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二〇〇三年元宵節での説法

李 洪 志

二〇〇三年二月十五日



(長時間の拍手)皆さん、おかけください。

 またしばらくお会いしませんでした。私が今回の法会に参加すると多くの人は知っていたようですね。皆さんは情報が速いですね。修煉の中で皆さんもますます神通力がついてきたようですね。(拍手) 今日、まず皆さんに法を正すことの情況についてお話しますが、それから私の情況、そして法を正すことが進んでいくにつれて修煉の中で学習者に現れた幾つかのことについてもお話します。

 私は異なる場において、異なる角度から宇宙全体で法を正すことの洪大な勢いについて話したことがあります。今日、私は他の角度から法を正すことの形式について述べたいと思います。ご存知のように、宇宙は非常に厖大であり、測り切れないほど厖大です。これは人間の測量方法で測るのではなく、神の測量方法で測る場合です。計り知れない衆生は誰も地球がどれほどの分子で構成されているか明確にすることができないと以前私は言いました。一つ一つの粒子は皆生命ですが、宇宙にまたどれくらいの星があるのでしょうか? 計り知れないほど多いのです。皆さんは想像を尽くしても天体の大きさを、ただ、ある小さい天体という粒子の範囲として考えているに過ぎません。厖大な宇宙の中で、その中の生命は数え切れないだけではなく、その次元も数え切れないのです。神にとってもそれが数え切れないのです。非常に高い次元にいる王、主もこのような考えでこのように認識しています。ですから、後期での説法の中で私は宇宙の大きさについて触れませんでした。なぜならば、人間の言葉でそれを言い表しようがないからです。しかし、高い次元に行けば行くほど、それらの厖大な生命とそれらの厖大な空間はますます言い表しようがないほど厖大なのです。そこにいる一つの生命の体積はその下にある全ての宇宙をも越えています。これほど大きいのです。法を正すということにおいて、20パーセントの旧宇宙の生命は法を正す中でそれらが手に入れたい一切を按排することに参与し、異なる次元に一部の生命が直接今回の法を正すことに参与しました。それらが思いもよらなかったのは、それらの参与がまさに今回の法を正すことの本当の魔難と障碍になりました。それらの参与は法を正すことの全体に巨大な障碍をもたらし、そのため計り知れないほどの衆生が消滅させられました。「師父は慈悲深いのではありませんか。それらを許せば良いでしょう」 旧勢力は私の洪大な慈悲を弄んでいます。法は確かに衆生に慈悲深いのですが、しかし威厳のあるものでもあります。法にも基準があり、衆生に対して変わることも破壊されることもないものであり、勝手に左右されてはいけないものです。私は衆生に慈悲深くしてもいいのですが、本当にそこまで罪を犯してしまったら、それを量る法があります。それ以上の慈悲であれば、限度がなくなり、自滅するに等しいのです。ですから、このような生命は淘汰されることになります。

 法が正される中で、旧勢力の参与によって淘汰されてしまった宇宙の衆生は計り知れないほどいます。それらは具体的な参与の中で、自分の目的を達成させるための最も有効な方法を採りましたが、それもそれらの最も典型的なやり方です。つまり、全ての厖大で巨大な天体はみな宇宙の最も低い次元の三界に片足を踏み入れました。これは喩え話です。言い換えれば、それらにそれぞれ三界に押し込まれた一部分があります。皆さん考えてみてください、それほど厖大な天体、巨大な生命は三界に入ったら、三界にどのような状態をもたらすのでしょうか? 今日の人類は昔の歴史と比べることのできないほど変異してしまいました。地上の神仙まで巨大な圧力を感じています。私は彼らにこの変化について聞いたことがあります。彼らはそれが自分の修煉状態によるものだと思い込んでいたと答えました。地上の神まで神通を発揮することができなくなりました。なぜならば、これらの巨大な生命は宇宙のこの最も低い次元にある全てにとって一種の抑制となっているからです。彼らが下りてきた後、三界内の生命の変異、物質の変異に想像もつかないほどの破壊をもたらしました。法がこの世を正す時に最終的にこれを徹底的に調整しなければ、ここは既に収拾もつかなくなり、誰も為す術もなく、救うことも残すこともできなくなります。

 それらが通常採った方法は、厖大な天体と無数の大穹が圧縮し一体となり、三界に割り込むことです。厖大な生命はその次元が高ければ高いほど、体積が大きいのですが、その顆粒つまりそれを構成する要素はますます細かくなり、つまりますますミクロになることです。それほど厖大な生命は一緒に圧縮しており、皆さん考えてみてください、この宇宙の最も低い次元ではどのような状況になるのでしょうか? 強大な障壁となります。実は、宇宙で法を正すことは手を振る間にできることです。なぜならば、この手を振るという過程で、宇宙の多くの時空にいる生命が感じたことは大きく異なっているからです。計り知れないほどの空間にそれぞれの時間があり、時間の間の差異の大きさ、時間の多さも計り知れないほどのものです。ですから、異なる空間の間に巨大な時間の差異がもたらされました。この手を振る間、それと同時に発生しているところもあり、既に数十年、数百年、千年以上、幾万年も過ぎたところもあります。幾億年ひいては幾兆年、数え切れない時間が過ぎたところもあります。それに対し、人間のこのところはまだ良いほうですが、十数年しか過ぎていません。つまり、時間によってこの差異がもたらされました。

 皆さん考えてみてください、異なる空間と時間にこの差異が存在しているため、三界に押し込まれたそれらの厖大な天体は、人間のところまで入ってきましたが、圧縮されている状態です。人間の考えと概念で認識すると、全体的な体積が縮小しても、中の構造が変化したというのではありません。皆さん考えてみてください、その中の構造が変わっていなければ、その中に入ると、それがやはり巨大な空間であると気付きます。法を正す中で私が行い始めた頃、三界の外で行っており、三界を避けて通りました。なぜ避けて通ったのでしょうか? もし私が三界の中で行っていれば、人間の言葉で言うと、三界は宇宙で法を正すことの焦点となり、核融合、及び更に更にミクロ的な粒子の融合の場所となり、法を正すことの主戦場となります。巨大な生命及び天体の激しい変化は全てここで起こり、皆さん考えてみてください、三界は何も残されることなく破壊されてしまい、何もなくなります。これがなぜ三界を避けて通ったかの理由です。

 三界の外で法を正しはじめ、ずっと上に進んでいきますが、それは一直線で進んでいくのではなく、四方八方、ミクロとマクロから同時に外へと拡散していくのです。上へ進むと同時に下へも進んでいきます。なぜならば、ミクロ的であればあるほど、マクロ的になるという概念だからです。法を正すことが及んだところで、全ての時間を超えて行っています。上の空間から見れば、このように膨大に広がっていく速度と巨大な突撃は神がそれを見てもかつてないほど驚愕するのです。法を正すことが及んだところで、全ての天体は崩れて破壊され、建て直されています。多くの場合は善解されており、淘汰される天体もあります。異なる恒星系と星が組み直されていると皆さんは最近米国の天文学上での発見を見ましたが、これは人間が観察できる範囲で起きた天体の組み直しの光景です。異なる距離にある空間の時間に大きな差異がありますが、実は同じ大きな時間の中で空間の間隔によって異なる時間の区域を区分けしただけである、ということは人類にまだ分かっていません。実は同時に起きているのです。全ては人々を驚愕させるほど起きています。巨大なエネルギーが爆発し、組み直されていますが、その組み直しの過程は極めてマクロであり、極めてミクロです。奥妙であるほど細密であり、精密であるほどミクロであり、巨大な複雑さ、穹体の大きさは巨大な神まで驚嘆するほどです。それであっても、法を正すことの勢いは速やかに完成し、一瞬で過ぎてしまい、全てやり終えてしまい、しかも完全無欠です。しかし、三界に割り込んできたこの部分は上の空間と連帯して一体を成しており、繋がっているのです。それらの巨大な体積内にある空間は非常に広いものです。厖大な生命はその表面からその最もミクロ的なところまで、つまりそれ自身の内部にある距離は厖大な神が一生をかけても突き抜けられないと以前私は話したことがあります。神の一生はどれほどあるのでしょうか? それほど巨大なのです。しかし、法を正す中で一瞬にして過ぎてしまい、非常に速いのです。三界の中において、人間の認識で見ると、それらが言い表せないほど狭く小さく圧縮されていますが、その時間、空間と構造は上の空間と同じです。上で巨大な空間を一層突き抜けたら、下ではそれと対応しており、同じ時間で非常に薄い空間を突き抜けました。三界に押し込まれた大穹の天体はあまりに多く、これらの天体とともに三界に入ってきた生命も計り知れないのです。ですから、法を正す中で宇宙の上の空間とミクロ的なところにおいて目覚しい勢いで速く進んでおり、その次元での認識をもって喩えると、その次元でのレーザーの爆裂よりも速いのです。私は人間が理解できる最も速い様子を形容する言葉で言い表しています。上の空間で比類ない厖大な天体が法によって正されましたが、人間の所では非常に薄い皮を削り取ったかのようです。私が言ったことを皆さんは分かったでしょうか?

 三界の中において、なぜ法を正す中で表面への突破はこれほど遅いのでしょうか? つまりこの原因です。法を正すことがこの世に戻った時は、つまり宇宙の上の空間の全ての宇宙要素と生命に対して全部やり遂げた時なのです。これは同時に行われることであり、同じ時間に完成するのです。上で法を正すことが終われば、三界も突破してしまいます。私は別の角度からこれを説いていますが、つまり法を正すことが始まった時、私はなぜ三界内で行わなかったのかを皆さんに説明しています。師父は旧勢力の按排を認めないのですが、なぜ旧勢力を一瞬にして消滅しないのでしょうか、と一部の学習者はこのことに思いつきました。師父にそうすることができ、これより大きくてもそれができます。しかし、皆さんは考えたことがあるのでしょうか? 法を正す中の厖大で巨大なエネルギーを移動し戻し、三界でこのことを行ったら、原子爆弾で蚊を撃つことのようになり、力を発揮することができません。厖大なエネルギーを移動し戻したら、三界で戦場を開くかのようになります。それらが三界に入ってきましたが、それらの巨大な体積はまだ上にあり、押し込まれたのはただの一部に過ぎません。私がそれらの天体を解体し建て直す際、上と繋がっているさらに大きな体積は絶えず補充してきます。絶えずそれらを解体すれば、それらは絶えずここに押し込み、他の天体もこのようになり、押し込まれてきた天体はリレーのように絶えず入ってくるのです。その場合、皆さん考えてみてください、巨大な無数の天体と生命が絶えずここに入ってきたら、ここは全ての粒子が融合する場になったかのように、ここは宇宙の最大の焦点となります。私の力も一つの厖大な体積であり、これほど大きな力ですが、この一点に使えば、力があっても発揮することができません。しかも、時間が長くなり、最終的にそれらを全部突破し、全てをやり遂げたとしても、皆さん考えてみてください、人類のこのところ、三界のこのところには何もなくなります。この巨大な衝撃の中で何も存在しなくなります。これは私がなぜ直接ここで行わなかったかの理由の一つです。また、私はなぜ三界内に起こった情況に対してすぐに特別な処理をしなかったのでしょうか? 私がそれらを一掃したら、それらは絶えず阻みにくるので、上で述べた情況と同じ情況が起きます。ですから、三界に大きな問題が生じなければ、ここで行うことができません。法を正すことが全体において全面的に行われているため、人間のこのところだけを重視してはいけません。もしこれが原因で洪大な穹体の最後の全ての要素を救い済度することに支障をきたしたら、それはもっと恐ろしいことになります。

 しかし、法を正す全体のことにおいて、私が常人のところにも大量の功を残したと皆さんに教えたことがあり、皆さんも以前聞いたことがあります。学習者の修煉と法を実証することを保障することに関して言えば、これは全く問題のないことであり、完全に制御することができます。しかし、もう一つの問題があります。なぜ旧勢力にそれを左右することができるのでしょうか? 三界に押し込まれた全ての生命は旧勢力だからです。それらは一つの障壁を形成し、私が特別に何かを行ったら、それらは集まって阻んできます。私がどうしてもそれを行うのであれば、それらは全ての力を集めて遮るのです。

 昔、中国の東方健康博覧会の時、より多くの人々に大法を認識してもらうために私は初めて病気治療をしました。業力のとても大きい人もいましたが、私はこのような人の病気を治療した時、旧勢力は彼らの病気が治らないようにしました。旧勢力が取った阻害方法は無数の数え切れないほどの旧勢力が按排した神がすぐにその人の病の巣に集まり、その時それらの神が非常に小さくなっていました。大法弟子は時々、金色の光が目の前をよぎっていくのが見えますが、これはそれらの小さくなった神です。それらは非常に小さくなりましたが、密度が非常に高く、隙間なく集まり、病の巣を遮っていました。実はそれらは私を阻止することができず、私は一掴みでそれらを追い払うことができ、またそれらを打ち落とすこともできます。法を正す中で一つの理があります。つまり、私がどのように処理しても、それが正しいということです。「私がどのように処理してもそれが正しいことであり、処理されたものは皆間違っている」という師父のこの話を皆さんは覚えておいてください。(拍手) それは宇宙の選択であり、未来の選択だからです。しかし、私はある常人の病気を治療するために、これらの神を打ち落としました。私の手で打ち落とされてから、すぐにその果位が削り取られてしまい、落とされてしまいました。しかし、それらは新宇宙の理が見えず、宇宙の旧い理を守るため、頑なにあそこを遮り、打ち落とされてはまたやってきて、絶えず補充しています。師父はこのようにするに忍びません。それらが法を正すことを理解することができなくても、一人の常人に慈悲を持つため、多くの神を消滅することは私にはできません。

 法を正す中で多くのことは期待した通りにならなかったのですが、それは低い次元の旧勢力と高い次元の旧勢力が力を合わせてやったのであって、それらは自分自身の厖大な密度をもって阻んでいるということを皆さんに教えたいため、先ほどの話をしました。先ほども言ったように、私はそれを破ることができますが、それを破るのに巨大なエネルギーを移動し戻してそれらを徹底的に一掃しなければなりません。しかし、それらも宇宙の中の巨大な全ての物質をここにかき集めるので、すぐに解決できない問題をもたらす恐れがあります。もちろん、今回法を正すことの中で、学習者が正しく行うことができればこれらの問題は起こらなくなります。私が宇宙と三界に残した功とエネルギーが事を行う場合、学習者が正しく行動することができなければ、旧勢力は抵触し、阻害の状態が現れます。ですから、正しく行動し、それらに口実を掴まれないようにと私は学習者に教えました。それらは一旦皆さんの大きな弱みを掴んだら、皆さんをだめにしてしまいます。特に既に最終段階に入ったので、それらは瀕死のあがきをしています。それらは口実を掴むことができなければ、敢えて迫害を加えることができません。なぜならば、そのようにすれば、それらも法を犯してしまうことになり、それらもこのことが分かっているからです。ですから、私からそれらを消滅する必要がなく、旧宇宙の理はそれらを消滅してしまうのです。なぜならば、それらは旧い生命であり、旧い理を絶対的に守ることを根本としているからです。

 ここまで話したので、もう一つのこと、つまり師父はどういう情況なのかについて話します。先ほど皆さんに話しましたが、宇宙天体の最後のそれらの要素は私が三界を避けて通っていった時に、この隙に乗じて入ってきたのです。ですから、私の表面の肉体と他の空間にある私の神体及び厖大な功との間に、それらの巨大でまだ法によって正されていない数多くの生命によって間隔が作られました。この間隔はある物を置いてそれを隔てるというような概念ではなく、このような情況ではありません。それは全部のものの全てのミクロなところから来ており、全ての間隔に容れられているように見えますが、それらにはそれらの次元と境地があり、自分自身より次元の低い粒子と混同していません。しかし、粒子と粒子の間の隔たりの大きさは空間と時間の存在によるものであり、それらの次元の最も高い、数多くの厖大な天体は三界内の全ての粒子の間の隙間に入った時、元々の空間の距離と時間の長さをも変え、時間と空間は無数倍に拡大されました。ですから、それらは遥かに遠い空間と非常に長い時間でできた巨大な隔たりと障壁を形成しました。これで旧勢力はこの隔たりと障壁に守られてやりたいことをすることができるようになったのです。

 皆さんに教えますが、それらは人間を妨害し、人間の考えを妨害していますが、それはただ外側で行われているのではなく、それらは人間の身体を通り抜けることができます。高次元の要素が人体の表面を抑制している時、旧勢力の神は守られて常人の身体を通り抜けることができます。他の角度から言えば、私たちの人体は表面から人間の目で見ると、この人間の形及び皮膚と肉の組織がとてもきめ細かく隙間がないように見えますが、倍率の大きい大型顕微鏡で人体を見れば、粒子と粒子で構成された人体は砂のように荒く、多くの隙間があります。もし人間がそれを更に拡大する技術を持っていれば、隙間は人を驚かせるほど大きいのです。更にミクロ的な概念で見れば、粒子のこれらの隙間は分子と星との間の空間距離であるかのように大きいのです。これほど大きな距離なので、更に更にミクロ的な粒子で構成された生命と物質は自由自在に人体を通り抜けるのではありませんか? ですから、時々それらは突然人間の表面に入り込み、表面ではその人のように見え、ミクロにおいてもその人ですが、中に他の生命が挟まれています。

 ここまで話しましたので、皆さんに教えますが、皆さんにこの問題はありません。修煉して良くできた部分は私が完全に封じ込めてあげました。大法弟子が正しく行動していれば、修煉してまだできていない表面の部分にどのようなものでも入ってくる勇気はありません。なぜならば、一つは旧い生命も旧宇宙の理を乱す勇気がないこと、もう一つは皆さんに師父がおり、護法の神がいるからです。もし皆さんの表面、人間の一面にある執着心を取り除かなければ、師父と護法の神も持て余します。正念が強ければ、師父と護法の神は何でもやってあげることができます。

 私の情況は普通の生命が想像できるようなことではありません。師父は法を正す中で宇宙の全ての衆生の命と各種の要素の命を身体に集めました。その理由は、一つ目は法を正すことの安全のためです。全ての衆生の命は私のところにあり、誰も宇宙を脅かすことができません。二つ目は如何なる生命と各種の宇宙の要素も法を正すことから逃げられないようにするためです。三つ目は法を正す中でそれらの命を守るためです。ですから、師父の全身は大きさの異なる様々な宇宙の各次元にいる生命と佛道神の形象であり、中に人間のものもおり、大きい者も小さい者もいます。しかし、それらは師父を妨害することができず、如何なる作用も働くことができません。なぜならば、私は衆生の命を集めたからです。中に常人の目で見える者もおり、学習者の天目はそれが見えるのです。以前私はこれを話したことはありません。なぜならば、心性に問題のある学習者はそれを見たら、いろいろ憶測をするからです。

 異なる状態の修煉があなたに異なる次元を切り開き、異なる状態の修煉情況をもたらすと私は話しました。天目の開いていない学習者は法理に基づいて悟りますが、天目の開いた学習者は虚像に妨害されることがあります。見える学習者を試練するために、法によってまだ正され終えていない、最も次元の高い最後の旧勢力は以前、低次元の旧勢力を指図して空間と時間が拡大された差の中で悪事を働かせていました。それらのこのやり方は法を正す中で罪のあることであり、大法弟子の正しい信念と正念をひどく動揺させました。

 しかし、皆さんは永遠にこのことを覚えておいてください。つまり、誰が妨害しても、それは一時的なもので、皆虚像であり、主流ではなく、空気のような流れに過ぎません。空間の中の各種の物質の要素と生命はいたるところにおり、計り知れないほど多いのです。形象があってもなくてもそれらは存在しています。それらはつまりミクロ的な空間と異なる空間の生命です。法を正し終えるまで、宇宙の中のミクロ的な神は同じ時に同じ所に各自の空間に存在しており、ここに止まるとか、ここに止まらないとか、それはただ一つの概念に過ぎません。自然にそこに存在しているそれらの有形または無形の要素は皆さんに何の影響もありません。正しい念と正しい行いをしている大法弟子を誰も操ることができません。

 更に皆さんに教えますが、旧勢力の厖大な高次元の生命と要素は私の表面を隔てているようですが、それらは永遠に私の更にミクロ的なところを隔てることができません。なぜならば、如何なる生命も私を超えることができないからです。(拍手) それはそれらが永遠に見ることのできないことであり、宇宙の衆生は永遠に見ることのできないことであり、私だけが制御することができるのです。つまり、上で述べた現象は人々に一種の錯覚をもたらし、人々に間違った認識が生じたため、私は今日そのわけを皆さんに教えました。

 皆さんに教えますが、皆さんは現在人間の肉眼で見た私、最も表面の私は即ち、本当の私李洪志です。皆さんが見たほかの空間の私は私の佛体であり、皆さんが見た私、今の最も表面は私李洪志のこの上ない主体です。(拍手) なぜでしょうか? このことのために、全ての衆生が済度されるように、私は最も次元の低いところに来ました。(拍手) ですから、自分は何が見えたのかを気にする必要がなく、私の法身、私の功身、高次元にある私の身体のどんな部分が見えたとしても、何かの心を生じさせてはいけません。これらは全て私の表面を主体として存在しているのです。私のここにある最も表面の人間の皮はこの上ない主体なのです。(拍手) しかし、師父は常人の中におり、ここで生きていくにはこの世の人々の理と一致しなければならず、でなければ皆私のことを怪しく思うのです。旧勢力は私のところで何かの仕掛けをし、絶えず悪事を働いています。大法弟子の正念に影響しないように、宇宙の衆生の命を全て私のところに預かった以外、私のところでは外来の要素を使いませんでした。宇宙の中の全ての偽者の私は皆、旧勢力が目的を持って作ったのです。プラスの作用を果たしたとしても、マイナスの作用を果たしたとしても、これは罪のあることです。このことは私が既に皆さんに明白に解き明かしたと思います。

 私はここに来ましたが、誰も私が最終的にどれほどミクロなのかを見ることができません。それらは人間の身体の最も表面にある粒子の部分を見ることしかできません。宇宙の中の全ての物体、全てのものは皆、一層一層の異なる微粒子によって表面まで構成されたのです。これを神は見ることができ、その根、その根源まで調べることができます。つまり一本の道のように少しずつ、少しずつ伸びていきます。私はどこから来たのでしょうか? 私は中から、外から、無から来たのであって、有を形成し、蒼穹の頂に現れ、そこから一歩一歩三界の最も表面に下りました。私が誰であるかを知る生命はいません。

 以前、もう一つの情況があります。旧勢力は私が法を正すことに多くの仕掛けをし、多くのことを行いました。それらはこれらのことを按排しただけではなく、宇宙の中の参与していない巨大な宇宙生命に自分自身の行いを見せるために、できるだけ巧みに行おうとしています。それで、それらは私の物質または功を利用し、それらの働きかけによって師父の形象を作り出し、佛の形象として現れました。以前皆さんにこれを話さなかったのは、皆さんに混乱を起こさせないようにしていたからです。また、それらの目的は破壊ではなく、それらの言葉で言うと、私を正しく手伝い作用したいからです。これは旧勢力が按排した二つの部分です。一部分はマイナスの作用をし、もう一つの部分はプラスの作用をするのです。それらは時々学習者の体内に入って何かをするのです。極めて個別な人にこのような情況が現れました。そして、この情況が見えた人は「あなたが師父だ」と言って、その人を師父としました。しかし、それは私が按排した者ではなく、厳密に言えば、それは私ではなく、私もそれらを認めないのです。なぜならば、それは旧勢力が按排した者だからです。このこと自体は宇宙が腐敗した後の表れです。一旦それを見た人がいれば、学習者の正念に錯覚をもたらし、学習者の正しい信念と正念を厳重に破壊しています。このとき、必ずそれらを消滅しなければなりません。現在このようなものは全部地獄に打ち落としました。今日、このことを採り上げたのは、ほんの一部の学習者がくれぐれもこれが原因で落ちないようにと皆さんに教えるためです。冗談ではありませんが、片足を既に踏み外した人がおり、既に理性的でなくなりました。ほんの一部の学習者は気をつけるべきです。

 先ほど、私の情況について話しました。もう一つのことですが、最近ほんの一部の学習者に正しくない状態が現れ、問題はとても深刻なのです。これも様々な原因によってもたらされたことです。その中の一つは、皆さんの次元が高まり、師父は皆さんがこれから成就する果位を話したため、皆さんは胆力が高まり、自分が頑丈になったと思うようになったことです。私は人間のこのとても低い言葉で言い表すしかなく、なぜなら、それを言い表す適切な言葉がないからです。そのため、師父を尊重する必要がなく、法に従えばいい、法を師とすると言いだす人が出てきました。

 もちろん、法を師とするようにと皆さんに教えましたが、これは間違っていません。しかし、法を師とするということを教えたのはこういう意味ではありません。どういう意味なのでしょうか? ご存知のように、私に一億の大法の門徒があります。私の主体が自ら全ての弟子にどのように修煉するのかを教え、全ての弟子を見守り、一人一人が問題に遭ったら直接私に訊ね、一人一人の功の演化、皆さんの世界の圓満成就と業の消去、皆さんの全ての全てをみな私のこの主体が行うのであれば、皆さん考えてみてください、これはできないことです。なぜならば、法がこの世を正し最後の障害を一掃するまで、これはできないことだからです。多くの学習者は私に会えず、どのように修煉するのでしょうか? 法があります。そのため、私は皆さんに法を師とするようにと教えました。これが根本的な目的です。皆さんに更に教えますが、この法にどれほどの力があるのでしょうか? 私は私の巨大な能力をこの法に容れました。ですから、この法はどのようなことでも皆さんにしてあげることができます(しばらくのポーズ、拍手)。更に、一部の学習者は私が先ほど話した私自身の情況のように、それを見分けることができず、そのため師父を敬わなくなりました。法の高さや師父である私のどうこうを敢えて口にするようになりました。この法は全ての洪大な蒼穹の計り知れない王と主を造り出したものであり、全ての宇宙生命と各種の要素の存在の保障であり、その中に小さな小さなあなたも含まれています。もちろん、学習者に対して、話してはいけないとも言っていません。あなたの話からあなたの心とあなたの恐ろしい行方が私に見えたのです。しかも、皆さんが見たものは実に次元が低く、あなたが思っているようなことではなく、多くの場合は念が正しくないがゆえに現れてきた虚像です。

 先ほど、宇宙の次元が計り知れず果てがないに近いと言いましたが、最も高い次元の作用によって、それ以下の、人間のところまで含む全ての計り知れない果てない次元は、異なる次元での現れがあります。皆さん考えてみてください、この現れはどれほど複雑で厖大になるのでしょうか? どの次元での現れもその次元での理であり、その次元の理の現れですが、皆さんがどの次元で見た光景も最も根本的なことではありません。

 私は法を正す中の幾らかの現象の異なる次元における現れを多くの学習者に見せましたが、それは皆さんの法を正すことに対する確信を強め、皆さんが法を良く勉強し、修煉と精進に対する確信、真相を明白に伝える確信と正念を発する時の確信を強めるためです。くれぐれも自分が見えた次元の低い、計り知れない果てのない次元の中の最も低い幾つかの次元での現れを宇宙で法を正すことの根本的な情況としないでください。なぜならば、法を正す中での全てはどの次元においても異なる実在としての現れがあるからです。

 ご存知ですか? ただ修煉について言えば、宇宙の低次元においてはとても複雑ですが、高次元になるととても簡単になり、修煉という概念もなく、ただ業力の消去という概念だけになります。更に高い次元になると、全ての厄介なことは天に上るための道を開いているだけであると言っています。それより更に高い次元になると、業力の消去や苦を嘗めることや、修煉などの概念もなく、選択ということしかありません! 宇宙の高次元ではこのような理であり、誰ができるのかを見て、その人を選ぶのです。これが理なのです。修煉とは何ですか? 私たちは修煉を按排しませんでした。修煉とは何ですか? 私たちはそれをきれいに洗い、一歩一歩上へ目指してきれいに洗うことであり、他でもなくきれいに洗うことです! しかし、異なる次元で道を開くこと、厄介なこと、苦を嘗めること、業力の消去と修煉として表れ、このように修め、あのように煉ることになりました。

 このことに言及しましたが、実は私はある大きな理を明かしました。実は、この宇宙において、衆生は私が誰であるかを知るかどうかは何の障りもないことです。しかし、あることに対してはっきりと認識しなければなりません。つまり、私が法を正しており、私が誰であろうと、私が法を正しているということです。私は旧勢力に話したことがありますが、私が誰であるかを知らなくてもよく、私が誰であるかを信じなくてもよく、それはあなたたちが罪を犯していることではありません。しかし、あなたたちの概念で言えば私も修煉しており、私がどこへ行こうと思っているのか、何を成就するのかをあなたたちは分かっているのです。このように逆からあなたたちのやっていることを見れば、あなたたちは罪を犯しているのではありませんか? 更に、更なる高い次元で言えば、何かを成就するという概念もなく、宇宙の選択しかありません。私が今日法を正すことの中で行った全て、私が手に入れたい全ては、はっきり言えば、未来の宇宙の選択であり、未来の宇宙の需要なのです。(拍手) 旧宇宙の生命として、全ての生命の要素も含めて、法を正すことにおいて、私の選択の中で、全ての生命は皆私が選択したことにしたがって、その選択を圓容し、皆さんの最も良い方法を出してください。私が欲しいものを改めるのではなく、私の言うとおりにそれを圓容するのです。これが宇宙の中の生命の最大の善なる念です。(拍手) しかし、旧勢力はこのようにするのではなく、それらは自分の選択を根本とし、私が行った全てをそれらが欲しい全ての圓容としており、全ては逆になりました。私はそれらに重い罪を定めたくなく、私はここで何かの罪名を話したくはありません。しかし、それは絶対間違っており、絶対そのようにしてはいけません。

 先ほど説いた法は皆、一つの問題を話しています。師父として、内心から言えば、皆さんが私を尊敬していようがいまいが、私は全く気にしていません。当時、私は皆さんを済度した時、多くの人は私を罵っており、講習会に出たとき私を罵りながら講義を聞いていました。私は気にしません。私はどうしてもあなたを成就するまで済度するのです。(拍手) つまり、師父に対してどう思っているか師父は心の中で全く気にしておらず、私は如何なる宇宙次元の要素にも動かされることはありません。しかし、問題があります。つまりもし皆さんが師父を尊敬していなければ、宇宙の理から言えばそれは間違いです。旧勢力はそれによって隙に乗じて皆さんを壊滅してしまいます。それらは皆さんを壊滅する最大の口実を掴みました。なぜならば、それらに私が皆さんを済度する全過程が見えたからです。

 今日の人類は、法を正すことがなければとっくに壊滅されました。人類の思想基準は既に地獄以下にあります。法を正すことがあるため、私は三界内の全ての衆生の罪をあがないました。(拍手) それなら、皆さん考えてみてください、私たちの学習者にとって言えば、私は当初皆さんを地獄から掬い上げたことに等しいのです。(拍手) 私は本当に皆さんが千年百年来犯した罪を肩代わりしました。これだけではありません。私は更に皆さんを神にまで済度するのです。この過程で私は皆さんに苦心をし尽くし、同時に皆さんがそれほど次元の高い神になるため、私はそれほど次元の高い神としての栄光と、それほど高い次元に備わるべき全ての福も皆さんに与えるのです。(拍手) 天地開闢以来、如何なる神も敢えてこのようにしたことがなく、このようなこともなかったのです。

 旧勢力はこのことを左右し、自分のやりたいようにやっていますが、皆さんご存知でしょうか、旧勢力の全ての生命は私に対して五体投地するほど尊敬しています!(拍手) 私が法を正すことに幾らかの障碍をもたらしましたが、それらは直接私に対して何かの悪事をしたことがありません。なぜならば、それらは私を尊敬しているからです。(拍手、また拍手) ですから、私たちの一部の学習者は一時愚かになり、心の状態が正しくなくなりましたが、考えてみてください、いったん私に対して不敬になったら、旧勢力はこの人があまりにも悪いと思い、凶悪な手を下すのです。もちろん、それらは決してすぐにあなたを消滅するのではなく、それらはあなたを導き、ますます多くの虚像をあなたに見せ、あなたの心がますます正しくなくなるようにし、師父に対するあなたの心が魔のものになるように、あなたを邪道にまで導くことによって、あなたたちに大きな罪を犯させています。

 法を正す中で私はどのような原則に基づいて行っているのかをご存知でしょうか? 私は衆生の歴史上の全ての罪にこだわりません。(拍手) 今回法を正すことの中における法を正すことに対する衆生の態度だけを見ています!(拍手) 私はどんな扉をも開きました。以前皆さんに話したことがありますが、法を正すことに対する態度まで見なければ、新しい法、新しい宇宙もなくなります。ですから、法を正すことに対する態度は極めて重要なのです。皆さんがこのことを犯してしまえば、旧勢力があなたを消滅するときに私は何も言えません。

 皆さんが師父を尊敬していないとき、私がどのように思っているのかご存知でしょうか? 私は全く気にしていないのです。皆さんは今私が誰であるかを知っていますか? 皆さんは私が表した人間の形象しか知らないのです。他の空間で皆さんに表したのも宇宙の中での形象であり、皆さんは将来根本的な私が誰であるかを知ることができません。宇宙の如何なる生命も根本的に私が誰であるかを知らないのです。私に良くしてくれても、悪くしてくれても、私は全く気にしません。しかし、旧勢力はこの難の中で皆さんを壊滅してしまいます。くれぐれも気をつけてください。

 ここまで話しましたが、更に法を正す中で行うようにと皆さんに教えたことについてお話します。皆さんも目にしましたが、皆さんが真相を伝えており、正念を発しており、更に個人の修煉があります。この三つのことはつまり現在の大法弟子が行っている最も重要な三つのことです。真相を伝えることは表面の人間の理から見れば、邪悪の迫害を暴露しているのです。正念を発することはそれらの救いようもない最も汚い生命の大法弟子に対する迫害を一掃しています。更に高い次元の理から見れば、真相を伝えることの本当の意図は衆生を救うことであり、人類が淘汰から免れるようにするためです。旧勢力は邪悪な生命を利用して大法弟子に対して悪事を働いていますが、その目的は試練を作ることと、私にこれらのゴミを宇宙から徹底的に片付けてもらうようにするためです。それに対し、大法弟子が正念を発することは根本から旧勢力の按排を否定し、邪悪の迫害を取り除くためです。皆さんに教えますが、皆さんが行った全ては実は皆さん自身のために行っているのであって、私のために行うことは一つもありません。同時に皆さんに更に教えますが、皆さんが修煉を始めたその日から今日ここまで歩んでくるまで、私が皆さんに教えたこと、行うようにと教えたことは、他人のために行うことは一つもありません。皆さんの修煉は人類と人類社会にメリットをもたらすことができ、修煉を通じて大法弟子がお互いを成長させることができ、大法弟子が迫害されている中で邪悪による迫害と損失を軽減することができますが、これは皆付随的なものです。皆さんが行った全ての本当の目的は皆さんの成功のためです。将来、皆さん振り返ってみてください。今誰も私が偉大であるとか、師父である私のどうこうを言う必要はなく、将来振り返ってみれば、私が行った全ては全部皆さんのために切り開いているのです。(拍手)

 皆さんは行うべきことをしっかりやりましょう。機縁は得難いのです。この全てを大切にしましょう。これは二度とないことです。如何なる心が生じても、あなたを途中でだめにしてしまいます! どんな心をも考えず、執着せず、大法弟子として行うべきことを行ってください。最も素晴らしい、最も偉大で、最も光り輝く全ては皆さんを待っています!(拍手)

 午前中はこのくらいにしましょう。私は帰らなければ、午後皆さんの質問にお答えします。(長時間の拍手)

 私の話はこのくらいにしましょう。ありがとうございます。(拍手)

 思い出しましたが、法会で皆さんに質疑応答をするのは、99年7月20日以降していなかったようですね。そうでしょうか?(熱烈な拍手)(弟子:そうです) それでは、今日は他の事をせず、皆さんの質問だけにお答えします。(拍手) 皆さんの個人修煉、または法を実証する中、ぶつかって長い間釈然としない問題があれば、出していいのです。しかし、時間に限りがあるので、全ての人の質問に答えることができないかもしれませんが、師父はできるだけ皆さんにお答えします。(拍手)

弟子:師父、こんにちは。私たちは瀋陽の全ての大法弟子を代表して、師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手) 国内の学習者の情況は私が全部知っています。

弟子:成都の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)

弟子:北京の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。(拍手) 上海の大法弟子を代表させていただき、師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手) 挨拶をするのは止めましょう。明慧ネットで師父に挨拶するのを私は全部見ました。

弟子:私たちは仕事の中でいつも中国政府の高官と接触しますが、彼らに更に真相をはっきりと伝えるにはどのようにしたらいいのでしょうか?
師:実は、具体的にどのようにするかのことですが、皆さんは既にそれを行いました。しかも、実践の中で皆さんは非常に良く行いました。良く行えたかどうかは大法弟子のことですが、世の人が何を選ぶかは本人の問題です。しかし、衆生を救い済度することを皆さんがどのように行っても、実は一部の生命は救われないのです。皆さんは真相を伝える中、国内に電話をかける時、ネットの上で、全く救われない人とぶつかりますが、これに影響されないように、できるだけ救い済度され得る人を救ってください。

 真相を伝える時、相手がどのような身分の人なのかを考えないでください。何かの心を抱かないでください。彼らはまず人間であり、皆自分の未来のために選択するチャンスがあります。相手がどんな職業の人であっても、まず将来がなければならず、これは人間にとって最も重要なことです。真相を伝える中で、人間の根本的な問題に当たった時、同時に大法弟子が本当に自分を救ってくれていると感じたときになると、人間の分かっている一面が現れてくると思います。

 海外の中国人は中国大陸と様々なつながりがあり、親戚や友人は皆中国におり、中の多くはよく国内外を行き来するのです。大法の国際社会での情勢を彼らが見たら、国内で自分の家族や親戚、友人に話します。彼ら自身は生きているマスコミなのです。大法に対してどれほどの認識があるのか、大法のことを分かっているかどうかにかかわらず、彼らはこの情勢を国内に伝えます。特に、政府部門の幹部に対して、その職位を見ないでください。当時師父はこの大法を伝えていた時も、人間を見るだけで、その人の社会的地位、その団体の組織形式、職業の云々などを見ておらず、何も見ないで、人の心のみを見ていました。相手を何かの高官と思わないでください。あなたは彼の命を救っているのです。それは常人のこのところでの仕事に過ぎず、今日その位にいるから幹部になっていますが、明日その位から退かされたら、何ものでもなくなります。ですから、人を済度し救うときはこれらのことを見ないのです。

弟子:なぜ宇宙の旧勢力は世間で全く違う二つの社会体系を按排したのでしょうか?
師:このことを言い出すととても多くのことと関わってしまうので、ある角度から皆さんに簡単にお話します。ご存知のように、二千年前のローマ帝国は強大だったのですが、実は人類のある民族が世界で雄を称えることができたのは、それは神がその民族に与えた栄光です。しかし、これによってこの民族が神を迫害したら、神はその栄光を取り上げ、彼らを懲罰するのです。ですから、歴史上旧勢力は将来の法を正すことに証を残すため、当時のキリスト教徒が魔難の中で罪業を滅され、神になるための威徳を樹立できるようにするため、そしてこの文化を残すために、それらはネロという人をローマの王として選択しました。ネロは人類の道徳を破壊し、多くの馬鹿馬鹿しいことと悪いことをし、しかもキリスト教徒を迫害するという最大の悪事を働きました。そのため、強大なローマ帝国はそれから衰えてしまいました。

 今日の法を正す中の大法の門徒に対して、旧勢力はあのネロがもう効かなくなったと思い、さらに邪悪で愚かな馬鹿者、恥知らずの者を探さなければならず、同時に大法が世に広く伝わるまで将来の大法のために使われるあるものを作らなければならないと考えました。しかも、このものはそこまで使えるようにならなければなりません。このものは即ち中共邪党なのです。旧勢力はそれを作りましたが、このものは必ずしばらくの歴史の過程を経験し、その中で強制による統治の経験を積ませ、永遠に存在する危機の中で各種の強制手段を強めるようにさせています。神を信じる人々はそのような天も地も恐れず、天や地や人間と戦うまでに達することはできないので、人々の神に対する信仰を破り、無神論を基本としてきました。この過程は百年以上続きました。当時このことを行った時、最終的にそれをいかにして解除するのかをも考えたので、その始まりも面目のよいものにしてはならなかったのです。実は、私たちは皆知っていますが、パリコミューンは社会のならず者による造反でした。

 私は中共邪党を罵っているわけではありません。それら自身も自分のことをルンペンプロレタリアートと言っていました。「文化大革命」の時、理論を学んでいた際、「社会のならず者の問題は敵対矛盾なのか、それとも人民内部の矛盾なのか」というように、この問題は言及されたと覚えています。このことを討論していた時、ならず者の問題は敵対矛盾と言っていいと言う人がいましたが、それにどうしても同意しない人がいました。同意しない理由は、パリコミューンはならず者による蜂起であり、これは私たちの中共邪党の先祖だからということです。冗談ではありませんが、それらは「ルンペンプロレタリアート」を重んじていたのです。今それは聞こえが悪いと思って、ルンペンを取って、プロレタリアートと言っています。

 これが宇宙に反するものなので、つまり、宇宙の中の正と負の二種類の要素とも対立しています。この宇宙は実のところ、正と負の二種類の生命の要素によって構成されているのです。すなわち、宇宙は皆それに反対しています。ですから、宇宙の中の佛道神と魔は皆それを取り除きたいと思っており、いつでも十重二十重に取り囲まれ根絶される恐れがあります。しかし、それが現れることができたのも簡単なことではなく、それを百年以上維持させるのも簡単なことではありません。なぜならば、宇宙の旧勢力はそれを鍛え成長させてから今日の大法のために使おうとして、その上、この世の如何なる政権もこのことができないからです。しかし、なぜそれほど長い時間がかかったのでしょうか? 私が言ったように、そこまでできるように鍛えられなければならないからです。そうするには過程が必要です。しかし、この過程はそれにとっても非常に危険なのです。なぜならば、宇宙全体はそれと対立しているからです。地上の生命が天体にいる生命と対応しているので、地から天まで宇宙全体にいる生命はそれにとって脅威なのです。この旧勢力はそのため、各種の方法でそれを維持させなければなりません。常人のところでの現れも天上での情況を表しています。天上の旧勢力は直接操っていますが、地上の人間のところも重要であり、表面から滅せられてはいけません。そのため、それを軍事的に対抗できるように到達させ、同時に大きな陣営にもならせました。

 正常な社会の中で民主と国家の政権の状態は宇宙の神が人間に与えた正常な生活方式です。宇宙の中の神々はこの党の持つ要素を消滅させるために、地上の正常な民族の軍事をも強大なものにしました。しかし、他の民族の軍事が強大になったことはそれにとってまた脅威となったため、旧勢力はこの党の軍事をも強大なものにしました。これによって二十世紀の六十年代に軍事競争が現れ、人類は冷戦の危機に陥り、互いに軍事競争をし、大量に軍事工業を発展させ、先端武器を研究生産していました。旧勢力の目的は、それがまだ使われていないうちに打ち破られ、またはその能力を失ってしまうということがないようにするところにあるため、どんな手段を使ってもそれを維持させ、必ず歴史のその過程を乗り越えられるようにし、同時に危機の中でそれを更に強権なものにさせました。今日まで至りましたが、それにとって自分自身を維持してきたのも大変なことでした。しかし、それを使う時に、それが強大になりすぎてもいけません。当時その陣営はとても大きかったのです。私はここであの邪党をわざと貶しているのではなく、私は宇宙がどのように按排したのかを話しています。私たちは政治に参与しませんが、私は何でも知っています。もちろん、大法の門徒を迫害しているから、私はその理由を話しています。先ほど言いかけた問題を続けてお話します。それを使う時に、それが強大になってはいけません。なぜならば、救い済度されるのは全世界の全ての人々なので、もし多くの国がこの体制であれば、その国の人をどのように救い済度するのでしょうか。旧勢力は正常な社会の経済を大幅に衰退させ、同時に苦心して一世紀を維持したこの巨大な体制を解体しました。このように、解体される中で報復や衝突が現れることなく、混乱もなく解体され、中国だけを残しました。なぜならば、大法はそこで伝えられるからです。また鍛えられ使えるようになり、中国で使うために、中国だけを残し、他の国を全部解体させました。これがなぜ現れて百年余り経った今、急に解体してしまったかの原因です。これは世の人々が想像できるようなことではありません。神は人類の全ての全てを支配しており、人間は自分の考えで物事を決めたことは一つもなく、全部上にいる神が制御しています。このように進めば、中国は孤立してしまうので、幾つかの小さい国、北朝鮮などの国を残しました。しかし、その経済力や軍事力から大きな事を起こすことができず、ただの仲間で、あの党に存続し得るわずかな希望を与えました。

 皆さんは目にしましたが、ここ数十年来、アメリカは軍事においても経済においても強大であり、いつも人権侵害や信仰の自由に対する迫害などのことに手をだしており、国際社会で正義を守っています。これらのことは人間が説明できないことです。大法弟子を迫害する邪悪集団はアメリカを国際警察と言っていますが、実はアメリカは本当に旧勢力が按排した国際警察なのです。中国はこの歴史の芝居を演じる舞台であり、全世界各国の人々は観衆でもあり、出演者でもあります。しかし、この社会の秩序を守る人がいなければならず、社会が乱れてはいけません。昔人間の所では、王者が国を治め、武力で天下を征服し、強者が英雄となるという理でした。この理は宇宙の理と逆になっていますが、これができたのは神が人間にこのようにさせたからです。これをうまくやり遂げることができれば、神はあなたに栄光を与え、富強にさせます。これは人間の昔の理です。全人類が全部平和になったら、アメリカは自動的に歴史の役から退きます。私が言ったのは旧勢力のこのことに対する按排です。このように由来したのです。(拍手)

弟子:最近、情においていくらかの戸惑いがありました。(皆笑って) 私はこの面において苦労しています。
師:私はこのように皆さんにお答えします。常人のこの社会環境で生きていれば、あなたが人間であれ、石、植物、動物であれ、皆この情が滲み込んでおり、粒子の隙間にまで情が滲み込んでいます。ですから、一人の常人がこの情から離れようとしても、それはできないことであり、修煉することによってだけ、それができるのです。私たちの今日の修煉形式について私は既にそれがどういったものなのかを皆さんに教えました。僅かな常人のものを皆さんに残すことによって、皆さんは今日法を実証することができるようになりました。常人のこのものがなければ、皆さんに教えますが、皆さんはここで法を実証することができず、衆生を救い済度することを口にすることもできなくなります。神にここで法を正させ、衆生を救い済度させることは不可能なことです。なぜならば、両者の間はあまりにも開いており、神が人間を重視することは全くあり得ないからです。皆さんは人間の中にいるので、ここの生命を大事に思うことができます。これは皆さんの表面にまだ人間としてのものが残っているからできることです。

 ご存知のように、人間は宇宙の中の一つの次元であり、なくてはならない次元であるため、必ず救い済度しなければならず、法によって正されなければなりません。人間としてのものがあるから、大法のことを行い、修煉することもできるようになります。しかし、気をつけなければそれに妨害されます。このようなことです。私は最近学習者が書いた幾つかの文章を読みました。落ち着くところがなくなった弟子が自分の奥さんも大法弟子でとても素晴らしいとか書いていますが、その話から私は彼の情が見えました。また主人がこのように良い、あのように良いと書いた人もいますが、私にはやはり情が見えました。皆さんが間違っていると言っているのではなく、これらの文章を読む常人もいるので、法を正す中で常人が読んだら、何らかの作用もあります。ですから、私にこれらの文章が良くないとは言えません。実は、皆さんにまだあるわずかな常人のものによってもたらされたことです。

 しかし、私が思うには、修煉者として、情にこのように左右されてはいけません。この面が修煉によってよくできて、本当に情を動かすことなく、鉄板のようになるとあなたは思うのですが、違います。修煉者は慈悲であり、正念が十分であるという情況下で衆生を見れば、考えてみてください、このようなことが起きるのでしょうか? もちろん、時に、努力してもだめだと皆さんが言うのですが、あなたの努力は単なるこの問題を解決するための努力なのでしょうか? あなたの修煉状態は本当にそこまで達したのでしょうか? もちろん、私はこの質問を出した学習者のことだけを言っているのではありません。いずれにせよ、修煉者としてこのことに正しく対処すべきです。さもなければ、旧勢力はこれを理由にし、皆さんに厄介なことをもたらします。新しい学習者以外、師父は99年7月20日以降、いかなる個人修煉の関も皆さんに与えたことがありません。なぜならば、皆さんの個人修煉は全面的に衆生を救い済度し、大法を実証することに切り替えられたからです。

弟子:真相を伝える時に会った人は皆私たちと縁のある人なのでしょうか? 私たちの世界の衆生なのでしょうか?
師:私の法身はこのように按排することがあり、旧勢力はこのように按排することもあります。もちろん、あなたが真相をはっきり伝える中で多くの有効な方法があり、あなたの伝え方は多くの人々の心を動かすことができるかもしれませんが、それによってあなたと直接関係していない衆生をもあなたに救い済度させるかもしれません。慈悲があるから、あなたに相手を変える方法があるのです。このような情況もあります。つまり、衆生を救い済度することにおいて、これは私が構うべき人で、それは違うと分けてはいけません。あなたにはそれを見分けることができません。ここには分別する心があり、大覚者の慈悲はありません。常人のように、うちの人なら特別に優しくしてあげますが、うちの人でなければそうしない、ということではありません。それはしてはいけないことです。慈悲、慈悲、これは人間の情ではありませんよ。

弟子:四川の大法弟子とその家族は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)

弟子:四川省の各地にある牢獄、強制労働所、看守所、精神病院で迫害を受けている大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手) 四川の情況も私はよく知っています。師父ははっきりと分かっています。

弟子:旧勢力の迫害を前にし、大法弟子の団結力は非常に重要になりましたが、どのように全体として速く向上するのでしょうか?
師:ご存知のように、私は「団結」という言葉を従来から言っていません。なぜならば、それは常人が無理強いで求めることであり、形式です。修煉者が言っているのは心性の向上であり、根本からの向上です。一人の修煉者ならどのように行うべきなのかを全部知っているはずです。うまく行うことができなければ、私に言わせれば法の勉強ができていないからです。そうではありませんか。何をすべきか何をすべきではないかを私たちは分かっていないのですか? 実ははっきりと分かるべきです。しかし、各地に連絡担当者がおり、大法学会、輔導站があるので、全体において協調する必要があります。誰かが今これをすべきであり、明日あれを行うべきであると考えて、皆それが分かるようになるには、現在まだこの状態に達することができません。そのため、誰かがこれらのことを協調し、連絡する必要があります。大法弟子が現在集団で法を実証することも個人で真相を伝えることも、大法にとって必要なことです。法を正すことにとって必要なことなので、それをしっかり行うべきであり、何も言うことはないのです。また、自分の身分を気取ることも、他の人と違うと思うこともしてはならず、皆さんは皆一つの粒子です。私から見れば、他の人より優れている人は一人もいません。なぜならば、皆さんは私が同時に掬い上げたからです。(拍手) この方面において能力のある人がおり、あの方面において能力のある人がいますが、これでうぬぼれてはいけません。私にこれほどの腕があるなど云々しますが、それは法があなたに与えた能力です! あなたはそれほどの能力に到達しなければならないのです。法を正すことはあなたの智慧がそこまで達することを必要としているため、自分がいかに有能かと思わないでください。私に自分の腕を披露した学習者がいますが、実は私が思うには、これは皆私があなたに与えたもので、見る必要などはありません。(皆笑って拍手)

弟子:時に本当に非常に困惑しており、修煉の中で情は本当に放下しがたいものです。修煉を始めた頃から、全ての関は全部情の関であり、生命の中の至難な関は情の関のようです。
師:皆さんこれを聞いて分かったでしょう。あなたはこの情を関としました。それを放下できていないから、いつもこの関とぶつかります。(皆笑って) しかし、私は今日無理やりあなたにそれを放下させるのではなく、皆さんにこれを分かってほしいのです。これはすぐにできることではないのです。私が皆さんにこれを教えたら、皆さんは法を多く勉強すべきです。正念がますます強くなり、本当に衆生に対して慈悲を持つようになった時、あなたを困らせる情はもうありません。しかも、情とかかわりのある家族もこれ以上、あなたが自分たちに情がないと言わなくなり、情の問題で衝突が起こることもなくなります。あれこれを言っていますが、やはりあなた自身が向上すべきということです。

 私は皆さんの心の状態を感じ取ることができ、それは非常に苦しい状態であり、本当に苦しいのです。しかし、あなたの千年百年の待望は今日のためではありませんか?! あなたの圓満成就の未来と今日耐えたこれだけのことと正比例を成すのでしょうか?!(拍手)(先生のため息) 時々思いますが、今日私は皆さんを済度しなければ、私も皆さんの中の一人ですが、私にこれくらいのことを放下させるのはいとも簡単なことです!(拍手) 師父はこの全てを見透かしたから、このように言ったかもしれません。(先生の笑い)

弟子:執着のため、長期に良くない状態に陥っています。大法の仕事を良く行いたいのですが、自分の良くない状態が他の学習者に影響してしまうことを恐れています。大法の仕事をとりあえず置いて、しばらく着実に修煉すべきなのでしょうか?
師:法を勉強しながら大法の仕事をするのは影響ありません。師父も何も思っていません。在席の皆さんですが、あなたが学生であっても、在職して仕事のある人であっても、常人社会で演じている役を放ってはいけません。必ず行うべき全てをしっかり行うべきであり、同時に皆さんの法を実証し真相を伝えることに便利な条件をもたらします。さもなければ、経済的な保障もなく、毎日どこに住むか、何を食べるかばかり考え、もっとも基本的な生活も保障できなければ、法を実証する精力もありません。これは妨害ではありませんか? 人為的に厄介なことを作らないでください。自分であて推量してはいけません。もし更に良いお金の出所があるから、生活方式を変えるのであれば、私はこれについて触れません。私が言っているのは、誰も仕事をしなくなれば絶対いけないということです。

 今日の大法弟子のこの修煉形式の重要性を皆さんご存知でしょうか? 未来において、人間の所で人間が神になることは神話ではなくなります。昔の人がここで修煉などを言っていますが、皆副元神を修煉するもので、人間は全く修煉していませんでした。未来において、つまり皆さんが切り開いた未来は人間が神になる道をここに残しました! 皆さんが今日行った全ては未来が参照する実践です。つまり、常人の仕事をしながら修煉することです。皆さんが極端に走れば、この道を破壊してしまいます。ですから、極端に走ってはいけません。正々堂々と社会で自分が行うべきことを行ってから、修煉すれば、修煉者として到達すべき基準、圓満成就の基準に十分達することができます。なぜならば、未来の人々の道はこのようだからです。

 未来の人類社会に宗教はなく、皆社会の中の一分子であり、人々はこの社会の全てに参与します。学生が勉強する教科書は人間という次元の法理と高次元の内涵によって貫かれるかもしれません。ですから、今回法を正す中で人間を神にすることができ、これは人間のこの次元だけでの変化ではなく、宇宙体系全体のシステムの圓容にかかわることであり、法の圓容です。人間が人間を済度する神を迫害することはもう二度とありません。イエスが十字架に磔にされたようなことは二度と出現させるわけにはいきません。ですから、私たちが常人のところでどのように修煉の道をより良く歩むかは極めて重要なことです。

弟子:大法弟子はどのように一つの全体として法を正す中で作用を発揮するのでしょうか?
師:お互いに協調しあうことです。集団で何かをする時、一人で何かをする時または何人かで一緒に何かをする時も、良く協調すべきです。法があるから、皆さんは間違ったことをすることはありません。なぜならば、皆さんも鍛えられ成長したため、どのように行うべきかを知っているからです。最近、私は皆さんのことにまったく関わっていません。私に伝わってきたこの問題やあの問題に対して、私は観察しています。なぜならば、皆さんがいつまで経っても私から離れられないようになってはならず、私は皆さんが自分の威徳を樹立する機会を奪ってはいけないからです。皆さんは自分の道を歩むべきであり、転んでも構いません。あなたがどのように立ち直るのかを知っており、自分が行っている全てをいかに大事にし、今後の全てをより良く行うかを知っているからです。ですから、私はこれ以上皆さんの手を取らず、できるだけ皆さん自身で考えるようにさせています。つまり、皆さんに機会を与え、皆さんに自分の道を歩む機会を与えています。全体で問題が現れたら、私は指摘しますが、多くの具体的なことに対して、通常の情況下で私はこれ以上何も言いません。

弟子:正念を発する時の手の形は効果に影響するのでしょうか?
師:原則的に言えば、理性的で頭がはっきりしているなら、動作があってもなくても影響はありません。しかし、あなたの動作から、あなたが入静しているかどうか、眠ってしまったかどうかが分かります。(笑い) ですから、正念を発する時必ず頭をはっきりさせなければなりません。その時の状態はどういう状態なのでしょうか? 非常に気持ちが良く、全てが静止しており、身体は完全にエネルギーによって包まれているという状態です。

弟子:法を正すこの特殊な時期に、経済の影響で仕事を失ったアメリカの弟子がいますが。
師:これは旧勢力が行っていることです。次のことを永遠に覚えてください。つまり、今日大法弟子に現れた全ての妨害は私が認めていないということです。現れるべきではないことは皆旧勢力の按排であり、旧勢力は皆さんの個人修煉を何よりも重要であると思っています。もちろん、個人の圓満成就は何よりも重要なことであり、自分自身が圓満成就できなければ、何を言っても無駄です。しかし、今日の大法弟子は歴史上の如何なる時期の修煉とも違い、皆さんに自分自身が圓満成就するより更に大きな責任があるからです。衆生を救い済度し、法を実証することは個人の修煉をはるかに超えていることです。これは更に大きなことであり、旧勢力は正しく対処することのできないことであり、そのため、皆さんを妨害しています。旧勢力を否定し、正念をもってこの全てに対処してください!

弟子:ある時期において、法を正す中でぶつかった難と試練を固い決意で乗り越えることができましたが、海外に来てから、特に最近の数ヶ月に思想業力が非常に強くなり、甚だしい場合、師父に対して不敬な念があり、修煉を放棄させるもの等などあります。
師:私が思うには、法を多く勉強すれば正念が強くなります。一部の学習者ですが、皆さんは確かに真相を伝えることで忙しくなり、法の勉強を軽視しました。大法弟子の個人修煉を超えることは、他でもなく今日法を実証し、真相をはっきり伝え、衆生を救い済度することです。しかし、これは個人の圓満成就を基礎としています。あなたが圓満成就することができなければ、何を言っても無駄です。法を実証することは常人が行うことではなく、大法弟子だけがこのことをする資格があります。ですから、法を多く勉強し、法を多く勉強してください。もう一つ、私たちはどんなことをも正しく行うべきであり、本当に修煉者らしく行動すべきです。旧勢力に隙に乗じられないようにしてください。旧勢力は隙に乗じたら、いろいろなことをしかねません。

 ご存知でしょうか? 高次元の旧勢力が今回の魔難を按排した根本的な理由は、いわゆる大法弟子を鍛えると同時に、宇宙の中の良くない生命をまとめてこの期間に一掃し、宇宙を浄化するということです。これは旧勢力がこのように按排したのです。それらは自分自身のやりたいことを第一義にしており、法を正すという私の目的を第一義としていません。ですから、このような厄介なことに遭ったら、自分を多く探し、より正しく行い、旧勢力に隙に乗じられないようにすべきです。旧勢力が操っているそれらの邪悪生命は既に自分が消滅されるという始末を目にし、既に混乱に陥り、あたかも犬が追い詰められたら塀をも飛び越えるように、それらはどんな悪事をも働いています。皆さんくれぐれもこのことに気をつけてください。それらに隙に乗じられないようにしてください。

弟子:山東イ坊の弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)

弟子:洗脳させられた法輪功学習者はまだ修煉したいのですが、師父に見捨てられたと思っています。師父はまだこのような人の面倒を見ているのでしょうか?
師:自分が師父と大法に申し訳ないことをしたと思う心が新しい執着になったから、このように思ったのです。既にこのようになったのに、まだ人間の考えで考えており、頭がはっきりしていないからこのように言ったのです。このことはまだ終わっていません。まだ終わっていなければ、あなたがうまくやり遂げてもやり遂げなくても、それは修煉過程での出来事ではありませんか? そうでしょう! ご存知のように、昔の修道は非常に難しかったのです。試練の中で生じた一念が良くなければ、永遠に修道の機縁を失うのです。これは確かなことです。旧勢力は私もこのように思っていると思っています。「ほら、反省文を書かせたから、あなた李洪志はきっとこの人を破門するのです。彼はあなたを裏切りました。あなたがそれほど苦心して彼を済度しているのに、彼はかえってあなたを裏切りました。あなたはきっとこのような人を破門します。破門したら、どうしますか? 消滅してしまいます」

 旧勢力はこのように考えており、このように按排しました。しかし、私はこのようにしませんでした。私は他でもなく、この人を成就するまで済度するのです。今日良く行うことはできませんでしたが、旧勢力がまだ迫害を続けているのではありませんか? 明日もう一回行い、必ず良く行うようにさせます!(拍手) 実践でも証明したように、大法弟子はますます理性的になり、冷静になり、良く行ったのではありませんか? 決意がますます固くなったのではありませんか?!(拍手) 最終的に決意を固めることができれば、あなたが以前行った全ては修煉過程での現れに過ぎません。実はこのようなことです。師父は最大の慈悲をもってこのことに対処しています。(拍手)

 しかし、確かに意気地のない人がいます。実は皆執着心によるものです。皆さんも明慧ネットで国内から来た情報を見ましたが、正々堂々として行い、何も恐れない人は迫害されず、強制労働収容所に送られましたが、他の空間の邪悪は耐え切れず、彼を釈放しました。あれこれ恐れ、人間としての心が多い人もいますが、ひどく迫害され、死ぬぎりぎりまで迫害されても、まだ人間の執着から出てきません。護法の神は焦っても仕方がありません。私は恐れの心をもって亡くなった人を圓満成就させるのでしょうか? 実は皆人間としての心の現れです。もちろん、ここで言うのは簡単ですが、そのような邪悪な形勢の下では簡単なことではありません。それは人間が神に向かっていく道なので、苦しいのです。

弟子:私は韓国から来た学習者で、法を正す活動の中で他の修煉者と協力する時に、いつも衝突とトラブルが起こりますが、きっと自分に執着があると思います。どのようにしたらいいのかが分かりません。
師:韓国だけではなく、他の地区にもトラブルが起きます。当時、中国大陸の学習者にもこの問題がありました。もし誰もが自分が有能で、能力があり、自分が言ったことが正しいと思い、対峙していれば、実はその時に自分の意見を堅持している人に問題があります。彼は考えの中で自分のこのやり方が大法のためにより良く行うことができると思っており、決して自分を誇示していると思っていません。しかし、旧勢力は彼が自分の意見を堅持するということに目をつけて、「あなたが正しい、あなたが正しい、あなたがやっていることが正しい」と絶えず彼の考えを強化します。ですから、その時、彼は冷静ではありません。本当に理性的になって自分を考え、相手の意見をも考えることができれば、仕事は良くやり遂げることができます。その時、なぜ自分を考えないのでしょうか? 自分の方法が採用される機会を失うことを心配しないでください。負けず嫌いの心はなおさらあってはいけません。

 神は、あなたの方法が採用されるかどうかを見るのではなく、その時、神はあなたの心が放下されたかどうかを見るのです。放下することができ、あなたの方法は採用されませんが、あなたはこのことにおいて放下することができ、協力して仕事をより良くやり遂げることができれば、あなたは向上し、次元を高めることができます。修煉とは何でしょうか? これが修煉なのです。自分の意見を固持して対峙し、どうしても自分の意見を強調していますが、見た目は大法のためですが、実は理性的ではありません。本当に切実に考えておらず、以前行ったことと、これから行うことなどをより良く考えていません。ただし、本当に全体から物事を考えず、大法に損失をもたらす恐れがある場合はいけません。執着と不純の心があれば、なおさらいけません。ですから、法の中で成長するべきです。

 私はフィラデルフィアで説法した際このことに言及したことがあります。このような問題にぶつかった時、フィラデルフィア説法を読めば良いのです。この問題がこれほど突出していれば、その時になると警戒すべきです。もちろん、確執している時、それぞれが十分に客観的な理由を持っています。その時の環境、場合と具体的な情況も違います。具体的にどのように対処すべきか、皆さんは修煉の中でやはり良く扱うべきです。

弟子:旧勢力のヨーロッパに対する制御は特別強いのでしょうか?
師:私から見れば、中国だけを強く制御しています。(皆笑って) 当時99年7月20日の時はどこも同じで、天が落ちたかのように、全ての空間に邪悪が充満していました。人間に見えないだけですが、全ての空間は旧勢力が大法のために用意した邪悪でいっぱいです。法を正すことと法がこの世を正すことという二段階に分けて行っていると私は皆さんに教えたことがあります。もし、一括して行ってしまえば、全世界は大法弟子に難をもたらすのです。もちろん、一回で行う場合大法弟子も多くなります。大法弟子は三十五億人になります。私は二段階に分けて行いました。第一段階は法を正す時期の大法弟子であり、第二段階は法がこの世を正す時の大法弟子です。当初、邪悪が下りてきた時、天地を覆い隠すかのようにやってきましたが、中国以外のところで力を発揮することができないので、邪悪のものを集めて現在の全ての大法弟子に向かってやってきました。当時の皆さんにとってそれは非常に恐ろしかったのです。私は大法弟子の圧力と迫害を軽減するために、大法弟子とそれらのものを分離し、それらの邪悪が私に向かってくるようにしました。同時に迅速に広範囲にわたって、それらを消滅していました。ですから、当時私の表面の肉体に対する傷害はひどかったのです。しばらくして、私はこれらの邪悪をほぼ全部消滅しました。一年かかりました。さもなければ、私の大法弟子は本当に耐え切れません。私は全部それらを止めました。大法弟子が実際受けたものはそれらの巨大な数量と邪悪の程度と正比例を成していません。(拍手) ノストラダムスは数百年前に99年7月恐怖の大王が天から下りてくると言ったのではありませんか? このことを一回で行ったら、全世界的な大魔難になり、誰でも恐怖の大王がやってきたと分かります。私が二段階に分けて行ったら、旧勢力はかえって喜んでしまいました。なぜなら、中国以外の人々が察知することができないため、迫害の中で邪悪は真っ赤な嘘をついているにも関わらず、世の人々は無関心です。

弟子:アメリカというところは法を伝え、法を正す過程で特別な意味を持っているのでしょうか?
師:私は特別な意味とかを言ったことはありません。私はどこへ行くのか選択することができます。私はアメリカに滞在することを選びました。最初旧勢力はフランスに行くことを按排してくれました。それらは予言の中でもそう言いました。いろいろな理由で、私はアメリカに来ました。私はアメリカに対して特別に気に入っているのではなく、皆さんに教えますが、全世界の全ての人々はかつて私の親族でした。(拍手) それらの最も悪い人も含めます。でなければ、彼らはこの時に人間になる機会もありません。彼らが歩んできた歴史は、彼ら自身が選んだものです。最も憎いのは旧勢力であり、それらは邪悪を利用して随意に私の人を殺しています。人間はそれらに属していないからです。師父の心に全ての人が置かれています。(拍手)

弟子:非常に縁があるのにまだ法を得ていない人がいると師父はおっしゃいましたが、今はどうなっているのでしょうか?
師:現在の情況はなんとも言えないのです。なぜ彼らを救い済度するようにと私は皆さんに教えたのでしょうか? この世で過去においてどれほどの親族がいるかは皆さん自身も知りません。できるだけ救い済度しましょう。

弟子:まだどれくらいの縁のある人がいるのでしょうか?
師:皆さんに教えましたが、縁がなければ、今日この世で人間にならないのです。縁のない人は誰もこの世にいることができません。(拍手) ただ歴史の過程で、彼らは自分を異なる役に按排し、皆さんが大法弟子になれたのも、皆さんが歴史上で自ら選んだからです。大法を迫害し淘汰される人は、それも彼らが歴史上自ら選んだのです。一人の生命が変異し、いつも悪事を働き、そこまで悪くなり、徐々にそこまでいたりましたが、これは即ち選択です。

弟子:旧勢力の按排を否定し、執着を取り除き、絶えず修煉して向上を図り、旧勢力に乗じられる隙を与えないということの間に、どういった関係があるのでしょうか?
師:正しく歩むことができれば、つまりあなたの正念が十分であり、大法の要求、師父の要求に従って行うことができるということであり、あなたは即ち旧勢力を否定しており、自分の道を正しく歩んでいるということです。それらの法を破壊する卑しい鬼たちは皆さんが混乱してしまうことを好んでおり、旧勢力はこの全てを自分の按排に従わせることを目的としています。皆さんに教えますが、皆さんが今日行っている全ては私が皆さんに教えていることに従っており、つまり他でもなく、それらに隙に乗じられないように、迫害の口実をそれらに与えないようにすることです。今日中国で起きたこの迫害を私は認めないのです。旧勢力はこの出来事のためにますます恐れており、なぜならば、私が絶対それらを認めることがないとそれら自身に分かっているからです。それらは既に恐れおののきながら、このことに対処しています。旧勢力の高次元の生命は既に法を正す中で消滅されました。早期のとき三界の中に隔てられたそれらには、最後の高次元生命が消滅されることの実質的な情況がとりあえずまだ見えません。こういった情況です。

弟子:法を正すこと以来、状態は時々よくなり、時々悪くなり、安逸を求める心がなかなか取り除かれません。とても悩んでいます。
師:師父はあなたを助けることができますが、あなたが精進したいと思えば、大丈夫です。(拍手)

弟子:法がこの世を正す時、絶対多数の弟子は圓満成就し自分の位に戻りますが、後の十年は、誰が師が法を正すことを手伝うのでしょうか?
師:このことですが、(笑い)あなたはまだ人間の考えで考えています。皆さんが法を広める中で既に多くの人が法を得ました。しかし、彼らは法を深く認識することができません。なぜならば、一旦法を認識するようになったら、彼らは法を正す時期の大法弟子となり、ここには一つの線が引かれています。ですから、旧勢力は彼らに法を得させる勇気を持っていません。私もこのことに力を入れて推し進めていません。なぜならば、私は法を正す全体のことと、法を正すことの中の問題を解決することに忙しいからです。将来彼らにとってまだ機会があります。しかし、皆さんが行っているこれらの事は無駄になることはありません。皆偉大で素晴らしいことです。なぜならば、皆さんは未来の修煉者に基礎を築き、皆さんは未来の修煉者を選んだからです。ですから、このことはとても良く行われています。

 真相を伝える際、皆さんはあることに気づいたのでしょうか? つまり、人々に迫害を話せば彼らは受け容れることができ、信仰の自由に対する踏みにじり、人権に対する迫害などを話せば、人々は受け容れることができます。しかし、法理に言及すれば、人々は受け容れられなくなります。皆さんはこの情況に気づいていると思います。なぜならば、その人はあなたの話に従って法理から認識することができるようになった時、既に法を得ており、修煉を始めようとしているからです。ですから、その人が法を得ようとすれば、旧勢力はきっと阻害しにきます。本人にとって試練なのです。本当に法を得ようとし、どうしても法を得たいと思えば、法を得ることができます。つまり、現在大法弟子になることができるかどうかは彼らにとって確かに大きな障碍があります。特別な人なら入ってくることができ、つまり全てを投げ出すことのできる人なら、入ってくることができます。でなければ、現在は入ってくることができません。しかし、大法が迫害されている時に功を学びに来たら、法を正す大法弟子の一員になれなくても、将来の修煉に基礎を築きました。こう言うことです。(拍手)

弟子:神佛が大いに現れ、人々に真相が見えて修煉し始めたら、それでも修煉と言えるのでしょうか?
師:皆さんが真相を伝えることはつまり将来の修煉者を選り抜いています。ですから、現在学ぶことができるかどうかはきわめて重要なことです。残った人の場合、修煉できないからといって一掃するというようなことでもありません。人類が宇宙の中の重要な次元となり、大法に圓容する一部になるので、未来において地球にまだ人間がいます。もちろん、それらの良くない、全くだめになった人は、淘汰されます。

弟子:石家荘と北京の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)

弟子:「神たちの愚かさを笑う」という文の意味はなんでしょうか?
師:旧勢力のことをご存知でしょうか? 最初それらは、特に低次元のものは私のことをからかっていたのです。今それらは笑えなくなりました。それらは今真実の全てが見え、全てが分かるようになりました。ですから、私はそれらの愚かさを笑っています。(皆笑った)

弟子:『轉法輪』はこれからの人に残すためのもので、他の説法は皆『轉法輪』を解説するためのもので、『轉法輪』を中心に修めるべきであるということをどのように理解すべきでしょうか?
師:確かに『轉法輪』を中心に修めるべきであり、他の本を参考として読めばいいのです。皆法です。将来の人間は今日の法を正す時期の大法弟子ほどの威徳がありません。なぜならば、彼らは今日の法を正す時期の大法弟子がぶつかった魔難に遭わないからです。もちろん歴史的な原因もあります。ですから、法は今日のようにこれほど大きく現れることはありません。『轉法輪』の全ての文字の背後に無数の佛道神がありますが、将来になると、ここまで現れることがないかもしれません。法が落ちてしまったということではありません。それほど多く現れることがないということです。大法弟子、皆さんが現在威徳を樹立する中で、私は上限を設けていません。(師父笑って)。(拍手)

弟子:旧勢力を認めないということはとても重要ですが、どのようにこのことを良く行うことができるのでしょうか。ありがとうございます。
師:私が思うには、先ほど私が説いた話は皆このことについてです。旧勢力の按排を認めず、それらが按排した今回の迫害の全てを否定します。それらは今回の迫害を通して大法弟子を成長させようとしていますが、これは現れてきた一面です。現れてきていない一面というのは、それらがやろうとする全てが成功すれば、それは未来において認められないものです。常人のところに現れたのは非常に簡単なことです。皆さんが修煉して良くできたその一面は皆、どういうことなのかが分かっています。私は旧勢力の全ての按排と現在の迫害を認めていません。

 宇宙の中のある極めてミクロ的で厖大な生命ですが、それを知っている神もいません。この生命は宇宙天体がある時期に解体に向かっていると見えました。生命の本能から滅亡したくない一念が生じ、それ以下の各次元の大穹と各次元の大穹にある各次元の天体、各天体の中の一層一層の宇宙と各宇宙にある一層一層の生命まで動かし、各大穹の中の巨大な神が自らを救う方法を按排するようになりました。上から下まで参与した一層一層の神はまた更に細かい按排をし、このようにずっと三界に至ります。その一念が極めて高い次元から来たため、宇宙の衆生はこれを天意だと思い、必ず円満に成功を収め、この洪大な穹体の消滅を救うことができると信じ込んでいます。各次元の天体の神が綿密に按排したから、この按排は神々を興奮させるほど完璧に見え、神々の自信が大いに増し、きっと救われると思いました。当時、各次元の20%の神がこのことに参与しました。これが旧勢力の由来です。

 衆生は壊滅されたくありませんが、これは自然なことです。しかし、各次元の生命は皆洪大な穹体におり、長い歴史の過程で全ては法理に従い、成住壊滅の中で最後に向かっており、逃れられる生命と要素は一つもありません。衆生にとって、全てが解体し、生命が存在する要素と条件もなくなれば、生存できるものが一つもありません。これは宇宙天体の組み直しよりもはるかに恐ろしいことです。成住壊滅の法理は旧宇宙の全ての要素、物質と生命を作り出しましたが、同時に全てが壊に向う法理をも定めました。それは宇宙を構成する全ての要素を含む要素の衰退と腐敗であり、生命の場合、考えと行動基準の腐敗堕落として表れてきます。ある程度まで悪くなれば、救うことも残すこともできなくなります。それによって滅という最終段階に向かいます。旧勢力は神通力と智慧の力の限りを尽くし、それらが最も完璧だと思うものを按排しました。興奮でそれらは肝心なことを忘れました。つまり、宇宙が壊に向かう段階になると、宇宙の中の全ての衆生と要素は含まれないことはなく、漏れることもなく、皆壊になります。生命、思想、要素と基準が皆不純になります。基準と生命の全てが悪くなったのは巨大な歴史の過程で徐々にここまでなったのです。法理と基準が長い歴史の中で元々の素晴らしさと純正さを失ったため、衆生はこの変化に気づきませんでした。それらの次元のとても高い神が従来から自分より下の生命を気にしていないため、その上、法を正す中の私の忠告を聞き入れていなかったため、宇宙がここまで来たら、中の衆生が考えた自分を救う方法がいくら良くても、壊滅時期の生命の行動であり、宇宙の初期、中期つまり「成住」の時の基準に達することができず、旧宇宙の無数倍を越える新宇宙の基準になおさら到達することができません。ですから、神々が行った全ては宇宙の外にある全てに認められていません。法を正す中で私は全ての大穹を踏破しました。それらが按排したことの根本に漏れがあり、圓容することのできないものだと目にしました。法を正す中で私は旧勢力と関係のある全てをも踏破しましたが、法を正すことに本当に巨大な破壊をもたらしたその一念を動かした厖大な生命は最終的な生命ではなく、それより更に高い要素はまだ多くあります。旧勢力の全ての按排はそこで急になくなりました。それらの全ての按排は根のないもので、何も解決することができず、うやむやのうちに終わってしまいました。旧勢力の全ての按排は法を正すことの本当の破壊、魔難と障碍であり、法を正す中の洪大な難です。法を正す中で旧勢力は全ての主と王、衆生を惑わし、法を正す中の圧力もこれらの衆生と旧勢力による直接の左右に由来しています。この全てを踏破し、衆生はこの全てを見た時、考えがなくなったかのようになりました。それらは以前私が話したこと、法を正す中での私の忠告が全部本当のことであると分かった時、愕然としました。すぐに衆生は法を正すことに罪を犯したと分かりました。それらは今まで私を修煉者と見なし、ひいてはそれらが私を作り出していると思っていました。今それらはこのように思う勇気がないと思います。

 旧勢力がこの世で按排した今回の魔難は、見た目は修煉者のため、法を正すことのため及び私のために責任を持つことを目的としているように見えますが、実はそれらが今回の魔難を按排した本当の目的は、それらがやろうとすることのために責任を持つことです。しかし、それらが按排した全ては全く未来の新宇宙が手に入れたいものではなく、同時に本当の法を正すことに巨大な破壊をもたらしました。私が手に入れたい多くのことはそれらによって無理やりに破壊されました。歴史は既に過ぎ去りました。失ったものをもう一度手にするのは非常に難しいのです。それらはどのようにこの全てに責任を持つのでしょうか?

 学習者にとって、今回の魔難の中で旧勢力の按排を認めなければあなたは乗り越えることができます。しっかり行うことができなかった学習者は、実は旧勢力の按排を認めているのではありませんか? それを認めれば、あなたはまるでそれらの仲間になったようではありませんか? 迫害の中であなたがしっかり行わなかったため、学習者の内部が不安定になり、迫害も一段と深刻になりました。あなたは邪悪を助長し手伝っているのではありませんか? それらを否定し、旧勢力の全てを全般的に否定してください!

弟子:どうして旧勢力に大法弟子を死なせるまで迫害する勇気があるのでしょうか?
師:これに二通りの情況があります。一つは、大法弟子の中で一種の考えが現れたと旧勢力は思ったのです。つまり、大法を修めれば保険をかけたかのように、何も恐れることなく、死ぬことも病気になることもなく、あれこれになることがなく、しかも皆福のある人だという考えです。しかし、この心が生じると厄介なことが起こります。旧勢力は自分がやろうとすることをするので、無意識のうちにそれらの按排を認めれば、あなたを管理する口実を持つようになり、あなたに各種の危険をもたらします。もちろん、大法弟子は常人のように死んでしまうことはなく、先に去っていくだけです。彼を待っているのも最も素晴らしいことです。これは間違いのないことです。(拍手) ですから、この期間中、旧勢力はとりあえず数人を連れて行ってしまいました。もちろん、死亡した学習者の中に旧勢力に前世で按排された人もいます。それらの目的は何でしょうか? 大法を勉強しても安全ではないということと、やはり良く行わなければならず、しっかり行わなければ、やはりいけないということを皆さんに見せるためです。それらはこれをやっており、法を正すことより皆さんの個人修煉を重要視しています。また、現在法を正す中で、衆生を救い済度する大法弟子を差し迫って必要とする時に、旧勢力はこのようにやっています。これは破壊ではありませんか? 一人の大法弟子が世の中にいれば、どれほどの生命を救い済度することができるのでしょうか? これは悪事を働くことではありませんか?

 旧勢力は時々学習者を妨害しますが、衆生を救い済度することは大変重要なことです! どうしてもこれらの妨害をやっています。それらを認めません! なぜならば、それらの誰もが参与する資格はありません。私が欲しいのは衆生の誰もが妨害せず、そこで待つことです。このように正していき、最も良くない生命、最も悪い生命、歴史上いくら大きな間違いを犯した生命も元の場所で圓満成就することができます。これは良いことではありませんか?(拍手) もちろん、原則無しで行うのではありません。大法弟子の一切の借りは私がそれを変え、衆生に善の報いを与え、最も良い補償を与えます。その大法弟子がこれをできなければ、師父がやってあげます。宇宙がだめになったのは衆生が皆だめになったからです。全ての衆生に私は全部やってあげます。あなたにやってあげますが、その人にもやってあげます。これで善解したのではありませんか?(拍手) 全ての生命は全部だめになり、きれいでなくなりましたが、私が全ての人にやってあげれば、公平になるのではありませんか? この道理ではありませんか? しかし、旧勢力はどうしてもこのようにしようとしています。もちろん、このようになったとしても、法を正すことに影響された生命は必ず何かの行動をとります。それによって、トラブルや妨害が現れます。これは自然なことです。このことによって、必ず私が法を正すことに何らかの苦難とトラブルをもたらします。これも自然なことで、私はこれを受け入れ認めています。しかし、系統的にこれらのものを作り出し、法を正すことをひどく妨害したら、私はそれを認めることができません。こういった関係です。

 他の面から言えば、旧勢力が自分のやりたいことをやることができたのは、皆さんがそれらのやろうとしていることを黙認したからではありませんか? 「来い」と言われたら付いていきます。「書け」と言われたら書きます。言われたままにやっています。あなたを捕まえたり判決を言い渡したりしても、あなたはどうしようもなく黙認しています。もちろん、これは心の中に執着があって放下できないからそうなったのです。しかし、放下できなければできないほど、迫害がひどくなります。大法学習者を破壊する者を操っている邪悪生命はあなたの執着とあなたが何に執着しているのかが見えます。生死を放下した弟子は何も恐れることがないので、邪悪も怖がっています。しかし、彼らの修煉が良くできたから放下できたのです。

弟子:親族や友人に大法を修めてもらいたいのですが、法を正すことが既に最終段階になりました。先生は彼らが私たちについて天上に戻るように按排するのでしょうか? それとも、法がこの世を正す時に彼らが大法を修めるのでしょうか?
師:私は何もあなたに教えることができません。まず、これは話してはいけないことです。次に、あなたに執着があります。圓満成就したら、まだあれこれのことがあるから、どうしたらいいのかと言う人がいます。この話を口にした時、神たちはどのようにこの学習者を見ているかをご存知でしょうか?(皆笑って) それでも圓満成就したいのでしょうか? ご存知でしょうか? 心に圓満成就を考えている人は圓満成就することができません。まして圓満成就したいのに、まだ情と財に対する執着を放下することができない人です。何も求めず自ずと得るのです! 大法弟子が今日行っている全ては歴史が皆さんに賦与した責任であり、正々堂々と行うべきことを行い、全てはその中にあります。(拍手) 圓満成就をしたいと思っている限り、圓満成就することができません。このことやあのことやまだ片付けていないから、どうやって去っていくのでしょうと言うならば、まだここから離れたくないということでしょう。この一言に多くの人心と執着が含まれています。

弟子:詩は人類文化の一種ですが、師父はどうして詩という特殊な方式で私たちを教え導き、法の一部とするのでしょうか?
師:これらの中国の文化は、世界の他の文化も同じですが、人々が法を得られるように残されたものです。私が文化のどの部分を使用するかも私の選択です。特別な考えがなく、随意にこれを使いました。私は時々古語で何かを書きますが、詩や囃子歌、対句などで書く場合もあります。時に白話、つまり現在のこの文法で書く場合もあります。実は私は最も古代の詞で書きたいのです。古代の詞は意味を非常にはっきりかつ透徹に表すことができます。もちろん、学習者が現在学んでいるのは現代文なので、古代の詞を読んでも分からないため、私は使わない、またはあまり使わないようにしています。旧勢力が今日の人類をここまで押したのは、実は宇宙で法を正すことと未来に大きな困難を来たしました。私が現在説いている法は科学のものと結びつけて皆さんに説いています。これは人間の文化ではないので、残されたら将来どうするのでしょうか? ご存知のように、私がどうしていつも文語と古い言葉で皆さんに説きたいのかと言うと、古文や古い言葉に科学のものがないからです。しかし、現在は既にこのようになったため、人間がこのような文化でこれらの理を理解するしかできないので、私もこのように話すしかありません。これからのことはこれから考えましょう。

弟子:今日の人類社会の全ては皆大法弟子の心によって促成されたのだと師父はおっしゃいました。いつも自分の執着心によって物事の結果が更に悪くなったと気づきました。どのようにこのことから抜け出すのでしょうか?
師:良く行わなくても大丈夫です。次回良く行えばいいのです。原因がどこにあるのか探してみます。皆さんは修煉の中である突出した現れがあります。つまり、何かを良く行うことができなければ、終わった後、後悔ばかりし、新たに行うことを知らないのです。後悔しすぎるとまた執着になります。間違ったら、どこが間違ったかを見て、分かれば、次回それを良く行い、新たに行えばいいのです。転んだらいつも転んだままにしています。(皆笑って) 起き上がらなければいけません。

弟子:師父の午前の説法を聞いて、とてもつらかったのです。師父は時期を早めてこれらの法理を教えてくださったのでしょうか?
師:違います。多くのことを私は現在構っていません。皆さんは自分で自分の道を良く歩まなければならないからです。誰でもそうです。これはあなたが未来圓満成就するときに残すものであり、威徳を樹立する機会でもあります。良く行うことが出来れば、それはあなたが証悟した全てであり、それを整理して、悪いものを取り除き、残った精華はあなたの成功の道です。午前説いた法は、実は全体においてずれが現れそうになったときに説いたものです。個別的な現象で大きな影響がない場合、私は何も言いません。学習者もすぐ良く行うようになります。午前に説いたことでも、皆さんが最終的に正しく認識するようになると思います。しかし、おびただしい損失が起きます。私は何人かの大法弟子を失うことになるので、それを説きました。(拍手)

弟子:尊敬する師父にお聞きしますが、学習者はインターネットを利用して交流していますが、このやり方はいいのでしょうか?
師:中国大陸以外の学習者なら問題ないと思います。しかし、皆さんが行った法を実証する際の具体的な情況を言わないでください。中国大陸にいるのであれば、やはり皆さんの安全を第一にしたほうがいいと思います。旧勢力に隙に乗じられないようにしてください。これは恐れているかどうかの問題ではなく、邪悪に隙に乗じられないということです。

弟子:私たちの念が非常に純粋で正しければ、旧勢力は妨害しようがありません。もし妨害があれば、それは私たちの修煉状態の反映なのでしょうか?
師:妨害が現れたら、往々にして旧勢力が作用したためです。私たちのことが全部正しく行われたら如何なる妨害もないのでしょうか? 多くの損失を減らすだけです。なぜならば、皆さん自身に確かにまだ意識されていない要素があるため、隙に乗じられたのです。旧勢力は他でもなく、自分のやりたいことを無理やり加えようとしています。同時に、一部の学習者に、特に第三部分の学習者にまだある程度の業力があるので、旧勢力はこれらのものを利用して隙に乗じるのです。しかし、いずれにせよ、師父は旧勢力を認めていません。皆さんも認めないでください。正々堂々と良く行い、それらを否定し、正念を十分にするようにしてください。私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します。しかも、師父の周りに多くの護法の神がおり、多くの佛、道、神、更に大きな生命があるので、彼らも参与してきます。なぜならば、認められていない無理やりに加えた迫害は法を犯しているからです。宇宙の旧い理もこれを許しません。理不尽な迫害は絶対だめです。このようにしたら、旧勢力も手を下すことが出来ません。つまり、皆さんはできるだけ正しく歩むということです。

 しかし、私が正しく歩んでおり、しかも良く行うこともできたから、今からどんな魔難もあってはいけないと思うと、あなたの心でそれらがあなたに魔難をもたらすことになるかもしれません。なぜならば、旧勢力はこれがそれらに対するもう一種の承認であると思うからです。「難がないでほしい。自在になりたい」と思っていては、それはいけません。この心を取り除かなければならないと旧勢力は思うのです。これで、また旧勢力に隙に乗じられたのではありませんか? 実は皆さんが普段正しい心を保持することができれば、ほぼやり遂げることが出来ます。

弟子:法が正された後、私たちはまだ師父のことを知ることができるのでしょうか?
師:師父にある独立した体系があります。皆さんは皆宇宙の中の生命であり、厖大な宇宙がいくら大きくても、師父はその中にいません。私はこの全ての中にいません。私は自分の独立した体系を持っています。私はこの宇宙の中の如何なる物も必要とせず、この宇宙に、いかなる物を入れる必要もありません。私には独立した自分が生存する体系があります。宇宙の中の如何なる生命も私を見ることができず、私が誰であるかを知る生命もいません。実は私は無形です。如何なる内外の要素にとっても私は存在しておらず、つまり何もないということです。しかし、私は宇宙の如何なる次元にも私の形象を現すことができ、つまり皆さんが今日見ることのできるこの形象が異なる次元での昇華です。人間のところではこのような姿ですが、もちろん、将来非常に若くなるかもしれません。私の本体はとても若いのです。人間の言葉で言うと、各次元での形象はこれを基礎とし昇華した形象です。見た目は全部私です。ただ構成する要素がミクロであればあるほど、体積がますます大きくなると感じるだけです。もちろん、私は各次元での形象を一体に集め、同時に大きくなったり小さくなったりすることができ、無限に分身することもできます。こういう意味でしょう。(拍手)

弟子:法が正された後、弟子が圓満成就したら、今後次元を高める機会がまだあるのでしょうか?
師:法が正された後、弟子が皆圓満成就しましたが、次元を高める機会がまだあるのかということですが、実は私は既にお話しましたが、果位は修煉の中で悟るものです。つまり、あなたがどういう果位を成就することができるかは、修煉の過程で得るものです。天上にいたら、引き続き修煉し向上することができるのでしょうか? ここに要素と機制のことがあります。しかし、少しばかり向上したいとしても、それは相当長い時間がかかる巨大な工事です。地球にいた時ほど簡単ではありません。しかし、誰も地球に来る勇気はありません。来たとしても、神佛が世に下りて人々を済度することにめぐり合えないかもしれません。地球に来たら、頭が洗われ、何も分からなくなり、修煉に反対するようになってしまうかもしれません。ですから、誰も地球に来る勇気はありません。

弟子:大法弟子は一つの全体として、最も根本的に改善する必要のあるところと欠点はどこにあるのでしょうか?
師:大法弟子は一つの全体として、法を実証する中で協調することができれば、法力が非常に大きくなります。皆さんが集団で何かをするにしても、自分一人で何かをするにしても、皆さんは同じことを行っています。これが一つの全体ということです。皆真相を伝えており、正念を発し、法を勉強しているため、具体的な仕事が違っても、担当は秩序良く分担されています。集まれば形になりますが、散ってしまえば粒になります。皆さんは全体の形式において何かの問題が現れたら、師父は必ず表に出てそれについて説きますが、目立った問題がなければ、師父は何も言いません。全体の形勢に影響していなければ、師父は何も言いません。

弟子:敬愛なる師父、どうぞ私を済度してください。私に大きな罪があるので、知恵遅れの子供がいます。
師:師父は必ずこの世にいる全ての衆生を済度します。(拍手) 私は異なる時期に異なる方法で異なる人を救い済度する方法をとります。

弟子:私は夢の中で考えがあまり正しくありません。誰かの命に傷害を与えたのではないかと心配しています。
師:大丈夫です。夢はあくまでも夢であり、修煉ではありません。あなたが思っているようなことではないかもしれません。修煉して圓満成就さえすれば、あなたがやった全ての間違いを師父は方法を考えて圓容してあげます。(拍手) これらのことを考えないでください。考えすぎると、執着になり、修煉できなくなります。

弟子:師父にお伺いしたいのですが、法を正す中で私たちが行ったことに、重要なこととそうではないことがあるのでしょうか? どのように判断するのでしょうか?
師:これは、具体的なことですね。具体的なことになると、それは皆さんが威徳を樹立しているのであって、あなたが歩むべき道であり、自分で行わなければなりません。もちろん、重要なこととそうではないことは、皆さん自分自身で按排してください。難しい仕事をやらずに楽な仕事だけをするのなら、あなたのやろうとしていることに影響するかもしれません。なぜかと言うと、あなたが行った全ては全部あなた自身のために行われたからです。うまく割り振りすることができること自体は素晴らしいことであり、そのため、道を正しく歩むことができ、これが即ち威徳です。具体的なことについて私は皆さんになかなか教えることができず、師父は皆さんが自分の道を圓満成就させる機会を奪ってはいけません。

弟子:私は修煉によって慈悲の心が現れないことにいつも悩んでいます。大法の資料を拒否する周りの知り合いに対して特にそうです。意気消沈しています。
師:皆さんに教えますが、私たちは修煉の人として、できるだけ慈悲をもって周りの全ての衆生に対処すべきです。機縁がまだ来ていない人もいるし、ひどく害されましたがまだ救われる可能性のある人もおり、もちろん救われない人もいますが、絶対多数の人は救われます。現在のあなたにはそれを見分けることができません。ですから、私が思うには、くれぐれも意気消沈しないください。誰に対しても慈悲をもってこのように対処し、鋼鉄を溶かすほどの慈悲があれば、良く行うことができます。(拍手)

弟子:現在多くの国は中国の経済の幻像に惑わされています。これが各国政府とビジネス業界に真相を伝える時の大きな障碍となります。このことについてお話をいただけないでしょうか?
師:そうですね。中国政府は法輪功を迫害するために国民経済の四分の一のお金を使いました。それらに経済能力がなければ、法輪功を迫害することができるのでしょうか? あの社会の人々は現在それの指示に従うのでしょうか? このような徳を損なうことをやるようにと言われていますが、人々はそれを行うのでしょうか? なぜならば、それはお金でこれを支えているからです。なぜ国際社会の多くのマスコミと政府はこれほどおとなしくしており、今回の大災禍に対して知らないふりをしているのでしょうか? 中に利益に関わる多くのことがあるからです。

 今回の邪悪な迫害の中で、中国において、政府部門の業績にしても経済部門の経済効果にしても、全部法輪功と関係づけられました。学生の進学、卒業の成績など全ての全ては全部法輪功と関係付けられました。法輪功を迫害するために、公安、法律、司法、芸術関係、外交、邪悪な610、工作員などの部門に大量の資金を投入しました。嘘を作るために、各種の宣伝機器、ラジオ、テレビ、新聞、芸術関係、文化、ひいてはテレビ、ラジオとインターネットを封鎖するため、大量の資金を投入しました。海外に大量の工作員を派遣し法輪功を迫害しています。しかし、これらの人がお金を海外にまで持ってきたら、そのお金を自分の口座に入れて移民の手続きをしにいきました。普段海外に来たくても来られませんでしたが、今お金をもらって海外に出てきて、なんと都合のいいことでしょう。海外はどういう社会なのでしょうか? ここに犯罪をしにくるなんて、自分のために退路を残しておきましょう。迫害に使われている手口は皆最も馬鹿馬鹿しいものです。人民の血税を使って人民を迫害しているのに、手を緩めていません。このことに使われたお金は相当な金額です。

 今見れば、法輪功の問題が解決されなければ、あの社会はどんなことをも変えることができず、安定しません。なぜならば、その全てを法輪功にかけているからです。他の事にかまう余裕もなく、全ては法輪功のために存在しています。そのボロボロになっている国家機器は皆法輪功のために回っています。他にできることは一つでもあるのでしょうか?

 その資金は全部海外からの投資です。これは旧勢力が行ったことです。旧勢力は他でもなく、お金で邪悪を支えています。邪悪が大法を迫害している間、そこに投資すれば、これは金持ちの人々が未来を選択していることでもあります。お金が無駄になると分かっているにもかかわらず、投資してしまいます。今回の迫害の中で投資したら、あなたは邪悪な迫害を支持し、罪を犯すことになります。中国で大法が迫害されていなければ、あなたはいくら投資してもかまいません。人間の表面はこれを分かっていませんが、誰でも分かっている一面を持っているので、知らないとあなたには言えません。

弟子:もし輔導站または学会の責任者が法を正す進展についていくことができず、しかも指摘を聞き入れることもできなければ・・・。
師:輔導站と学会にこの情況があるのでしょうか? 胸に手を当てて自分に聞くべきです。学習者の意見を正しく聞き入れるべきです。しかし、逆から言えば、学習者は何かの問題を見るときにちょっと足りない所があるのではありませんか? あなたが責任者という役になったら、どのように演じるのでしょうか? 私は皆さんを咎めているのではありません。自分をその中に置いてみてください。彼らに本当に問題があるのでしょうか? それとも私たちが問題を考えるときに全体から考えていないのでしょうか? もし彼らに本当に大きな問題があれば、輔導站の責任者として考えなければならず、あなたの責任は更に重くなりました。あなたの過ちで一人の大法弟子が淘汰されたら、この罪は非常に重くなります。もちろん、そこまでひどくなることはありません。なぜならば、師父が見守っているからです。しかし、皆さんは皆修めており、自分の過ちや執着、放下できないものを圓満成就の時まで持つことはないでしょう。ですから、皆さんはどんなことを行っても、まず大法を考えなければならず、自分のことを重く見てはいけません。

 ついでに言いますが、各地の責任者も修煉の人なので、皆さんは彼らに厳しく要求し、彼らを師父として考えないでください。どこかに間違いがあるのは免れがたいことなので、お互いに心を打ち明けて話し合ってみたらどうですか? 本当に法のために責任を持つという立場に立って、鋼鉄を溶かすほどの心があれば、仕事をうまくやり遂げられないことはあり得ません。また、学習者に対して固定観念を持たず、その人がだめだと思ったりしないでください。師父の私はその人ができると思っています。意思の疎通がしにくいとも思わないでください。どちらかのやり方において、やはり大いなる慈悲を持つことが出来なかったのです。本当に大いなる慈悲を持つことができれば、間違ったところはきっと改められます。

弟子:私たちが海外の中国人に対して真相を伝えることはまだまだ足りないのではありませんか? 特に米国西部に多くの中国人の社会団体があり、中に大陸から来た中国人が多くいます。彼らが海外にいることは彼らの縁なのでしょうか?
師:これは彼らの縁であると言ってもいいのです。しかし、プラスの作用とマイナスの作用をする人がいますが、これは旧勢力の按排です。私はこれを認めていません。先ほどお話しましたが、世の中の全ての人は私の親族です。旧勢力の按排を認めないので、真相を伝えることをできるだけ行ってください。米国西部にしても、米国東部にしても、できるだけのことを行ってください。しかし、師父は何もかまわずに行うようにと言っているのではありません。何もかまわなくなったらそれもいけません。つまり、自分の時間を合理的に割り振りして、できるだけ人を救うようにすべきです。もう一つですが、あなたに救われたその中国人自身も真相を話すので、彼にも功績を作る機会を与えます。なぜならば、今回の迫害の中で人間は皆罪を犯しており、皆迫害の中で迫害を煽りたて、邪悪の勢いを助長しました。ですから、人間に罪をあがなう機会を与えることがあります。彼らが真相を知ったら、いろいろな人に教えるので、これで罪をあがなっていることになります。ですから、皆さんはできるだけのことを行ってください。

弟子:私が所在している地区は議員選挙をした時、大法を支持した立候補者を支持した人がいます。私たちは政治に参与しませんが、常人に頼って大法のために何かをしてもらうこともしてはいけないと思う人がいますが、この理解は正しいのでしょうか?
師:原則的に言えば正しいのです。しかし、具体的なことに対して次のように見るべきです。つまり、大法弟子は常人社会の政治に参与しないということは、私は絶対的にこのように言えません。私が言っているのは大法が政治に参与しないということであり、大法弟子の中に政治の仕事をしている人が多くいます。それは彼の仕事です。政府は選挙を行いますが、あなたは選挙に参加しますか? 参加し投票したら、政治に参与したことになります。常人社会で修煉している大法弟子は他でもなく、常人社会でできるだけ常人社会に合わせて修煉することです。これに問題はありません。あなたも常人社会の一員であり、常人社会の存在は大法の、宇宙の、衆生にとって必要であり、私たちはそれを守ることしかなく、それを破壊してはいけません。投票すべきなら投票すれば良いのです。これは問題ありません。この議員は私の個人的な友人であり、何かしてあげたりして、もちろん、選挙に参加することもあって、つまりボランティアをすることですが、これは問題ありません。しかし、私たちの大法は全体として政治に参与しません。大法の名義で政治の何かのことをしてはいけません。しかし、大法弟子はやはり法を実証することを大事にすべきです。

 この前台湾の選挙の時、私は古い学習者に台湾学会の責任者に電話してもらって、大法学会が党派の選挙に何の立場もとらず、学習者個人が誰かを支持したければ、それは学習者個人のことであり、大法を代表していないという声明を出しました。大法弟子にどちらかの党を支持する人もいます。法輪大法学会は各党の選挙に対して如何なる政治的な意見も持っておらず、それに参与しません。学習者個人として、支持したい人を支持すれば良いのです。こういう情況です。

弟子:最近、法を正す仕事をする時に大きな圧力を感じ、一種の無形の圧力のようなものです。この感じ方は法を正す全体の形勢と関わっているのでしょうか?
師:まだ法によって正され終えていない旧勢力がますます圧力を感じていると私は思います。最後になればなるほど、及ぼされた一面が受ける圧力はますます大きくなっているため、時々私たちにも複雑な情況をもたらします。しかし、これもこの程度のことに過ぎません。正念を多く発し、邪悪を排除し、それを重く見ないでください。実は現在私にはっきりと分かっており、皆さんにもはっきりと分かっていますが、つまり大法は誰も破壊することができず、どんな破壊もあり得ないことです。今日私李洪志がいてもいなくても、誰も大法を傷つけることができません。全ての人が責任者であり、大法の一粒子であり、皆法の中で精錬されており、どのようにすべきかが全ての人は分かっています。中国大陸の大法弟子は実践の中で、師父がいない情況下で、大法が難攻不落なものであると実証しました。大法弟子は行うべきことにしたがって行ってください。このようにすれば、全てを解決することができます。

弟子:洪大な寛容を持つべきであると先生に教えられましたが、たまに一途に思い込むこともあります。
師:それなら、直せば良いのです。慈悲と寛容を持ち、相手のことを多く考え、人間のこのところで、これも習慣になります。皆さんが自責することを私は好きではありません。それは何の役にも立ちません。私はやはり先ほど言った言葉を言いますが、つまり、転んだら倒れたままにせず、早く起きなさい。

弟子:真善忍を認めますが、法輪功を認めない人がいます。このような人は最終的にどうなるのでしょうか?
師:実は皆さんに教えますが、常人の言ったことを重く見過ぎないようにすべきです。多くの常人は理性がないのです。人間は常人社会で多くの観念に影響され、しかもいまだに各種の観念を形成しており、本人の本性と真なる念にひどく影響しています。ですから、一部の人が言ったことは似て非なるもので、心にもないことを言っており、何も考えずに言っているのです。常人を皆さんのように理性的であると思わないでください。現在の多くの多くの人は相当理性を失っています。実は皆さんも当初は同じでした。(皆笑って) 成長し、良くないものが取り除かれたから、理性的になったのです。常人が物事を認識する時、または物事の良し悪しを判断する時、非常に浅はかなものです。ひいては自分の親族や恩人に何かを言う時でも、似て非なることを言ったり、心にもないことを言ったり、信用のないことを言ったりして、如何なる結果にも責任を負わないのです。ですから、それを気にせず、彼を救うために本人が理性的になるようにすれば良いのです。

弟子:中国に対して真相を伝えるときに常人の状態に合わせるため、真相の資料を常人の執着に合わせた内容と組み合わせて使っていますが、この度合いをどのように判断するのでしょうか? 健全ではない内容は常人の執着に合っていても使うべきではありません。
師:私は学習者から他の問題を聞きました。つまり、今まで出てこなかった学習者、または良く行わなかった学習者は出てきたら、すぐ多くの良いことをしようと思っています。つまり、功績によって過ちを償うということでしょう。しかし、今まで次元が落ちたから、ずっと法を正してきた今の学習者との間に差があり、しかもこの差に本人は気づきませんが、他の弟子には分かるものです。特に法を正すことの具体的な仕事の中で、理解においてもこの差が現れることがあります。ですから、法を正すことをする時、話したことから、他の大法弟子はそれに気づいています。私はこれらの学習者がだめだとここで言っているのではありません。私が既に言ったように、転んだら立ち直り、続けて歩けば良いのです。師父はあなたを見捨てませんが、あなたも自信を失ってはいけません。機会はまだあります。私は必ずあなたを成就するまで済度するので、これでもあなたに自信がないのでしょうか?(拍手) ですから、この時、今まで良く行ってきた学習者は善意をもって彼らを助けるべきであり、他の学習者に対するように言葉をきつくしてはいけません。あなたはそういうつもりで言ったのではなくても、彼はそういうつもりで聞いてしまいます。ですから、善意をもってどのようにすべきかを教えるべきです。もちろん、相手に察知されないようにしてください。察知されたら、他の人と違った待遇の仕方をされたと思い、心の中でまた障碍が生じ、心の矛盾が現れます。最近になって出てきた学習者も気をつけるべきです。つまり、他の人の意見をよく聞いたほうが良いのです。修煉だから、忠言耳に逆らうということでしょう。

弟子:真相を伝える番組を大量に作る以外、良い番組を少し作って異なる常人の需要を満たしても良いのでしょうか?
師:このことはあなたに教えますが、私たちに現在本当にこの時間がありません。大法弟子は全力を挙げて法を実証しています。そのような番組を作ったら、常人には有益です。なぜならば、正常な人間の文化は滑落しつつあるからです。しかし、それは皆さんが今日行うことではなく、未来の次の段階で行うことです。ですから、現在の大法弟子は真相を伝えることに多くの力を注ぎ、多くのことを行うしかありません。

弟子:真相を伝える大量の番組を作って、インターネットに置き、中国の大法弟子がそれをVCDに作るということをしてもよろしいでしょうか?
師:もちろん良いのです。ただするのではなく、能力があれば、大量に行うべきです。中国人がそれほどひどく害されているため、彼らに真相を知らせるほかありません。私たちは政治の目的のためではなく、私たちには罪がなく迫害されていることを中国人に教えるべきです。常人の角度から言えば、私たちは他でもなく、世の人々に私たちが一体どういうものなのかを教えています。法の立場から言えば、私たちは彼を救い済度しており、今回の迫害で淘汰される羽目にならないようにしています。

弟子:法を正す弟子が法を実証することは自分の圓満成就のため以外、他の生命のために法を実証しているのでしょうか?
師:他の生命のことは、あなたはとりあえず気にしなくてもよいのです。(笑い) しかし、皆さんに教えますが、実は当時99年7月20日の時、天地を覆い隠すかのような邪悪がのしかかってきた時、世界中の全ての邪悪な人を操っていました。全ての常人も制御されました。人間だけではなく、動植物まで制御されていました。草木でさえ私たちに対して邪だったように感じました。年が変わり次の年になって良くなりました。なぜならば、のしかかってきた邪悪は根絶され、当時中国に一部だけ残っていましたが、それも迅速に片付けられています。現在最も重要なのは世の人々です。現在の世の人々は皆相当な身元を持つ人だからです。

弟子:二つの質問があります。毎日忙しくて、毎日大法の仕事で忙しくなっていますが、効果が良くありません。時々大法の仕事や学習者の救出などに対して無関心になっていますが、どのようにこの状態を変えることができるのでしょうか?
師:合理的に自分の時間を割り振りするようにとしか言えません。一人一人の時間に限りがあり、師父もこれを知っています。どのようにそれを合理的に割り振りするかのことです。皆さんの修煉の仲間を必ず救出しなければならず、邪悪に憚ることなく迫害されてはいけません。実は、皆さんに教えますが、大法を迫害することに使用されている全ての手口は皆馬鹿馬鹿しいものです。皆さん振り返って考えればこういうことだと分かります。なぜならば、旧勢力はそのように按排したからです。なぜ外国の国民を捕まえることがあり得るのでしょうか? ご存知でしょうか? 皆さんが真相を伝えている時、アメリカの国民はそれを聞いて、皆心の中で怒りを感じています。中共は改革開放以来、中共邪党の政府が認められるように、八方手を尽くして自分がいかに素晴らしいかを全世界の前に示しています。そうでしょう? しかし、西洋社会、特にアメリカの国民は中共邪党に対して元々嫌悪の念を抱いています。それらがやっていることはかえってますますアメリカ人の反感を買ってしまい、全世界の他の民族にも心の中で嫌われるようになりました。外国の民心まで失ってしまいました。このような馬鹿馬鹿しいことばかりをやっています。

弟子:全体としての力はまだ十分発揮されていません。時々、佛学会の主たる連絡者または責任者が法に基づいていないのに、手を放して他の人にもやらせません。交流してもなかなか共通認識を得ることができません。彼らは師父が自ら指名して責任者になったと聞いたので、彼らが間違っていると分かっていても、彼らを支持しなければなりません。(皆笑って)
師:個人が法を実証することに対して思い切って行わせるべきだと去年の早い時期に各地の佛学会に教えました。誰もが法を実証する道を歩まなければなりません。学習者が言ったことは百パーセント正しいとは限りませんが、責任者として、皆さん聞こえましたか? 学習者にこのような考えがあります。皆さん聞こえましたか? もちろん、皆さんも修煉者なので、皆さんが完璧に行うようにと師父は求めることができませんが、学習者にこのような考えがあったら学習者のせいにしないでください。なぜならば、彼らは法のために考えているからです。私は行間の中に一文字一文字に彼らの信息があるのが見え、彼らは自分のためではなく、法のために考えています。(拍手)

弟子:商売に投資すれば金儲けをすることができますが、二、三年後儲かっても使いようがないと思って、少しお金があれば人を救うことに使おうと思っている弟子がいます。
師:表面から見れば少し理に適っているようですが、実はやはり極端に走っています。私が思うには、あなたが自分の生活に何もかも構わなくなってしまえば、いけないのです。皆さんに教えますが、皆さんが現在残したのは未来の人々の修煉の道です。未来の人が皆このように極端に走ってしまい、仕事や商売も捨てて、ひいては乞食をしながら法を実証する、これは絶対いけません。

 あなたは自分の生活を良く按排し、自分の仕事をきちんとこなすべきです。皆さんに教えますが、皆さんは人類社会の一分子であり、社会のどんな仕事においても、心を尽くし、力を尽くして行うべき全てを行わなければなりません。どこにおいても良い人であり、社会から良い人と言われるべきです。(拍手) 私たちは何かをする時に、極端に走ってはならず、どんな方面においても正しく歩むべきです。

 大金を儲けたら、将来大法のために使うと計画している人がいますが、遠方の水は現在の渇きを癒すことができないかもしれません。しかし、あなたが常人の中の何かのことを計画しても間違いではありません。いくら儲かったら大法のために使うと思わないでください。大法のために使うとか考えないでください。「大きな商売をしたい、大きな商売をしたら大金を儲けることができる」 あなたの思いはそこまでにすれば良いのです。(皆笑って) 大法の事を乗せる必要はありません。後の一文はどうも無理矢理にくっつけたように思います。(皆笑って) なぜならば、大法弟子としてあなたは大金を儲けることができると私は皆さんに教えました。この仕事あの仕事をしても良いのです。何の問題もありません。ただし、あなたは何をしても自分の良心に申し訳が立つようにしなければならず、いい人でなければなりません。(拍手)

弟子:良くないエネルギーが来た時、正念を発して邪悪な力に抵抗しようと思いますが、私は眠くなったり、病気の状態になったりします。どのように悪いエネルギーを阻止することができるのでしょうか?
師:あなたはその悪いエネルギーをあまりにも怖がっています。そういうものが来たら、あなたはそれを溶解し、原始の気にして自分のためのものにすることができます。皆さんに教えますが、私が法を伝える前、それらの高次元の要素が来るまで旧勢力もありませんでした。その時、私は寒いことに対して他の方法を取っていました。「あなたは冷たくて、私を寒くさせ、私を凍えさせようとするのですか? 私はあなたより冷たくなり、あなたを凍えさせます」と私はこのように考えていました。(皆笑って、拍手) 「私を暑くするのであれば、逆に私はあなたを暑くさせ、あなたが耐えられないほど暑くします」 私はあくまでもこの意味を言っているだけです。皆さんはこれができないかもしれませんが、あなたは正念をもってそれに対処しているのであって、それを恐れているのではありません。私はただ言ってみただけで、皆さんは勝手なことをしないでください。新しい学習者ですが、もし誰かから本当に良くないものを発せられたら、それを恐れず、あなたは大法弟子であり、師父がいて法があるのです。あなたは歴史のいつかそれに借りがあったかもしれませんので、これで返すことになります。しかし、あなたは修煉の人であり、あなたが心を放下することができれば、師父は必ずあなたの面倒をみます。悪いものが入ってきましたが、しばらくしたら師父はそれを良いものに変えてあげます。(拍手) あなたが修煉の人なので、師父は見守ってあげます。しかし、また執着し、心が再び生じ、私に守ってくれる師父がいるから、何も怖くない、どんどん来なさいと思ったら、(皆笑って) このような完全に師父に頼る心もまた執着心です。師父はあなたにこの心があるのを見て、あなたを見守ることはまたできなくなります。あなたがこの心を放下してから、あなたを見守るようにします。つまりこの意味を言っています。修煉、修煉というのは、他でもなくその人の心です。そうではありませんか? 自分をきちんと制御することができなくてはいけません。正念をもって全てに対処すれば、何も恐れることはありません。正法を修煉する者が何を恐れるのでしょうか?

 強制労働収容所でひどく迫害されている学習者の多くはやはり恐れる心があるから、そうなったのです。言うのは簡単ですが、そのような邪悪な情況下、圧力下においては違います。しかし、どんなことがあってもあなたは神に向かっていく人なので、どのように行うべきなのでしょうか?! もちろん、死亡した学習者に歴史上旧勢力に按排された人もいます。例えば、前世の時、将来大法が伝わる時、法を得たければあなたは必ずこのように去っていかなければならない、でなければあなたに法を得させないと旧勢力は言いました。当時学習者はきっとこれに同意しました。その時になると殴られ殺されることに同意したのです。もちろん、私が言ったのは一つの例ですが、旧勢力は歴史上確かにこのような隙に乗じ、多くの様々な按排をしました。

 もう一つの原因があります。つまり歴史はあまりに長いからです。ご存知のように、強制労働収容所に多くの大法弟子を迫害し致死させた悪い警察官がいます。もしこれが法を正す時期に起きたことではなく、迫害されたのが常人であれば、この悪い警察官が転生し、ちょうどこの時期とめぐり合い、大法弟子になったとします。以前彼に殺されたその人は彼に命を償ってもらうのではありませんか? もしその生命がどんな良いものをくれても要らない、どうしても彼の命で償ってほしいと言うなら、本当に難しい問題になります。皆さんに教えますが、師父はどんなことをも善解することができ、学習者がその生命に何かの借りがあれば、私は学習者を手助けし最も良いものをその生命に与えてあげます。学習者にそれがなければ、師父である私から与え、その生命が福報を得るようにします。死んだことによって天から福報を得ることができるようになって、これで更に良いことに変わったのではありませんか? しかし、その生命の恨みが重すぎて、どうしてもそれにこだわり、天に昇らせてくれるなんて、神にしてくれても欲しくない、仇を討つしかないと思っていれば、問題は難しくなります。皆さんが考えているほど簡単ではありません! それではどうしたらいいか、皆さん自分で言ってください。歴史上学習者が殺した生命も少なくありません。師父は皆善解してあげました。

 しかし、いずれにせよ、本当に先に行ってしまっても、あなたを待っているのは皆圓満成就です。(拍手) これはこの角度に立って言っているだけです。このように話したとしても、正しく歩むことさえできれば、実は私は全て善解することができます。私はその極端になった心を良くすることができ、これ以上自分の命を欲しいと思わないようにすることができます。なぜならば、私は法をもってその生命の心にあるしこりを解すことができ、私にはどんなこともできます。しかし、皆さんに一旦執着がありそれを放下することができなければ、それを解すことができず、師父も持て余すのです。

弟子:ある現象があります。つまり、集まって法を勉強する時、師父が最近発表した文章を多く読んでいますが、『轉法輪』の通読は少なくなっています。一部の責任者は皆が集まって法を勉強している時、師父が限られた人に対して説法した内容を話しています。
師:ここに二つの問題があります。まず一つ目ですが、私が最近異なる時期に説いた内容は『轉法輪』を補うものであり、皆さんはこの関係を知っておけばよいのです。いつも勉強するのは『轉法輪』です。もう一つの問題ですが、私が個別な情況で話した内容を聞いてうわさを広める学習者がいます。このことについて私は既に数回にわたって話したことがあります。私が個別の時に話した内容には普遍性がなく、その場にいた人に関する問題かもしれません。その後他の人に話したら、あなたの口を通して話された内容には私が言った時の内涵がなく、相手にとっては的を得ていない話かもしれません。これで、その作用を失い、聞いた人もいい気分になりません。同時に、あなたが話した時、あなたの心も含まれており、多くの場合顕示の心があり、潜在的にその意識があります。今後このようなことを広めないでください。私が何かを話して、それを聞いたらそこまでにしてください。千年も修道している人が、何かの真の天機を得たら心に潜めて、千年百年それを潜めても他の人に教えません。(皆笑って) それを知りたければ他のことと交換しなければなりません。しかし、皆さんはぺらぺら全部しゃべってしまい、(笑い)お腹にしまっておけません。

弟子:国内の学習者はどのような形で圓満成就するのでしょうか?
師:それも同じです。全体の形式は同じです。ただ一つ、私が迎えにきて送り出すのでなければ、いけません。先に去ってしまった人は、私が圓満成就にしてあげましたが、実はあるところで待っています。必ず私に迎えられるのです。私に迎えられない者は認められません。ですから、彼らも最後の終わりを待っています。もちろん、そこで待っている者には苦がなく、全てがはっきりと分かり、皆神の状態です。ただ位に戻るだけのことです。

弟子:法を正すこの肝心な時期に、一部の古い学習者に程度の違う魔難が現れました。どのように魔難にいる学習者に対処し、彼らを助けるのでしょうか?
師:修煉は修煉を始める時期の早さに関係なく、修煉が良くできているかどうかもそれに関係していません。正しい念正しい行いがあり、執着を放棄することができる人なら違ってきます。大陸で大法弟子を迫害しているあの邪悪な集団もこのように考えています。つまり、この人が古い学習者で、彼に何かを書かせれば他の人も彼についていくということです。しかし、なぜこれはあり得ることなのでしょうか?! 常人が修煉者を迫害しており、彼らは永遠に修煉者を理解することができません。皆自分を修めており、自分の道を歩んでおり、他の人を見ておらず、年や修煉を始める早さなどを見ていません。師父である私は弟子を導く時、同じように対処しています。どのようにその学習者を助けるかということに至って、皆さんにできるのは、彼が法に基づいて認識し向上することができるように助けてあげることと、一緒に正念を発することです。大法弟子が行うべき衆生を救い済度することを多く行ってください。これらのことは彼を助けることができます。

弟子:法を正す形勢に重要な展開があるとき、いつも何かの事件が突然に起こり妨害してきます。例えば、9.11事件、飛行機の墜落事件、イラクや北朝鮮問題などです。私たちはどのようにこれらの妨害を見るのでしょうか?
師:そうですね。それらの正義を守る国は、これほど多くの主流社会の民衆に対する中国政府の迫害に対して、知らないふりをしているのでしょうか? なぜ何も言わなくなったのでしょうか? 彼ら自身の原因もあり、旧勢力が按排した妨害もあり、テロリストによって忙しくされています。ですから、時々テロリストが現れ、彼らの注意力を分散し、自分に存在する本当の目的に注意力を集中することができないようにされています。

弟子:イギリスの弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。

弟子:国内に拘束されている親族を救出するために、私たちはミニ芝居を作って街頭で演じています。中に邪悪を演じる人がいます。このように大法弟子にこの役をやらせるのは適当なのでしょうか?
師:別に気にすることはありません。必要なら演じても良いでしょう。しかし、大法弟子が悪い人を演じているのを見て、私はやはり気分が優れません。必要があればこのようにしても気にすることはありません。実質上何も影響はありません。仕方がないのではありませんか? 法を実証することは大法弟子が行わなければいけません。以前アイデアを出したことがありますが、ドラマを作る時、悪い登場人物は友達などにやってもらったらどうですかと言いました。(皆笑って) 俳優になってもらって、今お金がないから、将来儲かってお金があれば、その時また払えばいいのです。(皆笑って) 冗談を言っているだけです。実は気にすることではありません。

弟子:将来の人類とほかの生命は同時に存在するのでしょうか? 弟子達はどのようにこれを見るべきなのでしょうか?
師:将来の人類と他の生命は同時に存在するのですか? 法がこの世を正した後、それほど大きな変化はありません。将来地球に何があるのかについて、それは人類の需要によって決められます。天上の全ては非常に素晴らしく、言い表せないほど素晴らしいのです。それらの神、つまり善解され新しい宇宙に入った神たちも驚かされます。(拍手) 人間は神や神の世界が素晴らしいと思っていますが、しかしそこに行って見たら、その元々いた所はそれほど素晴らしいと感じなくなります。差異はこれほど大きいのです。魔にとって、彼らも宇宙の一員であり、宇宙に正と負の生命が対応していなければいけません。

 何時になりましたか?(拍手) 終わりにしましょうか? ここまでにします。(長時間の拍手で先生を引き留めている) それならば、もう少し回答しましょう。(拍手)

弟子:中国のあの堕落者で魔の首魁を起訴することに対して先生がどのように見ていらっしゃるかをお話いただけませんか? (皆笑って)
師:全中国の全ての人々が真相を知って、それによって法輪功を正しく認識することができませんが、誰もあの堕落者を罵っています。ここまで来ました。(拍手) それなら、法にかけられてもいいのではありませんか?(拍手)(笑い)

弟子:中国領事館の前で請願している時、邪悪は警察を指図してトラブルを起こしていますが、私たちが行うべき三つのことの一つ目が真相を伝えることで、問題に遭ったらそれを避けて通るのではなく、真正面から取り組むべきだと師父はおっしゃいました。どうぞご教示をお願いします。
師:そうです。このことに遭ったら、それを解決すべきです。このことを覚えておいてください。つまり、どこかに問題が現れたら、それは真相を伝える必要のあるところです。(拍手) 効果が良いかどうかは、相手を見るのではなく、あなたの心によるものです。良くなって欲しければ良くなりますが、良くなって欲しいと思わなければ、または心が落ち着いていなければ、情況が正されにくいのです。つまり、正念が十分であるべきだということです。私が本当に皆さんを救い済度しており、皆さんに真相を伝えていると思えば、効果が良くなります。中国大陸以外の人に対して、やはりできるだけ善なる念に基づいて対処すべきです。もちろん、救われ済度されない人は中国大陸以外のところにもいます。そのような人に会うかもしれず、会わないかもしれません。しかし、いずれにしても、私たち自身は正しく行わなければいけません。少なくとも、私たちはその人、衆生に対して申し訳が立つのです。多くのことは私たちのやり方次第ですので、できるだけ行ってください。問題を激化させないでください。

弟子:妻は法を実証するために自由の身を失いました。小さい子どもを抱えているので、妻のように法を実証することができませんが、より良く自分を守るためのやり方をとっています。これは正しいのでしょうか? ここで鄭州の大法弟子を代表して師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。大法弟子として、自分のやり方が正しいと思えばそのようにすれば良いのです。修煉の過程で異なる認識、異なる状態がありますが、問題ではありません。修煉の中でどこまで認識することができるのか、どこまで行うことができるのか、それは修煉の境地の現れです。言い換えれば、非常に良く行うことができれば、もちろんこれに越したことはありませんが、これは無理強いして求めることではありません。私の皆さんに対する要求は他に何もなく、ここまで良く行わなければならないと従来から言ったことはありません。全て皆さん自分で行っています。法理をそれほどの高さまで認識することができれば、その程度まで行うことができます。皆さんが行っている全ては自分自身のために行っているのであって、決して私のために行っているのではありません。(笑い) このように話しましょう。つまり、師父は皆さんに手伝うことがありますが、皆さんは師父に手伝うことはありません。(拍手) 将来、真相を見たら、「ああ、こういうことだ」と思うようになります。

弟子:今日は上元ですが、師父が説法してくださり、私たちを救い済度し、私たちと共に上元を迎えることに感謝しています。学習者は師父に帰って欲しくありません。(拍手)
師:あ、忘れていました。教えてくれなければ、私は祝日や正月を忘れてしまいがちです。今日は上元の日ですか? 私たちは大きな団欒を遂げたのではありませんか?(長時間の拍手)

弟子:大陸に真相資料を配る時、師父の詩、経文や大法の書籍をもあげても良いのでしょうか?
師:問題はありません。問題はありません。常人に配っても良いのです。本人が読みたければ、これは問題ありません。迫害はこれほど長く続きましたが、多くの人は本当に法輪功の真相を知りたいのですが、本を入手することができません。当時、旧勢力は邪悪を指図して本を燃やした時、その口実はどういったことかご存知ですか? なぜ本を焼却しなければならなかったのでしょうか? あの時、『轉法輪』は中国大陸にたくさんあって、至るところにありましたが、多くの学習者は本を敬っておらず、常人はなおさら本を敬っていませんでした。神はこれを見ていられないのです。なぜならば、これは宇宙を作り出した天法だからです! ですから、旧勢力は本が珍しくなるほど不足させ、人間にそれから法を探させ、法を敬わせ、法の貴重さを知ってもらうようにしました。当初、旧勢力はこれを口実にこのことをしたのです。

弟子:私がいる地区に法を正すことをまだ理解していない学習者がおり、彼らは他のことも良く理解していません。私はどのように彼らの向上に役立つことができるのでしょうか?
師:強制することはありません。修めたいか修めたくないか、自分で決めることです。私たちは善を勧めるしかありません。できるだけ注意してあげたり、教えたり、道理をはっきり教えるしかできません。強制はだめです。話が伝わったら良くなるかもしれません。このような人には執着心があるかもしれません。

弟子:大法の仕事の中で仕事をうまくやり遂げるために、本当のことを言わない責任者がおり、人間の手段を使っています。これは法を良く勉強することができず、私心があるのか、それとも更に隠されている目的があるのでしょうか?
師:目的? このように話してはいけません。在席の中に特殊な人が一人二人いますが、皆さんに教えますが、このような人も師父は見捨てたくはありません。できるかどうかは見てみたいと思います。(拍手) あなたができれば、私は見守ってあげますが、皆さん自身にかかっています。他の人ですが、在席の誰かが法を破壊しようとか、他に何かをしようとか、皆不可能なことです。責任者も修煉の人で、彼にも人心が現れることがありますが、これは必ずあることです。彼らのことを高いと思わないでください。しかし、彼らは責任者なので、やったことはある程度の影響があります。ですから、皆さんは問題に気づいたら、指摘してください。もし責任者がそれを聞き入れなければ、佛学会に言ってください。

弟子:私は負債に苦しんでいますが、法を正すことでそれを片付けることができるのでしょうか?
師:大法をあなた個人のことに使う、このように思うのはちょっと良くないのではありませんか? 大法弟子として本当にきちんと行うことができれば、その厄介なこともあなたが思っているほど絶対的なことではなくなります。あなたが法に基づいて認識することができないため、常人の厄介なことは他でもなく、常人の厄介なことに過ぎません。人間の目で見たものは皆変わらないものですが、神の目からこの全てを見れば、変わっているのです。皆さんが苦悩していますが、師父も皆さんのために苦悩しており、皆さんの心が取り除かれないこと、法に対する悟りが高まらないこと、皆さんがある問題を解決したらまた新しい問題を作り出すことに苦悩しています。皆さんを咎めているのではなく、師父が説いているのは全部法なのです。

弟子:大量の人力と物資をインターネットの封鎖を突破するための研究に使うべきではないかと困惑しています。時間のかからない効率の良いことをすべきなのでしょうか?
師:これに対して、認識が異なります。認識が異なるとしか言えません。効率の良いことはもちろんするべきです。これは言うまでもないことです。しかし、インターネットの封鎖を突破することですが、皆さん考えてみてください、邪悪が私たちを迫害しており、真っ赤な嘘をついていますが、それを暴露しなくてもいいのでしょうか? 私たちは他でもなく、世の人々にその邪悪の本質、邪悪な行為と、真相を知ってもらうようにするのです! ですから、インターネットの封鎖を突破しなければなりません。大法弟子に多くの世界一流の科学者がおり、私たちにそれを打ち破る能力があります。明慧ネットは今まで一度も封鎖されたことはありません!(熱烈な拍手) しかし、あまりに多くの人を使わないのも正しいのです。そんなに多くの人が参加していないでしょう?

弟子:法がこの世を正す時、封鎖がなくなりますが、この全ては弟子がこの世に現れる手段で実現させるべきなのでしょうか?
師:私たちがこの封鎖を破ったら、即ち旧勢力の按排を否定し、この迫害と封鎖を認めないことになります。法がこの世を正す時になると、神佛が大いに現れ、人間が聞かずにはいられなくなります。それは他の状態になります。

弟子:法がこの世を正すその一刻は弟子が前もって知ることがありますか?(皆笑って)
師:皆さんの修煉の度合いが違うので、修煉の状態も違います。前もって知ることのできる学習者もおり、知らない学習者もいます。知るかどうかはどうでもいいことです。圓満成就の進み具合と次元に影響せず、いささかも影響しません。そんなことまで考えてどうするのですか? 法がこの世を正すことは、はっきり言って皆さんとあまり関係がありません。皆さんは法を正す時期の大法弟子です!(拍手)

弟子:現在、病気の状態がある弟子がおり、非常にひどいのです。本を読むことも、煉功することも、正念を発することもできません。
師:これは本当に問題ですね。執着のことですが、それを表す学習者がおり、表さない学習者もいます。心の中に秘めていますが、執着してたまりません。最後になってそれを解すこともできなくなります。邪悪はあなたをますますおかしくし、大きな挫折を味わわせ、一生忘れないほどの挫折を味わわせています。それらはこのようにやっています。ですからそこまで執着しないでください。問題が現れたら、また師父にどうしたらいいのかと聞いてきます。実は皆さんの執着によって作り出されたのです。師父はそれを放っておかないのです。

 また、何かが聞こえると感じる学習者がいます。あなたに聞こえたかのようにするしかありませんが、実はあなたに本当に聞こえました。しかし、あなたに聞こえたのは師父ではありません。それらは師父の声を偽り、師父の形象にまで成り済まし、あなたの執着を利用してあなたを騙しています。大法弟子は法に基づいて悟らなければなりません。あなたは正々堂々とした大法弟子であり、理性的にそれが法に合っているかどうかを考えるべきです。また、功能にいつも興味のある学習者がいます。一部の学習者に異なる空間での法を正すことの情況を見せましたが、その目的は法を実証することに対する学習者の自信を固めるためですが、これに正しく対処することのできない学習者がいます。法に基づいて修煉するのではなく、何かがあったら、功能のある学習者に見てもらい、見えたものをどのように大法の仕事をするかの指導と修煉の指導としています。これは既に非常に危険なのです。誰に法を正すことの根本が見えるのでしょうか?! 誰に大法を修めることをはっきり説明することができるのでしょうか?! 次元のとても低い現れは真相の根本ではありません。法に基づいて修めず、法に基づいて行わなければ、あなたはまだ大法弟子なのでしょうか?! 何かあったら、こういうことではないかと見てもらいますが、何を見るのでしょうか? 誰にあなたの根本が見えるのでしょうか? あなたの子どもさえ見えません。私は既に話しましたが、大法弟子の間も見てはいけません。皆さんの本当の修煉情況を見たら、まだ何を修めるのでしょうか? それならば、全部教えてあげれば良いのではありませんか? それは見えないのですよ! 異なる次元に異なる現れがあるので、どの次元での現れでもその次元にいる生命にとって真理であり、全ての次元に真理があります。しかし、それはある物事の異なる次元での現れであり、最も根本的な現れは上の次元にあり、最後の次元になると、やっと最終的な根本にたどり着くのです。どの次元にいれば、大法弟子の根本的な真相、法を正すことの真相、師父の真相が見えるのでしょうか? もし、あなたに今日大法弟子と師父の根本的な真相、大法の真相が見えたら、あなたは今日この計り知れない宇宙の主となるのです! あなたに全部見えたのでしょうか? 全てを目に納めたのでしょうか? どうしてこれほど愚かになったのでしょうか? 私はこれについて数回説法したことがありますが、なぜ、どうしても妨害されるのでしょうか?(笑い)

弟子:もし弟子が仕事の便利な条件を利用して、真善忍の宇宙の法理を話して、知らず知らずのうちに多くの世の人々に伝えたら・・・。
師:問題がないと思います。大丈夫です。

弟子:以前のように直接大法のために何かをすることができなくなりました。この人はまだ法を正す時期の大法弟子の定義に合っているのでしょうか?
師:あなたはどこにいても大法弟子が行うべきことを行ったのでしょうか? それでは、正しく行ったことになります。(笑い) 心配しないでください。転んでしまった人も含めて、早く立ち直ればいいのです。

弟子:博士課程の学生として、研究を良く進めるには全力を尽くさなければなりませんが、法を勉強し真相を伝え、煉功もしなければなりません。いつも時間が足りないと思っています。
師:まだこの質問を出す人がいます。師父は既に何回も解答しました。私が思うには、修煉者として、やはり大法を第一にすべきです。しかし、自分の仕事もしっかりこなさなければならず、できるだけしっかりこなすべきです。どのようにこの関係を扱うかの問題ですが、具体的なことはやはり自分で決めなければなりません。忙しいからといって、本を読まなくなれば、修めていないことに等しいのです。完全に仕事に身を投じれば、あなたは常人になります。この関係をうまく扱うことができないのですか? うまく割り振りをすればいいのです。これはとても簡単なことです。実は『轉法輪』の中で既にはっきり言いました。法を良く勉強することができれば、修煉の中であなたの何かに影響してしまうようなことは決してありません。かえって、仕事と勉強に時間をあまり掛けなくても良い成績を収めることができます。

 科学は既にここまで来ており、人類も科学なしではいられなくなり、社会はいろいろな方法を考えて科学を推し進めていますが、未来の人類社会に科学はありません。未来に科学はないのです。しかし、いずれにしても、科学が宇宙の中の産物なので、私は科学を否定したことはなく、科学が人類に合っておらず、人類に与えてはいけないと言っただけです。特に、将来人間が人間から神になるという道を歩むため、科学というものをなおさら人類に与えてはいけません。科学は実は神を冒涜するもので、物質を変異させ、環境を破壊する作用をも働いています。科学は物質を変異させるだけではなく、人間の観念をも変異させており、地球上の多くの物質の元素を変異させているため、宇宙に対してもある程度の傷害を与えています。ですから、未来の人類のところに科学はなくなるのです。今はこのようになっていますが、法がこの世を正すことが到来するまで、人類がどんなに乱れてもそれを良いことにしましょう。あなたが何もやらなくなったら、あなたがやらなくなったことで科学を良くすることもできません。やったらやったで、やっても悪いことではありません。全体はこのようになったからです。こういう関係です。


弟子:私は多くの大法の仕事で忙しくなっています。ほとんど煉功しておらず、法の勉強も必ずというわけではないので、心の中で苦しんでいます。
師:私が思うには、やはり時間を作って法を勉強すべきです。もし大法を翻訳していれば話は別です。(皆笑って) それもきっと法を勉強していると思います。そうでなければ、やはり法を勉強すべきです。

弟子:法がこの世を正すことは既に気づかれないうちに行われていると思います。ハイテクによって現代の経済が不景気になっていますが、これは新しい経済形式の始まりなのでしょうか? 大法弟子は会社を興したら、良い見通しがあるのでしょうか?(皆笑って)
師:あなたが思っているようなことではありません。法がこの世を正すことは科学と如何なる関係もありません。現れにおいても如何なる衝突もなく、科学の発展を促すこともありません。会社を興すことに至っては、あなた自身のことで、その条件がそろっていれば、やればいいのです。

弟子:私に妨害されるという問題がなく、自分が良く行っていないという問題があるだけだと悟りました。この認識は正しいのでしょうか?
師:考え方に問題はありません。妨害されないということはとてもいいことです。自分が良く行っておらず、足りないところがあると気づくことができれば、これは即ち修煉です。

弟子:師父が午前中説かれた内容はとても厳粛なもので、それが既に起きていることなのか、それとも未来に起きることなのかが分かりません。
師:私はある非常に良くない兆しが見えました。消滅される弟子がいます。これほど厳粛なので、私はそれを話しました。未来に起きるのですが、この兆しは既に現れています。こういうことです。

弟子:師父が法のこの世における現れであるため、師父は即ち法であると私は悟りました。これは法を師とするという言葉にある内涵の一つです。
師:人間の言葉ではっきりいいましょう。法は私が作ったのです。(熱烈な拍手) 洪大な穹体の中に、あなたがこの宇宙の中のものであれば、何でも含まれていますが、有であっても無であっても、空であっても、無であっても、あなたがものであれば、この法によって造られたのです。あなたはこの法によって切り開かれている生存環境の中にいます。生命にとって、法は基準のあるものです。法は衆生を作り出しましたが、法もまた更新される中で衆生を同化させ、衆生を救い済度しています。大法弟子は法を勉強しているので、自ら進んで法に同化しています。天体の中の全てはだめになっていますが、現在それを残しているのは宇宙の衆生を同化させ、衆生が救われ済度され得るようにするためです。さもなければ、天体はとっくになくなり、大穹を作り直し、法が再び異なる次元と衆生を造成します。私はこの方法を採りませんでした。私は天体にいる衆生に法を認識してもらい、正念の中で法に同化してもらっています。これは最も良い善解であり、採った方法には衆生に対する慈悲が現れています。先史の全ての生命は皆法によって造成されたのであって、例外は一つもなく、誰もがその中にいます。もし誰かが『轉法輪』の次元の高さについて云々していれば、その人は魔の話をしています。計り知れない大穹、計り知れない天体空間の各空間に計り知れないほどの生命がいます! 皆この法によって造成されているのです。如何なる生命も法を云々する資格はありません。(拍手) この法の全ては『轉法輪』に現れています! これほど大きな法なのです。

弟子:現在の旧勢力は物質で構成された偽の師父をもって大法弟子の法に対する正しい信念を揺さぶろうとしていると師父は午前中おっしゃいましたが、どのようにそれを区別するのでしょうか?
師:意識的にそれを区別する必要はありません。現在学習者に見えたもの、知っているものはその次元が限られています。旧勢力も神です。現在、それは皆さんが知っていることです。法を師にせず、心をこれらのものを見ることに使っていれば、それは意のままにあなたに如何なる虚像をも作り出します。今日皆さんにはっきりお話しましたが、皆さんに見えた、人間の目で見えたこの私は師父の主尊であり、ここです。この私です。(拍手) どんなに次元の高い私であっても、私の異なる次元にある身体です。私は最も次元の低いところにいますが、私は最も次元の低いところに来たのです。私の異なる次元にある身体は高い次元にいますが、それは私がその身体をそこにいるようにしたのです。更に私は各次元の私をここに集めて一体にし、同時に私のところにいるようにすることができます。また、宇宙全体の各次元が全部私であるように私を現すこともできます。(拍手) しかし、時に旧勢力は妨害するのです。学習者が邪な門に入ったのを本当に見たら、あなたに虚像を見せ、あなたの視線を遮り、向かい側にいる師父が見えないようにし、ここにいる師父を正しく信じないようにあなたの考えを妨害するのです。旧勢力が偽のものを造りその空間を行ったりきたりして、またはその空間に止まったりするようにするので、あなたを惑わせてしまいます。ですから、これらのものを見ないでください。それにかまわないでください。法があり、師父がおり、もう十分ではありませんか?(拍手)

 法は私のこのところから皆さんに話しているのではありませんか? この口です。(口を指して) 見えたのでしょうか?(皆笑って、拍手) 皆私が話したことです。誰も私を制御することができないので、皆さん安心してください。私が説いた法がどこの根源から流れてきたのか旧勢力には全く見えないのです。私が説いた法はどこに起源を持っているのか見える生命はいません。全ての次元の物質と生命を通り抜けても、その起源を調べることができません。法を師とするようにと皆さんに教えたことの理由の一つは、皆さんがこういう妨害を受けることを心配しているからです。法を師とするようにと教え、法がここにあるから、法に従って行い、正々堂々と修煉すればいいのです。この法がなければ、皆さん考えてみてください、皆さんに見えたそのわずかなもので修煉などできるのでしょうか? できないでしょう。どうして法の要求に従って行わないのでしょうか? 実は現在それらの偽者は既に消滅されつつあります。

弟子:中国大陸に行って拘束された海外の学習者がいますが、彼らは師父の要求に従っていないのでしょうか?
師:このように言ってはいけません。大法弟子は皆方法を考えて大法のためにできるだけのことをしています。学習者がこのようにしたらそれは間違いであり、あのようにしたら正しいのだと言ってはいけません。皆自分の道を歩んでいます。自分の観念を他の人に押し付けてはいけません。問題が起きたら、誰が間違っているのか誰が正しいのかを言うべきではありません。問題があれば、お互いに助け合い、方法を考えてそれを解決すべきです。

弟子:善はただ表面の態度がやさしいということに表れるだけではなく、邪悪を制止することは同様に善の表れです。例えば、私たちが香港とドイツの警察の理不尽な要求に従わないことは善の表れであり、大法の威徳を表しています。
師:人に対して善でなければいけませんが、邪悪な生命なら、消滅しなければなりません。その警察の場合、彼は分かっておらず、制御されているのです。正しく扱うことができなければ、警察が悪事を働き、理性的ではなくなり、トラブルが激化している過程で皆さんはかえって損失を蒙ります。ですから、この損失を避けるべきです。人間に対してできるだけ善をもって接しますが、他の空間のものを必ず厳しく処理すべきです。もし、大法に影響を及ぼしたり、傷つけたりしたら、皆さんは厳粛に常人の法律を利用して解決すべきです。邪悪はドイツの警察に多くの良くないものを注ぎ込み、警察は当時私たちに対して非常にひどかったのです。ある民族は大法に対して、また邪悪と正義を前にし、それはどういう態度だったのですか? 私はどのように彼らの将来を按排するのでしょうか?! しかし、この出来事が過ぎた後、早くそれに対応し、法律で訴えるべきです。民主の国だから、大統領が罪を犯したら法廷にまで訴えるのです。なぜならば、国民によって選ばれた人だからです。このことは既にすぎたので、これ以上言っても仕方がありません。

弟子:時に自分は先生に救い済度される資格がないと思います。私はどのようにすれば利己心を抑制し、基準に達することができるのでしょうか?
師:そこまで悲観的にならないでください。人それぞれの習慣が違い、民族の習慣も違い、異なる生活地域で人類に異なる文化背景があるため、異なる習慣が生まれます。異なる文化の中の負の一面も各民族の学習者に影響しますが、これは問題ではありません。師父はこれらを見ないのです。修煉さえしていればそれを認識することができ、徐々に全てを良く行うようになります。すぐに全てをやり遂げるのは現実味のない話です。法を勉強し絶えず深まっていけば、認識が高まれば高まるほど、良く行うことができるようになります。

弟子:どのように更に米国政府にはっきりと真相を伝えるのでしょうか?
師:これらのことは皆さんがずっと行っており、今までも良く行ってきました。これから行う場合は、更に踏み込んで、範囲をもっと広めることでしょう。

弟子:私は多くの学習者に電子メールを出しました。言いたいことは良い事ですが、しかしやり方にマイナスのところがあり、それから学習者は私と交流しなくなりました。私は間違ったのでしょうか?
師:やり方にマイナスのところがあるとあなたは既に認識しました。ですから、相手はそれを受け入れませんでした。受け入れなかったのは、その人にも常人の心があるからです。大法弟子として、双方とも正しく認識すべきかもしれません。大法弟子はどんなことに対しても真正面から取り組むべきです。相手の良くないところを見るのではなく、いつもその人の良いところを見るべきです。実は皆さんご存知でしょうか。当初私が皆さんに大法を伝えていた時、講義中に在席の人から多くの常人の考えが表れてきました。非常に良くない考えを持っている人もいました。しかし、私はそれを全く見なかったのです。私は皆さんの良い一面だけを見ており、それで私は皆さんを済度することができます。もし皆さんの良くない一面ばかりを見ていれば、どのように皆さんを済度するのでしょうか? 見れば見るほど腹が立つなら、どのように皆さんを済度するのでしょうか? ですから、如何なる情況下でも、常人の行動と常人の心に動かされず、この世の情にも動かされないでください。相手の良いところを多く見て、良くないところをあまり見ないほうが良いのです。

弟子:集まって法を勉強し交流する時、私はあまり話すことがなく、何の意見もありません。これは正しいのでしょうか?
師:多分状態によるものでしょう。話したくなければ話さなくてもいいのです。他の人が話しているのに、自分が何も言えないのを見て恥ずかしいと思っていますが、何も言えなければ何も言わなくてもいいのです。これは大丈夫です。また話したくなれば、それも自然なことで、その時話せばいいのです。しかし、話すのが好きでないという習慣に阻まれないようにすべきです。

弟子:未来において人間という次元が宇宙で大きな役割を果たすと師父はおっしゃいましたが、それがどういう役割なのかを教えていただけませんか?
師:未来において、人類というところは極めて特殊なところになります。なぜでしょうか? 人類の歴史がいくら長くても、衆生を救い、法を正すために人類を造り、この次元の人間を造ったのです。以前人類はなかったのです。地球の位置に以前星が存在したことがあり、その星の構造は現在の地球の構造と違います。人間の生存のためにこの地球で水、植物、動物を作りました。以前ここに存在していた星にいた生物と環境はもっと悪かったのです。そこにいた最高級の生物は皆宇宙人のようなものでした。つまり、ここに人間がいなかったのです。ここに存在していた星がいくら壊滅されてはまた作り出されても、そこに人間はいなかったのです。人間は二つの星にだけ現れました。前回の地球と今回の地球です。前回の地球は今回の法を伝えることのために旧勢力が按排した試験の過程でした。今回は本格的に始まり、法を正すことが始まりました。旧勢力がこの過程を按排したのです。

 私は下りてくる前に旧勢力がこの全てを按排すると知っていました。旧勢力の按排から私が欲しいものを選択しました。しかし、多くの根本的なことを旧勢力は変えることができないのです。このように決まったことであっても、今回法を正すことが始まってから、旧勢力はやはり先史に既に決まったことの八十パーセントを変えました。私を利用して自分自身の私心を満たすために衆生と穹体の安否を顧みないという旧勢力の行為を私は認めることができません。これはなぜ私が旧勢力を排除するかという理由の一つです。もう一つの理由ですが、この全てがだめになったため、はじめて法を正すのであって、中にいる生命はその智慧がいくらあっても、解体されてしまうという運命を変えることができず、根本から変わってはじめて救われると私に分かっているからです。しかし、このようにしたら、以前から存在している全ての生命はこれを理解することができません。しかし、私はやり遂げることができます。理解されるかどうかに関わらず、衆生を救い済度することが大事なので、全ての阻害を破り、力を尽くして様々な難を解決しました。その過程の中で、異なる次元の衆生は皆私が行った一切のことが全てを真に救う希望であると分かりました。現在まで行ってきましたが、旧勢力が行おうとする全ては何も解決することができず、根のないものであると衆生も分かるようになりました。

 法を正す中で更に上の次元に進めば、旧勢力がなくなり、旧勢力の按排と関係のある全ての要素もなくなり、うやむやのうちに終わってしまいます。この旧勢力は、天体の更新と衆生を救うことにとって、最大で、最も排除しにくい障碍であり、最も方向性を失わせる障碍、真偽を見極めにくく、最も突き抜けられない障碍であり、新しい穹体がもうすぐ誕生する際の生死存亡に関わる鍵であり、更新にとっての大きな関のようです。しかし、ここは私が以前選択したのです。なぜならば、宇宙から落ちてきた生命に元に戻る機会を与え、宇宙の中で生命が圓容不壊の機制の一部になるようにしようと思ったからです。ですから、未来の人間が神になる道は本当に開かれました。昔、もうすぐ死ぬ、もうすぐエホバに会いに行くと言いましたが、口でもうすぐエホバに会うと言いますが、エホバはあなたに会うのでしょうか? 実は『聖書』の中で既にはっきりと書かれてありますが、つまり最後の一刻がやってくる時、即ち大審判が行われる時になって、はじめて主は本当に天国に行く基準に達した人を迎えにくるのです。現在それらの人は一生一生を送り、引き続き輪廻する中で待っています。この過程で罪のある人は地獄に落ちるのです。地獄に落ちることは消滅されることではなく、そこで罪を滅され、苦痛に遭い、罪を消してから再び戻ってきて、また輪廻転生を始めます。罪が特別に大きい人は、地獄に落ちたら消滅され、直接に無間地獄に落とされ、二度と生きることのない門に入り、再び生まれてくることはありません。以前はこの情況だったのです。

 人類を造ってから、人類の舞台にも神が現れ、それによって修煉と正しい信念が現れました。しかし、本人が修煉していたことは一度もなく、副元神が修煉していました。副元神が修めることができたのは、副元神が三界の仮定範囲に入ったのであって、本当に三界の中に入ったのではありません。なぜでしょうか? 先ほど私が言ったように、人体に入った生命がいますが、本当に人間の中に入ったのではなく、ただ空間に入っただけです。大法弟子が修煉してできあがったその一面は私が皆さんの全ての空間を封鎖し、誰も入ることはできません。修煉してまだできていない一面は誰でもそれを通り抜けることができます。しかし、護法の神と師父は見守っているので、皆さんのまだできていない一面を通り抜けることは禁止されています。もちろん、私の他の空間を如何なる要素も通り抜けることはできません。師父の情況ですが、私は身体の最も表面に宇宙の神々と衆生及び洪大な穹体の全ての要素の命を集め、法がこの世を正すことが到来するまでこのようにするのです。こういう情況です。しかし、空間の中で生命が生きていけるようにそれを維持する要素も神であり、法がこの世を正すことが到来するまで、この要素は常人の身体を通り抜けることができ、しかも、生命はその中に浸っているかのように、あなたが呼吸する時と同じように、息を吸えば身体に入ってしまいます。粒子と粒子の隙間の間、ミクロ的な生命は思いのままに常人の身体を通り抜けています。それは憑き物ではなく、宇宙はこのような情況だからです。多くの人はこれが見えた、あれが見えたと言っていますが、実は多くの場合は異なる空間の重なりによってもたらされた虚像であり、本当に中に入ったのではなく、人体の粒子に溶け込んでもいません。ですから、昔修煉していた副元神は元々のミクロ的な境地におり、仮定範囲にいたのであって、あなたの身体の本当の粒子に溶け込んでいませんでした。中に溶け込んだら、副元神は落ちてしまい、永遠に元に戻ることができなくなります。天上から落ちてきた生命のうち、今まで元に戻ったものは一つもありませんでした。古代ギリシャの聖人ソクラテスも人類について「天上から落ちてきたら元に戻れる者は一人もいない」と言いました。彼は元々先知者なのですが、人間は彼を哲学者と見なしています。

弟子:私たちの地区の学習者にひどい病気の状態が現れました。一緒に彼に対して正念を発しようと提案した弟子がいますが、師父はこのように教えたことがないと言う学習者もいます。これは大法を破壊することなのでしょうか?
師:お互いに助け合うことは大法を破壊することではありません。彼に向かって本を読んだり、法を読んだり、正念を発したりすれば、皆彼を囲んでいるので、作用があります。というのは、距離が近いということに関係があります。なぜこのように言うのでしょうか? この空間は高次元の最後の要素によって部分部分に分断されたので、空間に差異があるからです。しかし、正念が強ければ、この差異を取り除くことができます。あなたが非常に正しく行うことができれば、あなたを阻むことはできません。なぜならば、阻めば法を犯すことになるからです。こういった関係です。

弟子:師父は宇宙大穹の衆生が一歩一歩三界に入ったと説かれたことがあります。しかし、以前師父は釈迦牟尼が第六層の宇宙から直接三界に生まれ変わったとも説かれました。両者はどのような関係なのでしょうか?
師:師父は法力が無辺であるとも言いました。第六層の宇宙から直接三界に生まれ変わったということに過程があったのです。この過程は即ち、釈迦牟尼が下の六層の宇宙を突き抜けて、三界に至るという過程です。その間にある全ての宇宙とその中の異なる空間でその次元の粒子が身に付きます。つまり、次元を一つ下りれば、一層の表面粒子が増えるということです。天上から打ち落とされた生命もこのように下りてきたのではありませんか? これは瞬時に通りぬけることを形容しており、一歩一歩下りてくると言ったのは止まりながら通り抜けた様子を形容しています。もちろん、神は一つ一つの次元を通り抜けて下りてきて転生したのです。その意義と目的は全く違うものです。転生をすれば縁を結ぶのですが、その次元の親兄弟を持つようになっただけでなく、多くの親族友人との間も縁なのです。

弟子:法を正すことをする時、順調に進まなくなった際、それが旧勢力の妨害なのか、やらないようにという師父のお告げなのかをわきまえることができません。どのように区別するのでしょうか?
師:法をもって量ってください。ですから、法を勉強するようにと皆さんに教えました。どんな出来事に対しても法を判断基準とすべきです。いつも本を取ってきて、次にどのようにすべきかを照らし合わせる必要もありません。法を勉強したから、大法弟子として行うべきかどうかを自分の考えで理性的に判断すればいいのです。行うべきだと思えば、行えばいいのです。問題はありません。間違ったとしても、ただあなたの理解がそこまで深まっていないだけで、あなたの大きな過ちとは言えません。なぜならば、あなたは確かに法に従って行いたかったからです。この道理ではありませんか? しかし、これを口実にしてはいけません。法に対して責任を持つということは即ち、自分に対して責任を持つということです。

弟子:弟子の中に次のような考えを持っている人が多くいます。つまり、ある学習者が旧勢力に妨害され、魔難に遭ったので、本人に執着があってもこの迫害を許してはいけないと他の学習者は考え、皆で一緒に正念を発します。私が聞きたいのは、もしその学習者本人が向上しなければ、効果があるのかということです。
師:これは深刻な障碍です。本人が理性的でなければ、私たちは何をやっても無駄です。正念を発して外をきれいにすることができますが、彼の心をきれいにすることはできません。人間が何をやりたいのかは本人の一念によるものです。本人がそれを欲しいかどうかのことです。この情況であれば、私が見るにはきっと執着の心のしこりがあります。本当にその能力がなければ、助けてあげていいのです。これは問題ありません。できればその人本人に法理から認識させ、法を多く勉強させるべきです。

弟子:次の考えを持つ人がいます。つまり、旧勢力の按排を否定し、法がこの世を正すことが到来するまでに、平和な時期を作り、中国人に真相を認識させるということです。
師:迫害をやめさせるという考えは間違いではありません。中国人に真相を分からせ、衆生を救うことは大法弟子が行うべきことです。平和な時期という概念はありませんが、邪悪はますます少なくなり、ますます居場所がなくなり、応報も大量に現れます。

弟子:大法弟子は刑務所の中で命を捨てても大法を放棄しませんが、自殺は大法に反しているのでしょうか?
師:自殺は間違っています。本当に頑として屈しなければ、死ぬことを恐れないほど決意が固ければ、なぜ自殺するのでしょうか? あなたの決意が固いという一面を見るべきですが、自殺したらどのようにあなたを判断するのでしょうか? もちろん、大法弟子に対して私は全面的に量り、一つの出来事で判断するのではなく、その人の歴史を見るのです。しかし、自殺したということで影響されなくても、これは一つの汚点ではありませんか? 師父は法の中で自殺に罪があると言ったのに、なぜ法の要求に従って行わないのでしょうか?! これは悟性の根本に関わる問題です。そうではありませんか? あの邪悪の環境の下で圧力は確かに強いと私は言いました。しかし、逆から言えば、皆さんは何をしに来たのでしょうか? 皆さんは常人の魔難を耐えに来たのでしょうか? 皆さんを待っているのはどういうものなのでしょうか?

弟子:師父はご自分に副元神がないとおっしゃったのですが、以前副元神があったことがあるのでしょうか? もしあったことがあれば、現在その副元神はどういう状態なのでしょうか?
師:(笑い)私は今副元神がありません。私が生まれた時には皆さんと同じであり、常人の中の全てが備わっていなければなりませんでした。修煉の中でだんだん取り除かれました。私は彼らが圓満成就するようにと按排しました。もし皆さんが圓満成就まで修煉し、非常に高い次元まで修煉したら、皆さんの副元神は皆神になり、しかも非常に次元の高い神さえおり、皆圓満成就するのです。

弟子:「旧勢力はそれらが求めている目的を手に入れたい」と師父がおっしゃいましたが、これは一体どういうことなのでしょうか?
師:それらが求めている目的というのは、法を正す中で宇宙を法が正されていない状態に戻し、それらの状態のままにすることです。山も川も旧勢力の山と川であり、神も旧勢力の神であり、やはりそれらの状態のままです。なぜならば、旧勢力はこのように成就したのであって、これを変えたくないからです。それらが変えようとしているのは表面形式を良くすることです。汚れた服をきれいに洗ったとしても、服はやはり以前の古い服です。この意味を言いたいのです。この喩えは必ずしも正確とはいえませんが、このように表現するしかありません。旧勢力は旧来の全てを何も失わないという前提の下で、綿密な按排によって巧みにこの劫難から逃れようとしています。これはあり得ないことです。これが旧勢力の求めている目的です。私は初めからそれらを否定しています。さもなければ、旧勢力はこの全てをだめにしたくありませんが、最終的にこの全てをだめにしてしまいます。

弟子:時間がまた速まったと感じました。世の人々に真相を伝えることにおいて・・・。
師:そうですね。まだ質問にあまり答えていないのに、もう暗くなりました。(皆笑って)

弟子:法の勉強と法を正すことに関して、時間が更に迫ってきていると思いますが、もっと具体的なことについてお話いただけませんか?
師:現在時間は確かに絶えず速められています。皆さんに教えますが、私が速く行えば行うほど、時間は速くなります。なぜならば、宇宙の最も高いところにある要素は私が法を正すことを時間と関連付けてしまったからです。時間も旧宇宙の神なので、それらは法を正す中の全てのことを時間と関連付けました。私が速くなればそれらも速くなり、私が遅くなればそれらも遅くなります。ですから、私が速く行えば行うほど、時間が速くなります。しかし、師は速く行わずにいられないのです。最後の一刻に間に合わなければ、衆生を救うことが間に合わなくなります。ご存知のように、宇宙は速く膨張しており、現在のこの範囲の宇宙も膨張していると人類に見えました。現在の科学者はこれを知っているのではありませんか? 膨張の速度がますます速くなっています。膨張の最後は何でしょうか? 風船に空気を入れるように、空気を入れて、入れて、極限に達したら爆裂してしまいます。ですから、科学者も既にこのことを認識し、この膨張が非常に恐ろしいと知っています。私がこの膨張に追い付くことができなければ、この全て、少なくとも法によって正され終えていないところは皆壊滅されてしまいます。

 私は速く行わなければなりません。以前差が非常に大きく、不可思議であるほど離れていましたが、現在ある事が現れた瞬間にすぐその一部を掴むことができます。例えば、あるものが百の部分からなっているとしましょう。それが現れた瞬間に私はすぐそれを掴み、一瞬にしてそれを解決してしまいます。ここまで行った全ては皆最終段階の最終段階に入ったのです。私が法を正し終えても、正し終えなくても、皆同じです。なぜならば、全ては既に旧勢力を超え、旧来の時間と空間は法を正す中で私にとって実質的な阻害にはならないからです。

弟子:師父は既に連続して三時間お話なさっています。(師父が笑って)(弟子の拍手)
師:字の少ない質問を選んで解答します。

弟子:李白は偉大な詩人であり、修道者でもありました。彼は大法とどのような縁があるのでしょうか?
師:歴史人物について、皆さんはこれ以上頭を使わないでください。多くの歴史人物は皆さんであり、また私である場合も少なくありません。(拍手) しかし、これでうぬぼれてはいけません。あなたの能力はそこからきているのではなく、今回の法によって与えられたのです。(拍手) 歴史人物と関係はありません。

弟子:常人社会の人、特に社会的地位の高い人は、本来大法の真善忍に対して、反感を持っていないどころか、好感を抱いていましたが、多くの大法弟子のやり方に対して反感を持っています。大法弟子のやり方は行き過ぎており、善意がないように見えると思っているようです。
師:大法弟子はこのことに対して気をつけるべきです。また、これはそれらの人が常人の中で形成されたいわゆる「上品さ」や「落ち着いた気持ち」、「急がずに行動する」という観念によってもたらされたものではないのでしょうか? 急いで何かをすることが気に入らないのでしょうか? 邪悪は迫害しており、人が死んでおり、私たちにのんびり何かをする気持ちはありません。ただ、皆さんはできるだけ礼儀に気をつけてください。大法弟子は衆生を救い済度することに走り回っているのに、彼らはあれこれとあらを探しています。いずれにせよ、大法弟子はできれば、もう少し彼らに合わせましょう。人間は滑落しており、私たちは上昇しているので、彼らを救うためにこのようにするしかありません。

弟子:師父、こんにちは。今朝の説法の中で、師父は旧勢力が少数の学習者に現れた状態を利用しているというお話をされましたが、これは『轉法輪』第六講に書いてある「自分の心より魔が生じる」ことなのでしょうか?
師:実は旧勢力は多くの方面に対して妨害しています。午前中説いたことも『轉法輪』を圓容しています。『轉法輪』は概括的に説いたのですが、中の内涵は非常に深いのです。いつも法を勉強していなければ、私が現在説いた法をなかなか理解することができません。宇宙大法の法理は尽きることなく奥深いのであって、低い次元で完全に認識することのできるようなことではありません。法は異なる次元に現れることができ、同じ次元に広げて現れることも具体的に現れることもできます。皆圓容しています。

弟子:自由、民主と人権はこの世で正しく見えますが、これも旧勢力が今日の法を正すことのために按排したのでしょうか?
師:後の一文は正しいのですが、前の一文は正しくありません。これは人類の理ではありませんが、旧勢力によって按排されたものです。人類の理はとても簡単で、民主の概念ではありません。人類の今までの数千万年の歴史は皆国王によって統治されており、最も多い時に地球に一万ヶ国があり、数万の王、王子、王女、皇后がいました。それは以前の文化です。ですから、王者が国を治め、武力で天下を征服し、強者が英雄になるという理がありました。しかし、その強者は神に強盗として見られており、人間は彼が正しいと思っていても正しくないと思っていても、神から見れば強者が強盗なのです。しかし、どうして神は強者に戦争を起こさせ、英雄になるようにしたのでしょうか? 神は地球で何かをしようとする時、人類に何かの状態を与えようとする時、人間を選んでそれを行わせなければならないからです。選ばれた人が神の要求通りに行い、強さで争ったというやり方で行ったとしても、それが神の意思なので、やり遂げたら、神はその人に栄光を与えます。どういう栄光なのでしょうか? その人を人々に慕われる偉大な英雄にし、天下を統治する栄光を享受させます。こういうことです。(笑い)三界の外で人間を見ると、理は逆になっていますが、人間のここで見ると正しい理となりました。以前の人類の理はこのようなものです。

 最近になって、この時期に法を正すので、多くの王が中国に転生したため、誰も王を名乗ることができなくなりました。これによってもう一つの問題が現れました。つまり、多くの異なる高次元の生命がやってきて、人間に生まれ変わったため、各民族の人間の構成を変えてしまいました。誰を王にするのでしょうか? これは本当に難しいのです。ですから、いっそのこと、旧勢力は人間自身に選ばせることにし、民主を与えました。この民主は天上から実はこの二通りの要素によってもたらされたのです。

 人権に触れましたが、人権だけではなく、動物の保護もあります。人間の皮が転生するのに足りなくなったため、動物に転生したのも多くあります。植物になったものも少なくありません。これらのことは皆近代になって現れたのであって、法を正すことと関係しています。法が正されるため、全ては大法のために来ており、大法のために生じ、形成されています。しかし、全てがプラスの作用を働くとは限りません。こういったことです。

弟子:私たちが修煉して出来上がった一面が修煉の中で隔離されていると師父はおっしゃいましたが、今は法を正すことの後期になり、どのようにこの間隔を突破するのでしょうか?
師:最後の要素が最大の要素でもあるので、この間隔は非常に大きいのです。法がこの世を正す時に師父の強大な法を正す勢いがやってくる時になると、はじめて全てを一掃することができます。その洪大な勢いがやってきた時になってから、はじめてこの全てを解決することができます。それがやってきて全てを突破する時は即ち法がこの世を正すことの始まりです。角度を変えて言えば、皆さんが現在行っているこの全ては学習者同士、大法弟子の間の損失を軽減することができますが、根本から問題を解決することができません。しかし、皆さんは法を正す中である状態をもたらすことができ、即ち一部の世の人々は善になり、更に多くの世の人々を救い済度し、邪悪が悪を発揮できないようにすることができます。しかし、これが終わりではありません。

弟子:師父はいつになったら、原始の神のことを説いてくださるのでしょうか? 原始の神は法を正す中で・・・。
師:私が説いた旧勢力も原始の神であり、私が説いたそれらの神は皆原始の神です。旧勢力は、皆さんに教えますが、それらが皆各次元の最も優れた生命ですが、壊滅されました。それらは最も有能な生命です。最終的な旧勢力の按排でこれらの生命が壊滅されました。最終的な旧勢力の目的はこの部分の生命を壊滅することを代価としています。この宇宙は計り知れず果てもないほど厖大であるため、とりあえず宇宙が計り知れず果てがないということにしましょう。この宇宙は解体してしまいそうになる時、自分で自分を救うのです。この宇宙は神だからです。実は現在の旧勢力の按排はこの宇宙が考えた自分を救う方法です。非常に綿密に按排されました。しかし、それ自身も思いもよらなかったのは、この自分を救う方法でかえって自分自身を壊滅してしまいました。このようにしなければ、本当に救われますが、このようにやってしまい、しかも私が手に入れたい多くのことを破壊したため、罪が重くなりました。なぜならば、それらの衆生はそれによって壊滅されたからです。

弟子:アメリカは以前の明であり、明の多くの人が道を修めていたと先生はおっしゃいました。今日のアメリカの弟子がアメリカ政府に真相を伝えることについてご教示いただけないでしょうか? アメリカの弟子は忙しすぎて、かえって無関心になってしまったかのようです。どのように天地を驚かすほどの慈悲が現れるのでしょうか?
師:このように言ってはいけません。皆さんに教えますが、皆さんは必ず理性的に行わなければなりません。真相を伝える中で、人間の理を少しでも越えてしまったら、人間はそれを受け入れることができません。ですから、真相を伝える時、高いレベルのことを決して話してはいけません。皆さんが知っていることは皆神が知るべきことであり、私が皆さんに教えたことであり、世の人に教えたことではありません。ですから、それらのことを常人に話してはいけません。皆さんに言えるのは、私たちが受けた迫害と私たちの本当の情況であり、私たちが良い人であるのに無実に迫害されており、信仰の自由と人権が踏みにじられているということです。これは世の人々が受け入れられることであり、すぐ私たちを支持し同情を寄せてくれます。これで既に十分ではありませんか? なぜどうしても相手に高い次元の理を分からせなければならないのでしょうか? これらのことを知っていれば、世の人々はすぐに法輪功が迫害されており、しかも迫害の加害者がそこまで邪悪であると言い、あちこちで言うのです。これで十分ではありませんか? もちろんあなたはその人に大法弟子になって欲しいのですが、現在それは非常に難しいのです。旧勢力はこれを阻害しているからです。特殊な人は師父が見守ってあげますが、本人にこの心がなく、旧勢力もこれを止めています。私たちの最も大事な任務は彼らに真相を知らせることです。特別に良い人に会うこともでき、いくらレベルの高い話をしても受け容れられるので、どんどん話していいのです。これは大丈夫です。このような人なら話しても問題はありません。しかし、特に政府機関の官僚たちにレベルの高い話をしたら、彼らは政治の仕事をしている人間で、頭は政治のことでいっぱいなので、全く信じないのです。それでは彼を救うことにならないどころか、更に彼を突き落とすことになるのではありませんか? そうではありませんか?

弟子:真相を伝える仕事を多くして、あまり法を勉強せず煉功しない人がいます。
師:これはとても深刻な問題です。大法弟子は個人の向上を軽視してはいけません。衆生を救い済度することは大法弟子の偉大な行動ですが、皆さんが法を勉強しないため、真相を伝えることの質も影響されてしまいます。自分も局限されてしまうので、これはいけません。

弟子:2002年までに法を得た人だけが法を正す時期の大法弟子なのでしょうか?
師:私はこのように話したことはありません。素晴らしい人は各時期に入ってきているのではありませんか? 実は大法に入ろうとしていますが、まだ入ってきていない人もいます。もちろん、落ちてしまった人もいます。

弟子:中国の人々に真相を伝えたいのですが、国内の両親が電話で大法の真相を話すことを許してくれません。良くないと分かっていますが、なかなか突破することができません。
師:智慧を使って行ってください。あなたが本当にこのように行ってもやはりだめかもしれませんが、国内の大法弟子は行うかもしれません。皆さんがやり遂げられないことは彼らが行います。国内の大法弟子はいたるところで素晴らしい展開ぶりを見せています。法を正す時期の大法弟子の主体は中国にいます。皆さんに教えますが、私が言った一億人は皆さんが言っている国内外で一億人ということではなく、中国大陸で当時『轉法輪』を手に取って読んでいる人が一億人いました。このような人は既に法を得ており、私が彼らを見守っていましたが、このような人が大法弟子ではないと言ってはいけません。着実に修煉していたのは七千万人で、大法弟子は当時本当に一億人いました。

弟子:新しい経文をあげたら受け取りますが、法を広めることになると出てこない人はまだ望みがあるのでしょうか?
師:やはりどこかで誤ってそのままになっているのでしょうか? 経文を受け取るということは彼女にまだ正念があるということです。どこで誤ったのか、どこが足りないのかをみてください。大法弟子として、彼女の問題を研究し、助けてあげてください。

弟子:佛学会の人の個人の見解、例えば他の修煉者に対する見方、結論などは佛学会、ひいては師父の意見を代表しているのでしょうか? ご教示願います。
師:誰も私を代表することはできません。これは聞くまでもない話です。しかも、皆さんはお互いに誰でも誰かを代表することはできません。佛学会として、私は既に言いましたが、協調することが大事です。多くのことに対して、他の角度から言えない話は彼らがそれを言わなければなりません。良く行っていないところは必ずあります。師父は皆知っています。しかし、多くのことに関して、私たちは自分自身をも考えるべきです。どうしてこのようになったのでしょうか? 一人の神なら、誰も彼の心を動かすことはできません。行うべきことであれば、正々堂々と行ってください。

弟子:大法弟子の家族が大法をけなしたことがありますが、法がこの世を正す時になると、彼らは淘汰される対象になるのでしょうか? それとも大法弟子の行動と関係しているのでしょうか?
師:それは彼ら自身の選択にかかります。大法を破壊し、非常に悪くなったら、佛の世界に圓満成就させることがあり得るのでしょうか? これはやはりいけません。本当に罪の大きい人も残ることはできません。あなたが大法を修めているから、彼らに必ず福があります。彼らに機会を与え、更に機会を与え、再三に機会を与えますが、あなたも方法を考えて真相をはっきり伝え、彼らを救い済度すべきです。これが即ち彼らの福を作り上げることです。

弟子:山東荷澤の真に大法を修煉する弟子を代表して師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)

弟子:荷澤の大法弟子に逮捕され、殴られた人が多くいます。荷澤で捕まえられた弟子は皆転向していません。そのため済南の強制労働収容所に送られています。これは旧勢力の按排なのでしょうか?
師:私は転向などを認めません。その人の心を見ればいいのです。私は更にこのように思っていますが、ご存知でしょうか、旧勢力が大法弟子を転向させるために、大法弟子にひどい心理的な迫害を加えました。私が転向を認めていないと旧勢力は分かっています。旧勢力はどういう方法をとったのでしょうか? 旧勢力は正念のある一面、つまり大法弟子が修煉して出来上がった部分を隔離し、大法弟子の考えと接触しないようにしてから、大法弟子の人間の表面に尋問するのです。人間の表面に人間としてのものと後天的に形成された考えが多くあり、その上修煉して出来上がった一面が作用することができなくなっています。この情況下で大法弟子を迫害し、何を書かせても私はそれを認めません。旧勢力は私がこれを認めないと分かっているのに、なぜこのようにするのでしょうか? これである作用を働くことができるからです。つまり、学習者の意志を破壊しようとしているからです。「これを書いてしまったから、もうおしまいだ。師父は私を見捨てたのです。私は大法に申し訳ないことをした」と間違いを起こした学習者は思ってしまい、それから意気消沈してしまいます。これが旧勢力の手段であり、私は認めないのです。転んでも構いません。大丈夫です! 早く立ち直りなさい!(拍手)

弟子:ハルピンの大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます(拍手)!

弟子:某強制労働収容所に不法に拘束されている大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:この悪の巣は非常に邪悪です。私は知っています。確かに学習者もますます良くなり、ますます理性的になりました。国内のことはまず置いて話さないことにします。(拍手) 話し出すと長くなります。いずれにせよ、邪悪を待っているのは永遠に償いきれない罪であり、大法弟子を待っているのは偉大で殊勝な圓満成就です。(拍手)

弟子:大法弟子が大法の仕事でトラブルが起きた時、まず正念を発して、学習者の執着と良くない観念を利用して大法弟子の全体を迫害する邪悪勢力を取り除いてから、具体的な仕事について話し合ったほうがいい、ということを最近悟ったのですが、これは正しいのでしょうか?
師:大法弟子がトラブルに遭った時、魔がそれを制御できるとは限りません。魔が妨害してくることがあり、正念を発してもいいのですが、法を多く勉強すべきです。何かを行う前に正念を発せば、幾らかの妨害を取り除くことができます。

弟子:私は99年7月20日の後に法を得た弟子であり、修煉の中で他の空間からの妨害に遭い、ひいては邪悪勢力の理不尽な迫害にも遭っています。正念を発し迫害を根絶することにおいて、なぜ断固として徹底的に根絶することができず、いつもやり残しているようになっているのでしょうか?
師:どのように言ったらいいのでしょうか? 7月20日以降に法を得た大法弟子は修煉の過程と法を実証することが一緒になっています。それ以前に法を得た人は個人修煉の時期が既に過ぎてしまい、彼らの現在の主な関心事は衆生を救い済度することであり、法を実証することに方向転換しました。後になって法を得た人は法を実証することもやらなければならず、同時に個人修煉のことも入っているので、いくつかの問題が複雑になるように思えます。しかし、大丈夫です。師父から見れば、順序良く進んでいます。正念が十分であれば、これらのことは問題になりません。

弟子:現段階で、正念を発することを煉功の代わりにしていいのでしょうか?
師:これは別々なことです。(笑い) 煉功は煉功であり、煉功は機制を強化し、本体を神の体に転化させることです。正念を発することは神通を現すことであり、はっきり言って、功能の運用です。その目的は邪悪な卑しい鬼を根絶するところにあります。

弟子:尊敬する師父、こんにちは! 何かがあればすぐ正念を発し根絶している学習者がいます。ちょっとした病気をしても、正念を発するのです。
師:法の勉強が足りないのではありませんか? 本当に私たちの過ちで問題が現れ、この時正念を発したら、他の人はそれが正しくないと思い、旧勢力も妨害してきます。なぜならば、旧勢力はあなたが正しく行っていないのに、かえってそれらを消滅しようとしていると思うからです。このようなことではありませんか? そうでしょう? ですから、私たちはやはりできるだけ自分自身が正しく行ったかどうかを見るべきであり、正しく行っていないことがあれば、正しく行うようにすべきです。しかし、質問の中に「ちょっとした病気をしても正念を発するのです」とありますが、この「ちょっとした病気」とはどういう意味なのでしょうか? 業を滅する時の現れでしょう。

弟子:私は正念を発してから一ヶ月目の時、五分間の間に強大な紫がかった赤い光が中国のあの魔の首魁の人間のようで人間でないものを全部一瞬の間に消滅したのが天目で見えました。その強大さは言い表せないほどのものです。消滅されたのは私たちの空間での代表なのでしょうか? 各空間にそれの代表があるのでしょうか?
師:魔の首魁はとても複雑です。皆さんは時に確かに直接魔の首魁の体内にある卑しい鬼を消滅することができ、その時、魔の首魁は死にそうになり、救急措置を受けなければなりません。しかし、すぐに他の卑しい鬼が補充されてくるので、また戻ってきて、何もなかったかのようになります。旧勢力は当時、魔の首魁が全ての卑しい鬼を操ることができるように、魔の首魁の表面以下にある人体を構成する全ての細胞粒子を全部拡大し、三界の大きさにまで拡大しました。全ての細胞の中の人間の全ては旧勢力に取り出され、地獄に投げ込まれました。そして、体の中に卑しい鬼を詰め込みました。人間の粒子が全部本人の姿かたちをしているので、三界の各空間に邪悪の首魁の細胞があり、全ての細胞にまた大量の卑しい鬼があります。ですから、皆さんが正念を発する時に三界にある邪悪の首魁の粒子と卑しい鬼を大量に消滅しました。皆さんはそれらを消滅し、爆裂させた瞬間、それを完全に消滅したと見ており、これは本当のことです。現在皆さんは邪悪の首魁をどこまで消滅したのでしょうか? 表面にある人間を構成している全ての粒子以外を全部消滅し、それの中は既に空になり、何もなく、ただ内臓を含む表面の細胞で構成された人間の皮しかありません。三界にある、拡大された魔の首魁の全ての粒子が全部消滅され、上の空間にも下の空間にも魔の首魁がなくなり、全部一掃されました。現在この皮は旧勢力の最後の最も悪いそれらの魔によって支えられているので、魔の首魁は人間の正常な理性を失っています。全ては卑しい鬼がそれの人間の皮を制御しており、それは本当の化けの皮です。それの人間の皮の表面で形成された悪人としての観念と業力が怖がっているので、恐怖として反映されています。権力を失った後の結果や、法輪功の汚名が晴らされることや、殺されることや、家族の人が横領した巨額のお金と財産が押収されることなど、何に対しても怖がっています。邪悪の首魁の向こうの空間にある邪悪は他でもなく恨んでおり、大局が既に過ぎ去ったのを見て、恨んでいても力がありません。もうおしまいだと分かり、恨んでいますが怖がってもいるので、無理して元気を出して人々に見せています。無理に我慢して芝居をしているということが邪悪の首魁の現在の状態です。当時、それの細胞の粒子が大きく拡大され、中は卑しい鬼でいっぱいだったので、本当に邪な気が高ぶっていました。体がパンパンになるまで拡大されたので、体が丈夫で元気一杯だと自分は思っており、大胆になり、凶暴さをすっかりさらけ出して、当時周りの人々は皆驚かされました。しかし、現在霜にあたった茄子のように、萎れてしまい、内部が全部消滅されました。大法弟子が正念を発すれば発するほど、それの体の中の卑しい鬼が少なくなり、ますます萎れてしまい、体がますます小さくなります。なぜならば、人間の皮以外、それのミクロ的な粒子が全部なくなったからです。

弟子:第二軍区大学、トロント、江西平郷、重慶、ペルー、中国、マカオ、アメリカ、ハルピン、山東、済南、昆明、オーストラリア、大連、佳木斯の刑務所から出てきた弟子、ドイツ、石家荘某所の弟子、山東、赫哲、天津、新疆、衡陽、長春、以上各地の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)

弟子:最近、『轉法輪』を勉強しているとき、読み終えるたびに新しい理解、新しい向上がないように感じます。
師:心性の高さは功の高さです。やはり何かの原因があると思います。心が静かでないからではありませんか? やはり原因があります。高い次元になると、要求も厳しくなります。

弟子:「法を正す時期」が「法がこの世を正す時期」に移り変わる過程についてお話いただけませんか?
師:皆さんに教えますが、あなたが思っているようなこの過程はありません。全くありません。皆さんに教えますが、法がこの世を正す時の洪大な勢いは以前、旧勢力に見えないものでしたが、現在それらに見えたので、怖くてたまりません。ですから、旧勢力に按排された多くの神はこれ以上やらなくなりました。現在これらのことが現れてきたのは、それらの卑しい鬼が引き続き悪事を働いているからです。法がこの世を正すことがやってくると、一瞬にしてこれらのことも過ぎてしまい、過程はありません。法が正される時、功がやってきた際ある現れがあります。どのような現れなのでしょうか? 以前皆さんに教えたことがありますが、人間の目で見た全ては分子によって構成されています。分子の次元のどこかに、孔が開けられたら、または引き破られたら、あなたにはどういう光景が見えるのでしょうか? 空は舞台の天幕が破られた時と全く同じようになります。または孔が開けられます。法がこの世を正すことをまだやらなければならないので、この空間を破壊してはいけません。また全てのミクロから滲み込んでくることもあり得ます。

弟子:旧勢力は自分の按排に執着している以外、他に何がありますか?
師:旧勢力は自らがやろうとしている全てに執着する以外、他に何もありません。なぜならば、旧勢力は他でもなく、自分たちの旧来の全てを守ろうとしています。これがそれらの目的です。

弟子:法を正す時期の大法弟子に残ってしまう人がいるのでしょうか?
師:いません。(熱烈な拍手) 私があなたを残してしまうと、あなたをだめにしてしまい、本当にあなたをだめにしてしまいます。なぜならば、進まなければ後退してしまうしかないからです。皆さんはこの環境ですぐあの状態に達しましたが、この環境で人間の中にいて、人間の中に溶け込んで行動する限り、次元が落ち、徐々に人間に汚染されてしまいます。私は天上の佛、ある一定の次元の空間にいる佛道神が定期的に入れ替わっていると言ったのではありませんか? 彼らは三界に汚染されやすいので、変えなければなりません。

弟子:明慧幼稚園のこれからの方向についてお話をいただけないでしょうか?
師:とても良く行っているのではありませんか! 邪悪の首魁は中国の幼稚園で子どもに毒素を注ぎ込んでおり、なんとあくどいことでしょう! 邪悪の首魁は本当に人類を壊滅してしまおうとしています! 私たちがこのように行っているのを見て、腹が立って仕方がありませんでした。実は当時の中国政府の七人の中央委員の六人が法輪功を迫害することに反対していました。これも私が知っています。法輪功を迫害する「610」の頭目まで当時反対していました。ほぼ全ての中央機構、政府の各部門が法輪功への弾圧に反対していました。

弟子:旧勢力が法を正すことに参与し、二つの地球の時間を按排しましたが、なぜ二番目の地球で巨人、中くらいの人と小人の試験を行ったのでしょうか? 一番目の地球でどのような人を按排したのでしょうか?
師:私たちのこのところで試験をした時に三種類の人を按排しました。一番目の地球で五種類の人を按排しました。あの地球が終わりになった時、まだ三種類の人が残っていました。今回は初めから三種類でした。旧勢力も絶えず自分がやろうとしていることを模索していたので、法を正すことの直前になってやっと決めました。

弟子:正念を発している時、低次元の邪悪生命が根絶されていますが、同時に補充されているのではありませんか?
師:空間は外来の天体によってあまりに複雑になってしまったのです。それらは粒子を部分部分に隔ててしまいました。ある部分を確かに消滅しましたが、消滅されたのは隔離された一部分です。法を正す中で私がある次元の厖大な生命を消滅した時、また一部分の卑しい鬼が現れてきます。ですから、いつまで経っても消滅しきれないように感じます。実は、私たちは広範にわたり迅速に消滅しており、全体的に大量に消滅しました。法を正す形勢からも見えるように、今まで草木まで邪悪生命に操られ、空気の粒子までそれらに操られているように、息苦しかったのです。現在は違ってきました。世の人々は目を覚ましつつあり、人間を操るそれほど多くの卑しい鬼がなくなりました。なんと大きな変化でしょう。

弟子:1月22日アメリカの弟子が広州で逮捕されました。
師:大法弟子として、何かあったら、皆力を合わせて行うべきです。それらが恥じなければ、これらの悪事を全世界に知らせ、全米の国民に米国の国民が逮捕されていると知らせます。それらが恥じなければ、私たちはこのように行います。弟子を釈放しない限り、私たちは大々的に言い続けます。(熱烈な拍手)

弟子:旧勢力とは何であるかが時々分かり、時々分からなくなります。
師:つまり、宇宙の中に、私がやっていることに参与するようにと按排された二十パーセントの生命がいます。歴史上、それらは多くの系統的な按排をしました。多くの歴史の按排に私も参与しました。その時私が参与しなければ、それらが他の人を選んでしまうので、法を正す時になると、ますます厄介になります。それらが他の人を選んで法を正すなら、法を正す時に私が行うと、それらは全宇宙の生命を総動員して私に向かってきます。私がそれらを根絶してしまったら、どのようにそれらを救うのでしょうか? 法を正すことの本当の情況は、如何なる生命も知りません。それを知る生命がいれば、法を正すことから逃れてしまいます。これは宇宙が許さないことであり、更に宇宙の中の生命が法を正すことがどうなるかを選ぶことをなおさら許しません。

弟子:最近大法弟子の夫婦が産んだ子どもに魔性が強く、生まれつきの不具もいます。どのようにこの現象に対処するのでしょうか?
師:今はとても複雑です。自分の子どもに対して優しく守り、できるだけ面倒を見てあげるべきです。しかし、皆さん安心してください。あなたが圓満成就まで修煉することができれば、どんなことも最も素晴らしくなります。(拍手) これは修煉者、大法弟子に切り開かれるものです。あなたが圓満成就できなければ、全てはゼロになります。

弟子:大法の主体が中国にあると師父はおっしゃいました。中国の多くのところに大法弟子がおり、私たちはどのようにより良く共に向上するのでしょうか?
師:これについては安心ください。彼らは皆明慧ネットを知っています。辺鄙なところの大法弟子の間では連絡を取り合っており、情報もお互いに伝わっています。

弟子:迫害の中で理性がはっきりしていないときに反省書を書いてしまった人はまだ機会があると師父は先ほどおっしゃいましたが、私はどうしても中国大陸にいる師父を裏切った人を許すことができません。彼らは迫害に耐え切れないためやってはいけないことをしたのではなく、邪悪に仲間入りをして迫害を重くしました。
師:そうですね。そこまでやってしまったら、何とも言えなくなります。私は全ての人を済度すると言いましたが、そこまで罪を犯してしまったら、法によって量られます。これは仕方のないことです。慈悲と威厳が共に存在しますが、これは法を守るためです。しかし、旧勢力に按排されこのようにするために入ってきた人もいるので、とても複雑です。99年7月20日まで非常に積極的でしたが、迫害が始まったら誰よりも熱心になって邪悪を助長したのですが、これで学習者に複雑な局面をもたらしました。

弟子:先生の法像も旧勢力に通り抜けられるという現象があるのでしょうか?
師:皆さんに教えますが、それらは私に対して何かを行おうとしているのではなく、学習者の心に対してやっているのです。もし非常に正しく行っていれば、それらは絶対安易にこのようにしないのです。法像に私の法身があります。特にこの旧勢力ですが、ご存知でしょうか? それらは法を正す時、その全てが私を頼りにしており、私を尊敬しているのです。魔難は皆さんに与えるもので、私に与えるものではありません。しかし、これらのことに皆さんが正念をもって対処することができれば、妨害されることはありません。実は多くの時、皆さんの執着が作用しているのです。

 先ほどお話しましたが、旧勢力はこの宇宙を壊滅してしまうのではなく、この全てが元のままであるようにしようとしています。ですから、私の法身にとって、旧勢力であれ、正の神であれ、私の法身が全部見ています。大法弟子自身が良く行うことができないときだけ、旧勢力は作用するのです。その時、旧勢力はあなたの弱みを掴んでいます。通常、旧勢力は恐れており作用することができません。先ほど言いましたが、この情況が存在していますが、これは個別的な現象で、非常に個別的な現象です。この現象が一つ二つくらいあれば、大きな影響がもたらされます。ですから、旧勢力を見たらすぐ消滅しなければなりません。旧勢力が意識的にこのようにやったのか、または無意識にこのようにやったのかに関わらず、それを見たらすぐ消滅しなければなりません。なぜならば、旧勢力は大法弟子の正念と正しい信念を迫害する罪を犯したからです。ですから、それらは理に適ってこのようにやっていても、とても怯えているのです。実は私は既にこのことを片付け根絶しています。

 また、旧勢力が悪事を働き、良くないものを師父の体に付けたのを見た学習者がいます。これが見える学習者がいますが、私はあなたがこれに影響されるのではないかと非常に心配しています。師父の体に良くないものがあるようにあなたに見えたのですが、それは皆さんの体にあるものだということを皆さんは知っておくべきです! 私は皆さんの代わりに耐えています。(熱烈な拍手) さもなければ、誰が私に良くないものを与える勇気があるのでしょうか? 私は皆さんを守っており、それを消滅する人がいなければならないからです。

弟子:どのようにしたら、効果的に広範に真相を伝え、衆生を救い済度することができるのでしょうか? 私たちの新聞とテレビはどのように更なる力を発揮することができるのでしょうか?
師:これらのことは皆具体的なことです。実は皆さんは非常に良く行っているので、引き続き行い、工夫して更に良くなるようにしてください。これは大法弟子としての道を歩み、世の人々を救い済度するという皆さんの威徳を樹立することでもあります。

弟子:正念を発して自分にある問題を根絶する時、弟子の体を通り抜けている旧勢力をも根絶しているのでしょうか?
師:正念を発している時、体の中にあるものだけでなく、あなたの範囲内にある全てが怖くなって逃げてしまいました。旧勢力が来ないようにするため、他のことをせず正念ばかりを発したらどうですか? 一般的な情況下で旧勢力は恐れてしまい、来なくなりますが、考えすぎると、また執着になります。他の空間が同時に存在しているので、他の空間の生命はあなたと向かい合ってあなたを通り抜けても、あなたは何も感じないのです。他の空間はこのように存在している空間です。宇宙はこのような構造であり、あなたに何の影響もありません。構造に言及しましたので、皆さんが興味を持っていることを話しましょう。(熱烈な拍手)

 ご存知のように、地球に多くの植物、動物と物質があります。具体的に言えば、リンゴ、バナナ、みかん、ぶどうがあるのを皆さんは知っており、またトラ、獅子、ウサギ、羊、更に多くの様々な木や、植物、花があるのも知っています。他の空間にもこれらのものがあります。遥か遠い同等の次元の天体、つまり地球に似ている星にもあります。低次元の粒子が高次元の粒子の組み合わせで構成されているため、更に大きい粒子にもこれらの動物、植物、物質があります。天上のリンゴは星より巨大であるかもしれません。低次元の星にあるリンゴは高次元粒子にある大きなリンゴの中の粒子ではありませんか? その通りです。地上に獅子がいて、天上にも獅子がいて、更に高い次元にも獅子がいます。地上に人がいて、天上にも人がいて、更に大きなところにも人がいて、比類がないほど巨大です。生命の中に王がいます。つまり、各生命の中に王がいます。この生命の王はつまりその粒子の最も大きい次元にいます。それ以下の全ての生命は大きさの異なる粒子に分布しています。最も大きい次元の粒子の球体にいる生物はつまり全ての生物の王であり、その粒子はそれ以下の各次元に現れています。

 ですから、この宇宙はどのような体をしているのでしょうか? 万物が交叉しており、互いに受け容れあっているのです。地球上に多くの生物がいますが、これらの生物は同じ王に属しておらず、同じ生命体系に属していません。しかし、これらの生物は皆ここで生きており、互いに受け容れています。ただ、各生物は自分の王とつながっており、他の生命とつながっていません。つまり、これらの生命は全ての宇宙空間で交叉していますが、それぞれ独立した体系を持っており、これらの生命を管理する王がいます。ですから、獅子に獅子の王がおり、リンゴにもリンゴの王、バナナや木、植物、草、花など、全ての生命に王がいます。全ての生命は同等の空間でこのように交叉しながら存在しています。人間は巨大な生命を通り抜けており、同時に時々刻々極めてミクロ的な生命の要素が常人の体を流れています。皆さんの表面は私の法身と護法の神に見守られており、皆さんが修煉してできた部分は封じ込められています。修煉して出来上がった次元があれば、そのたびに封じ込めており、そのたびに封じ込めています。ですから、誰もそれを通り抜けることができません。この宇宙はとても複雑です。私はもう一種の宇宙の構造を皆さんに教えました。(熱烈な拍手)

弟子:師父が全ての生命の上に立っており、既に私たちの道を按排してくださったので、旧勢力の按排は私たちの向上のために師父に用いられたのだと思います。ですから、旧勢力の按排は存在しないもののように思いますが、この理解は正しいのでしょうか?
師:半分正しいのです。私はそれらを認めていないからです。しかし、それらが必ずこのように行うと知っているので、それらの逆手を取ってそれらを利用したのです。このような情況です。

弟子:遼寧、台湾明慧学校、スウェーデン中央公園、四川成都の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(熱烈な拍手)

弟子:正念を発して自分自身にある問題を根絶する時、弟子の肉体を通り抜けている旧勢力を根絶するのでしょうか? 師父の慈悲を真似て、意念でそれらに真相を伝えてもいいのでしょうか?
師:このことは皆さんに深い印象を残しましたね。皆さんに教えますが、空間の構造ならそれに構わないでください。それに通り抜かれないようにしたければ、口を閉じて呼吸も止めればいいのです。(皆笑って) 空気も生き物であり、法に正され終えていない生命です。ですから、これらのことを気にしないでください。人間は千年万年来このように生活しています。人間がなぜ修煉するのでしょうか? なぜ人間が神になることはこれほど難しいのでしょうか? 旧宇宙はこの智慧がなく、これらのことを解決できないからです。これらのことを解決したければ、宇宙の根本から上から下まで宇宙を健全にしなければなりません。ですから、未来の人間が神になる道が切り開かれました。なぜならば、このことはここから最も上まで行うからです。(熱烈な拍手) ですから、人間は後天的な観念の形成や、更にこういう要素の妨害もあるため、非常に複雑です。人を済度することはとても難しいのです! 以前、仙人から見れば、人間はあまりに済度し難い者でした。なぜならば、仙人たちにこの現象が見えたからです。大法弟子はなぜこれを恐れるのでしょうか? 正念をもって全てに対処してください! 皆さんにこの現象、このことがあるのを皆さんに教えているに過ぎません。これは宇宙の構造の一部です。このような情況です。

弟子:最近正念を発する時、身体が熱くてたまりません。
師:良い事です。熱くなるというのはエネルギーが強いからです。これを感じる人もいれば感じない人もいます。

弟子:頭が膨れていると感じますが、これは正常なことなのか、それとも魔の妨害なのでしょうか?
師:これはだいたい正常なことです。身体の変化、功の現れ、次元の向上などがある場合、こういった現れがあります。

弟子:ニュージャージー州に中国大陸からきた女性がいます。三年前ばい菌に感染され、四肢を切除されましたが、頭がしっかりしています。彼女の家の近くに大法弟子がいますが、大法弟子はどのように彼女を助けるべきでしょうか?
師:大法弟子の今日の最も重要なことは真相を伝え、世の人々を救い済度することです。彼女が害されたかどうかを見て、害されていれば真相を伝えなければなりません。害されていなければ、皆さんの行うべきことを行えばいいのです。身体障害者は政府が面倒を見ており、あなたは多く考えないでください。これらのことにあまりに執着すると、あなたに教えますが、あなたは修煉できなくなります。この世の怨みは非常に残酷なもので、不公平なことが多くありますが、あなたはこれらのことに執着しきれるのでしょうか? 人を救うときは根本からその人を救わなければ、救うことになりません。(拍手)

弟子:大法弟子は貯金する必要がないと言う人がいます。
師:また極端に走っています。(皆笑って) 自分のやるべきと思うことをすればいいのです。貯金したければ、または家や車などを購入したければ、そうすればいいのです。未来の修煉はこのような情況だからです。何もせず、ただ待っていれば、(皆笑って) これは圓満成就することができません。なんと強い心でしょう! しかし、本当に圓満成就する時に、それらのものを放棄できないのでしょうか? 本当に放棄することができれば、それらのものは何ものでもありません。その時の考えは神の考えであり、それを考えてどうするのでしょうか? 何も考えなくて良いのです。実は皆さんに教えますが、法がこの世を正すことの最後の時、一瞬にして何もかもが解体してしまいます。お金? 紙切れもありません。(熱烈な拍手) しかし、それは皆さんに関係のないことです。

弟子:子どもの将来の教育費として貯金しています。将来圓満成就したら、これを心配する必要もありません。(皆笑って) 自分の両親の面倒を見る必要もなく、彼らは私たちの以前の敵であるかもしれないという人もいます。(皆笑って)
師:これは大法弟子として言う話ではありません。そこまで執着しているのですか?! 大法弟子の圓満成就がどれほど偉大なことなのかをご存知でしょうか? あなたの身の回りの全てのことは師父が片付けてあげますが、あなたが心配する必要がありますか? あなたは心配し切れますか? あなたにこれらのことを片付けられますか? あなたの言うとおりになるのですか? 私は皆さんにこの道理を話したのではありませんか? 本人にその福がなければ、あなたが何を用意してあげても無駄です。しかし、師父は片付けてあげることができます。その人に福があってもなくても、私はそれを片付けることができます。あなたは心配してどうしますか? あなたは修煉するしかありません。私は何でも面倒を見てあげます。私は既に話したのではありませんか? しかし、あなたの修煉が良くできなければ、私は何もしてあげられません。これは大法弟子として言っている話ではないと感じます!

弟子:午前中説法した時、師父が無から有になり、将来誰も師父のことを知らないとおっしゃいました。将来私たちが圓満成就したら、このように師父の説法を聞く機会があるのでしょうか? もし私に質問があれば、師父が解答して下さる機会があるのでしょうか?
師:あなたは永遠に修煉しているわけではないでしょう。(皆笑って) あなたは今人間の考えで考えており、神はこのように考えません。あなたが無数の衆生を管理しなければならないときになると、それも大変な気苦労です。その時、師父のことをあまり考えていられないのではないでしょうか?(笑い) 冗談です。もちろん、私は更に大きな範囲で説法するかもしれませんが、しないかもしれません。それは皆将来のことです。実は皆さんが将来師父に会えるのかと考えていますが、これはやはり人間の今の考えで考えています。その時になると、他の状態になります。しかし、本当に皆さんが私を必要とする時、皆さんは洪大な佛恩を見ることができます。(熱烈な拍手) なぜならば、皆さんが特殊であり、法を正す時期の大法弟子だからです。(熱烈な拍手) 皆さんがかつて法を正すことと共にいたからです!(熱烈な拍手)

 この機縁を大切にしましょう。本当にこれは二度とないことです。法を正す時の恐ろしい光景は皆さんが将来過ぎ去った歴史の中で見ることができます。一部の大法弟子の現れは本当に良くありません。時によく行っていますが、時によく行うことができません。実は、巨大な宇宙生命は法を正す勢いを目にした時、皆驚愕しています。

 今日は99年7月20日以後、初めて法会で大法弟子にこのように広範で長時間質問に解答しました。(長時間の拍手)

 皆さんから出された質問を見れば、以前と大きく異なりました。文字は大して違いませんが、中にあるものが違いました。同時に、最も大きな違いは以前の好奇心、興味津々の心が正念に取って代わり、皆さんが理性的になり、表面に留まって知識を探求することをしなくなりました。もちろん、私が宇宙の構造について話した時、皆興味を持っています。皆さんだけではなく、神まで注意深くそれを聞いており、彼らもそれを知らないのです。(拍手) ですから、今回の迫害の中で、私たちが大きな損失を蒙り、大法弟子が罪なく迫害されていますが、皆さんが今回の迫害の中で本当に成長し、冷静になり、理性的になったことを私は目にしました。以前のように法に対して心にもない話や、心がここにあらずの態度がなくなりました。全ての人は今回の迫害の中で自分がどの道を歩むべきか、どのように行うべきかを真剣に考えました。実は、旧勢力はマイナスの作用を働くための人を多く按排しましたが、迫害の前、または迫害の中でそれを放棄した人がいます。彼らの生命の分かっている一面はこれが分かっているから、多くのマイナスの作用を働く人はそれをやめて、正々堂々と修煉するようになりました。なぜならば、私は決してそれらのマイナスの作用を働く人を認めないからです。旧勢力も思いもよらなかったのは、旧勢力の按排、これほど巧みな按排が私のためにあったように見えますが、実はそれら自身のためにあるものです。それらが行った全ては法を正すことの本当の障碍となり、それら自身は法を正す本当の魔と障碍になりました。

 魔に触れましたが、宇宙の中の通常の魔のことを言っているのではありません。実は宇宙の魔王は生命のもう一面の現れであり、それも宇宙の護衛者ですが、それが使っている方法は悪の方法だからです。私はこのような魔のことを言っているのではなく、法を正すことを破壊する生命のことを言っているのです。これらの生命こそ大法を破壊する本当の魔です。私たちは実に多くのことを経験し、多くの時に話が口元まできていますが、それを話すのを止めました。なぜならば、いったん話し出すと、話さなければならないことは本当にたくさんあるからです。私たちはこれほど多くのことを経験し、皆さんも成長してきたので、更に理性的に今後歩む道に臨み、今日行ったすべてを更に理性的に見るべきです。これ以上情に陥らないでください。これ以上皆さんのとても強い自我に陥らないでください。皆さんには能力があります。師父は皆さんのことを認めているので、皆さんもこれ以上自分のこれらのことを師父に見せないでください。(拍手)

 先ほど質問した学習者が言ったように、私たちがどのようにお互いに協力し合い、協調し合うかということは法を正すことの大法弟子に対する最も重要な要求です。私たちは表面形式を重んぜず、法を良く勉強することができれば、これをやり遂げることができます。ご存知のように、当時大法弟子が集団煉功の前、皆しゃべったりして、いろいろなことをやる人もおり、秩序がないようでしたが、音楽が始まると、皆兵士よりも整然と並びました。それを訓練した人もなく、このようにすると教えてあげた人もいませんが、皆心からこのようにしました。これを協調と言い、大法弟子の圓容と言います。皆さんは煉功などのことにこれを表すだけではなく、法を正すすべての方面にこのように協調するようにしなければなりません。

 もちろん、ほかにも問題がありますが、私はこれ以上言わないことにし、それを強調したくもありません。私の口から言われると、非常に厳しくなります。多くの問題も皆さんが直面しなければならないことなので、皆さんは挫折の中で成長し、それらの問題を重視し、認識するようになるべきであり、それによって今後の道を良く歩むようになります。

 法を正すことがここまで来ており、もうすぐ終わるので、これからのことを用意しなければならない、ということも考えないでください。皆さんに教えますが、如何なる心も大きな魔難をもたらすのです。くれぐれも如何なる心をも生じさせないでください! 正々堂々と修煉し、目の前の行うべき如何なることをもしっかり行ってください。明日圓満成就しても、今日はやはり段取り良く行うべきことを行わなければなりません。なぜならば、大法弟子が今日行っている全ては皆これからの人に残すものであり、これがこれからの人の修煉の道です。これが極めて重要なことであり、皆さんはこの道を歪めてはいけません。大法はどの次元においても最も素晴らしいのです。人間という次元で、大法弟子は大法に更に圓容するしかなく、大法に如何なる損失をももたらしてはいけません。

 多く話したくありませんが、皆さんの行うべきことを良く行うよう望んでいます。法を実証するという三つのことですが、一つは法を良く勉強することであり、もう一つは真相をはっきり伝えることであり、最後は正念を発することを重視することです。これらのことを全て行うことは法を実証していることであり、皆衆生を救っていることであり、大法弟子が行うべきことです。つまり、皆さんの圓満成就、皆さんの未来、皆さんの全ての威徳の樹立はこの中にあります。それぞれの能力、それぞれの具体的な方面での特長に基づき、自分の作用を発揮してください。例えば、真相を伝える中で、テレビや新聞を作る人がいますが、各種の形をとっています。直接街で真相資料を配る人がおり、領事館に行く人、政府関係の仕事をする人もいます。各方面はそれぞれ欠けてはいけないのです。皆さんに教えますが、今日大法がこの世で邪悪な迫害を破り、世の人々に大法を認識してもらうことができたのは、皆さんが今日行っているこれらのことと大いに関係しています。今日の局面は皆さんが切り開いたのです。(熱烈な拍手) 良く行うことができなかったら、時間を大事にして行ってください。誰かに認めてもらう必要もなく、誰かに見せる必要もありません。自分の良心に申し訳が立つときになると、師父にそれが見えるのです。(拍手)

 今日は多くのことをお話しましたので、このくらいにしましょう。帰りたくありません。皆さんと一緒にいたいのです。(長時間の拍手)