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鄭州での説法 質疑応答

李 洪 志



弟子:よく動き回って言うことを聞かない子供に対して、私は一日中くどくど言ったり、叩いたり罵ったりしているのですが、このようにする価値があるのでしょうか?

師:私たちは子供を教育する方法を改善したほうがよいと思います。子供を罵っても叩いても効果がないことに気付いたら、方法を改めるべきです。皆さんに教えますが、彼も一人の人間なのです。今彼らはあなたの息子や娘でも、来世には互いに見知らぬ者同士ですが、あなたは彼に造った借りを返さなければなりません。私が言ったことを信じないかもしれませんが、常人の中で迷い、子供に無理やり大学を受験させたりして、こういうことに執着する学習者がいます。あなたに教えますが、あなたは彼に借りをたくさん造ることになります。将来は逆転して、彼があなたの父親になり、あなたにやられたことを今度仕返すこともあります。これは方法の問題ですが、もし子供を持っても教育しないなら、これもまた悪いことになるので、やはり彼に借りを造ることになります。

弟子:化身や報身とは何ですか?

師:これは佛教の中の名詞なので、これについて話しません。私は人体科学と結びつけて話しているので、極めて分かりやすく説明しています。彼らは三魂七魄のあれこれについて教えていますが、漠然としすぎています。どの程度まで漠然としているのでしょうか? あなたの心肝、肺腑、大脳、脳、すべての血管、細胞はみなあなたの姿かたちです。彼らの言っている三魂七魄が何を意味するのか私には分かりません。あなたの前半身もあなたの姿かたちで、後半身もあなたの姿かたちで、あなたの手足もまたあなたの姿かたちですが、彼らの言っていることは何を指しているのでしょうか? だからこそ私は、彼らの教えが漠然としていると言ったのです。私の説明は最もはっきりとしています。

弟子:私は神通加持法を煉っている時、時に下腹部が起伏して動きます。以前他の気功を練っていた時の調息のようなものですが?

師:そうです。そういう現象もあります。そのまま煉功して、気にかけないでください。それはある種の状態なので、法輪大法を煉る初期に調息も自動的に行ないます。

弟子:煉功した後、片方の手が熱くなり、もう片方の手は冷たくなるのですが、どういうことでしょうか?

師:これは、いずれも正常な反応です。道家では陰陽分明といい、こちらが熱くなるとあちらが冷たくなり、あちらが熱くなるとこちらが冷たくなることもあります。これはいずれも正常な状態で、様々な状態が現れてくるのです。

弟子:法輪大法を煉る時、舌を上顎に付けることが要求されますが、総入れ歯で上顎が遮られているのですが、かまいませんか?

師:関係ありません。入れ歯どころか鉄の入れ歯でも関係ありません。鉛の板でも遮ることはできません。私たちが煉っているのはエネルギーだからです。北京で彼らが私を訪ねて実験した時のことですが、何重もの鉛の板で包んだレントゲンフィルムを私に持たせ、それから何重もの黒い紙でそれを包んだあと持ち帰り現像しました。そこには私の手の形が現れました。つまり、鉛の板でもエネルギーを遮ることができないのです。我々は気を練っているのではありません。気を練るのであればあれこれ恐れたりします。煉功のとき風にあたっても大丈夫かと言う人もいますが、十級の強風の中でもあなたが立っていられれば煉ってください。何も失うものはありません。エネルギーが失われることはありません。気だったら失われるのです。

弟子:坐禅する時、足が痛まないと効果がないのですか?

師:そうとは限りません。私たちの一門は特にこのようにして業を取り除いているのではありません。私たちは常人社会の中であなたの心性を磨くのです。当然ですが、身体の面も少し苦に耐えなければなりません。この問題はすでに話したことがありますが、完全に禅定の修煉に頼るのではありません。

弟子:六歳以下の子供が無意識のうちに法輪バッジの中の景観が見えた後、天目が開くことがありますか?

師:無意識のうちに見えたなら、開いても彼には分かりません。子供はよく天目が開いても気にしないので、ものが見えた時はみんな同じように見えると思うのです。子供はとても無邪気で、見えても気にしません。

弟子:私の子供は先生の法輪大法を学び、先生の考え方を受け入れていますが、よく煉功しません。法輪はそれでも存在しますか?

師:よく煉功しないで、法輪大法の要求に基づいて行なっていないなら、それでも私の考えを受け入れているといえますか? 私は法輪をいい加減に常人に与えることはしません。大人であろうと子供であろうと、法輪大法の基準に基づいて行なわなければなりません。でも子供は無邪気なので、一度学んだ後は表面的によく煉らなくても、心性は変化しています。彼の心に、法がすでに根をおろしているからです。

弟子:今後、先生が講習会を行なわなかったら、私たちは師父に会うことができますか?

師:もう講習会はしません。私はどこかの人影のない深山から出て来たわけではないので、山に入ることもしません。よく修めていれば毎日会うことができ、あなたには見えなくても私は傍にいます。

弟子:私たちは乳白体状態を超えた時に、まだ体感功能がありますか?

師:以前話しましたが、それは功能ではありません。この講習会に来た大多数の人が、まだ体験していないうちにあの乳白体状態をすでに越えました。私は実際にはあなたを上へ引っ張って、また前へ押しています。この段階を越えるには、もしあなた自身で煉るとすれば一生涯かかりますが、私は八日間であなたのためにやり遂げました。体験すらしていないうちに、すでにその次元を突破しました。

弟子:私は静功を煉る時、目を閉じて自分の経絡が運行する形象を見てみたいのですが、これは法輪大法に不都合なことがありますか?

師:あなたは天目が開いたから見えたのです。これは正常なことです。

弟子:私は生まれたばかりの赤ちゃんと同じ部屋にいます。大法が出した法輪のエネルギーと私の身体の気機は、生まれたばかりの赤ちゃんの天目に影響することはありますか?

師:これらに執着しないでください。子供や赤ちゃんは成り行きにまかせておきましょう。得るべきものなら得て、得るべきでないものなら得るはずがありません。小さな子供の天目は、一般的にみな開いているのです。

弟子:私はもうすぐに香港に行きますが、先生の法身は弟子を保護してくれますか?

師:あなたが香港に行こうとアメリカに行こうと月や太陽まで行ったとしても、私の法身はすべて保護することができます。ただし執着してはいけません。私の法身はあなたを修煉させるために保護しているのです。

弟子:昔から、仙人や佛を修めるには金丹大道の一本道しかないのですが、あなたの言うところの主元神とはどんな関係ですか?

師:これはあなたが知っていることです。金丹大道の一本道や昔から言い伝えられた云々など、それは常人の言うことです。天上では誰もが私の法輪大法が最も素晴らしい法であると知っています。もちろん他にもまだ修める法はありますが、あまりにも奥が深すぎて、人に理解できるはずがあるのでしょうか?

弟子:どの式の功を煉っても、頭の中に多くの気血が交流している感じがしますが、それは法輪が回っているのか、それとも法輪が大脳を調整してくれているのですか?

師:煉功者の身体に現れる様々な状態は何千何万という数なので、数えても数えきれず、これらのことを一つ一つ話すことはできないばかりか、話しきれません。煉功をしたいならそれを良い現象と見て、それを気にかけてはいけません。今日のこの状態や明日のあの状態をただ良いことと見なし、それはすべてあなたの身体を調整してくれています。あなたのその不安な心とは何でしょうか? 執着ではありませんか? 恐れる心がそんなに強いなら煉功できますか? あなたは乗り越えることができますか? これはすでにあなた自身が設けた難ではないでしょうか? 生じた執着心をどうやって取り除くのですか? このような状態で、その心を取り除かせているのかもしれません。

弟子:坐禅する中の五つの手印に名称はありますか?

師:連続して動いている動作の手印には固定した名称はありません。

弟子:大蓮花手印は手印の一つですか、それとも五つの手印の総称ですか?

師:大蓮花手印は一つの固定した手印にすぎません。

弟子:あなたの功力は今どれくらい高いのですか? あなたの講義内容は身をもって経験したことですか?

師:私が経験したことはあまりにも多すぎます。私は一丈、十丈、百丈あっても、一寸たりとも話すことはありません。みなさんが余り多く知ることは許されないのです。真の師は自分で吹聴することはないからです。私がここで伝えているのはこの法なので、この法の通りに行なってください。しかし更に教えますが、本当にこの法を修煉する人に問題が起こることはないので、ひたすら修めてください。以前、貴州の講習会のとき、私に「先生はどれくらい高いのですか」と聞く人がいましたが、私は一言、「あなたはひたすら煉ってください。私が出山してからも、出山する前も、私を動かすことのできる人はいません」と言いました。この一言で、現地の三百歳余りの人が、私に法力比べを挑んで来ました。というのも、彼のその嫉妬心からです。その後、彼はお終いになりました。彼は三百歳余り修めたとしても、この大法を伝え出したことは一大事なので、誰もこの法を勝手に動かしてはいけません。彼は私が人を済度していることを最後に知りましたが、すでに遅かったのです。法は彼を許しませんでした。

弟子:坐禅して煉功する時に、自分が大きくなったり、小さくなったりすると感じるのですが?

師:これはどちらも良いことです。煉功すると、エネルギーが彼の元神を充実させて彼には変化が起きるのです。拡張すれば自分が大きくなったと感じますが、その肉体は全く変化が起こっておらず、変化するのは別の身体で、自分は非常に大きいと感じるのです。ところが彼はまた縮小することもでき、とても小さくなります。実はいずれも正常なことですが、私はこういった現象を解釈したくありません。色々な状態が多くて、何千何万にも留まらないのです。

弟子:神通を加持する時、全身がぞくぞくと身震いしたり、あるいは部分的に身震いしたりするのですが、煉功を続けてもいいでしょうか?

師:もし震え方がぶるぶる震えて怖いような時には、何かの憑依するものが怖がっているのかもしれません。もし、正常な身体のゆっくりとした振動なら、エネルギー流が脈を通しているのかもしれませんが、その震動に従って動いてはいけません。

弟子:以前、二人の人が古い学習者について法輪大法を二ヵ月学びました。今は神通加持法を煉るときに気の感じがあり、それに伴って様々な動作が現れるのですが?

師:それこそ魔の妨害です。今すぐ自発的な動作をやめてください! 入静中、法輪大法でない動作が現れたなら、もちろん私が言うのは本当に法輪大法を修煉する人ですが、あなたに法輪大法でない動作が現れたなら、すぐにそれをやめてください! 皆さんは私が大手印を打つのを見て学びたいと思い、真似てやれば手印もできるように感じます。教えますが、それこそ魔があなたを妨害しているかもしれません。私の法身は決してあなたにこういうことを教えたりしません。特に別の功を混ぜて練る人にこの状況が現れると、きっと妨害されているに違いありません。

弟子:講習会に行ってしばらくしてから、片方の耳に大きな音がし、もう片方の耳から気が外へ突き出てきました。その後、寝ている時に音楽が聞こえたのですが?

師:それは天耳が開かれたので、つまり天耳通です。炸裂して開かれたのです。

弟子:主元神と副元神はどちらも身体の一部分ですが、主元神がいずれ死ぬことになるので、副元神に修煉させ成就させてもよいのではありませんか?

師:いいですよ。歴代の人はまさにこのように修めていたのです。ただ、あなたは私の法輪大法を煉らずに、別のものを煉ってください。あなたが法輪大法を煉っても得ることはできません。なぜなら私の功法は主元神だけに与えるものだからです。誰が主元神は死ぬと言ったのでしょうか? 主元神は死ぬことはありません。でも私に言わせればあなたは本当に度量の大きな人で、自分が死んで副元神に修めさせます。私が思うには、これは憑依されている人が書いた質問です。

弟子:古い学習者の話によれば、全身至るところで法輪が回っているそうです。私は下腹部に一つ感じるだけですが、私もそんなに多く持つことができるのでしょうか?

師:あなたはけっこう執着していますね。法輪が多いのは私が彼らの身体を調整しているからで、あなたたちに与える法輪はただ一つです。しかし、あなたたちはすでに相当超常的です。皆さんには、皆さんが法を聞いているのが見えますが、あなたたちには見えないたくさんの人々もここで法を聞いています。教えますが、彼らも初めはみな大法の威力や、私たちの功はどうして煉るのがこんなに速いのか信じませんでした。学習者は私と一緒に列車に乗っていたとき、山から来た修道者たちが彼らを見た後、とても不思議に思いました。その人たちは私に「これらの学習者はどれくらいの期間学んでいましたか」と聞きました。私は、「半年学んでいた学習者もいれば、一年学んでいた学習者もいます」と答えました。私は「あなたたちと比べてどうですか」とも言いました。彼らは「私たちの中で、彼らに及ぶ人はほとんどいない」と答えました。ところが、彼らはなんと数百年、千年にも及んで修めています。あなたは、私があなたに何を与えたと思いますか? そこに坐っていると泣きたくなると言う人がいますが、あなたは泣かないはずがあるのでしょうか?

弟子:神通加持を煉って結跏趺坐をしているとき、はじめから足がとても痛いのですが、いつまで修めると痛まなくなりますか?

師:あなたの業がなくなるときまで修めると、痛くなくなります。

弟子:師父が植え付けてくれた法輪を下腹部で感じられません。講習会に何度も参加しなければ、きちんと植え付けられないのでしょうか?

師:全く感じない人もいれば、特に敏感な人もいて、同じではないのです。感じるにしても感じないにしても、本当に法輪大法を修煉する人でさえあれば、誰にでも法輪を植え付けてあげます。あなたの認識は間違っています。独学する人でも本当に修煉したら得ることができるので、きちんと植え付けたかどうかという認識も存在しません。

弟子:講習会に一度だけ参加した学習者と、何度も参加した学習者が得るものは同じでしょうか?

師:同じです。誰かに何かを多く与えたりはしません。私たちの多くの学習者は何度も何度も講習会について来ますが、何かを得るために来るのではありません。私が話すたびに彼らは新しい認識を得、法を学び、法を聞きに来ているのです。この法が貴重だと知っているので、何かを得に来るのではありません。講習会に一回付いて来れば少し得て、また一回来ればもう少し得られると思っていますか? 冗談ですが、あなたのこの考えは欲張りですね。

弟子:子供の天目が開いたなら、どのように守りますか?

師:私たち法輪大法の学習者や幼い学習者、または学習者の子供も、法輪を得たり天目が開いたりしても、修煉していない人にむやみに話してはならず、学校の友だちや先生にさえむやみに話してはいけません。そうでないと、子供はそれから安らかにできません。

弟子:このような世界に滞在したことのある人は、心に少しの痕跡も残さずに、最初の純潔さを取り戻すことができますか?

師:できます。そればかりでなく、はじめのあなたを超えることもできます。もちろん、あなたが常人の中でそのような純潔さを一挙に修めようと思うなら、自分だけの力では無理です。最後のその一瞬の時、あなたに残っている如何なるものも、良くない物質をすべて取り除いてあげます。あの情は物質的に存在しているもので、あなたはそれを自分で修めていかなければならず、思想の面から自分を変え、それを再び生じさせないようにします。最後にほんの少し残ったものを、あなたのために取り除いてあげます。その時あなたは純粋なものだけになり、非常に純粋になります。修めるということは人の思想を修めることで、思想の面から改変されることであり、あなたの思想が純粋になった程度、それがすなわち果位なのです。圓満した後、あなたの思想も完全に圓満した次元の思考方式になり、人間の思考方式は全くありません。

弟子:主元神は最後にどの身体に入りますか? 別の身体はどのような状態にありますか?

師:主元神はどの身体に入るかということですか? あなたが修めたその身体はすべてあなたのものです。他の空間の身体はもともと一体で、すべてあなたと一体になっています。あなたの肉体が高エネルギー物質に転化された後、もはや他の空間の身体とは言わなくなります。

弟子:少林寺の大雄宝殿に入ったとたん、下腹部の法輪が急速に逆回転したのですが?

師:時計回り、逆時計回りはどちらも正常なことです。とても良いところでとても素晴らしい寺院です。もちろん今そこで修煉する和尚がどうであるかは言いません。私が言うのは、寺院そのものはとても良い寺院です。

弟子:両側抱輪をする時、いつも耳鳴りが起こるのですが?

師:そうです。両側抱輪は人の耳を開くことができます。「これは素晴らしい、私は毎日これだけを煉ろう」と思う人がいます。これは執着心です! 私は新しい学習者にはこういったことを話したくありません。こういうものに対して最も執着しやすく、執着するときっと妨害されます。

弟子:私は法輪大法を修煉する前、夢の中で自分が天に昇り、天を飛んでいるのが見え、地に潜り込むのも見えましたが、それは私の副元神でしょうか?

師:違います。もしあなたの意識が天を飛んでいるなら、あなたの主元神が身体を離れたのです。あなたの意識があるところが、つまりあなたのいるところです。自分が天を飛んでいるのが見えて、しかし自分はここに坐っているなら、それはつまり副元神が飛んでいるのです。

弟子:私は静功を煉り始めて三十分後、全身がこわばって力がこもり、それから身体が丸まり、懸命に煉功するのですが、これはどういうことでしょうか?

師:気にかけないでください。あなたの以前の生命体と関係があります。気にする必要はなく、ひたすら煉ればよいのです。

弟子:溶接工は仕事をする時、煙と塵やアークライトに触れますが、それらは身体に影響しますか?

師:煉功者に対して影響ありません。

弟子:第一日目に煉功した時、丸い形のものが外から腹に入り、それからゆっくりとへそのところまで降りました。お尋ね致しますが、先生が植え付けてくださった法輪でしょうか?

師:煉功者はこういったことを気にかけないでください。様々な状態は解釈するほどのことでなく、執着心を増やしてはいけません。

弟子:私はある気功師のカレンダーと本を買いました。先生の写真と一緒に部屋に掛けて見ることはできますか?

師:できません。修めるなら専一でなければなりません。たとえ本当の気功師や良い気功師であっても、教えますが、彼には邪なものを排除する能力はなく、それらに妥協しなければならず、一部の功の中にそのようなものを帯びています。彼自身は正道を修めていても、それらを排除することができず、自分の伝え出したものを管理しきれません。

弟子:長期間、船上で仕事をしている人が法輪大法を修煉して、同じような効果に達することができますか?

師:同じです。海上で煉功するのも、川の上で煉功するのも同じことです。

弟子:煉功者の食事は適当に腹を満たし、力が出せればよいのですか?

師:適当に食べますか? 適当に食べてもやはり腹を膨らませなければなりません。食べるならやはりしっかり食べるべきではないですか。なぜ、適当にするのですか? もし困難な時期であれば、少なめに食べてもかまいません。あなたの身体はまだ世間法で煉っているので、世間法の中のもので栄養を供給する必要があります。そうでなければ、この身体は駄目になってしまうのではありませんか? あなたの身体が高エネルギー物質に取って代わられる前に、食事をしなくていいのですか? 美味しいものを食べても、心に執着がなければ問題ありません。

弟子:法輪大法を学ぶ人は、小動物を飼っても良いのですか?

師:佛家は殺さず飼わずを重んじていますが、道家もこのように重んじているかもしれません。道家は一部霊的なもの、亀などを飼ったりします。極めて高い次元においても、一匹二匹を護法として飼いますが、最も良いものを選ばなければなりません。あなたが煉功して次元が向上するにつれて、それらの動物は容易に霊気を得ることができます。霊気を得ても心性を重んじないので、悪事をして魔になります。

弟子:夜、一人で目をつぶって煉功する時、周りが静まりかえったら、とても怖く感じます。

師:皆さんに話しますが、現在は、どの空間でも法輪大法を知っています。法輪大法が常人社会で伝わり、多くの得体のしれない様々な空間のものも見てみたいと思っています。それらは奇怪な姿をしており、様々な形をしています。あなたがそこで煉功しているとそれらが会いに来たら、あなたは怖い感じがしてぞっとします。しかし私の法身がいるので、誰もあなたを傷つけることができないことを覚えておいてください。それらはただ見たいと思っているだけなのです。なぜぞっとするのでしょうか? あなたの副元神が見たから、とても怖い感じがしたのです。実際には何の問題もありません。

弟子:法輪世界はどのような様子ですか?

師:あなたは極楽世界があるのを聞いたことはありませんか? 法輪世界はよりいっそう美しいのです。

弟子:もし自分の肉親の間で業を償う関係があると知ったなら、どのように付き合うのですか? どのように業を償うのですか? どのように恩に報いるのですか?

師:いずれにしてもあなたが知ることはありません。常人のこういったことを人に知られることも許されないのです。修煉者が圓満して、はじめて知ることができます。その時、あなたはすでにそれらに執着しません。人にはそれぞれ天命というものがあるので、縁に従いましょう。

弟子:身体障害者にはどのように心を配って世話をしますか?

師:常人の中のことを私に聞いてどうするのですか? あなたの両親を、あなたの子供をどのように世話するかも私に聞くのですか? すべて常人の中のことです。私はここで法を説いており、高い次元へ修煉していくことを説いています。ただし身体障害者としてあまりにも楽をしすぎるなら、業を償いきれないので、来世もまた不具の身体になることがあり得ます。

弟子:上司の指示が誤っている場合、どのように対応したらよいでしょうか?

師:これもすべて常人の中のことです。煉功者としてどうするかは、法の要求に基づいて行なうべきです。どのようなことにも因縁関係が存在しています。あなたは誤っていると思っていますが、本当は正しいのかもしれません。その人は上司なので、あなたにどうしなさいと言ったら、あなたはその通りにすればよいのです。もちろん、あなたに殺人や放火など、悪いことをさせるなら、当然あなたはやってはいけません。原則に反してはいけません。ただし、我々が言う原則の基準は、決して同じではありません。

弟子:煉功者が不意に間違ったことをしたら、先生の法身は知っていますか? その人を罰するのでしょうか?

師:もちろん知ることができます。もしあなたがよく修めていれば、その場であなたに啓示してすぐに報いを受けさせ、間違ったことをして生じた業を償わせます。もし、あなたがしっかり修煉できておらず、繰り返し問題を起こしていれば、いつもすぐ報いを受けさせてはいけません。誤ったら報いを受けさせ、また誤ったら報いを受けさせる、このようにあなたの悟性を高めるなど、とんでもありません。そして、このようにすることも許されません。

弟子:どうすれば、あなたの法輪と法身を我々に見せてくれるのでしょうか?

師:あなたは一体何を見たいのでしょうか?! それは常人に見せるものですか?! あなたはこんなに良くない執着心をもっていますが、佛が見える人はすでに果位のある人なのです。これは煉功者が出すような質問でしょうか? すべて見えるなら悟りも存在しなくなり、修めることも許されなくなりますが、あなたが修められなくなるだけでなく、これほど多くの人までも台無しにさせたいのですか?

弟子:神通加持法を煉っている時に、時々頭が動くのですが?

師:動いてはいけません。絶対に動いてはいけません。余計な力を入れずにリラックスしてください。

弟子:私たちの煉功場でよく木の葉を燃やして煙が立ち上りますが、煉功を中止したほうがよいのですか?

師:公園の中で木の葉を集めて燃やしても煉功には影響しません。あまりにもけむたかったら、中止するか場所を変えてもよいのです。他には問題ないと思います。

弟子:日用品を壊してしまったら、業を造ると同時に徳も損なうのか、それとも業を造るだけで徳は損なわないのでしょうか?

師:釈迦牟尼は万物にはみな霊があると言ったことがあります。実は他の空間ではどのようなものも皆生きています。もし、あなたの天目が法眼通に達したなら、ドアを開けて外に出ると、きっと石や壁さえあなたに挨拶して、話しかけてくるのが見えます。ただ皆さんに教えますが、大局に着眼して堂々と修煉し、こういった小さなことに執着しないでください。人には人の存在方式があります。本当に大法を修める人は、一日のうちにとても多くの業を消去することができます。故に業力は大法を修める人にとっては、それほど心配することではありません。

弟子:単手衝灌をする時、肩が手の動きとともに上下に動き、体全体も上下に動く人がいますが?

師:それは正しくありません。肩と体は力を抜き、動いたりしません。

弟子:家族が憑き物の功を練っています。忠告しても受け入れないのですが、どうしたらいいでしょうか?

師:成り行きに任せてください。あなたが誰かの考えを左右しようと思ってもできません。できるのはただ善を勧めるだけです。せいぜい善を勧めることしかできないので、耳を傾けてくれなければそれまでです。師父は真に修める弟子のために環境をきれいに整理してあげます。それらの乱れに乱れたものが弟子の家に入ることを許しません。

弟子:友人から贈り物をもらうのは良いでしょうか?

師:友人から贈り物をもらうというなら関係ありません。二人が仲良く、物を贈るのは自らの意識によるものでかまいません。

弟子:我慢できず心の中で人を罵ったり、自分を罵ったりしても徳を失うのですか?

師:自分を罵ったなら、誰に徳を失わせるのですか? あなた自身に徳を失わせるのですか? しかし、煉功者たるもの、人を罵ってはいけません。自分を罵っても、腹を立てることなので、忍ができなかったことになります。そうではありませんか? 私たちは忍を重んじています。小さな子供や自分の子供に対しても、気の向くままにぶったり罵ったりすべきではありません。子供を躾けることは問題がないので、子供を教育しなければいけません。しかし、躾けるには方法を講じますので、子供を躾けるために自分が怒ってはいけません。本当に怒ってはいけません。

弟子:五、六歳の子供が私と一緒に煉功しているのですが、法を知らなくても上へ修められますか?

師:それなら子供にどのように良い人になるかを話してみましょう。物語を語るように先生がこのように言ったと話したらよいのです。教えておきますが、一部の子供はこの場で聞いてとてもよく理解できています。子供があなたより理解できていないと思わないでください。

弟子:私たち修煉者は、更に佛教や道教の本の中の教えをくみ取ることができますか?

師:絶対にやってはいけません。絶対に駄目です! そうすれば、乱れてしまうのではありませんか? 法門を混ぜることになるのではありませんか? 不二法門を講じるべきです。もちろんあなたが法輪大法を煉るのでなく、法輪大法の法理で、その他の功の練習を指導してもらうなら問題ありません。当然、私が伝え出したこの法はあらゆる功にも指導作用があるので、あらゆる功もその通りに心性の修煉を重視していかなければなりません。

弟子:法輪大法の理を学んでからは、どのような心理状態で生活すればよいでしょうか?

師:様々な文化、スポーツ活動や常人の中のことにあなたが参加したければ参加しても、功に影響はありません。煉功するにつれて絶えず高まった時、こういったことをあなたはあっさりと考えるようになります。より高い次元まで修煉した時、これらもやはり執着だからです。しかし、今あなたに一気に放棄させようとしません。すべて放棄したなら、今日にでもあなたは佛になってしまうので、今はあなたも一気に放棄することができません。人は、情があるからこそ常人の好みがあるのです。

弟子:私が煉功する時、法輪大法の音楽の中から同時に規則的な鈴の音が聞こえました。これは何でしょうか? それは副意識が作用を及ぼしているのですか?

師:そうではありません。他の空間からの音声です。このような現象は多くあるので気にしないでください。

弟子:煉功する時に観想を加えることはできますか? または一脈が百脈を率いることで入静を促進することをしてよいですか?

師:意念はありません。我々は直接高い次元で修煉するので、できるだけ有為の意念をすべて放棄します。それなのにあなたはどんなものを加えようとするのですか? でたらめです。あなたに我々のこの修煉法を乱させるわけにはいきません。あなたが加えれば、法輪は変形するに違いありません。我々は百脈が同時に通じると言っているので、一脈が百脈を率いるということをやりません。

弟子:世人の修煉が、ただ自分が覚者になるためだけで、他人のことを考えないなら、こういう人はどのような人でしょうか?

師:佛は人を済度できますが、佛は人を済度するために生じたのではありません。あなたは佛があなたを済度しなければならないと思いますか? 自身の解脱を達成できればと、羅漢はこのようにして修めて成就したのです。もし、あなたに衆生を普く済度しようとする願望があるなら、更に続けて上へ修め、その次元に達してこそ、はじめて世の人を済度することを実証し悟れるのです。済度するといいますが、どのように済度するのでしょうか? あなたも私と同じように、このように話してこのように行なうことしかできません。誰かの難をすべて消してその人を上へ持ちあげるなんて、その時になればあなたは分かりますが、その人を上へ持ちあげられないうちに、まずあなた自身が堕ちてしまいます。それは絶対に許されないことです。また、修煉者は他人のことを考えなければいけないということもありません。すべて執着です。

弟子:先生は海外に行って説法をされる時、外国人にも法輪を植え付けてあげるのでしょうか?

師:真に修めるなら誰にでも植え付けてあげます。大法は宇宙のものであり、全世界の縁のある人はすべて学ぶことも得ることもできます。

弟子:中国伝統医学の医師は、鍼灸で病気を治療することができますか?

師:もちろんできます。それは常人の中の仕事です。

弟子:師父は講習会に参加するすべての人に法輪を植え付けてあげるのでしょうか?

師:いいえ、ここで学んでいるごく一部の人は、法輪大法を信じていないのです。疑いを抱いている人もいます。それに聞いているうちは良いと思いますが、結局修煉できない人もいます。

弟子:法輪は先生の法身によって回収された後、また新たに先生の要求に基づいて行なえば、法輪はもう一度与えてくださるのでしょうか?

師:そうだとすれば、本当に心を改めて、初めから学ぶ人のように行なわなければなりません。

弟子:先生の法輪を借りて学習者の病気を調整してあげられる、先生の病気も察知できると言う学習者がいますが。

師:それは魔の心による発言で、絶対に信じないでください! そのように言う人は、絶対に法輪大法の弟子でないばかりか、深刻に大法を破壊しています。私は今まで病気とは何かを味わったこともありません。私の病気を察知できると言いますが、まず、その人が私の場に入って来られるかが問題です。

弟子:無為についてどのように理解すべきですか?

師:心性を守り、やたらと有為のことを行なってはならないことです。殺人や放火を見かけたらやはり関わらないと駄目で、それは心性の問題です。

弟子:煉功場で誰かに話しかけられたようなときは、私も心の中でその人と話をしてもよいですか?

師:一部の功が開いたあと、修煉しにくくなると私は言ったことがありますが、つまりこれが原因なのです。誰かに話しかけられ、または何らかのものが見えたなら、嬉しくなって自分を制御できなくなります。彼はその人と交流しますが、相手が魔であるかどうか分かりません。その人がたとえ魔でなくても正法修煉の覚者ではありません。その人がたとえ天上から来た者で、邪な者ではないにしても、正果を得ている人ではありません。さもなければ、彼は正法を修める人を妨害するはずがありません。考えてみてください。その人のものを受け入れた時、あなたはまだ修煉できるのでしょうか? あなたのものは乱れていませんか? あなたに執着心が現れていませんか? 人に功能が出たら制御しにくく、功が開いても修めにくいのは、つまりこういう原因です。とても難しいことです! いったいどれくらいの人が修煉して成就できるのか、私も天上も見ているのです。