二〇〇三年カナダバンクーバー法会での説法

李 洪 志

二〇〇三年五月十八日


 (長時間の拍手) 在席の中に前回の法会で会ったばかりの人もいますので、どうも法会が夏になると多く開かれるようですね。各地の法会は皆私に来て欲しいと思っています。実は毎回私が皆さんに会ったのは、皆さんに話したいことがあるからです。各地で法会が開かれる時、いつも師父に来て何か話して欲しいと思っていますが、時に皆さんがまだ前回の私の説法の中の要求を完全に理解していない時に、更に何かを話すと、前回法を聞いて理解したことと行なおうとする事を薄めてしまう恐れがあります。ですから、私はいつも法会に参加してはいけません。今日は実は特別に話すこともありませんが、バンクーバーで法会を開くときには必ず来ると以前バンクーバーの学習者と約束をしたので、今回来ました。(熱烈な拍手)

 皆さんはとても大変です。皆さんが真相を伝えるときに行なったことと、領事館に行って法を実証するとき行なったことを目にしました。今回の法会において、学習者の食事と宿泊もとても不便で、皆さんが町を行ったり来たりしているのを私は来るときに目にしました。いくら大変であっても、皆さんの目的ははっきりしています。つまり、私たちは厳しい環境の中で衆生を救い済度し、自らを修煉し成就させること、この修煉の過程で自分がますます純粋で清らかになるまで絶えず自らを精錬し、ますます更に高い基準に到達するようになること、同時に今回の邪悪な迫害の中で、皆さんもますます理性的になり、どのように今回の邪悪と迫害に対処するかがますます分かるようになりました。ですから、いくら苦しく難しくても、大法弟子にとって、私たちは常人の中の何かを得ようとしているのではなく、最終的な目的は皆さんはっきり分かっています。つまり、私たちは他でもなく修煉者としての圓満成就に達し、常人が永遠に得られないことを得るということです。ですから、この過程において、常人から始まり、常人を完全に超えるまで達し、しかも常人社会の中で修煉しており、更に高い基準に達し、常人社会の基準を超え、歴史上の全ての修煉者が到達しようとして到達できなかったことに到達するのです。これは大法弟子にとって重大かつ厳粛なことです。ですから、皆さんが行なった法を実証し衆生を救い済度することの中に、どのように自らを向上させ、自分のまだ漏れているところ、執着のあるところと各方面の足りないところを取り除くかのことも含まれています。ですから、法を実証する中で皆さんが常人社会のどんな方式を使っても、皆さん、それは皆修煉の中にあります。どんなことを行なっても、皆さんは皆向上の中におり、修煉者としての状態に基づき行なうべきであり、常人の基点からこれらのことを行なってはいけません。
 
 私たちの出発点ははっきりしています。修煉者として言えば、本質上つまり自らを向上させ、修煉し、今回の迫害の中で邪悪を暴露し、今回の迫害を中止させ、旧勢力の今回の按排を認めないということです。ですから、見た目では多くのことは常人が行なっている事と同じように見えますが、本質は違います。根本的な区別は私たちの最終的な目的と出発点が違うというところにあります。私たちはただ常人社会の幾らかの常人の方法を利用しているに過ぎません。常人社会も法が人類社会のために切り開いた次元なので、この次元の中で私たちは法が常人のために切り開いた文化と法が存在することを可能にした各種の方式を用いて法を実証することは、私が思うには間違っていません。

 ご存知のように、善悪は人類社会に同時に存在しています。しかし、大法修煉者は完全に善に基づいて行なっています。これは人類、社会、人間の考え、行動と道徳観念に対して、私たち修煉者自身に対しても、正しい作用をしています。大法が伝え出されたことは実質上、社会、人間に対して、修煉者自身に対しても巨大な正しい効果をもたらし、しかも非常に素晴らしい作用が働き、現れてきた全てはみな正しいのです。このことは私たちが分かっており、今の社会の常人も分かっています。邪悪な迫害の下で、当時一部の人が邪悪生命に利用され、制御されたため、心にもない話を言ったり、正しいようだが実は正しくないことを言ったり、自分の頭でしっかり考えずに何かを言ったりしましたが、それは邪悪に制御されたからもたらされたことです。今日の人類が大法に対して何かを言えば、その話をした本人は必ず自分のために責任を負わなければなりません。今まではそれを自分の意思で言ったのではなく、人間は外来の邪悪生命に制御され騙されていたのだと言ってもよいのです。外来の生命が根絶された情況下で、人間が再び何かを言うと、それは本当に人間自身が話しているので、責任を持たなければなりません。
 
 私は慈悲を重んじています。私は今回の迫害の中で私と大法弟子に対して人間が行なったそれらの悪事、言った良くない話、行なった迫害を助長するなどのことを大目に見ることができます。もちろん、大法に対してひどく迫害をもたらした人、つまりそれらの救いようも残しようもない人はこの限りではありません。「法は全てを救い済度することができ、私が全てのいくら悪くなったものでも最も良いものにすることができる」と師父が言ったのを皆さんも聞きました。私に、そして大法に、この全てをやり遂げることができます。しかし、一部の悪人は今回の迫害の中で自分に作った罪業のために既に大法弟子が言っていることを聞く資格はなく、大法に済度される資格はありません。つまりこのような人は今回の迫害の中で既に自ら将来の位置を選択し、救い済度される機会を失ったということです。このような人はこの限りではありません。ある生命は歴史上いくら悪くなっても機縁があると私は言ったことがあります。人類の空間または他の各空間に今回の迫害の中で大法に対して罪を犯していなければ、歴史の過程で常人社会またはそのほかの各空間でいくら大きな罪を犯しても、私はこの生命を救い済度することができます。私が歴史上の全ての生命の以前の過ちを大目に見ると以前私は皆さんに話したことがあります。宇宙までだめになり、生命が成、住の時期の生命と比べることができなくなったため、私は全てがだめになった中でこの生命があの生命よりましだというように比較したくはありません。私がやりたいのは全てを済度するということです。法を正すこと自体に対して罪を犯していなければ、私は彼らを済度することができます。私はこの原則に従って行なっています。(拍手)
 
 大法を学びたいが大法を迫害している邪悪のために法を正すことを迫害したスパイ、大法に対して罪を犯した人のことについていつも質問する学習者がいます。つまり、その人はまだ大法学習者の中にいます。その人の分かっている一面から言えば、大法から離れたくはありません。しかし、その人の人間としての一面から見れば、人間の観念、人間の執着に動かされ、大法弟子と法を正すことを傷つけました。私にまだ学習者と呼ばれているこれらの人にとって、問題は非常に深刻であり、とても厳しいのです。しかし、救えず済度されないということではありません。他の生命とはやはり違います。今法を正すことはまだ終わっておらず、法を実証する機会がまだあります。つまり、まだ挽回する機会があります。私は一つの生命に対して歴史から全面的に見ているので、本当に大法弟子であり、以前において本当にとても良い生命だったが、一時的にこの環境で何か間違ったことをしたことは、常人が大法に対して罪を犯したこととやはり違います。損失を挽回したらまだ大丈夫です。良く行なうことができれば、同様に更に大きな威徳が彼を待っています。(拍手)
 
 常人社会の中で、人間の職位や仕事が何であっても、ひいてはあなたの仕事がスパイであっても構わないと私は以前言ったことがあります。特殊な仕事と任務なので、「特務」(訳者注:スパイの中国語は「特務」)と呼ばれています。特殊な任務だからです。しかし、一つの生命として、あなたは自分の仕事が特殊だからといってこの万古の機縁を失ってはいけません。あなたの仕事のために千万年来生命が待っている機会を台無しにしてはいけません。私は生命をこのように見ています。もちろん、当初私が法を伝えた時に、救い済度する門戸を全部開き、如何なる社会の階層や職業、身分の違いで人を選びませんでした。これらのことを私は全く見ていません。社会地位の高低、社会階層の違い、頭の良さなどの違いはなく、文化の差異、民族の差異もなく、如何なる境界線もありません。人類が定めた全ての区別を私は全く見ておらず、そういう区別もありません。誰に対しても平等に扱っており、私はこのように行なっています。もちろん、中にスパイになった人、ひいては大法を調べるためにスパイになった人をも含めています。
 
 もちろん、皆さん振り返ってみてください。師父である私は最大の慈悲心で衆生に対処しています。このようにしても私がやはりあなたを救うことができなければ、きっとこのような人を待っている結末があります。ご存知のように、多くの学習者は私に会いたがっています。多くの常人も私に会いたいと思っています。私に会って訳もなく感情が高ぶってしまう人もいれば、私に会って親しみを感じている人もいます。また泣いてしまうまで感情が高ぶってしまう人さえいます。私に会えば、私に助けられ(拍手)、歴史上の罪業が滅されてしまうと彼らの分かっている一面が知っているからです。(拍手) ですから、あなたの仕事や職業が何であっても、私にさえ会えば、私はあなたが善の念を動かすようにし、あなたの善の念の中であなたの罪と業を滅してあげます。(拍手) 世の人々に実は皆分かっている一面を持っており、彼らは分かっているのです。つまり、あなたは何をやったとしても、何の仕事をしているに関わらず、私はこのようにあなたに対処します。(拍手) 多分これは人々が言っている最大の慈悲でしょう。もちろん、これはこの次元の生命に現れたことです。私はこのように人々に対処しており、このように世の人々に対処していますが、世の人々はこのような慈悲の下、常人の生命に対する寛容を完全に超えている寛容の下でも、まだ大法を迫害し、世の人々を救い済度する大法の門徒に対して申し訳ないことをしていれば、佛法に佛法なりの威厳があるのです。これほどの慈悲の下でもだめであれば、その人の生命に何の望みもありません。
 
 ご存知のように、中国で起きているSARSのことですが、当初旧勢力が中国で八百万人を淘汰すると決めましたが、中国の人たちは反省せずにまだ死亡人数を隠しています。私は人間に慈悲深く、人間に再び機会を与えたいと思っており、それほど多くの人を死なせたくはありませんが、彼らは反省を知らず、更にSARSを利用して大法弟子を迫害しており、真相を隠しています。執権者も常人であり、天に懲らしめられる対象の中にも入っています。神は世の人々に警告しているにもかかわらず、人間はまだ隠そうとしており、世の人々が教訓を汲み取れないようにしています。この情況であれば、天による更に大きな懲らしめが待っています! つまり、私が最大の慈悲心で衆生に対処しているときでも、まだだめな生命がいれば、私はあなたを手放します。自然に他の扱い方が現れてきます。即ち、佛法は慈悲ですが、神としての威厳という一面もあります。人間が思うがままに神の慈悲に軽軽しく対処するというようなことをさせてはいけません。これは神に対する冒涜です。
 
 前回の説法の中で、一部の学習者が犯すべきではない間違いを犯したと私は言いました。実は、確固として法をしっかりと勉強し、過ちを改め、再び良く行なうようになることができれば、あなたはまだ大法弟子です。再び良く行なえば良いのです。それを重く見ないでください。考えの中でそれを重く見てしまえば、またもう一種の悔恨、心配などの圧力を形成してしまったら、あなたはまたこの執着の中に陥ってしまい、乗り越えられなくなります。大法弟子の修煉の全過程はつまり人間の執着心を取り除く過程です。どんなことに遭っても、それを認識し、直ちに改め、転んだらすぐ立ち直り、引き続き大法弟子として行なうべきことを行なえば良いのです。このようにすれば、あなたの過ちを修煉の中で良く乗り越えられなかった関として見なし、再び歩み始め、機会があればその関をもう一回乗り越えるようにさせます。こういうことに過ぎません。師父はあなたの修煉過程のことを重く見ないのです。しかし、自ら抜け出せずまた犯してしまう人にとって、話は別です。間違いを犯したからといって、また執着を起こしてはいけません。
 
 今まで私は説法の中で厳しいことを言わなかったのです。皆さんの考えに障碍をもたらし、他の方面の執着を起こしてはいけなかったからです。ですから、私が単独で学習者に説法をすることはほとんどありませんでした。一旦私が誰かに対して説法をし、その人の欠点を指摘したら、皆さん考えてみてください、その人の心に重荷ができてしまいます。なぜならば、話は私の口から出されたからです。ですから、私はめったに個人に対して説法をしません。説法の中で私は普遍的に概括的に話しています。しかも、枝葉の問題、主流ではない問題、個別的な問題で、大法学習者全体に対して妨害の作用をすることのできない問題を私はあえて口にしません。なぜならば、修煉の過程で学習者はお互いに問題に気づき合い、本人にそれを気づかせ、足りない所を指摘してあげるからです。執着があるから、一時的に認識することができなくても、徐々に認識するようになります。全体において、大法の全体の形勢において、問題が現れた時、法を実証する形勢に問題があって言わなければならないときにだけ、私は話します。例えば今、中国の大陸に偽の経文が伝わっている地区があります。ひいてはそれに執着してたまらず、暗記している人さえいます。自分が暗記するだけではなく、方々に行って学習者の中で宣伝しています。どういう心に動かされこのようにしたのでしょうか? 中に彼が執着しているもの、彼の常人の心に合っているものがあるから、このようにしたのです。わざと大法を破壊していると思う人がいますが、そうではないと私は思っています。彼に執着があり、人間のその心があるからこそ、このようにすることができ、邪悪が行なおうとしていることを行い、大法弟子が法を実証することを妨害しました。
 
 カナダの法会は実は私が何回も参加しました。(拍手) 最も重要なのは三回あり、皆さんも印象深かったのです。一回目の時、皆さんがご存知のように、「7・20」が起きる直前の時でした。二回目は弾圧と迫害が非常に厳しかった時期で、オタワの法会に私は参加しました。今回は邪悪が広範にわたって壊滅されている中で、法を正す形勢は猛スピードで突進し、非常に速い速度で邪悪を根絶し、人間のこの空間を突破しているこの時に私はまた皆さんに会いました。ですから、カナダのこの三回の法会は大法の情勢を物語っています。(長時間の拍手)
 
 カナダの学習者は非常に良く行なうことができたと言えます。各方面にそれが現れています。肝心なのは協力が非常に良くできており、個人の執着で大法を実証することに影響するようなことは多くありません。また、お互いの間に自分の意見を固持したことによって心の中に不満が溜まったりするようなことはなく、学習者の中で摩擦があまり起こらなかったのです。お互いの協力が比較的良くできたので、法を実証する形勢をここまで良くすることができました。もちろん、カナダはまた特殊なところであり、カナダ政府と国民も大法と大法弟子に多大な支持と同情を寄せてくれました。これらのことに対して私たちはカナダ国民と政府に感謝すべきです。(熱烈な拍手)
 
 ですから、この三回の法会から見れば、振り返ってみれば、形勢の違いがはっきりと見えます。私はカナダで学習者と三回会いましたが、この三回の形勢の変化は非常に激しいのです。このことは皆さんが既に目にしました。迫害の当初の圧力は非常に強かったのです。1999年7月20日前のカナダでの説法の時、私が言った多くの話は実は世の人々を悟らせており、世の人々にも教えているのです。人間に分かっている一面があり、私の説法はただ単に人間に対して説いているのではなく、各次元の私も異なる次元の生命に対して説いています。人類というところで起きた如何なることも孤立して存在しているのではなく、それは天象変化の最も低い次元での現れです。以前私が言ったように、理は異なる次元において異なっており、高次元から低次元の理を見れば、それが間違っていますが、その理はその次元において理なのです。しかし、一つの出来事は異なる次元での状態、反応と基準が異なっているため、次元が高ければ高いほど真理に向かっていくのです。しかし、理全体はまた上から下まで通っているため、異なる次元で異なる次元の理として現れてきます。各次元の生命にとって異なる状態と理に対する認識を持つようになります。下へ行けば行くほど、要求が低くなり、生命の現れも悪くなります。人間という最も低い次元まで来ると、生命の現れはこのようになり、最悪に近いのです。今回の邪悪な迫害の中で、旧勢力は非常に具体的な按排をしました。私はここで邪悪を抑制し、護法の正神らも邪悪を抑制しています。旧勢力にそれらの按排がありますが、実は邪悪も束縛されています。邪悪がその邪悪さを振るっている時、比べるものがないほどの勢いとして現れてきましたが、実際は非常に弱いのです。もちろん、悪人が邪悪のために行動している時、大法弟子の漏れるところのない正念が強くなれば、悪人は怖がってしまい、ひいては正念に治められてしまいます。こういう状態です。全体において邪悪がやろうとしていることを全部やり遂げられるところまで達していません。なぜならば、なんと言っても神は制御しているからです。旧勢力にそれなりの按排があったとは言え、旧勢力も情勢が自らに必要な状態に達するようにするにすぎません。旧勢力は思うままに振舞うことはできません、なぜならば、私が行なおうとすることと正神の旧勢力に対する制御が、旧勢力がやろうとしている多くのことが成功できないようにしているからです。
 
 旧宇宙は旧い理を持っています。全ての生命は法が正されるまで、法が正された後の全てを見ることができず、新しい法の本当の現れも見ることができません。なぜならば、彼らにこの資格はないからです。本当に新しい法の現れと新しい宇宙を見た時、彼は新しい生命になり、自然にそれに従って行なうようになります。彼らにこれを見ることができないのは彼らが今までの宇宙の生命に属しているからです。彼らには今までの宇宙に属していない将来を見ることができません。しかも、この将来は旧宇宙の歴史時期に按排された全てではありません。旧宇宙の中には速い時間も遅い時間もあり、異なる空間の差異などがあり、旧宇宙の神はそれを観察することができます。もう一つの新しい宇宙の中の時間、空間、生命、機制、法など全ては新たに按排されたものであり、旧宇宙といささかのつながりもありません。旧宇宙の生命はそれを見ることができません。これは全ての神の能力を超えています。ですから、旧勢力は旧い法、旧い宇宙の秩序に従って事を行っており、彼らがやろうとしていることをやっています。多くのことはそれを変えるのが確かに非常に難しいのです。時に私は旧い生命に何かをするようにと指示しますが、旧い生命はそれに根拠がないと思い、あえてその通りにやりません。彼らもこの時期の生命であり、それが正しいと思っています。何もやらないのは既に良いほうなのです。
 
 実は、法を正すことを妨害しているのはやはり旧い勢力らがやっているのです。厖大な宇宙の更に多くの生命はこのことに参与しておらず、観察しています。しかし、法を正す勢いの全てがやってきた時に、観察している生命にせよ、参与している生命にせよ、全てが法が正される中で解決されます。同化すべき生命は同化し、善解される生命は善解されます。同化も善解もできない生命の場合、次元を下げられるべき生命はその次元が下げられてしまい、罪を犯した生命は打ち落とされるべき場合は打ち落とされてしまいます。未来に入ることも容易いこと、簡単なことではありません。なぜならば、未来は今期の生命のものではないからです。旧い認識から言えば、今期の生命は未来に入り、彼らのものではない次期の天体に入ろうとするのは全く不可能なことです。今回法を正す中で、最大の慈悲で全てに対処し、全ての衆生に対処しているので、この旧い宇宙からこれらの生命を新宇宙に同化し、宇宙で法を正すことをしたのです。さもなければ、今期の生命は将来に行こうとしても、全く機会はありません。将来は彼らのものではなく、現在のこれらの生命のものではありません。ですから、将来に行こうとしたら、将来の要求に到達しなければなりません。
 
 もちろん、現在の生命にとって、これは到達できないことであり、その要求と一致することも難しいのです。しかし一つだけ、つまり私の法が伝えられており、各次元の衆生も分かっており、多くの生命が学んでおり読んでいます。各次元に『轉法輪』があり、各次元の理が異なっており、中の文字の見た目も違います。皆新宇宙の異なる次元での真理であり、多くの生命は読んでおり、しかも自ら進んで同化しています。なぜならば、これは万古以来、宇宙が天地開闢して以来、かつてなかったことだからです。衆生にとって、誰も考えることさえできなかったことであり、これほど大きな歴史をまたがることができ、なぜならばこの歴史は現在の全ての宇宙生命のものではないからです。歴史の中の全て、宇宙の中の生命は皆この環境の中で生存しており、これはこの環境の中で生命生存の作用を行使する歴史なのです。本当にこの歴史に属していない未来に入ることは、彼らと何の関係もありません。この旧宇宙のように、異なる次元での宇宙天体がだめになり、壊滅してから新しい天体を作るというようなことではありません。この過程は、衆生が大穹体内で新旧も、次元も異なる宇宙を生成し、壊滅するのと同じように聞こえますが、実は全く異なっています。宇宙の中の異なる宇宙天体はいくら壊滅されまた生成されても、やはりこの宇宙の更に高次元の生命の高次元での一念、彼の能力によって生成され、壊滅されたのです。つまり、やはり元々の宇宙の基準と按排のままです。更に大きい生命にとって、下の天体は皆彼の体の一部です。ある細胞が新陳代謝によって淘汰されて再び生成された場合、やはりその生命の機制、特性であり、その宇宙のことであり、全てはその生命によって行なわれています。本当に宇宙全体が無くなり、つまりこの生命が死んで、将来のいつか新しい生命がまた生じたら、死んだ生命と何の関係もありません。ここで言っているのは以前私が言った元神が体から離れることは服を脱いでまた新しい服に替えるというようなことでもありません。このような関係はなく、今までと何の関係もありません。
 
 生命の三位一体まで解体され、存在しなくなったら、いくら高次元の生命であっても全てがなくなることになります。この概念はこの宇宙の全ての生命、この穹体の終結にとっても空白であり、さっぱり分からず、理解することもできません。彼らの想像を拡大してもこの宇宙の中で、今期の生命が造化した智慧の範囲内で考えられること、知ることのできることしか考えられないのです。法を正すことのような大きな出来事は彼らにとってゼロなのです。しかも、法を正すことの中の全てを前にし、衆生は予期しなかったことに唖然としました。私が言った理を彼らは皆良いと分かっていますが、旧い理があり、彼らが旧い理によって壊、滅の時期に成就された生命なので、彼らの衆生に対する法を正すことの要求はつまり何もしないということです。
 
 最も幸運なのは、法を正す時期に何もしなかった生命です。彼らは静かにこの全てを見ています。私は彼らの全てを救い済度し、これらの衆生が皆新しい宇宙に同化していくことができるようにしたいからです。それに対し、旧勢力は歴史上に多くの生命が多くの罪を犯したのを見て、これらの生命を救い済度し残してはいけないと思っています。また、旧勢力は彼らが私の法を正すことを制御していると思って、私が法を正す中でこれらの生命を淘汰することを按排しました。世の中の生命の場合、どうして凶悪な警察をそれほど残酷で凶暴にしたのでしょうか? どうしてそれほど凶悪にし、低次元の邪悪が悪事を働くようにしたのでしょうか? 彼らの目的は一部の世の人々と、彼らにとって学習者とは認めない人を淘汰するところにあります。そのため、悪事をした人とされた人が大きな罪を犯すようにしました。次元の少し高い旧勢力は直接これらのことをせず、彼らは自分が神であり、神聖で純潔であると思っているので、ゴミ箱に手を入れて直接ゴミ箱の中で何かをしたくはありません。なぜならば、ゴミ箱に入ってしまえば彼らも落ちてしまうからです。ですから、彼らは上の次元の生命が下の次元の生命を制御し、異なる次元の旧勢力は皆各次元で法を正すことを妨害することをしています。ですから、この世に至ると、邪悪生命の現れもますます邪悪になりました。法を正すことは歴史上かつてなかったことであり、いくら険悪になっても、法を正すことは衆生にとってもかつてなかった機縁です。法は随分昔に既にあり、私は他でもなく、この如意かつ圓容で、歴史上かつてなかった最も素晴らしい法を持ってやってきました。(熱烈な拍手)
 
 法を実証するためにやってきた大法弟子と宇宙の全ての衆生にとって、ただこの法の具体的な救い済度の中で救い済度を実現しているだけに過ぎません。つまり、この法は随分昔に既にここにありましたが、衆生がどのようにこの法に従い行なうかということだけです。私の言葉で言うと、つまりどのようにこの法に同化しているかということです。この過程だけに過ぎません。誰もこの法を破壊することができないと以前私は話したことがありますが、私が法を正すことを行いながら法を造っているのではありません。法は随分昔から既にありました。衆生がどのようにこの法に同化するかということだけです。智慧の大きい生命であればあるほど、自分が偉いと思っていますが、智慧の大きい生命であっても自分の次元において自分に見えない真相があります。法を正すことに生じた如何なる一念もその生命に大きな影響を及ぼします。その一念によって、各次元の衆生が法を正すことに対して罪を犯してしまうことになるため、その生命も法を正すことの中で罪を犯しています。いくら大きい生命であっても、皆この問題に遭っています。なぜならば、如何なるこの宇宙の生命も将来の宇宙に属していないので、いくら大きい生命であっても真相の根本を見ることができません。ですから、宇宙の最終で最後の生命にとっても、大きな劫難であり、念を動かしさえすれば、劫難から免れることができません。私は人間の言葉でこれが劫難であると言い表しています。法を正すことがなければ、衆生を救い済度することもなく、再び造り出された全ての中に旧宇宙の全てもないからです。実はこれが宇宙の衆生に対する最大の慈悲なのです。(拍手)
 
 ご存知のように、異なる次元の宇宙、天体、蒼穹、大穹の生命を造ったのは高次元の神の一念です。私がこの話をしている今でも、うぬぼれている高次元の生命がいます。それらは全てが自分自身の一念によって生成されたと思っています。それより上の生命はこれは自分の一念によって生成されたとそれらをあざ笑っています。しかし、それよりも上の生命もこのように考えています。上に更に厖大な主がいるとはそれらに分からないのです。しかし、それらを見て本当に可笑しく思っているのは私なのです。(拍手) 今回の法を正すことはそれらにとっても最大な機縁と慈悲です。しかし、それらは皆この全てを左右したいと思っており、自分自身が制御しているのが最も素晴らしいものであり、私が法を正すことを助けていると思い、ひいては彼らにとって最も素晴らしいものを無理やり私に押し付けようとしています。皆さん考えてみてください、それを私に押し付けたら、私にどれほどの妨げをもたらすのでしょうか? どれほどの妨害になるのでしょうか? それらのものを拒否した場合、最も良いものまで拒否しており、あなたがこの宇宙を破壊し、未来を破壊しているに等しいとそれらは思ってしまいます。それらにそれほどの智慧しかなく、それほどの認識しかありません。
 
 旧勢力の体系にいる各次元の生命が殆どこのように考えており、このように行なっているため、法を正すことの中に妨害を起こしました。それらの一念は宇宙の最も低い次元に現れ、最も良くない反応を起こしました。下へ行けば行くほど悪くなった生命がしたこともますます悪く、邪悪なのです。この全ての迫害は実はこのように始まったのです。実は私が先ほど話したそのような各次元の生命はそれらの厖大な天体の中にいる生命のことではなく、私が話したのは異なる厖大な天体の中にいる主体、王、更に大きな主体、王の上の王のことであり、これらの生命のことを言ったのです。穹体の中に多くの次元の数え切れない、尽きることのない、計り知れない神、佛、道と衆生がいますが、それらのことを話す必要はありません。それらの行い、具体的に何を行なったのかは皆、それの主体の行いによってもたらされたのです。
 
 宇宙はとてつもなく厖大なのです。師父が話すと、とても大きく高くまで話しますが、なぜならば、私が今直面しているのはみなこれらの問題であり、処理しているのもこれらの問題だからです。常人の世の中に反映されたこともそのような高次元の生命の行なったことのここでの反映なのです。私の説法は軽々しく説かれているのではなく、私は真理を高次元の生命にも教えており、これらのことに対して説いているのです。下の次元で聞くと本当にとても次元が高いように聞こえますが、ここに座っているのは皆大法弟子であり、なんと言っても私は常人に何かを話しているのではありません。実は今日私が言ったことは常人には理解しにくいことです。しかし、人間は私の善、私のエネルギーを感じ、自分にとって有益なことを感じ取るのです。しかし、本当に私が言ったことを分かるのは大法弟子しかいません。(拍手)

 皆さんがお昼をまだ食べていないので、ここまでにしましょう。(長時間の拍手で師父を引き留めています)
 
 実は私がいくら話しても、皆さんは実践の中で修煉しなければなりません。これこそ第一なのです。法会を軽視しないでください。それは大法弟子の修煉全過程の中の一部です。(拍手) ですから、私の話は次元がいくら高くても、いくら多く話されても、具体的であっても、皆さんは修煉の中でやはり一歩一歩、歩かなければなりません。ですから、法を正すことがまだ終わっていないうち、皆さんは残った時間を利用して、着実に大法弟子として行なうべき全てのことを行うべきであり、未来に向うこの道のりに、最も偉大なところに向うこの道のりにおいて、毎回毎回の機会を逃してはならず、一歩一歩も間違えてはいけません。
 
 できる限りしっかり歩んでいても、それをやり遂げるのはやはり難しいのです。修煉の中で皆さんは他でもなく、絶えず転んでしまっては立ち直って歩き続けています。その上、人類社会が造ったこの社会と現実は、またとても魅力的です。ですから、常人社会を前にしている時、修煉者と常人の関係をなかなか正しく扱うことができず、各種の執着から抜け出すことができません。しかし、どんなことがあっても、大法弟子として他でもなく、心に正念を抱き、できるだけあなたが行なうべきことを行なうのです。皆さんは最大限に常人に合わせて修煉しており、和尚になる必要もなく、出家人のようになる必要もありません。形式において実は既に最も便利になっています。しかし、心性の向上において少しもいいかげんなことがあってはいけません。感じ取ることのできる時もあれば、そうではない時もありますが、ひいては自分の昇華と向上をそれほど強く感じ取ることができません。しかし、昇華と向上にいささかのおろそかなところもありません。修煉して出来上がった部分があれば、すぐに向こうの空間に同化していったので、この空間において、いつも自分がたいして向上していないと感じます。表面の変化はとても小さいのですが、本質の変化はとても大きいからです。ですから、この状態にいることによって、あなたが修煉することができ、向上することができ、修煉の中で思わず転んでしまっても次元が下がってしまうことがないように保証されています。修煉によって出来上がった部分は既に隔離されたからです。隔離されたから、修煉によって出来上がったその部分が人体と同時に過ちを犯すことがなく、それによって次元が下がることもありません。これは普通の修煉の中のことに対して言っているのですが、肝心な時大法の反対側に立ってしまった人、または大法と大法弟子を迫害することをした人の場合、話は別です。しかし、修煉者にとって、あなたの心性に対する要求を高めることと執着心の放棄において、決していい加減にしてはならず、基準を下げてはなりません。なぜならば、これは未来や将来の宇宙、将来の衆生に責任を負わなければならないことだからです。多くの大法弟子が将来、非常に大きな生命に成就し、多くの衆生ひいては数えきれないほどの衆生を包容するので、基準が下がってしまったら、その次元の宇宙、その次元の穹体は長く続きません。ですから、必ず基準に達していなければなりません。
 
 しかし、師父がこのように話したから、また焦ってしまうようなこともしないでください。私は今まで皆さんに強要したことはありません。できるだけ常人の社会状態に合わせて修煉しても良いのですが、修煉者として自分がどのようにすべきかを知っておかなければなりません。できるだけしっかりと行い、できるだけ修煉者の基準と一致するようにすべきです。師父が言った何かを聞いて、また焦ってしまうということに私は非常に反対しています。焦ってしまいまた極端に走り、何もしなくなり、法を正すことだけをするということになってしまいます。これではいけません。なぜならば、今日大法弟子が歩んだ道はつまり未来の人の修煉の道だからです。

 人類の道徳が没落に向かっている時、宗教が社会でどのような作用を働いたのか皆さんは既に目にしました。宗教は人間を済度することができないだけではなく、人間の正しい信念を破壊しています。常人は神に対する期待、信仰と希望を全部、宗教関係者や出家人、修煉者の身に託しました。これらの人がしっかりと行なわなかったら、その個人がしっかり行なわなかっただけではすまされません。修煉の団体と宗教が正しく歩むことができなかったら、それ自身が正しく歩まなかっただけではすまされません。それによって、社会全体を腐敗堕落させ、広範の人々に問題が起きてしまうのです。同時に、彼らが神を信じていないことは、衆生、神を信じている衆生にとって最も気の毒なことであり、最も悲しいことでもあります。ですから、未来にこのような宗教形式はないかもしれません。人類が将来勉強する教科書に恐らく法の要素が含まれているかもしれません。社会活動において良く行なうことができ、より良く行なうことができる人であれば、多分修煉していることになります。大法弟子が今日行なったこの全ては、皆さん振り返ってみれば、これと同じようなことではありませんか? 大法は世の中で大法を社会の政治にする有形のものはありません。
 
 未来の全てが最も正しい道を歩むようにと私はしましたので、未来の人々は福があるのです。この人類社会が未来に残される以上、未来の生命、未来の各次元の衆生にとっても福なのです。なぜならば、これは機会であり、大法の生命に対する圓容の一部だからです。ですから、相対的に言えば、未来の人類社会は現在の人類社会と比べて、大きな変化があり、大きな違いがあります。未来の人に福があると多くの人は言ったのではありませんか? 今まで修煉者にとって、修煉することはとても難しかったのです。多くの修煉したい人は苦を舐める、苦に耐えながら修煉するという方法を考えました。苦に耐えながら修煉することは確かに業力を滅することができます。それが修煉だから、向上することもできますが、頑張ってもその次元も限られており、多くの場合は三界から出ませんでした。なぜならば、彼らの修煉を指導する法はなく、各次元での法の基準と要求を知らなかったからです。各次元の生命は彼らに対してもなかなか責任を負うことができませんでした。神は彼らに慈悲がないわけではなく、宇宙に相生相克の理が作用しているからです。誰であっても一念を動かせば異なるプラスとマイナスの要素が生じます。善の念を動かせば、悪の要素が生じ、悪の念を動かしても作用があります。ですから、多くの修煉者は「一念で善悪が生じる」と言っています。しかし、誰がこの話の本当の道理を知っているのでしょうか? 神は決して軽々しく行動してはいけません。人を済度することは由々しき一大事なのです。イエスが人間を済度し、これほど良いことをしているのに、天上の生命はなぜこのようにこの全てを左右したのでしょうか? なぜ彼を十字架に磔にしたのでしょうか? 人間の代わりに苦しめられているように見えますが、神がなぜこのようにされなければならなかったのでしょうか? 更に次元の高い神はなぜ関わらなかったのでしょうか? 神はなぜ直接人間の罪を滅し減らすことができないのでしょうか? この全ては今までの宇宙の理だったのです。全てはこういうことだったのです。私から見れば、旧宇宙の法はこの面においての智慧に欠けています。次回はこのようではなくなります。将来は多くの大きな変化が生じます。ですから、衆生にとって皆素晴らしいことであり、それほどの邪悪は存在しなくなります。
 
 しかし、相対的に言えば、将来相生相克の理が絶対的ではなくなりますが、やはり存在しています。正と負の生命はやはり存在しています。最も良くない、最も低い次元は、以前の最も低い次元と比べてそれほど邪悪ではなくなりますが、やはり良くはありません。未来の人に福がありますが、それもただ現在の人と比べて福があるのです。業を造ることがあり、人類の業力を滅する苦痛もあるので、戦争、疫病、劫難があります。必ずそうなります。でなければ、人間の罪業が重くなっても苦痛を味わって業を滅し、罪を償うことがなければ、人間は消滅されてしまいます。苦痛がなければ、幸せとは何か人間に分かりません。人間のこのところは天国になるはずはありません。苦痛があるからこそ、ここで修煉することができます。行いが良くなければ業を造ることもあります。ですから、人類社会は永遠に特殊な環境なのです。
 
 人間に最大の福を与え、つまり未来の人類は現在の人類のように基準がこれほど低くないということであり、これも最大の慈悲です。(拍手) 全てがそれほど悪くなくなったので、相対的に言えば環境も高められなければなりません。苦もそれほど次元の低いものではなくなります。全ては現在の人類の基準より高い基礎に維持され、全てはこの次元の法を基礎にし量られます。ですから、未来の人にとって、未来に入ることができる人は皆福があるのです。なぜでしょうか? 大法はここで伝えられたことがあり、大法のためにここが造られ、ここの生命も彼らなりの代価を払ったからです。歴史が今日に至るまで歩んでこられたのも、彼らの功績と見なしてもよいのです。ですから、未来の生命、未来の人類に福を与えるのです。
 
 もちろん、これも単純なことではありません。宇宙の全てはお互いに補完し合い、連帯しあい、圓容しており、更に他の要素と原因があります。つまり、世の中にこのような変化が起きますが、実は宇宙全体の異なる空間、異なる次元においてもそれと相応して境地が高くなります。各次元において、三界のこのところの基準が高くなったら、皆さん考えてみてください、神と同じになるまで高くなってはならないから、神のところは更に高くならなければなりません。この次元の神があの次元の神と同じになるまで高くなってはいけないので、あの次元の神も高くならなければなりません。つまり、各次元での基準が皆高まるということです。言い換えれば、各次元の環境は更に良くなります。もちろん、ここまで達するために、穹体の機制や法の智慧と能力もここまで達さなければなりません。それによってはじめて、生命の存在方式、諸々方面のことを素晴らしくすることができます。
 
 大法弟子として直面しているのは、つまり未来の最も良い生命に成就することです。ですから、皆さんにとって、心性の要求は、つまり皆さんが修煉者として達することのできる基準ですが、この点において少しもいい加減なところがあってはならず、必ず基準に達しなければなりません。
 
 できるだけ常人のこの社会の生活方式と一致するようにと法が皆さんに要求しているので、皆さんがここで生活することができるようにするため、皆さんが変わった人間であると他の人から思われてはなりません。私たちの中に多くの出家人が修煉していますが、実は宗教も現在の人類社会の状態の形式の一つです。従って、皆さんが歩んだ道は実は未来の生命のために基礎を築いているのです。この全ては皆さんを対象に実験を行なっているのではなく、法の中に随分前から既にあり、皆さんは実践しており、こういう過程に過ぎません。法を正すことは必ず成功するのです。皆さんは各種の予言や、能力のある人から人類にこの難、あの難があると聞いたかもしれませんが、彼らの誰もが法を正すことは成功できないと言う勇気はありません。なぜならば、法を正すことは必ず成功するからです。生命が法の要求を実践することができるかどうかに関わらず、法を正すことは必ず成功します。なぜならば、法を実証する中で、人間が乗り越えることができなければ、法は全ての生命を新たに造るからです。欠けているものがあれば、法の中にそれがあります。なぜならば、法は既にあるものだからです。慈悲に触れましたが、つまり私は旧い時期の生命が法に同化してから新しい時期の生命の中に入っていくようにしたいのです。これが私が行いたいことです。
 
 歴史上、異なる次元の生命が皆慈悲、慈悲を言っているのを皆さんは聞きました。ひいては非常に次元の高い神まで慈悲を言っています。しかし、彼らの慈悲に基準があり、彼らの考え、認識と境地から離れることができません。それに対し、法を正す中のこのような大いなる慈悲は、全宇宙の衆生にとってかつてなかったのです。浩大な佛恩とは何でしょうか?(熱烈な拍手) もちろん、将来の衆生は大法弟子が衆生を救い済度するのが見えます。皆さんが修煉して成就したら、将来の衆生も皆さんの浩大な佛恩が分かるようになります。しかし、未来の人は私のことを知ることはなく、皆さんだけが私のことを知っています。なぜならば、衆生にとって、私を知る必要もなく、実は知る資格もなく、皆さんを知っていれば十分です。元々誰も私を知らないので、将来もやはり知らないのです。(師父が笑って)(熱烈な拍手)
 
 生命はとても複雑なのです。実は人間が神になるということは私が実践の中で既にやり遂げました。私自身の肉体は既に法輪世界を主宰しており、しかも将来皆さんは多くの昔の私が見えるのです。その時、皆さんは彼らを私だと思ってしまうかもしれません。実は本当の私の主体の本質、本当の主我はなかなか生命に知られることはありません。しかし、皆さんの全ては私に分かっています。(師父が笑って)(長時間の拍手)
 
 私が来る時に一層一層下りてくるという過程を経ました。次元の非常に高い神にとって、三位一体なのです。三位一体は次元によってその概念、認識も違います。形のある非常に高い次元において、三位一体はつまり、真体、真神と思惟なのです。こういう三位一体です。これは非常に高い次元での状況です。更に次元が高くなると、このようではなくなり、そこの思惟と体は一体となっており、区別はありません。私は形のある神という次元からお話しますが、それは真体、真神と思惟の三位一体です。
 
 私は形のあるこの次元まで下りた時、真身を造り始めました。そして、一歩一歩大穹に入って下へ下りていきました。毎回、真身が単独で下へ下りていったのです。つまり、本当の私は即ち真身なのです。私はいつも皆さんに言っていますが、私が即ち最も表面であり、真皮は即ち私です。私はどの次元においても最も表面になっており、真身になっていたからです。人間のこのところにおいても、肉体の中に真身があります。(拍手)ですから、私は異なる次元において、歴史の過去に数多くの私の真神を残しました。彼らは皆私が今までの異なる次元での真神です。長い歳月の中で私が戻ってくることができなくなったと彼らが思った場合、もう一つの体を演化し、その体はその時の私と全く同じです。つまり、皆さんは将来の宇宙の中で、多くの私の過去を見ることができます。彼らは皆法に同化して未来の新宇宙に入ることができます。なぜならば、それは彼らの威徳と福だからです。彼らはかつて私だったからです。私は毎回、真身の形で下へ下りていったのです。ですから毎回真神にとって、体が下りていくので、私に行ってほしくはありません。下へ下りていくことがとても苦しく、壊滅してしまうことに等しいと彼らは分かっています。どれほど高い次元から来た神であっても、最後に人間のところまで来たら、神の目から見れば、その神はほぼ死んでしまったのです。ですから、一層一層下へ下りていく私は終始真身になっていたのです。この真身は長い歴史の異なる多くの次元を経たにもかかわらず、この皮は根源的にどこから来たのでしょうか? 誰なのでしょうか? それを認識することのできる生命は一人もいません。今回の私も人間の体と一緒にこの世に下りてきて、人間の最も表面になりました。異なっているのは、肉体の中に真身がいるということです。しかし、私の最も本質的な源を調べ認識することのできる生命はいません。将来の生命はなかなか私を知ることができないと先ほど私は話しましたが、つまりこういう意味です。
 
 今日とても次元の高い話をしたと思います。(拍手)いずれにせよ、大法弟子として聞いたら聞いたで、如何なる心も生じさせないでください。修煉の過程の中で徐々に分かってくる人がおり、最後圓満成就する時に何でも分かるようになる人もいます。
 
 圓満成就に触れましたが、皆さんの圓満成就は突然起こることではなく、以前の丹を煉る人のように急に爆裂したような状態ではありません。大法弟子の圓満成就はどういう状態なのでしょうか? 皆さんが修煉して出来上がったその一面は何でも知っており、それは皆あなたです。あなたの最も表面という部分も他の空間に行った時、あなたは眠りから自然に目覚めたかのようです。この状態です。震動はありません。(拍手)
 
 修煉の中で皆さんは本から異なる法理を読み取った時、それは人間のこのところでのわずかな認識に過ぎません。ご存知のように、本当の佛理はまだ表面の肉体を持っている修煉者の前に完全に現れてはいけません。ですから、この空間では概括的な認識しかありませんが、修煉して出来上がったその一面は、あなたのいるべき境地において、その境地の宇宙であなたより下の各次元の全てを知っており、しかも全部目に納めることができます。全ての修煉してできた一面は皆このような情況です。最後の少しが修煉を終えたら、全ては自然に分かってきます。表面では夢から目覚めたかのようであり、やるべきことをやるようになります。つまりこういうことです。(拍手)
 
 その時の思考に人間のこのような思考方式と構造はありません。つまり修煉して出来上がった一面の思考構造は皆神の最も素晴らしい基準に基づいて造られました。このような思考方式は低次元の思考に入ることはありませんが、低次元の全ては皆さんに分かっています。実はご存知かと思いますが、釈迦牟尼佛であろうと、他の神佛であろうと、彼らには牛や馬の考えまで分かっており、更に次元の低い生命の考えまで分かっており、全てを知り尽くしています。しかし、彼らはその次元に入ることはありませんが、ただ何でも知っています。しかし、あなたの思考方式はその次元の生命のとは違い、その中に入っておらず、完全にあなたがいる境地での思考です。ですから、将来圓満成就した時、恐らく眠りから目覚めたかのように自然に何もかも分かるようになります。なぜならば、修煉してできたその一面は向こうの空間に既に非常に長くとどまっており、他の空間の時間とこの世の時間とは違います。あなたは既に向こうの空間に長くとどまっており、何でも慣れており、あなたのこの空間の最後のその部分が向こうの空間に行った時、何でも分かるようになります。(拍手)
 
 以前も皆さんに話したことがありますが、昔の修煉者が悟りを開いた時、丹が爆裂するのです。丹が爆裂する時各次元の空間で爆裂するので、この世に与える影響は非常に大きいのです。山崩れ、津波、大きな震動などが現れます。大法弟子の人数が多く、修煉した次元も高いので、これでは大変なことになり、人類社会にどれほど大きな災難が起きるのでしょうか? ですから、そういうことが起こることはなく、全ては非常に自然に起こります。この法について私はこのことを始めた当初、全てを十分考慮しました。この法の中の全ては皆最も圓容であり、最も素晴らしいのです。
 
 また、多くの学習者は考えの中にこの事、あの事、と多くのことを心配しています。実は考えたら既に境地を下げたのです。何も考えず、何も構わないでください。師父は慈悲深いので、必ず最もいい按排をしてあげます。(拍手) これが師父の皆さんへの慈悲なのだと考える必要もありません。なぜならば、これはあなたが修煉によってできたものであり、あなた自身の威徳によるものだからです。ですから、師父はこのようにしてあげました。
 
 ここまでにしましょう(熱烈な拍手)
 
 しっかり行なっていない人は、時間を大事にして精進してください。私たちの法会は引き続き行なわれます。皆さん一歩一歩しっかり歩んでください。情況が良くなればなるほど、皆さんに教えますが、機縁が少なくなります。ですから、できるだけ大法弟子として行なうべきことを行なってください。しかし、皆さんは極端に走ってはならず、如何なる極端にも走ってはいけません。極端に走ってしまうと、私が按排してあげたこの道、法のあなたに対する要求を破壊してしまうことになります。行なうべきことを正常に行なえば良いのです。明日圓満成就しても、今日はまだ分からないから、会社を興そうと考えていれば、そうすれば良いのです。しかし、全ては私が圓容してあげます。何も考えないでください。やるべきことをやれば良いのです。(熱烈な拍手)
 
 最後になりましたが、バンクーバー法会が円満かつ成功裏に開かれることをお祈りします。ありがとうございました。(長時間の拍手)




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