二〇〇四年ワシントンDC法会での説法

李 洪 志

二〇〇四年七月二十四日


 皆さん、こんにちは!(皆さん:師父こんにちは)

 時間は非常に速く経ってしまいました。瞬く間にまた一年が過ぎました。去年私がDCの交流会に参加してからのこの間、大法弟子に大きな変化があり、法を正す全体の形勢も多く変化しました。大法弟子が法を実証する中で行った大法弟子として行うべきことは、非常に良く行われました。これらの情況全体から見れば、皆さんに光輝く前途がますます見えるようになるかもしれません。(拍手)

 近い将来、今回の迫害と大法弟子のこの修煉形式はまもなく終盤を迎えることになります。(拍手) 宇宙で法が正される中で大法弟子が法を正すことと共にするというかつてなかった修煉形式、大法弟子に現れた威徳、全宇宙を震撼させている壮挙、などはいよいよ過去のこととなります。(拍手)

 現在の情況から見ると、皆さんの正しい念と正しい行いの中で、法を実証する中で、邪悪を根絶しました。現在になって、邪悪生命は既にほんのわずかしか残っておらず、逃げ隠れることしかできなくなりました。しかし、邪悪ないわゆる試練を維持するために、旧勢力が歴史上三界内で按排したこれらの黒い手と、負の作用を働く一部の神は、今直接悪事を働いています。つまり、旧勢力の系統から残された要素がまだ負の作用を働いています。これらの生命は自らが法を正すことに加えた妨害と働いた破壊の作用に対して、償いきることができず、全て法が正される中で淘汰されます。これは間違いのないことです。ですから、皆さんが正念を発して、良くない生命を根絶するとき、それらの生命も含まれています。実はこのような生命も既に残り少なくなりました。黒い手は現在、今までの五パーセントしかありません。法を正す中で負の作用を働いた神も残りが非常に少なくなりましたが、こういう神は旧勢力が按排した機制の中でまだ邪悪の作用を働き続けています。ですから、法を正す中で、形勢がどのように変わっていても、皆さんは油断してはならず、引き続き大法弟子として行うべき事を努めて行うべきです。特に、最後になりましたので、一部の学習者にとって残された時間が本当にもう少ないのです。特に良く行わなかった学習者は時間を無駄にせずしっかり行ってください。

 私が法を正すことの形勢について触れるたびに、「これが大法弟子の修煉形式であり、誰も極端に走ってはいけません」といつも付け加えています。行うべきことであれば、それを行い、やりたいことであれば、いつも通りにそれをすればよいのです。なぜならば、あなたの一念と一挙一動は大きなことに影響しているからです。どんなに大きな出来事が起きても、何もなかったかのようにし、いつもと変わらず大法弟子が行うべきことを行ってください。これは皆さん今日歩む道であり、皆さんが残した威徳なのです。大法弟子が歩む道は、この修煉形式によって決められており、このように修煉しなければなりません。常人の形式の如何なる変化によっても、決して変わってはいけません。

 皆さんの修煉、及び法を実証する中で大法弟子が行ってきたことから見ると、足りないところがまだたくさんあります。皆さんは自分が執着しているものを全部放下すべきです。私が言った執着について、皆さんは以前のように極端に認識しなくなりました。皆さんが歩んでいるこの道、この修煉の形式は執着ではありません。法を実証する中で自分の観念、常人の中で抱いている各種の正しくない考えなどは放下すべきものです。皆さんが常人社会で修煉しているという形式、つまり常人の中で修煉しながら、仕事や生活する方式を放下するようにと私は言っていません。なぜならば、これは皆さんの修煉方式によって決められていることだからです。

 皆さんはこの数年の迫害の中で大法弟子の威徳を表したと同時に、多くの足りないところをも曝け出しました。しかし、法を実証するという過程の中で、絶対多数の大法弟子のこれらの足りないところは修煉の中で、法を実証する中で取り除かれました。これは素晴らしいことです。常人は人間のものをどうしても放下することができないのです。修煉だから、常人とは違うはずです。常人は常人の中のものを求めるためにこの世で生きていますが、大法弟子はこれらのことに執着していません。皆さんに明確な修煉目標があり、自分が何をやっているのかを分かっているのです。特に、皆さんが法を実証する過程の中で、行った多くのことは見た目では常人の中のことと非常に似ています。ですから、私たちは政治をやっている、または何かの社会的な活動をやっていると言っている人がいます。人間は他でもなくこのように思うのです。この期間に数万数億の神がこの世で神の行いをするということは決してありません。大法弟子も決して神の一面を駆使して常人社会の数多くの世の人々の前で、完全に神のやり方で神の行いをすることもありません。大法弟子は常人の形式を利用して法を実証しており、常人の政治には参加していません。常人の中の有利な形式を利用して法を実証することは間違いではありません。

 大法弟子は今になって、更に冷静になったはずです。大法弟子は常人の政治家ではありません。皆さんは常人の能力を多く備えていますが、常人の中からなにかを得るためではありません。大法弟子の修煉は法を実証する中で圓満成就するためですが、大法弟子として、皆さんも衆生を救い済度しており、多くの生命が今回法を正す中で済度され救われ得るようにしています。

 以前私がいつも言っていたことですが、現代の常人社会にいる人間は皆普通の人間ではありません。歴史上の異なる時期の神はそれぞれの時期の人間を造りました。異なる民族の人間の姿は実は異なる神の姿でもあります。彼らが造ったのは三界内にいる人類の身体構造であり、表面にある人間の皮とも言われています。今日になって、特に私が法を伝えだしたばかりのその時期に多くの神が下りてきて人間に生まれ変わったのです。多くの常人の体にあるのは、神が人間を造ったときの元神ではなくなりました。その時の人間の元神は皆三界内の物質によって作られたのです。現在の多くの人の元神は高次元からやってきました。彼らがなぜ来たのか、以前既に皆さんに教えました。実はこの世界の全ては偶然ではありません。一人の生命、一つの物体、皆この大法のためにやってきており、この大法のために成り立ち、造られたのです。全ての人がこの情況です。三界の歴史過程まで大法のために造られたのです。歴史上いくら多くの神が世に下り、人間を済度したとしても、各民族にどれほどの英雄人物がいたとしても、歴史上にどんな文化が現れたとしても、皆今日のこの大法の人類社会での最後の現れのためなのです。そのため、人類社会で大法を認識することができる文化を築き、異なる文化の特徴と異なる文化方式を造りました。つまり、三界の過程と人類が歴史を持つようになってからの過程は人間の考え、行為と準則を築いているのであって、最終的に人々がこの法を理解し、修煉することができるようになり、修煉を理解し、大法弟子になり、衆生が法を正す中で済度されるようにするためです。歴史上の全ては宇宙のこの最後の一刻のために作られたのです。実は釈迦牟尼、老子、イエスなど多くの大覚者は歴史上、人々を済度し、道を伝え、善を行い、人間のために多くの罪を背負ったのですが、皆さんに教えますが、実は彼らの本当の目的は法を正すことのために文化を築いたのです。

 悠々たる宇宙の歴史は今回法を正すことのために全てを準備しました。三界も法を正すために作られ、生じたのであって、そのために存在し続け、発展してきました。この歴史の過程の中の全ての生命は今回法を正すために存在し、現れたのです。つまり、歴史の長い歳月の中で、いくら多くの生命が現れたとしても、今の世の中にどれくらいの生命がいるとしても、皆この法のためにやってきており、この法のために生じ造られたのです。旧勢力が按排した負の作用を働く生命を含めて、当初旧勢力が負の作用を働くようにそれらを按排した目的も、圓満成就のためです。なぜならば、旧勢力は自分の観念から、正の作用をするものが圓満成就することができるのは負の作用を働く要素があるからだと思っているからです。正常時の普通の修煉なら、この理はある一定の境地において間違っているとはいえません。しかし、巨大な穹体で法を正す中で、これは妨害であり、間違いです。しかも、法を正すことに深刻な破壊をもたらし、その全ての表れは、つまり邪悪が法を正すことと未来を左右しているということなのです。これが旧勢力が法を正すことに最大の罪を犯したということの意味です。

 衆生は皆この法のためにやってきている以上、正しく法に圓容すべきであり、法と未来に何かを押し付けるべきではありません。多くの生命は旧勢力にこの過程で負の作用を働くように按排されましたが、このようにしませんでした。つまり、この生命はまだ救われ済度され得るということです。皆さんが真相を伝える中で、大法弟子が自ら行うべきことを行う中で、皆さんに教えますが、皆さんがやっていることの多くはそういう人を救っているのです。

 皆さんも知っていると思いますが、師父である私は最近常人に対して何かを説くことをしておらず、直接常人を済度することをしていません。ひいては大法弟子が行ったことに師父もめったに参与しません。その目的は皆さんも分かっていると思いますが、つまり、私は威徳を築く機会を皆さんに残しておきたいからです。どんなことも私の導きで行われているのであれば、皆さんがやったことにはならず、皆さんは威徳を樹立する機会を失います。同時に、大法弟子として、将来の偉大な覚者として、皆さんが衆生を救い済度する中で、皆さんの素晴らしさ、慈悲深さと偉大さを充分表すべきです。ですから、世の人々と衆生を救い済度する中で、私は皆さんに充分機会を与え、行うべき事を行うようにしています。実は将来分かるようになりますが、イエスにしても、釈迦牟尼にしても、歴史上のほかの大覚者にしても、彼らが行った事は今日皆さんが行ったことと何の区別もありません。ただ形式が違っているだけです。ですから、皆さんは必ずはっきりと認識し、自ら行うべきことを良く行ってください。

 大法というこれほど大きな法、法を正すというこれほど由々しき一大事、このこと自体は既に皆さんを非常に高く際立たせたのです。しかも、法を正す中で皆さんが行った全てはきっと最も偉大なことです。なぜならば、歴史までこのことのために造られたからです。ですから、皆さんはできるだけ大法弟子が行うべきことを良く行い、どんなことも非常に重要なのです。良く行うようにと私が皆さんに教えた三つのことも皆さんがしっかり行うべきです。圓満成就するまでこれらのことを良く行うべきです。あなたの威徳、あなたの未来の全てはこれらのことから生じるのです。

 足りないところについて、皆さんは更にはっきりと認識すべきです。時に皆さんが何かのことについて話し合うとき、まだ人間としての執着があるという問題が存在しており、心の中で不満に思うことについて言い争ったりして、法を実証するための重要な話し合いに影響していることが私に見えました。それは常人の中で形成した執着であり、放下できない観念だと私に分かっています。常人の中で形成したものが刺激されると、すぐ怒ってしまい、それではいけません。大法のために行ういかなる事にも個人の観念が入ってはいけません。この話は私がいつも言っていますが、それを考えようとせず、重視しない人がいます。

 良く行われていないところがまだたくさんあります。実は今日になって私はもうそれを話したくはありません。なぜならば、私が何かを言うと、皆さん自身が修煉するという部分がなくなるからです。今回の魔難を経て、大法弟子は更に冷静になり、理性的になったので、どのように修めるべきなのか、どのように行うべきなのかが更に分かったはずです。多くのことを冷静に考えれば、それを認識できるようになります。認識したら、それを改め、再び起きないようにしてください。

 今日多く話すつもりはありません。本来個別的に何人かの学習者に話したいことがありますが、何回かの法会も師父に会えなかった学習者がたくさんおり、彼らはちょっとがっかりしているようです。私が思うには、法があるから、皆さんの修煉に問題はありません。中国大陸の学習者も含めて、それほど厳しい環境下において、師父に会えなくても、修煉がとても素晴らしくできており、とても良く行っています。私に会っても、ただ私が常人の中で現れているこの一面に会うだけです。(笑) 私に会えても、会えなくても、大法弟子が行うべきことが影響されないようにしてほしいのです。しかも、更に良く行うべきです。実は、本当に私に会えなくても、更に良く行うことができれば、それこそ素晴らしいことです。

 実は私も皆さんに会いたいのです。ご存知のように、常人という社会環境の中で、接触しているのはいずれも常人なのです。常人の考え、常人が表した全ては私には受け入れられないのです。私は皆さんと一緒にいたいのです。皆さんの境地は常人の境地と比べて既に大きく開いたのです。しかし、皆さんの圓満成就を考えると、やはりあまり会わないほうが良いのです。ですから、あまり皆さんに会いに来ていません。いずれにせよ、私はほかでもなく、威徳を樹立する機会を皆さんに残したいのです。

 行うべき全てを良く行ってください。未来の最も偉大で、最も素晴らしい栄光は皆さんを待っています。

 このくらいにしましょう。(拍手)





法輪大法の書籍