米国首都法会での説法

李 洪 志

二〇〇六年七月二十二日


 (熱烈な拍手)

 皆さん、こんにちは!(弟子の皆さん:師父、こんにちは!)

 今回の法会に多くの人が参加していて、多くの地区から学習者が来ています。一つの会場では入りきれないので、幾つかの会場を設けました。大法弟子が今日まで修煉して、自分が修めているこの大法とはどういうものなのかについて、皆さんはさらに明確になり、大法弟子の責任と、今日大法弟子が行なっているこのすべての重要さについて、さらに明確になりました。ですから、衆生を救い済度する過程の中で、個人の修煉の過程の中で、法を正す期間に大法弟子が法を実証する中で、ますます成熟し、ますますよく行なうようになりました。このことは現在の形勢の変化からも、はっきりと分かります。

 現在のこの形勢ですが、当時邪悪な迫害が始まったときと、すでに完全に異なっています。邪悪は法輪功を迫害して、法輪功を撲滅することができませんでしたが、それら自身は崩壊しました。(拍手) これは単なる一つの常人社会の民間団体、単なる一つの修煉者の団体に対する迫害ではなく、これは宇宙の中の正と邪との戦いであり、法を正す過程の中で波及したそれらの私利私欲の変異した生命と、法を正すこと自体との戦いでもあります。私は以前にも話したことがありますが、法を正すことは必ず成功します。誰も止めることができません。(拍手) これは単なる修煉の問題ではなく、単なる法輪功が常人社会で表した一つの善良な民衆団体の形式の問題ではなく、これは宇宙で法を正すことの常人社会での縮図であり、宇宙のすべての現れの常人社会での凝縮です。私たちは常人社会の現れから全宇宙で法を正すことの形勢を見ることができます。宇宙ほど広大で、驚天動地のすさまじさはありませんが、それは人類社会での正と邪の戦いの縮小したあとの現れです。変異した生命が法を正す過程で働いた妨害の作用を見ることができます。

 以前、私は「天が変わろうとすれば、誰も止めることができません」と話したことがあります。(拍手)このごく小さな悪党に何ができますか? 何ものなのでしょうか? もし、今日大法弟子の修煉が終わり、このくらいの人だけを救い、救おうとする世の人々がこの程度で、すべてがここで終わるのであれば、悪党は一日も経たないうちに解体してしまいます。(拍手) 悪党が存在する目的、歴史上に悪党が造られた初期とその維持過程は、すべて今日大法弟子が法を実証するために使われるものです。これは、旧勢力により按排されたものです。もう役立たないのであれば、まだ残す必要があるのでしょうか? 宇宙の中でそれは何ものでもありません。大法弟子の修煉と、衆生を救い済度することだけが、確実なものです。大法弟子の向上と、大法弟子がこの過程で樹立した威徳だけが永久不変なものです。それは未来のためのものです。他のものは何ものなのでしょうか? 何ものでもありません。この期間中に妨害作用を働いたすべてのものは、償いの中で解体し、徹底的に滅せられます。

 もちろん、修煉の過程の中で、法を実証する過程の中で、大法弟子が表したすべては、修煉状態の中の現れとしか言えません。この過程の中で、必然的によく行なった人、それほどよく行なわなかった人、動揺した人がいて、もちろん、確固とした人、非常によく行なった人もいます。いずれもこの過程での現れです。修煉はつまり、こういうことです。これは、以前の修煉方式の中での個人の心性に対する試練とも異なっています。以前のそれらの修煉方式について、皆さんはすでに知っていますが、いずれにせよ、それらの修煉中の心性の試練は、すべて個人に対するものです。現在は違います。法が大きく、主な目的は宇宙で法を正すことです。大法弟子が表した修煉の状態は、個人の圓満成就を目的とする昔の修煉とは、まったく異なっています。

 以前からすでに話していますが、大法弟子の修煉は、最大限に常人社会の形式に符合しての修煉であり、最大限に常人の形式に符合しての修煉でもあります。常人社会の形式に符合しての修煉は、必然的にこのような修煉状態をもたらします。この修煉状態は歴史上のいかなる修煉方式、修煉状態とも異なり、いかなる修煉方式と修煉方法を参考にしても、合うものはありません。なぜなら、これは歴史上かつてなかったことであり、法を正すというこれほど大きなこともなく、これほど大きな生命群とこれほど高い果位を成就したこともありませんでした。しかも、最も肝心なのは、今まで修煉して成就した人はなく、成就したのはすべて副元神でした。人が神になることは、歴史上、かつてなかったことであり、今までのいかなる修煉方式とも異なります。大法弟子のこの修煉環境、修煉過程の中で、互いによく協力したり、よく協力しなかったりして、ときにトラブルが続出するという状態が現れます。大法弟子が互いに向上する中で、問題を解決することができますが、絶えずまだトラブルが現れてきます。非常に激しく現れるときもあれば、穏やかに現れるときもあります。修煉の過程でしばらく経って、繰り返されるときがあれば、また新しいトラブルが現れるときもあります。場合によっては以前より激しくなるときさえあります。それで、「長く修煉しているのに、なぜトラブルがまだこれほど激しいのか? 長く修煉してきたのに、なぜまだトラブルがあるのか? 修煉に修煉を重ねてきたのに、なぜ以前よりも悪くなったように見えるのか? なぜ向上が見られないのか」と思う人がいて、多くの人はこのような考えを抱いています。実はこれは間違った認識であり、大法弟子の修煉形式について根本から理解できなかったことによるものです。

 私は、大法弟子が常人社会で修煉することを決めました。これによって、最も便利な門を開き、世俗を離れずに神、佛まで成就できますが、皆さんはご存知のように、常人社会で人心が互いにぶつかり合う中での各種の現れや、現実社会の中で人間の道徳が堕落している状態により、もたらした困難は、非常に大きいのです。これだけではありません。神の目から見れば、ここは非常に険悪で汚く、いたるところに業力があり、人間の身体の業力は歩くだけで落ちるほど多くなっています。邪悪な情の魔、卑しい鬼がこの世に充満していて、いずれも最低次元の物質が変異したものです。このような環境は修煉にとって、この環境の中で向上できるかどうかという試練があるだけではなく、向上とともに成就した部分にもひどく汚染をもたらしています。これはまったく避けられないことです。それなら、どのように修煉するのでしょうか? 絶えず修煉して、絶えず汚染され、このように繰り返しているのでは、修煉して成就できるのでしょうか? できません。ですから、私はこの修煉方式を決めた際にこのことを考慮しました。修煉の過程で、修煉者が向上してできた部分は、彼の境地が高まるにつれ、その関を乗り越えたら、時間の制限がなくすぐに隔離され、(拍手) この世と二度と関わらなくなります。巨大な空間と時間でそれを隔離して、例えば数百万年、数千万年以降に隔離したら、まだ汚染されるのでしょうか? まったく届かなくなるのです。すぐ近くにあるかもしれませんが、巨大な時間と空間の差によって、この空間は大法弟子が修煉してできた部分に対して、いかなる妨害も与えることができません。私が話した意味は、つまり隔離できるということです。絶えず修煉してできた部分があれば、絶えず隔離され、このようにずっと続きます。まだ修煉してできていない部分は絶えず修煉し続けて、最後には何も残らなくなるまで修煉し、全部成就するようになります。これはすなわち、皆さんが歩む修煉の道です。

 それでは、このような過程の中で、皆さん考えてみてください。常人社会の現れの中であなたのまだ修煉できていない部分は、人間が修煉しているのではありませんか? 人間が修煉している以上、人間の考えの現れがあり、人間の各種の良くない観念があるはずです。それは長い間、身につけたものもあれば、社会での汚染によって新たに造ったものもあります。それなら、修煉者として、どのようにすれば修煉と言えるのでしょうか? 大法弟子として行なうべきことを行ない、例えば、法を実証し、衆生を救い済度することなど、これは本来果たすべき責任であり、威徳を樹立するための一部分ですが、自分の向上こそが最も肝心なのです。なぜなら、あなた自身が向上しなければ、それらのことをしっかり行なうことができないからです。ですから、自らを厳しく要求し、自分の足りないところを見つけて、絶えずそれを除去し、これこそが修煉していることになります。あることに対して、関を乗り越える中でそれを認識し、分かるようになり、正しく行なうことができれば、あなたは昇華したことになります。昇華すれば、隔離され、さらに昇華すれば、さらに隔離されます。しかし、残った部分はやはりまだ修煉してできていない、まだ修煉してできていないものなので、この部分はまだこの世にあります。皆さん考えてみてください。表面の現れから見れば、この人はずっと修煉しているのに、なぜいくら修煉しても、彼の大きな進歩が見えないのでしょうか? なぜ神のようにならないのでしょうか? 修煉がよくできている人の場合、その現れとして、この人がわりと精進しているように見えるだけです。精進とは、彼が常に自分の言動、自分の考え方の変化に気をつけており、自分を厳しく要求することができ、常に自分を厳しく要求することができるということであり、これは個人の修煉の中で比較的精進している人です。まだ修煉しているのであれば、神になった部分はこちらに現れてくることができず、あなたは常人社会での神の真実の現れを見ることができません。このような修煉は、修煉してできた部分が汚染されないことを保障すると同時に、迷いの環境の中で真相が見えないまま、引き続き修煉し続けることと、大法弟子が更なる大きな果位を得られることをも保障しています。同時に、この時期に神になった部分がこの世に衝撃を与え、この世を変えてしまうようなことがないように保障しています。人はひたすらこのように行ない続け、弛まず修煉し、この迫害の中で、この厳しい環境の中で修煉し、精進することができ、さらに衆生を救い済度することもできて、より良くなるように努力し続けることができれば、これは素晴らしいことではありませんか?

 これはすなわち、大法弟子が今日直面している、旧勢力などの妨害によってもたらされた修煉形式なのです。ですから、皆さんの修煉過程の中で、修煉してできたその部分が分離され、隔離されたら、あなたの修煉してまだできていないすべては、また現れてきます。人心や良くない要素がまた現れます。トラブルが現れたら、大法弟子の修煉が良くできていないと言ってはならず、この修煉団体云々や個人が精進していないとも言ってはいけません。彼の修煉してできた部分は、あなたには永遠に見えなくなり、その部分はすでに神になり、できていない部分だけが現れてきます。しかし、これらの人は確かに修煉しています。修煉しているだけではなく、彼らはすでに自分の巨大な果位と身体全体の巨大な変化を成就させました。身体の多くの部分はすでに神まで成就しました。常人はこれらの大法弟子と比べられるのでしょうか? できません。

 トラブル自体の出現状況に限って言っても、常人社会の中のトラブルとは違います。大法弟子の場合には、修煉するためにトラブルが現れており、法を実証するためにトラブルが現れています。中に人心、顕示心、個人の執着、自分を実証したいという要素があったとしても、大法弟子として、いったん問題に気づくと、彼らはそれを改めることができます。これは常人とはまったく違います。ですから、大法弟子の中にトラブルがあり、このトラブルはまた別の作用をしています。つまり、このトラブルがいったん現れると、ほかの人に波及し、その人がトラブルに気づくと、さらにトラブルが激化するようにさせ、修煉者自身も気づくことになります。トラブルの中で、内に向けて探すことができれば、自分自身の足りないところに気づくことができます。トラブルが明るみに出なければ、トラブルが現れなければ、あなたは自分の執着に気づくことができず、見つけることができません。すべてが平和のままであれば、修煉できるのでしょうか?

 現在、多くの宗教団体が「ほら、私たちのところはなんと素晴らしいのでしょう。皆互いに愛の心で接しています」と言っています。何を愛しているのでしょうか?(皆笑って) 執着を愛しており、世間の幸せ、人と人の間に維持されている平和を愛していますが、それは修煉なのでしょうか? 違います! 絶対違います。それはただ人心の執着を隠すためだけの道具なのです。私は大法弟子のトラブルが少なければ少ないほど良いと思っていますが、ここでのトラブルが少なければ少ないほど良いというのは、皆が内に向けて探すことができ、トラブルが現れるとすぐに気づくことによって現れる環境の状態です。私はこのようになって欲しいと思います。皆このように行なうことができれば、最もよいのですが、できなければどうなるのでしょうか? できなくても、修煉しているのです。ただ、この状態と環境であれば、精進が足りないことを意味しています。しかし、彼らもまだ修煉しています。これはすなわち、大法弟子の現段階での修煉環境の状態です。さらに皆さんに教えますが、トラブルが現れることは、恐ろしいことではありません。修煉してよくなればよいのです。中国大陸でしっかり行なわなかった人、またはあまりよく行なわなかった人、ひいては非常によくないことをした人にとっても、このことが終わるまでは、それはすべて個人の修煉の中での反映です。しかし、時間は人を待ちません。機会はますます少なくなっています。

 人間が神にまで成就する過程において、心をえぐるかのように執着を取り除くとき、皆さん考えてみてください、人間には何が現れるのでしょうか? 何でも現れる可能性があります。それに気がつけば、改めることができますが、なぜ改めることができるのでしょうか? 常人の中で良い人になるために改めるのではなく、修煉して圓満成就するために改めるのです。(拍手) これはすなわち、神聖なことであり、神の道のりを歩んでいるのです。これは常人のいかなるトラブルとも異なっており、表現形式には違いがありませんが、出発点と目的は異なっています。場合によっては過程の中の現れ、状態もすべて同じとは限りません。ですから、皆さんは必ずこのことを認識しなければなりません。今日、私は修煉形式と修煉状態について皆さんにさらにはっきりと説明した以上、皆さんは互いに協力し合うとき、相手を警戒する心を持たないでください。(拍手) 責め合い、人心で互いに排斥し合うなどのさまざまな状態は、皆さんに教えますが、すべて修煉形式について理解していないがゆえに現れた新しい執着です。そうではありませんか? そうです! 修煉状態を理解していないがゆえに、新しい執着を生じさせてはいけません。この執着自体はあなたの修煉の前進にとって巨大な障害でもあります。ですから、この心も取り除かなければなりません。

 学習者の修煉の中でさまざまなトラブルが現れたとき、たくさんの心を放下できなければ、環境の状態は悪くなります。逆であれば、環境の状態は非常に良くなります。いくらかの問題やトラブルが現れたら、自分が内に向けて探さなければ、トラブルが目立つようになります。それは自分の執着によってトラブルを目立つようにさせたのです。ますます強くなる場合もあります。これは自分の修煉がよくできていないからです。最後に解決できなくなり、自分自身がこの状態に当惑してしまいます。どうしましょうか? 師父に聞いてみます。毎回どうしようもなくなったら、師父に聞いているのです。毎回、関を乗り越えられなくなって、乗り越えたくなくなったら、師父に聞いています。皆さんは師父の修煉を手伝っているのでしょうか? (笑)(皆笑って) それとも自分が修煉しているのでしょうか? (拍手)

 修煉は自分を修めることであり、いかなる状態が現れても、自分の問題を探さなければなりません。皆さんに教えますが、常人の場合、問題に遭ったら、自分の問題を探すことができれば、この人は常人の中の聖人になります。大法弟子はいかなることを行なうときでも、困難にぶつかり、その解決策を考えるとき、必ず自分の方から探して、大法弟子と法を正すことに必要な環境の状態に順応すべきです。問題が現れたら、それは自分が法理とねじれてしまったからです。問題の所在を探し、ねじれている部分を解きほぐし、問題を整理して解決します。最も良い方法は、問題に出遭ったら、前へ前へと突っ込んではならず、追い詰めて解決を求めてはならず、心を放下し、一歩下がって問題を解決すべきです。(拍手) 問題があったら、すぐにあなたが正しいのか、私が正しいのか、これはあなたの問題で、あれは彼の問題で、私は如何に行なったかと責め合い、見た目では問題を解決しているかのように見えますが、実はまったく違います。見た目では理性的に見えますが、実はちっとも理性的ではなく、一歩下がって、心を完全に放下して問題を考えていません。冷静に、穏やかにトラブルから抜け出して、トラブルを見れば、はじめて本当に解決することができます。

 いかなる問題に遭っても、このようにすることができれば、少なくともあなたは問題を解決する道を見つけることができます。そうでなければ、どのように解決するのでしょうか? 突っ張った状態で、解決したいと思えば思うほど解決できません。実はあなたはその心をずっと放下できず、突っ張っていて、どうしても誰が是か、誰が非かを究明したいと思い、自分に間違いがあっても、相手の間違いを探し出そうとしています。それでは、問題を解決することができません。多くの場合、この情況です。解決できなくなったら、師父に聞きに来ます。私が多くのとき、学習者に会いたくないと思ったのは理由があります。実は私は非常に皆さんと一緒にいたいのです。(拍手) 今日のこの社会の中で、皆さんは目にしていますが、この社会の人間はどのようになったのでしょうか? 私は彼らの汚い心と行為をまったく見たくありません。私は大法弟子と接したいのです。しかし、皆さんと接すると、皆さんはすぐたくさんの問題を持ってきます。(皆笑って) 皆さんの修煉の中で修めるべき多くのことを私に押し付けています。ですから、仕方がなく、皆さんに会うことを控えています。(皆笑って)

 皆が内に向けて探すことができれば、多くの問題が解決でき、それほど多くのトラブルもなく、それほど激しい反応もなくなります。しかし、師父はこのように話しましたが、なんと言っても人間が修煉しています。大法弟子が長い道のりを歩み、今日まで修煉してきたにしても、なんとしてもまだ人間が修煉しているのです。修煉できた部分はすでに神になり、隔離されたので、残っている部分には人心がまだ現れてきます。「師父、私はこれほど長く修煉したのに、よくない考えがなぜまだこれほど強いのですか? なぜ排斥できないのですか?」と私に聞く学習者がまだいます。そうです。あなたに修煉できていない部分さえあれば、それはこの汚染の中にいます。修煉できていなければ、旧い要素が完全に取り除かれておらず、必ず反応が現れてきます。全部なくなれば、はじめて問題がなくなります。私はこのように話しましたが、誰もが心を緩めてはいけません。「そういうことなのか。もう怖くない。(皆笑って) 反応があればあってもよい。気にする必要はない」と思う人がいるかもしれません。それではいけません! 修煉は第一位のことです。先ほど話しましたが、あなたはそれを抑制できず、内に向けて探し、トラブルに遭ったら自分を探し、自らを改め、人心を取り除くことができなければ、修煉して神になるそのよくできた部分が生じません。あなたは修煉しているとは言えません。ですから、あなたは絶えず自分の修煉できていない部分を神に成就できるように修煉し、しっかり修め、厳しく自分に要求しなければなりません。これこそ修煉なのです。でなければ、何のために修煉するのでしょうか?

 皆さんはご存知のように、多くの宗教が末法の時期に入り、人間が本当にこのようにしたいのではなく、人間が愚かになったからです。人間は何かの事を行なうことを修煉とみなし、宗教の形式を守ることを修煉とみなしています。実は神はまったくこれらのことを重く見ておらず、人心の向上のみを重く見ています。それこそが本当の向上です。その環境は修煉者、佛と神を信じる人が一緒に向上できるために提供された場所であり、互いに学びあうことができるためです。大法弟子が一緒に法会を開くのと同じように、大法弟子が一緒に法を勉強し、交流し、一緒に煉功します。大法弟子のこのような環境は比較的少ないのですが、これも皆さんが唯一、一緒に切磋琢磨できる機会です。皆さんは、多くの機会、多くの時間を常人社会に置かされており、ぶつかるトラブルの多くも常人社会での一種の現れです。つまりこのような修煉方式です。これで皆さんの修煉がよくできていないと言ってはならず、大法弟子が精進していないとも言ってはいけません。トラブルがきっとありますが、大事なのはどのように対処するかのことです。

 先ほどの話は、このことについてさらに詳しく皆さんに説明しました。実は私が説いた法は、すべてこの大法のものであり、皆さんは『転法輪』をよく読んでください。この本が出版された後、私が説いたすべての法は、全部『転法輪』を解釈するものです。信じられなければ、よく読んでみてください。『転法輪』にしたがって修煉すれば、成就することができます。(拍手)

 ついでにお話しますが、大法弟子が一緒に仕事をするとき、皆さんは本当によく協力しあうべきです。形勢の変化が非常に大きいのです。皆さんは目にしていますが、現在一部のことにまだ多くの障碍がありますが、すべての障碍がいったん取り除かれたら、このことも終わりになります。これらのことがまだ取り除かれていないからこそ、多くの人は虚言に惑わされ、まだ多くの人が真相を知りたくはなく、それによって今日の状態を形成しました。この状態も溶けていく氷のように絶えず溶けています。全部溶けたら、修煉環境もなくなり、修煉したくても、向上したくても、もうその環境はありません。衆生を救い済度したくても、すべての人々はすでに真相が分かったので、もう行なう必要はありません。つまり、本当にそこまでになったら、もうやることは何もありません。現在、多くのことを行なう必要があり、まだ多くの人が真相を分かっていないからこそ、今のこの状態が現れ、皆さんが行なう必要があります。しかも、この状態の変化は、大法弟子が真相を伝えるために払った努力、そして衆生を救い済度するために行なったすべてのことから切り離すことができません。もちろん、中には法を正す形勢の作用がありますが、もし、すべての大法弟子が一人ひとりの個人に対して真相を伝えなければ、社会で真相を伝えなければ、常人の表面のこの考えの変化の過程に対して、神が一人ひとりのために行なうことはありえません。ですから、人間の表面のことに対して、大法弟子が行なわなければなりません。

 師父の法身や、正の神、大法が世間で配置した巨大な場は、縁のある人、救い済度できる人を各種の環境を利用して、あなたの前に連れてきて、その人に真相を知る機会を提供しますが、皆さんがこのことを行なうべきであり、行なわなければ、それもいけないことです。形勢は大きく変化しましたが、皆さんが直面している圧力は弱まっていません。人を救うことは現在、とても緊迫していて、しかも、真相が分かっていない人はまだたくさんいます。各国の政府の現れも含めて、実は常人の状態と同じです。正しく認識しても、正しく認識しなくても、どんな考えを持っていても、事実の前で、彼らは認めなければならず、正視しなければなりません。修煉にしても、衆生を救い済度することにしても、人心を対象にしており、団体を対象としていません。この民族の全員を救い、あの民族の全員を救わないというように決まっているのではなく、そのようなことはありません。どの民族の人であれ、この世界のどこにおいても、人心のみを対象にし、いかなる団体も対象としていません。  

 大法弟子の中で多くの人に未来のいくらかの真相が見えました。それは虚像ではありません。一歩一歩、時間の変化とともに、それらのことはますます近づいてきています。ですから、大法弟子は行なうべきことをしっかり行なうべきです。将来どんなことがあっても、自分は惑うことなく、心の中に法を持って、行なうべきことを行なえばよいのです。 大法にとって必要であれば、行ないたいことを行なえばよいのです。(拍手) いかなることにおいても、極端に走らないでください。理性的に、冷静に行なってください。それはすなわち、大法弟子の威徳です。常人社会という形式の修煉の中で安定した状態を保つことができる人は、この修煉形式で真に最もよく行なっている人です。もし、この形式の中で、この形式を超えた現れ、この形式に合わない現れがあれば、その人はあまりよく行なっていないかもしれません。大法弟子の修煉がこのような形式である以上、この形式は大法弟子を造成することができ、将来の巨大な果位を成就することができます。この形式から離れて、或いはこの形式に符合していなければ、あなたの修煉に障碍をもたらすことになります。実はそれはすべて執着によるものです。

 先の話で、今日皆さんにこれらのことを話したのは、つまり現在多くのことは充分に行なわれておらず、多くの突出した問題があり、互いに協力し合う場合に満足のいかない状態が現れているからです。これらの情況に基づいて、師父はこの話をしました。今日は主に皆さんに会いに来ました。法会は皆さんが切磋琢磨する良い機会でもあります。師父はこれ以上多く話しません。このくらいにしましょう。ありがとうございます!(熱烈な拍手)

 皆さんに会って、本当に嬉しいです。(拍手) 皆さんに会う度に、全体の形勢、全体の状態に、大きな変化があります。毎回そうです。ですから、大法弟子のこの環境は人を精錬することができると私は言っています。大法弟子はこの社会で、いかなる環境、いかなる社会の立場においても、皆、正しい作用をしています。真相を伝えることにしても、法を実証することにしても、直接大法のことを行なっていなくても、あなたは必ず衆生を救い済度しており、必ず巨大な作用をしています。(拍手) なぜならば、あなたの正念と慈悲の場は必ず正しい作用をしているからです。今後さらによく行なわれるように期待しています。(拍手) 大法弟子が成就したすべてはもうすぐ現れてきます。ありがとうございます!(長時間の拍手)




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