音楽創作会での説法

李 洪 志

二〇〇三年七月二十一日 米国ワシントンD.C.


 多くの大法弟子は皆、各自の特技と学んだことを利用して、大法を実証し、修煉の中で自分の道を歩んでいます。常人社会の各階級と異なる職業はみな、修煉の環境になり得るのです。迫害される中でも真相を伝え、悪党に邪な道に連れ込まれた衆生を救い済度することができます。邪悪な圧力の下で正念を持ち、正しく行うことができれば、これこそ法を実証し、自らを実証することになります。文芸の面で特技のある学習者も法を実証する道を切り開くことができます。今日、今まで表に出てこなかった一部の学習者が法会に参加しました。これは非常に良いことです。もちろん、形勢の圧力によって落伍する人がいますが、それを認識し、再びしっかり行うことができれば、これこそ自らに対して責任を持っているのです。

 多くの学習者は「文化大革命」の当時は幼かったので、このような大きな災禍を経験したことがありません。ですから、現在の大法弟子に対する迫害の中で、残酷で邪悪な形勢の圧力を前に、心に大きな影響を受けました。このようなことを経験したことがないので、突然のしかかってきたこの迫害の形勢は人間の心に大きな衝撃を与えています。政府の全ての機能を利用し、嘘をでっち上げたり、誹謗中傷したり、無実の人を罪に落とし入れたりして、邪党の全ての独裁的な手段と宣伝システムを動員して弾圧し、迫害しています。このようなことを経験したことのない新しい学習者と法の勉強に精進していない学習者の中に、当時どのようにしたら良いのかが分からない人が確かにいました。ひいては消極的になってしまう人や、完全に常人の中に溺れてしまう人もいました。当時大法を学ぶ人が多かったので、このような学習者も少なくありませんでした。しかし、多くの大法弟子にとって、法を学ぶ中で生命に大法の根がすでに深く下ろされていたため、法を得た生命にとって、本当に大法を離れることになると、生命に対して、前途に対して絶望を感じるので、本当に大法を離れることができないと私は思います。消極的になった学習者の場合、実は一時愚かになり、もちろん、非常に愚かになった人もいますが(みな笑って)、いずれにせよ、これを認識し、また戻って来ればそれでいいのです。いずれにせよ、この迫害がまだ終わっておらず、修煉に戻って再び大法弟子になり、大法弟子としてやるべきことを引き続き行う機会があるのです。これも修煉の中でしっかり乗り越えられなかった関になるでしょう。それならば、これからの道をしっかり歩むのです。今までしっかり行わなかったのですが、心に圧力を感じる必要もありません。実は全て以前法の勉強を重視しておらず、その上常人の中で修煉しているため、この形勢下で、恐れる心によって、大法弟子の修煉の形勢について来られなくなりました。長引くと必ず、法の認識において差が開かれます。しかし、大丈夫です。法を勉強する中で徐々についてこられるようになります。他の学習者はこのような学習者を助け、彼らを理解すべきです。大法弟子の中にいる限り、皆しっかり協調すべきです。

 大法弟子の修煉の中で、衆生を救い済度することと法を実証することに対する要求があります。迫害されて以来、全体において皆さんは非常に良く行ってきました。各自がそれぞれの特技、異なる技能と学んだことを利用して、大法を実証しています。この中に文化の形を利用することも含まれています。もちろん、文芸の面で良い効果を出したければ、音楽、舞台芸術の創作をしっかり行わなければなりません。そうですね、音楽と舞台芸術の場合、この分野で特技を持っている学習者がいなければなりません。もっと探してみてください。実は人材がやはりいます。それでは、創作のことについてお話します。

 音楽と舞台芸術の創作をよくするには、本当に皆さんで方法を考える必要があります。テレビの文芸番組も含めて、舞台演出の形式レベルを上げるには、皆さんで共に努力しなければなりません。目下の状況から見ますと、中国大陸以外の学習者の中には、この分野における人材は非常に限られています。中国大陸の学習者の中には様々な人材がいるため、演劇団体をいくら組織しても問題ありませんが、中国大陸以外だと難しくなります。ですから、皆さんで方法を考え出す必要があります。私にはもう一つの考えがあります。皆さんもすでに目にしたように、新唐人テレビ局のプログラムは次第に正しい軌道に乗ってきましたが、やはりいろいろな面においてまだ向上させる必要があり、音楽と文芸番組に関してはまだ豊富とは言えないため、視聴者がテレビ番組を単調だと思うようになってはならないのです。そこでどうすればテレビ番組がより視聴者を引き付けられるかについて、皆さんで方法を考えなければならなりません。より良く真相を伝えるためには、たくさんの視聴者が見るようにし、様々な視聴者の好みに合うようにしてはじめて、より効率的に真相を伝える効果が得られるのです。ですから良く協調するためには、皆さんで方法を考えなければなりません。ここにいる皆さんが、どうすればもっと大きな作用を発揮し、毎回の上演とテレビ番組をさらに充実した高水準のものにするかについて、この場で検討してみましょう。良い考えがあったら挙げてみてください。どのように解決するか、一緒に考えてみましょう。

 現在たくさんの困難が存在しています。一つは資金の問題、一つは人材が少ない問題、特に専門的な人材が少なく、これらはみな最も根本的な問題で、最大の難題でもあるのです。しかし皆さんは大法弟子ですから、法を実証し、衆生を救い済度するため、皆さんが努力してやったのであれば、やれるところまでやればよいのです。条件が限られているのですから、今ある条件をどうすればよりよく発揮できるかを考えるべきです。

 私にはもう一つの考えがありますが、今年のテレビ局では新年祝賀会を放送してみたらどうでしょうか? 新年になると北アメリカ及び世界各地の華人テレビ局の番組には新年の雰囲気がなく、特に中国大陸のテレビ局が新年に放送する新年祝賀会を見て、たくさんの人が「災難テレビ局」と呼んでいます。堅苦しい党文化、定型化された手法、滑稽なほどに悪党のいわゆる「偉大、光明、正確」を賛美し、数十年にわたって一貫して捏造された「大変良い形勢」、これらのすべては中国人を下手なやり方で騙しているのです。今回皆さんは党文化がなく、下品なお笑いのない本当の人間の文化番組を作ってみたらどうでしょうか? 少なくとも新唐人テレビ局をよく見る視聴者にもっと満足のいくようにしてあげることで、テレビ局の番組にもさらに良い効果をもたらします。今ある人材は少ないのですが、能力がないわけではありません。実は皆さんの行った文芸活動には非常によくできているものもあります。目下のところ最も欠乏しているのは音楽の創作と楽器の配置人員で、一部の文芸活動の音楽伴奏もとても単調です。実はこの分野の人材はまだいるので、どうすればこのような特長のある大法弟子が参加するようになり、彼らの作用を発揮できるようにするかを考えるべきです。

 主な問題はこの通りです。皆さんで一緒に考え、研究してみてください。実はこのような具体的なことは皆さん自分自身で行うべきです。これらのことはあまりにも具体的過ぎるため、通常私はお話しません。法会を開くたび、皆さんはいつも師父の話を聞きたいと思っており、しかも今回は文芸の分野で修煉、衆生を救い済度及び大法を実証する道を歩みだすことに関わっていますので、皆さんに法を実証する中で行うことの重要さをさらにはっきりと分かってもらうため、このようにお話しました。実は最近皆さんは非常によくできていますが、もう少し範囲を広めるべきです。皆さんがさらに良く協調し、力量をさらに充実させ、創作した作品を各方面でさらに内容を向上させることができます。つまり、こういう考えです。私が来る前に法会はすでに始まっていたので、引き続き法会を続けてください。(笑)

弟子:師父、ちょっと指示を仰ぎたいことがありますが、よろしいでしょうか?

師:どうぞ。

弟子:私の長年の友人で、二胡、ピアノと作曲ができます。私は彼のことをよく知っています。彼は国内の環境があまり好きではありません。彼を海外に招いて、あの環境から離れたら、まず真相を伝えます。

師:あなたが言ったこの考えは実は、私が以前すでに考えたことがあります。中国大陸の学習者はどれほどの音楽団でも立ち上げることができます。大規模な音楽団を作っても問題はありません。ひいては膨大な交響楽団まで作ることができます。しかし、海外ではまだ条件が整っていません。考えはしょせん考えで、彼を招聘することが適切かどうかをよく考えたほうがいいのです。来てからどういう作用を果たすことができるのか、これもしっかり考えたほうがいいのです。法輪功に対してどういう態度なのか、真相の前でこれはもちろん問題ではありません。やってみるとしか言えません。

弟子:作曲する人が足りないと思いますが。

師:作曲ですが、実は在席の中にも少なくはありません。まだここに来ていない人もいるかもしれません。今、作曲が大きな問題ではありませんが、オーケストレーションが問題だと思います。

弟子:常人に多くのオーケストレーションの人材がいますが、彼らを誘って手伝ってもらうことができるのでしょうか?

師:これはいい考えです。やってみてください。

弟子:今日師父にお会いして、慙愧の念が堪えません。昨日法会で涙が止まりませんでした。私の以前の専門は作曲とオーケストレーションであり、迫害されてから、ずっと表に出ておらず、確固として修煉せず、自分の以前のものを放下することができませんでした。師父にお許しをいただきたいと思います。今から皆さんに加わります。今日から私は本当に表に出てきます。(拍手) 大唐音楽会について考えがあります。イギリスに唐の王朝の音楽を研究する専門の機関があり、唐の音楽の音譜を作りました。古代の部分は唐の音楽に基づいて、音譜を作ることができると思います。

師:私はなぜいつも唐の文化を言っているのでしょうか? この唐の文化は本当の人類の文化であり、しかも頂点を極めたのです。技術レベルから人間の文化まで、全て頂点に達していました。唐の王朝の後、衰え始めました。もちろん、明と清の王朝にも良いものがあったと皆さんは知っていますが、実はすでに古い観念にとらわれて、時代遅れになってしまいました。文人、職人は細かいところに力を入れ、心がすでに非常に狭くなり、細かくなりすぎたのです。唐の時のような精巧さと上品さはもうありませんでした。しかし、どの王朝の芸術文化も創作の中に取り入れることができますが、大法自身が人類に与えた文化と特徴と融合し、唐の王朝の文化を踏襲するのではなく、大法弟子が切り開いた正しい道を人類に与えるべきです。唐の王朝と各王朝の人々の文化を参考にし、古代の情緒と趣きを基調に、中原民族の特徴を生かし音楽を創作してください。

弟子:師父、こんにちは。音響効果を加えるとき、いつもある疑問を抱いています。例えば、子供の音楽には、いつも喜びを感じます。以前ジャズのようなものを作ったことがありますが、良くないのではないでしょうか?

師:現代音楽にしても、古代音楽にしても、他でもなく大法弟子の認識で自分の道を切り開くことです。なぜこのように言ったのでしょうか? この世のいかなる人も、いくら能力と生まれつきの素質を持っていても、純粋で清らかな道を切り開くことができません。優れたテクニックと技能だけを持っており、それではいけません。大法弟子は個人の修煉の中、法を実証する中でとても純粋で清らかに浄化されました。考えの境地と物事の見方はだいぶ異なっています。ですから、皆さんはこの事をすることができ、本当の意味においていわゆる現代人を真の人間としての道に戻すことができます。ですから皆さんはこの作用を果たすことができ、人類にこのような基礎を築くこともできます。すでにお話しましたが、皆さんが運営しているテレビ局、新聞、ラジオ局などは、多くの面において確かにたくさんの困難があるように見えますが、いずれ徐々に解決されます。大事なのは、人類に良い文化を与えることこそ、最も重要なことです。皆さんは将来目にするようになりますが、大法弟子が行った様々なことは未来の人に模倣され、未来の人類の主体文化になります。ですから、皆さんが今日良いものを出せるかどうかが鍵なのです。これらの基本的なものを決めることができれば、未来の人はそれを流用するのです。ですから、皆さんが何を作ったのか、どういうものを作り出すことができるのかは極めて重要なことです。常人のもの、古代のもの、現代のものは、必要があれば、全て参考にすることができます。しかし、皆さんは必ず正なるものを創作し、人間のために責任を持たなければなりません(笑) リラックスしてください。どうしても皆さんに無理強いで何かを行ってほしいと言っているのではありません。実は皆さんが普通に作ったものはすでに常人のものと違い、さらに皆さんの技能が加えられると、特別なものになります。

 先ほどすでにお話しました、唐の音楽にしても、現在の音楽にしても、これらの音楽の優れたところを取り入れれば自分のものを作ることができ、常人のそれらのものと必ず異なります。なぜならば、創作された音楽の内涵は、皆さんの境地、内涵によって違うものになるからです。ただ、もし音楽の基調そのものもさらに良いものにすることができれば、これを良く行うことができれば、完全にとても良い道を歩んでいることになります。

弟子:師父、私は西洋音楽の教育を受けましたが、今はいつも中国音楽に触れています。 西洋と東洋の融合についてどのように見ていらっしゃるのでしょうか?

師:このこと自体は問題ありません。両者とも参考にすることができます。大事なのは道を切り開くことです。例えば、オーケストレーションのことですが、音楽のオーケストレーションは中国古代のとき、あまり重要視されておらず、そのとき大体合奏の一種として扱われ、せいぜい音階の違う楽器がリードしたり、独奏したりして、楽器の組み合わせを重んじていませんでした。今は音楽のオーケストレーションが重んじられるようになり、実は西洋の音楽文化から取り入れたのであって、実質上、神が人間に与えたものでもあります。これも今回の人類の文明の中で最も素晴らしいものの一つであり、これらのものは人類にとって有益なのです。

弟子:師父、中国の古典音楽と西洋の古典音楽との違いが非常に大きいのです。天上ではどのように違っているのでしょうか?

師:ルネサンス以前の西洋の楽器の種類と音楽自体は非常に簡単でした。ルネサンス以降、西洋の音楽は徐々に頂点を極め、人類の文化と芸術は大きな飛躍を迎えました。このとき、従来の人類の文化・芸術との違いは非常に大きくなりました。天上の音楽ですが、もちろんたくさんの種類があり、皆異なる生命の状態の特徴によって形成されたのです。現在、西洋音楽はオーケストレーションと楽器の使用においても、楽器の性能に対する把握においても、その音楽理論全体がすでに総合的な音楽体系になっており、人類の元々の音楽と比べて、既に複雑で難しい学科となりました。人間から見れば、西洋音楽はすでに非常に完備した体系となりましたが、これは近代になって神が目的をもって人間に与えたのです。東洋の音楽は人類の歴史と文化が築かれる全過程の中で絶えず、神によって人類に与えられた正常な文化の一種です。これは東洋の文化と西洋の文化という二つの文化の違いだけではなく、異なる宇宙体系から伝えられたものでもあります。他の多くの宇宙体系の中では、それぞれ自分独自のものをもっており、しかも非常に系統的で、神聖で、神秘めいたものです。これは神が人類に与え、人間の方法で表現されたものだけなのです。舞台芸術と絵画を含めて、人間は油絵と中国画があるのを知っているだけで、実はこれは異なる体系の神が異なる体系の最低次元にいる生命に与えた文化の特徴です。つまり、黄色人種は天体体系の中の異なる次元の神ないし最高の神と対応しており、この体系の中に自身の特徴を有する状態があります。白人の場合も同じであり、彼らにも対応している宇宙体系があります。これらの体系はみな、ある宇宙の異なる生命の特徴、生存方式を有しており、この世に反映されると、異なる種族の文化の特徴となります。ですから、各種族の楽器と音楽の特徴、スタイルはみなそれぞれ違います。しかし現在、楽器を含めて、西洋の近代音楽の体系は白人の神の天国世界にもともとあったものではなく、はるか遠い生命体系の中のもので、西洋社会に伝えられただけで、法のためにやってきたものでもあります。長い間、法を正すために造られた人類の文化は人間という次元の生命にとってすでに極めて豊富なのです。

弟子:師父、こんにちは! 私はジャズを専攻している学生です。(みな笑って) ですからまだジャズを続けていいのかと思ったりするときがあります。

師:私はこのように考えています。今大法弟子が法を実証しながら修煉するだけの段階であり、法がこの世を正している段階ではありません。皆さんは常人社会の中で修煉している以上、必ず御飯を食べないといけないし、仕事もしないといけません。確かに適当ではない仕事もありますが、こういう場合どうしたらよいのでしょうか? つまり、あなたは常人社会で最大限に常人の社会状態に適合しながら仕事をすることができます。人類社会の多くのものは確かに悪くなりましたが、人類社会はすでにこのようになり、世の人々もこれを受け入れ、すでにこういう社会になりました。法がこの世を正すまで、人類社会は他でもなくこの状態であり、今は気にする必要はありません。仕事はいままで通りにすることができますが、皆さんは修煉の中で何が正しいのか、何が正しくないのかを分かっていなければなりません。あなたがこれを学んでいれば、少なくとも音楽の理論知識や、音楽そのものの造詣において得るものがあり、知識をマスターすることができます。音楽の基礎を身につけると同時に、生活のために自分の専攻と関係する仕事に従事することができますが、できるだけ良く行うようにすればよいのです。同時に正統で伝統的なものを創作し、条件が許す限り、他の正統音楽に接触し、自分が正しいと思っている音楽の授業に出て、これはあなたにできることです。実はあなたが学んでいるものは、音符上のスタイルの問題だけであり、音楽の理論知識の勉強においては同じです。

弟子:音楽団が立ち上げられてから、オーケストレーションから創作まで、私はずっと大きな悩みを抱えています。自分が作ったものまたは他の人のためのオーケストレーションのレベルにはまだ差があります。しかし、皆すでに力を尽くし、各自が学んだことを全部持ち出したと思います。どのようにこれを突破し改善したらよいのか分かりません。(みな笑って)

師:私はそういうことではないと思います。実は、あなたが演奏した曲を私は聴いたことがあります。レベルのことに関しては、今はレベルの低さの問題ではないと思います。肝心なのは、伝統的なもの、皆が好むものを作り、正しい道を切り開くということです。常人に歌いやすい歌という言い方があるのではありませんか? 歌うと、聞いた人はすぐ習いたいと思い、その場で口ずさむことができるようになります。つまり、どのように正しく、人々の好みにも合う歌を作るかのことです。はっきり言えば、大法弟子が作ったものはレベルが問題ではなく、どのように自分の道を切り開くかということこそ肝心なことです。

弟子:1949年以降中国で音楽はほぼなくなりました。普通の人は口を開けば、歌詞も曲も党文化のものを歌っています。今機会があって、大法の力と時機を借りて、人類のために新しい局面を開くことができます。学習者が作った音楽は現在、全体的に和やかで美しく、非常に穏やかですが、光り輝きと壮麗感は足りないようです。

師:先ほど使った形容詞の中にある言葉は非常に良かったです。つまり「穏やか」という言葉です。(みな笑って) 人類の過剰な激情、強力な闘争性は正常な人類の状態ではなく、魔性の状態下で現れたものです。人間に善悪が同時に存在しているため、非常に興奮しているとき、ひいては理性を超えた行動は、その多くが現代音楽のものです。理性のない激情、理性を失った狂気は実は負のものを誘発しています。穏やかな状態こそ、善であり、本当の人間の状態です。穏やかな中にも高低の起伏があり、これは完全に理性的なものです。平和な中にも光り輝きを表現することができますが、これは穏やかさを基礎としています。(拍手)

 皆さんに能力があると私は思っています。現代的なそれらの高レベルなものと比べる必要はありません。実は現在言われている多くのものは現代派のものであり、本当の正統なもの、立派な楽章を今作れる人はどれほどいるのでしょうか? 皆いわゆる現代音楽の道を選んでしまいました。近代の中国の歌はみな、党文化のものであり、人に見せられるようなものはありません。前世紀以前の西洋の音楽家が作ったものを、現在中国では作れる人はもういません。もちろん、現代の西洋社会にもいません。なぜならば、その全盛期はすでに過ぎ去り、かき乱された現代派のものによって、最も落ち込んでしまいました。しかし、なんと言っても西洋にあの時期があったのです。中国にはまだありません。中国の古代から近代までの音楽の中に、実はなかなか良いものもありました。その基点と基本的なメロディーは本当の人類の状態のものであり、創造しようと思えば、非常に大きくて広々とした空間を表現することもできますが、この面に力を入れた人はおらず、体系を成すこともなおさら難しいことです。もちろん王朝の変化によって文化も変わります。前の王朝の文化は新しい王朝の文化に押しつぶされ、流失してしまい、これも一つの原因で、五千年の文化の中の音楽の精華を受け継ぐことは不可能であり、いかなる王朝にもこの事をした人はいませんでした。西洋の絵画と音楽も二世紀前からやっと学校や、カリキュラム、規範が出来上がり、習う人はどのように行っていけばよいのかが分かったのです。養成したのは系統的で正統な知識を身に付けた人で、これによって一つ完全な体系が形成されました。しかし、中国の各王朝はこのように行いませんでした。もちろん、民国以降、中国にこれらのことを重視する人が現われ、徐々に西洋から留学して帰ってきた人が現われ、いくらかの西洋音楽の知識を身につけ、清の末期にこのような人材が徐々に現われました。しかし、中国人の文化、情緒、味わいのある音楽を系統化し、本当に立派な主流文化を作る人はいませんでした。悪党は長年にわたって、「百花一時に咲きだす」と叫んできましたが、全ては邪悪な政権の統治のためであり、実は何の成果もありません。なぜなら、邪党の独裁に仕える党文化は暴力と強烈な激情であり、民族文化を破壊することを目的とし、本当の人類がもつ穏やかさと相容れないものであり、人間味もなく、五千年の正統な文明の情緒と味わいはなおさらありません。悪党が最も基礎としているものは旧ソ連から持ってきたのです。

 皆さんが大きな抱負と高い志を持っているようで、行ってみたければ、行ってみてください。中国の古から今日まで、多くの独特なメロディー、民謡が伝わっており、多くのものは異なる王朝の味わいを持っています。現在中国人が作ったものに異なる王朝の要素も入っており、さらに旧ソ連のものも取り入れられています。昔の上海に多くの流行歌があり、歌詞はそれほど良いものではありませんが、中に中国古代の深い味わいと古人の意識が多く含まれていました。ですから、メロディーの基本は中国古代の伝統的な味わいなのです。もし古来の中国音楽のメロディーと味わいを基礎に、西洋音楽の技法で表現し、この道を切り開くことができれば、とても光り輝くものがあります。私が言った意味は皆さん分かっているでしょう。この分野において皆さんはプロだからです。

弟子:西洋の楽器にハーモニックスがあり、背後の内涵を感じることができます。西洋の楽器のハーモニックスと中国の楽器のハーモニックスにそれぞれの特性、特徴があります。

師:それはあなたの具体的な感受です。内涵と言えば、人間の文化にある程度の歴史の過程があったので、演奏された各音符に民族の特性と個人の心情に含まれる内涵があります。各曲に演奏者が表現したい情緒があり、音符の運用から当然内涵が現われてきます。中にハーモニックスの運用も含まれています。これはあなた個人のこの面に対する感受なのです。

弟子:私はオーストリアの学習者です。オーストリアで四人のバンドを作りました。私はクラシックピアノ、他の三人はジャズが専門です。今ある問題を抱えています。彼らは自分が作った音楽がとても純粋だと言っていますが、実はジャズの雰囲気がやはり強いのです。

師:たぶんすでに形成した観念はとても純粋だと思っています。もし完全に現代音楽の観念に影響されていなければ、作られたものはきっと違います。やはり、私が今まで話してきたように、生活のためにこれらのものを演奏しても問題はありませんが、大法弟子の音楽を本当に作る場合、自分の道を切り開かなければなりません。この過程に必ず認識上の問題が現われます。

弟子:彼らは学校でジャズを習っています。道端で演奏してもよろしいでしょうか?

師:もし本当にとても良い道を切り開くことができれば、皆さんの演奏は多くの人を惹きつけることができます。必ずこのようになります。皆さんは私が言ったことを覚えてください。つまり、人類は大法を中心に動いています。大法弟子の今日の一挙一動が全て人類に影響するのです。この前、画家の学習者のために会議を開き、なぜ正統な美術の道を歩むべきなのかについてお話しました。以前、彼らは美術展を開くために、場所を探しに行きましたが、なかなか見つかりませんでした。人類が正統な芸術の道に戻ると私が言った後、世の人々の態度が変わったと感じ、神は法のために道を開こうとしています。しかし、皆さんがしっかり行わなければ、障碍もあります。なぜなら、大法弟子は何を行っても修煉と切り離すことができないからです。実は、人類は大法を中心に動いています。皆さんが本当に自分のものを作り出すことができれば、誰もが聞きたい、見たいと思っています。ひいては多くの人は学びたいと思うようになります。

弟子:創作の原則に関わる問題について、師父にご教示願います。一つは、私は今、協奏曲を作っていますが、大法の音楽『普度』を一章として入れることができるのでしょうか?  もう一つですが、楽団は今人が足りないので、何人かがステージで演奏していますが、楽団の効果はありません。バックとして使う音楽を作って、同時にステージにも演奏する人がいます。三つ目ですが、以前他の空間のものを聞いたことがありますが、これらのものを使うことができるのでしょうか?

師:先ほど協調が取れるようにと言ったのですが、このことが含まれています。お互いに著作権の問題はなく、どのように協調を取って、大法が未来の人に残す道を切り開くかのことです。修煉者はこの世での得と失を求めていませんが、常人は得と失、ひいては名利を非常に大事に思っています。大法弟子が求めているのは、修煉の正果なので、これらのことをまったく重要視していません。誰が大法のために何を行ったのか、神は全部一つ一つ記録しています。それは未来に残すことです。人間のこのところで何を求めるのでしょうか? 何も求めていません。ですから、皆さんにできるのは、自分を修めることと衆生のために行う他ありません。皆さんは衆生を救い済度していますが、衆生のために未来の人類の道を準備しているのでもあります。『普度』を自分の作品に入れることをしてはいけないということではありませんが、肝心なのは、皆さんが『普度』の内涵を本当に理解できていないことです。それは紀元前から法を正すまでの師父の全過程であり、いかなる協奏曲もそれを納めることができません。

 二つ目の質問ですが、楽団の問題です。今すぐ大きな交響楽団を作って演奏するのは不可能なことです。しかし、今いくつかの方法があります。舞台のプログラム、例えば踊りの場合、音楽を作曲ソフトで合成し、一台のバイオリンの音を数台のバイオリンの音に合成することができます。数台の楽器を録音合成法によって楽器がたくさんあるような大きな楽団にすることができます。多くの映画のオーケストレーションもコストダウンのために、このように行われています。これは一つの方法です。もう一つは、コンピューターで直接楽団の演奏を模擬することです。これもできますが、中に質の良くないものもあります。電子楽器だとすぐ分かります。模擬なので、似ていないとだめです。音楽のプロの皆さんなら分かります。なぜならば、楽器の性能について皆さんはある程度の知識を持っているはずです。もちろん、いくら本物のように模擬しても、プロの人には聞き分けることができます。しかし、普通の聴衆にはやはり分かりません。(みな笑って) これは皆方法なのです。三つ目の、聞こえた他の空間のもののことですが、本当にそれを再現できれば、行っても良いのです。しかし、私が思うには、普通はなかなかできません。高次元の空間にいなければ、さらにミクロ的な物質で構成された楽器はなく、したがってその音を表現することができません。しかも、音そのものも物質の場で伝わっており、高次元の空間で構成される物質場がなければ、神聖さを感じることもできません。

弟子:『普度』『済世』は一章として作品の中に入れてもよいのでしょうか?

師:『普度』『済世』ですが、先ほど話した一つ目のことはつまりこのことです。版権の問題はありません。皆さんが煉功用に使う二つの音楽を使ってはいけないのですが、他は全部使ってよいのです。皆さんが必要なときに使うためのものなので、問題はありません。煉功音楽は絶対使ってはいけません。なぜならば、修煉に非常に大きく関わっているため、音楽に使われてはいけません。他の音楽は大法弟子が作ったものですが、なんと言っても常人に残すためのものです。『普度』『済世』についてですが、この二つの音楽がどういう内涵を表現しているのかを知っていなければなりません。宇宙を卵に入れてはいけません。

弟子:煉功音楽の音が悪くなったら、将来新しく録音することができるのでしょうか?

師:これは問題ありません。質を高めることは問題ありません。

弟子:合成音楽の音色ができるだけ本物に近づかなければなりませんが、それなら良い機材を買わなければなりません。多額な資金が必要です。

師:そうとは限りません。簡単で安いソフトもあります。大陸で購入できます。(みな笑って) 質の良いものもあります。しかも安いです。

弟子:長い目で見れば、ローンで良いコンピューターを買ったほうが良いのです。

師:方法を考えて行ってください。しかし、条件がないのに無理強いで行うことを師父は要求したことがありません。必ず自分の能力に合わせて行ってください。でなければ、極端に走ることになります。生活に困難を来たし、各方面に困難を来たしてしまえば、大法弟子が行うべきことを行うには、今まで以上に難しくなります。自分に困難をもたらさないでください。

弟子:今回の音楽会のとき、中阮と大阮を買いました。買うとき、楽器屋で清の王朝の琵琶を見かけました。店の説明を聞いて、古代の弦という楽器は現在のものと異なっていることが分かりました。今はスプリングの弦です。さらに、古代の弦の構造も今のものと違います。今の弦の方がよく響きます。

師:古代は生糸でよった弦と牛筋弦を使っていました。古代の人類の環境はざわめいておらず、人間の心も静かだったので、生糸の弦を使っても当時の環境下では音量が小さいとは感じませんでした。当時は現代の西洋楽器がなかったので、今は現在の情況を考慮して曲を作らなければなりません。古代の時、みな生糸または牛筋の弦を使っていましたが、それは現代の技術と製品がないということだけではなく、古代の環境とも大きく関係しています。今は自分の道を切り開くと言っていますが、楽器も古代のものを使うということではありません。現在の人類環境がすでにこのようになったため、現在ある楽器を使うしかありません。

弟子:新年特別公演を中継したいのですが、現在の設備や条件がまだ整っていません。しかし、今中継することを前提に準備を進めれば…。

師:私はこのように考えています。もし条件が整っていなければ、中継はやはりだめです。しかも、全ての人をアメリカに呼んできて、人材を全部そろえて公演を行うのは難しいと思います。なぜならば、仕事を持っている人や、会社に行く人、家庭の事情で離れられない人、経済的に無理のある人もおり、各方面に困難があります。もし各地のプログラムを交えてCDに落とすことができれば、放送するのも良いのです。ですから、今のパソコンが作ったものは本当に真に迫っています。

弟子:私たちの音楽は内部でお互いに使用することができますが、対外の場合版権の問題はありますか? 例を挙げますと、四年前法輪功の番組を作るとき、『普度』『済世』を使い、あるラジオ局の局長に気に入られてしまい、「なんと良い音楽でしょう。使わせてもらえないでしょうか」と言われ、私はそのとき彼に使わせました。

師:ちょっと適切ではありません。人間は大事にしないので、相応しくない場合に使われたらどうしますか? 常人のために何かを作るかのことですが、今まだこのことを考える時間はありません。『普度』『済世』を軽々しく常人に渡すのは適切ではありません。他の音楽は大丈夫です。この二曲のほか、大法弟子が作った歌や曲は通常問題ありません。

 版権のことに言及しましたが、当時私が法を伝えたときにどのように行ったのかご存知でしょうか? 『転法輪』を合法的に出版するために、大きな紆余曲折がありました。出版社は出版したのですが、しばらくすると、圧力を感じ、出版を取りやめました。しかし、出版社はこの本がとても儲かると分かっているので、契約を私に返そうとしませんでした。しかし、本がほしい学習者がたくさんおり、皆焦っていました。どうしましょうか。多くの学習者は功を習い、煉功点にたくさんの学習者がやってきたのですが、本がありません。本が足りなくなると、海賊版の本が全国に出回り、各地で印刷されていました。一文字も変えずに、質を守ってくれれば、私は何も言いませんでした。人間は他でもなく金儲けのためであり、こうして功と罪は相殺しました。お金を儲けてもかまいません。大法弟子の多くのものは後の人に残すためのものです。人間がそれを大事にし、正しく使い、内容を変えなければ大丈夫です。内容を変えてしまえば、手を打たなければなりません。なぜならば、なんと言っても私たちは版権を持っているからです。

弟子:良い歌は数世代の人に影響し、今も歌われています。

師:天分に恵まれている音楽家はなぜ良い曲を作ることができるのでしょうか? なぜ後世まで名を残すことができるのでしょうか? メロディーが美しいだけではなく、音楽の内涵はその人の良い人柄と豊富な社会経験、生まれつきの才能から生じるのです。これは常人の面から言っています。修煉者の人生は変えられたのであって、しかも常人の次元を超えています。大法弟子、皆さんはもし本当に自分の道を切り開くことができれば、皆さんの作品は常人の有名な音楽家の作品よりも尊び崇められ、百年ひいては千年に名が残されます。なぜならば、皆さんが大法弟子であり、道が正しいので、皆さんの作品は将来、人類が永遠に学び、使うのです。(拍手)

弟子:師父にお伺いしたいのですが、流行歌の歌い方に魔性があるのでしょうか?

師:流行歌の歌い方は実は庶民の民謡であり、歌い方などを必要としません。各国の古代の民謡はずっとこのように伝わってきました。各民族も同じです。しかし、今人々はこれを音楽の体系に入れました。その上、現代派に大げさに取り上げられ、低俗で、魔性を晴らすための、ひいては下品な卑しいメロディーになっています。多くの若者もこれを追求しています。皆さんはどんな歌い方でも、その良いところを取り入れることができますが、自分の道を歩まなければなりません。

弟子:師父、今作られた歌に二つの傾向があります。一つは私たちの修煉について歌っています。もう一つは常人が聞いて分かるようにするために、「法輪大法は素晴らしい」とさえも言ってはいけません。これは正しくないと思います。

師:大法弟子が法を実証することは至極当然なことです。ですから、皆さんが歌を作るとき、衆生を救い済度し、真相を伝え、大法弟子のことを歌うのを目的とすべきです。もちろん、テレビドラマを制作するとき、ドラマの内容、または舞台の内容によって音楽を加える必要がある場合はかまいません。テレビドラマは元々文芸作品であり、異なる視聴者、特に常人の視聴者に見せるためのものです。もちろん、曲の内容上、またはストーリー上で大法弟子と関係ない多くの常人の生活の場面が必要な場合、それを書くのでしょうか? もちろん書きます。これもしなければなりません。実はどのようになっても、なんと言っても大法弟子が作ったものだから、やはり違います。真に正面から大法と大法弟子を表現する場合、やはり大法のことを主とすべきです。大法弟子として大法のことをまったく考えず、常人のものばかり作ろうとすれば、あなたはまた常人になります。大法弟子は衆生を救い済度し、大法を実証することを責任としています。これらの位置づけについては、皆さんよく理解できると思います。

弟子:師父にお伺いしたいのですが、適切かどうか分かりません。中共が大陸を占拠した後、腰太鼓は悪党によく使われているようです。

師:皆さんに教えますが、腰太鼓は中国に千年近くの歴史があります。これは中国の西部、関中地域で伝わっている民間文芸の様式です。腰太鼓ですが、私はある太鼓を知っています。皆さんもご存知ですが、陝西省に大きさがこのくらいの太鼓があり、直径が一尺半前後ですが、全部男性が叩いています。とても迫力があります。在席の中に舞踏を専門とする人でこれを知っている人がいますか? これを使ってもよいのです。これも非常に良いのです。ご存知でしょうか? 皆さんがニューヨークでのパレードで初めて腰太鼓を叩いたとき、多くの人は中国人が来たと言いました。彼らは、これは本当の中国人がやってきたと思っています。邪党は中国の文化を利用して自らを称えています。腰太鼓は中共悪党のものではありません。邪党は西洋からの幽霊であり、邪霊なのです。(笑)

弟子:二胡のコンピレーションアルバムのような良い音楽を出したい場合、オーケストレーションするとき、中国のやり方と西洋のやり方を交えてもよいのでしょうか?

師:私が言ったのは全ての良いものを取り入れることができるということです。もちろん、西洋のオーケストレーションの方法と楽理を取り入れてもよいのです。一部のものをそのまま持ってきて、半分中国式、半分西洋式、こういうことではありません。つまり、どのように自分の道を切り開くかのことです。西洋音楽と東洋音楽は今回の人類文化の中でみな比較的良いものだと思います。どういう人種であっても、この世に降りてくるときは、まず中国に生まれます。一つの王朝が終わった後、中国から世界各地に生まれ変わります。中国のものは誰が残したのでしょうか? 神です。各王朝の文化であり、全世界の人が残したものです。これらのことは以前話したことがあります。皆さんは選択しており、歴史に残された遺産の中で最も良いものを選んでいます。

弟子:山西省と陝西省の民謡は実は中国の民謡の八十パーセントを占めています。その地域の音楽のメロディーは非常に美しいのです。一部の歌詞は1949年以降に改ざんされました。実は元の音楽とメロディーは非常に良いのです。このように思っているのが正しいかどうか分かりませんので、師父から一言をいただいたらやっと安心できるのですが。

師:北部の山西省と陝西省の一部の民謡について、そのメロディーは実は古代中国のものです。

 先ほど音楽のことを多く話しましたが、舞台芸術など他の面の創作も緩めないでください。通常、特別公演の多くは集団舞踏であり、少なくなったら、単一、単調に感じてしまいます。特別公演の中に踊りがなければ、特別公演にはなりません。どのようにこの面にさらに力を入れて、道を開くのでしょうか? 以前中国西部の歌舞団が古代文化を表現する公演を見たことがあります。中に歴史文化に関するプログラムがたくさんありました。みな参考にして良いのです。しかし、全部踏襲するのではなく、自分の道を歩んでください。

弟子:どのようにテレビ局とさらに協調することができるのでしょうか? 私たちは皆世界各地に分散しています。

師:皆さんが集まってくるのは簡単なことではなく、協調もなかなか難しいのです。しかし、パソコン、ファックス、電話を使うことができます。多くのことはこれで意思疎通を図ることができます。できるだけこれらの条件を利用してください。皆さんは世界各地に住んでいるので、集まるのはなかなか簡単ではありません。幸いなことに今後どのように行えばよいのかが皆さんはすでに分かり、このように道を探して歩んでみてください。実は大きな潜在力があります。

弟子:私たちの楽団はオーストリア全国で公演したいと思っています。もし曲が足りなければ、大法弟子は常人のクラシック音楽を演奏してもよろしいでしょうか? 例えば、モーツァルト、ショパンの作品はいかがでしょうか?

師:これは問題ありません。以前すでにお話しましたが、クラシック音楽は問題ありません。「文化大革命」以前のものは慎重に判断すれば、使ってもよいのです。党文化が入っていないものでなければなりません。悪党がやってくる前のものは基本的に全部使ってよいのです。魔の首魁がいる期間のものは全部使いません。中に邪なものが充満しています。あの時期、人類は魔に制御されていたのです。

弟子:魔の首魁がいる十数年に作られた音楽作品を使ってはいけませんが、そのときのテレビと映画も使ってはいけないのでしょうか?

師:あの時期のものはみな、良くないと思います。背後に各種の卑しい鬼が人間を制御するための要素があります。

弟子:歌はすでにありましたが、どの歌を基礎に交響楽、または合奏にしたほうがよいのでしょうか?

師:具体的なことは皆さんが話し合って決めてください。問題はないはずです。

弟子:最近、私たちのテレビ局の西洋人学習者は二つのMTVを作成しましたが、現代のギター、電子ギターのような現代音楽の形を取っています。

師:大丈夫です。テレビ局は常人社会に立脚しており、対象が普通の人なので、電子楽器も大丈夫です。大法弟子は修煉の道をしっかり、正しく歩むべきですが、常人の仕事の場合、できるだけしっかり行ってください。テレビの番組は常人に見せるためのものです。今は法がこの世を正す時期ではなく、大法弟子が修煉する段階であり、真相を伝え、迫害を暴露する時期なのです。今は問題ありません。

 それでは、オーケストレーションのできる人はいますか? 手を挙げてください。皆見てください。特にテレビ局の人は音楽が必要なとき、彼らに頼んでください。オーケストレーションのできる人は作曲もできます。

 ほら、少なくありません。在席の中に高いレベルを持つ人もたくさんいると私に分かっています。是非力を発揮してください。もちろん、すぐに完璧にできなくても、皆さんもあらを探さないでください。善意をもって切磋琢磨し、徐々に自分のこの道を成熟させることができます。最初からしっかり歩むことができないかもしれません。自分のものを創作するだけではなく、今後量も増やさなければなりません。(笑) 一つの作品を完成させて、満足し、もうやったと思っていれば、それではいけません。大法弟子は一人を救ったら、それで十分なのでしょうか? そうではありません。たくさんの人を救うのです。

弟子:師父に法に関わるあることを質問したいと思います。釈迦牟尼佛は数億劫前にすでに修煉して道を得たのですが、地球は二回しかなく、毎回一億年です。それなら…。

師:釈迦牟尼佛は以前地球で修煉していたのではありません。(みな笑って) 釈迦牟尼佛はこの世に人を済度しに来たのであって、彼は天上ですでに神になり、随分前にすでに道を得たのです。今回は如来の果位を証明し、人類に佛の文化を残すためです。釈迦牟尼佛が説いた多くの物語は天上の出来事であり、地球のことではありません。私は話したのではありませんか? 人間は佛が座っているのを見て、非常に神聖だと感じていますが、佛が佛を見る場合、そうではありません。彼らは神の社会集団です。

 時間の関係で、会議はここまでにします。皆さんが大法弟子なので、きっと良く行うことができると信じています。皆さんの良いお知らせを待っています。(拍手)

注:録音の関係で、このくらいしか文字起こしすることができません。





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