米国西部国際法会での説法

李 洪 志

二〇〇五年二月二十六日


 (長時間の拍手)皆さん、こんにちは。皆さんお疲れ様です。

 冬が去り、春がやってきました。歴史はあたかも春夏秋冬のように、人類の歴史の長い流れの中で移り変わり、絶えず様々なことが起きており、人類のために最後の時期に必要な文化を築き、造り上げていました。また、歴史上に多くの修煉者が現れたことがあり、多くの修煉方式がありました。しかし、これらの修煉方式はそれぞれ異なっており、特にこの二千年前後、正しい信仰の宗教が現れました。これらの宗教が信じているのはみな神ですが、修煉方式に違いがあり、ひいてはお互いに排斥し合っており、認め合っていません。 もちろん、お互いに認め合わない中で、それぞれの目的があります。このようにすることによって、各自の宗教形式の安定と不変を維持することができます。つまり、神に対する正しい信じ方には違いがあり、法がこの世を正すまで、どの修煉方式も宇宙の中の特定な、統一しなければならない決まった方式ではなく、世の人々が神を信じたければ、この道に沿って歩まなければなりません。これは今までの歴史上なかったことです。皆さんも目にしましたが、今日の大法弟子の修煉方式は他の宗教、歴史上の各時期の各種の修煉方式とも異なっています。異なっているだけではなく、その違いは非常に大きいのです。なぜならば、今までの歴史の中の神々はあることに気づいたからです。つまり、修煉者は常人社会から離れず、世俗の中で修行していれば、修煉が成就することができないと感じました。常人の現実の利益や、現実社会の各種の常人の心が修煉者を妨害することによって、修煉者はなかなか向上することができず、人を済度する覚者も意余って力が足りないと感じ、誰もこの道を歩む勇気はありませんでした。特に、広範にわたって人を済度し、数多くの修煉者を相手にする場合、修煉者がいったん常人社会に入ってしまえば、それを管理することができず、済度することができないため、いままでの各種の修煉方式、済度方式が形成されたのです。修煉者が世俗の中で修煉するということを考えたこともなく、実際にこのように行うなどはなおさらでした。

 大法弟子が今日歩んだこの道は歴史上かつてなかったことです。多くの世の人々の頭の中で既にある固定観念が形成されました。つまり、宗教にしても信仰にしても、または自らが修煉している者の立場からにしても、出家せず、世俗から離れなければ、修煉することができないと思っています。大法弟子のこの修煉方式は前例のないものであり、手本はないのです。今まで、大法弟子の修煉の中に手本がないと私はいつも言っていましたが、個人修煉の中で自らの道を歩まなければならないだけではなく、私が皆さんに伝えたこの修煉形式さえ参照できるものはなく、皆さんが自分でこの道を切り開かなければなりません。なぜでしょうか? これまでの修煉の中で皆さんは既に体得し、悟ったと思いますが、私は異なる場でこの法を既に説きました。つまり、大法弟子に賦与した歴史的責任はあまりに大きく、相手にする衆生が多く、弟子に対する要求も高いからです。また、今日の世の衆生の元神も大きな根基を持っているからです。ご存知のように、皆さんは大法弟子であり、法を正す時期の大法弟子です。「法を正す時期の大法弟子」の責任は非常に大きいのであって、この称号の内涵はあまりに洪大なのです。大法弟子がどのようにそれほど大きな威徳を得るのか、このことは皆さんの修煉形式が特殊であると決めたのです。もしこの修煉形式を取らず、または今までのいずれかの修煉方式を取ってしまえば、法を正す時期の大法弟子は修煉の目的を全うすることができず、使命の中の大きな責任を果たすことができず、大法弟子が到達する次元と成就する果位をなおさら得ることができません。

 それならば、ここにある問題が現れてきます。つまり、世俗から抜け出し、常人の中から修煉によって成就するのは極めて難しいのであって、しかも歴史上に如何なる参照もありません。今までの、または現代の宗教に従って修煉すれば、それではいけません。和尚、道士、キリスト教、カトリック教の修道士がどのように修煉し、世の人々がどのように神を信仰しているのかは世の人々に既に分かっています。もちろん、神を信じることと自らを修煉する修道士とは異なっています。なぜならば、神を信じている人に対して、神はせいぜいある程度見守ってあげたり、福報を与えたりするしかなく、特別に良い人が神の世界に昇り、衆生になることがあります。しかし、果位はないのです。ただ信じるだけでは、修煉とは言えません。修煉は果位を成就させなければなりません。言い換えれば、果位があれば、天上の普通の衆生ではなくなり、神の位を持つようになります。しかも、大法弟子に対しては大果位が求められており、責任が大きいから、修煉者はその位置に推され、必ずそれほどの大きな責任を負わなければなりません。ですから、現れてきたことも非常に難しいのです。私はここで旧勢力が無理やりに押し付けてきたことの難しさを言っているのではなく、修煉方式そのものに起因する困難の度合いを言っているのです。実際、皆さんは既にこの修煉方式によってもたらされた苦と耐えてきた魔難、人間から抜け出すことの難しさを感じました。修煉の過程の中で、皆さんは各方面において各種の人心、利益と観念に刺激され、中に情と迷いによって引き起こされた理性的ではない状態が沁みこんでおり、理性がはっきりとしていないとき、常人の心をなかなか断ち切ることができません。現実の中で家庭、社会、仕事、修煉、そして今回の迫害の中で大法弟子にもたらされた圧力と、迫害の中での各方面における困難があります。実はこれは皆さん自身が感じられる部分であり、他に皆さんに感じられない部分もあります。見た目では、皆さんが行ったことはいたって普通であり、常人が苦を嘗めればやり遂げられることのようですが、実は違います。同じことを大法弟子が行うと、常人が行うのと当然違います。背負っていることが違います。

 表面から見れば、条件は同じですが、実は違っているのです。なぜでしょうか? 例を挙げましょう。世界各地にキリスト教を信じる人がおり、イエスの受難日になると、彼らはある活動を行うのです。そのとき自分を釘で十字架に磔にしてしまう人がいます。彼らがこのようにする目的は、「私もこの苦を嘗めた」と神に見せたかったのかもしれません。これはイエスの受難と決して同じではありません。なぜでしょうか? イエスが十字架に磔にされたとき、人間に替わって罪を贖っているのが人間には見えなかったのです。数多くの世の人々の巨大な罪業は全部彼の身に圧し掛かり、非常に多く、非常に大きかったのです。密度も非常に高かったのです。これこそ、彼に巨大な苦痛がもたらされたことの原因です。そのとき、彼は刑を受けなくても、立つことができず、大きな圧力によって呼吸さえ困難になりました。そのような衆生の巨大な罪業による圧力によってもたらされた苦痛、思想中での恐ろしい刺激、体にある全ての細胞に対する殺傷は人間に耐えられるものではありません。これは普通の世の人々が耐えられるものではありません。このような苦痛の中でさらに十字架に磔にされ、それはどういった気持ちなのでしょうか? 同じことですが、これは常人に想像できることではありません。見た目では、常人のことと非常に似ていますが、実は背後の情況は完全に違い、天と地ほどの差があります。

 師父は大法弟子が元々持っている多くの重い業力を減らしましたが、大法弟子が背負っている責任は重大なので、大法弟子が修煉の中で業力によってもたらされたある程度の困難に耐えること以外、その他の苦痛はほとんどが心性を向上させるか否かのことによって現れてくる苦痛なのです。今回の迫害は旧勢力が押し付けてきたもので、法を正すことにとって必要なことではありません。そうであっても、皆さんは乗り越えてくることができました。この道がどんなに難しくても、どんなに辛くても、皆さんはこれらの困難を前にして後ずさりすることなく、ずっと神の道を歩んでいます。もちろん、足元が固まっておらず、あちこちで転んでいる人もいれば、しっかりとした確かな足取りで歩んでいる人もいます。いずれにせよ、大法弟子全体の修煉情勢と大法弟子が法を実証する情勢は非常に落ち着いたしっかりとした足取りで前へ進んでいます。神から見れば、大法弟子の修煉情勢は遮られることができないものです。つまり、この道がいくら難しくても、歴史上このような修煉形式がなくても、大法弟子は道を切り開いて乗り越えてきました。皆さんが法を実証する中で多くのことは常人の形式と雷同しており、似ていますが、背後の要素、大法弟子が事を行うときの出発点、背負っている責任、到達しようとしている目的は常人とは根本において異なっているのです。

 現在旧勢力の要素と旧宇宙の要素が人類社会で造った隔たりと妨害があるため、神は公にここに現れることができず、妨害の作用を働いた魔が打ち落とされ、消滅されたときの光景も衆生に見られてはならず、修煉者と常人の全く違う状態もずっと隔たりによって遮られています。法がこの世を正すことがやってくるまで、邪悪はずっと破壊するのです。法を正すことがこの世で行われていますが、これは決して大法弟子と法を正すこと自体を惑わすためではありません。三界という環境を創造したのは、法を正すために用いるためであり、目的はここを法を正す場にし、神界が妨害されないようにするためです。ですから、この環境を利用し、人間のこの方式を利用して法を実証しているのです。しかし、これは旧勢力が法を正すことを妨害することに賛同し、それらが按排したことに同意するということではありません。人類社会はみな迷いの中におり、人間には宇宙の真相、生命の真実な情況が見えないのです。これは生命のこの次元での状態です。しかし、法を正す中での情況は大法によって司られており、大法が衆生を救い済度することの要求にしたがって変化しているのです。実はこのとき、大法弟子が神の事を行うのはどうしても必要なことであり、なぜならば、大法弟子の個人修煉は既に第一義の問題ではなく、法を正す中で衆生を救い済度し、大穹を新たに組み立てることこそが目的だからです。法を正し、衆生を救い済度することを必ず行わなければならないため、この環境による妨害を必ず破り、法を実証しなければなりません。神のように自分の修煉の中の実質的な変化を見ることができませんが、妨害と執着心を取り除く苦しい関門の中で、大法を絶えず勉強することによって生じた正念に頼って前へと進んでおり、乗り越えてこられるのはなかなか難しいのです。しかし、全体から見れば大法弟子は乗り越えてきました。この期間中にどのようなことが起きたとしても、ひいては本当にあってはいけないことや、皆さんが満足にいかないことが現れたとしても、全体的には非常に良かったのです。全体は常に前へと進んでいます。

 道はまだ最終的に歩み終えておらず、この迫害がまだ終わっていないため、皆さんはこれからも歩み続けなければなりません。残った道に対して、皆さんは自信を持っていると思います。このとき、それらの大法弟子を迫害し、法を正すことを妨害した多くの邪悪は「当初なぜ法輪功を迫害したのでしょうか? 法輪功を迫害しなければ、こういう始末もなかったのに」と後悔して仕方がないのです。つまり、大法弟子の前途と未来はますます明るくなり、このことは皆さん自身も分かっています。全宇宙の法を正す形勢は非常に速く変化しており、なぜならば、法を正すことは全ての時間を越えて前へと推し進めているからです。ますますこのいわゆる現実の空間に接近しており、人間の目で見える範囲にますます近づいています。ミクロから表面にますます近くなり、残った範囲も非常に小さくなりました。もちろん、人類空間の表面において残った範囲が小さくなりましたが、ご存知のように、最後の要素はつまりさらに次元が高いものであって、間隔を作った要素の体積がもっと大きいため、現在次元の低い霊や卑しい鬼が減った後に、邪悪の不足は間隔を作った要素によって補われました。前進の速度は速くなったとはいえ、抵抗力がまだ存在しています。いずれにせよ、現在正と邪が天秤の両側に立っているのと同じように、邪悪は既に完全にバランスが崩れており、大法弟子側の比重はもうすぐ天秤を最低まで押えました。つまり、法を正すことと大法弟子の修煉が必ず成功することはもう本当の事実となります。事はまだ最終的にやり終えていません。個人修煉にとって、一歩一歩は全ての大法弟子が圓満成就できるかどうかの要になるかもしれません。最後にどういう程度になっても、妨害がいくら大きくても、または法を正す中で全部分かるようになっても、正々堂々と修煉しなければなりません。如何なる良い出来事にも悪い出来事にも妨害されず、情勢の転機または現れる如何なる情勢にも妨害されないでください。

 実は今日になって、皆さんは既に非常に冷静になり、多くのことに皆さんは正念をもって対処し、冷静に考えることができるようになり、正念の作用によって大法弟子が法を実証する全体の情勢を大いに安定させることができました。なぜならば、皆さんは成熟したから、多くのことについて分かるようになったため、如何なる妨害も波風を立てることができなくなり、邪悪の要素が付け入る隙もなくなりました。大法弟子の中でいったん何かの人心が現れたら、それは邪悪に付け入られる隙になります。邪悪はそれを利用して、やろうとする悪事を働くのです。大法弟子の人心が少なくなり、正念が強くなり、みな冷静で、安定していれば、邪悪はそれを利用する機会もなくなり、それによって大法弟子が法を実証する情勢を更に安定させることができます。特に近頃、大法弟子の内部に何かの揺れが現れることは少なくなりました。私は中国大陸以外のところについて言っているだけではなく、中国大陸の中にいる大法弟子も同じであり、ますます安定するようになりました。

 もちろん、修煉なので、いくらかの人心による執着が現れてくることがあります。人間が修煉しているのであって、神が修煉しているのではないからです。人間が修煉している以上、修煉の中で現れてくる人心があり、そのため、精進していない現象を目にしてしまうことがあります。特に一部の学習者は衝動的になりやすく、また正念の足りない学習者もおり、旧勢力に利用され、良くないことをしました。これらの教訓を通じて、これから法を実証する中で皆さんは気をつけるようになり、これ以上邪悪の要素に利用されないようにしています。特に、それらの法を勉強せず、正念が強くなく、常人の考えが多く、いつも良くないことをしている学習者ですが、このような学習者に教えますが、あなたたちの前にある機会はますます少なくなりました。大法に対して申し訳ないことをたくさんしましたが、心から大法を離れようとは思っていないということが私には分かっていますが、この全てが終わり、大法弟子がみな圓満成就したとき、あなたはどうしますか? その前に人類の大淘汰があります。この淘汰を前にし、あなたはどうしますか? 師父には何でも分かっていますが、私は何も言いません。あなたたちは正しいことと間違っていることの中で思うままに自分を表してください。あなたは正々堂々と大法弟子になるかもしれず、人間の一面に執着するかもしれません。常人の中で人間が求めている如何なる目的のために生きていてもよいのですが、恐れる心のために暗く生き長らえてもよいのです。しかし、大法に近づいた以上、救われ済度される機会を持ってほしいのです。ですから、私は常に機会を与えており、機会を与えています。私はずっとあなたに機会を与えていますが、あなたが大法弟子になれるかどうか、この機会を掴み、理性的になり、自分のために生きることができるかどうか、今日になってこれ以上先送りする機会はもうありません。今からその全てを補い、追いついてきても、機会はもう非常に少なくなりました。もうしばらく経つと、この僅かの機会もなくなると思います。

 現在大法弟子が迫害に反対する中で行ったこの全ては世の人々を驚愕させました。狂気じみた弾圧の中の大法弟子の強靭な現れ、大いなる善と忍及び理性的な行動を人々はみな目にしました。「法輪功の学習者は本当に素晴らしい。本当に頑として屈せず、それほど大きな邪悪を抑えることができました」と多くの人はこのように言っています。最も邪悪な悪党は政府全体を制御して、馬力を全開させ、弾圧しており、全ての国家宣伝機器は天地を覆い隠すかのように虚言を作り上げ、民衆を騙し、全ての国民を迫害に参加させました。この最も邪な弾圧の中で、残酷な赤色恐怖の中で、大法弟子はそれに立ち向かって乗り越えてくることができ、本当に世の人々を刮目させました。実は世の人々は現実の面しか見ることができません。大法弟子の内在と大法の内涵、大法弟子の修煉者としての状態を常人には理解することができません。しかし、この現実の現れだけでも、それらの邪悪に仲間入りした人、理性がはっきりとしてない人を目覚めさせることができます。大法弟子はなぜここまで素晴らしくやり遂げることができるのかでしょうか? なぜこの迫害の中で正念がこれほど確固としているのでしょうか? なぜ大法弟子に対する迫害の中で邪悪を自らの手によって崩壊させることができるのでしょうか? これは大法によって造り上げられた正法正覚の生命であり、深厚な根基を備え、使命を持って神の道を歩んでいる大法の徒だからです。実は大法の法を正す洪大な勢いがやってくる前に、すでに世間の情勢を変化させました。しかも、大法弟子の正しい念と正しい行いが表した全てはすでに、この現実の空間で大法の場を配置したのです。この場はすでに巨大な良い作用を果たしています。皆さんがまだ修煉の過程にいますが、もし方式を変えれば、この場はすでに主導的な作用を働くようになります。皆さんの修煉の道のりにまだ歩み終えていない部分がありますが、もしそうでなければ、この大法の正の場はすでに世の中の如何なる邪悪な要素とこれまでの全ての正しくない要素を全部解体させ、取り除き、それらの要素に座を譲らせることができたのです。皆さんも目にしましたが、邪悪が法輪功を迫害した当初、なんと邪悪ではびこっていたことでしょう。なぜ今の表れはその時とこれほど大きく違っているのでしょうか? これはそれらの邪悪と悪人を支えていた各種の要素とそれらがこれまで形成した場が消滅されたからです。大法の巨大な正の要素はすでにそれらの邪悪を抑制し、消滅しており、悪人は驚きあわてて気が動転しているのです。

 つまり、このような巨大な変化の中でまだ目覚めていない人がおり、このような人はそろそろ目覚めなければなりません。自分が何をやっているのかを分かるべきです。私李洪志が説いたのは千年、百年、億万年来、誰が人を済度しても、どれほど多くの覚者が世に下ったとしても、どれほど多くの真理を悟った仙人がいても、説いたことのない道理なのです。(拍手) これは常人にできることではありません。大法弟子の修煉と修煉の過程の中で体現したもの、表したもの及び自ら実証し悟ったものは常人には認識できるものではなく、以前の修煉の状態と比べられるものでもありません。特にこれほど広範にわたって人を済度することと、この緩やかな修煉方式、特に緩やかな管理状態の下で現れてきた修煉している人の状態は、かつてないことです。言い換えれば、どの方面から見ても、あなたは冷静になり、本当に身をもって考え、大法が広く伝わっているという今日の情勢についてはっきりと認識すべきです。  1999年7月20日から今日まで、情勢は絶えず変化しています。皆さんはすでに目にしましたが、宇宙での大法の法を正す情勢の変化はますます速くなり、日を追って人間のこの現実に現れてきたのです。しかし、一部の学習者はいつも口では「私たちは法を正す進展についていくべきです。師父の言うように行わなければなりません」と言っています。もちろん、私が言ったこの話に中国大陸の学習者も含まれています。実は本当に何かをする必要があるとき、私はこれが新しい情勢だと明言しないかもしれません。ご存知のように、法を実証する中で確かに情勢の変化があり、これは必然的なことです。師父が法を正しているときと、法を正す前とは情勢が違っており、如何なることも、行われたときと行われる前、そして行っている過程の中で、徐々に変化するのです。広範に及ぶ出来事なら、情勢の変化を引き起こすのです。

 つまり、皆さんはみな法を正す進展についていくと言っていますが、『共産党についての九つの論評』(訳者注:以下『九評』と略す)が発表されてから、多くの学習者はやはり理解することができませんでした。その後、私は「世間に向けて輪を回す」など二つの短文を書きました。そして皆さんは「そうですか、師父がこのように行ったから、私たちもこのようにすべきだ」とすぐに分かったようです。実は大法弟子は人心から考えず、冷静に考えればすぐ分かるはずです。皆さんは中共を信じ、「大法弟子を弾圧した中共が良いものである」という認識を持ちながら、圓満成就することができるのでしょうか? 絶対あり得ないのです。特に『九評』は大法弟子がみな読みました。中共がこういうものである以上、どれほどの世の人々が惑わされ、神を信じなくなったのでしょうか? またどれほどの人が中共に追随して大法弟子を迫害し、大法に対して罪を犯したのでしょうか? この部分の人を済度しなくても良いのでしょうか? 中共を認めてよいのでしょうか? ですから、一部の学習者はやはり人心のため、自らを阻んでおり、正念が足りないためにこれが政治に参与していると思っていると私に分かったので、二つの短文を書いたのです。しかし、それでも中国大陸の一部の学習者は人心が作用しているため、理解することができません。実はこれは恐れる心と利益に対する執着によってもたらされた、それを放下できない心ではないのでしょうか? 救い済度の中ですでに、便宜の門を最大限に開いたのです。別名で声明を出すことができると言ったのではありませんか? どういう名前を使うのかは重要ではなく、神が見ているのは人間の心なのです。人間がどういう念を起こし、何をしたのかは神に見えるのです。客観的な理由があるならば、どういう名前を使っても構いません。もともとこの世にある人間の名前は天上では使われていないのです。この世の人間が付けた名前は神も使うのでしょうか? そういうことはありえません。しかも同姓同名の人もたくさんいます。この世の人は番号を付けられており、神は番号を呼んでいるのです。(みな笑って)

 これらのことを言ったのは、一部の学習者が情勢について来られないとか、考えが鈍いとかを言っているのではありません。これは、一部の人の意識が邪党の要素に妨害されているからであり、邪党の要素が作用しており、邪党が作った党文化の中で邪党をはっきりと認識する理念が混同されてしまったということです。この変異した文化は小学校、中学校、成人してから、ひいては物心がついた頃から、その後の成長の過程の中で目的をもって注ぎ込まれたことによって形成されたものです。つまり、現在の中国大陸の全ての人はみな邪党文化で思考しています。もちろん、法を正す中で、悪党が法輪功を迫害しなければ、たいしたことはありません。なぜならば、はっきりと認識できない多くの文化と理念は法が正される中で、おのずと正に帰するのです。この面において修煉者が何かをする必要もなく、その党の邪霊も正されることによって救われます。しかし、いったん悪党が法輪功を迫害すると、それは大法弟子が法を実証することと大法が法を正す中で最も邪悪な霊になります。それならば、大法弟子はこれをはっきりと認識しなければならず、この悪党に代表されている世の人々も、この悪魔についていくのか、それとも明るい未来と不滅を選ぶのかの態度を表明しなければなりません。このことについて必ずはっきりと認識しなければなりません。神は他でもなく、人類からこの邪霊を一掃するのです。しかも、この数年来この邪霊は確かに極めて邪悪に大法弟子を迫害し、法を正すことを妨害しています。 それでは、なぜ世の人々は態度を表明しなければならないのでしょうか? 人間はみな邪霊に従っていくという発言をしたからです。人々は共産党、青年団、少先隊に加入したとき、拳を上げて共産邪悪主義のために一生奮闘し、悪党のために命をささげると誓いました。悪党と邪霊はこのことを掴んで放さず、人間を死にいたるまで迫害しようとしています。当初この人が誓約し、命を悪党のために捧げると誓ったからと邪霊は言っており、このことを利用して人間を迫害しています。しかも、悪党の要素が悪党をはっきりと認識できない人の考えと体の中にもあるため、邪霊をはっきりと認識しなければなりません。はっきりと認識してから、それを根絶しなければなりません。

 もちろん、以前は邪党の問題を明確に取り上げなかったのです。それは衆生に絶えず機会を与えていたからです。もちろん、この邪霊悪党も含まれています。もう一つの原因は、当時多くの外来の邪悪要素が大法に対する妨害と大法弟子への迫害に参与していたため、三界に詰め込んできた数多くの巨大な様々な邪悪生命に対して、最も良い方法は力を集中して根絶することでした。根絶し終えたら、これらの悪魔を唆したものを引っ張り出さなければなりません。誰がこの世で法輪功への迫害を発動し、しかも常に主導的な作用をしているのでしょうか? ほかでもなくこの邪悪の党と人間の中の悪人とならず者なのです。悪人の首魁は党の首領であり、嫉妬心に駆られ、先頭に立ってこの世で大法弟子に対して悪事を働いています。この低い次元の霊が人間に転生して生まれたものはそれ自身、何者でもなく、その嫉妬心はちょうど悪党邪霊に利用されました。悪人が邪霊とぐるになって悪事を働いています。悪人が率先しており、悪党邪霊が人体に憑依して大法弟子を迫害している本当の犯人なのです。三界の外から下りてきた全ての邪悪の要素はまた、悪党邪霊を利用して一緒に大法弟子を迫害しています。迫害の中で全ての邪悪が中に混ざりました。私が言ったこれらのことは皆さんがすでに認識し、『九評』が発表されてからしばらく経ったので、多くの学習者はすでにはっきりと認識しました。

 法を正す中で、情勢の絶えまない変化が必ずあります。「師父、これから私たちはどういう情勢に入るのでしょうか」と私に聞く人がいます。私が言うには、「今やるべきことをすればよい」ということです。宇宙で法を正すことは、変化すると言えば、直ちに変化するということではありません。(みな笑って) 法を正す中で何かの変化が必要になったとき、必ずある情勢が現れてきます。しかし、新しい情勢が現れてきたとき、いくらかの人心の執着を刺激することにもなります。なぜならば、人間が修煉しているので、取り除かれていない執着が必ず現れてきます。ですから、正しくない気持ちが内心に現れてくる学習者がおり、ひいては常人の認識と混同してしまいました。『九評』が発表されてから、一時理解できない学習者は「私たちが政治に参与したのではないか」等などを言っています。実は如何なることも迫害を加えている悪人に「政治に参与している」と言われてしまうのです。如何なることも歪曲されてしまいます。なぜならば、それらのものはほかでもなく大法を迫害し、卑劣なことを行おうとしているからです。ですから、私たちが何を言っても、それらに逆に利用され誹謗されてしまいます。いくら良いことをしても、悪事をしていると言われてしまいます。迫害を暴露すれば、政治に参与していると言い、人心を挑発し、迫害のための理由を作っています。悪人の言うことに動かされないでください。常人は修煉者を動かすことができず、修煉者は常人に動かされないのです。皆さんがこの全てを経験し、確かにさらに理性的になりました。大法を妨害し、大法弟子が法を実証し、衆生を救い済度する情勢を破壊する如何なる要素も、これからもう大法弟子を動揺することができないと思います。特に最近、大法弟子が行っている多くのことに私はほとんど参加しておらず、何も言いませんでした。なぜならば、何かを行うとき、皆さんはすでにどのように行うべきかが分かっているからです。法を正す進展にしたがって、皆さんは行えばよいのです。

 全ての人に自分が大法を実証する道があります。各種のマスコミを作った学習者がおり、一部の学習者はこのような法を実証する形式や、あのような真相を伝え、迫害に反対する形式を作りましたが、それならば、行ってください。最近皆さんが非常に良く行っており、しかもますます良くなっていると私に分かっています。師父は本当に喜んでいます。時にネットを覗いたり、新聞を読んだり、テレビを見たりして、皆さんが行ったこれらのことを聞いたり見たりして、非常に感慨深いのです。今までこういう心情はめったにありませんでしたが、現在の情勢が速く変化し、大法弟子がみな成長し、表した正の一面は本当に素晴らしいのです。特にマンハッタンで真相を伝えている学習者は厳しい寒さの中で、苦しい環境で、各種の条件と資金が不足している情況で、各種の困難を克服して真相を伝え、衆生を救い、法を実証することを行い、表した確固たる意志は天地を震撼させました。神々はみなそれを目にしました。素晴らしい、本当に素晴らしいのです。もちろん、他の環境においても同じです。領事館や各種の環境の中でずっと真相を伝え、大法を実証しており、大法弟子はどこにおいても光輝いており、法を実証する作用を働いています。

 多くを話しません。残った時間に聞きたいことがあれば、いつもの方法で(拍手)、質問を書いて出してください。皆さんにお答えします。現在の状況に基づいて現段階の問題を解決します。質問があれば、書いて出してください。



弟子:「転輪聖王」についてご教示願います。(皆笑って、拍手)

師:以前釈教の佛経を読んだことのある学習者なら知っていると思いますが、釈迦牟尼佛は当時説法のとき、「法輪聖王」について言及したことがあり、「転輪聖王」とも呼ばれていました。「転輪聖王」の呼び方はこの世でよく使われていますが、「法輪聖王」は天上での呼び方です。

 当時、釈迦牟尼佛は「法輪聖王」は宇宙の中で最も強い神通力と能力を備えている如来だと言っていました。如来佛はつまり法王です。佛の世界の王は如来佛です。私たちは修煉と悟りという理念から如来佛という言い方を使っており、如来佛はつまり如意の真理を踏まえてやってきた佛という意味です。ですから、世の人々は全ての法王を如来と呼んだのです。この概念で理解しても正しいのです。なぜならば、如来佛はその次元で真理を知り、その範囲内の衆生の中で最も次元が高く、その次元の最も高い真理を知っているため、法王になるのです。つまり、その次元またはその部分の衆生の王なのです。法王はたくさんおり、もちろん、人間にとって無数の如来がおり、法輪聖王はその中の一人です。釈迦牟尼佛はなぜ法輪聖王を取り立てて言ったのでしょうか? 法輪聖王が将来世に下り、法を伝え人を済度するからです。もちろん、釈迦牟尼佛は弥勒が世に下り人を済度するとも言ったのを皆さんも聞いたことがあります。実は、「弥勒」は名前であり、「転輪聖王」は王の呼び名で、人間の言い方で言えばつまり肩書きです。(師が笑って)(拍手)

 以前皆さんに話したことがありますが、三界に近い各次元の神はある時期になると、入れ替えられます。するとある問題が生じます。つまり、下界の衆生の神に対する認識が永遠に変わらないものであるため、この神が去っていき、どこに行ったのかも人間が知らず、誰も知らないのであれば、それではいけません。このようにいつも入れ替えていれば、三界の衆生にとって、混乱をもたらすことになります。下界の衆生に情があるので、戸惑いを感じるのです。「私が信じている神はどこに行ったのでしょうか? あ、どこかへ行ってしまいました。じゃ、彼がいなくなったら、誰が面倒を見てくれるのでしょうか」と衆生がこのように思い、こういう問題が現れます。ですから、今までの神が済度しようとする人を次の神が受け継いだとき、次の神は引き続き彼らの面倒を見るのです。新しい神は以前の神の位置を受け継いだため、前の神の称号、ひいては姿かたちまで受け継ぎました。姿かたちは完全に一致していませんが、ほぼ同じで、とても類似しており、似ているはずです。根本から言えば、受け継いだのは神佛の称号なのです。人間は観音菩薩のことを知っていますが、観音菩薩はどれほどいたのでしょうか? 集まって座っていれば、かなりの時間を掛けないと数えきれません。釈迦牟尼佛はどれほどいるのでしょうか? それも相当の数になります。二千五百年だけで数千の釈迦牟尼佛がありました。阿弥陀佛や、イエス、聖母マリア、元始天尊はどれほどいたのでしょうか? それも見渡す限りの人の波です。ここで言っているのは法身と分身のことではありません。彼らが三界と非常に近いところにおり、三界にあまりに近ければ、三界内の情、三界内の衆生の各種の現われと世の人々の観念から現れてきた各種の要素は彼らの目に留まり、直接彼らのところに反映され、つまり彼らに影響してしまうということです。彼らは三界の外の神であり、三界内の衆生とは違います。しかし、長くこのようにいると、やはり彼らに影響してしまうのです。

 ご存知のように、以前私は皆さんにある道理を話したことがあります。つまり、人間が何を見たとしても、頭の中に見たものを注ぎ込むことになります。良いものがたくさん入れられると良い人になりますが、良くないものがたくさん入れられると、悪い人になります。大法弟子は常に大法の本を読んでいるので、正法の生命になり、神に成就したら、法王になります。神は高いところから三界内の衆生の行動を見ており、彼らは神ですが、時間が長くなると、影響されてしまいます。三界内の生命は彼らと大きく違いますが、彼らを影響してしまうことがあります。ですから、三界の外にいる神はある時期になると、帰ってしまい、去ってしまい、離れていかなければなりません。離れたとはいえ、下界で済度される人はまだ、イエス、釈迦牟尼、観音菩薩などを信じており、しかし神が去ってしまうと、どうしたら良いのでしょうか? 誰が彼を見守るのでしょうか? 神は去ってしまえば、これまでのことから本当に完全に手を引いてしまいます。ですから、神は去って行く前に、自分の跡継ぎとして、ある人を済度し、その人に同様の法力と、同じ姿かたちを作り、つまり神体です。姿かたちが同じであり、前の神が作って与えた姿かたちなので、前の神の姿かたちと非常に似ています。また自分自身の要素もあるため、前の神と違いがありますが、非常に似ています。しかも威徳と慈悲、神の法力においてもほぼ同じです。なぜならば、新しく入れ替えられた神はこの次元に達してはじめて、前の神を受け継ぐことができるからです。あなたが自分の名前を持っており、神と違う名前の人が天上に上り、名前を聞かれて、自分の名前を名乗り、神の名前と違う名前で答えたら、それではいけません。あなたは観音菩薩やイエス、釈迦牟尼、元始天尊でなければならず、この世の名前は使わなくなります。つまり、ある時期になると、神が変わりますが、神の位、神の名号と威徳を変えられてはいけないということです。

 弥勒佛に関しては、皆さんご存知のように、この世に弥勒佛に成就した人はたくさんいました。以前、弥勒佛に成就した人の中に布袋和尚という人がいました。在世中、彼はいつも布袋を所持しており、托鉢するときにもらった食料を中に入れ、肩に背負っていました。布袋和尚は当時いつも杭州あたりにいました。南の夏は暑いので、彼はいつも上着のボタンを外し、お腹を出しており、また彼が太っていたため、その後弥勒佛は中国の漢民族地域でこういう姿かたちとなりました。円寂のとき、彼は「弥勒弥勒真の弥勒」という詩を書いて、自分が弥勒だと言いました。当時の世の人々、出家した人はこれがどういうことなのかを理解することができず、「なるほど、布袋和尚は弥勒の生まれ変わりなのだ」と彼が弥勒の生まれ変わりだと思いました。実は弥勒の生まれ変わりではなく、彼は修煉して弥勒に成就したのです。これはなぜ、チベット佛教では、選定された神を目標にして修煉するようにとラマに要求しているのかの理由です。本当の目的が何であるかは彼らに良く分かっていませんが、実はこれが目的です。いったん修煉して成就したら、その神の継承者になります。しかし、みな副元神が修煉しており、副元神が受け継いでいます。

 歴史上、多くの人が弥勒佛に成就し、天に上りました。実は彼らは天国世界で選ばれ、遣わされ、世に下り修煉にきたのです。弥勒は佛乗であり、佛の法号の一つです。釈迦牟尼佛時代に、彼の弟子の中にもうすぐ弥勒佛に成就する人がいたため、釈迦牟尼佛は弥勒佛が将来末法時期に世に下ることを言いました。実は釈迦牟尼はあの弥勒のことを言っているのではなく、佛号と将来ある弥勒佛が世に下ることを言ったのです。つまり、佛の称号なので、誰がそれを受け継いだのかを世の人々に知らせる必要もなく、もともとの名前も重要なことではなくなりました。しかし、歴史の今日になって、衆生が法輪聖王と弥勒佛が世に下る話を知っているので、両者が一体どういう関係なのかはとても重要なことになりました。今回世に下ってくる弥勒が一体誰なのか、衆生が注目することになりました。昔、人間にとって佛号を受け継ぐなどのことは知ってはいけないことであり、その神が誰なのかはなおさら人間に知られてはいけませんでした。しかし、神仙界で、大法弟子の中で言うならば、問題はありません。

 つまり、釈迦牟尼佛が言ったこの弥勒は、実は末世の時期、人類の最期の時に世に下り、人を救う弥勒佛のことです。実はこの世にこのことを知っている人がいます。本当にやってくるのは弥勒佛であると東洋社会だけではなく、西洋社会にも知っている人がいます。このとき、この佛号を持つ神は宇宙衆生を唯一救うことのできる者であり、天上の王の中の王である無上の王で、弥勒の佛号で宇宙衆生を救うのです。弥勒佛の称号を名乗っていますが、この世に下る前はこの神は誰なのでしょうか? この神は更に高いところから下り、異なる多くの次元で転生したことがあり、各次元を通って下ってきたときに各次元で多くの神になったことがあり、そのとき異なる次元での法号を名づけられ、法界にまで下ったとき、法輪聖王になり、転輪聖王とも言います。(拍手)

 通常、高い次元から直接下ってきてある神を換えることはめったにありません。同じ次元の神は直接天上で交替することもあまりありません。しかし、修煉して同じ次元になって神に成就するのは正常なことです。全ての神が下の次元から修煉によって上がってこなければならないというわけではありません。つまり、上界で生じた神は非常に多いのですが、三界ができて以来、下の次元に遣わされ、そこから修煉によって上がってきた神も少なくはありません。ですから、その後佛と神の称号を継承するやり方はよくあることになりました。法輪聖王は今期世に下り人を済度する弥勒であり、弥勒は既に佛の称号の一つになりました。釈迦牟尼は当時彼の弟子の中の弥勒が菩薩の果位にいると言ったため、人々の考えの中で、特に宗教の中で、弥勒は世に下る前は菩薩の果位におり、いったん世に下り、人の済度を行うことにより圓満成就になるとき、如来の果位を得ることになり、つまり佛果を証するという認識が形成されました。これは釈迦牟尼佛が一般的な理を説いているだけであり、弥勒の全てのことまたはある弥勒の具体的なことを言っているのではありません。実は法輪聖王に関して、釈迦牟尼佛は当時非常に細かく、しかも多くのことを説きました。ご存知のように佛経は釈迦牟尼佛がこの世から去って五百年後に纏められたもので、後人にとって、伝わってきた話から当時佛が言ったことが徐々に失われてしまったのです。佛経に書かれたときに、その多くは既に釈迦牟尼佛の元の話ではなくなりました。しかも、釈迦牟尼佛が説法したときの環境、時間と場所、指し示すことの正確性を完全に反映することができなかったため、法輪聖王が世に下ることを全部記載することができませんでした。

 私はここで釈教の佛経が良くないと言っているのではなく、以前この佛経で修煉することができ、見守っている佛がいました。しかし、この世が極悪非道の悪世になったため、上界は世の人々に残す法が完璧な真の経であってはいけないと規定しました。ですから、釈迦牟尼が説いた多くのことは当時書き残されてはいけませんでした。人間の言葉で言うと、これは天意ですが、神の言葉で言うと、これは法を正すことの需要だからです。なぜイエスが説いたことも後人が後で思い出して整理したものなのでしょうか? なぜ老子は一生道を説きましたが、五千言しか残さなかったのでしょうか? 他でもなく悪世に全ての真の経を残してはならず、更に次元の高い神は人間に全ての真の経を残すことを認めていないからです。実は人間に真の経を残さなかったのは、一つは人類社会が神の社会ではなく、三界は正法の理に相反する理を持つ世界であり、真経を三界に残すことは神に対する侮辱だからです。法界と法界以上の各界だけは真の法と真の経を有する神佛の世界なのです。もう一つは、神は如何なる事を行っても、ただ単に一つの目的のために行うのではなく、中に多くの要素が含まれているからです。三界と人類が造られ、存在する根本の目的は最後の時期に法を正すためであると彼らに分かっており、彼らは自分の説いた法が残され、将来最後の法を正すときに伝えられる宇宙の根本大法の妨害となってほしくないのです。これが根本的な理由です。しかし、後人は彼らの話を思い出したり、経書にまとめたりするなどのことをしても、これは人間が善に向かい、人間が神を追い求めるのであって、別のことになります。(拍手)

弟子:『転法輪』の中でお酒を飲んではいけないということの中に、アルコール分のある全ての飲み物と食物が含まれているのでしょうか? 例えば、ご飯を食べるとき、飲み物としてビールを飲んだり、(皆笑って)朝御飯のとき、おかゆや甘酒を飲んだり、または普段たまにウィスキー・ボンボンを食べたりするのは、断酒に対する要求に違反することになるのでしょうか?

師:もし本当に何のために修煉しているのかを認識することができれば、これらのことが全部分かるようになります。しかし、現代社会は既に全てをかき乱してしまいました。お酒を飲まなくても、食物の中にアルコールの成分が入っています。お酒は飲まなかったのですが、胃にお酒の成分が入ってきます。この社会が既にこのようになったため、このことのために皆さんが食事を止めるわけにはいきません。しかも、欧米社会の生活習慣にこの問題があり、特にフランス人は食事のとき、お酒を食事の一部と見ています。周りの人は皆このようにしていますが、あなただけがこれに従わなければ、家族の人はあなたを怪しいと思ってしまいます。ですから、当時法を伝えたとき、もしこういう情況であれば、新しい学習者は小さい杯で一杯飲んでもかまわないと言いました。修煉は他でもなく、人間の心を見ています。しかし、修煉者として、精進していれば非常に厳粛に修煉に対処するのです。もし本当に自分に対して厳しく要求することができれば、皆さんはこの面においてより良く行うことができます。このことがたいしたことではないと思えば、自分を緩めてしまいます。こういう差異があるはずです。

 ここまで話したので、私自身のことについてお話したいと思います。ご存知にように師父は数年前いつも同じところに滞在していなかったのです。なぜならば、迫害の中で、他の空間の数多くの邪悪はあちこちで私を探していたからです。そのときの邪悪の要素があまりに多く、三界では全ての空間に充満していました。それらの邪悪は悪人を指図して私の所在をつきとめ、私が精力を集中させ、法を正すこととこれらの邪悪を根絶することができないようにしていたため、私は絶えず移動していました。その時ほとんど、車の中におり、毎日移動していました。私の「車で十万里の旅」という詩は実はその時の情況を書いたのです。絶えず移動し、更に神と強大な功の防護によって、邪悪にとって全てが隠されており、私の所在を調べることができず、ほとんど全ての人が私の所在を知らなかったのです。その目的は迅速に邪悪の要素を根絶し、法を正す過程を速め、そして処理しなければならない法を正す中の各方面のことが妨害されないようにするためです。同時に学習者がどのように行うのかも見てみたかったのです。これで食事の問題があります。移動中にどこでも中華料理屋があるわけではなく、多くのときアメリカ料理、日本料理、韓国料理、ヨーロッパの料理を食べていました。私は何でも食べられますが、多くのレストランの場合、食事だけを注文して飲み物を頼まなければ、特に席を待っている人が多いとき、店側は不機嫌になります。(笑)多くのレストランは飲み物から利益を儲けているからです。私はある方法を考えました。今ノンアルコールビールがあるので、私はそれを頼んで対応しました。このように話しましたが、皆さんも私の真似をするようにと言っているのではありません。

 ここまで話して、あることを思い出しました。この数年来私は皆さんにある法をずっと説きませんでした。迫害が非常に厳しかったとき、特に2000年、中国大陸の学習者は邪悪がでっち上げた師父に関する虚言と宣伝を暴露したとき、ある学習者が言ったことは私に深い印象を与え、しかもそれは正さなければならない認識です。魔の首魁と中共は学習者に向かって、先生が多くのお金を持っており、北京と長春に豪邸があり、贅沢三昧な生活をしているとデマを言いました。当初中国で法を伝えたとき、私は非常に質素な生活を送っていました。中国大陸のある学習者は、「師父は最も素晴らしい人で、そんなことは決してありません。もし師父が本当にこういう生活をしていれば、私は承知しません」と答えました。これを聞いて、私は非常に辛かったのです。以前世に下り人を済度する神がその時経験した苦を今までより分かるようになりました。修煉は自分を修めることであり、なぜ他の人を見るのでしょうか?

 私は皆さんに修煉を教えていますが、私も皆さんと同じように修煉しているということではありません。もしそうであれば、私たちが良くなければ、皆さんも修煉を止める、このようになるのでしょうか? 私が皆さんに伝えた法の中で、師父が修煉者と同じように苦の中で修煉しなければならないとは言っていません。私は衆生のために苦を肩代わりしたため、邪悪に攻撃されました。特に大法の修煉は世俗から離れずに修煉しており、社会の各階層に弟子がいるため、全ての弟子と同じであり得るのでしょうか? なぜ業力の最も多い学習者、または最も困難な情況にいる学習者と同じ生活をしなければならないのでしょうか? もし師父が行ったことがあなたと同じでなければ、それではだめで、修煉を止めるのでしょうか? 皆さんを済度する師父は必ず弟子と同じでなければならず、これは中共の党の文化による害ではありませんか? 人間は本当に人を済度する師父が一緒に人間の苦を嘗めてからやっと師父として認めるのでしょうか? 実は私が切り開きたいこと、法を正す中で解決したい問題の中に、今後この世に下り人を済度する神が二度と三界内の衆生に迫害されないようにするということも含まれています。人を済度する神は人を救うために来たのであって、人間と同じになってはいけません。今まで神は表面では、人間と同じように苦しみを嘗めており、ひいては人間よりも苦しかったのです。これは人間が済度しがたいため、神自身は人間のために罪業を肩代わりしたのです。同時に身をもって人間に教え、人間に学ばせ、意図的に人間のためにこのように行い、人間が正しく行うようにするためです。神には罪業がないのに、なぜ苦があるのでしょうか? それは人間の業力に煩わされたからです。

 実は人間を済度する神は済度される人と同じになってはいけないのです。ある人が泥沼に落ち、岸から彼を引っ張ろうとしましたが、彼はそれに応じず、泥沼に飛び込んで私と同じようになってからはじめて、私を救うことができると言いますが、そうなのでしょうか? こういう道理はありません。今回の邪悪な迫害の中で、師父に関するでたらめな宣伝を見たり聞いたりして落ちてしまった、このような心を持つ学習者はどれほどいるのでしょうか? 以前説法の中である道理を話したことがあります。中共の党の文化にある言い方があります。つまり、他の人に正しく行うようにという前に、自分がまず正しく行わなければなりません。そして、悪いことをした人が指摘されると、「あなたがまだ正しく行っていないから、私のことに口を出してはいけない。私に口を出す前に自分がまず正しく行ってください。」と言うのです。これは先ほど述べた認識と同じ屁理屈です。人を済度する師父に正しく行えないという問題は存在しません。これは悪党の変異した文化の中の邪な理です。つまり、神が如何なる方式で人を済度しにきても、人間と同じでなければならないということは決して真理ではありません。しかし、神は言葉と自らの行動のやり方で人間に教える場合もあり、これは神の慈悲であり、決して神がこのようになるべきだということではありません。このことは皆さんがはっきりと分かっていなければなりません。(拍手)釈迦牟尼佛にしても、イエスにしても、この世で人間のために多くの苦を嘗めましたが、実は彼らはこのようにしなくても全く問題はありません。人間のために肩代わりした業力があまりに大きく、同時にこの面において宇宙の以前の法がこのことを圓容することができないから引き起こされたことです。このため、彼らはこの世で乞食をし、人間に害され、一生の間ずっと困難に満ちていたのです。このことについて皆さんは必ずはっきりと認識しなければなりません。

 先ほど言ったことに続いてお話します。食事にアルコール分があり、ウィスキー・ボンボンに酒が入っていますが、これはたいしたことではありません。しかし、自分に厳しく要求していれば、より良く行うことができます。新しい学習者または法を多く勉強していない学習者もこれらのことのために、その学習者が正しく行っていないと思わないのです。自分で判断してください。法はこのように説かれており、師父も最大限に常人に符合して修煉するようにと皆さんに教えましたが、更に精進するようにと自分に要求し、更に厳しく自分に要求している学習者がいつもいます。これが即ち差異です。大法修煉者として、どうしてもお酒を飲みたいのであれば、これは執着なのです。

弟子:宇宙のすべてを法を正す中ですでに最後まで行ってきて、歴史が間もなく新しい段階に入るところなのに、師父に敬意を表する時の姿勢がまだ一致していません。 (皆笑って)

師:どのように師父に接するのでしょうか? 実は法を伝えた当初から既にはっきりと説明しました。人間が私をどのように呼んでも構いません。私の名前、先生、師父、何でも良いのです。師父は気にしません。しかし、あなたが本当に大法弟子であれば、私の名前を呼んではいけません。常人は私の名前を呼んでも大丈夫です。何と呼んでも大丈夫です。大法弟子は師父や先生と呼ぶべきであり、どちらでも良いのであって、思うように呼べばよいのです。しかし、くれぐれも佛と呼ばないでください。なぜならば、いずれにしても師父は人間の体で説法し、人間の体というかたちで皆さんを済度しており、この世で人間の体として現れています。人間の体は佛と呼ばれてはいけません。人間の体を佛と呼んだら、それは佛に対する侮辱です。「心の中であなたが誰なのかを知っている」と密かに思う学習者がいます。それはあなたが心の中で思っていることであって、(皆笑って、拍手)心の中で何と呼んでも問題はありません。(笑)

弟子:四川成都南充の大法弟子は師父に最高の敬意を表し、そしてご挨拶を申し上げたいと思います。師父、辺鄙な山にいる人は情報を得ることができないのですが、どうしたら良いのでしょうか?

師:南充の大法弟子、ありがとうございます。大丈夫です。多くのことが師父の法身に見守られていることを忘れないでください。更に正しい作用を働く神々も手伝っています。また中国大陸にこれほど多くの大法弟子がおり、多くのことは彼らが行うのです。本当に情報を得ることができなければ、それに対処する方法もあります。本当に取り残されたら、それに対処する方法があります。実は取り残されることはないのです。ご存知でしょうか? 『九評』が発表されて、たった一カ月で全中国に知れ渡りました。これは全ての人、特に中国人に与えるためのものなので、必ず全ての人に機会を与えます。(拍手) 辺鄙な田舎に不便なところがありますが、神は『九評』の伝播を手伝っています。広まるにつれ、人間はもうすぐ知るようになります。この最も大事なときに、全ての人は立場を表明しなければならないからです。

弟子:多くの中国大陸の人にとって、特に六千万の中共党員にとって、邪党の邪悪な本質をはっきりと認識し、それと決裂するようになるまで、過程が必要です。いったん悪党に対する清算が始まると、獣の印をつけられた人はどうなるのでしょうか?

師:神が行うことはきっと万全であり、全ての人に与える機会は同じです。将来皆さんが目にしますが、今回法を正す中で、大法が伝わり、これを知らない人がいるということはあり得ないのです。世の人々は迫害から逃避するとき、大法を聞いたことがないと言っていますが、これは本当のことではありません。もちろん、今回大法弟子が法を実証する中で修煉することは違っており、全ての人が大法弟子になれるわけではありません。しかし、これは衆生の存亡に関わる一大事であり、三界の存在まで今回法を正すことのためです。衆生を救い済度するという最後のこの由々しき一大事をこの世の誰かに、ある衆生に伝えなければ、法を正す私は決して許しません。(拍手) 人間は皆知るようになり、漏れる人は一人もいませんが、何を選択するのかは本人のことであり、これは最も大事な問題です。三界の全て、長い歴史、三界内の衆生は皆このことのために造られたので、今日の人間が漏れてしまうことがあり得るのでしょうか? あり得ません。これは問題ないことだと思います。

弟子:師父にお伺いしますが、最近他の空間の物質に強く圧迫されていると感じている学習者がいますが、これは法を正す情勢と関係しているのでしょうか?

師:つい最近、咳をする学習者や、異常な反応があった学習者がおり、『九評』が発表されてからしばらくの間、特にそうです。これは人体にあるそれらの悪党の霊体の要素がやったことであり、皆さんが正念を発するときにそれを根絶すべきです。大法弟子に大して作用しませんが、妨害をしてしまうことがあります。最近の時期に他の面に現れた全ての妨害を含めて、ほとんどこれらの邪悪要素がやったことです。

 99年7月20日のとき三界の内外から圧し掛かってきたそれらの邪悪要素はほとんどなくなるまで根絶されましたが、法を正す洪大な勢いがこの表面空間に到来するまで、ここに旧勢力が以前造った要素がまだ残っており、その上邪党の邪霊などの要素がまだ悪事を働いています。この空間の中に私が初期のとき残した功があり、更に正しい神もおり、大法弟子と大法弟子の正しい要素と一緒に、大法弟子を迫害している邪悪な要素を今までの一億分の一にもならないまで根絶しました。多くの邪悪は既に完全に根絶されました。表面の空間にも今までの八、九パーセントしか残っていません。(拍手) 邪党の邪霊の要素も広範にわたって消滅されており、特にこの頃、非常に迅速に消滅されており、法が正され終えたほかの空間は既に根絶されました。表面空間には今までの総数の一万分の一にもなっておらず、表面空間に七パーセントしか残っていません。大法がこの世で設けた場はこの空間にあるべき場の四十五パーセントを占めています。この比例から見れば、旧勢力が表面空間に残した要素と卑しい鬼、および悪党の邪霊の要素は合わせてこの空間の十五パーセントを占めており、大法がこの空間で設けた場は四十五パーセントであり、ここに大法弟子自身の作用をまだ計算に入れていません。大法弟子を迫害する邪悪な要素を全部入れて、十五パーセントしか占めていません。これは法を正す洪大な勢いが表面にやってくる前に、現在の人類の表面空間場において、大法の要素はこの場の四十五パーセントを占めているということです。この中に大法弟子自身の作用をまだ入れていません。

弟子:どのように修煉と仕事を区別すべきなのでしょうか? 現在多くのプロジェクトにマネージメントの問題があります。

師:もし大法弟子が行った法を実証することであれば、このこと自体は修煉なのです。しかし、大法のことをすれば、法の勉強を代替したと思ってはいけません。それではいけません。私が言ったのではありませんか? 三つのことを全部行わなければならず、しかもしっかり行うべきです。 

 中国大陸以外のところで、一部の学習者は法を実証するためにマスコミまたは他の会社などを設立し、常人の会社のやり方で管理を行っています。これは間違いではありません。皆さんはこれが間違いだと思わないでください。如何なることに対しても、正式に定められた方法で管理することができなければ、法を実証することに不利になるかもしれません。マスコミを作るにしても、会社を作るにしても、これはみな人類社会での形式です。人類社会ではそれなりの管理方法があり、大法弟子はそれを参考にすることができ、間違いとはいえません。しかし、一定の時期を経て、会社がまだ完全に軌道に乗ることができなければ、確かに難しいところがあります。しかし、徐々に本当の会社のように管理し、より有効的に直接または間接的に法を実証する役割を果たしてもらうために、私が思うには皆さんができるだけ協調を取るようにすべきです。大法弟子が法を実証することに有利なことであれば、できるだけしっかり行うべきです。

弟子:『九評』が発表されてから、修煉しない家族は理解できません。ここに弟子の以前の修煉の足りないところが反映されました。どのようにこの妨害を取り除くのでしょうか?

師:家族は今まで理解していましたが、その理解が非常に浅かったのであって、あなたは真相を本当に彼らに認識させなかったのです。

 『九評』が発表された後に、あることが現れました。つまり家族の代わりに脱党声明を出すことです。中にそうしたくない家族がいますが、「脱党しなくてはいけません。私があなたの代わりに脱党を表明します」と言っている人がいます。(皆笑って)実は本人が脱党したくなければ本当にしてはいけません。他人の代わりにしても良いのですが、本人が同意しなければならず、本人が同意しなければそれではいけません。神は人間の選択を見ているのです。ここに、多くの学習者が家族に真相を伝えたとき、しっかりかつ十分に伝えておらず、または相手を十分認識させることができなかったという問題が現れました。このことの最大の原因は何であるのかをご存知でしょうか? 相手を自分の家族と思っているからです。あなたは相手を衆生の一員として見ておらず、全ての独立した生命と同じように見なしていないからです。世の人々に真相を伝えるのと同じように、まじめにきちんと家族に伝えるべきです。相手を自分の家族と見なし、態度がどうなっても構わないと思っていれば、良い効果を収めることができません。ひいては相手が私の家族だから、彼を代表することができると思っています。これではいけません。三界の形成は今日法を正すことのためであり、この由々しき一大事をいい加減に行ってはいけません。どの生命がそんな単純な生命なのでしょうか? 大事な時期にどの生命が他の人によって代えられるのでしょうか? どの生命にも自らの未来を選択する機会を与えなくても良いのでしょうか? 大事な時期に全ての生命が自分を実証しなければならないので、家族にこういう情況がある人は慎重に真相をはっきりと伝えるべきです。家の中の常人のことを代わりにやってあげても良いのですが、生命の未来に関わる由々しき一大事は代わって行えることではありません。もし本当に家族を救いたければ、他の人に真相を伝えるのと同じように、家族に伝えてください。彼の分かっている一面は、今生あなたの親族ですが、来世他の誰かの親族になるかも知れず、あなたとはこの世での縁だと分かっています。旅館に泊まるのと同じように、一晩一緒に泊まりましたが、明日それぞれの道を歩みます。誰が他人の代わりになれるのでしょうか? 実はこういうことです。

弟子:アフリカでの悪人に対する提訴をどのように進めるべきなのでしょうか? 現在、いつも妨害があります。アフリカで行われた江××に対する訴訟は法を正す中でどういう作用を働いているのでしょうか?

師:皆さんが行ったこれらのことを私はいつも評価しており、しかも非常に良く行いました。アフリカで幾つかの素晴らしいことを行いました。邪悪と悪人を鎮め、世の人々が邪悪を認識するようになりました。そして、衆生を救うなどの各方面にも非常に良い作用を働きました。これは行うべきことであり、無駄にならなかったのです。どのようにより良く行い、推進するかのことにいたっては、皆さん自分で行わなければなりません。どの程度まで行うのかも皆さん次第です。実は全ての学習者にとって、これは皆さんが歩みたい道を歩んでいるのです。これらのことは非常に素晴らしく行われました。時に皆さんが行ったこれらのことを見て、心から皆さんのために喝采しています。

弟子:親戚の一人が党員であり、大陸にいます。本人が脱党したくないので、私は再三に説得しましたが、応じてくれませんでした。淘汰のときになると、命を失うのでしょうか?(皆笑って)

師:(笑)淘汰されるかどうか、残されるかどうかは次の段階のことです。今は人を救うことしか考えられません。将来のことに執着しても仕方ありません。なぜならば、法を正すことがここにやってきたら、それは基準のあることだからです。しかし、一点だけは言い切っていいのですが、私たちがいくら行っても、多数の人が救われません。中に真相を聞きたくない人、真相を聞きたくなく、『九評』を読みたくない人が含まれているかもしれませんが、これも彼らの選択です。皆さんの行うべきことも全部行われました。大法弟子は最も邪悪に迫害されている中でも、衆生を救い済度しようとしており、様々な困難を乗り越えて、人々に真相を伝えようと思っていますが、一部の人は聞きたくありません。しかも、大法弟子は迫害されている中で、人間を救っているのです。聞きたくないことや、読みたくないことも人間の一種の選択であり、救われたくなければ、悪党について行ってしまうしかありません。

弟子:修煉前と修煉後、ずっと外に出て仕事をしていません。修煉後、家で法を広めることをする時間を持つことができました。これは常人社会で修煉するという形式に適合しているのでしょうか? 今仕事を探す必要があるのでしょうか?

師:もし経済的に余裕があり、負担もなければ、仕事をするかどうかは自分で決めればよいのであって、修煉の形式に適合しているかどうかの問題はありません。多くの借金をしたのですが、仕事をせず、法を実証しているから仕事をする時間はないと言って、借りたお金を返済することもできないという学習者がいると、私に分かっています。しかも、続けて借金をしています。これは問題です。皆さん考えたことがあるのでしょうか? 師父は法理の中で説いたことがありますが、借金があれば、返さなければなりません。修煉し、または圓満成就したからといって、何の借金も返済せず行ってしまい、圓満成就して神になったら、誰が借金を返済するのでしょうか? 大法弟子から借りたお金でも、返さないといけません。もちろん、貸したお金はもう要らないから、あげますと言った学習者もいますが、これは別のことになります。これは贈与であり、借金とは違う概念です。極端に走ってはいけません。心の中で、どうせ法を実証することがもうすぐ終わるので、借りたお金も返す必要はなく、終わるときになると全部解決されると思っている学習者がいます。(皆笑って) これではいけません。この考えは正しいのでしょうか? これは責任を負いたくないということです。私が言ったのではありませんか? 大法弟子はどこにおいても良い人でなければなりません。大法弟子の多くは仕事をしながら法を実証しています。もちろん、仕事をしてなくても、経済的に問題はなく、家にずっといなくても良ければ、これは別のことになります。皆さんは家庭があり、社会で行うべきことがあり、みな人類社会の環境の中で修煉し、世俗の中で法を実証していますが、なぜどうしても人為的に法に従わず行おうとしているのでしょうか? もちろん、相手がそのお金はもう要らないと言って、家も仕事をしなくても大丈夫であれば、これは別のことになります。これは当然問題はありません。

弟子:「世間に向けて輪を回す」という経文の深い意味をご教示願います。

師:「世間に向けて輪を回す」、どういう輪を回すのでしょうか? もちろん法輪です。(拍手) 法輪を世間に向けて回していれば、即ち世間に向けて法を正すことではありませんか? つまりこういうことです。(拍手)

弟子:師父の経文「世間に向けて輪を回す」が発表されてから、経文は弟子のために書かれたものだと思う弟子もいれば、新聞に掲載して常人に読ませるべきだと思っている弟子もいますが、私は判断することができません。

師:常人に見せても良いのです。常人の中にこれを理解することができる物分りの良い人がいます。しかし、確かに多くの愚かな人が理解することができず、更に良くない作用を働くかもしれません。現在の人類社会が既にこのようになったので、これらの具体的なことは皆さん自分で話し合うべきです。師父の写真を新聞に掲載するということのように、師父が掲載してよいと言った以上、皆さんがこのように行い、これは問題ありません。しかし、私が書いたもの、話したことをチラシに印刷して配布してはいけません。これらのことを皆さんはできるだけ理性的に行うべきです。法のために、衆生を救い済度することのために責任を持つということは、即ち自分自身のために責任を持つということです。

弟子:西洋社会の一部の常人、特に教授や学者は共産邪悪主義とマルクス・レーニン邪悪主義の研究に非常に熱心ですが、これらの常人は中国の悪党の党員ではありません。師父にお伺いしますが、これらの常人をどのように助けるべきなのでしょうか?

師:『九評』を読ませてみてください。私たちの研究とあなたの研究を比べてみたらどうですか、と言えばよいのです。(拍手) そうではありませんか? 私たちはあの社会から出てきた人であり、身をもって体験してから研究したのであって、誰の研究が進んでいるのかを見てみて、切磋琢磨してみましょう、と言えばよいのです。(笑、拍手)

弟子:弟子は去年五月に法を得たのです。師父の慈悲深い済度に感謝しています。法を得てから、私はすぐ大法の仕事に参加しました。時に忙しくて煉功する時間はまったくありません。とても焦っています。新しい学習者がどのように個人修煉の道と法を実証する道を正しく歩むことができるのかについて、師父にもう一回説いていただきたいのです。

師:学習者にとって、修煉に王道はありません。新しい学習者にとっても同じです。他でもなく着実に修煉するしかありません。大法弟子が行うべき三つの事をしっかり行えばよいのです。見た目は平凡のように見えますが、全ての威徳、未来大法弟子が圓満成就させる全てはこの中から出来上がるのです。焦らず、極端に走ってしまうようなこともしないでください。他でもなく、正常かつ理性的に行えばよいのです。皆さんの修煉形式はこういったものであり、高い志を持っていれば必ず成功します。

弟子:西洋の学習者はどのように脱党のことに対処すべきでしょうか? 大陸に住んだことのある西洋の学習者も中共や邪霊に影響されているのでしょうか?

師:影響を受けた人もいれば、受けていない人もいます。多くの西洋人が中国に行ったとき、中国人社会に溶け込んでいなかったかもしれないからです。大多数は影響されることはありません。しかし、悪党の中に一生懸命入り込もうとするごく僅かな人もいます。大法弟子の場合、どこにいても問題はありません。

弟子:師父、こんにちは。私は既に脱党しましたが、党費が給料から天引きされているので、どのようにしたら良いのでしょうか? (皆笑って)

師:それなら、邪悪にひったくられたと思えば良いのです。(皆笑って、拍手)問題はありません。

弟子:既に亡くなった家族のために脱党声明を出したい学習者がいますが、必要があるのでしょうか?

師:できます。問題はありません。既に亡くなったので、この世に来て大紀元を尋ねて、新聞やネットに声明を出すわけにはいかないでしょう。(皆笑って)(拍手) このようにして良いのです。作用があるのでしょうか? あります。(拍手)

弟子:海外の弟子は別名で脱党声明を出しましたが、正しい信念と正しい行いの角度から見れば、実名で脱党声明を出すのと同じなのでしょうか?

師:同じです。先ほど既に言いましたが、別名を使っても良いのです。なぜならば、神は人間の心を見ているからです。しかし、この形式は人類社会の人間にヒントを与えており、人を救うためにも必要なのです。

弟子:私はどのように智慧を駆使して、映画またはテレビなどの媒体を利用してよりスムーズに主流社会に入ることができるのでしょうか?

師:この面において能力があれば、行ってください。これらの形式を利用して法を実証し、迫害を暴き、衆生を救い済度することができれば、もちろんもっと良いのです。主流社会に入ることに関して、一つのことさえ解決することができれば、やり遂げることができます。つまり、本当に良い作品を制作するということです。また経済面の条件も整わなければなりません。マスコミに関しても同じです。本当に良いものを提供できれば、必ず主流社会に入り、主流のマスコミに仲間入りすることができます。もちろん、この全てはとても良いことです。実は多くのことを皆さんが努力して行っており、きっと良くなると思います。徐々にある日、きっとそうなると私は信じています。(拍手) やはりいつも言っていることですが、良くなるだけではなく、将来はきっと最も大手のマスコミになります。(拍手) 人間がこの全てを分かるようになったとき、人類は如何なることに対しても興味がないと思います。大法の情報と声を手に入れ、自分のために美しい未来を選択することだけが第一義になります。(拍手)

弟子:中国製の商品がアメリカで販売されたら、資金が中国に流れてしまい、法輪功学習者を迫害するために使われるので、中国製のものを買わないようにしています。こういう考え方は正しいのでしょうか?

師:もちろん間違っていません。多くの学習者は買っていないのではありませんか?(笑)しかし、学習者だけが買わないのはあまり大きな影響もないと思います。(笑)このことが原因で自分の生活に支障を来たさないでください。生活の中で必要があれば、買っても大丈夫です。もし世の人々がみなこの全てを認識することができれば、邪悪にとって非常に恐ろしいことになります。

弟子:もし世の人が大法に対しては正しく認識していますが、邪党邪霊に対して正しく認識していなければ、その結果はどうなるのでしょうか?

師:それならば、本人の情況を見るべきです。大法に対する態度は第一位で、第一義なのです。もし頑として邪党を支持し、邪党を認めようとすれば、こういう人にとって本当に危険です。

弟子:大陸の学習者は師父にお伺いしたいのですが、多くの常人が以前紅小兵、青年団の団員でしたが、彼らも脱退すべきなのでしょうか?

師:邪悪に授けられた印を取り除くことは必要なことです。脱退を声明するのは一つの形式ですが、もし誰かが表立って声明することができれば、この人がこの一歩を踏み出せることができると物語っています。このことを通じて人間の心も変り、これによって人間の体の中の毒素は取り除かれるのです。声明を書く必要はなく、心の中で脱退していれば良いと思っている人がいますが、これだけでは本当に体内の毒害の要素を取り除くことができないかもしれません。神も人間の心が確固としているかどうかを見ています。人間の考えの起因が非常に複雑なので、人間の行動こそ最も確な表示なのです。

弟子:多くの常人は「ずいぶん前から党費と団費を払っておらず、とっくに党員ではないので、脱党の形式を取る必要はない」と言っています。どのようにこの問題を見るべきなのでしょうか?

師:やはり同じ問題です。これは入党したときの形式の問題だけではなく、本当に人間に邪教の烙印を付け、それらの籍に人間を入れたのです。この烙印を消去すべきです。この烙印はこの世の人類の形式に現れることなく、人間の体内にある要素も作用しています。人間は血で染められた旗に向かってひどい誓いをし、命まで預けたので、声明を発表せずに、ただ心の中で脱退すると思っているだけで効果があると思うのでしょうか? 実はこの悪党は本当に極めて邪悪であり、人々に血で染められた旗に向かわせ、ひどい誓いをさせ、命を邪党に捧げ、一生を悪党がやろうとする事に捧げるように要求しており、古から今日までここまであくどい政党や人類の組織などはありません。

弟子:『九評』の語調が西洋社会に受け入れられにくいと思っている西洋人の学習者がいます。西洋社会に『九評』を紹介するとき、どういうことに気をつければよいのでしょうか?

師:こういうことではありません。今までのやり方で大丈夫です。これらのことを強調する必要はありません。東と西の思考方式に確かに差異がありますが、『九評』の背後に神の要素があり、人間に良い作用をするのです。これは東洋人に対しても西洋人に対しても、みな同じです。一部の人は旧勢力が残した要素によって現段階で大法に関わることがまだできず、抑制されているかもしれません。具体的な状況を見るべきです。多くの西洋人は悪党の害を受けたことがないので、このような人の場合、関心がなさそうに見えます。これも大丈夫です。『九評』のことにいたって、現在これは人類にとって、世の人々を救う大事な一歩です。次の段階では、多分もうすぐ世界の全ての人が邪党を残すかどうかのことに対して、自分の立場を表明しなければなりません。全ての人は未来を選択しなければなりません。悪党の国でなくても、実は共産のことをやっています。予言の中で、○○○○が天下を統治すると言ったのではありませんか?

 『九評』が長いから、短くすることができないのかと言っている人がいます。これはできません。百年来、共産の無頼集団の自由社会との戦いは後を絶たないのですが、誰もこの悪党がどういうものなのかをはっきりと説明することができませんでした。中華民国も中共と数十年戦っており、たくさんの文章がありましたが、同様にこの悪党がどういうものなのかをはっきりと説明することができませんでした。私たちは始めてこの問題をはっきりと説明しましたが、なぜ短くすることができるのでしょうか? また今までと同じような痛くも痒くもない短い文章にするのでしょうか? それならば、歴史に賦与されたこの大きな責任と作用を働くことができるのでしょうか? この悪党をはっきりと説明することの目的は悪党の本質を暴露し、人々に悪党をはっきりと認識させることによって、世の人々を救い済度するためです。また、なぜ気が狂ったかのように大法弟子を迫害しているのかを世の人々に理解させるためでもあります。私たちは政治に参与しているのではなく、これは政治が納められることではありません。私の心に衆生を救い済度するという大きな願いを抱いており、考えの正しくない生命に対して何かの保証をする必要はなく、歴史は全てを証明するのです。この悪党にも私は多くの機会を与え、極めて邪悪になった時でも、再三にそれらに警告し、「私李洪志に何でも分かっており、何でも説明することができる」と言いました。邪悪は気が狂い、理性を失ったのです。今でもそれらは理性がなく、大法弟子を迫害しています。それらの結末を見るしかありません。

弟子:『九評』が非常に良いと思っていますが、大法を受け入れたくない常人もいます。

師:常人の考えは多くの場合、観念が作用しており、よく考えた後の話ではありません。往々にして、心にもないことを言ったり、正しいようで実は間違っていることを言ったりします。こういう場合、その認識をはっきりとさせなければなりません。大法を受け入れたくないというのは何を指しているのでしょうか? 大法を学びたくないのでしょうか? 学びたくなければ学ばなくていいのです。どうしても学ばないといけないと言っている人はいません。邪教だけが強制的に人間に学ばせており、しかもやめたくてもできません。大法はこれらのことに全く気にせず、学びたければ学んでよいのですが、学びたくなければ、それでも良いのです。今日人間にこれらのことを教えたのは、人間に真相を伝え、大法がどういうものなのかを分かってもらい、悪党がなぜ迫害しているのかを教え、それによって人々の考えの中の毒素を取り除いてあげるためです。学ぶか学ばないかは、あなた自身のことです。本当に大法を認めなければ、これは即ち未来を選択したのです。

弟子:『九評』が発表されてから、私は邪党を暴露する文章を書くことに没頭しています。しかし、法の勉強を緩めてしまいました。どのように対処すべきなのでしょうか?

師:これは何かの妨害ではないと思います。時間を作って法を勉強しなければなりません。しっかり法を勉強すべきであり、くれぐれもいい加減にごまかさないでください。三つのことを全部行わなければなりません。文章を書くことは法を実証することの一部ですが、他の二つのことを代替することができません。

弟子:明慧編集部の文章の中に大法の精神に反するものがあると言っている大陸の学習者がいます。どのようにこのような学習者を説得すればよいでしょうか?

師:これは大丈夫です。明慧に問題があると言っているのであれば、明慧の大法弟子の修煉に対して促進の作用を働いているのではありませんか? 良い作用もします。それなら、私たちは自分をよく修め、間違ったら改めればよいのです。間違っていなければ堅持すべきです。常人の心のある学習者に動かされないでください。もちろん、全て常人の心がある学習者とは限らず、やり方にもっと良い方法を持っているかもしれません。全体から言えば、明慧はますます良くなり、歩んでいる道は正しいのです。中国大陸の情況は複雑であり、常人の心に強く執着している学習者に対して、悪党の妨害の要素も作用しています。また、一部の悪人が学習者に成りすましていますが、これは問題ではありません。このような人はもう明慧を妨害することができません。

弟子:師父は初期の時の説法の中で、和尚と尼僧に対する済度は最後に行われると決められているとおっしゃいましたが、彼らに真相を伝えることは重要ではないのでしょうか?

師:他の宗教の人に対する救いと済度は確かに最後に後回しされており、次の段階に行われます。大法弟子がなぜこれほど特殊なのか、宗教の人よりも特殊で、なぜ宗教の人を先に済度して大法弟子にするのではなく、今のこれらの人を済度して大法弟子にしたのか、と言っている人がいます。人間は人間を見るとき、今生だけを見ています。実は今の大法弟子の中の多くは歴史上、東洋と西洋の正教の一期目の教徒であり、自ら釈迦とイエスの説法を聞いたことのある人です。大法弟子こそ、本当の確固たる正しい信念をもつ信徒です。(拍手)しかも歴史上の有名な聖徒、和尚、道士とキリスト教徒は大法弟子の中にいます。(拍手)

弟子:師父が『転法輪』第七講で説いた釈迦牟尼佛の物語を理解することができない佛教徒がおり、『大蔵経』を全部調べてもあの物語は見つからなかったと言っています。これによって彼らの大法に対する理解に影響しました。

師:そうです。私は全ての法を説くことができ、天上の全ての佛と神の如何なることをも説くことができます。また釈迦牟尼佛の過去、現在と将来を話すこともできますが、全部経書に載っていないことです。さらに、宇宙の過去、現在と未来及び万事万物と全ての衆生について説くこともできます。釈迦牟尼佛が言及しなかった神も私は説くことができ、ひいては彼らの経緯、宇宙の極まりに至る大きなこと、異なる天はどういう情況なのかを話すこともできます。もちろん異なる次元の天も神です。異なる次元の天体がどのように生じたのか、この全ての全ての根本を私だけは説明することができます。(拍手) 人類の三界の歴史の中の全ての全てについて、非常に小さいことから歴史上の最大の出来事までを含めて、私は全部説明することができます。佛経の経書はこれらの全てを記載することができるのでしょうか? 釈迦牟尼佛が在世中、多くのことを話しましたが、経書はそれを全部記載しませんでした。釈迦牟尼佛は49年の説法の間、その数冊の本にあることしか話さなかったのでしょうか? あり得ないでしょう。人間はいつも人間の観念で自らを阻害しています。常人が言っていることを気にしないでください。誰が修煉しているのでしょうか? 誰が本当に神の道を歩んでいる人なのでしょうか? 誰が本当に修煉して成就することのできる人なのでしょうか? 歴史が始まって以来、古から今日まで、皆さんだけができるのです。(拍手)

 以前、話したことがありますが、いままでの修煉と宗教や、今まで神が世に下って人間を済度しましたが、彼らは本当に人間を済度することができたのでしょうか? 実は彼らが働いた本当の作用は三界と人類のために文化を築いたということであり、最後の時期に宇宙で法を正すための準備をしたのです。しかも、当時済度したのは人間の副元神であり、人間の本当の自分ではありませんでした。そうであっても、済度された副元神は指名され派遣されてきた生命です。これは三界が造られてから、一部の天体が三界にあまりに近く、三界に近い神々は三界を見たり触れたりすることができるため、三界に近い神は三界に汚染され、落ちてしまう恐れがあるからです。三界内に情があり、衆生の理も正法の理と反しており、環境が苦しい上、人間に強い執着があります。しかし、正神が慈悲であるため、苦しい環境の中にいる三界の衆生に妨害されやすいので、三界に近い神は常に取り替えなければなりません。人間の時間で計算すると、約十年のうちに必ず取り替えなければなりません。こういうことがあります。これによって、三界内の常人社会という形式を利用して苦しみの中で修煉し、圓満成就してから人間の副元神は取り替えられる神になるということが現れました。天神の世界から遣わされて来た生命はこの世で人間の副元神として修煉しています。そして、実はある生命は他の生物に転生し、圓満成就して戻って入れ替えられる神になります。

 このことは三界が始まってから現れてきたことであり、これまでは神を入れ替えることはなかったのです。しかし、これは三界を造る目的ではなく、三界が造られてから現れてきた現象であり、神への妨害問題を解決するためです。三界を造った本当の目的は法を正すことに用いられるためです。この期間に神が三界に対して行った全て、及びこの世で現れてきた全ても人類のために文化を築き、人間が将来法を認識することができるように基礎を築くための過程です。

 今日、私は人間の言葉で説いており、非常に簡単なように聞こえ、皆さんは楽に聞いて認識し、理解しているようです。時間、空間、歴史、万物、天地、衆生、万事、修煉、陰陽、苦楽、人間と神も含めてこれらのことは、私は簡単に話しているようです。ご存知でしょうか? 全ての言葉の概念とその内涵は千万年の歴史の実際の演出によってできたものであり、歴史の過程の中に言葉の中の内涵を育てました。ここでは主に中国語を指しています。人類が認識した全ての物体、全ての物事は全部人間の言葉でまとめ、描写し、言い表すことができます。これはただ単に文字を作って解決できることではなく、必ず人間に本当に感じられ、身を持って体得し経験した、非常に現実的で深い過程を経てはじめて、人々にこの字、この言葉と語彙が表している内涵を認識させることができます。今日私が説いた法を皆さんは聞いてすぐ理解することができますが、この過程がなければ、今日何を言ったのかを多分皆さんは何も分かりません。

 「修煉」とは何でしょうか? なぜ修煉と言うのでしょうか? どのように修煉するのでしょうか? 修煉の形式はどのように現わされるのでしょうか? 修煉者はどういう現れなのでしょうか? この全ては人間が分かっていなければ、大変なことになります。釈迦牟尼佛、老子、イエスなどの神は世に下り、実際に演じることにより、人間にこの文化を残し、その内涵を理解させ、修煉者が苦しく修煉し、正しい信念を持ち、圓満成就するまでの過程等などをも含めて、この全てを分からせるのです。佛、道、神も正しく信じること、正しく修煉することによって、果位を証して得るまでの過程を残しました。人間はこれで修煉とは何かを認識するようになりました。しかし、そうであっても、この全ては大法徒の今日の修煉形式とはやはり違います。ですから、大法弟子の修煉に手本はなく、道は皆さん自分で切り開かなければならないと私は言ったのです。

弟子:救援チームは孤児を救援するために真相を伝える中で、これが政府、金融界など社会の各階層に踏み込んで真相を伝えるいい方法であり、真相を伝える各チームが協調をよくする過程でもあると感じました。どのように重複労働を減らし、大法弟子の今の限られた各種の資源をより良く利用し、孤児救援の仕事を行うべきなのでしょうか? 師父にご教示願います。

師:このことは皆考えており、行っている最中です。このように行うのは正しいです。行うべきです。これらのことがアメリカ政府を含む社会の多くの方面と関わっているため、しっかり行ってからはじめて、作用があるのです。あまりに具体的なことは私はやはり言わないほうがいいのです。なぜならば、具体的なことは皆さんが行うべきだからです。しかし、このことは必ず行うべきです。大法弟子の子供、家族を失った子供に対して私たちは何もしないわけにはいきません。これらの子供は私の小さい弟子であり、皆さんと一緒に修煉する小さい修煉者なのです。師父である私はいつもこのことを考えており、子供たちを山に迎え、集めて学校を作り、育てようと思っています。(拍手)

弟子:体が業を滅しており起きられないのは自分の業力によるものであり、最後の段階になったから、業力を滅さなければならないと思っている学習者が今になってもまだいます。この考え方は正しいのでしょうか?

師:全部そういう情況ではありません。人間は生きていれば業を造るのです。皆さんは修煉の中で絶えず業を滅してもいます。世の中にいれば業力が生じるので、修煉の過程の中で業を絶えず消滅しているのでもあります。大法弟子が法を正す修煉の中にいるので、常人と比べて、業力は非常に少なくなっています。こういう業を滅することはもう問題ではありません。以前修煉者に対して一歩一歩、全部按排したと言ったのではありませんか? 一歩一歩ここまで按排したのですが、それでもやはり少量の新しい業力が生じました。しかし、これらの業力は大法弟子が正しく対処すれば、良い作用をし、大法弟子が法を実証することを妨害することができません。ここまでなったら、非常に少なくなるまで殆ど業は滅されたのです。なぜならば、大法弟子が法を実証することを妨害してはいけないからです。

 それでは、なぜひどく妨害されている学習者がいるのでしょうか? 皆さんに既に教えましたが、各種の邪悪の要素はみな大法弟子のまだ残っている執着とまだ気づいていない常人の心に付け入るのです。現在最大で最もはっきりと現れている妨害は悪党の邪霊が働いている作用です。特に今は、他の邪悪が殆どなくなるまで消滅された情況下で、最もはっきりと現れているのはそれらの悪党の邪霊が働いた作用です。現在の各種の妨害と迫害は全てこれが原因です。ですから、厳粛に対処し根絶しなければなりません。常人は悪党に邪霊と卑しい鬼があることを信じていませんが、大法弟子には分かっています。なぜならば、邪霊の場があるから、悪党はこの世にいられるのです。パリコミューンから百年来の現在まで、邪霊は人類空間で大きな場を設けました。以前この場の密度が非常に高かったのです。西洋社会はこの邪説を言う党に反対していますが、実は西洋社会も悪党邪霊らの共産邪悪主義をやっています。今西洋社会が実施している高税率と高福祉は、邪党が当時提唱していたことと同じです。邪党は暴力で無理やりに他の人から財産を取り、西洋社会は法律の手段で行っているということだけです。実はみな共産邪悪主義のことを実施しており、人類社会の正常なやり方ではありません。西洋社会が共産邪説に反対しているのに、なぜこういうことが起きたのでしょうか? 他でもなく、他の空間の邪悪な要素の作用によるものです。中国は形式上、共産邪悪主義を実施していますが、実は無頼集団と邪教が合わさったものです。西洋社会は形式上、共産邪悪主義に反対していますが、実は共産邪悪主義を実施しています。

弟子:最近大紀元に邪党がもうすぐ滅びるという予言がたくさん掲載されました。師父にご教示願います。

師:これは異なる次元の神が世に下り、常人に見せるためのものです。大法弟子は他でもなく、自分の法を実証する道を歩むだけです。

弟子:師父は銀河系が三界を浄化するために、宇宙から離れているとおっしゃいましたが、つまり三界は太陽系ではなく、銀河系を意味しているということなのでしょうか?

師:そうですよ。以前このように話したのではありませんか? 実は三界の正確な位置は人間の範囲を固定してしまう考えで認識できるものではありません。人類の現代の物質化された認識によると、太陽系は三界のこの次元での果てだとのことです。しかし、人間の目で見えない異なるミクロ的な粒子で構成された各部分は異なるもっと広い空間と対応しており、人間がいるこの表面という次元では太陽系と対応しており、あるミクロ的な次元では銀河系と対応しています。さらに、もっとミクロ的な次元ではもっと大きな範囲と対応しています。数多くのミクロ的な粒子がより大きな粒子を構成し、これらの粒子が組み合わさることによって三界を構成したのです。異なる粒子が異なる境地と範囲を構成していますが、実はこれも人間の思考と言葉で表現できる部分であり、粒子によって構成された異なる空間が対応している人間の目で見ることができ、表現することのできる範囲に過ぎません。実は更に大きな三界は小宇宙全体と対応しています。伝説の中の盤古は実はこの部分の天地を開闢しました。このようにこの範囲を説明しても正確ではありません。なぜならば、この範囲内の中でも同じように三界外に属する境地と対応しています。人間の言葉に限界があり、人間の思考様式で説法するとき、全方位と各次元で同時に認識・思考して、全方位の言葉で説法することができません。銀河系の他の天体との分離は見た目では、この範囲と分離し、銀河系以外に天体を見ることができず、人間の肉眼と望遠鏡がいくら良くても、見ることができないようですが、三界を構成している異なる境地の情況はそれぞれ違います。しかし、法は修煉している人に説くもので、難しくて複雑な言い方は多くの人の修煉を難しくしてしまいます。本当に修煉して圓満成就してから、はじめて宇宙の真実を見ることができます。法がこの世を正すという期間を経てから、はじめて地球と三界は完全に浄化され、元に戻ることができます。

弟子:今までしっかり行えなかったことを後で補えば、法を正す全体の進展は速くなると感じました。一部の地区の弟子がしっかり行わなかったら、法を正すことの全体の進展に影響するのでしょうか?

師:法を正すことの進展に影響することはありませんが、大法弟子が法を実証することに影響があり、足を引っ張られます。なぜならば、他のところは全部きれいに片付けられたのに、邪悪がまだ作用しているところがあり、迫害が終わらず、邪悪が根絶されません。ご存知のように、今人間がますます速いスピードで滑落しており、人間の道徳の腐敗は非常に恐ろしいものになっています。もう止めなければ、人間を残してあげたくても、残すことができなくなります。

弟子:大紀元は大衆向けのマスコミですが、今少数の学習者だけが広告と運営に関わっています。最近佛学会のある責任者も積極的に参加していますが、これを理解できない学習者がいます。どのようにしたらもっと多くの学習者が参加してくるようになるのでしょうか?

師:そうですね。責任者が大紀元の仕事に参加するのはいいことですが、責任者は実はコーディネーターであり、もっと多くの能力ある人が参加してくるようにすることこそ、大事なのです。あなた一人はどのくらいの作用を果たすことができるのでしょうか? 全体がみな作用することができれば、責任者が良く行ったことになります。責任者自身がしっかり行っていても、ただ一人の学習者が良く行っただけであり、それならば、普通の学習者になればいいのです。大事なのは責任者の責任です。この作用を働かさなければなりません。もう一つのことをお話します。各地の責任者は何事にも口を出すやり方を止めなければなりません。各地の学習者が主体性を発揮し、積極的に法を実証することはサポートすべきであり、制限してはいけません。いつも極端に走ってしまう学習者以外、古い大法弟子は皆成熟しており、自分の圓満成就への道を歩んでいます。このことをはっきりと分かるべきです。

弟子:東ヨーロッパの学習者は共産党と青年団を脱退すべきでしょうか?

師:世の人々は皆このことについて態度を表明しなければなりませんが、現在これは重要なことではありません。東ヨーロッパの悪党はなんと言っても解体しました。もし東ヨーロッパにまだ悪党を堅く信じている人がいれば、同様に消滅されます。中共は悪党邪霊の最後の主体であり、中国人を救い済度することは即ち悪党の邪霊を解体することです。

弟子:西洋人の学習者は『九評』が中国人学習者のことだと思っていると感じました。ご教示願います。

師:主に中国人学習者のことです。これは問題ありません。しかし、世の人々は全部態度を表明しなければなりません。また、西洋社会に中共悪党をはっきりと認識していない人もたくさんいます。

 世の人々が法輪功が素晴らしいと言っているのは、幾つかの意味があります。一つは、百年来、共産党集団の社会と自由社会の間はずっと戦っており、しかも非常に激しいのです。冷戦時代にいつでも核戦争が起きる危険性があったようですが、邪党とは何かを誰もはっきりと説明することができませんでした。誰がこのことをはっきりと説明したのでしょうか? お互いに罵りあっているだけです。たくさんの人がこの悪党の構成員と組織を研究していますが、これがどういったものなのかをはっきりさせた人はいませんでした。国民党と中共は数十年戦いましたが、中共悪党とは何かをはっきりと説明することができませんでした。しかし、法輪功はこの悪党をはっきりと説明することができました。これは非常に素晴らしいことではありませんか? これは世の人々を刮目させることです。なぜ常人社会に大法弟子に感心する人が多くいるのでしょうか? 常人社会の多くのことは常人には全くはっきりと説明することができません。しかし、大法弟子はそれを説明することができ、これは素晴らしいことです。

 西洋社会だけではなく、全人類も邪党とは何かをはっきりと認識することができません。今皆さんは最も害された中国人の救いと済度を急いでおり、中国人に中共悪党をはっきりと認識させています。しかし、西洋に邪党をはっきりと認識していない人もたくさんおり、ひいてはごく一部の人は邪党を擁護しています。このような人にとって、危険ではありませんか? 今は中国にいるたくさんの人々が害されていることの解決を急いでいるため、ひどく害されていない民族のことを第一位にしませんでした。ほかの地区を現在の状況から見れば、害されたのは極めて少数の人であり、大多数の人は共産悪党のことを信じておらず、しかも排斥しています。しかし、中国人は違います。悪党の数十年間の教育の中で、この悪党を認識できる人はまだどれほどいるのでしょうか? 『九評』が発表されるまで、この悪党をはっきりと認識し、説明する中国人は一人もいませんでした。悪党を罵っていても、この悪党の文化の中にいながら罵っており、悪党をはっきりと認識できなくなるまで害されました。甚だしい場合、脱党声明の中にも悪党が作った言葉を使っています。例えば、私は「新しい」中国に生まれた人であるとか、私は赤旗の下で育てられた世代だとか、私は「党」のために一生働いたとかを言っています。

弟子:ブルガリアの弟子は師父にご挨拶を申し上げます。私たちは今『転法輪』をブルガリア語に翻訳しています。ご指導願います。

師:(笑)大法の本をしっかり訳すのも、自分の修煉の過程でもあります。修煉者が認識した高い次元での全ての認識で訳さないでください。皆さんの修煉の次元の高さがそれぞれ違っているため、同じ内容に対して、それぞれの法に対する理解が違い、それによって言い争って対峙してしまうことが起こります。この言葉の意味、この文の意味は人間の文化の表面にある意味に適合していれば十分です。高い次元の内涵は法によって表されているので、内涵は翻訳できるものではありません。東洋人と西洋人の思考様式が確かに違っているので、法を認識する初期の段階では少し慣れないかもしれませんが、本当に法を学び読んでいけば、影響はありません。なぜならば、神が作用しているからです。

弟子:共産邪悪主義の由来と悪党とはどういう区別があるのでしょうか?

師:共産邪悪主義は悪党が人を騙すために作った説であり、何の区別もなく、同じことです。悪党の党員は個体ですが、党員が集まると党の集団になります。この集団にある人を騙す考え方があります。つまり、「この世の天国」を作ると言っており、実はいわゆる共産邪悪主義です。この世はなぜ天国になり得るのでしょうか? 神は三界を造ったとき、三界を天国にしようとは全く考えておらず、法を作るために造ったのです。(笑) もし将来三界が存在すれば、人類社会の形式は永遠に人間の社会の形であり、これは宇宙の需要のためです。天国にするなど可笑しな話です。天国は宇宙のあらゆるところにあり、天国は人類よりもずっと多いのです。表面空間から出れば、全てが天神の世界であり、宇宙のあらゆるところは天国です。

弟子:インド洋の大津波はどういうことなのでしょうか?

師:人類の業力が多くなると、問題が現れます。しかし、多くのことから分かるように、今人類に現れたことの多くは旧勢力の要素によって引き起こされたことであり、人間に対して良い作用をしませんでした。人類に何かの出来事があるとき、必ず人間に教訓を与えなければならず、こういうことによって、神が人間を懲らしめていると本当に人間を分からせることができ、更に多くの人を救うことができます。ただ懲罰のために懲罰していれば、人間は更に神を信じなくなります。旧勢力の要素がしでかしたこれらのことは人類に良い作用を働かず、人間が悪くなったら淘汰されてしまいました。大津波がこのとき起きたのも人間に警告しているのです。三十万人が数秒間の間に消えました。中国の唐山大地震のときも数十万人が瞬く間に無くなったのではありませんか? 中共は数百万人の軍隊を持っていると言っていますが、本当に邪悪になったら、あっという間になくなるかもしれません。(笑)(拍手) 旧勢力の要素は人間を大事に思っていません。大法弟子だけは人間を救っています。

弟子:大陸の一部の古い学習者は最後の機会を大切にし、立ち上がって法を実証し、本名で脱党声明を出した人もいます。彼らから尊敬する師父にご挨拶を申し上げるように、という言付けがあります。政府機関に勤めている大陸の大法弟子も師父にご挨拶を申し上げます。

師:ありがとうございます。(拍手) 邪悪にひどく迫害された学習者は執着心があるからそうなったのです。執着がいつも繰り返して現れ、今日圧力の下で「懺悔書」を書きましたが、釈放されて後悔し、声明を出しました。また邪悪に捕まったら、正念が足りないため、ひどく迫害され、また「懺悔書」を書いてしまいました。そして、釈放されまた声明を出しました。最も深刻に迫害されたのはこのような学習者です。正念の強い学習者は本当に素晴らしく行いました。明慧ネットの報道は迫害を暴露するためなので、非常に素晴らしく行った大法弟子の事例を重点的に収集しませんでした。実は素晴らしく行った学習者は非常に非常に多いのです。

弟子:大法に入ってまだ数カ月しか経っていない新しい学習者は、『転法輪』と新しい経文および以前の経文を読む際、時間的にどのように配分したらよいのでしょうか? 法を正す時期に法を得たので、どれが優先されるべきかを知りたいのです。

師:新しい学習者は、主として『転法輪』を勉強すべきです。そして補助的に他の大法書籍を読めばよいのです。時期に関係なく、『精進要旨』を含めて、時間があれば全部読んでいいのです。しかし、時間があまりないが、全てを読みたいという気持ちを持たないでください。そういうことではありません。新しい学習者は大法弟子として行うべきことを行うことができ、これは非常に素晴らしいことです。最も大事なのは『転法輪』を読むことです。他の書籍は補助的に読めばよいのです。時間があれば読んでよいのですが、なければ『転法輪』だけで十分です。

弟子:音楽会などの重要性についてお話をいただけないでしょうか?

師:皆さんが開催した新年音楽会は、練習のとき非常に大変でした。プログラムは非常に良かったのですが、一回きりで終わってしまい、本当に手放したくはありません。しかも、大きな正しい作用を働くこともできます。なぜもっと多くの人に見せないのでしょうか? 大都市を回って、巡回公演して、更に多くの人が見られるようにすれば良いのです。これは非常に良いことではありませんか? しかし、あることに気をつけるべきです。必ず条件の整った学習者でなければなりません。誰もが極端に走ってはいけません。誰も自分の修煉形式、修煉環境を破壊しないでください。私が言っているのは「条件の整った」人であり、条件が整っていない学習者はこのようにしないでください。退学、休学してはいけません。経済条件が良くないのに、仕事をせずに出演するのもしてはいけないことです。しかも、新年の間にやればよいのです。期間が長くないので、休学、退職しないでください。極端に走らないでください。極端に走ってしまうと、多くの厄介なことを引き起こしてしまいます。

弟子:法がこの世を正すとき、中共はこの世で全面的に解体し、伝染病が流行り、社会が乱れるなどの出来事がありますが、この中のどの要素が一番重要なのでしょうか?

師:乱れることはないようですね。人類社会は神が制御しているのであって、神が人類社会が乱れるようにと決めれば、人類社会は乱れなければなりません。安定するようにと神が決めれば、安定しなければなりません。そうではありませんか? ましてこの由々しき一大事は法を正すために按排されたのであって、この情勢を制御しなければなりません。

弟子:私は台湾で教師をしている弟子の中で新しいプロジェクトを立ち上げ、一年生から十二年生用の中国語の教材を作りたいと思います。このプロジェクトの仕事量が非常に多いので、他のもっと大事な法を実証することに影響してしまうのでしょうか?

師:もしこのことが法を実証することと関係があれば、行ってよいのです。関係なければ、学習者の精力を無駄にしてはいけません。もし人類の道徳の回復に良い作用を働くことができれば、それでも良いのです。やってみることができます。

弟子:ビジネスをしている学習者がいますが、商品は中国大陸から来ています。このようなビジネスをすべきではないのではありませんか?

師:皆さんがしているこのくらいのビジネスは大したことではありません。それらの国際的な大財団が絶えず、中国に輸血しています。学習者も生活しなければならず、さらに法を実証することもしなければなりません。また法を実証する環境も必要なので、大した問題ではありません。もし大財団がみな中国とのビジネスを止めたら、あなたのそれほどのビジネスは中共の命を取り留めることができません。また、大法弟子は何を行っても、大法弟子が法を実証する要素が中に入っています。

弟子:大陸の人が仮名で脱党した後、中共は党派性を強化するために党員に学習を要求したり、学習の心得を書くなどのことを求めたりしています。仮名で脱党した人がまた強制的に学習に参加させられたら、再び獣の印をつけられるのでしょうか?

師:脱退すればもう脱退したことになり、本人の心にはっきりと分かっています。いったん脱退と声明したら、彼を見守る生命がいます。(拍手)

弟子:カジノでカードを配る仕事をしている弟子がいます。この仕事によって業力を増やしてしまうのでしょうか? この仕事をすべきではないのでしょうか?

師:仕事は仕事です。人類社会はここまで堕落し、カジノの仕事が良くないと言っていますが、実は現在の人類社会のどの仕事が本当の人間の仕事なのでしょうか? 今日の社会形式になったら、如何なることも社会形式の変化にしたがって変化しているため、ただ一つの仕事に過ぎません。もし他の仕事があれば、転職しても良いのですが、なければこれを続けてください。なぜならば、現在の社会はこういう社会になってしまったからです。 ここまで話して、あることについてお話したいのです。多くの西洋人がカジノに行きましたが、実は遊びに行って、楽しむために行ったのです。しかし、中国人や他の国の東洋人は本当に賭けに行ったのです。ひいては大金をかけてギャンブルをしています。目的は違います。

弟子:大法弟子は借金を抱えながら圓満成就することができないと師父がおっしゃいましたが、私は家を買うために、銀行から五万ドルのローンを組みました。三十年の返済計画です。(皆笑って) 私はどのようにこのことに対処すべきでしょうか?

師:人類の如何なることも偶然のはずはありません。銀行にローンを組んで、返済に数十年も掛かりますが、大法弟子が皆圓満成就しなければならず、数十年は待てないでしょう。これらのことにどのように対処すべきなのでしょうか? これらのことは人類の次の段階のことに関わります。人類の次の段階になると、人類の社会情勢と形式は全部変ってしまいます。さらに、大法弟子が本当に圓満成就したら、あなたの全てのことは師父が解決してあげなければなりません。実はその時になると、皆さんにもそれを解決する能力があります。(拍手)これは私が先ほど言った問題と違います。これは生活の中の正常なことです。頭の中で「借金しても返す必要はなく、圓満成就したら全て消えてしまう」と思っている学習者がいます。(皆笑って) この出発点は正しくありません。出発点が正しくなければ、それではいけません。

弟子:(訳文)私は煉功を始めて既に一年半経ちました。私は多くのメリットを受け、心から師父に感謝しています。

師:これはすべて皆さん自身悟ったことであり、師父はただ手伝っただけです。確固として最後まで歩み続け、動揺せず、あれこれの妨害に遭っても、本当に確固として歩み続けることができれば、私に感謝する必要はなく、全宇宙の神は感心するのです!(拍手)

弟子:山東、湖南長沙、衡陽、広東佛山、河源、広州、茂名、中山市、東莞、深せん、海南島、山西、成都、濾州、貴陽、佳木斯、撫順、太原、鞍山、北京、北京豊台区、崇文区、北京大学、清華大学、唐山、石家荘、承徳、天津、湛江、大連、煙台、本渓、秦皇島、上海、昆明、新疆、福州、湖北、湖南、合肥、ハルピン、開安、山西、南京、遼寧、内モンゴル、呼和浩特(皆笑って)、オランダ、日本、ニュージーランド、フランス、ドイツ、インドネシア、シンガポール、イギリス、オーストラリア、デンマーク、ネパール、台湾、マカオ、スウェーデン、トロント、カリフォニア州ロサンゼルス、オークランド、サンノゼ、マレーシア、アルゼンチン、香港、インド、トルコ、カリビアン地区、ベトナムなど二十一カ国と六地域の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

師:ありがとうございました。(熱烈な拍手)

 質問は全部答えました。私がいくらたくさん話しても、修煉の道は皆さん自身で歩まなければなりません。どのようにしてしっかりとこの道を歩み、最後まで歩むのか、このことこそ、最も素晴らしいのです。なぜなら、この道を歩む過程に困難があり、各種の試練、思いもよらない魔難と様々な執着及び情による妨害があるからです。この妨害は家庭、社会、親族友人、ひいては修煉者同士から来ており、さらに人類社会の情勢による妨害もあります。この全ての全てはあなたを常人に引っ張り戻すことができます。この全てを突破することができれば、あなたは神に向かっていくことができます。ですから、一人の修煉者にとって、自らを堅め、如何なることがあっても動揺しないという確固たる正念があれば、これこそ素晴らしいのです。金剛のように、磐石のごとく確固としていれば、誰もあなたを揺るがすことができません。邪悪はあなたを見て恐れてしまいます。もし困難の前で、念が非常に正しければ、邪悪の迫害や妨害を前にするとき、あなたが言った、正念の強い一言は邪悪を直ちに解体することができ、(拍手) 邪悪に利用された人がすぐに逃げてしまい、邪悪のあなたに対する迫害はすぐ消え、邪悪のあなたに対する妨害を即刻になくすことができます。正しい信念というこの一念だけですが、この正念を守りきることができる人は、最後まで歩むことができ、大法によって造られた偉大な神になるのです。(長時間の拍手)

 私はこれからも皆さんからの良いお知らせを待っています。




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