えても、それは一世一時の幸せです。それに対し、法を与えることは生命の永遠の幸せになるのです。大法より素晴らしいものはあるのでしょうか?(拍手) ですから、大法を他の人に紹介すること自体は洪法であり、良いことです。しかし、皆さんは無理に行わないでください。相手は学びたくないのに、どうしても学ばせたいということをしてはいけません。法があることを教えるだけで良いのであって、皆さんはそこまで行えばよいのです。修煉するかどうかは本人自身のことです。多くの人が洪法のことをたくさんし、大量の時間を使いましたが、意味がないとは決して言えません。あなたがそのために使った時間はみな修煉の中で補われるのです。何といっても、あなたは大法のために行っており、良いことをしているからです。もちろん、無理強いで人を引っ張ることもしないように今後気をつけてください。便利な方法で法があることを教えれば良いのです。法があるのを知ったが学びたくなければ、それで良いのです。

弟子:「明智」という経文の中で、思想業力と良くない正常な念を見分けなければならないと言っています。
師:そうです。思想業力の妨害は常人にはわきまえることができません。修煉者が精進せず、自分の考えの根本的な動機を探さなければ、修煉者も思想業力をわきまえることができません。 思想業力が長い間滅されていない人がなぜいるのでしょうか? つまりどれが自分なのかをわきまえようとしないからです。なぜ修煉するようにと言ったのでしょうか? あなたはまず良くない考えを修煉によって取り除くべきです。それらの良くないものを取り除くことができたのは、それが自分だとあなたは認めていないからです。これは極めて重要なことです。それが自分だと認めていないから、それを滅することができました。それは本当にあなたではありません。それはあなたが生まれてから事を行う時に形成された各種の観念であり、ひいては造った業力です。他でもなくこういうものです。しかし、人間は往々にしてそれが自分だと思っています。私は頭が良くて、社会で誰も私をいじめることができず、私は各方面において他の人より強い、と思う人がいます。彼はこれらの後天的なものを自分だと思ってしまい、ひいては最も良いものだと思っています。人間が何をほしいのか、これは本人が決めることです。これを欲しくないと思うときだけ、取り除いてあげることができます。

 なぜ精神病患者は済度し難いのでしょうか? 彼はまったく見分けることができないからです。思想業力、自分ではない考えを見分けることは新しい学習者にとって難しいことです。これができれば、本当に素晴らしいのです。大法をもって量ってください。実はすべての良くない考えは皆あなたではないのです。あなたはこれをやり遂げることができれば、既に見分けることができたのです。「この考えが良くないから、滅してしまい、取り除くべきであり、私はこのように考えてはいけない」という具合です。これはすなわち思想業力を滅しているのです。それらの悪いことをする人、人殺しや放火ひいては同性愛者の人がこういうことをしたいと思っているでしょうか? 生まれつきでそうなったのでしょうか? これは後天的に形成された正しくない観念がますます強くなり、強くなって、かえってこの観念が人間を操るようになったから、そうなったのです。

弟子:人を済度する覚者は通常如来ですが、如来はどのように物質の本源から修煉者に功を演化してあげるのでしょうか?
師:私はこのように皆さんに教えたことはありません。釈迦牟尼がこのようにやっているとも言っていません。如来の法は宇宙大法と比べることができません。普通の神は将来にもこのことをすることができず、今までのいかなる神にもできなかったことです。以前の人を済度する法が小さかったので、神は他の如来または更に次元の高い神の助けを借りて人を済度しており、天を拝み、更に次元の高い神を敬わなければなりません。人間が思っているように如来佛が一番えらいということではありません。法が小さければ、一生でその人を済度することができず、何世かを経てやっとできるのです。しかし、大法にはできます。(拍手) なぜならば、これは宇宙大法であり、すべての法を超えているからです。すべての法は修煉する大覚者が宇宙大法から証明し悟ったものです。この関係が皆さんお分かりになったのでしょうか? 人を済度するすべての大覚者または天上のすべての如来にしろ、佛、神にしろ、彼らの世界の特性または彼が得た果位は、皆宇宙の大法から証明し悟ったのです。(拍手) 彼らが宇宙大法からそのまま持ってきたものではありません。なぜならば、以前宇宙の大法はまったく彼らに知られてはいけなかったからです。彼らは異なる次元の中の生命が到達すべき境地の基準を知っているだけで、それだけです。ですから、彼らは自分が理解したもの、どのようにこの基準に達するのかを証明し悟ることができます。これは彼らが証明し悟ったものです。釈迦牟尼が証明し悟ったものは「戒、定、慧」と言います。私はこの問題をはっきりと説明したのでしょうか?(拍手) 彼らは宇宙の法、更に次元の高い神の助けによって行っており、彼ら自身にこれはできません。

 また、如来佛の中に異なる如来もいます。たとえば、釈迦牟尼佛は皆さんが想像しているような普通の如来ではありません。彼はこの境地では如来ですが、実は更にミクロ的で他の佛に知られていない状況があります。彼がやってきた次元は非常に高いのです。彼は「地水火風」という「四大」を証明し悟りました。以前経書の中でこの言葉を見た人がいるかもしれません。これは既に相当高い次元であり、普通の生命が存在する天体をはるかに超えています。つまり彼が証明し悟ったものは既に非常に次元の高いものであり、彼がやってきた次元が非常に高いということを物語っています。しかし、彼は如来という境地の法力をもって人を済度しに来ただけです。

弟子:人類社会が変異した原因の一つは、常人の分子細胞の大部分が既に宇宙人に変えられてしまったということですか?
師:人間が言っている生命と人体の物質はつまりこの体の構成であり、考えの変異は人間の行為と生活方式を変えることができる一方、生活方式はまた人間の体の粒子成分を変えることができます。この変異がもし受動的なもので、何かの生物によって操られているのであれば、人間にとって非常に恐ろしいことです。これはなぜ人間が後天に観念を形成することができ、この観念がまた人間を司ることができるのか、ということと同じです。これを取り除かなければ、一生あなたの一部分になります。ひいてはあなたを司るものの一部になります。つまり、宇宙人が地球人に押し付けたこの文化はあなたの頭の中で生活方式と物質世界を認識する方式を一式完全に形成してしまいました。今は既にこのようになりました。これがあるから、今の体に発達させることができます。この車をどのように運転するのか、宇宙人の方式を使用しなければなりません。あの機械はどのように作られたのでしょうか? 生産されたものをどのように使うのでしょうか? この一連のものは人間のすべての生活方式の中に浸透しており、このような体、考えとものを形成しました。前回私は既に話しましたが、パソコンを操作しているすべての人は宇宙人に番号を割り当てられています。これは間違いのないことです。しかし、私たちの弟子の中にこういう問題はありません。私は全部片付けてあげました。しかも、宇宙人は最終的に片付けられています。しかし、隠れているものもありますが、めったに見かけることはありません。以前彼らは超物質の空間に隠れて人間を操っていました。前回私は超物質についてお話したことがあります。宇宙人は超物質の空間に隠れ、非常に気づきにくいのです。人間は今の分子を最も物質的なものだと思っていますが、実は分子より更に物質的なものがあり、そこに隠れて人間を操っています。あの空間を私たちは既に片付け、すべてが根絶され、きれいになりました。

弟子:出世間法は羅漢果位ではありませんか? なぜまだ衆生なのでしょうか?
師:法をまだよく読んでおらず、よく理解していません。修煉していましたが、成就できなかった人は、到達した三界の中の次元で生存するしかありません。天上の人は天人であり、人間にとってそれも神です。三界を出たら、まず到達する果位は羅漢です。もう一種の特殊な状況もあります。修煉をしなかったけれど、高い基準に達した人は果位がありませんが、佛と縁があり、または在席の中の将来佛まで成就する人と縁があれば、あなたの世界の衆生になるかもしれません。つまり、あなたの世界の庶民です。佛の世界の中に佛と菩薩ばかりではなく、それは栄えている世界です。佛は法王であり、善なるものです。つまりこういうことです。人間の考えで天上のことを分かろうとすれば、永遠に分かるようにはなりません。頭の中がこういうことばかりであれば、修煉できなくなります。私が皆さんに説いたそれほど大きな天体は一粒の塵芥に過ぎず、宇宙は言い表すことができないほど複雑であり、言葉にすることができません。地球には白人、黄色人種、黒人がおり、人種にある程度の差異があります。天体の中には各種の人種が多くおり、様々です。中に模様がある者もいます。宇宙はこれほど膨大で繁雑なのです。

弟子:人類の業力はますます多くなっていますが、なぜ平均寿命は延びているのでしょうか?
師:今の人間の寿命が昔の人の寿命より長いということに皆さんは気づいたかもしれません。大法が広く伝わっており、この世に間に合ったこと自体はその人の福です。(拍手) 私が済度する人、全ての人に機会を与えなければならず、大法が広く伝わるこの世に来て、この大法と巡り会うのは容易なことではありません。人々に機会を与えています。しかし、修煉するかどうかは人間自身のことです。大法がまだ多くの地区に伝わっていないので、その生命の寿命を延ばして将来法を聞くことができるようにしています。そのとき、その生命の心がどう動くかを見てみます。ですから、人間に大法を教えることは重要なことであり、しかもとても重要なことです。私が言ったことの意味はつまり、皆さんが洪法する時、相手に法があることを教え、修煉するかどうかは個人の問題です。この世に来て、佛法と出会い、佛法を聞きましたが、気にせず、修煉せず学ばなければ、あなたにとってとても残念なことです! 先ほどなぜ業力が大きいのに、命が短くならず、かえって延びているのかということをあなたは聞きたかったのですが、つまりこういう原因です。

弟子:古い学習者の家に師父の肖像で開眼された観音の彫刻がまだ置かれていますが、これは正しいのでしょうか?
師:彼らは皆偉大な神なので、大丈夫です。開眼されたら、飾りたければ飾れば良いのです。どの法門を修煉しているのかあなたは心の中で分かっていなければなりません。誰を敬うべきなのかを心の中で明確にしておかなければなりません。

弟子:私たちは皆師父の体の中で生きていると理解してもよろしいでしょうか?
師:このように理解してもよいのです。(拍手) 実は皆さんに教えますが、人間は修煉の中で体の体積が絶えず増加しているのです。人間がこの空間に落ちてきて、元に戻り、修煉して戻ろうとすれば、体が変化します。最もミクロ的なところから変化し、宇宙のミクロの次元の基準に符合して、最もミクロ的なところに戻るのです。そのとき、彼の体の体積はもともとあの空間にいたときの状態と一致しなければなりません。ですから、大きくなりました。ミクロ的であればあるほど体積が大きくなります。全ての修煉者にこのような変化が見られます。常人はあなたが見えず、それを見ることが許されていません。多くの学習者は師父の背後に数え切れないほどの体があるのが見えました。師父の体が一層一層、どんどん大きくなっていき、果てが見えないほど大きく、全てを覆っていると言っています。地球を覆っていますが、あなたは地球にいるのではないでしょうか? つまりそういう意味です。(拍手)

弟子:私たちは主元神を修めていますが、なぜある程度の時間が過ぎると、周りの全ては見たことがないかのように感じ、おかしく思うことがあるのでしょうか?
師:このように感じたのは次の情況によることがあります。もしあなたの考えのある部分が洗われ、またはあなたの思惟方式が変えられてしまったら、こういう情況があります。どんな情況であっても、自分がここにいて、これが自分だと分かっていれば、問題ありません。

弟子:『転法輪』は既に非常にはっきりと説いているので、他の人と交流する必要はないと思います。
師:これはあなた自身の修煉状態です。他の人に押し付けてはいけません。しかし、あなたが間違っているとは言えません。人によってそれぞれ異なる状態があります。新しい学習者が絶えず入ってきているため、皆さんは浄土を有していなければなりません。

弟子:常人の中で落ちれば落ちるほど、修煉して戻って成就したら、その威徳がますます大きくなると言っても良いのでしょうか?
師:こういうことではありません。落ちれば落ちるほど望みがなくなり、大法が広く伝わらなければ、おしまいになります。

弟子:師父が弟子に業を滅するということは宗教による修煉中でなぜ明確にされていないのでしょうか?
師:理由はありません。イエスが説いたことはなぜ釈迦牟尼の説いたことと違うのでしょうか? なぜ皆同じでなければいけないのでしょうか? 釈迦牟尼は業を滅することを説いたことがあり、なかったのではありません。現代佛教も業を滅することを言っています。釈迦牟尼は四十九年間の説法の中でたくさんのことを話しましたが、人間に理解されなかったことは継承されなかったのです。後世の人は自分の好みに合ったものを選んで読んでいました。まさに学習者が選んで法を読んでいるのと同じように、これが良いと思えばこれを読むという情況です。理解したものは継承しますが、理解することができず、自分の観念に合っていないものは継承しませんでした。釈迦牟尼が当時、法を伝えていたとき文字はありませんでした。五百年後に、釈迦牟尼の説法は整理され始めたのです。五百年間の口承の中にどれくらいの間違いがあったのでしょうか?! 佛教は業を滅することを言っていますが、あなたはそれを知らないのです。イエスが十字架に磔にされたとき、キリスト教はイエスが人間の代わりに罪をあがなっていると言ったのではありませんか?

弟子:「同修」という言葉で他の学習者のことを指している学習者がいますが、師父はこの言葉を言ったことがないので、適切ではないと思っています。佛教の中でこういう言い方があります。
師:これは世の人々が言い出した言葉であり、佛教だけにある言葉ではなく、佛教の専門用語ではありません。実は佛教の中では同修という言葉をまったく使っていません。これもここ数年人々が使った言葉です。私たちがどういうことを使うのかは別に気にすることはありません。大法は表面形式において、こういうことを重んじておらず、最大限に常人に符合して修煉しています。以前何と呼べば良いのかと聞かれたことがあります。私は何でも良いと答えました。特有の言葉を規定すると、私たちが宗教だと本当に思われてしまうかもしれません。こういう面の形式において、常人とはっきりした違いがないほうが良いと思います。

弟子:どのように人間は自分で自分を封じ込めているという問題を見るべきなのでしょうか?
師:これは各方面と広く関わる問題です。人類の各方面にこの問題が存在しています。最も簡単な例をあげますが、例えば、現在の法律のことです。ご存知のように、古代には法律がなかったのです。人間の心が皆比較的善良で、たくさんの法律で人間を束縛する必要はなく、どのように行うべきかを人間自身が分かっていました。しかも、正しく行動していました。今の人間の心が皆だめになり、悪くなったので、たくさんの法律を作って人間を管理しており、動物を管理するかのように人間を管理しています。それは目に見えない籠です。しかし、人間は今でも悪くなりつつあります。法律も絶えず制定されています。最後にどの程度にまでなるのでしょうか? 罪を犯しても人間がそれに気づかなくなり、法律が多すぎて覚えられなくなるほどです。最後になると、人間が動けば、家を出れば法を犯してしまい、ここまでなる可能性があるのではありませんか? 人類は絶えず自らを封じ込めており、法律だけではなく、全ての方面において自らを封じ込めています。最後に如何なる方法もなくなるまで自らを封じ込めてしまいます。人間が制定した法律は逆に人間を治め始めるのです。法律を制定する人は皆他の人を治めようとしており、なぜならば、彼は常人の心をもって他人の行動が気に入らず、嫉妬心から相手を治めようとしているからです。しかし、彼自身も人間の中の一人であることは思いもよらなかったのです。この法律は法律を制定した人をも管理しています。最後に人間が息をすることのできるところがなくなるまで封じこめられてしまい、どんな方法もなくなります。そのときになると、人間はどのように生きるのでしょうか? ですから人間の根本的な問題を解決することができるのは、法律ではなく、人間の心です。(拍手)

 どの国も社会で混乱を起こす要素、安定に影響する要素に頭を抱えています。例えば、社会の治安の問題ですが、治す方法はありません。皆この良くない現象に対して法律を定めて治したいと思っています。法律がますます多くなりましたが、見られていないところで悪事をする人はやはり悪事を働くのです。実は誰もこの問題の根本的な原因を突き止めていません。他でもなく、人間の心を治し、人心を善に向かわせることです。人心が良くなれば、たくさんの法律もいらなくなります。警察がいなくても誰も法を犯すことをしません。誰もが悪事をしないように自らを律し、警察がいる必要はありません。このような社会はどういう社会になるのでしょうか? そうではありませんか? 将来一人につき警察官一人がつくほど、警察官が多くなります。心が相変わらず良くなければ、やはり悪事をしてしまいます。警察官も人間なので、悪事をする警察官もいますが、人間はどうしたら良いのでしょうか? 裁判官も常人であり、裁判官にも悪事をする人もいますが、誰が裁判官を管理するのでしょうか?

 つまり、人間の根本的な問題を解決するには、制定した法律の多さによるのではなく、どのように人間を制限し、制約し管理するかの問題ではなく、どのように人間に善の心を芽生えさせ、社会を本当に高尚なものにするかの問題だと私は言っています。如何なる人間を制約する外在のものも人間の心を制約することができず、つまり本を治めることができないということです。

 私は人類の全てのことを知っています。もちろん、私はこれらのことを言いましたが、現在人類社会に対して何かをするという考えはなく、関わらないようにしています。政治的なことも私は干渉せず、人間のいわゆる政治をまったく好みません。聞くことも干渉することもしません。しかし、人類のことなら私は全部はっきり説明することができますが、今修煉している学習者だけに対して、責任を負います。しかし、更に多くの人が修煉して良くなったら、この強い正の力によって社会にいくらかの変化をもたらします。人心が善に向かい、社会が安定になるのは間違いのないことです。しかし、これは私が意識的にやろうとすることではなく、大法を伝えたことに付随してきた作用です。

弟子:法輪功はこの世において師父だけが伝えており、他の誰もが下りて伝える勇気はないと師父はおっしゃいました。
師:そうです。私は法輪世界の…。法輪世界は私が作ったのです。(拍手) 大法は私だけが伝えており、実は他に誰もいません。あなたが想像しているこの概念さえありません。

弟子:現れたばかりの考えが正しくないとすぐに気づくことがよくあります。
師:それは良いことです。あなたの主意識が覚者ほど強くはありませんが、正しくない念が現れたらすぐそれに気づき、正しくないと分かったのは、修煉によってできたその部分の考えが既にかなり強いからです。その部分は作用を働いています。そのため、良くない考えが現れたらすぐにそれに気づき、捕まえることできます。

弟子:「蓮」は何を表しているのでしょうか? 修煉者が汚泥から出て来たけれど、汚されていないということを表しているのでしょうか?
師:蓮の花は人間の空間から生じたのではありません。人々は荷花が蓮の花に似ていると思っていますが、それは蓮の花ではありません。蓮の花は佛の世界で生じたのであり、佛の世界では、花として存在しているのではなく、果位と威徳を表しています。蓮の花は人間の概念の中の花ではありませんが、花にたとえることができます。今、佛教は荷花をもって神聖で純潔なものと喩えており、汚泥から出ましたが汚されていないことを喩えています。つまり、汚泥から出てきたのですが、汚染されておらず、きれいで神聖かつ純潔のものです。これは一種の喩えですが、佛の蓮の花ではありません。

弟子:修煉の過程の中でどのように次元の向上と突破を感じるべきなのでしょうか? 私はいつも同じ状態を繰り返していると感じています。
師:これはよくあることです。自分がどの次元まで修煉したかを感じることができるのかと言っているのですか? これはいけないことです。どのように言ったら良いのでしょうか。これほどたくさんの人にそれぞれの詳しい情況を教えるのは、まず不可能なことです。また、あなたは形式的なことに執着してしまう恐れがあります。こういうことに気を取られてはいけません。皆さんは大法弟子として、大法に基づいて修煉してはじめて、最も速く修煉することができます。

弟子:個性は根基と関係があるのでしょうか?
師:後天的に形成された変な癖は、個性ではなく、あなたの執着であり、後天的に形成されたものです。確かに自分の特徴を持っている人がいますが、例えば、何をしてもてきぱきできる人もいれば、ぐずぐずしている人もいます。または本性においてお互いに差異があり、これはその人が本来持っているものです。何かをするときに、私はこのようにするのが好きで、このようにやります。このようにするのを好んでいて、どうしてもこのようにやりますという現れは、後天的に形成されたものです。これらの執着と癖を自分の個性と性格と見なしてしまい、これは正しくありません。これらのことは取り除かれなければなりません。

弟子:宇宙、天体、時空の概念をどのように理解するのでしょうか?
師:宇宙、天体と時空の概念ですが、この三つの言葉から説明しなければなりません。人類の言葉は極めて限られています。皆さんがいつも思っているこの宇宙は、目で見える宇宙と人間に想像できる宇宙のことです。私は皆さんにたくさんのたくさんの次元の宇宙を説きましたが、さらに話すと宇宙の概念を超える次元があり、私はそれを天体と呼んでいます。これは私が皆さんに説いた言葉と認識の概念です。しかし、人間が言っている天体と私が言っている天体とは同じことではありません。この天体の中の異なる宇宙の中にさらに異なる空間が存在しています。異なる空間の中に当然それぞれの時間があり、つまりその空間の時空ということです。異なる時間に存在している空間は、異なる時空と呼ばれています。これは表面から認識した概念です。

弟子:大法が社会で広く広がるということは即ち、宇宙の法理のこの世での再現である、というように理解してよいのでしょうか?
師:正しいのですが、完全に正しくはありません。これほど大きな法理はこの世で再現されるのではなく、天地開闢以来なかったことであり、宇宙の中でも天地開闢以来初めてのことです。

弟子:アメリカ人が煉功し始めたとき、音楽テープに英語の同時通訳もあればと思っています。
師:翻訳のことは今進められています。煉功テープの中に翻訳を入れるのは、良くないと思います。例えば、「佛」という言葉は、西洋人は今までまったくその意味を知りませんでした。今は皆知っています。つまり、翻訳できないものがあります。しかし、煉功テープの解釈は翻訳しても良いのです。「結印」「合十」を訳してしまうと、意味が伝わらず、もともとの意味を失ってしまいます。ですから、これらの言葉を翻訳してはいけません。

弟子:自らの心から魔が生じた修煉者の修煉をどのように助けることができるのでしょうか?
師:まずこういう学習者は良い学習者ではないと私は思います。なぜならば、修煉が良くできている学習者に決してこういうことはありません。大法に対する磐石のような堅い心は、魔に妨害されるどころか、魔が彼を見たら恐れてしまうのです。(拍手) 魔が彼を妨害しに来れば、即ち卵をもって石とぶつかることと同じであり、まったく近づくことができません。ですから、やはり彼ら自身の考えに問題があり、特に外来のものが彼らの考えの中の執着を利用して、虚像をもって妨害しています。きっと彼は以前のものをまだ放棄しておらず、彼から原因を探せばよいのです。彼がそういうものを求めなければ、そういうものは絶対近づいてくる勇気はありません。宇宙の以前の生命も現在既に正された全ての生命も皆見ています。心が正しくないので邪なものを招いてしまったのです。心が正しければ、誰も近づいてくる勇気はありません。本当にやってきたら、神々はそれを許しません。こういう学習者の問題をどのように改めるのでしょうか? 本人に分かってもらって、心を放下して法を多く勉強するしかありません。いったん心から魔が生じたら、自ら悟ることは既に難しいのです。他人に説得されればされるほど、ますます自分が正しいと思い、考えを改めたくはありません。それなら、何の方法もなく、好きなようにさせればよいのです。誰も彼と関わりを持たず、居場所を与えず、この人が存在していないかのようにすればよいのです。本人が面白く思わなくなったら、冷静になるかもしれません。しかし、法を深刻に破壊した人は、永遠に再び法を得る機会を手にすることができません。しかも、将来自ら犯した罪を償わなければなりません。これは彼自身の原因で引き起こされたことであり、彼に対して慈悲深くないということではなく、私は以前このことに関する法を幾度となく説きました。

弟子:自分が絶えず関にぶつかっているとはっきり分かっていますが、体に特別な変化が起きていると感じていません。
師:多くの学習者は多くの苦を嘗め、確かにほかの人より大きな代価を支払い、多くの苦を嘗めました。ここに二つの原因があります。一つは、以前造った業力があまりに大きく、または大きな悪事を働いたからです。今生でこれらのことを知らないといって、償わなければ、それではいけません。皆さんが大法を修めたので、私は皆さんを見守ります。さらに、皆さんが修煉して向上し、圓満成就できるようにしなければなりません。しかし、皆さんが以前こういうことをしたということを皆さんに教えてはいけないので、なぜこういうことがあったのか、ああいうことがあったのかと皆さんは私に聞いていますが、(もちろん質問を出している学習者のことを言っているのではなく、例をあげてこのことを言っているだけです)、どうしたら良いのでしょうか? あなたが苦を嘗め、苦しんでいるのを見て、私もあなたを心配しています。しかし、相対的に言えば、消してあげたものは既に相当大きかったのです。師父が他の空間で消してあげたもの、あなたの代わりに受け持ったものは既に相当大きかったのです。これ以上滅してはならず、それは許されないことです。どうしたら良いのでしょうか? 苦を多く嘗めるしかありません。もう一つの情況ですが、どうしても自分のことに執着して放そうとしない人がいます。どうしても執着を放さず、深く隠し、ひいてはそれに気づいても放そうとしません。その執着に触れるとすぐ逃げてしまい、考えようとしません。あなたは執着を放棄しようとしませんが、あなたは修煉もしたいと思っており、あなたが修煉の素材を持っているため、修煉できると私は思っています。そのため、あなたに悟らせなければなりません。あなたがいつもその状態にいるので、難が大きくなります。どうしたらよいのでしょうか? 他に方法はありません。これも一つの情況です。つまり、人為的に自分が自分に作った関です。

 また、修煉の中で体の変化は皆他の人と同じように顕著ではないのです。敏感に感じていない人もいます。何があっても感じない人がいます。こういう人がいます。言い換えれば、ミクロ的なところで天地をひっくり返すほど大きな変化があっても、あなたの表面の体は後天的要素によって敏感ではなくなり、麻痺してしまったため、まったく感じ取ることができません。こういう情況もあります。しかし、表面の体がいくら悪くなっても、感じ取られなくても、あなたの修煉に影響することはありません。進み具合も他の人より劣ることはありません。最後に圓満成就するとき、表面にある阻害は何者でもなく、功がやってきて一瞬の間に全てが終わってしまいます。しかし、表面にある阻害のため、あなたはどうしても敏感にならないかもしれません。 

弟子:師父は変異した社会と人類についてお話されましたが、弟子にさらに詳しく説いていただけないでしょうか?
師:ご存知のように、東洋人にしても西洋人にしても、古代の時の人間は、彼らの考え、人間としての行為および社会の存在方式は現在とまったく違っていました。神さえそれが人間の生活だと思っています。しかし、中に発展の過程もありました。ご存知のように、中国は多くの時代を経てきており、服飾に変化があり、各時代それぞれの服飾も違っていましたが、彼らの人間としての観念、人間としての考え、社会で携わっていた全てのことは本当の人間の生活です。現在の場合、社会が非常に発展しているように見えますが、皆現在の科学によってもたらされたものです。なぜ神は人類の変異を許しているのでしょうか? このことを話すととても大きな問題と絡んでしまうので、私は話したくありません。しかし、簡単に概括的に話しても良いのです。つまり、宇宙の中に旧勢力があります。この旧勢力は魔ではありませんが、長い歳月の中で法からずれてしまった後に生じた生命であり、宇宙が悪くなったとはまったく分かっていません。この類の生命は自らの全てを守るために、生命が法を得ることと法を正すことを阻害し、極めて悪い勢力を形成しました。彼らは魔ではありませんが、魔も及ばないことをやっています。彼らは建前では人のためですが、本当のところ破壊しています。

 表面では神の形象をしていますが、善の生命ではありません。この勢力は今日私が伝えているこの大法の中でひどく阻害しています。私の功がいったん彼らに及んだら、彼らは何者でもなくなります。彼らが分かるようになったとき、自分が徹底的に消滅されていることに気づくのです。彼らは法によって正され根絶される結末から逃れることができません。このことはつまりこういう過程です。

 このことを話すと、多くのことを話さなければならず、大きな問題と関わってしまいます。つまり、この旧勢力は既に相当長く存在しているため、生命が法からずれていることと、宇宙に変化があったということを信じようとしません。

 私が行っているこのことが上の次元から下の次元まで皆知っているため、最も次元の高い神たちは協力しようと思って、一連の系統的な按排を行い、このようにすることは私にとって最も良いことだと思っています。異なる次元から下まで貫いてきて、皆このような按排があります。しかし、彼らの基準と按排は私が法を正すことにとって障碍となっていることを、彼らは思いもよらなかったのです。ひいては、古から今日までの人類社会で、彼らは今日の人類がどのように法を得るのかを按排しており、人間の体と考えを利用して宇宙人の智慧を残そうと思っています。これは最も低い次元で私が法を正し人を済度することにもたらした厄介なことであり、私が行うことを難しくしています。ですから、彼らは私が法を正すことを助けようと思ってこのことを行いましたが、実は皆阻害の作用をしています。しかし、人類に対する最大の破壊というのは、人間が法を得ることを阻害していることです。特に、この科学が神を信じておらず、伝統の、本当の人間としての考えと行為を否定しています。これらのことは人間が法を得ることの大きな阻害となっています。宇宙人は神ではないので、神がこのように按排したことも知らないのです。ただ神は操って扉を開けて、宇宙人を人類社会に入れただけです。これで宇宙人の思う壺になったのです。宇宙人は以前から人体を欲しがっていたのです。やりたい放題やっても、誰にも言われることはありません。宇宙人は手を尽くして人体を得て、人類のこのところを占拠しようと思っています。ですから、話し出すと、とても複雑なことになります。先ほど簡単に話しただけで、大きな問題にかかわってしまいました。これは変異した社会と今日のような人類の状態がなぜ現れたのか、ということの原因です。

 「今いくら弟子がいても、師父は将来数人の弟子だけを圓満成就させるのだ」と言っている学習者がいます。私はいくつかの地区でこのことを聞きました。これは大法を深刻に破壊しているのです。それなら、私は今日なぜここで法を説く必要があるのでしょうか?

 幾人を個別に呼んできて教えれば良いのではありませんか? 衆生をあまねく済度する必要がまだあるのでしょうか? しかし、これを信じてしまった学習者がいます。そういう学習者は法をどのように勉強したのでしょうか?

 もう一つの問題があります。つまり、「師父は学習者の体に憑いて話すことによって、他の人を悟らせ、他の人に何かを教えている」と言っている学習者がいます。これは決してあり得ないことです。私はいつも他の人が言ったこと、あなたの家族ひいては誰でも良いのですが、私はその人の言ったことを利用してあなたを指摘し、悟らせています。誰かの体に憑くなんて、誰がそんなにえらいのですか? こういうことはまったくありません。このことを言っている人に問題があります。きっと彼に問題があります。これは憑き物がやっていることです。

弟子:常人に洪法するとき、まず『転法輪』を三回読むようにと要求しています。その後、学びたければ、動作を教えるようにしています。
師:ここまで絶対的にやらないでください。大法に入ろうとする人にこのような、またあのような要素があるので、煉功を教えて、徐々に認識してもらっても良いのです。または、本を渡して、良いと思って学びたくなれば、それでも良いのです。絶対的なことはありません。このことを規範化しないでください。本を一回読んで良いと思って、一日でも早く煉功をしたい人に、「だめ、もっと読みなさい」と言ったら、それではいけません。

弟子:新しい学習者は本を読んではならず、まず考えて、悟らなければならないと言っている学習者がいます。
師:悟りにしても、考えにしても、思考にしても、法を得ていない情況下で、何を悟れと言うのでしょうか? 何も悟ることができないのではありませんか? 本を多く読み多く読むべきです。修煉の過程で現れた状態に正しく対処することができれば、これは即ち正しい悟りです。悟りとは何でしょうか? これを悟るのです。これが即ち正しい悟りです。考えるとか思考するとかを言っていますが、何を考えるのでしょうか? 現れてきた全ての考えを皆さんは本当に濾過しなければなりません。どれが自分の考えであり、どれが良くない考えなのかと考えなければなりません。良くない考えをそのまま考えてしまってはいけません。また、わざわざ何かを考える必要もありません。皆さんは大法を認識するときに過程があります。本を読んだら、素晴らしいと思いました。なぜこのように感じたのでしょうか? あなたに理性と自分の考えがあり、常人社会で実践したから、法が素晴らしいと感じたのです。読めばすぐこのように感じます。しかし、これはあくまでも感性からの認識です。絶えず本を読むことを通じて、ますますこの法の価値が分かるようになり、これで理性まで上ったということになります。これ以外に、何を考えるのですか? 今日学んだこの法が正しいかどうか、説得力があるかどうかを考えていれば、あなたの悟りがずれてしまうことになります。このようにするのは絶対に間違っています。

弟子:十分に洪法していないため、今でも科学技術界の高いレベルの人の中に本当の修煉者がまだ多くはいません。私たちはどのように行うべきなのでしょうか?
師:どんな部門、社会階層なのかを気にする必要はありません。大法が伝えられ、人間の心を見ているのであって、個人に関する問題であり、その集団とは関係はありません。もし権力がある人で、皆に大法を学ばせ、学ばなければならないと言ったとしましょう。しかし、誰が本当に学びたいものなのでしょうか? 強制的な手段で来ており、命令または面子を気にして来たのであって、大法のために来たのではありません。本人が本当に学びたいと思ってやってきたのでなければなりません。ですから、どんなに高い職位についていても、どんなに大きな権力と勢力があっても、私たちはその人の心のみを見ています。誰も他の人を代表してはいけません。一部の部門に勤めている人が法を得たら、大法の広がりと大法が科学的であるのを証明することにおいて、有利であるかもしれません。皆さんにこの考えがあることに私は反対しません。大法を守り、大法の仕事をしようとするのは、とても良いことです。しかし、往々にして皆さんが思っているようなことではありません。本人が法を得たいかどうかがとても大事であり、本人が法を得たいと思わなければなりません。得たくないのであれば、それではいけません。しかし、誰がいなくても、大法は困ることはありません。「うちの煉功点は学習者に何かをやるようにと言えないのです。何かを言うと、学習者は修煉をやめて帰ってしまいます」と言って心配している学習者がいます。大法に対する理解がまだ浅いという情況であれば、こういうことがあっても良いのです。もししばらく大法を学んで、やはりこういう状態であれば、帰ってしまったら帰ったで引き止める必要はありません。私たちがほしいのは修煉する人であり、心から修煉しない人や、うわべだけの人は要りません。百人中九十九人が心から修煉する人でなければ、全部帰ってよいのです。残りの一人が本当に修煉する者で、これは即ちあなたの成果です。一人が済度されれば、それも素晴らしいことです。しかし、このようにはなりません。なんと言っても、今日これほど多くの人が大法を修煉しています。

弟子:関を乗り越えるとき、悟ったと感じ、心がすぐに楽になりましたが、しばらく経つと、また同じ関がやってきます。
師:先ほど、「周天を開通する状態は以前あったのですが、なぜまた現れたのでしょうか」と私に聞いた学習者がいます。皆さんに教えますが、皆さんが修煉の中で最大限に常人社会の状態に適することができるように、修煉してできたその部分はミクロのところから隔離されました。まだできていないこの部分に同じ問題が存在しているかもしれず、このように修煉しつづけ、できたらその部分をまた隔離します。例えば、あなたの各次元の体に機制があり、多くの次元の体にも良くない考えがあるかもしれません。つまり、良くない考えは表面のもっとも浅いもので構成されているかも知れず、さらにミクロ的なもので構成されている可能性もあります。ですから、ミクロのところから表面まで存在している悪い考えがあります。この次元で基準に達したら、この次元にある悪い考えを取り除き、隔離されますが、次の次元にさらに存在しており、繰り返して修煉の中で取り除かれるべきものを修煉しなければなりません。

 修煉が良くできて、しばらく状態が良かったのに、なぜまた良くない考えが出てきたのかと言っている人がいます。修煉してできたその部分は既に隔離され、まだできていないその部分は続けて修煉しなければなりませんが、ますます弱くなります。時に出てきた考えが非常に悪いのですが、私はこの情況を知っています。皆さん心配しないでください。物質がミクロであればあるほど、そのエネルギーがますます強くなります。つまり、その力が大きければ大きいほど、働く悪い作用も大きくなり、人間を司ることができます。それに対し、最も表面において、物質が表面にあるものであればあるほど、エネルギーが小さいのです。エネルギーが小さければ小さいほど、能力もありません。しかし、エネルギーが小さければ小さいほど、表面にあればあるほど、悪いのです。悪ければ悪いほど、次元が低ければ低いほど、エネルギーを持っていません。つまりこういう関係です。ですから、多くの良くないものを消滅し、既にかなり弱くなりましたが、その現れはさらに悪くなっているかもしれません。これらのことを心配しないでください。あなたは既にここまで修煉したので、考えの中に良くない考えがあればすぐに気づくようになります。これは初期においてなかなかできなかったことです。悪い考えは徐々に一層一層、取り除かれています。しかし、皆さんが分かっていなければならないことは、「なるほど、そういうことだ。悪い考えが現れたら、好きにさせればいいのだ」と思ってはいけません。自らを律し、悪い考えを排斥しなければ、修煉していないことになります。つまりそういう関係です。それをわきまえて、制約し、自らを修めようとし、良くない考えを抑制することができれば、あなたはつまり修煉しており、絶えず悪い考えを消滅し、消滅して、基準に達した部分がますます多くなります。全部基準に達したら、圓満成就になります。つまり、こういう過程です。

弟子:北米の弟子は多くの機会を利用してアメリカ人に洪法していますが、本当に法を得ているアメリカ人はまだ少ないのです。
師:宇宙の中の旧勢力は自分なりに按排をし、彼らの按排は今日私が行おうとすることをひどく阻害しました。

 彼らの誰もが私がどこからきたのかを知りません。以前私は皆さんにある道理を話したことがあります。例えば神の場合、どの位置にいても、自分より次元の高い神がいるとは知りません。しかも、神の存在は人間の存在と同じではありません。今日皆さんに教えますが、天の上にさらに天があると私は言いましたが、道理から皆さんがそれを信じています。しかし、皆さんの考えは神の考えと違っています。皆さんは法の中からこれを認識したのであって、神には何でも見え、何でも明らかになっているため、天の上に更に天があると言ったら、神は信じようとしません。本当に信じていません。それは彼の果位と次元によって決められたことであり、彼の智慧が証明し悟ったことでもあります。彼より下の次元、または同等の次元のことに対して一目瞭然であり、思うままに事を行うことができます。彼より下の生命にとって、この神は絶対的に偉大なのです。彼らの次元で現れた私の形象およびその現れ方が見えますが、彼らより高い次元での私の存在形式を見ることができないため、彼らは彼らなりの作用を働く勇気があります。

 彼らは私も自分たちと同じだと思っています。「私はこのように按排しており、あなたの役に立っている」と思っています。しかし、私にやらないといけない更に高い次元のことがあると彼らは知らないのです。各次元で彼らはこのようにやっており、この次元もあの次元も皆同じように考えています。ですから、彼らは幾重にも重なった阻害を按排しました。洪法のことについて言えば、当初法を正す過程で二億人の人に法を得てもらおうと私は自分でこのように考えていました。全世界に七十億の人がいるので、二億という数字はとても小さいのではありませんか? しかし、彼らは一億人に制限し、彼らの変異したものを固守して放しません。私がある次元の按排を破ったら、更にそれより上の次元の按排があります。私は一つの次元一つの次元というようにそれを破ってから、彼らの按排に制限されなくなります。ですから、彼らの按排は私の法を正すことにとって非常に大きな阻害となっています。

弟子:多くの人が修煉の原動力を探していますが、例えば家に帰るという考えを作ったりしました。無為で修煉したほうがもっと良いのではないかと思っています。
師:一種の自信や原動力、またはどこかへ行きたいとかの考えを作り、修煉の促進力とするのは原則的に間違っていません。しかし、これはやはり漏れがあると思います。あなたはやはり何かのために修めています。もちろん、修煉して戻りたいとか、何かの状態に達したいとかの考えですが、目標またはある正念を定めたら、これ以上考えないほうが良いのです。この考えがあれば、ひたすら修煉すれば良いのであって、他のことに構う必要はありません。いつもそれを原動力として考え、それによって促進されたいと思っていれば、ある次元になったら、皆さんに対する要求が更に厳しくなり、そのとき、それが原動力ではなくなり、一種の執着になると思います。しかし、初期において問題はありません。如来佛が慈悲を唱えていると私は言いましたが、ある次元の相当高い神から見れば、何が慈悲なのか、慈悲とは何かが分からなくなりました。分からないのではなく、何でも分かっています。この慈悲が執着だと彼は思っています。理は昇華するものであり、法も絶えず昇華しているものです。異なる次元の生命に対して、異なる次元の境地の要求があります。

弟子:毎回法会に参加するとき、大きく促進されていると感じますが、家に帰ってしばらくすると、精進できなくなると気づきます。
師:昨日も学習者とこのことについて話しており、皆さんにも同じ感じがあります。大法の環境で師父の話を聞くと、皆確かに精進しないといけないと分かっています。しかし、なんといっても皆さんは常人社会で修煉しており、接触した全ては常人の中の利益であり、如何なることもあなたの利益とかかわっています。この社会全体から自分の利益のために生きているという雰囲気が滲み出ています。この環境の中で無意識のうちに、皆さんはこの全てが当たり前だと思い、精進できなくなります。これはあなたが精進できなくなることの重要な原因の一つです。しかし、逆から言えば、この環境が人々を緩め、悪くすることができ、複雑で修煉し難いため、この中から抜け出すことができれば、それこそ本当に偉大であり、それほどの高い次元に行き、元に戻ることができ、素晴らしいと言われるのです。そうではありませんか? ですから、私たちは如何なる環境下でも、今日のこの環境においても、自らを絶えず精進させたければ、本を多く読み、本を多く読むべきです。

弟子:ミクロであればあるほど、次元が高く、異なる次元の天はミクロのほうに向かって進んでいると師父は昨日おっしゃいました。
師:あなたが想像しているような上と下はありません。地球は丸いのであって、下のほうも上です。地球がもともと丸いから、人間が逆さまになったり、また戻ってきたりして、人間の上下の観念はありません。四方八方は皆上です。私が言った上へ向かって進むということは実はミクロに向かって進むと理解しても良いのです。正確に言えば、天に上ると言うのはミクロの中に向かっていくということです。

弟子:師父は『転法輪』の中で光年によって時間を言い表しましたが、物理の中で光年は距離を指しています。
師:私は天体を説く時に、時空の概念を表す距離をもって必要な時間を説きました。同じ次元の中で距離をこのように言い表すことができます。マクロからミクロまでの距離の概念は、空間と時間の違いによって変化しています。つまり、人類に空間の距離と時間を統一させる不変の概念と言葉はありません。私は全ての時間の制約を破り、行っており、これは私の方法です。しかし、如何なる生命もその環境にいればその環境の時間に制約されてしまいます。ですから、天体の構造を説くときに、距離の概念は時間と速度とを分けてはいけません。同じ境地に存在している異なる世界、または同じ次元にある異なる粒子に対して、距離で量ることができるのは、それらが同じ次元において統一した時間と距離を有しているからです。ミクロからマクロまで通り抜ける過程の中で、統一した時間と距離はありません。宇宙の中の全ては皆大法が衆生のために切り開いたものであり、中に異なる次元の衆生の文化も含まれています。法を正す中で、正しくないものを正すだけではなく、今まで足りていなかった人類の文化をも切り開いています。私は既にはっきり説いたと思います。(拍手)

弟子:情の関を乗り越えるたびに、どうしても捨てがたいと感じています。私は最も本質的なことを変えたくない人なのでしょうか?
師:情を自分の理性またはあなたの体の一部と思ってしまえば、それは間違いです。しかし、意識的にどうしても放棄しようとしますが、そこまでできないというのは、無理強いして行うということになります。絶えず修煉し、本を読み、煉功する過程で徐々に本当に法から法を認識するようになります。自らに対して高く要求し、できるだけ良くない考えを抑制し、執着しているものをできるだけ淡泊に見て、排斥すればよいのです。一秒でも基準に達すれば、その部分は既に基準に達したのです。このように絶えず絶えず表面に向かって突破していきます。最後まで全部突破し終え、最後の次元を突破したとき、まったく当初の考え、考え方ではなくなると気づくのです。あなたの思考方式はもともとの思考方式と違っており、それは本当のあなたであり、本当の本性です。現在放下できない考えの全ての全ては皆後天的に形成された観念であり、その観念があなたを邪魔しています。

 この観念以外、人間のこの空間の中にある特定の環境があり、即ち情です。三界の中の全ては皆情にどっぷり漬かっています。あなたは情を離れることができず、あなたはこの中にいます。実は皆さんがやるべきことは、どのように情から離れるかのことです。私は明確に言っていますが、修煉して時間がまだ浅い人にはできないことです。古い学習者が圓満成就するまで完全にやり遂げるのも難しいことです。修煉の中で自分に厳しく要求し、良くないものを取り除くべきです。大法の修煉の中で、全てを変えることができます。絶えず本を読み、普段できるだけ煉功者の要求で自らに要求すれば、あなたに全ての変化をもたらすことができます。なぜならば、大法はあなたを精錬しているからです。

弟子:ある地区は月に一回大規模の交流会を開くことを計画しており、今既に三回開催しました。私は多いと感じました。
師:確かに多いのです。そこまで頻繁に開かないでください。このような大規模の法会は年に一回または二回で十分です。多すぎると、皆さんの修煉に影響してしまいます。なぜならば、修煉は最も重要なことだからです。皆さんが洪法することも、人々に法を得させるためです。皆さんが本当に向上し、修煉に対する気持ちを固めることができるようにするため、洪法しているのです。しかし、形式的なものになってはいけません。

弟子:「もともと二億の人を決めていた」と師父は昨日おっしゃいましたが、私たちが洪法して二億人の人が法を得るということでしょうか?
師:法を阻害する全てのものは既に最終的に片付けられています。しかし、人間のために用意した修煉の時間は既に多く失い、二度と取り戻すことができません。更に一億人が来たら、彼らはきっと皆さんと同じではありません。皆さんに追いつき、皆さんについていくことができません。しかし、それなら洪法のことをやめてしまうのでしょうか? 行い続けなければなりません。人類に次にやらないといけないことがあり、まだ多くの人が修煉しておらず、学んでいません。法を知らない人に法を知ってもらうようにすべきです。

弟子:遠いところに洪法しに行ったら、師父が弟子のために按排した修煉のプロセスを妨害してしまうのではないかと心配しています。
師:こういうことはありません。辺鄙なところに法を知っている人がいなければ、洪法しにいくのは間違いではありません。そのため皆さんの修煉が妨害されることもありません。洪法をしながら、自分で絶えず法を読み煉功する、このこと自体が修煉です。

弟子:「私」が貫いている次元はどこまでなのでしょうか? 私たちはどのようにこの次元を突破することができるのでしょうか?
師:生命が法からずれてしまい、高次元から落ちてきたのは、私心があったからです。人類に私心があるのは、人間の考えに後天的に形成した多くの良くない観念によってもたらされたのです。実はそれは思想の汚染です。更に高い次元の神は更に純潔で神聖なのです。あってはならないものを持つようになったら、その神は純潔ではなくなるということです。あなたが考えているような次元の概念と形式はありません。

弟子:私たちが生命の生じたところに戻るだけでなく、更に高い次元に行くことも可能であると師父がおっしゃいました。
師:そういう可能性があるかもしれませんが、本当に難しいのです。しかし、修煉し続ければ、法を得た人も含めて、私は一人も取り残したくはありません。(拍手) 私は必ず方法を考えて、あなたをあなたが元々生じたところに戻します。(拍手) 更に次元の高いところに行くことに至っては、それはあなた次第です。中に特殊、極めて特殊な人もいます。実は、皆さんは人間の考えで考えています。あなたの生命の中で、最も重要なことはあなたの元々のところに戻ることであり、これはあなたの最大の願いであり、最も美しい願望です。生命がいる位置の高さを重視しているのではなく、得るべきことを得ることができれば、それで十分であり、幸せに思うのです。しかし、人間の言葉で話すと、低俗に聞こえます。人間は限りない欲望で全てを探索していますが、この心は良くありません。神にはそういう心はありません。衆生にとって、宇宙は果てしなく、その果てを見ることができません。ですから、更に高い次元のことを知りたいという心は、限りない、恐ろしいものであり、それではいけません。

 今までの修煉の中で確かに高い次元まで修煉した人がいますが、多くの苦を嘗めました。皆さんに例を挙げましょう。私がこのことを行なっているとき、全力を尽くして絶えずミクロ的なところへ突破し、法を正しています。私は下から上へ向かって行っています。このようにして、私はどこまでたどり着いたのでしょうか? 人体のあるところをはるかに超えたところです。そこの全てが物質であり、物質の形で存在している生命が充満しています。

 宇宙の大変動という特殊な歴史の時期に数名の神はその次元まで飛ばされ、下りて来られなくなり、そこに留まってしまいました。彼らはとてもつまらなく感じており、元のところに戻りたい心で一杯です。皆さんが想像しているように、次元が高ければ良いということではありません。私はそこまで進んだとき、彼らを元のところに戻し、彼らはとても喜んでいました。(拍手) 不思議に聞こえる話ですが、今ここに座っているのは人間の姿かたちを備えている李洪志です。皆さんに教えたのは法理であり、皆さんに話したことは全部本当にあることです。しかし、全ての能力は常人の空間に現れていません。私はそのような能力で皆さんを同化させ、昇華させる必要はなく、皆さんが大法の法理で全てを圓満成就させることができます。

弟子:『転法輪』を読むたびに、一つの殻から抜け出ることが出来ると聞いていますが。(学習者が笑って)
師:皆さん笑わないでください。大法に確かにこの威力があると思います。『転法輪』を読み終えた一回目のときに体得したことは、二回目のときに繰り返されることはありません。ですから、皆さんにたくさん読み、たくさん読むようにと教えました。更に高い理を悟ったのは、その境地に入ったからです。その境地に達することができなければ、その次元の理を教えません。

弟子:法を読む回数と圓満成就のときに到達する次元と関係あるのでしょうか?
師:法をたくさん読めばあなたの圓満成就の進み具合を促進することができます。圓満成就できるかどうかは、あなたの修煉とその他の面にもかかわっています。実はこのように本を読むことができれば、何でも正しく行うことができると私に分かっています。

弟子:同じ根基の二人がいる社会階層が違っていれば、圓満成就するとき、同じ次元に達することができるのでしょうか?
師:修煉は人類社会の階層などを見ておらず、貧乏な人なのか、金持ちなのか、地位の高い人なのか低い人なのかを区別することなく、平等に扱っています。もし同じ次元からきた人であれば、少しの違いもなく、きっと同じです。もし同じ法門の人でなければ、それも問題はありません。特殊な貢献をした人は、あなたの修煉の進み具合を大きく前進させることができます。(拍手) しかし、近道を探して、帰ったら良いことをたくさんするとか、こういう面に力を入れないでください。下手にすると逆効果になってしまいます。皆さんがやりたいようにやれるということではありません。

弟子:一部の補導員は大法の要求と一致していないため、交代を求める学習者がいますが、どのように対処すべきなのでしょうか?
師:もしこの人が法を破壊したら、必ず交代しなければなりません。交代しなくても、学習者の誰もが彼と一緒にならないと思います。自然に彼は補導員ではなくなります。もし大法を破壊したのではなく、ただ仕事のやり方に問題があれば、善意から彼の間違っているところを教えればよいのです。彼は自分の問題を認識できるかも知れず、できないかもしれません。しかし、彼も修煉者であり、最後に認識するようになると思いますが、一つの過程があるかもしれません。この過程の中で私たちは彼の間違いに非常に執着するようになったのではありませんか? なぜ心の中でいつも気になっているのでしょうか? それなら、あなたは執着し始め、外に向けて探すことになってしまいました。彼の間違いがなぜあなたの目に留まったのかを考えてみたらどうでしょうか? 彼の間違いに対して、あなたはなぜそれほど気がすまないのでしょうか? 中にあなたの間違ったところもあるのではありませんか? なぜこのことを重く見たのでしょうか? 如何なる面で問題にぶつかっても、自らを修め、自分自身を見るべきです。

 もしこの補導員の修煉が本当に良くできていれば、問題を指摘されたら本当に自らを見るのです。もし問題を指摘されたら、自分自身を見なければ、私に言わせると、この補導員の法の勉強が良くできておらず、大いに改善すべきです。(拍手) 誰かに譲歩しているのではなく、皆さんは皆修煉の中におり、皆自分の執着と放下できないものを持っています。あなたが正しいかもしれませんが、そうではないかもしれません。あなたが間違っているから、相手が正しいのに、間違ったと思ってしまうかもしれません。あなたが正しいから、相手の間違ったところを正しく思うこともあります。

 皆修煉しており、先ほど私が言ったことを聞いて皆拍手していますが、私は法を得た弟子をできるだけ一人も取り残さないようにしています。私までこのようにできるのに、皆さんはなぜ善意をもって全ての人に対処することができないのでしょうか?(拍手) トラブルに遭ったら、私に問題があるのではないかと皆自分の内心に向かって探すことができれば、どんなこともやりやすくなります。修煉は飛ぶように速くなります。しかし、私は皆さんにこのように教えるしかありません。実際の修煉の過程の中で、自分が間違っていると知りながらも、乗り越えることができません。ですから、できるだけ正しく行い、精進するようにと教えるしかありません。トラブルは免れがたいものであり、トラブルがなければ向上もありません。補導員と学習者が皆良く行い、この環境で誰にもトラブルがなければ、誰が喜ぶのでしょうか? 魔が喜びます。私は喜んでいません。なぜならば、皆さんは修煉の環境を失い、向上することができず、元に戻るという目的に達成できなくなるからです。ですから、皆さんはトラブルが良くないと思わないでください。

 人間が苦を嘗めることは悪いことではないと私はいつも言っています。トラブルに遭うことも苦だと思わなかったのでしょうか?(拍手) ですから、この間、アメリカの大法弟子にこのようなことがたくさんありました。もちろん、中国大陸の学習者が法を早く得て、速く認識したので、この過程は既に過ぎましたが、皆さんはそうではありません。今から、特に最近既に相当良くなり、古い学習者の法に対する認識も高まり、何かを行うときも、今までのように偏ったやり方でやっていません。これは非常に良いことです。今からますます良くなると思います。なぜならば、皆さんが成熟しつつあり、法に対する認識がますます高まっているからです。

 「先生、足を組むときに痛くないので、焦っています。私の難がなくなったから修煉が遅くなったのでしょうか」と言っている人がいます。他の人がここまで認識したのに、あなたはなぜトラブルがやってきたときに、「私を向上させる機会がやってきた」と嬉しく思わないのでしょうか? トラブルに遭ったとき、いつもトラブルを押し出し、お互いに押し出しあっています。ですから、トラブルのないとき、焦ることなく、とても良いと思っています。トラブルが来たら、かえって良くないと思っています。トラブル自体は苦しく修めることの一部です。「私はもう年だから、社会と接触していない」と言っている人がいます。年であっても、あなたを圓満成就させるため、あなたの気分を損なった昔の出来事を思い出させるのです。思い出すだけで怒ってしまい、腹が立ってしかたがありませんが、しばらく経ったら、「私は修煉者だから、このように怒ってはいけません」と我に返ったのです。この心はこのように取り除かれています。いずれにせよ、気分が優れるままでいようとすれば、向上することができないので、あなたを良い気分にさせません。(拍手)

 トラブルの中にいてはじめて、人間としての心を取り除くことができ、自分のどこが間違っているのかを知るようになります。他の人との間にトラブルが起きたら、きっとあなたの執着心が出てきたからです。非常に明らかです。その一瞬の間に現れた執着心に気づかず、まだ他の人と対峙し、自分の理が正しいと言い争っていれば、自分が正しいと執着しているこの過程はつまり執着が強く表されている過程です。更に、深く自分の心を見ていき、何が動機なのかを探すことができれば、この心の根を見つけることができます。(拍手) ですから、修煉は皆さんが自ら進んで修めなければならず、いつも私の法身に悟らせてもらいたいと思ってはいけません。法身は決してどのように行うべきかを直接あなたに教えることはありません。

 ご存知のように、先ほど私が法を正す時に絶えずミクロなところへ突破していると言いましたが、なぜこのことができるのでしょうか? 私は全ての異なる次元の主たる部分を全部私のところに押さえたからです。(拍手) ですから、それらは逃れることができません。もちろん、ある問題もあります。それらを消滅する過程で、それが塵芥のようなものになり、下へ落ちたとき(良くないものだから消滅しているのです。魔よりも悪いのです。他でもなく悪いものなので、消滅され、瀕死状態になっている時でも悪事を働きたいと思っています)、もっぱら北京に落ちてきています。

 ご存知のように、皆北京の天気を心配しています。北京はどうなったのでしょうか? このごろ、雲のように見えますが雲ではなく、霧のように見えますが霧でもありません。空中に漂っている物質は顆粒よりも大きく、目で見ることができます。それは車の排気ガスと言って、すぐ車の排気ガスの対策を講じました。これは車と関係ないと思います。車から排出されたのは一酸化炭素、二酸化炭素であって、空中で漂っているのは主に窒素酸化物です。アメリカは非常にたくさんの車があり、道路では水のように流れており、数十年経ってもここまで汚染されていません。ですから、これは車の問題ではありません。工業の汚染とも言われていますが、発展途中国の工業汚染は相当深刻なものですが、ここまで至っていません。特に北京に汚染源となる工業はそれほどありません。石炭を燃やしているからと言っていますが、今皆スチームを使っており、煙突も非常に少ないのです。しかし、以前ストーブを使ったとき、各家に煙突があり、そのときここまで汚染されませんでした。こういう汚染ではないと言っても、人間は当然それを信じず、人間に教える必要もありません。人間に言いたいように言わせておけば良いのです。

 実はミクロにおいて消滅された空間の中に存在していた非常に良くない物質が絶えずおちてきているからです。飛行機に乗って、空港から飛び立ち、五百メートルの高さを過ぎた後、青い空は非常にきれいです。見下ろすと、下は蓋に覆われているようです。どこから来たのでしょうか? なぜいつまで経っても散らないのでしょうか? ミクロなところから来たものなので、その由来を調べることができません。これは表面分子の粒子より小さい粒子の次元から来たので、その由来を調べることができません。最後これは窒素酸化物だと分かりました。(化学を専門とする人なら皆知っていますが、)窒素酸化物は有機物の塵芥であり、火葬炉からできてきた煙と同じものです。実はこれはミクロ的なところの良くない生命を消滅したことによって引き起こされた現象です。

弟子:先生は一九九六年、一九九七年に「再び人類を造る」「変異」「時間との対話」をお書きになったのですが、なぜ一九九八年になって発表されたのでしょうか?
師:皆さんに読ませる、その発表時間にも理由があるのです。私が見た問題が現れた時、文章を書きましたが、問題が多く見られるようになったとき、それを発表しました。

弟子:先生が説かれた宇宙の構造が大きくなるにつれて、私の視野と心は拡大されていると感じています。先生がこのように説く目的は・・・。
師:あなたが既に答えたのではありませんか? 実は私はあなたの容量を拡大しており、皆さんの全ても共に拡大、増長されます。天体が宇宙の中で一粒の塵芥であるに過ぎないと言いましたが、皆さんが理解できるものを私は説きましたが、それより一億倍、一兆倍も大きい天体も宇宙の一粒の塵芥です。私以外、誰も宇宙の最終について知らないのです。(拍手) 実は宇宙の中も相当膨大で複雑であり、人間の考えはそれを納めることができず、このような言葉もないため、私は皆さんにそれを言い表すことができません。実は私は皆さんにいろいろ説きましたが、ある体系から離れてはいません。地球が一つの粒子であるように、皆さんに教えますが、地球のような粒子は宇宙天体の全てにあまねく分布しています。空気の中のこの大きさの分子で空気の分子を構成しているように、全てにあまねく分布しています。天体はどれほど大きいのでしょうか? 私が皆さんに説いたのはある体系から説いたことであり、その複雑さを言い表す言葉はなく、描くことはできません。その構造は無数兆の立体的に交差している面をもっても表現することができません。ですから、皆さんにはっきり説明することは難しいのです。(拍手) しかし、皆さんが『転法輪』の中で、ある一定の次元まで修煉したら、自らそれを会得することができ、その膨大さを感じることができるのですが、言い表すことができません。(拍手)

弟子:情はなぜこれほど捨てがたいのでしょうか?
師:皆さんに教えますが、人間のこの外殻は情の中で生まれ、生まれつき情の中にいます。あなたの外殻を構成している体の細胞はこの情の環境の中で生まれたのです。情から離れることができれば、あなたは人間ではなくなり、神になります。人間は情に執着していますが、実は受動的に執着しているのであって、人間は自ら進んで情に執着していると思っています。

弟子:同性愛は罪ですが、私は苦痛と絶望に陥りました。私は真善忍を信じていますが、私に修煉の資格があるのでしょうか?
師:現在の間違った考えに導かれ、誤った宣伝と環境に侵食され、人間は多くの間違いを起こす可能性があります。しかし、あなたが救いようがないということではありません。あなたは大法を学び、それらの正しくない考えと行為を改めることができます。私が言ったように、なぜ同性愛があるのでしょうか? 実は人間は受動的に情に執着しています。情に執着しているとき、情はあなたの考えに各種の執着を生じさせ、それによって各種の観念ひいては変異した観念がもたらされました。あなたは突然ある人のある動作または姿を好きになり、長い間あなたは執着してこれらのことを好みます。または、あなたはある人の態度、表れを好きになり、時間が長く経つと、観念が形成され、他でもなく相手のこの現れを気に入ってしまいます。徐々にこのものがますます強くなり、あなたの考えを司ってしまいます。あなたは何かを好きになり、それは一種の観念として形成されたとき、ますます強くなります。心の状態が変異していれば、この変異した考えは強められ、ますます変異してしまいます。ですから、同性愛は情の中の一種の変異したものであり、実はこれも一種の観念によって形成されたのです。ただそれが変異したものだけです。しかし、人間はこのとき、これらのものを自分だと思っています。実は後天の正しくない認識が形成したものが逆になってあなたを司っているのに、あなたはこれが自分の考えだと思っています。人間は自分の観念が自分ではないと一度も思ったことはなく、自分が形成したそれらの思想業力にも気づくことはありません。思想業力から反映された如何なる念についてもこれが自分であるかどうかをよく考えたことはありません。実は頭に反映してきた念は必ずしもあなたではないかもしれません。

 しかし、これらの正しくない考えは正され得ないということではありません。大法を学んでいるため、つまり人々に正しい道を教え、更に良く行うようにしています。大法の中で何でも正されると思います。問題ありません。法を学ぶことができます。しかし、あなたは自分に対して真に責任を負わなければならず、その考えを強く排斥すべきです。その考えはあなたを害しており、人間の行為ではない行為をあなたにさせ、あなたを地獄に引っ張っています。心が変異した人間はこれが自分だと思っています。同性を好きになるという観念が現れたら、それが自分ではなく、あなたに害を加えに来ているのだと覚えてください。しかし、あなたは長期的に受動的にそれに従っており、従ってみたらとても良いと感じ、そして同性愛者になりました。この考えを必ず正さなければなりません。

弟子:私は今年五十歳ですが、学習者に十六、七歳に見られています。これは他の空間の私なのか、それとも修煉している私なのでしょうか?
師:このことについて私は説いたことがあります。ここで何歳であっても、それは皆さんの本質的な年齢、本当の年齢ではありません。これは人間のこの時間、環境の中で現れた年齢です。あなたは今年六、七十かもしれませんが、元神はまだ七、八歳かもしれません。既に四、五十歳ですが、元神がまだ十七、八歳かもしれません。しかし、修煉を通じて、あなたの人間の表面は全て最も良い状態、最も若い状態へ転化します。これは間違いのないことです。

弟子:私は西洋人であり、プロのマジシャンです。超能力を使わなくてもマジシャンのマジックはできると思います。あなたが言っていることは本当だと思いますが、心の中で悩んでいます。
師:マジックはテクニックであり、手の動きが速いのが決め手であり、更に道具によって隠されています。マジックは功能と決して一緒にしてはいけません。しかし、テクニックが熟練した人には、功能と似ている状態が生じるのです。時間が経てば、帽子を投げては受け取るというマジックですが、こちらから投げて向こうで受け取って、速く投げられていますが、手の動きはそれほど速いようには見えません。しかし、受けることができます。時間が長くなると、功能のようなものが生じ、時間の差のバランスを取ることができます。ですから、こういう作用が働きました。

 ご存知のように、緩やかな太極拳はどのように実戦に使われるのでしょうか? 緩やかなように見えますが、その功能は時間のバランスを取ることができます。この空間の時間ではないので、人間の目からゆっくりしているように見えますが、実は非常に速いのです。あなたがいくら速く拳を打っても、相手の速さには及ばず、彼がゆっくり移動していますが、既にあなたに打ち当たったのです。太極拳の心を修める法が伝わらなかったため、現在の人は太極拳が見た目は遅いけれど、なぜ速いのかという理由を知りません。ご存知のように、これは時間の差異、空間の差異です。この差は相当大きいのです。東洋人なら、神足通という神話の物語を聞いたことがあります。おじいさんがゆっくりと歩いているのを見ましたが、馬に乗っても追いつけません。つまり、同じ空間で動いていません。マジックのテクニック性が強くなったとき、時々このような性質を少し持つようになります。しかし、マジシャン自身はこれに気づいていません。彼ら自身もこれを知らず、技術だと思っています。熟練したら巧みになるという言葉もこういう意味であるかもしれません。しかし、マジックは功能をやり遂げることはできません。

弟子:大法の本を翻訳、チェックするとき、自分の人間の観念のものが入らないようにするには、どのようにしたら良いのでしょうか?
師:中国大陸で、昔英語に本を訳し始めた時、いつも議論していました。なぜ議論するのでしょうか? いつも他の人の訳が良くないと思い、相手も彼の訳がよくないと思っています。二人が同じ境地と次元ではなく、悟ったものを口で言い表すことができないので、相手が正しくないと思ったのです。いったんそれを言ってしまうと、自分自身もそれが間違っていると感じ、相手もそう感じるのです。なぜでしょうか? 高次元の理は心で会得するしかなく、言葉で言い表すことができません。私は随分前から既に言いましたが、つまり『転法輪』という本に高次元の理を書き出したいのならば、それは絶対許されないことであり、あなたに書き出すこともできません。高次元の理は人間に示してはならず、この世で現れてはいけません。あなたの修煉の過程でそれを見ることしかできません。修煉者には分かりますが、他の人には分かりません。つまりこういう道理です。ですから、本を翻訳したければ、文字の最も表面の言葉の意味を訳せばよいのです。表面の言葉の意味を正しく訳し、背後の内涵を私が加えれば、自然に法になり、作用するようになります。翻訳は他でもなくこういうことです。

 皆さんは往々にして、あなたが間違っており、私が正しいと言って議論してしまいますが、実は自分の意見を言ってしまうと、自分の言ったことも正しくないと気づくのです。つまり、心で会得するしかなく、言葉で表現することができないということです。高次元で悟った理を人間の言葉で表現してはなりません。ですから、翻訳したければ、表面のその言葉を正しく翻訳すればよいのです。できるだけ正確な言葉を見つけて訳せばよいのです。このようにすれば、個人の観念が入りにくいのです。

弟子:私は何回か明るくて白い法輪が見えました。真ん中は赤の卍符です。私はずれてしまったのでしょうか?
師:違います。あなたに見えたその色はあなたの天目によるものです。ずれてはいません。この法輪は宇宙の縮図であり、宇宙の中でいくつかの色があり、変化しているのです。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、有色、無色などたくさんの色があり、一種類だけではありません。この色が鮮やかなので大法のシンボルにしました。卍符の金色と太極の色が変わらない以外、他の色は皆変化するものです。しかも、他の空間で存在する物質の色の構成は人類のこの空間の色のように、分子で構成されたのではありません。他の空間の色は更にきめ細かい物質粒子によって構成されています。ですからその光彩はきめ細かく非常にきれいに見えます。


 この二日間の法会を通じて、特に昨日の午後の学習者の発言を聞いて、多くの学習者はとても深い感銘を受けました。法会は皆さんの修煉に自分の差に気づく機会と、修煉の自信を固める機会を提供しました。ですから、今回の法会で得たもの、認識したものを今後の修煉の中で反映させ、真に自らを速く向上させ、速く精進することこそ、最も肝心なことです。

 法会を開くこと自体は目的ではなく、皆さんがどのように速く向上することができるのかが目的です。皆さんの法に対する認識がますます高まったと私に分かっており、多くのことは私が説く必要もありません。今日回答したこれらの質問を含めて、多くのことは皆さんが分かっているのです。

 今回の法会は本来、米国西部地区の交流会ですが、今すでに世界的な法会になりました。どこから来た学習者であれ、今回の法会で得たことを今後に生かしましょう。少なくとも今回の法会を通じて何らかの向上があるべきであり、それではじめて、遥々からやってきたことが無駄にならなかったのです。(拍手)

弟子:各国と各地区の弟子は自国の大法弟子を代表して師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)

 多く話したくはありませんが、皆さんが絶えず精進し、認識が更に高まり、次元の突破が更に速くなり、一日でも速く圓満成就し、功を開き悟りを開くことを期待しています。(拍手)





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