李 洪 志
二〇〇三年四月二十日
皆さん、こんにちは!(拍手)
皆さん、ご苦労様でした。(拍手) 皆さんは最近気付いたかもしれませんが、大法弟子の不断の努力によって、真相をはっきり伝える中で、正念を発することと法の勉強、自分自身の修煉を通じて、法を正す洪大な勢いが到来する前の形勢に大きな変化をもたらしました。空間の中の邪悪生命は確かに少なくなりました。それによって、邪悪生命は既に広範にわたる迫害と妨害をもたらすことができなくなりました。しかし、邪悪生命が存在している限り、学習者が十分認識していないところと考えの中の執着のあるところを妨害するのです。心性上のまだ漏れているところにこれ以上付け入られないようにしてください。
現在現れてきた学習者の間の摩擦ですが、皆さんはそれに気をつけるべきです。これらの些細なことで大法弟子が本来行なうべきことに影響してはいけません。皆さんに教えますが、どのような摩擦が現れても、どのような情況が現れても、きっと私たち自身に漏れているところがあるからです。これは間違いのないことです。漏れているところがなければ、誰もこの隙に乗じることができません。学習者の間の心性上のトラブルや、お互いの協力に協調を欠いているところは、事の大きさに関わらず、皆さんに教えますが、それはきっと魔が隙に乗じているのです。あなたは大法弟子なので、あなたが修煉してできたその部分は完全に神としての基準と一致しています。表面はまだ大法の中で修煉していますが、大法弟子として基本的に言えば、各方面に大法弟子としての状態を表わすべきです。時に心性上の摩擦が現れますが、それも認識上または心性上に執着があるからもたらされたことです。これらのことは小さいのですが、空間にあるでたらめな良くない生命に隙に乗じられやすいのです。これらのことに皆さんは注意すべきです! 今回の邪悪な試練を経て全てが分かるようになったはずです。
在席の中に、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、南アメリカから来た学習者がおり、他の地区から来た学習者も多くいます。皆さんが集ってくることは容易いことではありません。今皆さんは一緒にいますが、圓満成就したら誰もお互いに会えなくなりますと、以前私が言ったことがあります。(笑) ご存知のように、この宇宙は非常に厖大です。法を正すことが三界を造り、人類社会を造ったので、歴史上多くの宇宙大穹の高次元生命はここにやってきました。その時広範にわたって来たのではなく、異なる時期に最後のこれらのことに協力するため、代表的に来ました。つまり、大法弟子の大部分はこれらの天体にしたがって来たのであって、お互いに縁を結びましたが、一旦圓満成就して戻ったら、お互いに会おうと思っても、ほぼ不可能なことです。ですから、この縁を大事にすべきです。しかも、皆さんの縁はお互いに交叉しており、各生と各世に異なる縁を結びました。これは簡単にできることではありません。ですから、何かをする時に協力しあうべきです。それぞれの大法弟子のことは皆さんのことです。誰も些細な事でお互いの間に大きな溝が生じるようにしないでください。これはいけません。大事にすべきです。しかも、大法のことをする時に協力しあい、より良く協力しあうべきです。
大法弟子にとって今三つのことしかありません。一つは真相を伝えること、もう一つは正念を発することで、その中には自分自身と自分の体の外部の形勢に作用させるということを含みます。最後は自分自身の修煉と法を良く勉強することです。この三つのことは皆極めて重要なことです。真相を伝えることの目的は皆さんは既にはっきりと分かっています。即ち、今回の邪悪な迫害を暴露し、世の人々に伝え、宇宙の衆生に伝えることです。皆さんがここで真相を伝えていますが、各次元にある皆さんが修煉してできた体も各次元の異なる天体で真相を伝えています。必ず今回の迫害、今回の邪悪を暴露し、世の人々にはっきりと認識させるべきです。これも邪悪を抑制し、消滅しているのです。真相を伝えることは最も有力な方法で、大いなる善の行為です。なぜならば、今回の迫害は完全に虚言と欺瞞を基礎としているからです。大法弟子が正念を発することの目標について皆さんも知っています。主に、人類を制御し大法に対して悪事を働き、大法弟子と世の人々を迫害している邪悪生命を片付け、人類と衆生を救い済度し、法を正すことに障碍をもたらしているものを消滅するために行なっています。ですから、これは極めて重要なことです。大法弟子の誰もこのことを軽視してはならず、いかなる口実でも正念を発することをおろそかにしてはいけません。自分自身をきれいにすることができなければ、あなたはしっかり行なうことができません。更に、自分自身をきれいにすることができなければ、他の人まで妨害してしまいます。三つ目のことはつまり法を良く勉強することです。この大法を良く勉強することができなければ、あなた自身の圓満成就は保証されません。しかも、あなたが行なった全ての大法のことは常人が何かを行なう時と同じようになり、常人の考えで、常人の基点から行なってしまいます。それが常人であり、せいぜい常人が大法のために良いことをしていることになるに過ぎません。皆さんは大法弟子なので、法を離れて事を行なってはいけません。皆さんはまだ最も表面にあるまだ変化していないこの部分を絶えず変えているので、法の勉強を離れてはいけません。必ず法を良く勉強すべきです。法を勉強している過程で、皆さんは絶えず自分にある良くない要素を消滅し、まだ変化していない最後のこれらのものを変えることができます。今まで私はなぜ皆さんに法を勉強しなさい、法を勉強しなさい、法を良く勉強しなさいと強調してきたのでしょうか? これは極めて重要なことだからです。
皆さん既にご存知のように、大法弟子は圓満成就の過程を歩み終えましたが、歴史が今日大法弟子に賦与した更に大きな責任はあなた個人の解脱と圓満成就ではなく、更に多くの衆生を救い済度することです。ですから、大法弟子になる資格があります。歴史が皆さんにこれほど大きな責任を賦与しましたが、同時に皆さんにそれ相応の栄光をも与えました。私が誰なのかを私は言ったことはありませんが、いずれにせよ私が法を正しています。大法弟子として、皆さんが今日師父と一緒に法を正すことができ、将来皆さんを待っているのが何であるかは、私は皆さんに具体的に言ったことはありませんが、今日それに少し触れておきます。それは歴史上かつてない至高のこの上ない栄光なのです!(拍手)皆さん考えたことがありますか、誰かが大法と大法弟子を迫害し、高い次元の生命がこのことに関わったら、その生命はあなたと対等になります。いくら次元が高くても、あなたと対等になってしまいます。しかし、関わっているのは相当高い次元の主、無限な大穹の主、ひいては更に次元の高い生命です。今日大法に対して悪事を働いているそれらの異なる大穹の最も頂点にいる生命は私の異なる大法弟子と対等になってしまいました。皆さん考えてみてください、これは何を意味しているのでしょうか? 皆さんに教えますが、私の多くの大法弟子が迫害され亡くなりましたが、彼らの生命が彼らを迫害したその最も高い位置にいる生命と位置を交換すると法は既に決めました!(拍手)
こういうことです。なぜそれほど次元の高い神はこのことに参与したのでしょうか? なぜそれほど次元の高い神はそれ以下の生命に影響し、大法弟子を迫害させたのでしょうか? 高い次元の神は直接やらなかったのですが、彼の要素によってもたらされたのであって、彼は責任を取らなくてもよいのでしょうか? 参与したら、今回の妨害に対して責任を取らなければなりません。これが宇宙の理です。そうでなければ、彼と何の関係もなくなります。彼と少しでも関係があれば、このことに対して責任を負わなければなりません。彼がそこにいる資格がないので、大法弟子は修煉して上がってそこにいるようになります。こういう道理です。
実は中に多くのことがありますが、常人が想像できるようなことではありません。平凡そうに見えますが、大法弟子が行なっているのは皆最も偉大なことであり、歴史上かつてないことです。邪悪極まって、凄まじい勢いで大法弟子を迫害し、宇宙大法がこの世で人を済度し、これほど大きな法がこの世で伝わっているにもかかわらず、なぜ多くの人々は全く無関心なのでしょうか? 実は彼らは旧勢力に抑制され、厳重に封じ込められました。法を正す時期の修煉と法の実証は大法弟子のことであり、他の人にそれに参与する資格がないと旧勢力は思っています。こういう情況下で、世の人々は大法の法理と法そのものの神聖さをなかなか認識することができません。しかし、人間、現在の人類に人権や信仰の自由に対する踏みにじりを話せば、これらのことを彼らが認識することができます。ですから、真相を伝える中で、皆さんもこの方面から話せば、世の人々はそれを理解することができ、支持してくれるはずです。その人に正義と善なる一面があり、済度される可能性がまだあれば、支持してくれます。ですから、次元の高い話をすればかえって効果は良くありません。今法を得たら、その人は大法弟子になりますが、真相を伝える中ですぐに常人を大法弟子にするのは功を焦ることです。如何なる人でも、真相を伝える時に次元の高い話をしたら、理性を失って破壊の作用をすることになります。忠告を聞かず、あまりに執着していれば、やっている悪いことは更にひどくなり、魔に利用されてしまうのです。もし本当にこのことにおいて罪を犯したら、魔はあなたを落としてしまうかもしれません。
ですから、これらのことは皆小さいことではなく、正しく判断すべきです。皆さんの道は、皆さんが既に目にしたと思いますが、実は非常に狭いのです。少しでもずれてしまったら、あなたは大法弟子としての基準に合わなくなります。一本の非常に正しい道しか私たちは歩むことができず、少しでもずれてはいけません。なぜならば、これは歴史の要求であり、未来の宇宙の衆生と生命の要求だからです。未来の宇宙は皆さんが法を正す中での漏れによって少しばかりのずれも現れてはいけないので、皆さん自身が法を実証する中でしっかり歩んだ全ての一歩一歩は皆非常に重要なのです。それは平凡そうに見えます。皆さんが法を実証する中で歩んだ道、威徳を樹立するこの期間中に如何なる汚点と遺憾をも残さないでください。それは永遠に抹消することのできないことです。もちろん、修煉にしても、法を実証することや、正念をもって今回の迫害を一掃することにしても、このことはまだ終わっていません。終わっていなければ、良く行なわなかった人にとって、即ち機会なのです。最後の時期においてまだ正しく行なうことができなければ、このことが終わる時になるとだめになります。迫害が始まったばかりの時、中国大陸の学習者にしても中国大陸以外の学習者にしても、多くのことをしっかり行なうことができませんでした。その時しっかり行なわなかった経験不足や、このようなことに遭ったことがないとか、どのようにすべきか分からないとかと言っても良いのですが、早くも何年も過ぎたのでこのように言い続けてはいけません。皆さんもはっきりと目覚め、どのように対応すべきかを理性的に認識することができるようになったので、更に良く行なうようになるべきであり、今までのそのようなことが二度と現れてはいけません。
皆さん自身の修煉がもし本当に良くできれば、宇宙の未来の大きな事と関わります。大法弟子個人の圓満成就の過程を既に歩み終えましたが、私の弟子として、大法の門徒として、歴史があなたに賦与した責任はあなた個人の圓満成就で終わるようなことではありません。あなたに更に大きな事を行なってもらい、あなたに更に大きな威徳を樹立させています。もちろん、それによって更に高い果位はあなたを待っており、宇宙に更に大きな責任があなたを待っています。こういう関係です。大法弟子が良く行なうようになるまで、引き続き努力しなければならないと以前私は言いました。しかし、あなたは修煉のあの過程を歩みましたが、自分を更に良くなるまで修め、表面に残っている修煉がまだ良くできていない部分を良く修めなければなりません。ですから、本を読み法を勉強することは極めて重要です。
ご存知でしょうか? 以前私は白日飛昇の法を説きました。つまり、表面の体が修煉によって全部良くなったら、白日飛昇することができます。しかし、昔どのような人が白日飛昇したのかをご存知でしょうか? 昔白日飛昇した人で三界を出た人は一人もいませんでした。なぜならば、天上の神から見ると、人間の肉体は最も汚いものであり、全く天上まで持っていくことができません。ですから、修煉がいくら良くできていても、天上に持っていくことができません。あなたは天上ほど純潔かつ神聖になることができず、そのような状態に達することができません。それに対し、私が今日行なおうとしているのはあなたの体の表面を変え、将来この世で本当に人間が三界外の神になるまで修煉できるようにするだけではなく、宇宙体系全体の圓容をすることです。今まで三界外の神まで修煉できた人はほとんどいませんでした。先ほど既に話しましたが、白日飛昇しましたが、それは皆三界内の神で、三界を出ていません。しかし、このような生命も神です。しかし、私が今日行なおうとし、大法弟子に賦与しようとする修煉方式は宇宙の中に今までなかった更に高い智慧を築き上げるためです。その目的は将来落ちてくる生命がここで再び元に戻れるようにするためであり、少なくともこういう機会を持つようにするためです。これは宇宙が圓容することのできる部分です。私はなぜいつもこのことを強調しているのでしょうか? 今日の大法弟子が最後の一歩まで歩むことができれば、これは人間が神になる道を切り開くことになり、歴史上かつてなかったことです。以前本当に三界を出たのは皆副元神でした。三界内に体をもって圓満成就したものがいましたが、皆三界内の神になりました。しかし、今回の大法弟子はその人体が三界を出るまで修煉するだけではなく、私が皆さんに異なる次元ないし極めて次元の高い王と主まで修煉させようとしています。これは新宇宙の智慧を証明することでもあり、将来の生命が到達しなければならない圓容形式の一種です。ですから、これは小さなことではありません。表面の体が最後まで変化すると、即ち最も純粋で清らかな状態になります。それほど程度の高い状態になりますが、今までこのように行なった神はおらず、このように考える勇気のある神さえいませんでした。なぜならば、神の目から見ると、下の全てが汚くてたまらないと思うからです。今回私はこのようなことを行ない、大法弟子の圓満成就は前例となり、未来のためにもこの道を切り開きました。切り開くと言っていますが、実は法の中に既にこの智慧が備わっており、ただ実践しているに過ぎません。
なぜこのように行なうのでしょうか? 先ほど言いましたが、宇宙が圓容しようとしているからです。実はまだ多くの要素があります。もしこの道を切り開いたら、もう一つ最大の問題を解決することになります。これは宇宙の中で今まで神が考えることすら憚ることです。神がどのように存在しているのかをご存知でしょうか? アメリカ中部地区に行った人がいますが、アメリカの植生されていない山や裸の石は見た目では人間のように見えます。特に南部と中部の南のほうに行けばよくあります。しかも、とても神のように見えます。菩薩、佛、また他の神の形象に見える石もあります。これはなぜでしょうか? 実はそれは神の対応であり、神の最も次元の低い部分です。昔の神は表面の星と一種の対応関係にあり、皆生命の循環体系を持っています。神は石が壊れないように守っていますが、石の存在はまた神の生命を守っています。石が一旦壊れたら、その神体は解体してしまい、落ちてしまう神が出てきます。このような関係です。実は更に次元の高い神がこれを制御しています。しかし、この対応関係は小さい粒子で大きい粒子を構成し、大きい粒子で更に大きい粒子を構成するという粒子で粒子を構成する過程ではありません。それは物質の本質からますます少なくなり、つまり物質がますます薄れていき、神体の基準まで薄れていくという過程です。実質上物質もますます軽くなり、異なる次元の神、最も次元の高い神になるまで軽くなっていきます。もちろん、薄れれば薄れるほど、純粋で清らかになります。以前私は言ったことがありますが、大法弟子がヨーロッパから法会に参加しに来ており、飛行機できましたが、長い距離を移動したように見えます。しかし、神の目から見ると、地球という粒子は小さな砂の粒のようで非常に小さいのです。あなたの移動は全く移動していないようです。これが人間です。実は神の場合、異なる神の極限があります。昔の神の移動もそれら自身の範囲内に限られていました。この極限は地上の石との対応があるため引き起こされたのです。昔の神はこの宇宙の表面にある星にある石から離れることもできず、この石を持っていくこともできません。対応している石を失ったら神は根を失ったかのように、生命の守りを失い、解体して壊滅してしまいます。これは私が今まで皆さんに話したことのないことです。(拍手)
今日私は皆さんにこのことを明かしましたが、つまりこの問題は既に解決されました。未来の神や未来の新宇宙が非常に素晴らしいと私はなぜこのように言ったのでしょうか? 素晴らしいことを一つ一つ説明するには長い法を説かないとはっきり説くことができません。私から見ると、未来の神は本当に大いなる神通を持つようになり、地上のこのような石と対応する必要はなくなります。他の体系の神もそれ自身の体系の表面粒子にある石や物質と対応する必要はなくなります。以前の神は最も次元が低くて最大な物質と対応していなければ、物質の循環システムを失い、命を守られなくなります。こういう関係があります。それでは、皆さん考えたことはあるのでしょうか? 石が分子で作られているので、つまり人間の体も同じということです。もし皆さんが修煉によって人間の最も表面にある物質まで成就させることができれば、自分でこの根本的な保障を持つようになるのではありませんか? どこに行ってもこの制限を受けなくなります。ただし、必ずその次元に要求された純粋さと清らかさと神聖さにまで達成しなければなりません。更に皆さんに教えますが、私は法を正す中で既に最も良くないものを最も良い状態、最も完璧な状態にまでしました。(拍手)
異なる次元の神は実は異なる次元でそれぞれの極限範囲、それぞれの次元の生命の極限を持っています。これは人間にとって、今まで人間に神の状態を教えた人がおらず、人間に教えることも許されていませんでした。旧い宇宙は徹底的に解体されてしまい、全てが過ぎ去っていきます。私が言っているのは全て今までのことです。未来はこのようではなくなります。それは相当素晴らしいのです。未来の神は完全に以前の神の足りないところを捨て、更に美しく更に高尚になり、今まで以上に神通を持つようになります。ですから、天体で法を正すことは宇宙の秩序がだめになったからそれを正し、今までの法がだめになったから再びそれを正すということだけではありません。もしそれだけであれば、皆さん考えてみてください、実は私がこのことを行なう必要はなくなります。根本から多くの問題を解決するために私がやってきたのです。(拍手) 私は皆さんと同じであり、師父が何を言っていても、師父のこの表面の体は見た目では皆さんと同じであり、ここでの私たちは人間としての表れです。しかしご存知のように、皆さんは修煉の人なので、本質においてまた人間と違います。もちろん、私は皆さんとの間にもう一つの区別がありますが、以前それについて皆さんに話したことがあるので、ここで多くを話しません。
つまり、皆さんは修煉の中で、必ず時間を大切に自分を良く修めるべきです。いくら忙しくても、やることがいくら多くても、自分の法の勉強と修煉を軽視してはいけません。これは皆さんが法を実証することを良く行なうことができるということの根本的な保障であり、皆さんが最後まで向っていくことができることの保障でもあります。多くのことは平凡そうに見えますが、無限の素晴らしさと偉大な栄光はその中にあります。この三つのことを良く行なうことができれば、全てはその中にあり、全てが含まれています。法を実証することを行なうことができる時間はもう長くはありません。邪悪がもうすぐだめになると皆さん見てみればよいのです。在席の皆さんは99年7月20日から歩んできた人なので、当時の形勢と現在の形勢を目にしましたが、中国の幾つかの地方ではまだはびこっていても形勢は既に異なりました。全世界も同じです。人々は今回の邪悪な迫害についてますますはっきりと認識するようになり、世の人々は目覚めつつあります。邪悪がこの程度まで消滅されたから、この変化があったのです。邪悪を一掃してから、はじめて人々は目覚めることができます。つまり、今回の邪悪な迫害は既に維持できなくなり、邪悪に与える時間も残りわずかです。もし法を正す勢いが到来する前、大法弟子を試練しこの法のために威徳を樹立する作用を発揮することができないと旧勢力が判断した場合、旧勢力はそれらを歴史の舞台から追い出し、二度と生きることのない門に入れてしまいます。その時、このことが終わってしまいます。ですから、皆さんはくれぐれも時間を無駄にしないようにすべきです。まだ終わっていない最後の時間と過程の中で、本当に自分に対して申し訳が立つように、最後のことを良く行なうべきです。師父は皆さんを率いて革命をやりにきたのではありません。(皆笑って) 師父は皆さんを率いて常人の政権を奪取しにきたのではなく、皆さんを率いて修煉しにきたのです。(拍手) 皆さんが暴露しているのは邪悪であり、このならず者の政権の邪悪さです。その目的は邪悪を抑制し除去し、大法弟子と大法に対する迫害を除去するためであり、(拍手)常人の中で常人の何かを得ようとしているのではありません。ですから、皆さんは何かをする時、必ず大法弟子のこういう基点に立って行なうべきです。皆さんが行なっているこれらのことを常人に分からせ、私たちが常人の何かを企んでいると常人が勘違いしてしまうことがないようにしてください。決してそうではありません! もちろん、今日になって分かっていないのも人間の表面であり、世の人々は実は分かっているのです。なぜこのように言うのでしょうか? 如何なる生命にも分かっている一面があり、大法がどういうことなのかが分かっているからです。今まで邪悪の要素が人間の表面を人間の分かっている一面と隔離し、人間の表面の分かっていない一面を制御していました。現在これらの要素はだんだん除去されており、ますます除去されているため、残ったものもますます少なくなっています。ですから、世の人々はますますはっきりと認識するようになっています。
現在中国で起きた疫病を皆さんは見たでしょう。これは大疫病がやってきたのではありませんか? 人間の言葉で言うと、つまり天は人間を治めています。何に対しているのかは大法弟子が皆分かっています。つまり、大法弟子が真相を伝える中で救い済度される資格のない人、救い済度され得ない人で、邪悪な卑しい鬼にとっても価値のない人達です。これは一回目の淘汰です。天は悪を治めています。しかし、中国はまだ嘘をついて死亡者人数を隠しています。皆さんに教えますが、その数は相当巨大なのです。しかもまだピークに達していません。世の人々は非常に恐ろしいと思っていますが、実は本当に恐ろしいことはまだ始まっていないのです。これは法がこの世を正す時の本当の大淘汰ではありません。大淘汰が始まると更に恐ろしくなります。それは全世界に向ってやってくるのです。悪人が暴れた時、天も地も恐れませんが、いざ災難が本当にやってきた時呆然としてしまいます。見てみてください。今年はとてもにぎやかになります。多くのことが起こります。
多くの学習者は他の地方から駆けつけてきたので、多分多くのことについて私に聞きたいと思っているかもしれません。私は長くは話しません。皆さんの時間を多く使いたくはありません。どうしても師父に聞きたいと思っていることがあれば、メモに書いて出してください。私は解答してあげます。(長時間の拍手)
ついでに皆さんにあることを話します。師父は最大な慈悲の心で衆生に対処しており、どんな場合でもそうです。私が参加した大法の法会であれば、私は皆さんを大法弟子と呼んでいます。私に会った弟子であれば、公の場で私も皆さんを大法弟子と呼んでいます。(拍手) しかし、皆さんの中の一部は歴史上私と縁を結んだ人ではなく、今回大法が伝えられた時に入ってきたのです。そういう人は相対的に言えば、魔難が多くなります。こういう学習者は中国大陸にも大陸以外のところにもいます。魔難は皆さんにとって現れが違いますが、人心を取り除くことに対して、その人の心に対しての圧力は軽いものではありません。あなたがどういう情況であるかに関わらず、師父は必ず同じように対処します。あなたが大法弟子の中にいれば、師父はあなたを大法弟子として導きます。(拍手) しかし、自分自身が必ず良く行なわなければなりません。(拍手) この迫害と皆さんが迫害される中で法を実証することはもう後期段階に入ったと思います。時間はもう多くありません。良く行なってこなかった学習者は自分で考えてください、本当に自分自身を考えてください。私は初めて大法弟子に対してこういう戒めを出しました。(拍手) 圓満成就できるかどうかは自分次第なのです。
更に、人に告げられないこと、非常に汚いこと、大法に申し訳ないこと、大法弟子という称号にふさわしくないことをまだしている人がいます。私もあなたを別扱いしていません。圓満成就に向っていけない時に、あなたは自分自身に責任を持たなければなりません! 師父は誰かを脅かしているのではありません。この歴史の機縁を逃した人、今回の機会とすれ違った人であれば、自分がどういうことを逃したのかが分かった時、生かしてもらえてもあなた自身は生きる気を失います! 師父がいつも慈悲深いからといって、皆さんは師父の慈悲を大事にしていません! そうしないで下さい。大法弟子に基準があり、法にも基準があります。一緒に集って適当にやれば合格することができるようなことではありません。全ての人の心に及んでおり、全ての人は着実に自分自身を修めており、全ての人は自分の生命に対してどのように責任を持つべきかを考えているのに、皆さんの中の一部の人はどうしてできないのでしょうか? 師父はあなたを見て本当に焦っています! 師父はあなたを見て本当に焦っています! 師父の今日の話は強く聞こえるかもしれませんが、私は重い錘を使わないともうだめかもしれません。私があなたを救うことができなければ、私にとってそれは最も残念なことです! あなたも私のように焦ってくれれば・・・
それでは、皆さんの質問にお答えします。(拍手)
弟子:済南の全ての大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)
弟子:オーストリアの弟子が師父にご挨拶を申し上げます。新疆ウルムチの大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)
弟子:「911事件」や現在のSARS病のような災難に人類が見舞われている時と大法弟子に対する気が狂ったかのような迫害がある時、例えば、2000年10月1日天安門で大法弟子に対する大規模な逮捕があった時、私の体に強烈な業を滅する反応が現れました。しかし、いつもすぐ過ぎてしまいます。これは私が世の人々の代わりに罪業を受け持っているのでしょうか? それとも他の原因があるのでしょうか?
師:皆さん一人一人は皆修煉の中にあるので、まだ誰それのために何かを受け持つようなことはありません。多分ちょうどその時旧勢力がもたらした一種の形式であるかもしれません。旧勢力は以前非常に綿密に按排しました。他人のために何かを受け持つことは愚か、自分自身のものでさえ、あなたたちはそれに耐え難いのです。(笑) しかし、皆さんが時に関を良く乗り越えることができず、心に執着があり、何か間違ったことをしたが悟らなかったなどのことがあるため、旧勢力または邪悪生命が妨害しているという可能性もあります。これによって、体の具合が悪くなります。こういうことは前の時期にたくさん現れました。
弟子:悲壮な歴史の中で、なぜ多くの人は自分が演じたくない役を演じたのでしょうか?
師:これはとても簡単です。一人一人が皆芝居を演じているようであり、旧勢力は決してあなたの意思に従って何かを演じさせることはありません。それらは必ずその全てを按排し、台本があるかのようにやります。つまり、この芝居が歴史の異なる時期にどういう状態になるのか、人類にどういうものが備わるのか、今の歴史を歩み終えたらその後どうなるのか、法を得ることや法を得ることにどのような役割があるのかまでそれらは按排しました。ですから、多くのことは望み通りにいかなかったのです。
弟子:どうしてそれほど長い時間に「成住壊滅」を言ってから、「圓容不滅」を言ったのでしょうか?
師:あなたは人間の考えで考えていますね。あなたはどうして「それほど長い時間」を知っているのでしょうか? 宇宙の異なる次元に異なる時間があるため、異なる次元の時間に制限された生命に時間の長さをもたらしました。根本の宇宙の時間はどのくらい長いのでしょうか? 私がここで法を正すことは既にしばらく経ちましたが、実は一瞬にすぎないのです。この一瞬ですが、十数年、数十年も経ったところもあれば、ほぼ同時に進行しているところもあり、数千万年、数億年も過ぎ去ったところもあります。これは異なる空間の生命に限定した時間によってもたらされたことであり、人間の時間から物事を考えてはいけません。
弟子:私は二つの質問がありますが、師父にご教示をいただきたいと思います。修煉者の内に向けて探すことと常人の反省との間にはどういう違いがあるのでしょうか?
師:この質問は・・・。(皆笑って) 私が何を言おうとしているのか皆さんも分かっていますが、私はやはりそれを言います。これは入ったばかりの人が出した質問のようです。大法修煉のことですが、一人一人の弟子が常人の中で真相を伝えることは見た目は常人がやっていることとどこが違うのでしょうか? 皆さんは皆修煉者になったのですが、修煉者と常人とどういう違いがあるのでしょうか? 皆さんは食事をしており、常人も食事をしているのではありませんか? 本質が違い、根本的な目的、基点が違い、到達しようとしている人生の目標が違うので、根本において体の変化も違います。人類は追求の中で絶えず業力を貯めており、大法弟子が不断の修煉の中で業力を除去し、自分の体を絶えず神体に変化させつつあります。見た目では同じように見えますが、これは同じであり得るのでしょうか? (拍手)
弟子:師父は中国の時代の転生について触れた時、アメリカが清の時代であり(師:私はアメリカが清だと言っていないでしょう)(皆笑って) オーストラリアが夏の時代だとおっしゃいましたが、フランスは悠久の歴史を持つ国なのです。これは誤植なのかまたは他の内涵が含まれているのでしょうか?
師:(師父のため息、皆笑って) あなたも私を師父と呼んでいるから、答えてあげましょう。(皆笑って、拍手) 実は私はアメリカが清の時代だと言っていません。私はアメリカが明の時代だと言いました。(皆笑って) フランスは清の時代です。もちろん全体から言えばこれは概括的な言い方です。その民族の全ての人が皆その時代の人ということではありません。歴史上に単独で転生してきた人も少なくはなく、各地区に皆そういう人がいます。フランスは数百年の歴史をもつ国であり、今回の人類文明と芸術の保存状態が最も良い国です。本は誤植ではありません。
弟子:私は7月20日以降に法を得た弟子です。病業が現れた時、それが病業だと思って耐えていれば、旧勢力の按排を認めることになってしまうのでしょうか? 正念を発するべきなのでしょうか?
師:私は『轉法輪』の中で既に皆さんに話したことがありますが、業力を除去することは単なる業力を除去することではありません。修煉したとは言え、何の業をも返さず、全部消滅してしまえばよいというようなことではありません。これではいけません。皆さんが造った業力は皆歴史上、または常人社会の中で皆さんが良くないことをしたから生じたのです。造った借りを返さないことはいけないことです。ですから、皆さんは修煉の中で業を返す時に苦を嘗めることがあります。もし苦を嘗めずにその業力を取り除けばその時には何の感覚もなく、一陣のさわやかな風のようです。ご存知のように、当初講習班の時、皆さんの中に師父が開いた講習班に参加したことのある人がいますが、師父が手を振った時、講習班から出てきて病気がなくなった時、体中が軽いと感じ、浮き上がるように軽くなり、病気の感じがすっかりなくなりました。そうだったでしょう?(拍手) しかし、全てを師父に受け持ってもらってはいけないので、自分で修煉しなければならないのです。本当にその境地に達した時、あなたの業力は全部師父に取り除いてもらったのであって、自分で修煉して向上してきたのではないと神は思うのです。これで良いのでしょうか? いけません。業を滅する中で苦痛を伴ってくるので、向上することができます。つまりこういう関係です。
旧勢力の妨害ではないかということについて、自分で自分自身の最も表面の体を変えている時、自分で一部の業力に耐えなければなりません。しかし、相対的に言えばそれほど多くはありません。法を実証することに大きな影響はありません。大きな困難が現れた時、それはきっと邪悪からの妨害であり、必ず正念を発して根絶すべきです! 今日大法弟子が行なっているのは法を実証することであり、最も神聖で偉大なことです。もし大法の事を行なう時、衆生を救い済度するという肝心な時期に、何かが起きたらそれはきっと妨害なのです。自分で理性的にそれを判断すべきです。自分が苦しみ、辛くなったら、それがきっと妨害だということに執着しないでください。辛くなり、苦しんでいればそれを承知しなくなり、正念を発するということをしないでください。もちろん、正念を発することはしても良いことですが、あなたが出した功は構うべきことに構いますが、構うべきではないことに対して功は法に従って行なうのです。なぜならば、それはあなたの修煉の中で法の基準に従って修煉して出来上がった功だからです。(皆笑って) ですから私が思うには、他でもなく皆さんは理性的に行なうということです。
弟子:主元神と副元神の間にも因縁関係が存在しているのでしょうか?
師:因縁関係がある場合もあり、ない場合もあります。私が言っているのは常人のことであり、大法弟子のことではありません。世の人々の中に、ある人は歴史人物の誰それですが、他のところでもう一人の人がその歴史人物であると私はいつも気付いています。遠く離れているアメリカにもこの現象があります。なぜでしょうか? 人間に主元神と副元神また他の要素があり、更に人間の肉体の要素があるので、世の中に数人が同じ歴史人物であることはあります。この現象は多くあり得ます。
弟子:ハルピンの大法弟子は師尊にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)
弟子:環境がいくら厳しくても、邪悪がいくらはびこっていても、私たちは必ず師父に従って最後の道をしっかり歩みます。どうぞご安心ください。
師:ありがとうございます。(拍手) 私はこれを信じており、今本当に信じています。99年7月20日邪悪な迫害が始まったばかりの時、皆さんができるかどうかを見ているだけでした。(笑) 私が99年7月20日以前に言ったあのことをまだ覚えているでしょうか? つまり、私が一人でも済度することができれば、私がやっていることは無駄にならないという話です。(拍手) 皆さんに教えますが、その時私は本当に確信がなかったのです。将来本当に肝心なときがやってきた時、皆さんがそれを乗り越えられるかどうかに対して自信がなかったのです。もちろん、本当に一人の人が修煉して成就したら、私はその人を宇宙にし、これで全てが出来上がります。(拍手) もちろん、(笑) 今は一人だけではありません。皆さんがそれを目にし、私は今日本当に確信を持つようになりました。大法弟子の正念は誰にも破壊することのできないことです。できるかどうかは法を正す時期の大法弟子が成就するかどうかの問題であり、世の中の縁のある人が救われるかどうかの問題ですが、天体の中の法を正すことは必ず成功するのです。
弟子:北京の大法弟子を代表いたしまして師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)
弟子:もう一つの質問があります。ある人がスパイかどうか、転向したかどうかということを師父に聞いてもよろしいのでしょうか?
師:私はこのようにこのことを見ています。転向してもしなくても、それは人間のことであり、私が見ているのは生命の根本なのです。自分の道をしっかり歩むことができなければ自分の歴史に汚点をつけ、自分の未来に挽回できない損失をもたらしてしまいます。しかし、衆生を救い済度するために、師父は最大の慈悲の心を発しています。以前の説法の中で既に話しましたが、あなたがスパイであっても、他の仕事をする人であっても、私はあなたを人間として見ています。あなたはまず人間であり、ただ仕事が違うだけです。あなたの仕事の違いによってこの万古の機縁を見逃してしまわないでください。自分の生命に対して責任を持つべきです。あなたの仕事の違いによって私はあなたを済度しないということはありませんが、逆に言えば、あなたの仕事が特殊だから、法を破壊することをし、大法と大法弟子に申し訳ないことをしても、あなたを圓満成就させるわけにはいかず、あなたが未来に残ることができるようなこともありません。つまりこういう関係です。もちろん、機会はあります。今回の迫害はまだ終わっていませんが、時間は非常に厳しくなってきています。どのように行なうべきか、どのように補うべきか、それは皆さんのことです。時間を大切にしてください!
弟子:大法も人間も放棄できない人がいます。表面では修めており、法を正すこともしていますが、実はトラブルが起こるように他人をそそのかしたり、不仲の種をまいたり、ひいては自殺する人や同性愛の人もいます。このような人の結果はどうなるのでしょうか? 魔道に入るのでしょうか? このような人の味方をしている人はどうなるのでしょうか?
師:私は全部分かっています。やむを得ない時になるまで、私はこのような人を追い出したくないので、これらのことをずっと観察しており、見ています。このような人が自分に対して申し訳が立つようになりたければ、自分で早く目覚め、早く目覚めてきたほうが良いのです。もし決意があれば、自分がやったことを大法弟子に言ったほうが更に良くなるかもしれません。時間は人間を待っていません。私は本当に皆さんのために焦っています。師父の慈悲を冗談ごとにしないでください。法には基準があるのです。
弟子:どのようにより良く他の修煉者を助け、全体の向上に達することができるのでしょうか?
師:実はこれらの具体的なことはやはり皆さん自身で行なうべきです。威徳は皆さん自身で築き上げるものであり、修煉という道は皆さん自身で歩むことです。些細なことでもどのように行なうべきなのかを私が一つ一つあなたに教えるのであれば、あなたは威徳を樹立する機会を失います。法を正すという道、修煉という道に必ず魔難があり、様々なトラブルや、先ほどの学習者が言ったあのような人が現れてくるのです。大法弟子の中がそれほど純粋で清らかで、如何なる妨害もなければ、大法弟子がどのように良くない心を取り除くのか、大法がそれほど複雑な環境から歩んできており、それによって威徳を樹立したことをどのように証明するのか、と旧勢力は思っているからです。ですから、旧勢力はどうしてもやってしまい、一部の人及び出来事を按排しました。これは旧勢力がやっていることです。私はそれを一切認めていません。私はなぜこれらの人を追い出さないのでしょうか? 先ほど話しましたが、私は最大の慈悲の心を発しており、彼らが自ら変化することを待っており、彼らが自分で今回の機縁を逃さないように待っているからです。私はこのように考えています。(拍手)
弟子:どのようにして全体をより良く向上させ、昇華させることができるのでしょうか?
師:お互い協力し合えばやり遂げることができます。それぞれの境地が違います。皆さんに教えますが、学習者と学習者の間の差が既に開かれていると師父は目にしました。今まではっきりしていなかったのですが、今はすでに開かれており、最後になればなるほど、差が大きくなります。ですから、認識においてきっと食い違いが出てきます。肝心なのはどのように協力し合い、協調するかということです。
弟子:ラテンアメリカは法を正す中でどういう役割なのでしょうか? 私たちはラテンアメリカでどのようにして更に良く行なうことができるのでしょうか?
師:一部の地区の学習者は環境と滞在資格、ひいては経済的な影響を受けているので、法を正すことを行なう時に多くの困難がありました。これは師父に全部分かっています。どんなことがあっても、皆さんはそこにいる生命の希望です! 将来皆さんはそれが分かるようになります。(拍手) 現在大法弟子がいない民族、国にとって、大きな困難があります。少なくともこういうことになります。ですから、大法弟子がどのくらいいるかに関わらず、その民族にとって、それが希望なのです。
ある日、「浩大な佛恩」とは何でしょうかと私に聞いた学習者がいます。人間にどうしてそれを理解することができるのでしょうか? 佛が大いなる慈悲を持っており、人間の苦難を解決してくれるから、これが浩大な佛恩だと言っています。人間の認識はこれほど浅いものです。皆さん考えてみてください、あなたがどこにいても、どの民族の人であっても、どの地区、どの国の人であっても、見た目ではあなたが普通の常人であり、一人の生命なので、実はあなたと縁のある人がいるのです。これだけではありません。私は以前皆さんによく言った話ですが、粒子は一層一層の無限なミクロ的な粒子で上の次元の粒子を構成し、そしてこの次元の粒子で更に上の次元の粒子を構成するというように、絶えず大きい粒子を構成していくのです。各次元の粒子の中に限りなく多くの生命がいます。もし小さい粒子を拡大してみれば、地球、星のように無数の生命がいるのが見えます。皆さん考えてみてください、人体を構成している粒子はどのくらいあるのでしょうか? これはあなた自身の範囲にある粒子ですが、人間はこの環境の範囲に身を置いている生命でもあり、スポンジが水に浸っているかのようです。この世は水のようであり、ミクロ的な生命と物質が水の密度ほど多いのです。あなたがどこにいても、あなたの範囲内に相当厖大で巨大なミクロ的な生命があなたの体と対応しています。ですから、一人の人が修煉の中であなた自身の各次元の体が修煉によって成就するだけではなく、あなたの体にある各次元の粒子の細胞まであなたの形象をしています。しかし、皆さん考えたことがあるのでしょうか? その粒子細胞を拡大してみたら、そこにも無数の生命がいるのではありませんか? 人間の形象をしている生命がいるのではありませんか? このような細胞がどのくらいあるのでしょうか? 実はあなたの細胞はミクロ的な生命にとって星なのです。細胞だけがそういう情況ではありません。細胞はまたどのくらいのミクロ的な粒子で構成されているのでしょうか? あなたの形象をしている細胞またはミクロ的な粒子はその粒子にいる全ての生命の王であり、中の無数の生命はそれの管理下にあります。もしあなたの修煉が良くならなければ、あなた自身の細胞の修煉も良くなりません。あなたの修煉が良くなり、あなた自身の細胞の修煉も良くなれば、あなたの細胞が管轄している範囲内にいる生命の修煉も良くなります。皆さん考えてみてください、一人の生命が修煉して成就したら、それはどのくらいの生命が成就することになるのでしょうか?
神から見れば、生命が大きければ大事であり、小さければ大事ではないという概念ではありません。ご存知のように、相当ミクロ的になった小さな世界の中にも佛がいます。生命はその大きさに関わらず、皆同じであり、構造において何の区別もなく、ただその生命の構成粒子によってその体の大きさを決めました。生命は平等なのです。皆さん考えてみてください、一人の人が済度され修煉して成就したら、どのくらいの計り知れない生命が修煉して成就し、済度されることになるのでしょうか?! しかし、修煉して成就するという過程で、どのくらいの智慧、どのくらいの心を砕いて無数のミクロとマクロ的なところにいる生命群の一人一人の生命の問題を解決するのでしょうか? あなたを済度するのと同じように、同様に彼らの問題をも解決しなければなりません。浩大な佛恩とは何でしょうか? 皆さん考えてみてください、一人の人間を済度する時、彼を済度する佛はどのくらいの代価を払うのでしょうか? 限りなくミクロ的であなたの全てと対応している衆生のため、皆さんの修煉過程と同じように彼らを扱います。最初は体を調整して、法を得るようにし、それができるようにした上で、更に彼らの業力をも解決しなければなりません。なんと巨大で細かいことでしょう! 慈悲の心がなければこれができるのでしょうか? ですから、常人がどうして「浩大な佛恩」を理解することができるのでしょうか? 皆さん考えてみてください、一人の人間が修煉して成就したら、それは厖大で巨大な体系を成就させることになります。一人だけが修煉して成就したら、私はその人に宇宙を成就させ、その人の天体の大きさに関わらず、私は宇宙の中の全ての構造をその人の体の範囲に全部入るようにすると先ほど言いましたが、冗談のように聞こえるかもしれません。私はこのように話しましたが、皆さんは考えすぎないでください。師父にはこれができます。つまりこういう意味です。ですから、大法弟子がどこにいても、そのところの生命に限りない福を与え、彼らの将来の基礎つまり将来救われるという基礎を築くのです。こういうことです。(拍手)
弟子:法を正す時期の大法弟子が金と物を使う時にどのように正しく行なうかのことについてお話をいただけないでしょうか?
師:そうですね。法を正す時期にある特殊な情況の変化があります。皆さんの個人修煉の歴史に既に一本の線が引かれました。その時期は修煉でした。皆必ずこのように行なわなければなりません。しかし、今日の社会形式は今までの社会形式とは違います。皆さんも目にしましたが、現代科学によって多くの現代的な交通手段と宣伝媒体ができました。それでは、皆さん考えてみてください、特にこれらの宣伝媒体ですが、ある人がどこかで何かを話せば、全世界はすぐ同じ時間にそれを知り、それを聞き、見ることができます。この影響は相当大きいのです。旧勢力にとって、邪悪はこれらのものを利用して迫害し、嘘をついています。大法弟子が口で説明しているので、時により多くの人を救うことができないと感じています。もちろん、あなたたちは一人をもって十人、百人に当たることができますが、なんといっても全部の国家機器で作った虚言と邪悪を暴露しているので、やはり非常に難しいのです。ですから、皆さんが常人のこの宣伝媒体を利用して法を実証し、邪悪を暴露し、衆生を救い済度することは基本的に間違っていません。現代科学は既にこのような特殊な社会を構成したため、法を実証する中でこれらのことをする資金が必要なのです。それであっても、今日まで、この全てはもうすぐ終わりますが、私たちは如何なる国、政府、組織、会社から一円も受け取ったことがありません。私たちの全てのことは皆大法弟子が自分の給料と収入、自分の所得で行なっています。
旧勢力は抑制しています。このように行なったからこそ皆さんが素晴らしくなり、これほど困難な情況下で皆さんが法を実証することができ、素晴らしいのであって、威徳を樹立したことになると旧勢力は思っています。ですから、旧勢力は邪悪的に私が法を正すことを妨害し、大法弟子が法を実証することを妨害し、世の人々の大法に対する支持を左右しており、頑なに社会の資金の出所を遮っています。大法弟子は法を実証する中で経済的にずっととても困難であり、生活までとても困難な学習者さえいます。こういう情況下で、皆さんが法を実証しており、大法弟子として行なうべきことを行なっているので、もちろん素晴らしいのです。しかし、旧勢力の按排を私は認めないのです。これほど厳粛なことであり、宇宙全体で法を正しており、新宇宙の未来を造っているのです! 法は以前からあったのです。私はこの圓容なる大法を持ってきたのであって、各次元の衆生に法のために何かを作ってもらう必要はなく、各次元の衆生と常人に更に大法に何かを与えてもらう必要もありません。これは旧勢力が以前の歴史の中で形成した観念であり、形成したこれらの要素です。それらはこれらの壊、滅の時期の旧い法理を利用して法を正すことを妨害しており、働いているのは全部破壊作用なのです。
そうであっても、皆さんに教えますが、給料で生活している学習者から資金を集めてはいけません。原則的に学習者の中で資金を集めてはいけません。これは私が以前から言ってきたことです。大法弟子の中に商売をする学習者がおり、お金に少し余裕がある学習者がいるので、彼らが自らお金を出して何かをするのは良いのですが、程よく行なうべきです。私たちの普通の学習者は法を実証する中で自分の収入で行なっています。これは原則的に問題はなく、何かを言うこともありません。なぜならば、自分の収入で法を実証し、衆生を救い済度しているので、これが威徳です。大法弟子が一緒に特殊な情況下で何かを行なう場合、例えばマスコミの会社を作ったりすることなどですが、一緒にお金を出し合って行なうのは原則的に何の間違いもありません。なぜならば、これは大法が何かを行なっているのではなく、大法弟子が自分で社会で会社を作るのは社会での仕事であり、大法弟子が自ら集って行なっているのであって、大法そのものが行なっているのではありません。もちろん、大法弟子は真相をはっきり伝えるための便利な条件を作っています。しかし、そうであっても、皆さんに教えますが、勝手に普通の学習者から資金を集めてはいけません。これは既に固く定められました。経済的に少し余裕のある人、生活に何の影響も受けない学習者で、お金を少し出して大法のことをする場合、先ほど私が言った情況ではありません。なんと言ってもこれは少数の人だからです。私は会費とか、宗教のようにお金を集めることをするようにと皆さんに教えたことがありません。これはしてはいけません。
弟子:善を修めることですが、多くのことを良く行なうことができなかったのは、善を修めることが足りなかったからだと思うのですが。
師:この話はこのように言うべきです。世の人々に対して私たちはできるだけ救い済度し、善でなければなりません。善だけではなく、慈悲をもって衆生を救い済度すべきです。今回の迫害の中で、実は最も害されているのは世の人々です。これらの邪悪生命は今回の迫害を利用して未来の世の人々の命を絶とうとしています。ですから、私たちは慈悲をもって世の人々に対処しなければなりません。彼らに真相を伝え、救い済度すべきです。法がこの世を正すその瞬間に彼らが淘汰されないようにしなければなりません。
しかし、皆さんが正念を発する時、片付けたものの絶対多数は各空間の最も悪い生命であり、世の中の救われることも残すこともできない悪い警察をも含んでいます。ですから、これらのものに対して、特に他の空間の人類を破壊しているでたらめな生命に対して手を緩めてはならず、善をもって対処する必要もありません。しかし私たちが悪をもって対処する必要もなく、悪をもって悪人を治めることはなおさらいけません。世の人々と衆生を害し、大法を妨害するものなら、これ以上存在してはならないので、掌を立ててそれを根絶すべきです。もちろん、大法弟子として、皆さんは善を修めており、悪の一面を持っていませんが、消滅されるべきものを消滅しなければなりません。怒る必要もなく、邪悪生命に対して悪と恨みを発する必要もありません。私たちは依然として慈悲であり、正念を発することによって根絶するのは存在すべきではないものです。こういうことです。
弟子:私たちはカナダから来ました。私たちの訴訟問題は二年近くになりますが、進展が非常に遅いのです。私たちが良く行なうことができなかったからでしょうか?
師:非常に良く行ないました。私はいつも言っていますが、私たちは世間の得失を求めていません。そうではありませんか? 私は何かをする時にその過程を最も重視しています。なぜならば、この過程の中で人々に真相を認識してもらい、世の人々を救い済度し、真相を明かすことができるからです。最後にその人に対して刑罰を下し、牢獄に入れても、世の人々を救い済度し、邪悪を暴露する最も良い効果が得られたかどうかを見るべきです。同時に人々に邪悪の結末を見せ、それによって邪悪を鎮めるのです。もちろん、常人の中で相手が間違ったという判決が下されたら、世の人々にとって、私たちが正しいことを証明します。これはもちろん良いことです。この効果に達することができれば、更に良いのです。師父もこれに同意します。しかし、皆さんは往々にして結果を重視しており、この過程の中で伝えるべき真相を十分に伝えなければならないということを軽視してしまいました。人間に分かってほしいことを人間が全部分かっていれば、これは本当に法を実証し、真相を伝えることです。どこかに問題が現れたら、そこに行って真相を伝えるべきです。ただ単に訴訟を進めるために行なうのではなく、真相を伝えるためです。しかし、訴訟がどこかで留まったら、そこは必ず真相を伝えるべきところです。それによって訴訟が自然に進むかもしれません。もしこの過程で皆さんが全部認識するようになり、世の人々も救い済度され、ひいては利用されたことの結末と利用者の邪悪を認識し、過ちを認めるのであれば、訴訟をしなくても良いと思います。どうしてもその人に何かの懲罰を与えなければならないのではありません。当事者が間違ったと認め、補償し、世の人々も知っていれば、もう十分です。大法弟子が世の人々を救い済度することを主要な目的としているにもかかわらず、非常に邪悪なものに対して決して手を緩めてはいけません。私は慈悲をもって衆生を救い済度するという角度から、過程の中で行なうべき事をしっかり行なわなければならず、その結果がどうなるかは気にする必要はないと言っています。
弟子:弟子は長期的に病業の妨害を受けています。特に、坐禅と正念を発する時、意念が集中している時にひどくなります。時に呼吸困難や痛みなどが現れます。
師:師父の説法は誰それ個人に対して説いてはならず、私も完全にあなたの情況に対して言わないのです。確かに正しくない情況が現れた学習者がいます。皆さんに教えますが、多くの場合、二通りの原因があります。一つは新しい学習者だからです。新しい学習者の修煉の過程と法を実証する過程は一緒に溶け合っており、あなたに早く追い付いてもらうためなのです。ですから、個人の修煉は法を実証することと伴って一緒に進んでいます。もう一つは妨害されているからです。誰かが私を妨害したらそれを消滅し、誰も私を妨害してはならないといつもそう思ってはいけません。(皆笑って) しかし、なぜあなたが妨害されたのかと考えないのでしょうか? なぜ自分自身を見ないのでしょうか? なぜあなたを妨害することができるのでしょうか? 自分に何かの執着があり、放下できないことがあるのでしょうか? なぜ自分自身を見ないのでしょうか? 本当の原因が自分のところにあるから、邪悪に隙に乗じられたのです! あなたを守っている師父がいるのではありませんか? 常人が今日「法輪大法が良い」と言ったら、師父も彼を守るようになります。彼がこのことを言ったので、邪悪の中で私は彼を守らずにいられないのです。皆さん修煉者はなおさらです。わずか一部の学習者が本当に不治の病にかかりましたが、皆さん考えてみてください、法を学ぶ前、重病にかかっていた人や不治の病にかかっていた多くの人は大法を学んでから良くなったのですが、どうしてかえって死にそうになっている学習者がいるのでしょうか? 大法は衆生に対しての待遇に違いがあるのでしょうか? 師父である私は学習者に対して異なっているのでしょうか? 私は本当に皆さんに聞いてみたいと思いますが、あなたは真に修煉しているのでしょうか? あなたは本当に大法の要求にしたがって行なっているのでしょうか?! 真相を伝える中で法輪功を迫害する人に対して不満があるという常人の心から行なっているのでしょうか、それとも本当に大法弟子の角度から法を実証し、衆生を救い済度しているのでしょうか? 旧勢力は確かに按排して一部の人を入れましたが、なぜ多くの人が乗り越えてきたのに、あなたはできなかったのでしょうか? 私の法はあなたに説くものではないでしょうか?!
問題が現れた時、おかしいと思った時、必ず自分を見なければなりません! 自分のどこが間違って邪悪に隙に乗じられたのかを見るべきです。間違ったら、それを認識し、しっかり行なうようにするべきです。忘れてはいけないのは、法を正す時期の大法弟子よ、皆さんは法を実証するために来たのです! 修煉は苦しいのですが、法を実証する中で邪悪は更に邪悪になっているので、乗り越えられる人はきっと衆生の王になります。
弟子:正念を発する時に一回目の五分間の時、師父が教えてくださった口訣でそれを根絶してもよいのでしょうか?
師:正念を発する時にいつも口訣を念じているのではありません。一回念じればよいのです。それで作用が働くようになります。特殊な情況の場合、静かになることができず、もう一度正念を調整するのはしてもよいのです。しかし、それも一時的なことです。本当に静かになることができる時、その一念で十分天地を驚かし、できないことは一つもありません。すぐにあなたが覆っている範囲内の全てを定め、抑制してしまうかのようになります。あなたは一つの山のように、すぐにそれらを抑制することができます。考えがいつも落ち着いていなければ、それはいけません。落ち着いていなければこれをやり遂げることができません。
弟子:「法正」「如来」などの経文を適当な放光明の番組に入れて、常人に見せてもよいでしょうか?
師:私は大丈夫だと思います。私の本も本屋で販売されているので、大丈夫だと思います。これらの具体的なことをどのように行なうべきか、どういう分量でやるのかは、皆さん自身で判断することなので、師父は問題ないと言うしかありません。師父の一言で自分の意見と違った学習者を強要しないでください。師父がそう言ったから、そうしなければならないなどのやり方ではいけません。マスコミのことなので、どのように良く行なうべきかは一緒に協調し合い、調整すれば良いのです。
弟子:私は真相資料を配った時、北京からの観光客の一人が先生に会ったらよろしくお伝えくださいと言いました。私は長春農安の大法弟子を代表して師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手) 真相を分かった人がますます多くなったので、こういう出来事がありました。当時私が北京にいた時、ほとんどの北京の人が私のことを知っており、修煉しているかどうかに関わらず、皆李大師という人がいると知っていました。(笑い) 迫害は非常に深刻ですが、皆心の中で分かっています。学習者が真相を伝える中で大法を知らない人も真相を知るようになりました。国内外の学習者が皆このように行ない、更に人々が今回の迫害の邪悪さを認識するようになり、世の人々は大法に対して敬服し、大法弟子に対して尊敬するようになり、これは必然的なことです。
弟子:一部の学習者は法を正すことに全力を注いでおり、食事も睡眠も取る時間がなく、煉功もめったにやっていません。それによって、一部のそれほど忙しくない学習者も煉功しなくなりました。彼らから見れば、煉功はそれほど重要なことではないようです。
師:在席の皆さん、聞いていますか? 聞こえましたか? 大法弟子が行なわなければならない三つのことを必ずしっかり行なわなければなりません。煉功しなければなりません。圓満成就していない限り、煉功しなければならず、法を勉強しなければなりません。大法弟子が行なうべき三つのことを行なわなければなりません。これは必ずしなければならないことです。
弟子:師父の詩と詞を印刷して出版し、子どもに読ませても良いのでしょうか? 学習者が書いた絵と動作を挿絵にしてよいのでしょうか?
師:子どもに読ませるのは問題ありません。その学習者の専門が美術であれば、問題はないはずです。もし常人が書いた絵なら、大法弟子はそれを審査しなければなりません。そうですね、在席の皆さん、私は皆さんの一人一人を大法弟子と呼んでいますが、あなた自身の行ないは本当に大法弟子らしくありません。審査するのはやはり難しいのです。(皆笑って) これらのことはやはり現地の佛学会に審査してもらいましょう。
弟子:真相を伝える時、自分に智慧が足りないといつも感じていますが、私の修煉状態が良くないからなのでしょうか?
師:智慧が足りない時は多くの場合、あなたが焦っている時です。何かのことを焦ってやろうとする時、またはそのことを重く見すぎている時、もう一種の執着が現れ、それによって智慧が足りないという情況が現れました。実は多くのことをする時、落ち着いて穏やかに説明し、理性的に対処していれば、智慧が泉のように湧いてくると感じられるのです。しかも、言っていることは全て的を得ており、真理なのです。執着し、焦っており、何かの強烈な心を持っていれば、智慧がなくなります。この時はまた人間になったからです。そうではありませんか? できるだけ正念をもって、修煉者の状態で行なえば、効果は非常に良くなります。
実は、皆さんが他の事を行なう時も同様で、正念の中で考えに限られるところはなく、考えは非常に広く開かれ、智慧に何の制限もありません。
弟子:師父は今年が非常ににぎやかな一年になるとおっしゃいましたが、私たちのマスコミも更に力を入れて、真相を伝えることに協力すべきなのでしょうか?
師:そうです。今回の迫害は虚言を基礎としています。現在の中国の疫病を彼らは虚言で隠そうとしていますが、世の人々もそれを認識するようになりました。それでは皆さんは法輪功を迫害する時も同じようにやったと虚言を暴露すればよいのです。
弟子:今年二月の香港法会の時、台湾の七十名余りの学習者は香港政府に送還されました。台湾と香港の学習者は法律の手段で香港政府の違法行為を訴えました。師父にお聞きしたいのですが、弟子たちはこのことにおいてどのようにすれば更に良く行なうことができるのでしょうか?
師:実はこのこと自体は既に世界で大きな影響を起こしました。非常に良く行なったと言えます。具体的にどのように行なうべきかのことですが、法廷に訴えた以上、真剣に行なうべきです。問題の現れたところは、真相を伝える必要のあるところです。最後の結果がどうなるかに関わらず、このことを通じて、皆さんはより多くの人と接触する機会を持つようになり、広い範囲で真相を伝えることができます。普段機会がなく、通りかかった人を捕まえて真相を伝えることは恥ずかしく思っているでしょう。そうでしょう。今やることが現れたから、どうぞ真相を伝えてください。
中国領事館やスパイが何かのことを起こすのを恐れないでください。彼らが何かをすれば、皆さんはそれを機会により多くの人に真相を知ってもらえればよいのです。(熱烈な拍手) 実は大法弟子として、皆さんは彼らが何かのことを起こしてほしくてたまりません。(皆笑って) 彼が何かをすると、皆さんはちょうど真相を伝え、邪悪を暴露する機会を手に入れるのです。そうではありませんか? 邪悪が来たら、それを捕まえて、世の人々に知らせます。まさにそれらを暴露する時です。
弟子:ヨーロッパ政府とマスコミに対して真相を伝えることをどのように改善すべきなのでしょうか?
師:ヨーロッパは現在今回の迫害に対して既に非常にはっきりと認識しましたが、ただある原因があります。どういう原因なのでしょうか? この中国政府は「六・四天安門事件」の後、西側諸国とある協議を結びました。つまり、中国の人権を批判しても良いのですが、公の場で言わないで、水面下で話しましょうということです。中国は多くの国とこのような協議を結びました。法輪功の問題に対してヨーロッパの多くの国が話しましたが、世の人々はそれを知らないのです。国際社会の圧力がなければ、邪悪政権は何も気にしないのです。法輪功に対する迫害が世の人々の世論の圧力を受けていないため、更に憚ることなくやっています。ですから、世の人々は迫害の邪悪さを知らないのです。一部の国と政府は報道しないようにとマスコミにわざわざ伝えています。しかし、水面下の話し合いは徹底的に失敗しており、何の役にも立たず、邪悪政権に馬鹿にされ、それらの罠にかかってしまいました。これは歴史上最も邪悪なならず者の集団であり、決して信用してはいけません。世の人々は目覚めてはっきりとこれを認識すべきであり、どういうことなのかを知るようになるべきであると私は思います。神は決して人類の行ないを無視することはありません。
弟子:この時期において、どのように正見ネットをより良くすることができるのでしょうか?
師:(笑) 具体的にどのように行なうべきかは実は皆さん自身のことです。行なっている事に正しく対処することができれば、智慧は充分に発揮されます。正見ネットに参加している学習者も自分の道を歩んでいます。具体的なことに私は関わっていません。私が直接何かを話さないのは、皆さんに法を実証する中で自分の威徳を樹立する機会を残しているためです。私が何でもすぐ言ってしまえば、皆さんも機会を失います。難しければ難しいほど、樹立した威徳が大きくなります。もちろん、皆さんがどうしても解決できない問題、どうしても良く行なうことができない時、私は何かを話しますが、現在はまだそういう情況ではありません。成果は疑いのないものです。ますます良くなっています。
弟子:米国国務院の中国のあの邪悪な首魁に対する立場に対して、私たちはどれほどの力を入れるべきなのでしょうか?
師:これらのことも大法弟子が法を実証するときのことです。一部のことをどのように行なうかなど特殊な場合に、私は皆さんに教えるのです。実は米国の法廷でそれを訴えることですが、米国は今国際社会で孤立しておらず、ヨーロッパでも訴えているのではありませんか? そのほか、フランスも「610」の首魁を訴えたのではありませんか? 更に、その者は今国家元首ではなくなり、その免責もなくなりました。米国と中国の関係はその者との関係ではないと学習者は言っていますが、非常に適切であり、この言い方は非常に良いと思います。
弟子:香港に一連の問題がやってきました。23条の問題や疫病などがあります。学習者の間に問題がありますが、どのようにすれば、私たちの大法弟子としての歴史的使命をより良く果たすことができるでしょうか?
師:(笑) 具体的なことをどうしても私に言いたいのであれば、時間を作って私に具体的に話してみてください。ここで言わないことにしましょう。
弟子:秦皇島、山海関、丹東、南昌、大連の大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)
弟子:オーストラリアの大法弟子に対してもう少しお言葉をいただけないでしょうか?
師:去年オーストラリアの学習者に話してから、オーストラリアの変化がとても大きいと言えます。しかし、私から見ればまだ足りないと思います。今まではこういう順番だったのですが、つまりアメリカが非常に良く行なっており、その次はカナダ、そしてオーストラリア、それからヨーロッパでした。今はヨーロッパは幾つかの方面においてオーストラリアを越えていると思います。しかし、師父は皆さんを咎めているのではありません。お言葉をいただきたいとあなたが言ったから、(皆笑って) 私は皆さんが更に良く行なうべきだと思っています。本当にそうです。まだ時々問題が現れてきています。困難に遭ったら、避けて通ってはならず、どこかに問題があれば、皆さんはそれを解決し、真相を伝える必要があります。これを必ず覚えておいてください! どこかに一旦問題が現れたら、つまり皆さんが真相を伝える必要のあるところです。その現れがいくら邪悪であっても、それを避けないでください。
弟子:異なる地区の学習者の、法の異なる次元に対する理解に相当大きな差が存在しているようです。
師:そうかもしれません。環境が違い、学習者の人数も違うので、学習者のお互いの交流や法の勉強に対してある程度の影響があるかもしれません。このように言うしかありません。しかし、私が思うには、真面目に本を読み、法を勉強すれば、あなたに分からないことを師父の法身は全部教え、あなたに分からせるのです。ただ一つ、つまり皆さんが法を勉強する時に何らかの心を抱いて学んではならず、必ず心を静めて真に法を勉強しなければなりません。何かの目的を抱いて勉強してはいけません。法を勉強する時に、心ここにあらずとなってはならず、他の事を考えたりしてはいけません。そうであれば、何も得ることができません。法を勉強する時は他でもなく、法を勉強するのです。如何なる妨害も法の勉強に影響してはいけません。
弟子:大陸で刑罰を科せられたり、強制労働をさせられたりしている学習者は、邪悪に法の勉強も煉功も許されていません。つまり彼らに修煉の条件がないということです。彼らはどのように圓満成就するのでしょうか?
師:私もいつもこういう学習者のことを知っています。つまり煉功させてくれないのなら、どうしても煉功するし、法の勉強をさせてくれないのなら、どうしても勉強し、何があっても邪悪の言うことに従いません。生死をもって私たちを脅かしているだけではありませんか? もちろん、師父がここでこういうことを話すのは、皆さん修煉者に対して言っているのです。しかし、師父はあまり話したくはありません。常人はそれを聞いたら理解できないからです。私があなたに教えたいのは、本当に生死を放下することができる時になると、あなたには何でもできるということです!(拍手)
神の目から見れば、あなたの片手は人間のことを掴んで放さず、もう片方の手は佛を掴んで放していませんが、一体どちらが欲しいのですか?! 旧勢力の按排もこれと同じです。本当に放下できるときになると、情況はやはり変わってきます。ひどく迫害されている地区、ひどく破壊されている地区の学習者はこれが一体どういうことなのかを本当に考えてみるべきです。迫害がこれほど長引いたので、今まで良く現れた学習者もだめになったと言う学習者がいますが、私はそうではないと思います。真の金はますます現れてきます。そうではありませんか? あなたがもし本当に生死を放下し、何の執着もなくなれば、ますますだめになることはあるのでしょうか? あなたを転向させることはまだあるのでしょうか? あなたにこうしなさい、ああしなさいと言うことはまだあるのでしょうか? 労働教養所にいる数百人、数千人も皆これができれば、労働教養所はあなたを拘束し続ける勇気があるのでしょうか?! このように言っても、あの環境の中にいなければ、言うのはとても簡単そうに見えるので、師父はここで説法をする時、国内のことについて話したくはありません。国内は本当に非常に大変です。しかしいくら大変であっても、自分の未来が何であるかを考えたのでしょうか? 将来の果位が偉大な威徳を基礎にする必要があるということを考えたのでしょうか? あなたが得ようとしているのは法を実証したことのある神、佛の正果であると考えたのでしょうか? 本当にこれをきっかけに人間のことを全部放下したのでしょうか?! 本当に金剛不動になり、執着も漏れるところもないのでしょうか?! 本当にこのようになったら、再び環境がどうなるかを見てみれば良いのです。
明慧ネットにこういう文章が掲載されたことがあります。ある学習者はどこに行っても大法の真相を伝え、「大法が良い」と言っており、どこに連れて行かれても、凶悪な警察が何を行なっても聞かないのです。いくらひどく罵られても殴られても、このようにしていました。労働教養所は恐れてしまい、この人は要らないとすぐに派出所に返しました。彼女を転向させるどころか、かえって彼女が多くの人々に影響してしまい、ボーナスももらえなくなるとそれらは思います。(皆笑って) 仕方がないので、派出所も彼女を拘束するところがないので、家に帰らせました。
表面から見ると人間の表れのように見えますが、実は違います。修煉がそこまでできたからです。本当にその境地に達したからです。捕まえられたら、帰ることを考えたこともありません。ここに来たからには私は法を実証します、という情況です。それで邪悪も怖くなります。しかも、現在の邪悪の数は相当少なくなりました。消滅すればするほど、それらは少なくなります。
弟子:7月20日以降に法を得た弟子がどのように全体の向上と自身の修煉に対処すべきなのでしょうか?
師:修煉は『轉法輪』の中の要求にしたがって修煉すれば良いのです。これは問題のないことです。普通に修煉すればよいのですが、ぶつかった魔難は現在の法を実証することと一緒になることはあります。大法弟子が皆法を実証しているので、法を実証する中で業を滅することと魔難が現れることはあります。つまり7月20日以降法を得た弟子はできるだけ良く行なわなければなりません。実はあなたは他の人より代価を多く払っていません。7月20日以前に法を得た弟子たちは既に代価を払い、その過程を歩み終えたのです。修煉だから、困難に圧倒されないでください。どんなことがあっても、いくら難しくても、師父があなたに与えた道をあなたはきっと歩んでくることができます。(拍手) 心性さえ向上すれば、乗り越えることができます。
弟子:中国領事館前で煉功する時、自分の神の一面が自然に邪悪を消滅していると言っている学習者がいますが、この認識は正しいのでしょうか?
師:原則的にこれは正しいのです。こういう情況です。問題はありません。大法弟子がそこに座れば、修煉して良くできた神の一面もそこに座ったことになるのではありませんか? これは問題ありません。しかし、どんなことでも、このことだけに執着して、満足してはいけません。(笑)
弟子:慈悲をもって衆生に対処することと大法の尊厳を守ることのバランスを取るのは非常に難しいと思っています。ご教示願います。
師:大法の尊厳を守りたいという考えは正しいのですが、どのように守るのでしょうか? 相手の口を塞いでしまうのでしょうか? 相手と議論するのでしょうか? 皆さんに教えますが、他でもなく慈悲をもって衆生に対処し、人々に真相を伝え、大法の尊厳を守ることです。これであなたは大法の尊厳を守ることができるようになります。(熱烈な拍手)
大法の尊厳は常人の手段で守るものではなく、私たち大法弟子一人一人の本当の慈悲と善の表れによってもたらされることであり、作られるものではありません。人間の行為、人間の手段で作られることではありません。それは慈悲から来ており、衆生を救い済度することと修煉の中から現れてくることです。皆さん全体の修煉が良くできていれば、世の人々は大法が良いと言い、大法を尊敬するようになります。以前責任者に言ったことがありますが、大法の責任者は常人の方法で管理するのではなく、あなたの大法に対する心と修煉に対する責任によるものです。自分の修煉が良くできているから得たもので、他の人もあなたを敬服し尊敬します。間違っていても認めず、自分が間違っていないと他の人に知ってもらいたいために間違っていないように振る舞っていれば、誰もがあなたを軽視します。あなたのやり方が常人の手段だからです。大法も世の人々の前でこのようです。良くないと言われたら、常人の方法で相手と議論したり、相手の口を封じたりなどのようなことをすると、トラブルを激化させてしまいます。私たちは自分自身の表れを良くし、慈悲をもって全てに対処していれば、相手と言い争い、議論する必要はありません。誰にも分かっている一面があり、人間の表面も感動を受けるのです。それによって相手は自然にあなたが良いと言ってくれます。しかし、学習者の気持ちを理解することができます。誰かが大法を破壊したら、とても辛くなるので、大法を破壊した人がいればその人に説明すれば良いのです。済度できない人もいるので、済度できない人にこれ以上関わる必要はありません。誰それに強情に対処する必要もなく、相手の口を封じる必要もありません。本当に済度できない人に対して方法があります。中国で現れている疫病はつまりこのような人を処理しています。済度されなければ、淘汰されるしかありません。私がこれを行なっているのではなく、旧勢力が人間を淘汰しています。もちろん、正神も悪人を淘汰しています。これほど由々しき一大事はもちろん私が許可していなければ、旧勢力もそうする勇気はありません。
弟子:現在真相を伝える時、私たちは常人の中で起きていること、例えば疫病のことを真相を伝える時の内容として、大量に中国人に説明し注意を与えています。
師:注意を与えるのは良いのですが、マスコミの中で公にこのように言ったら、常人には理解できません。皆さんが真相を伝える時にそれを話し、人々に注意を与えても良いのです。これは問題ありません。多くの人々はこの科学で作られた社会において神を信じていないのです。特に現在の医学も現代科学の一部になったので、これらのことを話したら相手が理解できないかもしれません。邪悪はこれをチャンスにし誹謗中傷するかもしれません。ですから、皆さんは公に話す必要はありません。真相を伝える時に相手にこれを示し明かせばよいのです。
弟子:私たちが今未来の修煉者の中堅を選んでいると師父は以前話されたことがあります。周りの大法を支持している友達が特に大法のために良いことをする時に困難を感じています。これは私たちの執着から来たのでしょうか? 何かがあったらきっとあなたに問題があるからと他の修煉者が言っているので、とても不安になりました。それともこれは旧勢力による迫害なのでしょうか?
師:とても確固とした決意がなければ、今大法に入ることはとても難しいことです。例えば功法を習った人に、すぐ大法弟子になってもらい、彼らを導いて法を実証することをしてもらうと、旧勢力は妨害するのです。しかも、旧勢力は非常に強い口実を持っています。つまり、時間がもう間に合わないから、しかも本人が表わした心もそれほど強くないということです。つまり、大法弟子になりたいという心がそれほど強くないので、入ってくるのが難しいのです。大法弟子のように大法のことをしてもらおうとすると、旧勢力は妨害するのです。こういう情況です。しかし、全部が全部そうではありませんが、こういう現象があります。また、大法を支持し、心から大法のために何かをしようとする常人がいますが、こういう人たちは妨害を受けません。つまり、大法弟子と未来の修煉者との間に境界線があるのです。
弟子:『北米巡回説法』の中で、最後の生命まで不純になったとおっしゃいましたが、それは何を指しているのでしょうか?
師:そうです。最後の生命まで不純になりました。そうです。しかし、この宇宙が実にとてつもなく厖大なので、人間の言葉でそれを言い表すことができません。私が言った最後のその生命もただの形容に過ぎず、私がもし本当に人間の言葉で最後の生命を言ったら直接その生命を罵ることになります。ご存知のように、「最後」という言葉はある次元になったら、変わってしまい、その意味合いが変わってしまいます。「1+1=2」は天上では真理なのかと私に聞いた学習者がいます。天上は人間の思考のロジックではありません。最後になると意味合いが変わってしまい、そのようなことではなくなります。宇宙はどれほど大きいのでしょうか? 天体はどれほど大きいのでしょうか? 最終的な穹体はどれほど大きいのでしょうか? 全てが腐敗堕落したら、きっとその生命に原因があります。先ほど私はここまで話しても、私の考えはその生命に及びましたが、人間の言葉はまだ彼に言及していないようです。ですから、彼は全く動ぜず、分かっていても分からないふりをしています。彼は私たちが全然彼のことに言及していないと考えています。人類の言葉の概念に限りがあるからです。
例えば、道は無を唱えています。道家の理論で言うと、無極から太極が生じ、太極から両儀が生じ、両儀から四象が生じ、四象から八卦が生じました。無極に達した時、それは最高になり、混沌状態になり、混沌の中に何もなくなります。しかし、更に次元の高い認識を持っている道は混沌さえなくなり、空になり、それが最高であり、何もなくなると言っています。皆さん考えてみてください、この話は既に最後まで話し尽くしているでしょう。しかし、まだ尽きていません。なぜこのように言うのでしょうか? 何でもなくなれば、どうしてそれを言い表すことができるのでしょうか? それが即ち「何でもなくなる」と言い、「空」と言い、「無」と言います。(皆笑って) そういう意味ではありませんか? ですから、何でもなくなった時、更にミクロ、無限なミクロを追って調べていけば、また生命が現れてきます。その生命の存在形式と下の天体の物質の要素の存在との差異が相当大きいのであって、その理も異なり、お互いの間は全く違うかのようですが、生命がまた現れてきました。そうであっても、ある程度になるとまたなくなり、更にある程度まで追って行けば、また現れ、更にミクロ的になります。ですから、人間の言葉でそれを説明し認識しようとしても、認識することができません。ある程度更に大きい範囲まで至ったら、現れてきた差異がますます激しくなり、更に別のことになってしまったので、それはどういう状態なのでしょうか? 本当に人間の言葉で言い表せない状態です。最後の生命まで不純になったというのはつまり全てがだめになったということです。ですから、法を正さなければなりません。
弟子:迫害をやめさせるための音楽会で常人の音楽家に参加してもらうことを考えていますが、こういうことに対して師父はどういうお考えなのでしょうか?
師:何の考えもありません。常人が法輪大法が良いと言いたければ、言わせないわけにはいかないので、問題はありません。しかし、ここで常人のものを表わすということにおいて、皆さんはこれに気をつけるべきです。大法弟子が主催する音楽会と一緒に出演できるかどうかについて、古典音楽なら問題はありませんが、近代音楽はちょっと難しいかもしれません。
弟子:常人に捨てられた大法の資料をどのように扱うかについてお話をいただきたいと思います。大法資料にあるのは全部神聖な文字、語句と符号だからです。
師:実は、皆さんが何をしていても、皆衆生を救い済度しているのです。真相資料を配ることも含めています。資料を配ったら捨てられる可能性があると考えるべきです。このことについて、大法弟子として資料を大事にしていますが、常人に対して怒りを覚えるようなことをしないでください。やはり慈悲をもって対処すべきです。その人が資料を捨てたら、機縁とすれ違ったとしか言えません。しかし、その人が本当にだめになり、救えなくなった時、神はそれをその人の罪とするのです。「私は衆生が歴史上犯した全ての過ちにこだわらず、法を正す中でその生命の大法に対する態度だけを見ている」と私は話したことがあります。各次元の衆生に対して皆このように対処しています。しかし、その生命が本当に大法弟子を迫害し、大法に対して良くないことをした時になると、地獄でそれらの以前の罪と現在の罪が一緒に清算されます。救い済度されない生命は以前作った罪を償わなければならないので、それらにとって以前の罪と現在の罪は一緒に清算されます。大法弟子が修めているのは「真善忍」なので、衆生に慈悲を持たなければなりません。資料を読んでくれれば慈悲にしてあげますが、読んでくれなければ慈悲でなくなるのはいけません。それはいけません。(笑い) 人を救うことだから、根気が要ります。それこそ、大法弟子の慈悲なのです。
弟子:旧勢力を超えている最後のあの生命の宇宙の要素は法を正す中でどういう状態なのでしょうか? 彼らは宇宙で法が正される前、自分で自分を救うことに思いつかなかったのでしょうか? それとも他に何かの原因があるのでしょうか?
師:旧勢力の最後の要素は法を正すこと自体に対して邪悪的であり、利己的で、法を正すことに設けた宇宙の巨大な難なのです。中間過程にいる旧勢力の神々はそれぞれ、異なる次元が手に入れたい具体的な按排を持っているため、各次元で法を正すことの成功を按排しました。しかし、法の威徳から言えば、旧勢力は上の次元をもって下の次元を消滅しています。なぜならば、法を正すことに参与した生命を消滅しなければならないと旧勢力に分かっているからです。なんと言ってもこれが宇宙大法であり、どの次元の衆生も法を正すことを左右する資格はありません。そのため、私は最後の旧勢力が邪悪であると言いました。なぜならば、法を正すことが最後を通りすぎる時になると、旧勢力自体が法を正すことのために設けた巨大な難であるに過ぎず、他の何ものでもありません。
旧勢力は宇宙で法が正される前、彼らなりの計画を持っていました。つまり自分のため己のためのことです。一部のことを話し出すと、非常に大きなことになってしまい、多くの時間を使ってしまいます。皆さんが出した全ての質問を細かく説明してあげると、何日もかかってしまいます。なぜならば、各問題に関わる過程において高い次元に進んでいけばいくほど、私が説いた法と下の次元の理がますます高く昇華していくので、各問題が関わった中間過程を説明しないと皆さんは理解できなくなるかもしれません。それは圓容していますが、ご存知のように、法輪に小さい法輪も大きい法輪も、更に大きい法輪もあり、法輪は宇宙と同じように圓容していますが、更に大きな天体にまだ法輪があり、更に更に大きい天体、更に更に更に大きい天体にも法輪があります。天体の大きさは即ち法輪の大きさであり、上層の天体まで至ると、そこに更に大きな理があります。しかし、大穹の理が全体的に繋がっており、圓容しているので、天体の中の法理も次元の変化にしたがって大きく変化しています。
弟子:台湾で中国のあの邪悪の首魁を告訴しても良いのでしょうか?(皆笑って)
師:あなたを迫害したら、それを告訴することができます。何もできないことはありません。(拍手) 裁判所が受理すれば、告訴してよいのです。
弟子:私は繰り返し『轉法輪』を通読していますが、中から法を正す部分に関する内涵を読み取ることができません。これは悟性があまりに悪いからなのでしょうか?
師:『轉法輪』の中に今日私が皆さんに教えた法を正すことがあることを文字から読み取ろうとしたら、あなたは永遠にそれを読み取ることができません。修煉している大法弟子として、法を正す時期の大法弟子として、あなたが何をすべきなのかは、『轉法輪』からそれを認識することができ、法理から知るようになります。ここまで認識することができるだけではなく、具体的にどのように行なうべきか、どのように良く行なうかまで分かるようになり、引き続き本を読めば、これから行なうべきことをも読み取ることができ、あなたに認識させることができます。これだけにとどまらず、最後のことまであなたに認識させることができます。あなたがいくら高く修煉したとしても、全てはこの中にあります。一人の大法弟子としてどのように行なうべきかは全てこの中にあります。表面の文字からそれを分かろうとしたら、永遠に探し当てることができません。
弟子:師父が今日説いたのは、「永遠に人身を得て、佛祖になる」ということなのでしょうか? 弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。私が説いた法に定義を下さないでください。私がどの次元の法を説いたのかあなたに教えていません。私が説法している時、各次元にある私の体、無限に至る私の体が皆説法しているので、私はどの次元の法を説いているのでしょうか? 皆さんがどの次元で私の法を理解したとしても、それはあなたがいるその次元での理解であり、そこに局限してしまうことはありません。私が先ほど言った人体の対応のことにしても、それは佛祖になるということではありません。それは宇宙全体の体系、天体の体系、大穹体系の圓容の問題です。しかも、神が生命形式によって局限されているという以前の旧宇宙の問題をも変えました。それは相当大きな問題です。ですから、皆さんは何かが見えたら、「つまり、こういうことだ」と思わないでください。何かを悟ったら、「つまり、こういうことだ」と思わないでください。そうではありません。それは皆さんが現在の基礎から認識したことです。
弟子:他の修煉者に外に出て各種の交流に参加することを勧めていますが、その中の一部の人は、いつも外に出ていると、法を勉強する時間がなくなり、真相を伝えることは家でもできるし、しかももっと多く、もっと良く行なうことができると思っているようです。
師:もし大法弟子が本当に今日の大法弟子に対して要求している状態に達することができれば、そのようにしてもよいのですが、もしそれに達することができなければ、それは口実です。もちろん、皆さんが開いているこの交流会は実はとても必要なのです。しかし、頻繁に開かないほうがいいと思います。学習者があちらこちらへ飛び回ると、法を実証するほかのことに影響してしまうからです。しかし、交流会はやはり開く必要があります。ただ頻繁に開かないでください。また、一緒に集まって法を実証することも行なわなければなりません。お互いに協力し協調すべきです。家でも良く行なうことができると言っていますが、皆さんの協力と努力が必要なこともあるので、あなたはそれをやらなかったのです。
弟子:弟子は時々これから起きることが見えています。この世の災難も見えています。それを書いて世の人々を驚かせてもよいのでしょうか? それとも旧宇宙の按排を見たのでしょうか?
師:衆生を救い済度するために戦略的に智慧を持ってやってもよいのです。世の人々を驚かさないでください。衆生を救い済度すべきです。学習者に見えたのは二通りの情況があります。一つは私が先ほど皆さんに体、つまり自分自身の体の体系範囲というあなたの体について話しました。特に大法弟子の修煉して良くできたその部分は、その体が更に大きくなり、含まれ覆われている宇宙の生命、その体と対応している宇宙の生命は更に多くいます。その中で起きていることは実は、宇宙の中で起きていることの一部でもあります。多くの学習者に見えたのは自分の体の中で起きたことですが、それも宇宙の中で起きたことです。私たち大法弟子の一人一人の修煉が皆良くできていれば、皆それぞれ一つの天体と対応しているので、全宇宙を含んでしまいます。ですから、皆さんが正念を発することはなぜこれほど重要なのかということです。もしこのような情況であれば、実はあなたに見えたのはあなたの修煉中の状態であり、あなた自身の修煉の中に現れてきたことなのです。それだけに過ぎません。もちろん、異なる形式でそれと対応してあなたのところに現れてあなたに見させるので、時々自分の体の中のことなのか、外のことなのか区別がつかない時もあります。
もちろん、三界内で全体においてこれからどういうことが起きるかが見えた学習者もいますが、最近はそういう情況が少ないのです。なぜならば、この歴史は全部新たに按排されたからです。多くの予言も含め、それが後期段階で合っているかどうかに関わらず、邪悪を震え上がらせ、世の人々にヒントを与える作用があり、世の人々を警告し目覚めさせることができます。ですから、幾らかの正しい作用を果たすことができます。大法弟子は如何なる予言にも従って行なってはいけません。あなたは大法に従って行なうべきです! 大法弟子が行なうべきことに従って行なうべきです! 他のものに従って行なってもいけません。真相を伝える中で、多くの予言ですが、実はそれは皆さんが常人に見せるためのものではありませんか? 常人に歴史の教訓を汲み取ってもらうためです。古代の人もこれらのことを言い当てたということです。つまり世の人々を戒めるためです。それは大法弟子自身の修煉のために参考にして読むものではありません! 大法弟子がもし今日のこの迫害に遭わなければ、私はあなたたちにそれらの予言を探すことはさせません。こういう道理ではありませんか? 大法弟子は他でもなく大法に従って行なうということです。皆さんは歴史を造っており、未来を造っており、誰の按排も歴史と未来を決めることができず、誰であっても見えたことは既に変えられたことです。たまたま幾つかのことが現実と同じであっても、それも按排の中で必要があるから、そのように按排されたのです。これだけのことに過ぎません。
弟子:7月20日以降に法を得た弟子が最近大きな交通事故に遭いましたが、無事でしたので、常人は不思議でたまりません。私たちに第二の生命を与えてくださったことで師父に感謝しています。法を正す時期にこのようなことが起きたら、漏れがあったから邪悪に隙に乗じられたのでしょうか? それとも命を償うという要素があるのでしょうか?
師:私が思うには二つの原因があります。一つは、ある学習者は良く行なわなかったから、引き起こされたことではないでしょうか? もう一つは、新しい学習者ではないのでしょうか? もちろん、新しい学習者には難があるのですが、このような情況は比較的少ないのです。普通の場合、難があっても大きな問題が現れることはありません。いずれにせよ、これらのことを気にしないでください。事故があってもなくても、修煉者として、必然的な要素が中に入っています。
弟子:数人の弟子が非常に大きな病業と魔難に遭い、時間も長くなっているので、皆で一緒に正念を発して彼らを助けてもよいのでしょうか?
師:もちろん大丈夫です。前回私は既にこのことについて話しました。しかし、一部の学習者は自分の内心から、自分の行ないは一体どうなっているかを考えるべきです。法を正す時期の生命という偉大な生命として、あなたの行ないは一体どうなっているのでしょうか? 問題が現れたら、「なぜ大法弟子にこういうことが起きるのか」と言わないでください。
長きにわたって、一部の学習者はどうしても根本的な執着を取り除いていません! 終いには溜まりすぎて、乗り越えられなくなり、難が大きくなってしまいました。問題が現れたら、心性から探し、根本から自分を高め、真にこのことを放下し、他の方面から正々堂々と歩んでくるのではなく、そのことに対して、「なぜこれをまだ乗り越えられないのだろうか? 今日少し良く行なったのだから少し良くなるはずで、明日更に少し良く行なうから、更に少し良くなるはずだ!」と考えています。このことをいつも放下することができず、「私は良く行なっている」と見た目では放下しているように見えます。あなたが良く行なっているのはそのことのためです! あなたは本当に大法弟子として行なうべきことのために行なっているのではありません!
確かに一部の学習者は自分の行ないがどうなっているのか、本当に自分をよく見つめるべきです。一体自分の行ないがどうなっているのでしょうか? あなたは本当に中国大陸の学習者のようにそのような邪悪の環境下にいても、法を実証し、生死の危険に晒されていても、生死を放下して歩んで来られたのでしょうか? あなたを本当にあの環境に置いたら、あなたは大丈夫なのでしょうか? もちろん、誰もがこのような過程を歩まなければならないと言っているのではなく、あなたが今ぶつかっていることはそれと同じではありませんか? あなたは本当に歩んで来られるのでしょうか? 学習者に三種類の人がおり、それぞれは違っていると私は言いました。修煉の中での現れはきっと違います。他の人には何もなく、法を正すことも良く行なっていると思わないでください。それぞれ違い、根本的な情況が違うからです。参照はありません。私は既に話しましたが、修煉に参照はなく、手本はないのです。他の人の真似をして行なえばよいのでしょうか? それぞれ違うのです。あなたの状態は他の人に現れることはありません。
実は多くの学習者は、時間がもうかなり経ちましたが、特に99年7月20日以降歩んで来てから、多くのことを本当に根本から見つめるべきです。冷静になり、真に考えてみるべきです。大法弟子だから、何にも現れてくるべきではなく、現れたら、それが間違いだと思わないでください。自分が他の人と同じようになるべきだとも思わないでください。それぞれの情況が違うからです。大事なのは自分の行ないがどうなっているかということです。考えの中でいつも執着しているのは皆常人のことであり、ひいてはおかしくなるまで情に妨害されているのに、魔難が来たら、「大法弟子の私が長期にわたって魔難に遭っています」とまた言うのです。(皆笑って)(先生のため息) ですから、時に師父が厳しく言っても良くないし、やさしく言っても皆さんは悟りません。もうすぐ終わりますので、皆さんは自分のことを良く考えるべきです。時間は人を待ちません!
本当に圓満成就の日になると、皆さんに教えますが、大法弟子は本当に白日飛昇していくのです。全世界はそれを見ることができます。(拍手) 圓満成就できない人は泣き崩れるしかありません! 修煉が良くできていない人はもう泣いても仕方ないと私は思います。
弟子:最近周りに男女関係のことがありますが・・・
師:先ほど私は既にこのことを話したと思います。私は既にこのことについて話しました。一部の人がやっていることは「大法の学習者」になる資格もありません! 「人間」という字まで相応しくありません。あなたはまだ自分が「大法弟子」と言えるのですか?! 私はあなたを待っていますが、あなたは分かっていますか?!
時に師父は皆さんがやっているそれらのことを見て、本当に悲しいのです。しかし、本当にあなたを手放したら、私はまた本当に心が痛んでしまいます。本当に簡単にあなたを手放したくはありません。しかし、それほど向上心もありません! それほど意気地もありません! まだ大法に泥を塗っており、「人間」という字さえ相応しくないことをやっています。あなたはまだ自分を「大法弟子」と言っています! このように話しましょう。私が先ほど話したことは、つまり大法弟子という名に相応しくないことをした全ての人、あなたたちは自分でそれを公開したほうが良いということです。このようにして、あなたたちの多くのものを消すことができます。同時に、それによってあなたたちは決心を固めることもできます。あなたたちに教えますが、あなたたちにとって時間は本当に限られています。これらの良くないことをしたことのある全ての人、以前あったがもう改めた人はここで別として、現在まだこれらの良くないことをしている人、またいまだに中共の邪悪なならず者の集団に情報提供している人、私が本当にあなたを手放した時は即ちあなたが地獄に落ちる時です! 私は少しもあなたを脅かしているのではありません。まだ終わっていないので、衆生にとって即ち機会なのです。師父は何度もあなたたちを待っています。
弟子:九日間の講習班で新しい学習者に正念を発することを教える時、特に注意すべきことがあるでしょうか?
師:実は新しい学習者に必ずしも正念を発することを教えなければならないとは限りません。(笑) 新しい学習者の能力はその時まだそれほど強くありません。彼らはなんと言っても、法を勉強したばかりなので、一つの過程が必要です。急いで彼らに正念を発してもらわないでください。
弟子:大法弟子の個人修煉と自分自身に関連している天体の間は直接関連していると私は理解しています。法が大穹を正す時、未来の修煉者は自分自身と対応している天体に対して責任を持つのでしょうか? それともその時、彼らは既に法によって既に正されたのでしょうか?
師:あなたの修煉の中で、あなた自身と対応している天体はその大きさに関わらず、あなたの修煉の成功に従って、正しく戻されています。必ずそうです。あなたの修煉が良くできなければ、それらも正しく戻されません。もちろん、ここにもう一つの要素があります。つまり法を正すことです。私の洪大な法を正す勢いがやってくる時、良いものは残りますが、悪いものは片付けられます。ですから、法を正すことがやってくるまでは衆生を救い済度する最も良い機会なのです。その時になると、待ってくれません。法を正す洪大な勢いがやってくると、なるべきことになります。
弟子:イスラエルの全ての学習者は師尊にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)
弟子:師尊、モーゼ、イスラエルと法を正すこととの関係について教えていただけないでしょうか?
師:モーゼは法を正すことと関係ありません。しかし、私が話したことを皆さんは勝手に常人に教えないでください。常人は理解できないからです。実はモーゼこそ昔ユダヤ信者を済度した神でした。ユダヤ人がエジプトから出た後、彼らを見守った神はモーゼでした。ユダヤ人はエホバを神としていましたが、実はエホバは人間を済度しないのです。それはエホバが更に高い次元の神だからです。人間を済度した神はモーゼでした。モーゼ、イエス、聖母マリアは皆この次元で人間を済度する神でした。ですから、本当にユダヤ人の信仰を見守っていたのはモーゼでした。これは人間にはあまり知られていないことです。私が言っているのは真実の情況です。ユダヤ人も神が造った民族の一つなので、法を正す中で救う対象でもあります。
ここまで話しましたので、皆さんが聞きたがっていることを話しましょう。(皆笑って)(拍手)
先ほどイスラエル民族のことに言及しましたが、『聖書』ではエホバがイスラエル人を作ったと言っています。実は私たちのこの宇宙、つまり私がいつも言っているこの小宇宙ですが、その名は何でしょうか? 即ち中国の伝説の中で言われた天地を切り開いた盤古です。盤古は中国人でもなく、地球の他の民族の人間でもありません。彼は天上にいる神であり、宇宙です。盤古が天地を切り開いたことは前回の小宇宙が壊滅されてから、再び小宇宙を造り直す過程で生じたことです。盤古の体はつまりこの小宇宙の「成住壊滅」の過程ですが、彼の生命はこの過程ではありません。私は神が三位一体を持っていると言ったのではありませんか? 神体があり、彼の真神があります。彼の真神は小宇宙ではなく、彼のこの体は私が言ったこの小宇宙です。世の人々は歴史の伝説の中で彼の生じた過程を伝えていました。つまり、混沌状態から徐々に形が生じ、そして盤古が生じました。盤古は天と地を分け、彼は立ち上がって、天を支えたという話です。これは人間が伝説の中でますます彼を人格化し、人間化したのです。人間の好みで真実を変えてしまったのです。
ご存知のように、人体は即ち小宇宙であり、中に一層一層の衆生がいます。盤古の宇宙が生じた時、母体にいる人間の胚胎のように、更に膨大な天体の中で小宇宙はただ一つの粒子に過ぎません。天体の中で全ての生命を生じさせる要素が備わっています。前回のあの小宇宙が「成住壊滅」の中で終結を迎えた時、天体は新しい小宇宙の生成をはらんでいました。前回の小宇宙が爆発した後の混沌状態の中で、新しいこの小宇宙が徐々に生じ、盤古の真神もその中に入りました。新しい小宇宙の生成の過程で、中の各次元の物質が各次元の天と地を合成し、同時に各次元の天地の間の万物を生成し、中に盤古の真神のような神と各次元の衆生をも含んでいました。小宇宙はこれによって生成されました。人間の体は小さい粒子が大きい粒子を構成し、大きい粒子が更に大きい粒子を構成していますが、彼の体もこのように、小さい粒子が大きい粒子を構成し、大きい粒子が更に大きい粒子を構成しました。まさに皆さんがご存知のように分子が原子で構成されています。もちろん、この分子はまた星を構成することができ、星はまた銀河系、様々な恒星系を構成し、この様々な恒星系は更に大きい天体宇宙を構成することができます。つまりこういう構造です。人間や現在の科学者は粒子が見えたのですが、粒子の間の関係が見えなかったのです。全ての粒子は皆有機的に繋がっています。この盤古が生じた後、全ての宇宙の衆生のように、彼にも「成住壊滅」という過程があります。人々が伝説の中で言ったのは彼の「成」の過程です。現在実際既に最後の過程まで来ており、「壊滅」の過程に来ており、つまり盤古が衰えていくという過程です。現在は既に衰えた後の壊の時期です。しかも既に最後になっています・・・。人間の言葉で神のことを話すと、とても聞こえが悪いのです。つまり、現在既にだめになった時期に来ています。ですから、法を正すこともこの時期に始まったのです。
盤古が生じた時、宇宙の中に異なる次元の粒子がありました。これらの粒子も盤古の生成過程の中で生命を生成しました。私たちの地球は盤古の体の一部分であり、彼の体の中の細胞の一部分です。私たちの地球のような生命のある星がこの小宇宙のいたるところにあります。ただ私たち今日の人間のような生命はいません。それらの生命は宇宙の最も表面、つまり最も低次元の生命であるため、神の形象を持っていません。当初は三界の区分けはなかったのです。三界があったのは、小宇宙の表面で大法を伝えるからです。そのため、この範囲を選定して特殊な三つの次元の生命の境界とし、自ら体系を成すようにしました。盤古は神であり、彼の体内は即ち小宇宙です。ですから、小宇宙にある全ての天体に皆異なる次元の神と三界の衆生がいますが、表面空間に限っては生命の形象が低くて醜く、おかしくて悪いのです。ですから、当初法を正すことの必要性から三界を造ったのです。この三界の範囲に太陽系と地球をも造りました。もちろん、地球の寿命は宇宙と比べることができません。この地球のこの場所に以前星があったのですが、その星にいた生命は皆宇宙人の形象をしており、生態環境は極めて悪かったのです。最も良くないところに神の形象があってはいけないからです。人間は神の形象をしていますが、以前の地球にいた生命は皆宇宙人のような非常に醜い形象をしていました。法を正すことをここで行なうことによって、全宇宙の衆生を救い済度することができ、最も表面にいる衆生まで救い済度することができるので、ここで三界を造り、人間を造りました。なぜ宇宙人のような生命を使って法を聞かせるのではなく、人間を造ったのでしょうか? 宇宙の法をそのような生命に聞かせ、そのような生命が私の弟子になったら、それは宇宙と神々に対する侮辱です。新しい宇宙ができた後、天上から一部の神がやってきて、彼らは自分の形象に基づいて地球で人間を造りました。
中国の古代の時、女媧が人間を造ったと言っていましたが、神たちは神通で人間を造ったのであって、手で造る必要はありません。しかも、人間の体の構造がとても複雑なので、手で造れるようなものではなく、人間の愚かな方法ではだめです。ですから、神は法力で造ったのです。神の功はミクロから最も表面まであるので、神は同時に造る時に、すぐにできてしまい、一瞬にしてできてしまうのです。神は人間の時間で造っているのではなく、人類空間内の全ての時間を超えて行なっているので、人間の時間で見ればすぐできたように見えます。
当時遣われてきた神には幾つかの種類がありました。一つはユダヤ人が言っているエホバです。エホバはユダヤ民族という人種を作りました。この人種は南ヨーロッパの一部の人をも含みます。彼らはこの人種の人です。北ヨーロッパの一部の白人は他の神に造られたのです。四種類の白人の神は四種類の白人を造りました。実はアラビア人も昔白人であり、以前地球の北部に生活していました。それは現在のこの大陸プレートの北部ではなく、その時の大陸プレートは九千年前既に変わりました。彼らは以前北方地区に生活していた人たちです。大地の変化で彼らは現在の場所に移されました。近代史の中でチンギス・ハンがアラブ地区を占領する前、アラビア人は全く白人の肌と同じであり、姿かたちも現在のヨーロッパ人の様子です。ただ濃い黒の髪の毛と目をしていました。チンギス・ハンのモンゴル軍がそこに行ってから、現地の人々が混血されたため、彼らの肌は中国人のようになり、姿かたちにも中国人と似ているところもあり、ヨーロッパ人と似ているところもあります。彼らも元々ある単独の神によって造られたのです。
インド人は佛によって造られたため、インド人のダンス、挙動や手の動きはとても佛の手印と似ています。インド人は完全に佛によって造られた民族です。東洋人の一部は女媧によって造られましたが、もう一部の人は道によって造られたのです。実は正確に言えば、初期の北米と南米の人種は最初黄色人種でした。彼らはインディアン人種と言われていますが、実は黄色人種です。日差しに晒されて今のようになったのです。(皆笑って) 本当のインディアン人種は古代エジプト人です。今は多分もう見つからないかもしれませんが、多くの人は黒人と混血してしまいました。
黒人も黒人の天上にいる神に造られたのですが、一つの神ではありません。ですから、黒人の姿かたちの間に差異があります。天上の神の中に、服を着る神もおり、布をまとう神もいます。道は服を着ていますが、多くの神は天上では一枚の大きな布をまとっています。佛の場合、彼らの多くは黄色い布をまとっており、白人の神は大きな白い布をまとっており、中国の言葉で表現すると、一丈余りの長さで、体を巻いています。古来の絵画と彫刻からこれを見ることができます。昔、ヨーロッパ人も白い布をまとっていました。黒人の神は大きな赤い布をまとっています。神はその肌の色に関わらず、皆非常に神聖なのです。ここで法を伝えるため、ここで人間の形象を造らなければならないので、それぞれの神はそれぞれの人種を造りました。ですから、神は自分の姿かたちに基づいて人間を造ったのだと言われていますが、これは本当のことです。今日の人間はこのように由来したのです。
歴史上、私が大法を伝える前、当初神が造った人間はその体と元神は皆三界内で生じたのです。私は以前皆さんに人間の発展過程、徐々に人間を発展させ充実させる過程について話しました。近代になって、人間は既に大分理知的になり、思惟方式もとても理性的になってきました。ここまで発展した時、大法を伝える時期にもなったので、天上から多くの神が下りてきて、人間に転生しました。それでは、人間の元神はどうなったのでしょうか? 神が造ったこの人間の皮の表面は上から下りてきた生命の転生の中でその生命によって主宰されました。元々の人間の元神は皆あの世に残されました。人間も輪廻転生しているからです。この皮は人間と一緒に転生するのではなく、ある時になると、回収されます。人間が死んだ後、皮は回収されます。私たちが見たお墓にあるあの皮、あの腐乱した皮は人間が生まれてから食料を食べることによって大きくなった部分であり、先天から持つあの皮が真皮です。先天から持つ部分は回収されるので、誰かがまた転生する時それを被り、(皆笑って) あたかも服を着るのと同じようです。昔の人間もこのように転生していました。大法を伝える時期になって、これらの神がやってきた後、それらの神が造った地上の人間は、道理で言えば、法を正すことのために行なうべきことを既にやり尽くし、しかも人間が歴史上ここまで至ったのも容易なことではないので、彼らは皆中国人があの世と呼ぶ他の空間に置かれ、転生してこなかったのです。現在、それらも法を正す中で法に同化し終えました。現在、法を正す洪大な勢いも人間のこの空間の最も表面までやってきており、人間の皮の最も表面までもやってきました。
今日まで、異なる民族は彼らを造った神の足元の粒子のように、この空間で互いに溶け合って一緒にいることができますが、同じ体系に属していません。近代になって、異なる人種の皮の中にまた異なる天上の神が入りました。今まで話したのは表面の人間の情況です。もちろん、大法が広く伝わり、私は今日白人を黄色人種に、黄色人種を白人に済度するのではなく、(皆笑って) このことも皆さんはすでに分かっています。私は全ての人を元のところに戻すのです。修煉が良くできていれば、あなたに更に高い果位を与えます。あなたが神であれば、元の神の形象になります。私はそれを変えません。元々佛であれば、佛になり、道であれば、道になります。私が取り除いたのはあなたが後天の宇宙で悪くなった全ての要素であり、同時にあなたが大法に同化し、あなたのために全てを正し戻し、更に良いものを与え、未来の神としてあるべき状態を与えるのです。(拍手)
宇宙には他でもなく、異なる生命、異なる衆生、異なる神がいるので、全部同じにしてはいけません。これはしてはいけないのです。全部同じになってしまえば、宇宙も繁栄しなくなります。宇宙は取りも直さずこのような状態です。これらの生命にとって、外形がどうであろうと、皆自分の歴史にある一つの過程があり、大切なものに値します。なぜならば、それは宇宙の過程だからです。
先ほど皆さんが聞きたがっていることを話しましたが、(笑) 質問用紙をもう出さないでください。まだ何枚かありますが、私はそれを読み上げて終わりにしましょう。私は皆さんの時間を多く使いたくはないからです。交流会だから、皆さんも交流し、お互い促進し合わなければなりません。先ほど私たちはどのように全体から向上するのかという質問があったのではありませんか。これはまさに全体から向上する機会です。
弟子:負の生命は悪とどういう関係なのでしょうか?
師:実は私は相生相克の理と宇宙の異なる生命の対応関係について話したときに、負の生命に言及しました。低次元に人間がいて鬼もいます。鬼のことに触れましたが、現在人間が言っている「鬼」は大まかな言い方です。実は魑、魅、魍、魎、怪、妖、魂、魔などなど、たくさんの種類がいますが、現代人はそれを統一して「鬼」と呼んでいます。人間のところに人間がいて鬼もいて、更に上に行けば、佛がいて魔がいます。更に上に行けば、正の生命と負の生命がいます。なぜでしょうか? 次元が上に行けば行くほど、良くなり、次元が高ければ高いほど、美しくなるからです。非常に次元の高いところに正の生命と負の生命がいますが、負の生命を魔と呼んではならず、魔と全く違うからです。しかし、負の生命は正の生命と対立しており、正と負があります。次元が下に行けば行くほど、悪くなり、ある程度になると、法王と魔王が現れてきます。佛は法王であり、魔王は、皆さんに教えますが、それにも人間の七情六欲、人間の執着はありません。魔王はその境地の生命なので、そこに留まることができます。ただ魔王は善ではなく、悪を表わしています。これは人間の言葉で言っているのであって、魔は悪であり、佛は善なのです。ですから、佛と魔も対立して存在しており、問題の扱いにおいても対立しています。
昔、人間の一念から善悪が現れ、善悪は人間の一念によるものだと言われていました。この宇宙において、誰かが何かをしようとしたら、それは非常に難しいのです。佛が良いことをしようとし、その念が現れたら、すぐ悪のものがやってきます。やろうとしていることの良さと相応する悪いことがやってきます。人間に関しても同じです。やりたいことの良さと同じぐらい悪いことがきっとやってきます。この空間に現れてくる場合もあるし、この空間に現れず、他の空間に現れる場合もあります。例えば、誰かのためにとても良い事をした場合、相手に感謝されます。しかし、あなたがこれらの良いことをしたため、損失を受けた生命もいるかもしれません。ですから、良いことをしたらその分だけ、それと同じ程度の悪いことがやってきます。以前の相生相克の理は絶対的だったのです。ある生命が何かをしようとしたら、それは全くやり遂げることができません。神のことですが、神が誰かを済度するときにどうして時機を待たなければならないのかと皆さんは不思議に思っています。時機や、機縁がまだやって来ていないとか、時機がまだ熟していないなどと言っていますが、神にそれができないというのは、相生相克の理が相当絶対的で、この全てを抑制しているからです。神は良いことをするために、大きな悪い事が生じ、それによって自分が落ちてしまうようなことを決して行なわず、絶対にこのようなことはやらないのです。昔人を済度すると言っていた和尚がいましたが、「全く身の程を知らない」と私は時々思います。人間が想像しているようなことではありません。ですから、相生相克の理があるから、神々はやりたいことを憚っているのです。
弟子:法がこの世を正した後の人間は今日の人類についての記憶があるのでしょうか?
師:人類、将来の人類は今日の法を正すことを代々伝えていくのです。(拍手) 今回の迫害の真相はまだ全面的に人類に明かしていません。人類は驚いてしまうのです。大法弟子の圓満成就、人類に信じられない全てが現れ、人類の変異した全てが全部正され戻される過程は、人々を驚かせ、驚くと同時に大変恐ろしいことでもあります。全てが現れてきます。ですから、この歴史を人類は永遠に伝えていきます。
弟子:良く行なわなかったことがあるため、自分を責めています。修煉する自信を失うほど必要以上に自分を責めなくてもいいと分かっていますが、なかなかそういう気持ちを排除することができません。
師:決心がなく、決心が足りません。大法弟子として、中国大陸の大法弟子が受けた迫害を見てみてください。同じ大法弟子なのに、ここでこれほどの決心を下すことができません。どういうことにそれほど執着しているのでしょうか? そうではありませんか? 正念が充分ではありません。正念が充分であれば、やり遂げることができます。
弟子:一部の学習者が「正念」をとても重視していますが、「正行」を軽視しているように感じました。交流の時に、どのように正しく行なうかについて全く触れていません。どのように正念と正行との関係に対処するのでしょうか?
師:こういう言い方ではありません。誰かに正しい行ないがない時、つまりその人の正念が充分ではないということです。考えは人間の行動を指導しているからです。正念が充分であれば、あなたの行為はきっと正しいのです。正念が充分でなければ、行為は正しくありません。いくら正念のことを討論しても、話し合っても、正念が生じない人がいます。正念が常にあるようにすれば、あなたの行動も必然的に正しくなります。いろいろ言っていますが、やはり大法弟子としてどのように良く行なうかのことです。
弟子:私は7月20日以降の2000年に法を得たのですが、7月20日以前に法を得た弟子と同じ威徳を持つことができるのでしょうか?
師:7月20日以前、学習者は個人の修煉をしていましたが、今は本当に威徳を樹立する時期です。あなたはこの時期に法を得たのではありませんか? 同じ威徳を持つようになるかどうかは皆同じです。7月20日以前に法を得た弟子たちもこの時期に威徳を樹立しています。あなたはただ個人の修煉と真相を伝えること、衆生を救い済度することが一緒になっただけです。何の影響もありません。
弟子:宇宙に最もミクロ的な物質の極限があるのでしょうか? もしあれば、それは法の最高の表れなのでしょうか? 「真善忍」の最頂点なのでしょうか?
師:「宇宙に物質の極限がある」、この話は既に言い尽くしたようですね? 既に言い尽くしたのではありませんか? しかし、皆さんに教えますが、更にミクロ的なところへ進んでいけば、物質がなくなり、それは物質とは言いません。私たち現在の物質とは既に完全に違っています。しかし、物質体系と繋がっています。ですから、人間の言葉で全く言い表すことができず、最終的なところまで表現することができません。しかし、私はそれを言い表すことができます。
弟子:自分自身が法に同化することが最も重要であると思って、自分を忙しくないようにし、自分に考える時間を多く残したいと思っている学習者がいます。法を正すことが非常に速く進展しているので、やるべきことを直ちに行ない、心を静めて法を勉強し、何かあったら内に向けて探すことができれば、精進していると言えると私は思っています。
師:そうですね。多くのことに対して、それが以前からの習慣であると言って、人間の観念に局限されてはいけません。今日大法弟子に賦与したのは神の状態であり、あなたは神の状態に向かっていくのです。多くのことは正念をもって行なえば良く行なうことができます。もちろん、考えることも正しいのであって、間違ってはいません。しかし、多くの時間を考えることに割いてしまって、法を正し威徳を樹立する機会を逃してしまったら、それは割に合わないことです。
弟子:師父が教えてくださった法理に則って、執着に陥ることもなく、各方面において圓容し、法を正す最後の道のりで更に精進するには、どのようにしたらよいのでしょうか? しかも、大法の仕事と法理の理解において、ある角度だけに対してではなく、各方面において圓容することができるようになるのでしょうか?
師:皆さんが時に物事を考える時、ある習慣を形成しました。つまり、私は何かをしたい。このことをこのように行ない、あのことをあのように行ない、非常に周到で、とても行き届いていると自分が思うまで考えるのです。いざそれを行なう時になると、実際の情況は千変万化しており、かえってうまく行かなくなりました。(笑) 行き詰まったらまた考え直すのです。このように事を行なうのではありません。正念を使ってください。自分がこのように行なうべきだと思っているように行なえば良いのです。問題にぶつかったら、自然にどのように解決するかが分かってきます。正念が強ければ全てが順調になり、きっと良く行なうことができます。
どうして私はこのように皆さんに要求しているのでしょうか? とても受身的に見えるでしょう。そうでしょう。違います。あなたが修煉によってできたその一面は何でも知っており、どのように行なっても、どのようにこれらのことを行なっても良く行なうことができるからです。あなたに一つの考え方があれば十分です。どのように行なうべきかを知っていれば、そのように行なえば良いのです。実際行なう時にあなたの智慧は絶えず湧いてきます。その時あなたの修煉によってできたその一面があなたのこの空間の部分と溶け合い、繋がるようになるからです。それは神であり、できないことはありません。もちろん、たいしたことのないことをすぐに解決し、智慧がやってきます。それは全然違う状態です。それでもうまくいかない時、師父もあなたに智慧を与えるのです。(笑)(拍手)
弟子:台湾の弟子は師尊にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)
弟子:台湾で、『轉法輪』『精進要旨』などを台湾語に訳して録音し、「普度」「済世」の音楽をBGMとして使い、1セット500台湾元で売っている学習者がいます。
師:説法の中に音楽を入れてはいけません。大法の音楽であってもいけません。私の全ての出版のことは統一して担当している学習者に管理されています。しかも、このように話しましょう。皆契約があるのです。ですから、学習者は勝手に本を作ってはいけません。勝手にそれを決めて、または金儲けをしてはいけません。金儲けをしなくても、自分で勝手に作ってはいけません。法を正す時期に如何なる漏れがあってもいけません。ですから、この時期に、これらのことに気をつけるべきです。将来の人類は、人の道徳が高まっており、人々はそれを遵守し、このようなことはせずお互いに監督するようになります。今はこのようにしてはいけません。邪悪が隙に乗じており、人心が正しくないので、私たちはこのようにしてはいけません。この本をもって金儲けしようと思ったら、なおさらいけません。
台湾語に翻訳することに対して、私はそれには反対していません。しかし、何かをする時に、自分で行なってはいけません。このことについて私ははっきり言っておきますが、大法の事を誰も勝手に自分で決めてはいけません。もちろん、現在大陸の特殊な環境の下で、学習者は本の問題を解決するためにそれをしても良いのですが、原本の文字と一つも間違ってはいけません。中国大陸以外ではそれをしてはいけません。
弟子:古くからの学習者の大法に対する最も深い体得は法に対する堅い決意と師父に対する信念です。堅い決意と深い信念はどういうことから由来しているのでしょうか? この問題は主人を長く悩ませています。どのように修めたら、大法に対するこの上ない堅い決意が出来上がるのでしょうか?
師:信じることと信じないことは人間の理念であり、私はあなたに何かを与えたからではなく、何かの手法で何かの状態に達するということでもありません。大法弟子は皆大法に対して堅い信念を持っています。大法弟子にとってこれは一つの形容ですが、彼らの大法に対する固い信念は理性から認識したことによって堅く信じるようになったのであって、何かの要素が人間に作用してそうなったのではありません。人間の最も表面に三魂七魄があり、七魄の中の一つに信じるというのがあります。人間は他の人が何かを話す時にそれを聞いて信じるようにするという作用が働くことができます。しかし、このように信じるということは修煉に対する正しい信念と比べることができません。それは人間の最も最も表面のもので、一種の霊的な作用を果たすことができます。それに対し、大法弟子の正しい信念は神の状態であり、真理に対する理解と悟りによってもたらされたのであって、修煉して出来上がった一面の神の状態であり、決して何らかの外的な要素が作用できるようなものではありません。堅い信念のために堅く信じるのではなく、堅い決意のために堅い決意を持つことはできません。師父である私にとって、大法弟子に対して、私は彼らの如何なるものをも求めていません。彼らが今日行なった全ては、法を実証することにしても、衆生を救い済度することにしても、自分の法の勉強と修煉にしても、皆さんに教えますが、私のために行なうことは一つもありません。将来の大法弟子にはそれが見えますが、大法弟子が行なった全ては皆自分のために行なっているのであって、救い済度したのは自分の衆生であり、圓満成就させたのは自分の世界と衆生であり、自分のために威徳を樹立し、全ての全ては皆大法弟子自身のために行なっています。師父のために他人のために行なったことは一つもありません。(拍手)
ですから、大法弟子に強制的に何かをしてもらう必要もありません。学習者は皆法理の認識から昇華してきたから、ここまで精進するようになり、大法に対してそれほど堅い決意を持つようになったのです。これは外的な要素によるものではなく、何かの方法を勘案してできるようなことでもありません。師父は如何なることをも求めておらず、大法弟子の如何なるものをも取らないのです。私は彼らに与えるしかなく、しかも彼らのために何かを受け持っています。これは必ずそうなのです! (拍手)ですから、私は大法弟子に多く法を勉強するようにと言っています。これは決して師父のために勉強しているのではありません。
弟子:中共邪党が49年以降、中国伝統文化に対する破壊と無神論の宣伝によって、人々に大法への理解と今回の迫害に大きな障碍をもたらしました。私はこの角度から真相を伝えたいと思っています。例えば、中国の伝統文化にある周到な按排が何のためなのかを考えるように人々を啓発したいと思っていますが、これは人権と関係ないようです。このように話してもよいでしょうか?
師:良いですよ。知識があって、考えを持っている人と討議しても良いのです。しかし、普通、このような人に会ってこのように話したら、一日一人でも話せば、くたびれてしまいます。(笑) 多くのことを話さなければなりません。各種の異なる角度から真相を伝えるのは問題ありません。話しても良いのです。最後に今回の迫害に言及するのです。
弟子:福州、撫順、広州、昆明、成都、楽山、河南南陽、承徳、西安の大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)
弟子:サイパン、フランス、マカオ、香港、イギリス、日本、メキシコ、スペイン、スコットランド、ルーマニアの大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手) この一枚は全部挨拶なので、一緒に読み上げましょう。
弟子:広東恵州、浙江寧波、広東潮汕地区、湖北武漢、江西南昌、湖北十堰、天津、南京、湖南、内モンゴル、雲南、上海、北京、浙江、呼和浩特の全ての大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手) スタッフはきっと皆さんが出した師父への挨拶をまとめたのでしょう。まだあります。
弟子:バンクーバーの全体の大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。シンガポール、インドネシア、ギリシャ、南米の全体の大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)
弟子:師尊にお伺いしたいのですが、シンガポールの人はどの時代の人の生まれ変わりなのでしょうか?(皆笑って)
師:今後はもう聞かないでください。これを理解できない政府があります。私が話したくない場合もあります。シンガポールは李自成のあの集団の生まれ変わりです。
弟子:第一軍医大学の大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。タイ、オーストラリアの大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。長春の大法弟子が師父にご挨拶を申し上げます。師父のご慈悲と普く済度されることに感謝いたします。私たちは必ず良く行なうようにいたします。
師:ありがとうございます。(師父が立ち上がって)(皆起立し、長時間の拍手)
師:皆さんおかけください。法を実証することにおいて皆さんはもうすぐ四年間歩むことになります。まだどのくらいの時間があるのかは皆さん考えないでください。なぜならば、考えると、それは即ち執着なのです! いくら時間が経っても、大法弟子は邪悪の要素を根絶する責任があり、今回の邪悪な迫害を暴露し、世の人々を救い済度しなければなりません!(拍手)
今回の迫害の中で生命を失った弟子、大きな苦難を蒙った弟子、皆さん覚えておいてください、私は必ずあなたたちに師父としての責任を果たします!(拍手)
未来、大法弟子を待っているのは至高でこの上ない永遠の栄光と威徳です!(拍手)
中国大陸の学習者であっても、中国大陸以外の学習者であっても、この最後の時間を大切にして良く行ない、更に良く行なうよう期待しています。特に良く行なっていない学習者は、時間を大切にして良く行なってください。機会を失ってはいけないからです。今回の迫害が一旦過ぎ、邪悪の力が足りなくなった時、このことが終わってしまうので、その時に本当に後悔してももう遅いのです。このことが起きなかったら、良く行なわなかった学習者も現れてきません。このことが起きた以上、良く行なわなかった学習者は時間を大切にして良く行なうようにすべきです。なんと言ってもこのことが起きました。起きなかったら、べつにかまわないのです。師父に何でもでき、何でも正し戻すことができますが、このことが起きたため、皆さんにもたらした損失は自分で補わなければなりません。全ての大法弟子が形式を重く見ないで、自分の修煉、自分の向上、邪悪の中で法を実証し、衆生を救い済度すること、堅い決意で歩むべき道をしっかり歩むことこそ、最も重要なのです。(拍手)
ありがとうございます。(長時間の拍手)