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二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法

李 洪 志

二〇〇四年十一月二十一日



 修煉者として、特に法を正す時期の大法弟子として、皆さんが背負っている責任はあまりに大きいのであって、歴史が皆さんに与えた重大な使命を担っています。しかし、皆さんは非常にすばらしく行いました。宇宙の衆生の前でも師父はこのように言うことができます。つまり、彼らは非常に感心しているということです。皆さんがこの世で行ったこれらのことは常人が普段行っていることと非常に似ているように見えますが、実は大法弟子の基点、目的は、常人とまったく違います。この世はほかでもなく迷いであり、常人は現実の中に迷ってしまい、なかなか真か偽かを見分けることができません。私たちのことを理解してくれても、そうではないにしても、大法弟子は衆生を救い済度するために常人の形式を利用しただけです。修煉にとって言えば、人類社会に迷いがあるからこそ、この環境で修煉することができます。ここから修煉して成就した人は素晴らしいのです。

 大多数の学習者の法を実証する全過程での行いは基本的にとても良かったのです。もちろん、良くない人もいます。良くない人は悪いことをするために来たのであって、旧勢力はもともと彼がそれらの悪いことをするように按排したのです。ですから、大法弟子の中で普段どのように行っているかに関わらず、肝心な時表したのは、その人の本当の一面です。普段いくら良いことを言っても、人々の前でいくら良く行っていても、肝心なときの表れこそ、本当の表れです。

 皆さんは風雨に満ちた厳しい歳月を歩んできました。現在の状況から見ると、今は昔とはまったく比べものにならないのです。99年7月20日、迫害が始まったばかりの時、邪悪ははびこっており、本当に大法弟子を死地に置きそうな邪悪な勢いがありました。現在皆さんはすでに目にしたでしょう。歴史はこれらの邪悪のために切り開かれたのではなく、大法弟子を成就させ、衆生がこの最後の時期に救われるように歴史が切り開かれたのです。(拍手)歴史の久しい昔に、人類は様々な異なる時期の文明を経て、人類の生命に古から今日までの多くの様々な歴史的・文化的要素が注がれました。人間が近代の歴史文化の中で表した全てと、久しい昔の時この地球の生命が表した全ては、常人から見れば、人類の歴史であり、生命が受け継がれていく過程です。科学者の目から見ると、これは生命の進化の過程だと思っています。実は全部違います。人類社会の全ての生命を含む三界全体は皆宇宙が法を正す最後の時期に衆生が救われ済度され得るために、造られ、成り立ち、そのためにやってきており、生まれ、切り開かれたのです。つまり、三界はこの目的、即ち宇宙の衆生を救うために造られたのです。

 歴史のもっと久しい頃、人類のこの空間、この環境、つまり分子で構成された物質の次元では人間がまったく存在していません。現代人は探索の中で宇宙生命の存在を発見しました。そうです。以前はそのような生命が分子で構成されたこの次元に遍く存在しており、人間はいなかったのです。その後、なぜ神は人間を造ったのでしょうか? 宇宙が構成し直され、衆生が救われ済度されなければならないので、宇宙を組み立てなおす際の中心点としてこの環境が必要なのです。この特殊な環境で大法の各界の衆生が皆法を聞くことができます。全宇宙の衆生を救い済度するという巨大な目的のために、三界、特に三界内の人類が造られました。歴史の各時期において、近代の人類の歴史に現れた全ては皆人間、今日の人類が法を認識することができるようにこの文化を造ったのです。決して人間がどのように生きていくかのためではなく、なおさら人間の発展のためや、どのように人類社会で素晴らしい暮らしを造るのかなどのためではありません。人間は美しいものに憧れたり、このようにしても良いのですが、三界と人類が現れたのは決してこのためではありません。

 もしこういうことであれば、皆さん考えてみてください。歴史の過程の中の出来事、もっと重要な出来事に皆目的があるのではありませんか? 今日の人類のために何かを築いているのではありませんか? 例えば、歴史上釈迦牟尼、イエス、聖母マリア、老子などがいなければ、正しい信念とは何か、神、佛、道とは何か、どのように修煉するのか、修煉の内涵はどういうものなのか、天国世界の内涵はまたどういうことなのかが分かるようになるのでしょうか? もし人間はこれらのことに対して何も知らなければ、今日私が大法を伝える時の難しさは普通のものではありません。私がこれらの概念まで最初から人々に説くのならば、大法を伝えることではなくなります。歴史上の各時期、各民族が表したそれぞれ異なる生命の状態、正邪、良し悪し、善と悪をわきまえるという世間一般の認識も長い歳月の中で神が目的をもって人間のために造ったのです。このようにすることによって、大法が広く伝わり、衆生を救い済度することが始まった時、人間はこの全てを認識することができ、この法が良いかどうか、正しいかどうかが分かるようになります。

 歴史の過程の中で人々は神に関する認識をも得ました。神とは何でしょうか? 非常に浅はかですが、神が偉大で神聖なものだと人間はみな分かっています。生命によって神に対する認識と概念も違いますが、神が人間に対して優しく、人間を救ってくれると皆思っています。中国の歴史上の各時代に現れた英雄や、歴史の文明を造る中で現れてきた傑出した人物は実は人間のために各種の思考様式、今日のこのような人類の思考構造と思考方式の基礎を築いています。これは人間という生命の種の思考構造を造る過程であり、とても偉大なのです。これは長い歳月の中で人類が自分の身をもって体験してからはじめて、各種の物事と文化の内涵を認識することができるという工事です。人間にとって言えば、ある事が起きたら、この出来事にどういう意味があるのかを知るだけではなく、このことを通じてこのことの内在的な現れがどういうものなのかも知らなければなりません。例えば、善とは何か、善はどういう状態なのか、その内涵にどういうものが含まれているのか、その範囲はどのくらいあるのか? また悪はどういう状態なのか、良いこと、悪いことの状態はどういうものなのか等などです。人間は生活の実践の中でこの全てを確実に認識し、これらのことの内涵を本当に理解してはじめて、この全てに対して深く認識することができます。これは簡単にすぐに人々を分からせることではありません。

 神が人間の生命を造ったとき、人間の頭の中に何もなく、まったくの空白です。良し悪しを区別することができず、善と悪が同じく存在しており、その対照は非常にはっきりとしていました。喜ぶことは善で、そうではないことは悪だという具合です。現代人はまた違っています。なぜ現在の人が近代になって急に更に理性的になったのでしょうか? これは私が説いた歴史の過程の中で人間が造られたことにまた新しい変化があったからです。つまり、高い次元の生命が人類に生まれ変わったからそうなったのです。人類そのものについて言えば、実は人類の歴史過程はほかでもなく、人間の行為と考えを築く過程であり、つまり、本当の今日のこのような人間を造る過程です。この全ての目的はどこにあるのでしょうか? 大法が広く伝わる時、人間が法を認識できるようにするためです。言い換えれば、このことはすでに久しい昔からすでに按排され、築かれ始めたのです。

 更に誰が本当に修煉したのか、誰の信念が本当に正しいものなのかを皆さんにお話したいと思います。今まで、このような修煉方法、あのような修煉があり、このように神を信じるべきだと言っている人がたくさんいました。皆さんに教えますが、歴史上いくらたくさんの神と覚者が来たとしても、彼らの本当の使命は大法のために必要な修煉と正しい信念に関する文化を築くためです。(拍手) 誰も本当に人間を済度しませんでした。誰も天国に行きませんでした。なぜならば、今までの修煉方法は今日本当に人間を済度できる大法のために基礎を築いていたからです。今まで下りてきた神が行った事によって、確かに天国まで済度された人がいますが、それはその人の本当の自分ではなく、彼らの副元神です。下りてきて人間を済度しにきた神を当時載せた体、即ち人間までまだこの世で輪廻転生しています。神を乗せた体も済度されませんでした。つまり、歴史上人間を済度する、人間を済度するとよく言っていますが、誰も人間を済度することができませんでした。釈迦牟尼が当時法を伝えていた時、彼の弟子は「師尊、この世の縁から離れずに修煉して如来に成就することができるのでしょうか?」と彼に聞きました。これは「世の中に身を置いて常人の生活環境と社会環境から離れずに神、佛まで修煉することができるのか」という意味です。釈迦牟尼はちょっと考えてから、「転輪聖王がこの世に下りてからはじめてできるようになります」と答えました。(拍手) 二千年あまり過ぎましたが、全ての正教の教徒が皆待っています。何を待っているのでしょうか? 神が天上で大いに顕れてくることを待っているのでしょうか? 神が来たら、修煉しなくても、あるいは修煉が良くできていてもできていなくても、または善い人か悪い人かに関わらず、全て一緒に天国に上ることを待っているのでしょうか?

 もちろん、私が誰なのかはともかくとして、人々はみな私が法を伝え世の人々を救い済度していると分かっています。師父はただ常人の肉体をもってここで皆さんに説法しています。師父に対する認識について、多くの常人は異なる考え方を持っています。構いません。私を信じていても信じていなくても構いません。私が神だ、佛だと私は言っていません。世の人々は私を普通の人としてみなせばよいのです。私が行った全ても人間のやり方で行っています。法を正す時期の大法弟子を済度する中で、ごく普通の人間という形で行っています。この社会環境の中で、この迷いの空間の中で、如何なる高次元の生命も人間を済度する時、天神が大いに顕れるという表現形式でこの世で完全に神の行いをもって人間を済度することはありません。(拍手) 小さい範囲で起きたことや、個別の人に関わること、または歴史上文化を創る時のことなら、それは別の話です。人類はこういう情況です。もちろん、如何なる絶対的なこともありません。法がこの世を正す時になると、私は神のやり方で行うかもしれません。なぜならば、その時になると、そのようにしなければならないからです。宇宙で法を正すことが始まる前後の頃、広範にわたり神のやり方で行えば、修煉者を執着させてしまう恐れがあります。

 神が有能で、なぜ貧乏な人を救い、悪人を懲らしめないのか、なぜ神のやり方で行わないのかと思う人がいますが、人類社会と三界の構成はその存在方式と目的を決めました。ほかでもなく、このような迷いの社会で、衆生に真相を完全に見させない社会です。誰がここで修煉しても、この迷いの中で常人のやり方をもって良い人になり、善を行い、執着を放棄してはじめて、ここから離れることができます。これこそ修煉なのです。もし完全に神のやり方でやってしまえば、それは修煉にはなりません。歴史上多くの修道者がこの世で神のやり方で事を行いましたが、それは歴史の文化を作っていたのです。なぜ近代に入って、このようなことが少なくなったのでしょうか? 大法が伝えられることに近づけば近づくほど、このようなことが多く現れるのは許されないからです。近代になって法を正すことが始まり、法を正す時期の大法弟子が修煉し始めたとき、要求が厳しくなりました。特にこのような宇宙の中の特殊な生命が法を実証し、自らを圓満成就させ始めたとき、ここの環境は今まで以上に重要になり、要求が更に厳しくなりました。めったに人々に真相を見させません。なぜならば、これらの生命が高い次元まで修煉しなければならないので、彼らにとって要求は厳しいのです。これらの生命が担う歴史の責任が重大なので、彼らは非常に苦しい環境から抜け出さなければなりません。(拍手) ですから、大法弟子は素晴らしいのです。

 今日の大法弟子が直面しているこの修煉状態は、つまり歴史上の如何なる修煉方式と状態とも異なっています。私はいつも言っていますが、旧勢力の参与は一種の迫害であり、妨害なのです。もし歴史上のそれらの神が済度したのはみな、人間の副元神であり、人間の主体そのものではなければ、皆さん考えてみてください、それらがやったことは正しいのでしょうか? 大丈夫なのでしょうか? 完全にずれたので、それらが妨害していると言ったのです。私が今日、皆さんに伝えたこの修煉方式、この修煉形式ですが、最大限に常人社会に合わせたやり方で修煉しており、最大限に常人の方法を利用して大法を実証しているのです。(拍手) これは歴史上になかったことです。それらの神は、このような修煉方法にどのように対処するのかをまったく分からないので、そのやり方は完全にずれています。ですから、それらは大法弟子の修煉にとって紛れもなく妨害なのです。それらは能力がないのではなく、以前の宇宙はこのように生命を造り、このような智慧しかないのです。今回法を正す中で、宇宙は今までの不完全なところを健全にし、宇宙が今までできなかったことをできるようにしたので、大法弟子が済度され、修煉して圓満成就できるようになったのです。もし以前の修煉方式を流用したら、大法弟子の誰もが今日圓満成就することができません。

 今日の大法の成就の仕方、修煉の仕方、人間を済度する本当のやり方に基づいてからはじめて、圓満成就することができます。(拍手) 圓満成就だけではなく、本当にこの人を済度し、この人の主元神を済度するのです。(拍手) 法を正すことを左右するそれらの神にとって、表面のことしか知らず、以前のことだけを知っており、現在と将来についても分かっていません。また形式を知っていますが、内涵を分かっていません。そのため、それらは法を正すことに力を及ぼすことができず、法を正すこと自体と大法弟子の修煉に深刻な妨害をもたらしました。ですから、今日私が行ったこの全ては歴史上のこととは異なっていると私は言いました。大法弟子が受けた迫害と歴史上キリスト教徒が受けた迫害は、見た目から見れば、皆迫害されていますが、修煉者として、神に向かっていく生命として、それぞれが表したものは違います。ただひたすら迫害に耐えていたのは、宇宙が今まで歴史に深く関わるそれらの問題を解決することができなかったため、高次元の生命まで神を害し、同時に神に向かっている人をも迫害していました。このことは歴史にとって、宇宙の歴史、神にとっても、恥なのです。私は今日彼らが今まで歩んだ道と違う道を歩んでいるという違いだけではなく、これは将来と過去との違いであり、大法が人間に与えた修煉方式はこういうものであり、私と大法弟子は未来のために基礎を築いていることでもあります。未来においてこの修煉方式が永遠に続いていきます。(拍手) これこそ本当に人を済度するということであり、このようにしてはじめて、本当に人を済度することができます。

 これは誰かが変えようと思えば、変えられることではありません。ご存知のように、今は法を正す時期であり、宇宙は更新され、組み立てなおされ、作り直されています。この情況にあってはじめて、足りないところを補うことができます。足りないところを糾すことは大穹が組み立てなおされている中ではじめて、できることです。ですから、今は機縁です。この機縁は如何なる生命による妨害と破壊をも許されない機縁であり、妨害した人は罪を犯すことになり、責任を取らなければなりません。

 先ほどの話は大法弟子の今日の修煉方式と過去の修煉方式との違いを大まかに概説しました。済度されたければ、人間は必ず自らこの厳しい環境に身を置き、困難から、利益から、情欲から抜け出さなければなりません。如何なることも修煉者の切実な利益にかかわり、如何なることもあなたという人間、あなたの考えと情緒、あなたの心性、あなたが考えの中で執着しているものを刺激してしまいます。どのように対処するのか、何を選択するのか、ここに違いがあります。違った対処のしかたをした人は、常人なのです。常人の理から、常人の執着から抜け出すことができれば、あなたはつまり神です。(拍手) これは今までの修煉方式と絶対違っています。

 以前、人間は廟や修道院、山に入り、世の人々を避けて修煉していました。修煉している人の身体自体は心性に対する試練と執着に対する直接的な刺激、利益に対する最も直接的な検測をそれほど経験しませんでした。ですから、その人自身が修煉していないことになります。人生の中で人間としての普通の生活を放棄したとはいえ、本人にとって、別の生活方式を選んだということに過ぎません。もし、副元神が本当に修煉して成就することができれば、彼の身体から副元神が出ていき、神になり、彼は福を持つようになります。来世福報を受けます。この福報はこの世での福報であり、それだけです。生命が修煉する目的からいえば、この世での福報を求める人がいるのでしょうか? 根本からいえば、三界はこのために作られたのではなく、衆生もこのために来たのではありません。つまり、大法弟子の今日の修煉こそが最も偉大で、歴史が切り開いてくれたものです。ですから、皆さんは自分の道を正しく歩むことは極めて肝心なことになります。(拍手)

 私はいつも言っていますが、大法弟子は極端に走ってはならず、必ず自分の道を正しく歩むべきです。妄想を逞しくして、今日邪に悟り、明日は頭が熱くなり何かをしてしまい、顕示心に駆られ、いつも馬鹿げたことをしたりして、この全てはあなたの主元神、あなたという生命のそのままの現れです。このような人は圓満成就できるのでしょうか? あなたの行為は皆修煉しているあなたの主体が表していることですが、済度されるのはほかでもなくこの主体です。このような生命は神のところに行ってもよいでしょうか? それではいけません。ですから、皆さんは正しく行い、理性をもって冷静に正念で修煉しなければなりません。皆さんは最大限に常人の生活方式に合わせて修煉することができます。師父が良いと言ったことなら、皆さんはできるだけ常人の生活方式に従ってすればよいのです。皆さんの道はこのように歩むものであり、人間はこの方式で済度されるからです。未来の神は人間を済度しようと思っても、このように行わなければなりません。未来の宇宙は人間を済度するということに関して、人間の主体を対象として行うことになっています。ですから、今までの修煉形式や、神を信じる形式を見る必要はなく、彼らが非常に大きな勢力を持っているなどのことも気にすることなく、皆さんこそ本当に修煉しているのです。(拍手) 宇宙で今法が正されており、彼らが信じている神まで位置を新たに決められているのに、どうやって済度されるのでしょうか? どのように天国に行くのでしょうか? 天国世界も組み立てなおされているため、どの天国に行くのでしょうか? 皆さんこそ、正々堂々とした、素晴らしい生命であり、真に衆生を救い済度する中で天国世界に向かっていく最も偉大な生命です。(拍手)

 先ほどの話ですが、大法弟子に対して言ったことです。修煉していない人または新しい学習者は私が何を言っているのかまだ理解できず、信じがたいと思っています。大丈夫です。私は人間に害を与えることはなく、人間にとって良くない要素もありません。理解できなければ、徐々に理解すればよいのです。少しずつこれらの修煉者を認識していけばよいのです。

 最後にこのことについてやはり強調しておきたいと思います。冷静でない学習者がおり、執着心がとても強いのです! 何かを聞いたり、見たり、ひいては自分に何かの能力があると感じ、自分がかつて誰それだったと感じたりすれば、すぐ頭がおかしくなり、気が動転し、訳の分からないことを言い始めてしまいます。このような人はまだ修煉できるのでしょうか? あなたが誰であっても、今日私があなたを済度することができなければ、あなたは地獄の鬼になります! なぜこれほど理性を失ったのでしょうか? なぜ学習者の中で学習者の修煉と法を実証することを妨害することを散布するのでしょうか? あなたは大法を妨害しています。この罪はまだ小さいものでしょうか? もし私李洪志が今日あなたを大法弟子として認めなければ、私の学習者として認めなければ、あなたはまだ存在するのでしょうか? 三界までこのことのために造られたのであって、宇宙のこの穹体がいくら広くても、全ての生命はここを注視しており、全ての生命は必ずここで認められなければなりません。ですから、理性を失った学習者に忠告しますが、理性的になり、自分の生命に対して責任を負わなければなりません。あなたの執着心によって、あなたは外来の邪悪生命に司られ、妨害され、コントロールされています。それによって理性を失ったのです。

 先ほどのことについて、師父は厳しく言いました。皆さんがすでに気づいたと思いますが、最近、私はこのような学習者に対して厳しく言っています。なぜなら、私に彼らの恐ろしい結末を見たからです。皆さんがどのように認識していても、私と大法弟子を理解できない人がどのように認識していても、私李洪志は衆生のために来ており、衆生を救い済度しています。如何なる生命にも自らを台無しにしてほしくはありません。なぜならば、私はほかでもなく、あなたのためにやって来たからです!(拍手) 私は焦っており、あなたのために焦っています。時間はますます迫ってきています。皆さんも目にしましたが、形勢に大きな変化がありました。もしこの迫害が急に終わったら、何の機会もなくなり、全てが決まってしまいます。

 しばらく皆さんの法会に参加しなかったため、皆さんともう少し一緒にいたいと思います。(熱烈な拍手)

 ロシア、東ヨーロッパから来た学習者がおり、めったに来られないと聞きました。経済的にも各方面においても苦労しています。ほかに新しい学習者がおり、私に会ったことがなく、ずっと師父に会いたがっています。また、多くの古い学習者も長い間私に会っていません。皆さんは話したいことがたくさんあるようです。もし今日このまま帰ったら、皆さんはきっとがっかりすることでしょう。(師父笑って)(拍手)それでは、いつものやり方で、言いたいことがあれば、紙に書いて出してください。私はそれに解答します。(拍手)

 皆さんは本当に大変お疲れ様でした。だんだん寒くなってきています。夏の時、皆さんは領事館、町や他の場所で真相を伝え、大法を実証した時、暑かったのですがまだ我慢できます。寒くなると、自然の環境は皆さんにある程度の難しさをもたらしてしまいます。しかし、皆さんは自然の環境が良くないから、止めたのではなく、かえってまだ努力しており、緩んでいません。本当に素晴らしいです。未来の生命、未来の世の人々は皆大法弟子に感謝します。未来に残る人は皆さんがいるために、残ることができたからです。(拍手) 世の人々は今迷いの中におり、大法弟子がいわゆる試練の中にいるため、衆生は皆迷いの状態にいます。将来の人々は大法弟子が誰であるかが分かり、大法弟子の素晴らしさを知るようになります。しかも、残った人は大法弟子に感謝するのです。


 弟子:条件が許す限り、大陸に戻って仕事をしてもよろしいでしょうか?

 師:もし迫害が終わり、法がこの世を正すことがまだやってこなければ、大陸に帰って仕事したければ、それでよいのです。今は良いかどうかと言うと、できれば帰らないほうがよいのです。大陸で迫害がまだ続いているからです。私は知っていますが、中国大陸の幹部とか何かの地位のある人から電話や手紙をもらった学習者がおり、大陸に戻るようにと言われ、何もしないとか、迫害しないとか、あれこれを保証するとかを言われました。皆さん考えてみてください、この迫害の政策は彼が決めたのでしょうか? 彼は何かの保証ができるということ自体は問題ではありませんか? 彼は誰に指図されたのでしょうか?(拍手) 彼にどういう保証ができるのでしょうか? 誰が彼にこのように保証していいと許したのでしょうか? このこと自体は問題ではありませんか? 統一戦線とは何でしょうか? 下劣な手段が通用しなくなったら、統一戦線をやろうとしています。またこの手口を使おうとしています。皆さん気をつけてください。私たちは如何なる政権をも脅かしていません。私たちはただ迫害を止めるようにと言っているだけです。(拍手) 迫害をしながら、人心を買収しようとしています。下劣な手段は全部使われました。(皆笑って)

 弟子:重慶の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。(師:ありがとうございます)(拍手) 私たちは如何なる時でも行うべきことをしっかり行うことを師父に誓います。

 師:素晴らしいです。(拍手)

 弟子:北京清華大学の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手)

 弟子:不法に北京女子労働教養所に監禁されている大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手)

 弟子:不法に北京の監獄に投獄されている大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手) 如何なる環境においても、正念を固めなければなりません。なぜならば、あなたは大法弟子であり、特殊な生命だからです。

 弟子:来年のヨーロッパ法会はロンドンで開かれますが、心より師父のご光臨をお待ちしております。(皆笑って、拍手) 師父にお伺いしますが、なぜ「七佛」を「六佛」に変えられたのでしょうか?

 師:いくつかの角度から説明します。一つは歴史上この世に来た佛は少なくなく、六佛だけではなく、七佛だけでもありません。もちろん、ほかの神もいます。佛だけに限っていえば、人間を済度しに来た佛も少なくありませんが、釈迦牟尼のような使命を持つ佛は歴史上、釈迦牟尼の前に六人いました。私が言うときに釈迦牟尼も入れて、七人になりました。しかし、佛教はいつも六佛といっていました。なぜならば、仏教徒は、自分たちは釈迦牟尼の弟子であるので、釈迦牟尼は原始佛ではないと思っており、六佛の言い方をしています。私は釈迦牟尼佛を入れたら七人になると思っています。もちろん、法を伝えているので、現在の人類の受け入れ能力に合わせなければなりません。ですから、できるだけこれらの佛教徒が済度され得るようにするために、彼らの言い方に従い、六佛に変えました。(拍手)

 弟子:師父こんにちは。私はルーマニアの学習者を代表して師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手)

 弟子:ルーマニアの学習者の多くは新しい学習者であり、様々な困難を経験しましたが、皆とても精進しています。ルーマニアの学習者がどのように今までより更に法を実証することに参加し、ルーマニアが法を実証する中でよりよい役割を果たすためにどのようにしたら良いのかについて、師父からお言葉をいただきたいと思います。

 師:先ほど言いましたが、この世の人と大法弟子と比べて、現在大法弟子の人数は非常に少ないのですが、皆さんはこれほど大きな歴史的使命を担っています。各地区の大法弟子は基本的にその地区の衆生が救われる希望であり、しかも唯一の希望です。そこの衆生は皆さんから福音を聞き、皆さんが真相を伝える中で彼らに大法とは何かを認識させなければならないので、大法弟子の責任は非常に大きいものです。それでは、どのようにより良く行うことができるのでしょうか? 私が思うには、大法弟子一人一人は口で説明するだけでその地区の全ての人々に真相を伝えることができないので、大法弟子は修煉の中の正しい念と正しい行いのエネルギー、修煉の威徳も作用しています。

 一方、大法弟子が行った全て、真相を伝える中で言った全てによって、真相は常人社会で伝わり、人間と人間の間にそれを伝える環境を形成しています。この環境の中で、人間と人間との間の会話もそれらの生命を救うことができ、間接的に救うことができます。もう一つの問題ですが、多くの生命は邪悪生命に害され、その影響で、彼らの頭の中で中国共産党のマスコミがでっち上げた虚言がたくさん入っています。もし皆さんが真相を伝える中でそれを取り除くことができれば、それに越したことはありません。大法に対する良くない考えによって、人間は大法弟子を迫害する邪悪生命に制御されてしまいます。大法弟子は正念を発する時、正しい念と正しい行いの中で、それらの良くない考えを根絶することができます。実は、もし皆さんの念が非常に正しければ、町を歩いたり、あなたの都市で暮らしたりして、周りの全ての環境は全部片付けられます。あなたの存在は衆生を救い済度する作用をしています。しかし、個人修煉として魔難に遭うことがあります。あなたに大きな能力があっても、誰も修煉の中で自分で歩む道があります。同時に、法を実証する中で旧勢力が皆さんに多くの妨害をもたらしており、この妨害は通常、正念が足りなければ、なかなか取り除かれることができません。

 どのように良く行うのかについて、ほかでもなく大法弟子として行うべき三つの事を良く行うことができれば、最も良く行うことになります。(拍手) ただし、どのくらいの心を使うかにおいて違いがあります。あまり心を込めていない学習者もいれば、とても精進しており、心を込めて行っている学習者もいます。もちろん、師父に分かっていますが、どなたも社会の中で家庭や仕事があり、更に各方面において社会とつながっているときに起きる社会活動もあるので、残された時間は非常に少ないのです。師父は皆分かっており、理解しています。実は大法の修煉形式もこの点を考慮しました。この面において、影響はありません。

 弟子:台湾の弟子は師父にご挨拶を申し上げます。(拍手) アジア太平洋地区の正悟ネットは今どういう方向に向かっていけばよいのかについて師父にお伺いしたいと思います。

 師:大法弟子のネットはしっかり運営されるべきです。それも真相を伝える窓口であり、衆生を救い済度する中で役割を果たしています。ですから、しっかりやるべきです。具体的にどのように行うかについて、それは皆さんのことです。(師父が笑って) なぜあまり具体的なことについて師父は言わないのでしょうか? 師父は全体に問題がないようにコントロールしているだけで、学習者と学習者との間に現れた問題、議論や認識の違いがあったら、それは皆さんの修煉状態が表したものです。道をどのように歩むのか、一つ一つの仕事にどのように対処すべきかは、皆さん自身がこの過程で自分の威徳を樹立するために必ず直面しなければならない問題です。どのように対処すべきかを私が全部皆さんに教えたら、私がそのことを行ったことになり、全ての神はそれをあなたが行ったこととして認めないのです。(師父が笑って)(拍手) ですから、私はやはりこれらのことを皆さんに残しておきます。私は皆さんの修煉の機会を剥奪してはいけません。

 弟子:広州の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手)

 弟子:師父にお伺いしますが、大陸の弟子は節約したお金をニューヨークで真相を伝えるために使っても大丈夫でしょうか?

 師:大丈夫は大丈夫ですが、もし生活にとても余裕があれば、それは問題がありません。節約したお金であれば、生活にそれほどの余裕がないので、やはり大陸で真相を伝えるために使ったほうがいいと思います。大陸以外のところはなんといっても大陸よりは経済的に良いのです。(拍手)

 弟子:師父にお伺いしますが、現在マンハッタンで真相を伝えることは法を正すことが終わるまで続くのでしょうか?(皆笑って)

 師:違います。この前マンハッタンで真相を伝えている学習者が集まった時、私はすでにお話しましたが、皆さんはしばらくそれを行うだけです。マンハッタンというところは比較的特殊で、金融関係においてほぼ世界の中心となっています。しかも、全世界の多くの大手会社はここで事務所や支局を設けています。つまり、マンハッタンは経済の集合地であり、世界と密接なつながりを持っています。同時に、特殊な環境だから、マンハッタンに集まってきている人も特殊であり、多くの知識レベルの高い人、社会である程度権力と財力を持っている人がいます。つまり、彼らは社会で特別な役割を果たしています。

 ニュージャージを含むニューヨーク地区はほかの地区と比べて、学習者の数が少なくありませんが、この数年真相を伝えてきて、マンハッタンの多くの人はやはり何の反応もありません。これほど長く真相を伝えていますが、多くの人はやはり大法弟子と接触することができません。中国共産党は法輪功を迫害した時、ここに多くの邪悪を投入したため、この環境にいる一部の人はずっと大法を認識することにおいて障碍があります。

 同時に、私はもう一つのことに気づきました。マンハッタンの各大手会社、ひいては小さな会社の中に、皆中国人の職員がいます。これらの中国人の多くは当時中国共産党のマスコミがでっち上げた宣伝と虚像に惑わされ、頭の中にまだ残っています。ですから、彼らはアメリカ社会で毒素を発散する人になりました。彼らの本質が悪いと言っているのではなく、確かに弟子がここで真相を伝えていますが、彼らは向こうで中国共産党の虚言を散らしています。もし良ければ、「あなたの会社の中国人も騙されており、彼は中国共産党を手伝って、毒を散らしている。(拍手) 自分で真相を見るべきである」と皆さんは書いたほうがいいのです。チラシや看板に書いたり、またはマスコミに報道してもらったりしてもよいのです。

 弟子:私は何の常人の技能もないので、どのように法を実証することをより良く行うことができるのでしょうか?

 師:常人の技能がなくても問題はありません。多くの学習者は街頭でチラシや新聞を配っており、常人に直接真相を伝えています。これはあなたにできることです。領事館の前に今でも何年も頑張り続ける学習者がおり、とても素晴らしいことです。できることはたくさんあります。

 弟子:師父こんにちは。『轉法輪』とそのほかの大法の本に最近修正しなければいけない字がたくさんあります。ここに何か深い内涵があるのでしょうか?

 師:内涵についてお話しませんが、表面のことを言いましょう。たとえば、「修煉」の「煉」ですが、大法弟子を迫害することが起こらなかったら、私は皆さんに歩むべき道を与えます。しかし、この迫害が始まってから、それらの偽気功、でたらめのものも迫害に参加し、ひいてはテレビに出て大法を攻撃する人もいます。もちろん、彼の目的は大法を学ぶ人が多くなり、彼の気功を習っていた人まで大法の学習者になり、儲からなくなったから、嫉妬とうらみからそうしたのです。ですから、ほかの気功を煉るという「煉」の字を「火へん」から「糸へん」に直したらどうですか、と私に提案した学習者がいます。もともと彼らは本当の修煉ではないのです。

 私はただ一つの例を挙げているだけです。ほかの面において、変異した文化によってもたらされた要素があります。漢字は特殊な文字であり、天上の字と非常に似ています。中国語と天上の言葉もとても似ています。なぜならば、中国語は神が直接人間のために造った文化であり、しかも中国で築いたのは半神文化です。そのため、字の形と音は宇宙とつながっています。これは西洋の文字、ほかの民族の文字と大きく違っています。ほかの民族の文字はある意味から言えば、神が人間のために造った一種の符号です。その目的は縁を結んでから、その地区で法を待つためです。その地区で法を待っている人が普通に生活することができるように、とりあえず人間に交流のための符号を与えました。しかし、漢字の音とその字形がもし宇宙と繋がっていれば、皆さん考えてみてください、それは人類に、この次元で法を得て修煉する大法弟子が法を実証すること、ひいては法を正すことにどういう妨害作用を働くのでしょうか? つまり、旧勢力はこれらの要素を利用して、法を正すことの隙に付け入っています。例えば、「目的」という言葉は以前古代の時「目地」であり、そのとき、どこかの場所に着いたということを表すとき、必ず「土地」の「地」を使っています。近代になって、表面では、文法を統一し、人々が文法を身につけやすいように、「地」を「的」にしました。ですから「目的」に達しても「目地」に達することにはなりません。

 多くの要素に問題があり、旧勢力は近代で中国の文化を破壊し、私が法を伝えることにひどい局面を残してくれました。各方面において破壊の要素が多くあるので、多くのことを正さなければなりません。しかし、時間がすでにないので、字を修正しても、簡単にやっているだけです。幸いなことに、法の内涵は影響されません。『轉法輪』という本は各空間での現れはそれぞれ違い、天上の『轉法輪』は、この世の『轉法輪』と見た目ではまったく別のもののようです。ですから、影響を受けることはありません。

 弟子:弟子は最大限に常人に合わせて修煉するということができなかったので、将来多くの悔いを残すことになるのでしょうか?

 師:最大限に常人に合わせて修煉することができなかったと言っていますが、「最大限」というのは完全に基準に一致したということです。もし今日修煉が終了したら、あなたはどの次元なのか、決められてしまいます。今日修煉がまだ終わっておらず、終わっていなければ、つまりあなたがやり遂げなかったこととやり遂げたこと、修煉して良くできたところとそうではないところは、この過程での現れであり、あなたの次元を決めることができません。もし自分の足りないところを認識し、あなたがこの質問を出した以上、きっと既に認識したと思いますが、それならば、それを正し、良く行えばよいのです。(拍手)

 弟子:師父にお伺いしますが、以前出版された『轉法輪』の中の「程度」は既に「成度」に直されましたが、明慧ネットがまだそれを発表していないと言っている学習者がおり、「程度」に戻すべきなのでしょうか?

 師:字の修正は既に数回行われましたが、修正しないといけない字は本当にたくさんあります。何かの問題に関わると、たくさんのことが現れてきます。ですから、現在をもって字を修正することはこれで終わります。これ以上修正しません。修正する必要のある字に関して、近々新版の『轉法輪』が出版されますので、それに基づいて修正してください。字を修正する時、明慧ネットに知らせたこともあり、知らせなかったこともあります。こういうことです。

 弟子:師父が説明してくださった宇宙の構造は即ち新しい宇宙の構造なのでしょうか?

 師:私が皆さんに説明した構造は皆旧宇宙の構造についてなのです。法を正す中で現れてきた状態は、旧宇宙の生命が表した状態でもあります。新宇宙についてそれは話してはいけません。話してはいけないだけではなく、天機を漏らしてはいけません。(笑い)(皆笑って、拍手) 旧宇宙の中の多くの天機は既に天機と言えなくなり、なぜならば、旧宇宙の天機は変わるものであり、いつか変化するものだからです。しかし、旧宇宙に良い生命、良い要素、良い構造があり、これらは残されなければなりません。ですから、旧宇宙の中の多くの生命、絶対多数の構造はやはり残されました。

 弟子:これほど切羽詰って衆生を救い済度しなければならないのに、なぜ私にまだこれほど強い私心があるのでしょうか? 自分のために焦っています。

 師:私が思うには、自分の足りないところを認識することができれば、これは即ち修煉なのです。実は非常に正常なことです。認識することができれば、進歩の始まりなのです。普段気をつけることができ、徐々に正しく行うことができるようになれば、あなたは即ち進歩しています。焦らないでください。焦ったら執着が生じます。問題に気づいたら、それを直し、足りないところを認識したら、それを克服すればよいのです。多くのことは皆さんにできないかもしれません。この点は私が法を伝えた時既に全部配慮し、この問題が起きるだろうと思ったのです。つまり、私が済度するのは主に主元神であり、即ちこの人なのです。人間にどれくらいの能力があるのでしょうか? 人間が自分の過ちを認識し、それを克服していれば、即ち修煉していますが、もし人間の生命を構成した要素まで変異したら、どうしたらよいのでしょうか? 特に人間の思考様式まで変異してしまったら、どうしますか? 例えば、中国共産党は中国で目的をもって教育システムを長年強化してきましたが、多くの人は共産党が良くないと言ったのも、共産党に教育された文化の中でそれを言っているのであって、本当に共産党について認識したのではなく、注ぎ込まれた共産党の文化の外から共産党を認識することができません。これはつまり変異した考えです。それでは、こういう状況下でどのようにしたら良いのでしょうか? ですから、あなたにできることがあり、できることをしなければ、あなたは修煉者ではありませんが、あなたにできないことは大法は必ずやってあげます。師父に必ず方法があります。(拍手)

 つまり、あなたが修煉する部分はあなたが修煉しなければなりません。あなたにできない部分、気づかない、意識できない、ひいては意識してもそれをやり遂げる能力のない部分は師父がやります。もちろん、放棄できない執着を見て、「能力はない」という口実で、自分の責任から逃れようとしたら、(皆笑って)それではいけません。私が言っているのは、あなたの生命の構造と考えの構造、あなたがまったく意識できない部分、やり遂げることのできない部分に関しては、師父は間違いなくやってあげるということです。

 弟子:師父、迫害が終わった時、つまり法がこの世を正す時なのでしょうか?

 師:そういう可能性が大きいですね。(拍手) 私はやはりこれらのことについて言わないほうがいいのです。何かを言うと、皆さんの心が落ち着かなくなります。素晴らしいことと壮大な光景は皆さん自身の目で見るように残しておきたいのです。

 弟子:師父、大法弟子を迫害する中共邪党の由来についてお話をいただけませんか?(皆笑って)

 師:このものは一体どのように現れたのかについて、やはり法会で話さないほうが良いと思います。この世でどのように現れてきたのか、これは私が言わなくても皆さんが知っています。実は邪な党であっても、悪い党であっても、またはほかの何かの党であっても、修煉者として私たちはまったく関与したくはありません。いくら悪くても、この世でのことであり、いくら良くても、やはりこの世でのことです。しかし、修煉者としてこの世を離れているので、この世で修煉しても世間のこれらの紛争には入りません。あの党が悪いのですが、悪としての存在目的があり、善であれば善としての存在目的があります。これは人類社会の社会状態が決めたことです。大法弟子はまったくそれに関わろうとしません。しかし、皆さんははっきりと目にしましたが、この世の魔の首魁は当時私たちを迫害した時、「必ず法輪功に勝つ」、「(中共邪党が)法輪功に勝てないなんて信じられない」と叫んだのです。これが魔の首魁の嫉妬によるものだと私に分かっていますが、実はこの話の背後にその党の要素があります。つまり、私たちを迫害したから、それらがやったことを暴露しているのです。この迫害を私たちは認めていません。真相を伝える中で私たちは、なぜ法輪功が迫害されているのか、法輪功とは何か、その党はまたどういうものなのかを世の人々に教えているのです。誰であれ、大法弟子を迫害したら、必ずそれを暴露して、世の人々の考えに注ぎ込まれた毒を取り除きます。

 また、学習者が言った真相を聞いて、法輪功がとても良いのですが、中共邪党にもそれなりの理由があると言っている人がいます。中国共産党が言ったことは間違うはずはないと言い、真相を聞こうとしない人もいます。これらの人はその邪悪な本質が分かっていないのです。法輪功はとても良いのですが、悪党は間違っておらず、魔の首魁のせいだと言っている人がいます。それならば、私たちは世の人々になぜ法輪功を迫害するのか、法輪功を迫害する目的は何であろうか、いったい誰が邪教なのか、悪党がどういうものかなどを人々に教えなければなりません。迫害される中で、大法弟子はその実情を全部暴露します。

 大法弟子は修煉者であり、この世のことに関わらないのですが、私李洪志は何でも知っています。(拍手) 迫害されているこの数年来、私はずっと同じことを言っていますが、迫害はまだ続いています。現在、中国共産党の新しい指導陣は既に二年経ちましたが、迫害はまだ続いています。これはただ個別の人が悪事を働いているだけなのでしょうか? そうでなければ、なぜその悪党の邪悪の本質を広く伝えないのでしょうか? 私を迫害しなければ、私もあなたに関わらず、あなたに対して何も言いません。多くの大法の弟子の命が奪われ、しかも迫害がまだ続いています。なんと邪悪なのでしょう。しかも、共産党は一辺倒のマスコミを利用しており、天地を覆い隠すかのような宣伝は「文化大革命」の時よりもひどかったのです。これらの善良な人たちに対してこのようにして、私は我慢しても、許しても、神はこれを許しません。(拍手)

 弟子:情に対する執着によって、間違ったことをしました。自分が歩んだ道についてとても後悔しています。私はどのように補えば良いのでしょうか?

 師:実は師父が最も心を痛めていることはこれらのことです。修煉者として、本当に恥なのです。常人にとっても恥です。しかし、修煉者として、このことをどうして皆の前で言えるのでしょうか? とても恥ずかしいことです。ご存知でしょうか? 昔の修煉のとき、修煉者がこのことにおいて戒律を破ったら、永遠に二度と修煉することができなくなります。これほど厳しい問題です。

 どうしたら良いのでしょうか? 大法は慈悲であり、師父は皆さんの生命を全面的に見ています。法がこの世を正すことがやってくるまで、あなたたちはまだ機会があります。しかし、このような過ちをもう犯してはいけません。もうしてはいけません。特にこの時期、邪悪はあなたの情を利用して今まで以上にあなたを迫害し、あなたの欲と執着を強め、そしてあなたはしっかりすることができず、邪な道に入ってしまいます。師父はこのことを目にしました。もし、これから正しく歩み、修煉することができれば、この罪は邪悪の罪になります。もしこれでも正しく歩むことができなければ、この罪はあなた自身の罪になります。もちろん、妨害している邪悪を根絶しなければならず、そして全ての行為はあなたの行為になります。

 法を正す期間中、宇宙全体で法を正されていますが、師父がどのように行っているのかをご存知でしょうか? この世の人間、この世の生命よりも低い、更に更に低い生命を含む宇宙全体の生命に対して、あの世の生命、地獄にいる生命も含めて、私はある原則に基づいて行っています。つまり、この生命は歴史上どれほどの罪と過ちを犯したとしても、私はそれを見過ごし、罪を消してあげることができ、全てを善解します。歴史上このように衆生に対処する人は誰もいませんでした。宇宙のどこかがだめになったら、その部分を爆発させ、作り直します。だめになった部分があったら、人体の新陳代謝のように、だめになった細胞を代謝させて、また新しい細胞を作ります。これほど慈悲深く衆生に対処しているのは、宇宙の天地開闢以来かつてなかったことです。(拍手) 私はずっとこのように行ってきており、しかもこれをやり遂げることができました。しかし、ただ一つ、もし法を正す時期に大法に対して罪を犯し、法を正すことを妨害したら、その罪を見過ごすことができません。こういう基準です。もしこの基準までなくなったら、宇宙の法はなくなります。未来の生命は遵守する法はなく、従う法もありません。宇宙に法はなくなることになり、宇宙は乱れてしまう混沌の世界になります。それではいけません。それは宇宙を破壊することになります。ですから、法を正すことに対してマイナスの作用を働いた生命はこういう罪を犯すことになります。その生命にとって、一念の間違いで犯した罪かもしれませんが、その結果は深刻なものです。

 弟子:尊敬たる師父、こんにちは。私は黒龍江省から来た弟子で、今韓国にいます。黒龍江省の全ての大法弟子および韓国の真相を伝えている各チームを代表して、師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手) 韓国の弟子はとても良く行っています。中国大陸にも多くの朝鮮族の大法弟子がおり、厳しい迫害に遭っています。私は全部知っています。

 弟子:私たちの真相を伝えるチームは北京に対して重点的に真相を伝えており、全体の八十パーセントを占めています。ほかに、学習者の救援活動は二十パーセントです。北京地区に真相を伝えることに力を多く入れれば、マンハッタンに集まっている邪悪を減少させることができるのでしょうか?

 師:次のように言ったほうがいいと思います。つまり、各地の大法弟子は皆とても良く行ったとき、邪悪は余裕がなくなり、各地で根絶されてしまいます。マンハッタンに集まってきている邪悪は徹底的に根絶されています。現在、三界内の邪悪は既に大量に根絶されました。皆さん見てみてください、現在の形勢が変わっており、天気まで変わっています。以前ニューヨークの領事館で請願している大法弟子なら、皆知っていますが、あそこは一番寒かったのです。大法弟子はこの数年本当に多くの苦を嘗めました。現在の情況から見れば、各地の大法弟子は自分の能力を十分生かして、大法を実証することを行っています。それによって、邪悪がますます少なくなり、邪悪が集中して何かをやろうとしたら、非常に難しくなります。

 弟子:どのように皆さんと一緒に全体と大局から問題を考え、大法を第一位にすることができるのでしょうか?

 師:これは全ての大法弟子が考えるべき問題です。どのように行うべきかのことにいたっては、法をしっかり勉強し、師父に教えられたことのように行ってはじめて、道を正しく歩むことができます。

 弟子:私たち大陸からの弟子はなかなかアメリカに行って法会に参加し、師父にお会いすることができません。大陸から韓国に来ている、師の法を正すことを手伝う弟子に対して、どのように自分が行うべきことをしっかり行い、先史の誓約を実現させるかについて、師父からお話をいただきたいと思います。

 師:大法弟子は皆同じであり、どこにいてもしっかり行うべきです。異郷にいても、直接邪悪に迫害されている環境にいても、大法弟子の正しい念と正しい行いを表すべきであり、邪悪を怯えさせます。邪悪は表面では騒いでいますが、心の中で怖がっています。皆さんは大法弟子であり、心の中で怖がってはいけません。もしある修煉者が本当に生死を放下することができれば、生死は永遠にあなたから離れてしまいます。しかし、これは意識的に表すことではなく、あなたは法の中でここまで修煉したから、このような生命になったのです。もし中国大陸でこの迫害が起きた当時から、大法弟子は今のように正しく行うことができれば、この迫害は発動され得なくなります。それらの邪悪は瞬時に消滅されてしまい、この世は彼らが悪事を働く場所ではなくなります。

 現在、皆さんは徐々に認識をはっきりさせ、冷静になり、大分理性的になったため、どのように行うべきかが分かるようになりました。多くの人心は確かに修煉によって取り除かれました。実は一部の学習者の場合、その人心は修煉によって取り除かれたのではなく、怖がっており、その怖さからでたらめなことをする気がなくなりました。環境が少し緩和されると、またでたらめなことをしてしまいます。これではいけません。法の中で修煉しなければ、真に法を認識することができません。本当に法を身につけてはじめて、正しく道を歩むことができ、この生命は保証されます。逆の場合、この生命は最も危険な状態におり、なぜならば、邪悪は随時に隙に付け入ってくるからです。常人なら、どんなに悪くても、邪悪は関わってきません。あなたが修煉したいから、邪悪はあなたに修煉させないようにします。しかし、あなたがしっかり修煉しなければ、邪悪に迫害される対象になります。

 弟子:真相を伝える活動に非常に積極的ですが、長い間自我に執着するという枠からなかなか出ることができない学習者がいます。彼らは全体に協調せず、更に一部の学習者にも影響しています。もしほかの学習者が力を貸しても、彼らはやはり正しく行うことができなければ、師父にお伺いしますが、将来このような学習者たちはどういう結果になるのでしょうか

 師:私が思うには、今はまだこの学習者について云々してはならず、結論付けてもいけません。なぜならば、修煉の過程で異なる現われがあり、常人の心が全部表れてくるからです。この心を取り除かなければ、きっと現れてきます。これに対し、修煉して良くできたその一部分は見えなくなり、なぜならば、修煉して良くできた部分は現れてくることはないからです。修煉してまだできていない部分が現れると、すぐほかの人の目に留まってしまいます。大事なのは、ほかの人に指摘された時、または自分の執着がトラブルと衝突した時、どのように対処し、自分の足りないところを認識することができるかどうかは、これこそ肝心なことです。自分の問題を認識したら、それを克服しなければなりません。これは修煉なのです。いろいろ言いましたが、私に言わせると、精進できるかどうかの問題です。

 もし自分の修煉が良くできておらず、更にほかの大法弟子または多くの大法弟子に影響してしまい、彼らの修煉を台無しにしてしまったら、これは十八階の地獄に行っても償いきれない、大法弟子の修煉を妨害した重い罪です。長きにわたって、執着心を取り除かず、邪悪に妨害されている学習者がいます。周りの人はこの人がもうだめだ、もうおしまいだと思っています。今はまだこのように見てはいけません。実はほかの面において多くの心が取り除かれ、多くの執着心がなくなり、それによって現れてくることもありません。しかし、修煉してまだ良くできていない心は現れ、師父も必ずそれが現れるようにし、衝突に遭わせ、皆さんの目に留まるようにします。目的は本人にこの心を取り除かせるためです。周りの人がそれに気づいたら、本人に指摘すべきです。それを言わないのも相手の機嫌を損ないたくない心があるからです。この心によって、二人の間にトラブルと衝突を生じさせ、二人とも認識できるようにします。このようにする目的はやはりこれらの常人の心を取り除くためです。しかし、執着心を表している学習者がだめだと思ってはいけません。ですから、大法弟子の間に問題や間違いがあるのは免れがたいことであり、大事なのは、お互いの間に本当に衝突とトラブルが生じ、それによって信頼を失ってしまうというようなことがあってはいけません。

 最近、私はいつもお互いに良く協調するようにと言っています。良くない心が取り除かれたかどうかに関わらず、皆さんと協調を取るようにしなければなりません。なぜ、時には各地区で意見が対立し、対峙しているのでしょうか? なぜ法を実証する中で、いつも意見を統一することができないのでしょうか? この問題は中国大陸において最近比較的目立っています。実はどういう問題なのでしょうか? とても簡単です。つまり、あなたが法を実証しているのか、それとも自分自身を証明しているのかのことです。もしあなたは法を実証していれば、ほかの人から何を言われても心が動じることはありません。もしほかの人があなたの意見、あなたの気になるところを刺激し、あなたの気分は斜めになったとしましょう。つまり、ほかの人が何かのことについてあなたに反対する意見、またはあなたの意見に同意していない時、あなたは気分が斜めになり、相手に反対したり、弁解したりすることによって、話題を脱線させ、今までの話題をまったく考慮してなければ、あなたの弁解が最も善意な弁解であっても、あなたは自分を証明していることになります。(拍手) なぜならば、あなたは大法を最も大事なこととしてみておらず、そのとき最も気になっているのはあなた自身のことなのです。

 しかし、人間は考えが複雑なものであり、時になかなかわきまえることができません。確かに法のために考えて、このようにしたほうが良いと思っている人がおり、彼は自分に執着しておらず、自分の意見を固持しています。これほど固持していれば、あなたが自分を証明しているのではないかと言う人がいます。ですから、この時、皆さんは必ず冷静にならなければなりません。実は皆法のために考えていれば、協調が取れないという問題は存在しなくなります。私たちはどこにおいても良い人であり、何かをするとき相手をまず考えるのではありませんか? なぜ大法弟子はお互いに相手のことを考えないのでしょうか? 皆修煉者であり、修煉しているので、弟子の間の態度などに気を使う必要はないと思っていますが、こういう考えではないでしょうか? これは間違っています。皆さんは人間が修煉しているのであって、神が修煉しているではないので、必ず相手のことを考えなければなりません。このことを忘れてはいけません。

 弟子:韓国の学習者は今様々な方法で各界に真相を伝えることに力を入れており、徐々に各界の人々に注目され、支持をいただいています。真相を伝えることの効果がますます良くなり、同時に全国各地から新しい学習者が大量に入ってきています。しかし、最近連続して数名の学習者が事故に遭って亡くなりました。一人は乗っているバスが転倒しました。もう一人は水死しました。三人目は仕事中に事故に遭いました。中の一人は真相をとても一生懸命に伝えていました。これらの事故の後で、新しい学習者に影響を与えました。

 師:先ほど法を正すことと大法弟子に対する旧勢力の妨害についてお話しましたが、旧勢力はなぜこのようにしているのでしょうか? 旧勢力はどういう目的なのでしょうか? 旧勢力は、あなたたちが皆修煉しに来て、大法が良いと思っていますが、本当に真に法理から大法が良いと思っているでしょうか? それともほかの人が良いと言ったから、自分も良いと言ったのでしょうか? または自分が受益したから法が良いと言ったのでしょうか? 修煉と大法は厳粛なことであり、人間を神にすることができます。旧勢力は耐えられず皆さんに試練を与えようとしています。天寿になった人がいれば、その人を死亡させてしまい、このときでもあなたは大法が良いと言い、残って修煉し続けるのでしょうか? これはほかでもなく旧勢力の仕業です。ですから、命の危険に遭っている学習者に関して、本人が良くないとか、重大な問題があるとかを言ってはいけません。実は全ては旧勢力が人間の心に付け入って妨害しているだけです。原因が二つあります。一つは心の動じやすい学習者がおり、もし彼らの修煉が良くでき、しっかりとしているものであれば、こういう問題が現れてきません。もう一つは、もし心の中で長い間執着を取り除かなければ、同様に迫害され妨害される恐れがあります。「煉功して、病が治り、なんと気分の良いことだろう。生活も大変便利になった」というように、彼らの認識は長きにわたって、このレベルに留まっています。法から法を認識することができなければ、問題も起こりやすいのです。もちろん、全部はこういう情況ではありません。旧勢力は長い間、このようにやってきました。当時、中国大陸の学習者に修煉の中で、同じ問題に遭っている人もいました。ですから、修煉の中で必ず正念をもって認識しなければなりません。修煉が最も最も厳粛なことであると認識しなければなりません。

 もちろん、ほかにも幾つかの出来事があります。現在各地の学習者はほぼ冷静になり、法に則って法を認識することができるようになったため、これらのことに正しく対処することができます。以前、「煉功点のこの人の行いが本当に素晴らしいので、彼のように行いましょう」と言っている人がいました。皆さんに教えますが、くれぐれもこのようにしてもならず、考えてもいけません。修煉の人は誰それを手本にしてはならず、法を師とすべきです!(拍手) 皆さんが一旦このように行い、考えてしまう時、二つの問題が現れます。一つは、その学習者を死滅への道に追いやってしまい、旧勢力は彼に問題を生じさせ、ひいては死なせてしまい、これによってほかの学習者に試練を与えようとしています。「あなたたちは彼ばかり見ていて、こういう情況になったら、まだ大法を学ぶのか、修煉を続けるのか」と旧勢力が思うのです。こういうとき、「彼もだめになったら、私などは大丈夫でしょうか」と思って、すぐ動揺してしまいました。これでは、旧勢力に隙に乗じられてしまったのではありませんか? 師父である私さえ何も言うことはありません! 「見て御覧なさい、この試練の結果はどうでしょう。私たちは正しかったでしょう」と旧勢力は言うのです。ですから、正念が強くなければ、常人の心が動かされてしまいます。くれぐれも気をつけてください。法を師とすべきです。誰それの修煉を見て、その人を手本にしてしまい、法を勉強しないということをしてはいけません。

 当時、中国大陸で迫害が始まったばかりの時に、このような学習者もいたのではありませんか? 多くの学習者が輔導員を見ており、輔導員が行うように行っていました。輔導員が妥協してしまったら、彼も妥協してしまいました。もちろん、学習者はなんと言っても学習者なので、しばらく経って冷静になり、自分の間違いに気づき、再び法を勉強し、妥協という認識が間違っており、間違ったことをしたと気づくのです。しかし、このことは自分に汚点をつけてしまうことになるのではありませんか? 自分がかつてこういうことをしたことがあり、修煉者として汚点になるのではありませんか? ですから、常人の心が動いてしまうと、修煉環境に厄介なことをもたらしかねません。くれぐれもこれらのことに気をつけるべきです。

 修煉の中で、どういう情況もあり得ます。煉功して病気が治った人を見て、「あら、こんな重病まで煉功して治ったんだ。あら、あの人のガンは煉功によって治ったんだ。じゃ私も煉功を始めます」と思ったのです。彼は何のために煉功を始めたのでしょうか? ガンのため、病気治療のためであり、本当に修煉しにきたのではありません。しかし、誰が法を認識しても、きっかけがないといけません。このように認識し始めたかもしれず、あのように始めたかもしれませんが、修煉を始めたら、法の勉強を第一位にしないといけません。これこそ修煉なのです。修煉の中で本当に法を認識した時になると、あなたはどんな心をも放棄できます。「私は既に法を得たから、もう何も恐れていません。死んでも恐れません。死んでも私が既に法を得たから、たいしたことはないでしょう。地獄に落ちることもありません。そうではありませんか。既に法を得たからです」と思うようになれば、その人の命の危険が本当になくなり、病気もなくなります。(拍手)これは本当の修煉者が表した考えであり、彼は本当にこのことを認識し、向上したから、如何なる心をも放下し、少なくともこの点において、人間を超え、人間の境地を通り抜けたのです。病気は常人がかかるものであり、病気を治す心を放下したから、病気も治りました。

 長い間、病気を治したい心を取り除かない人がいます。不治の病にかかった人は実は天寿が来たのです。不治の病までかかったら、つまり命はもう終わりに近づいたということですが、彼は大法を学びました。彼は病気治療のために大法を始めたのですが、常に法を勉強し、法を認識するようにと教え、更に彼に多くの実例をも見せました。しかし、彼はやはり法から法を認識することができません。本を読まなければ、法に則って理解することができず、ほかの人について煉功しているだけです。そして、彼は「私はもう法輪功の学習者になり、煉功もしているのに、なぜ病気が治らないのでしょうか」と思っています。しかし、修煉は厳粛なことであり、人心に対する試練に加減はありません。執着すればするほど、気分が悪く感じます。病院に行って検査すれば、病気が重くなったという結果が出されます。それでも悟らなければ、ますます悪化し、最後に本当に死んでしまいます。なぜならば、あなたは本当に学習者ではないからです。法を勉強せず、病に執着している心をも取り除かず、あなたはほかでもなく、病気治療をするための常人なのです。私が大法を伝える目的は生命の根本から人間を救い済度するのであって、常人の病気を治すことを目的としていません。もしあなたが本当に修煉し、真に生死の心を放棄することができ、ほかの人に見せるためにそうしたのであって、心の中でなかなか放下できないということではなければ、どんな病気も良くなります。修煉はほかでもなく、人間と神との間の一念の違いだけです。しかし、この一念の違いは、言うのは簡単ですが、しっかりとした修煉の基礎があってやっとやり遂げるものです。本当に力を入れて法を勉強していれば、あなたにそれができます。

 もちろん、こういう情況の人は往々にして大法の中で長くおり、ずっと機会を与えられています。なぜならば、あなたはなんと言っても法を得たからです。ずっと機会を与えられ、この人は死なないのです。それでも機会を与えます。しかし、長く機会を与え、この人がなかなか悟らなければ、長く修煉し、大法のこともほかの人と一緒にやっていますが、根本から病気の心さえ取り除いていなければ、根本から見れば彼はまだ本当の学習者ではなく、天寿になったら、亡くなってしまうのです。常人も大法のことをすることができますが、このような人が得るのは福なのです。修煉者は大法のことを行うとき、常人の福や生活の幸せなどを求めておらず、次元の向上だけを最も重要なこととしています。修煉者は世間での得と失を求めておらず、病気に執着するのも世間での得と失を求めているのではありませんか? 病気が治ったら大法のために多くの良いことをすることができ、私の病はなぜ治らないのかと思う人がいます。あなたの病気の回復、あなたの修煉、あなたが大法弟子になることに皆条件があります。なぜならば、病気が回復したら、はじめて修煉をし、大法を認めるからです。修煉には条件はありません。何も求めずともおのずと得るということです。

 もちろん、如何なることも絶対的なことではありません。法理からこのように言いましたが、多くの人の情況は違います。私はこの例を挙げただけです。皆さんは皆このことを認識することができれば、大丈夫ですが、執着して放さなければ、本当に難しいのです。

 弟子:アイルランドの大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。長く法を広めることと個人の修煉をきちんと行っていないのですが、まだ補う時間があるのでしょうか?

 師:それなら行ってください。まだ終わっていないので、これはみな時間です。(皆笑って、拍手) あなたがどんなに正しく行わなかったに関わらず、師父はやはり皆さんを見捨てたくはありません。(拍手)

 私は以前話したことがありますが、宇宙で法を正すことは一つの段階で、法がこの世を正すのはもう一つの段階です。つまり、師父は二つのステップをとって、このことを行っているので、三界の法を皆さんに説きませんでした。私は皆さんに宇宙の法だけを皆さんに教えました。三界の各種の生命の構成、生命の由来、生命の構造、この世の歴史、この世の各種の学説、宗教、更に科学がどのように生じたのか、その目的はどういうものなのか、この世で現れた各種の紛争は何のためなのか、歴史上の全ての全てについて、私は説きませんでした。三界の構造、三界の異なる天体の状態についても、私は皆さんに説きませんでした。なぜならば、宇宙の中で三界はあまりに小さいのであって、大法の中で説かれるほどのものではなく、レベルが非常に低いのです。私が皆さんに大法を説きました。中に三界が含まれています。将来皆さんは何でも知るようになり、三界のことは私が皆さんに説く必要はありません。私は将来人間のことをも、しなければならないので、そのとき三界の法について説きます。将来三界内のことを行う時はつまり法がこの世を正す時です。

 法を正すことが二段階に分けて行われているため、宇宙の中である現象が現れました。どういう現象なのでしょうか? つまり三界はずっと取り囲まれており、三界内の生命はここから出ることができず、三界外の生命もここに入ることができません。元々私が三界を閉じ込めており、旧勢力が初期のとき造った要素がまだ残っており、完全に片付け終えていません。法を正すことをこの世の表面で行うことになるまで、残っている旧勢力の要素はよくない作用を働いています。法を正すことと法がこの世を正すことは二段階に分けて行われているため、三界は宇宙から離れなければなりません。私が法を正し始めてからのこの十数年の間に、三界は絶えず宇宙の外に向かって動いています。天文学者らに見えた宇宙の天体は初期の頃の天体ではなくなり、銀河系の位置もそのときの位置ではなくなりました。初期の頃銀河系の周囲に位置していたほかの星は現在とは異なっており、なぜならば、三界は宇宙から離れているからです。移動の過程で、科学者はそれに気づき、宇宙が膨脹していると言っています。実は、ほかでもなく天体が三界から離れており、しかも三界が元の位置からますます遠のいています。三界はこの十数年の間、絶えず宇宙から離れてきています。この過程の中で、科学者は天体が大きく変化したことに気づき、今までなかった星や天体、星系が現れ、いままでのそれらの星と星系がどこに行ってしまったのでしょうか? 宇宙になぜこれほど大きな変化が生じたのでしょうか? 実はこれは三界が宇宙から離れていく過程の中での現れです。

 正見ネットは報道したのではありませんか? 宇宙は光速を超えた速度で遠くへ消えていっており、銀河系は宇宙から離れています。今、人間さえここまで見ることができ、つまり最も表面の離脱が始まる時が来ました。私がこのことを行っていた初期の頃、「あなたが行ったことは将来人間に見ることができ、人間は最後これらのことをあなたが行ったと気づくでしょう」とこのように話してくれた神がいました。なぜならば、なんらかの現れは徐々に私のところに集中してくるからです。

 三界が離れてから、銀河系以外の空間に何も存在しなくなり、空っぽになり、これは人間にとって非常に恐ろしいことです。今まであった銀河系以外の星、銀河系の外にあまねく分布していたすべての天体は全部なくなります。正見ネットは、銀河系は宇宙に「さまよう魂」のようになると報道しました。なぜこの現象が現れたのでしょうか? 科学者を含めて、人間は無関心のようであり、ただ理解できないと思っているだけです。以前宇宙の中でこのようなことが起きたら、銀河系が存在しなくなり、宇宙から離れたら銀河系は生き続けることができず、解体してしまいます。宇宙で法を正すことと法がこの世を正すことが二つの段階に分けて行われているので、三界は必ず宇宙と分離しなければなりません。宇宙で法を正し終えたら、すべてが新しくなり、純粋で清らかになります。しかし、三界は相変わらず汚ければ、宇宙を汚染してしまいます。美しい宇宙の中に汚いところがあってはいけないので、三界を宇宙から移しださなければなりません。そのため、分離という現象が起こりました。(拍手) 科学者も今この問題に気づきました。

 弟子:壁にかける「論語」の字をどのように修正したらよいのでしょうか?

 師:壁にかける「論語」の字も修正できます。色を使って直せば良いでしょう。実はどんな方法でもかまいません。

 弟子:国内の新しい学習者が表に出るようにどのように手助けしたらよいのでしょうか?

 師:新しい学習者に対して、皆さんは急いではいけません。なぜならば、彼にまだ認識の過程があります。もし本人が積極的にやりたければそれでいいのですが、そうでなければ、私たちは強引に新しい学習者にやらせてはいけません。なんといっても、まだ新しい学習者だからです。

 弟子:海外の大手会社は中国国内に投資しようとすることと家族が帰国するということをどのように見るべきなのでしょうか?

 師:家族の人が帰国することについて、もし修煉していなければ、帰国したければ帰国すればよいのです。修煉者ならできるだけ帰らないほうがよいのです。帰って迫害されるのを待つのでしょうか? 大法弟子として大法弟子が行うべきことをしなければ、あなた自身も見過ごすことができません。しかし、それをすると迫害されてしまいます。ここにあなたが行うべきこともあります。

 多くの会社が中国に行って投資しにいくということにいたっては、皆さんはとりあえず関わらないでください。皆さんはほかでもなく真相を伝えるだけであり、大法がどういうものなのか、なぜ迫害されたのかを人々に伝え、迫害の中の下劣な茶番劇、政府がらみで卑怯にも虚言をでっち上げたり、誹謗中傷したりしたことや邪悪な弾圧を全部相手に話し、世の人々に教え、彼らがこのすべてをはっきりと認識することができれば、目的に達したことになります。真相を伝える中でこのレベルのことを話せばよいのです。レベルの高いことを話す必要はありません。ある会社がどこかへ投資しにいくということに関しては、機会があれば、「皆さんが投資するから、中国の邪悪な集団は迫害に使うお金があるのです。今彼らが邪悪になり、皆さんもその恐ろしさがわかったのでしょうか。あなたの会社も脅かされているでしょう」ということだけを話せばよいのです。投資しにいくかどうかに私たちは干渉しません。非常に分かりやすい道理から彼らに話すしかありません。

 しかし、私が思うには、利益を前にして、それを聞き入れる人もいれば、そうではない人もいるので、これは重要なことではありません。重要なのは、人々に法輪功が迫害にあっていることの理由と迫害を起こしている人の邪悪さを教えることです。これで十分です。人間はこれらの邪悪を認識することができれば、考えの中で中共の虚言を作るマスコミの宣伝の中の毒素を排除するので、あなたはこれで彼を救ったのです。これだけで彼が次の段階に入ることができます。でなければ、法がこの世を正す時になると、強大な功がやってきて、法を正すことに基準があるので、そのとき、いかなる認識の機会も二度とありません。宇宙の最もレベルの高いところから最も低いところまで、基準は同じです。そのとき、生命はそのときの状態によって決められ、最速の時間内に片付けられてしまいます。淘汰されるものは淘汰され、残されるものは残り、次元が高まるものは高まりますが、下がるものが下げられてしまいます。瞬時に終わってしまいます。この生命は頭に入っているものによって決められています。ですから、そのときになると、もう機会はありません。もし邪悪のならず者の集団の毒と害を粛清することができれば、乗り越えることができ、少なくとも、未来の変化を見ることができます。

 弟子:私は台湾の子供弟子です。私は台湾の子供弟子を代表して、師父に蓮の花をお贈りしたいと思います。(笑)(皆笑って、拍手) 偉大な師父に感謝を申し上げます。

 師:ありがとうございます。この蓮の花は本当にきれいですね。(拍手) これは大法弟子が真相を伝える中での工夫であり、皆さん本当にお疲れ様でした。皆さんは人を救うために多くの方法を考えましたね。今の人は本当に救いがたいのです。彼の観念に合わせて、彼の気持ちに沿って話してはじめて、耳を傾けてくれます。つまり、彼を救うために、条件があるということです。(笑)

 弟子:師父にお伺いしますが、私の親族も煉功していますが、彼は自分がとても特殊で、正念を発することや真相を伝えることを行っておらず、『轉法輪』以外の法もあまり勉強していません。今法を正す時期の各仕事がとても忙しいので、彼を助けるために多くの時間を使えば、時間のバランスがなかなか取れません。

 師:そうです。もし新しい学習者であれば、許してあげてください。もし古い学習者であれば、彼は間違いなく間違っています。どのように彼を助けるかのことにいたっては、特別な方法は何もありません。どこで誤っているのかを見てみて、彼の病症に合わせて薬を出してください。彼の心のしこりを解し、彼の執着を見いだしてください。

 弟子:どのようにしたら、本当に旧勢力の按排を破り、私心から抜け出し、本当の法を正す弟子になれるのでしょうか?

 師:宇宙の過去は私(し)のためのものでした。人間について言えば、肝心なとき本当に他の人のことを振り切ってしまうのです。法を正しはじめた頃、「あなただけが他の人のことを気にしている」とこのように言ってくれた神がいました。皆さんがこれを聞いても不思議に思いますが、皆さんは大法が造った、他人のために考える正法正覚の生命だからです。もし私が何もしなければ、すべての生命は歴史とともに終焉を迎えることになります。ですから、一つの生命にとって、何かをするとき他人を配慮し、寛容を表すことができれば、このときこの生命は「他人のために」という基点に立っているからです。

 大法修煉者は自分自身の私心に気づいていれば、徐々に克服してください。それに気づいていれば、あなたは修煉の中でまた一歩を踏み出したことになります。修煉していない人はこのことに気づかないのです。しかも、自分が利己的であるかどうかも考えないのです。修煉者だけが、常に自分自身に振り向いて、内に向けて探しています。

 弟子:撫順の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。(師:ありがとうございます) 私はのんびりとした性格をしています。普段仕事をしているときも遅いので、いつも怒られています。私は自分の仕事の状態を変える必要があるのでしょうか?

 師:のんびりとしている人は確かにいます。私の性格はいつも速いのです。何かをするときとてもとても速いのです。何かをすると決めたとき、他の人がまだ用意できていないのに、私は既に外に出ています。(笑)(拍手) つまり、私は速く行動する習慣を養ったからです。私は何をしても、時間を大事に大事にといつも思っています。もちろん、のんびりしている性格の人が良くないと言っているわけではなく、彼はこういう習慣です。しかし、私が思うには、人を救うということにおいて私たちはやはり緊張感があれば、十分です。(笑)(皆笑って拍手) どうしても性格を直さなければいけないということではありません。

 宇宙の生命はこのように、人それぞれ同じではありません。のんびりしている人もいれば、動きの速い人、焦っている人、落ち着いている人もいます。また何をしても非常にのろい人がいますが、これは執着ではありません。しかし、人を救うこと、大法弟子が行うべきことに対して、時間を大切にすべきです。これは性格とかにあまり関係していないと思います。あなたの行動はいくら遅くても、「急いでやらなければならない」ことはどういうことなのかが分かっているはずです。

 弟子:私は最近法を得た弟子です。非常に焦っており、大法を実証する道を正しく歩みたいと思っています。しかし、これも執着なのでしょうか? どのように区別するのでしょうか?

 師:最近法を得た学習者は焦らないでください。多くのことにおいて、古い学習者と同じように皆さんに要求してはいけません。しかし、非常に素晴らしく行っている新しい学習者もおり、大法の仕事に参加し、大法弟子として行うべきことを行っており、本当に素晴らしいです。時に、後から法を得た人のほうが悟性が確かに高いと思っています。修煉は一歩一歩歩んでくるもので、あなたが一気に上がってきて、古い学習者と同じようになることは客観性がありません。彼らも一歩一歩修煉してきたのです。大法を既に得た以上、もう何も心配する必要はありません。進む道のとおりに行うべきことを行い、大法弟子として行うべきことを行えばよいのです。または認識できたところまで行えばよいのです。問題はありません。

 弟子:師父にお伺いしますが、もし大法弟子の協調がよく、協力しあっていれば、仕事に対してどういう影響を与えるのでしょうか? またこれと逆の場合、その効果はどうなるのでしょうか? ご教示願います。

 師:皆さんの協調がよくできていないとき、邪悪は隙に乗じ、厄介なことをもたらします。法を実証する多くのことにおいて、それをやり遂げる方法はないのではなく、いくら難しくても皆さんが歩む道があり、その道は比較的に狭いのです。皆さんは必ず正しく歩むべきであり、少しずれても、間違ってもいけません。しかし、皆さんにやはり歩む道があります。つまり、皆さんは正しく道を歩むべきです。もし正しく歩まなければ、現在のこれらの邪悪に利用され、隙に乗じられ、妨害されます。実は私が先ほど言ったのは、皆さんが協調して何かのことに協力し合っているとき、あなたは自分自身を証明しているのでしょうか、それとも法を実証しているのでしょうか? 即ちこの問題です。

 皆さんは何かのことを話し合っているとき、もし誰かがあなたの意見が良くないと言ったら、あなたはそれを聞きたくはありません。もし誰も反対の意見を言わず、この意見も良い、あの意見も悪くないと言って、誰の機嫌をも損ないたくないと思っていれば、私に言わせると、この学習者は大法と自分の修煉にあまりに無責任です。衝突や問題に直面する勇気はなく、問題に気づいてもそれを言えません。この学習者は自分にあまりに執着しており、これは即ち私心なのです。もし問題の前に自分の執着がなければ、平然とどうすべきかがよいかと言ったら、他の人がそれを聞いて機嫌が斜めになることはないと思います。なぜならば、あなたは法のためだからです。これが一つです。

 もう一つですが、もし誰かが思案した方法が本当に却下され、その人が不満に思っていれば、彼に本当に問題があります。大法を実証することを話し合うとき、往々にして、個人を刺激したから、話が脱線してしまいます。皆さんよく観察してみてください。信じなければ帰って観察してみてください。何かのことについて話し合うとき、誰が話題をずらしたのかを見てみてください。この人にきっと問題があります。(皆笑って、拍手) 話を脱線させた人は自分に執着し、または自分の観念が刺激されたから、人心に動かされ不平を感じ、大法のことをも考えることができなくなります。このとき、邪悪に利用され、議論すればするほど話題から遠くずれてしまいます。邪悪に隙に乗じられたからです。このとき、彼はますます不満になります。不満であればあるほど、彼の人心は邪悪に加重され、ますます修煉状態から合わなくなり、そのため、邪悪はさらに隙に乗じるのです。邪な悟りはどうやって始まったのでしょうか? このように始まったのではありませんか? 邪悪は彼のその心を利用して、偽の考えをもたらしますが、彼はそれが本当のことであり、理に適っていると思い、誰も私を理解できず、最終的に私が誰よりも高く修煉しており、誰も私のように法を認識することができないと思い込んでしまいます。(笑) 最後はこうなってしまいます。

 弟子:大法弟子はニューヨークでの努力により既に環境を大きく変えました。多くの常人は私たちの拷問パネルを見て非常に感動しています。しかし、恐ろしい場面を見すぎたため、私たちへの同情を失ったと言ってきた西洋人は増えてきました。師父にご教示願います。

 師:皆さんが真相を伝える中で拷問展が人間に刺激を与えるなどのことに関して、皆さんに教えますが、皆さんが表しているのは正しい一面であり、エネルギーも正しく慈悲深いものです。決して人間に良くない刺激を与えるようなことはありません。かえって、機嫌が悪くなったのはきっとその人に良くない考えがあるからそうなったのです。イエスが十字架に磔にされているときの血まみれな様子は、つまり手足が釘に刺されており、血が流れている様子はいろいろなところで飾っているのではありませんか? 数百年来、千年来人間は見ているのではありませんか? 絵そのものの問題ではありません。大法弟子は迫害の中で同じ魔難に遭っているのではありませんか? 皆さんは美術作品の中で邪悪なものを表しているのではなく、人々を救っているのです。機嫌が悪くなったと言ってきた人にきっと原因があり、彼の考えにきっと問題があります。彼の考えが邪悪に制御されたかも知れず、または彼の観念に問題があります。大法弟子に同情している人にも常人社会で形成した観念があり、認識上においてこのことに対して良くないと思うかもしれません。大丈夫です。もう少し説明すれば解決されます。

 人間はこの世で異なる観念を形成しています。辛いものを好む人もいれば、酸っぱいもの、甘いもの、あっさりとしたものを好む人もいます。これは自ら形成した習慣です。もしマンハッタンで喜劇を上演したら、同様に見たくない人、反対意見を出す人が出てきます。人類はほかでもなくこういう情況であり、賛成する人と反対する人両方います。人間はこのように相生相克して存在しており、全部一律になることはありません。拷問展が良いと思っている人がもっと多いかもしれませんが、彼らは何も言わなかっただけです。このようにこれ以上考えに大きな障碍がある人に妥協して、良い人を救わないということをしてはいけません。私たちは世の人々を救っています。見ていられない人がいますが、それより多くの人が見ています。多くの人は震撼し、目覚め、済度されました。(拍手)

 拷問展を見ていられない人ですが、みなさん考えてみてください、これほど正しい場の中で、邪悪をこれほどはっきり暴露しており、しかもこの全ては現実の生活の中で今現在起きていることなのに、彼はまだこれらのことを言っています。この人に問題があるのではありませんか? きっと問題があります。皆さんが真相を伝える中でいくら努力しても、働いても、皆さんに教えますが、この世の中にどうしても救うことのできない人がいます。一部の人はどうしても救われません。私たちはこれらの人のために諦めてはならず、動揺してもいけません。一部の人が何かを言えば、私たちは心が動じてしまい、そのとおりにしてしまうようではいけません。私たちは人間を変えにきたのであって、人間に変えられてはいけません。(拍手)

 私たちが人間に与えたのはすべて美しいものであり、私たちは人間を済度しており、それらの悪くなったもの、人を救うことに妨害しているものに妥協して良い人が済度されなくなるようなことをしてはいけません。もちろん、良くないものと言っても、必ずしも全部良くないとは限りません。その人の観念によってそうなったかもしれません。しかし、このことに関して、皆さんは必ず冷静で理性をもち、個別の人や常人に影響されないようにしてください。今何をしているのかをはっきりと認識しなければなりません。あなたは衆生を救い済度しているのであって、最も正しくかつ偉大なことを行っています!(拍手) 学習者はこのようなことをしており、この拷問展を開く際に多くの苦心を費やし、多くの困難を克服し、容易なことではありません。

 実は肝心なのは私たち自身がはっきりと認識していなければならないということです。私たちは自信をもって行うべきであり、恐る恐るになってはいけません。あなたが神の道を歩いている生命であることはあなたには見えないですね。ですから、私たちは常人とは違っており、常人に影響されてはいけません。皆さんがマンハッタンで行っているこれらのことは神も感服しており、本当に感心しています。それらの神は正しい作用をしているものなのか、それとも良くない作用をしているものなのかに関わらず、みな感心しています。世の人々も同じです。世の中の普遍的な善悪を判断する価値は変化していません。

 弟子:法を正す時期の大法の仕事に優先順位があるのでしょうか? 自分の母国語の関係で、その民族またはその言語に関わる大法の仕事をしたい学習者は、まずそれを置いておいて、現在の大法の仕事を重点的に行うべきなのでしょうか?

 師:自分の民族の言語に関わる大法の仕事をするのも間違いではありません。師父は皆さんにこれらの質問を具体的に答えることができません。なぜならば、各学習者は真相を伝え衆生を救い済度することをしており、彼には彼がやらなければならないことがあるかもしれません。しかし、皆さんが全体として協調して何かをする必要があるとき、必ず協調が取れるようにしなければなりません。

 弟子:先ほど師父は迫害が終わったらすべてが決まってしまうとおっしゃいましたが、そのときまだ騙されている常人にまだ機会があるのでしょうか? これは私の質問です。

 師:生命は頭に入れられたものによって決められてしまい、消滅されるもの、善解されるもの、一瞬のうちにすべてやり終えてしまいます。「私はほかでもなく中共邪党を信じている。中共邪党のために働く」と言っている人がいるとしましょう。もし宇宙の法が中共邪党を良いものと見なせば、法が正されるその一刻のとき、その人は残されます。もし宇宙の法が中共邪党を邪悪なものと見なせば、法が正されるその一刻に、その人は消滅されてしまいます。そのとき、また真相を伝えたり、その人に認識の機会を与えたりはもうしません。そのときはもうそういうことをせず、あなたは頭に入れられたものの一員になり、それの一分子としてみなされてしまいます。頭に入っているものの一員になり、一瞬のうち、すべてが終わってしまいます。

 弟子:私たちはいつも米国の各地域で行われたパレードに参加し、各界から歓迎されています。どのように衆生に大法を知ってもらうかと同時に、最大限に常人の状態に符合するかのことについてお伺いしたいと思います。また、異なる意見が出た際、学習者が一緒に話し合うべきか、それとも師父に報告すべきなのでしょうか?(皆笑って)

 師:問題に遭ったとき、皆さんは一緒に話し合うべきです。なぜならば、あなたは修煉しているからです。何かの問題にあったら、師父に修煉させるということではありません。(皆笑って、拍手) そうではありませんか? ですから、問題に遭ったら、皆さんはどのようにすべきかを検討してください。困難を克服することや、意見を統一させてからやり遂げることは、即ち皆さんが威徳を樹立する機会です。この過程は皆さんが成長していく過程であり、未来に向かっていく過程で、皆さんが神の道を歩いているときのその中の一歩です。(拍手) くれぐれも具体的な問題を師父に解決してもらうようなことをしないでください。

 どのように衆生に大法を知ってもらうのでしょうか? 皆さんが真相をはっきり説明することによって、人々は本当に今回の迫害を認識し、同時に大法が正しいということを分かっていれば、もう十分です。もし相手は法輪功が良いと思い、法輪功の状況をさらに知りたいと思っていれば、法輪功がどのように人々に良い人になるようにと教えているのかを相手に最低限に説明すればよいのです。私たちがさらに良い人になり、圓満成就まで達すると最後にその人に教えればよいのです。これだけでよいのです。これより多くのことを話してはいけません。これ以上レベルの高い話をしたら、相手を驚かしてしまいます。

 人それぞれの思想境地が違います。たとえば、一年生の子供に大学の講義をしたら、子供は学校に行かなくなり、サボってしまいます。(拍手) 皆さんも最初から一歩一歩この境地、この次元まで修煉してきました。あなたはすぐ全てを相手に教えようと思っていれば、即ち相手を常人のレベルからあなたのレベルまで一気に押し上げようとしています。(笑) 師父である私もこのようにしていません。(皆笑って) 私はある生命をその全ての低い次元の要素を全部取り除いてから、如何なる高い次元にも置くことができます。しかも、如何なる高い次元においても生命を造ることができます。しかし、一人の低い次元の生命に一気にそんな高い思想を認識させようとすると、一般の情況下では、この生命が耐えられません。ですから、人間は一歩一歩やっと認識することができるようになります。なぜ高いレベルの話をしないようにと皆さんに教えたのでしょうか? なぜ理性的に真相を伝えるようにと言ったのでしょうか? これが原因です。ですから、一部の学習者があまり理性的ではなく、真相を伝える時にすぐに高いレベルのことを話してしまい、ひいては政府幹部に対しても神などのことを言ったり、私の師父が誰それだと言ったりしています。(皆笑って) 相手はあなたがでたらめなことを言っていると思っています。(皆笑って) このように真相を伝えてはいけません。修煉者の認識は一歩一歩修煉によって高まってきたのです。すぐに常人にそこまで認識させようとしても、普通の人はなかなか理解できません。理解されなければ逆効果になり、実質上破壊の作用をしています。

 弟子:カリフォルニア州サンディエゴにこの二年来、道に入り法を得る学習者がおり、しかも毎週縁のある人が功を学びにきています。法を実証する仕事に参加する能力と条件を持つ新しい学習者がいます。新しい学習者に最初からこの三つのことをしてもらうのか、それともただ法を学び煉功するだけで、しばらくしてから法を実証する仕事に参加してもらったほうがいいのでしょうか?

 師:皆さんは人手が足りておらず、急いで能力のある新しい学習者に仕事に参加してほしいと思っています。私が思うには、やはり急がないほうがいいです。なぜなら、古い学習者同士が何かについて話し合うとき、現したああいう気にかけない状態は新しい学習者を驚かせてしまうからです。皆さんにエネルギーがあるので、口にした言葉はそれほど重くありませんが、新しい学習者に非常に重く聞こえてしまいます。声が高くなくても、新しい学習者には雷が鳴ったかのように聞こえてしまいます。(皆笑って) 新しい学習者の考えと感覚においてこういう感じ方です。ですから、新しい学習者がある程度認識し、分かるようになり、徐々に向上してきたら、少なくとも大法に対していくらかの深い認識を持つようになってから参与してもらったほうが良いのです。このようにすると、新しい学習者が大法を理解できず、修煉をやめてしまうようなことを避けることができます。

 弟子:迫害が始まって以来、私は大学院の勉強に時間を取られ、ほかの事をする時間はありません。大法のことをする時間がなく、全ての時間を大法のことにかけることができなくても、同様に高い次元に達することができるのでしょうか?

 師:もしあなたのこの仕事が本当に忙しくて手を離れることができなければ、大丈夫です。自分の仕事をきちんとこなすと同時に、時間を作って法を勉強し、利用できる機会を利用して大法弟子として行うべきことを行い、または真相を伝えればよいのです。忙しい人とそうでない人は必ず両方います。皆急に忙しくなることはなく、急に皆暇になることでもありません。忙しい人もいれば、そうではない人もいます。しかし、如何なることに関しても、修煉者にとって、一定不変のものではありません。一時的に忙しくなっても、暇になっても、行うべきことを行えばよいのです。全てはそのつどそのつど変わるかもしれません。ですから、私が思うには、自分で自分に言い訳をつけて、忙しいからと言って何もせず、法も勉強しなくなること、または忙しいからと言って焦っていることは、全部だめです。自分の状況に基づいて行ってください。

 マンハッタンで真相を伝えることをも含めて、能力や条件のある人は来ても良いのですが、各方面の条件が整っていない人は来ないでください。皆さんが必ず何をしなければならないということではなく、皆自分の心から行っているのであって、これこそ本当の現れです。師父はいつも必ず何かをしなければならないと皆さんに命令しておらず、私はただどのように行うべきかを言っただけで、そして学習者はそのとおりにしたのです。条件と能力に従い、大法弟子として行うべきことを行ってください。条件と能力のない人は、無理に行ってもいけません。なぜならば、無理にしてしまうと、あなたの生活と修煉状態に問題をもたらすからです。これではいけません。

 弟子:トルコの大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。師父はいつトルコにご訪問されるのでしょうか? 師父はトルコをどのように見ていらっしゃるのでしょうか?

 師:世界の如何なる民族の主体が皆大法のためにやってきたので、私は大法が広く広まる時期に如何なる民族をも取り残したくはありません。ですから、私は皆さんに真相を伝えるようにと教えたのです。各地の大法弟子は確かに行うべきことをしっかり行わなければなりません。衆生は皆さんを待っているのです。

 いつトルコを訪問するかのことにいたっては、機会があれば私は必ず行きます。(拍手) 将来、私は世界の隅々に足を運びます。(熱烈な拍手) なぜならば、皆さんが真相を伝える中で救った人の面倒を私は見なければならないからです。(拍手)

 弟子:拷問実演の中でいつも凶悪な警官を演じているため、魔性が今まで強くなった学習者がいますが、大丈夫でしょうか?(皆笑って)

 師:大丈夫です。これはあなたの心理的な作用によるものです。(笑) 法を勉強し、調整すれば問題はありません。

 弟子:一部の弟子は最近、常人社会向けの芸術センター、芸術学校を開きました。師父にお伺いしますが、今大法の仕事が多く、資金も厳しいという状況下で、どのように法を正す中で私たちが演じる役を判断するのでしょうか?

 師:大法弟子が会社や学校を興すのは、私が思うには、正常な社会活動です。自分の生活を解決できると同時に、ほかの学習者に仕事の機会を与えることができるかもしれません。もう一つ、これらの社会活動を通じて一部の常人と接触することができ、彼らにとって益を受けることになるかもしれません。

 どのように法が正されるまでの役を判断するのでしょうか? これは皆さん自分の能力にしたがって行えばよいのです。芸術学校はほかの業界とは違い、芸術学校で生徒を教育する中で、生徒に真善忍や良い人になることを教えることができます。また大法弟子が主催のイベントにも参加し、世の人々に大法弟子のもう一つの側面の様子を見せることができ、その党と邪悪の首魁が良いのか、それとも大法弟子が良いのかを判断してもらいます。これはとても良いことと言えましょう。新唐人の「新年華人の集い」を開催する目的は華人と触れたり、交流したり、真相を伝える機会を多くし、彼らが救い済度されやすいようにするためです。文芸のプログラムが良くなければ、見る人がおらず、衆生を救い済度する目的に達することができません。プログラムが素晴らしければ、この作用を果たすことができます。少なくとも橋渡しの作用を果たしています。芸術学校は本当に成果を上げたら、文芸の集いに参加すればよいのです。とても良いことです。

 弟子:長く修煉し、法を実証することの重要性を認識しているようですが、いつも精進していない学習者がいます。どのように彼らを助けるべきなのでしょうか?

 師:特効薬はありません。誰もが着実に修煉してはじめて、向上することができます。精進していない弟子に関して、彼の考えがどこで間違っているのかを見てみてください。大法弟子が必ず行うべきことに対する認識が足りていなければ、必ず原因があります。つまり、彼は現在どういうことを最も大事に思っているのかのことです。彼が学習者なので、彼に対して責任を持ち、指摘してあげなければなりません。相手が常人なら、こういうことに心配する必要もありません。常人はどのようなものを大事にしていても良いのです。相手が修煉したくなければ、私たちも関わろうとしません。いったん修煉し、ほかの人に付いてこられなければ、邪悪の迫害の中で危険なので、皆さんは彼に対して責任を持つべきです。

 弟子:大法弟子が作った新聞が『九評』を掲載して、とても良いのですが、これを理解できない常人は私たちが政治に参与していると言うのではないかと心配しています。

 師:そういうことはありません。誰もが中共邪党が法輪功を迫害していると知っており、私たちはただ彼らに中共邪党がなぜ法輪功を迫害しているのかを教えているだけで、同時に迫害の目的が何であるか、中国共産党がなぜ法輪功を迫害しているか、法輪功が中国共産党とどういうトラブルがあるのかを人々に教えているため、中共邪党がどういうものなのか、なぜ真善忍に反対しているかを言わなければなりません。しかし、修煉にとって言えば、各自の修煉の中で真相を伝えるとき、原則的にこういうことを触れないのです。マスコミで中国共産党の大法弟子に対する迫害を暴露するのは、衆生を救い済度することと重要な関係があります。法輪功への迫害は中共邪党の名義で行われた弾圧であり、迫害の中で多くの人をも毒害しました。これらの人を救い済度するために、人々にはっきりとそれを認識させる必要があります。

 明慧ネットにこれらのことを報道していません。これは大法修煉にもっと近い方面はこれを重点としていないからです。マスコミが報道するのも衆生を救い済度しているのです。

 将来、誰が中国の政権を取るかのことにいたっては、政権を握りたい人がそれをすればよいのであって、私たちと関係はありません。その人が良いかどうかはみな常人のことであり、私たちは修煉者です。私たちを迫害していなければ、邪悪の首魁を暴露する必要もありません。悪事を働く器量があるのに、なぜその責任を取る器量はないのでしょうか?

 弟子:最近マンハッタンで真相を伝えることと新年の集いのことで、「放光明」の番組を制作している多くの学習者はこの二つのことで忙しくなり、番組を作らなくなりました。

 師:このことについて、師父は口を出せないのです。なぜならば、これは皆さん自分で協調すべきことだからです。みな重要なことです。「放光明」が作ったドキュメンタリーは私が全部見ました。一つも漏らしていません。(拍手) ですから、どの仕事も重要であり、皆さんはこれもあれも軽視しないでください。実は私は皆さんが本当に忙しくしていると分かっています。一人がいくつかの仕事にかかわっています。やはり皆さん自分で協調してみてください。具体的なことについて師父は口を出せません。

 弟子:(訳文)なぜ大法が大穹を作ったのに、今日の正しくない状況が現れ、師父に大穹を正していただかないといけないのでしょうか? ニュージャージ州ハミルトンの弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手) 宇宙の今までの特性は宇宙が周期的に変化することを決めました。どういう特性なのでしょうか? 即ち「成、住、壊、滅、空」ということです。これは今までの宇宙です。宇宙がとても大きいので、限られたところでまたは一部のところで壊、滅が現れたら、爆裂してしまい、その後空になります。しかし、空になっても物質がまだ存在しています。神はこれらの死んだ物質を利用して、再び新しい宇宙を作ります。この状態は人体の新陳代謝と非常に似ています。もし、広範囲にわたって問題が現れたら、広範囲を爆裂させます。そして再び新しい生命を造りだします。自分自身が新陳代謝することが慈悲とか、慈悲ではないとかのことと関係していると思っている人は誰もいません。宇宙の更なる高い次元の神にとって、宇宙の中の成、住、壊、滅は人間が認識している新陳代謝と同様に、慈悲か慈悲ではないかという概念ではありません。宇宙は生き物であり、この生命体の中のある部分の細胞がだめになったら、淘汰され、新しいものに取って代わられます。ですから、人間のところにも生老病死として同様に現れています。

 将来の宇宙はこの面において変化します。いったん悪くなるときになったら、それを圓容し、更新し、さらに良くします。これは旧宇宙とは違います。(拍手)

 将来の生命は他人のために考えるもので、今までの生命は私(し)のためのものです。(拍手) 自分の利益のためにほかの生命のことをまったく構わない生命がいますが、このことはこの世でも余すところなく表されています。自分のうっぷんを晴らすために、相手をどんなに傷つけたとしても、相手のことをまったく考えていません。この私(し)において非常に悪く表している人がいます。専ら人をいじめたり、いつも他人のことを気に食わない人がいます。そういう人にこの権力を与えた人は誰もいません。皆さんはこのようにしてはならず、大法を修煉している人は誰もこのようにしてはいけません。

 弟子:師父の慈悲と救い済度に感謝申し上げます。どのように私たちが常人社会で得た技能を利用して、真相を伝えることの助けになるのかについてお話いただけないでしょうか?

 師:私が思うには、全ての大法弟子はみな自分の能力を利用して衆生を救い済度し、大法を実証しています。大法弟子が作ったマスコミ、ホームページ、ラジオ局やテレビ局は、その目的がみな同じです。つまり、全て真相を伝えるためです。今社会のマスコミは全部中国共産党に買収され、邪悪の首魁をはじめとする、ならずものの集団に買収されました。誰も私たちが受けた迫害を報道していないため、大法弟子はやむを得ない情況下で、お互いに協調しあい、これらのことをしています。つまり、これらのことは皆さんが自ら進んで行っているのであって、師父に導かれ、具体的に行われている事は一つもありません。師父は皆さんが行っていることを肯定的に評価しており、または皆さんが何かのことを行うべきだと思っているとき、皆さんにそれを教えてもよいのです。しかし、誰が何をすべきなのかを師父はあまりに具体的に言ってはいけません。なぜなら、いったん師父が言ってしまえば、他の人は「師父が彼にこれをするようにと教えた」と思い、あなたも「師父が私にこれをするようにと教えた」と思い、他に何もしなくなり、関わらなくなります。他の仕事があなたを必要とするとき、あなたは「師父がこれをするようにと言ってくれたから」と言い訳をするのです。(笑) 私はあなたに執着心を与えてしまい、これではいけません。ですから、多くのことはやはり自分で行うべきです。自分で威徳を樹立し、これこそ素晴らしいことです。

 弟子:真相を伝える中で、迫害が良くないと認めながら、大法を認めない人がおり、しかもすぐに真相を伝える時間もない場合、どのように対処すべきなのでしょうか? 広範囲にわたり行い、世の人々に迫害を知ってもらうことを最も重要なことにすべきなのでしょうか?

 師:その人が認めるかどうかは関係ありません。もし大法に対して良くない認識があれば、邪悪に毒害されたということになります。その人にはっきりと説明すべきです。通常、真相を伝えるとき、迫害を言えばよいのです。大法修煉のことを話す必要はありません。相手が修煉したくなければ、これも大丈夫です。私たちがみな良い人であり、大法も人々に良い人になるようにと教えており、あなたが大法を認めるかどうかは関係なく、私はあなたに大法を学ばせるつもりはなく、ただこの迫害が邪悪なもので、あなたが知っていることは毒害されていることであると、彼にこのように言えばよいのです。法を学びたい人は本人が自分から学びたいと思っているのであって、引っ張られて入ってきたのではありません。皆さんはくれぐれもこのことに気をつけてください。私たちは如何なる人をも強制しません。

 弟子:中国に大量に電子メールを送っています。このチームは大きな困難に遭い、技術的にも人手にも問題に遭いました。これは残った私たちに心性の問題があるからそうなったのか、それとも旧勢力の封鎖によるものなのでしょうか?

 師:皆さんに皆さんが歩む道があります。原因は私が思うには、他でもなく二つあります。やることが多すぎるから、人手が足りなくなりました。もう一つは自分の個人修煉をおろそかにしてしまったから、邪悪に隙に乗じられました。なぜならば、大法弟子の三つのことを全部行わなければならないからです。「師父、この数年来、特に99年7月20日以来、本を読んで向上するときの速度が落ちており、今までのように毎日飛躍があり、認識が非常に速く高まるときの素晴らしい感覚はなくなりました。なぜ今本を読んでも以前のようにならないのでしょうか?」と言っている人がいます。法が顕れなくなったのではなく、要求が高くなり、大法弟子が必ず三つのことを全部しっかり行ってはじめて、向上することができるからです。(拍手)

 一部の初期の段階で法を学んだ人は家で本を読むといって、外に出て大法弟子として行わなければならないことをどうしても行っていません。このとき、私は「この人は邪に悟ることからもうさほど離れていない」と思っています。邪に悟っていなければ、まだ良いほうです。この数年来大法弟子は迫害されている中で、みな法を実証し、衆生を救い済度する中で真相を伝えていますが、このような人はいくら家で本を読んでも、如何なる向上もありません。大法弟子として行うべきことをしなければ、向上しないどころか、落ちてしまうのです。「大法弟子」「大法弟子」よ、「法を正す時期の大法弟子」とは何でしょうか? 宇宙の中で最も素晴らしい称号であり、最も偉大な生命です。自分が済度されることだけを考えていれば、それで良いのでしょうか? それならなぜ「大法弟子」なのでしょうか? 「法を正す時期の大法弟子」とは何でしょうか? あなたは法を実証したのでしょうか? 大法はあなたにメリットを与えましたが、大法が困難に遭っているとき、あなたは大法のために正しいことを言う勇気もなく、普通の人にも及ばないのです。それなら、家で法を勉強するなどを云々することができるのでしょうか? 迫害の中で衆生がみな毒害されているのに、あなたはまだ姿を隠していられるのでしょうか? 大法弟子はなぜ真相を伝えなければならないのでしょうか? なぜ衆生を救い済度するのでしょうか? これが大法弟子の責任だからです。私李洪志は他でもなく、こういう生命がほしいのです。大法弟子はこのような修煉者です。

 弟子:修煉者が全体的に邪悪の経済に対する迫害をあまり重視していないようで、多くの修煉者は長期にわたり、収入の低い仕事をしており、法を実証する仕事に参加する際に、時間的にも経済的にも制限されています。

 師:この問題はあります。しかし、人為的に行ったから、または自分の考えが周到ではないから、そうなってしまった時があります。大法弟子が法を実証するとき歩んだのは正しい道であり、衆生を救い済度する際に、経済の面において、他の各方面において条件が整ってくるはずです。もし、何かの方面にしっかり行わなければ、邪悪に隙に乗じられてしまいます。如何なることもしっかり行ってさえいれば、全てが変化するのです。

 弟子:音楽創作をしている弟子のためにお話をいただけないでしょうか? 私たちは画家の弟子ほど良く行っていません。

 師:画家の弟子と音楽家の弟子と比べて、どちらのほうが良く行っているということを言ったことはありません。(皆笑って) 個人の向上とレベルの違いだけがあります。音楽創作に携わっている大法弟子は真相を伝えているほか、音楽の創作という特殊な仕事を担当しています。衆生を救い済度するために、大法弟子は文芸会で歌われた曲も含めて、いくつかの歌を作りました。全て大法弟子が自分で創作したもので、素晴らしいのです。実は美術関係の大法弟子に説法したあの日、音楽と舞台芸術に関わる大法弟子の交流会にも参加し、説法もしました。しかし、そのとき、録音をしませんでした。将来機会があったら、また考えます。(拍手)

 弟子:多くの修煉者は自分の服装、言動などのマナーに気をつけていません。

 師:余談を話しましょう。人間として、歴史上、異なる神は異なる人間に対して異なる表面形式に関する考え方を持っています。ご存知のように、以前の修道者は身だしなみを重んじていなかったのです。少なくとも、この世で修煉している道、特に小道の人たちは外見をまったく気にしていなかったのです。だらしなく、手入れをしていませんでした。また、わざと汚い環境で修煉する人もいました。なぜこのようにしたのでしょうか? 修煉者が服飾を重んじるのは執着だと思い、適当にすればよいと思っていたのです。また、彼らにもう一つの現象が見えました。以前の修煉は全て副元神を修煉していたので、修煉の中で彼らはあることに気づきました。つまり、この人の身にある全ての物は修煉の時間が長くなるにつれ、エネルギーを持つようになりました。この世で良くないと思われても、修煉して出来上がったほかの空間で副元神から見れば、全部良いものになりました。なぜならば、この空間の物質はこの人の修煉に従って変化しており、エネルギーが増えています。エネルギーが増えるにつれ、他の空間で現れてきたのはエネルギーによって構成された神通力を持つ宝物です。体中泥だらけの人も他の空間では全身の宝物で、美しい逸品です。しかし、この世では、体中泥だらけで、足から頭まで汚く、体に多くの泥があります。煉功しているうちに、これらの泥、汚いものはエネルギーに加持され、宝物になることがあります。副元神に持っていかれたものは全て良いものです。彼らにこのことが分かり、意識的に手入れをしなくなりました。

 他の角度から言えば、ご存知のように、西洋社会では人間のマナーは非常に重視されています。西洋社会で修煉の文化がないため、これらのことに関する概念もありません。佛教修煉の中で、修煉者の全ては佛が演化してあげており、佛からある果位を与えられたら、その果位になり、あるべきものなら手に入りますが、そうではないものは得ることができません。このことは西洋の神と同じです。もちろん、大法修煉は今までの全ての修煉と違います。

 六十年代になる前は、特に白人の学習者なら覚えていますが、当時の男性は非常に紳士で、礼儀正しく、教養を重んじており、女性もおしゃれで品位があり、知識と素養を重んじています。これは人間にとって良いことかもしれませんが、実は神にとってもそんなに悪いことではありません。しかし、人類はこれで癖になりやすく、ひいては人間の善し悪しを図るときも、その言動と挙動を見て決めるのです。この人が高尚で、あの人は高尚ではないという具合で、人間の本質を見なくなりました。後になって、人間が全て法を得にきたので、修煉を妨げる全ての行為を取り除かなければなりません。このことに旧勢力の参与もあって、旧勢力は悪をもって悪を治めるやり方でやっています。なぜ六十年代以降、ヒッピー、ストリートアートが現れ、人間は身だしなみに気をつけなくなり、伝統に反し、着ている服がだらしなければだらしないほど良い、というようになったのでしょうか? 外側の服が小さくて、中の服が大きかったり、袖が手をかぶり、指先だけを出していたり、ズボンのベルトを腰の下で締めており、裾が足の上でたまっています。いずれにせよ、だらしなければだらしないほど良いとされていました。皆さんに教えますが、これは決して単なる人類社会の服装の流行ではなく、旧勢力が仕出かしたことです。旧勢力は悪をもって悪を治める方法で、服装にこだわりすぎる癖を取り除こうとしています。実は人間が身だしなみをきちんとすることは悪いことではありませんが、如何なることもこだわりすぎてはいけません。そうなってしまうと、人心が変異したことになり、それによって人類はこのことにおいて極端に走ってしまいます。

 文化大革命以前の中国では、中国人も非常にきれい好きで、礼儀正しく、五千年の文明の歴史を持っています。ご存知のように、日本人は従来からきれい好きではありませんか? 社会がまだ発展を遂げていなかった数世紀前のとき、日本人は大きな鍋で水を沸かした後、大きな桶で毎日体を洗っていました。まだ発展を遂げていなかった時代では、このようにしていました。ご存知でしょうか? これは唐の時代の文化です。唐の時代の人たちとまったく同じです。古代の人が汚いといっているのではなく、現代の人は古代の人がどういう生活をしていたのかを知らないのです。各時代の人、各時期の人はみな同じであり、人間は変わったことはありません。ただ着ているものが違うだけです。現代人は古代の人が遅れていると言っていますが、実はそれは進化論で推理したことの結果です。「文化大革命」「破四旧」などの時、きれいできちんとしているのが「資産階級の考え」であると言われていました。中共邪党のでたらめな言い方によると、それが「資産階級の考え」です。女性のお下げを切ったり、町でハイヒールを履いた人を見かけると、靴を脱がしてヒールを切り取ったり、おしゃれな服を着ていると、はさみを入れたりしていました。中共邪党は手にたこ(胼胝)を磨き出せ、体中は泥まみれ、革命虫(ダニなどのような皮膚寄生虫:訳者注)を身体に生えさせなどをスローガンとしていました。(皆笑って) 数年間で中国人の文明を一朝にして台無しにしてしまいました。

 実は、華人学習者の外見を気に入らない白人学習者がいると私に分かっています。あの社会で人間がこのように教育されたからです。時間が長くなると、平気になり、習慣となってしまい、自分の行動、態度が適切ではないと気づかなくなりました。もちろん、如何なることも度を越えてはならず、最大限に人間の状態を保ち、正々堂々としてまともな人に見えるようにしてください。だらしなく、手入れをしておらず、身だしなみに気をつけず、いい加減にしてはいけません。

 実は修煉の角度から言えば、何の影響もなく、自分の身だしなみに気をつけていなくても、修煉に影響することはありませんが、大事なのは執着してはいけません。中国人は手入れをしたくないから、手入れをしなければしないほど良いのであって、だらしがなく、なんと気持ちが良いことだろうと思っていますが、私はこれが良いとは思っていません。大法弟子は相手に良い手本を示すべきであり、正々堂々として人間のように振舞うべきです。中国大陸で説法したとき、いつもフォーマルな服装を着ていました。実は私は皆さんにやって見せたのです。(拍手) なぜならば、言葉で教えても身をもって教えたほうが良いと思っている人がいるからです。この言葉が正しいかどうかをまずさて置いて、どうしても師父の真似をしたい人がおり、師父が着ているような服を自分も着ると言っています。(皆笑って) それならば、私は外見に気をつけています。ですから、皆さんも気をつけたほうがいいのです。「文化大革命」は確かに中国文化をひどく破壊しました。五千年の文明は数年間の間で台無しにされてしまいました。ですから、中国人は外見と容姿に少し気をつけ、西洋の学習者も外見で人を判断しないでください。東洋の学習者は行動にこだわるべきです。(拍手) 如何なることも度を越えないようにしてください。

 弟子:法を正す時期に、常人に与えた良くない影響をどのように対処すべきなのでしょうか?

 師:そうですね。真相を伝えるときに、良いことを言っていますが、相手があなたという人を見て、気に入らず、あなたが何かを話すときに、丁寧さを欠く言葉を言ったりすると、あなたが信頼できないと相手が思ってしまいます。ですから、真相をきちんと伝えないと、良くない影響を与えてしまいます。気をつけるべきです。

 弟子:アルゼンチン事件を弟子はどのように見るべきなのでしょうか?

 師:この問題に関して、私が思うには、もし大法弟子を迫害した人がいれば、その人を訪ねるべきです。真相を伝える必要があれば、真相を伝えてください。傷害を負った人がおり、法律で訴える必要があれば、そうしてください。これらのことは前例があったので、どのようにすべきかを皆で考えて、そのようにすればよいのです。

 弟子:煉功のときもし頭が静かでなければ、正念を発する前の五分間のように、自分の中の良くないものを取り除いても良いのでしょうか?

 師:自分の頭が静かではなく、または考えが妨害されたとき、いつでも正念を発してよいのです。調整したり、正念を発したりすることに時間の制限はありません。いつでもできます。考えが明晰になり、正念が強くなったと感じたら、十分です。

 弟子:大法弟子が行っているこの三つのことに関して、子供弟子に対する要求は大人の大法弟子に対する要求と同じなのでしょうか?

 師:これは違います。子供弟子は技能や表現能力、社会で重視される程度においても違います。やはり同じように要求してはいけません。子供は大人とは違い、子供は子供の状態です。このことについて、今まですでに数回説いたことがあります。

 弟子:師父はすでに三時間近くお話されており、大変お疲れさまです。多くの弟子はお水を召し上がっていただきたいと思っています。(拍手)

 師:大丈夫です。質問はまだたくさんあるので、ダブっていることについてもう話をしません。

 弟子:マンハッタンが重要だから、領事館にとりあえず行かなくても良いと言っている学習者がいます。

 師:どこも重要です。どこも軽視してはいけません。(拍手)

 弟子:私たち夫婦はともに弟子であり、十歳の男の子がいます。子供はすでに三年間明慧学校に通っていますが、やはり時々喧嘩したり、うそをついたり、礼儀もありません。

 師:子供は時々やはり子供の特徴を持っています。彼が接触している人は彼にも影響しています。人類は大きな染物がめであり、このかめの中に色が付いていない人がいれば、その人は神になります。大法弟子は修煉しているとはいえ、やはり時々自分をきれいにすべきであり、子供はなおさらです。

 また、もし親が何かの面において問題があれば、子供にも現れてきます。わざと現れて大法弟子、親に見せているのです。これについて多く話しませんが、なんと言っても子供です。

 弟子:韓国語は以前好んで漢字を使っていましたが、近代になってから、韓国語だけを使うようになり、法輪功を広めるにはある程度の妨害があります。ご教示願います。

 師:以前、アジア地区のアラビアとインド以外の地区はみな漢字または漢字を交ぜて使っていたと覚えています。なぜならば、これらの地区に多くの華人がおり、華人が商売をしたり、ひいては政府の官僚になったりしているので、華人の学校も非常に多いのです。以前、アジア地区でほとんど中国語を使用しており、商売や文化交流など各方面において、わりと便利でした。しかし、旧勢力は他でもなく、世の人々が法を得ることを妨害し、同時に私が法を正すことにも困難をもたらそうとしているため、中共邪党にある非常に悪いことを働かせました。

 中国語を使用していれば、人間があまりに法を得やすく、法輪功も簡単に世界に広まってしまい、旧勢力がやろうとすることをコントロールできなくなると旧勢力は思っています。自分たちのやろうとすることをするため、旧勢力は人間の民族観念を利用して、民族文化を作り、符号を作ったのです。神はみなそれを文字だと認めていません。ある時、中国共産党は当時のソ連で共産主義国家の大会を開き、会議で「中国の華人は東南アジアでこのくらいおり、非常に多いのです。私たちが呼びかけると、その国はすぐ中共邪党の国になる」と公に言いました。ご存知のように、当時のその会議に多くの記者もおり、この情報を瞬時に全世界に伝えました。会議がまだ終わっていないうちに、東南アジアの全ての地区はすでに華人を排斥し始めました。「華人排斥」がどのように始まったのかご存知でしょうか? このように始まったのです。特に南アジアの地区の国では、中国人が開いた学校を全部閉められ、全ての中国人はその国の人の苗字と名前にしなければならず、中国語の使用も禁止されました。しかも、多くの国が法律を作り、国家の憲法で中国語の使用を禁止しました。ですから、今一部の地区の人が法を学び、法を得ることに大きな困難をもたらしました。

 もちろん、旧勢力は大法の威力を予期しませんでした。アジア地区だけではなく、全世界の人は異なる文字で大法を訳し、しかもどの言語であっても、大法の内涵は影響されることはありません。しかし、一番最初に法を正す時期の大法弟子になった弟子に対する妨害が非常に大きかったのです。早い段階で法を得た人に対して、妨害がやはり大きかったのです。

 弟子:香港で配っている資料の中に「大法が良いと心の中で念じていれば、病が治る」という物語をいくつか載せてあります。これによって、私たちが病気をした人が薬を飲まなくても、大法が良いと念じていれば病気が治ると宣伝していると、大陸からの観光客に誤解を与えました。

 師:「大法が良い」と念じることは、常人だけではなく、大法弟子が自分の考えにある良くないものを取り除くにも有効です。全身の細胞に大法が良いと念じるようにと指示すれば、体内全体が震動していると感じるのです。(拍手) 法を念じているため、これほど大きな威力があります。しかし、智慧をもって真相を伝えたほうが最も良いのです。大陸以外の地区でこのようにする必要はなく、このように真相を伝える必要もありません。大陸以外の地区は環境が厳しくないので、道理から相手を分からせることができます。中国大陸の環境が違うため、でっち上げの宣伝の中で、人々は毒された程度が違うため、法輪功に対する認識が違っています。また、大陸の人は気功に対して、それを認識する文化的背景があるため、大陸の普通の民衆の中でこのように行っても良いのです。都市部または大陸以外の地区ではこのようにしなくても良いのです。香港でこのようにする必要もありません。正々堂々として真相を伝えればよいのです。

 弟子:法を広め、真相を伝えるとき、感動して、学習者にお菓子や果物をあげたりする西洋人の常人がいます。受け取っても良いのでしょうか? 何回か話し合いましたが、学習者の意見はまちまちです。

 師:これは状況によって判断すべきです。もし世の人が誠心誠意にあなたに何かを上げようとしていますが、相手を冷たく断ってしまえば、ちょっと失礼かもしれません。高いものではないので、お礼を言って、受け取っても良いのです。しかし、状況を見て判断すべきです。たくさんの食べ物を持ってくる人がいますが、本当に受け取りにくいのです。状況を見て対処すればよいのです。またはお金を払っても良いのです。本当に善の心から、あなたが寒がっているのを見て、コーヒーや食べ物を買ってくる人がいます。そういう時、相手にお礼を言えばよいのです。お金を払っても良いのです。もし相手がお金を受け取らなければ、しっかりお礼を言えばよいのです。これらのことは状況によって対処してください。

 弟子:今大法の番組を制作する常人のマスコミとテレビのディレクターがおり、私たちの今までの映像がほしいと言っています。師父にお伺いしますが、どのように対処すればよいのでしょうか?

 師:彼が何を撮りたいかによって判断すべきです。パレードや拷問展なら、自由に撮っていいのです。なぜならば、これはもともと公開されていることだからです。もし、皆さんの特別な生活や、どのように法を学び修煉しているのかを撮りたければ、止めたほうがいいと思います。なぜ止めたほうが良いのでしょうか? 相手の目的、尺度が何であるかが分からないからです。しかも、法の勉強と修煉は非常に厳粛なことであり、常人に評論されるのは厳粛さに欠けています。ですから、止めたほうが良いのです。しかも、人間はなかなか理解することができません。

 先ほど、私は修煉者がだらしないということについてお話しましたが、もうちょっと強調しておきたいのです。皆さんは執着心を起こさないでください。「なるほど、だらしなくしていれば、汚いものが良いものになるのだ。じゃ私も自分を汚くする」と思う人がいます。(皆笑って) はっきり説明しますが、それは副元神が得ているのです。ですから、皆さんはそういう真似をしないでください。本当に良いことになることができれば、主元神も得ることができます。しかも、大法はこのように修煉していません。大法弟子よ、皆さんに教えますが、皆さんの未来に何でもあります。(拍手)

 弟子:(訳文)家族の人に真相を伝えることをしっかり行いませんでした。そのため、私が行っている法を実証することについてはっきりと説明しませんでした。「法輪大法が良い」と彼らに分からせたいのです。私は極端に走っていません。師父にお伺いしますが、家族の人に私たちが行っていることをどのように説明すればよいのでしょうか? また、スペイン語圏の学習者を代表して、師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手) 実は西洋社会では、中国人のこのような修煉についてよく知らないのです。法を伝え始めたとき、「彼らがどこまで理解できるのでしょうか? 社会で人々はどのように見るのでしょうか」と私も考えていました。実は文化の違いによって異なる観念の表現形式を形成し、神に向かっていくことに対する認識の方式を良く知らないのですが、修煉者が表した善と大法に現れた正のエネルギーを誰もが良いと感じるのです。大法を修煉している事に関して、真相を伝えることと同じように、少しずつ家族に話せばよいのです。まず大法がどういうものなのかを説明し、そして徐々に自分も学んでいると言えばよいのです。実はたいしたことはないと思いますが、多くの場合、自分の常人の心から出た考えです。

 正々堂々として説明し、くれぐれも高いレベルの話をしないでください。あなたの親族とはいえ、家族に隠したくはなく、全部言わないといけないと思ってはいけません。(皆笑って) 師父は嘘をつくようにと教えているのではなく、高いレベルのことを言わないようにと言っています。さもなければ、家族をびっくりさせてしまいます。法に対して、誰もが一歩一歩認識してきたのであって、すぐに高いレベルのことを言ってしまったら、相手を驚かせてしまいます。「この法はとても良いのです。人間の体と健康に良い効果があり、人間の心身にも良いのです。人々の道徳を元に戻らせ、高めることができます。この本はとても良いので、読んでみませんか? または見てみませんか」とこのように言えばよいのです。最も分かりやすいところから説明してください。彼は自分で調べたり、読んだりします。『轉法輪』が最も低いレベルの生命、つまり人間の道理から説明しているため、『轉法輪』から誰もが法を認識するようになります。低いところから話していれば、大法を知らない家族は反対しなくなります。もしレベルの高いことを話し、最初から佛、更なる大きな宇宙を話してしまえば、家族はあなたが病気ではないかと言うのです。(皆笑って) なぜなら、彼らは本当に受け入れることができません。しかも、西洋の宗教に「唯一の神」という言い方があり、宇宙の中に一人の神しかいないと思っています。ですから、彼らにとって非常に受け入れがたい話です。認識は少しずつ少しずつ始まらないといけません。

 弟子:師父、こんにちは! 将来中国の文字は繁体字に統一されることがあるのでしょうか? ありがとうございます。

 師:このことを私は考えたことがありません。実は現在使用している繁体字も、以前の最も古い文字から変化してきたのであり、少しずつ今の字に変化してきたのです。人類の今期の文化の始め頃、まず甲骨文であり、そして大篆、小篆、その後隷書、さらにその後楷書になり、楷書の後は大きな変化はありませんでした。もちろん、近代になって多くの装飾用文字、ゴシック体、明朝体の字が現れました。繁体字を使うのか、簡体字を使うのかのことにいたっては、大法修煉者として現在法さえ理解することができれば、十分です。気にすることはありません。それは後のことです。これは師父が将来行うことであっても、大法弟子と関係はありません。圓満成就したら、まだ人間のこのところを気にする必要があるのでしょうか? 全く何の意味もありません。これらのことを気にしないでください。多く考えると、また執着になります。将来のことはそのときになってから考えます。

 弟子:全てのことが正しく行わなければならないということと、最大限に常人社会の状態に符合するということをどのように判断すべきなのでしょうか? たとえば、融資を受けマスコミを発展させることはどうでしょうか? また国内外の学習者の中で論議を呼んでいる「マルチ商法」はどうですか?

 師:大法弟子は悪事をしてはいけません。マルチ商法は西洋社会では今既になくなりました。これは人騙しのものであり、各層でお金を取っており、下の層に行けば行くほど、被害が大きいのです。

 大法弟子はマルチ商法をするのですか? あなたの頭がこのことでいっぱいになり、人からどのようにお金を取ることばかり考えていますが、これは正しいのでしょうか? 正しくないでしょう。これは不当の経営です。失うものがあれば、得るものがあり、商品の交換による経営はこういうことです。しかし、マルチ商法は何をやっているのでしょうか? ありったけの考えを絞って人からお金を取ろうとしています。やってはいけません! このことについて私は随分前、既に言ったことがあり、マルチ商法をやってはならず、このようにした人は間違っています。中国大陸の大法弟子の中で、マルチ商法をやっている人はつまり、大法弟子の修煉形式を破壊しており、将来この全てに対して責任を取らなければなりません。(拍手)

 銀行から融資を受けてマスコミを発展させることについて、私は賛成しません。大法弟子なので、マスコミの仕事に関わったり、文章を書いたりして、つまり第一線のことなら全部できます。しかし、何かを経営したりするのは難しく、広告を獲得することさえ大法弟子にとってとても難しいのです。なぜならば、皆さんは常人社会と接触することに既に慣れていないからです。ですから、一旦融資を受けたら、何を持って返すのでしょうか? 広告まで獲得できず、新聞に載せる広告も獲得できないのに、融資はなおさらです。融資を返すために、広告の収入、新聞の利益から返さなければなりません。私は融資に賛成しません。くれぐれも借金を作らないでください。借金を作らないでください。

 弟子:大陸の学習者を助けるべきだと師父がおっしゃって以来、私はいつも家で修煉している国内の学習者に電話していますが、彼らはやはり表に出ることができません。私は彼らのために非常に焦っています。特に法を正すことが既に終盤に入りました。師父にお伺いしますが、私はどのように彼らを助けるべきなのでしょうか?

 師:他の修煉者を助けることは行うべきことで、誰かが取り残されないようにするのは間違っていません。しかし、彼らがどうしても表に出られなければ、あなたも力を尽くしました。実は彼らがどこで誤ったのかを見て、障碍がどこにあるのかを見てみてください。彼の心のしこり、障碍をみつけたら、解決できるかもしれません。しかし、多くの人の場合、私が思うには恐れているからだと思います。神として、修煉者として、恐れる心は大きな執着です。この心を取り除かなければ、本当にいけません。ですから、彼らの情況を見て行ってください。どうしてもだめだったら、それも仕方ありません。どうしても鉄が鋼にならない人がおり、意気地がありません。以前の修煉者の中で、こういうことはなく、誰があなたのことを心配するのでしょうか? だめになったら、意気地がなければ、それで終わりです。家に帰ってください、こういうことです。どうしてもあなたを済度しなければならないということではありません。大法弟子だから、このようにしています。(拍手)

 弟子:二ヶ月の中で、チラシを受け取ったのはニューヨークの中で、中、下階級の人が多く、七十パーセントの主流社会の人はまだ資料を受け取っていません。どのようにこの状況を突破するのでしょうか? もし私たちが今日のように正装していれば、状況が変わるのでしょうか?

 師:こういう問題ではありません。先ほど私が言ったことのようです。つまり、各会社に勤めている中国人も大法を迫害している邪悪のならず者の集団のでっち上げの宣伝によって毒されています。真相を知らない彼らが邪悪に手伝って、毒を撒いています。主に彼らがこのようにしてそうなったのです。問題を解決したければ、ここから解決しなければなりません。アメリカ人は彼らが同僚だから、信頼できると思い、彼らの話を聞いてみようと思ったのです。しかし、彼らも自分が毒されているとは知らないのです。

 弟子:大陸に近いアジアの国の多くはたくさんの妨害を経験してきました。師父にお伺いしますが、西洋の弟子はこの状態を改善しにいってもよろしいでしょうか?

 師:これらの国の学習者も大体やっています。しかし、一部の国の政府は中国共産党をとても恐れているため、その行動が非常に良くありません。もし、他にすることがあれば、このことをとりあえず置いておいても良いのですが、もしこのことをする時間があれば、行ってみても良いのです。私は行ってみてくださいとしか言えません。それらの国の行動は意気地のない人間と同じです。

 弟子:オーストラリアの大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手)

 弟子:師父にお伺いしますが、各国や自分の地区で真相を伝えることと、ニューヨークの市民と北京の衆生に真相を伝えることとの関係をどのように扱ったらよいのでしょうか?

 師:どこも重要です。あなたの条件がどこで真相を伝えることに適しているのかを見て、そこで伝えればよいのです。

 弟子:シンガポールの全ての大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。インドネシアの大法弟子から、「師父にお会いしたら、よろしく伝えてください」と言われました。

 師:ありがとうございます。

 弟子:師父にお伺いしますが、常人の間のトラブルと修煉者の間のトラブルと同じなのでしょうか? なぜ修煉者の間のトラブルはなかなか解決されないのでしょうか? 表面では和気藹々ですが、陰ではお互いに不満を持っており、これが長くなって、どうしたら良いでしょうか?(皆笑って)

 師:どうしたら良いのでしょうか?(皆笑って) そうですね。どうしたら良いでしょうか? 修煉者はなぜこのようにして良いでしょうか? しかし、私には分かっていますが、私はやはりいつものあの言葉です。つまり、幾つかの問題においてその人の現れは非常に目立っていますが、実は現れていないところで既に修煉がとても良くなっています。そういう人を常人と比べてはならず、彼らのトラブルが単純なトラブルだと思わないでください。これは彼らが向上する機会です。

 もし皆さんがいつも和気藹藹で、お互いに非常に和やかで、誰も他の人に逆らわず、みな相手を喜ばせていれば、大変悪いことになります。(皆笑って) 本当に悪いことになり、修煉できなくなります。誰のトラブルも現れてこなければ、お互いに向上を促進することができず、これなら、決して修煉団体ではありません。私たちが常人との最も大きな違いは、トラブルがあれば、皆自分を探すことができるというところにあります。(拍手) 決してトラブルがないということではありません。誰もが自分の原因を探し、私のどこが正しくなかったのか、なぜ他の人が認めてくれないのでしょうか? 相手も私のものの言い方に問題があるのではないのか、なぜ相手が受け入れられないのでしょうか? 全ての人が自分を探すことができれば、これは即ち修煉です。自分を探さなければ、修煉していないことになります。少なくともこの問題においてあなたは修煉していません。確かにトラブルが長引いているということがありますが、遅かれ早かれ、彼らは自分の問題に気づくのです。早く取り除いたほうが遅らせるより良いのです。誰もトラブルと執着を持ちながら圓満成就することはできません。(拍手)

 弟子:佛教はインドで発祥しましたが、後にインドから消えました。現在インドに多くの異なる文化と言葉があるため、大法がインドでなかなか広まらないのです。これは旧勢力の按排なのでしょうか? 師父のご教示をお願いします。

 師:これは中国と同じです。中国のような広いところでは、多くの方言があり、他の地方の人は分からないのです。しかし、皆標準語、国語を話せば、分かるようになります。インドも実は同じです。インドにも公用語があり、多くのインド人は英語も分かっています。以前イギリス人はインドに長くいたので、年配の人の中に英語ができる人が多いのです。インドの人口が多く、土地面積もわりと広いので、言葉にきっと違いがあります。法を得ることは問題ではありません。旧勢力は人間が法を得ることを妨害しているに違いありません。中国の大法弟子がこの問題を解決することができれば、インドも解決することができます。

 インド人は他の宗教または他の信仰を信じていたため、近代のインド人を大きく変えてしまいました。インド人は以前とても純朴でした。インドという人種は佛が造ったのです。

 この世の人は皆異なる神が造ったのです。宇宙の中の一部の神の足が三界に入ってきたように、佛の足も道の足も、様々な神の足が入ってきました。彼らの足底、最も低いところにある粒子は三界と地球であり、上に異なる世の人々がおり、異なる人間は異なる神の体系と対応しています。釈迦牟尼はいつも足が汚いと言っていましたが、実は彼は人間のこのところの次元が低いと言っているのです。つまり、人間は神に造られてから、その神の体系の一部になったのです。ですから、神は人間を構っていました。しかし、後になって法を正すことが始まり、これらの人間を造った神は三界と人類を放棄し、人間を造った神まで三界から離脱しなければならないため、人間は孤立してしまいました。しかし、人間の表面のこの体、つまり人間のこの皮はやはり異なる種族の姿かたちをしています。しかし、上の神と既に関係はありません。つまり、現在多くの人体は上界から下りてきて人間になった生命に利用されました。この服は上界から来た生命が着ています。人間のところに来たら、もう神ではなくなりました。なぜならば、以前人間のところに来た生命はもう永遠に元に戻れなくなり、この境地に来たら、この境地の生命になったからです。つまり、人間になったということであり、違うのは彼らが高次元から来た生命です。ここまで話しましたが、つまり、もし私の大法が広く伝わる中で、済度されませんが、淘汰されなければならないまで悪くなっていなければ、これらの神から生まれ変わった生命は永遠にここで人間になります。また、これらの生命は大法に罪を犯しておらず、非常に悪い人ではないのです。このような生命は次の時期に、未来の人類が本当に始まるときに人間になるのです。

 現在の人類の次元は宇宙の中で永久に存在し、そして始めからあった次元ではありません。三界は法を正すために造られたものであり、どれほど長い歴史を経たとしても、ここの生命は法を正すための生命であり、法を正すことと同時に存在する生命です。神は人類を導いて、文化、人類の行動、思考と生命の構成を作りました。この過程は法を正すことを成就させるために歩んできた歴史であり、法を正すために存在し、法を正すために常に人類の時代を変えているのです。つまり、人間は実はこの次元の本当の生命ではありません。人間のこの次元の生命と社会は目的があって作られたのです。もし今回法を正す中で人間が正しく行動すれば、人類は福を得るのです。なぜならば、大法はかつてここで伝えられ、この次元の生命、即ち人間の本当の歴史は将来本当に始まるからです。大法は未来のこの次元のために人間の生命を切り開き、言い換えれば、未来に本当に人間が現れるのです。この次元は将来、永遠に宇宙の構造の一部になり、宇宙の一つの次元になるのです。(拍手) ですから、大法に罪を犯していませんが、大法の修煉もしていない人は、将来ここで永遠に人間になります。

 現在の人間は本当に恐ろしいものです。以前誰もここに来る勇気はありませんでした。ここに来たら、迷いに入り、頭の中のものをきれいに消され、いくら高い次元の神もここに来たら、何も分からなくなります。この世の逆になっている理に入ってから、この世の人間の利益と情に動かされ、人間は何でもやりかねません。生命はここでますます堕落していく一方で、なかなか自ら抜け出すことができません。情は人間のこの次元でその現れが水のようなもので、人間が見た水の粒子よりも小さく、密度が非常に高いのです。情は神ですが、無形の神であり、その名は「情」です。これは三界が造られたときにできた神であり、このような作用をしています。ここにいる三界内の粒子で構成された如何なる生命も、情の中に浸っています。人間の体の分子はミクロのところから見れば、非常に大きな粒子であり、顆粒の間に隙間があります。ですから、人間はここに漬かっていますが、人間の体の分子の間の隙間、ひいては分子の中の隙間まで情に浸っており、水のように浸っています。情に動かされない人がいるのでしょうか? 情から抜け出す人がいれば、その人は神になります。(拍手) 喜んだり、機嫌が悪くなったり、何かを好きになったり、嫌いになったり、怒ったり、あなたの気分に表れる如何なる反応、つまり何か物や仕事を好きになったり、何かを食べたいなど全ては全て情から来たものです。

 人間の表面のこの体は高い次元から来た生命とはいえ、この表面の体はやはりこの空間の食糧で形成されたのです。皆さんが見たこの表面の体も非常に複雑です。人間には真体があります。もちろん、この部分の法は将来説くもので、これは三界内の法です。人間の体の構造は非常に複雑です。人間が生まれたとき、人間の転生を司る下界の神は人間に一枚の人間の皮を与えるのです。当時この皮は非常に小さく、他の空間では見た目が非常に小さいのです。胚胎のとき、親から与えられたこの空間の物質、人間はそれを栄養と呼んでいますが、それを摂ることによって、絶えず膨らんでいきます。この過程はつまり成長の過程です。絶えずこの空間の物質を摂ることによって膨らんでいき、この真皮は絶えず大きくなります。生まれた後の人間の成長の過程も同じで、人類の如何なる食物を食べても、体は大きくなります。あなたが大きくなったのは、実はこの真皮が後天的な食物で形成された細胞によって膨らまされているということです。通常人間が死んだとき、この真皮は取られてしまいます。この真皮は最も表面の物質よりミクロなので、神はすぐにそれを取ることができます。真皮が取られてしまったら、この表面の体は腐りはじめ、解体してしまいます。なぜなら、これはこの空間、この世の物質によって構成されたものなので、この世に戻らなければならず、ここで腐っていきます。

 私は既に三界内の法を説いています。(笑)(皆笑って、拍手) 人間の表面において、これを聞きたいと思っていますが、高い次元の修煉にとって大して役に立たないのです。つまり、私が先ほどお話したのは、実は上界から来た現在の生命がこの服、つまり人皮を着ており、言い換えれば、表面のこの人間の体のことです。人間の表面の姿かたちは以前の神が造ったので、今までその神とずっと繋がっていたのです。ですから、大同小異ではありますが、基本的にその神の姿かたちをしています。人間それぞれは異なる姿かたちがあっても良いのですが、全体から見れば、その神の基本的な姿かたちをしています。ですから、異なる神は異なる人間を造っています。法を正す時期に入ってから、彼らは全て人間を放棄しました。私がどの民族の人なのかと言っている人がいますが、実は神から見れば、あなたはどの民族の人でもありません。あなたはただこの表面の体がまだその民族の姿かたちをしているだけであり、本当のあなたはそうではありません。あなたは他の民族から転生してきたかもしれません。多くの生命は天上から来たのです。

 神は人間を造ったときに天上ではなく、この世で人間を造ったのです。つまり、この世の物質を利用して造ったのです。『旧約聖書』の中で、エホバが泥を使って人間を造ったという説法があったようです。実は分子は宇宙の中で最も低い次元の表面の粒子の一つです。つまり、神の目から見れば、この次元の粒子は大地であり、つまり泥です。神の次元にある物質は宇宙の物質の精華であり、宇宙の低い次元に行けば行くほど、物質の顆粒は大きくなり粗くなります。つまり、ますます悪くなるということです。神から見れば、つまりますます汚くなるということです。ですから、神が思っている天と地は人間が思っているものとは違います。人間は天に昇ったと言いますが、実は分子の中で高く、遠くなっただけであり、分子という空間から離れていません。ですから、本当の天上に行ったのではありません。神が言っている天はミクロの粒子で構成されたもので、それこそ本当の天なのです。

 科学者は、どこに神がいるのか、この空を望遠鏡で見たが、どこに神がいるのかと言っています。それは本当の天ではなく、人間の概念の中の天であり、宇宙の中の衆生が言っている本当の天ではありません。この地球も本当の地に関する概念そのものではありません。人間は地球を見て、この地球は私たちの大地であり、私たちは地球を踏んでおり、この地球が丸いと思っています。神は地球は丸くないと言っています。なぜ丸くないのでしょうか? 私たちは神よりもはっきりと見ていますと人間は思うのです。しかし、皆さん考えてみてください。神は分子がこの地球の土だと思っているので、この空間は分子で構成された物質ではありませんか? 私たちのこの肉眼で見た空気は分子で構成されているのではありませんか? この空気の中に、さらに数億以上の空気と同じような物質が三界内にあまねく分布しており、ただ人間の目は分子ないしさらに小さい粒子を見ることができないだけです。しかし、これらの粒子はこの空間の全てにぎっしりと詰まっており、人類は分子とさらに小さい粒子の塊の中に埋もれているに過ぎません。この世の表面の形式は、全てが分子で構成された表面物質によって作られた異なる形式であり、神が作ったものもあれば、人間が作ったものもあります。人間が作ったものですが、たとえばこのビルはそうです。神が作ったものもあります。水、石、土、空気、金属、植物、動物、人間、さらに天上の星と地球などです。人はこの次元の粒子で構成された空間の中で世界を認識しているに過ぎず、非常に狭い空間の中で宇宙を認識しています。人間が思っている天と地は本当の天と地ではありません。地球と空気は同様に分子によって構成されたものであり、神からみれば、全て地なのです。ミクロのところでは、この粒子が構成した空間そのものは地なのです。さらにミクロ的な粒子で構成された境地こそ本当の天なのです。

 先ほど、インド人が佛によって造られたのだとお話しました。彼らの立ち振る舞いは非常に佛の姿と似ています。以前はもっと似ていました。近代社会になってから、人種の問題によっていくらかの混乱もありました。アラビアや中国はインドに近いので、近代のインド人の多くは混血になっています。以前のインド人は非常に純血で、インド人が民族舞踊をしているときの手のしぐさ、様子は佛の手印と似ており、佛の姿態のようです。私は非常に似ていると思います。(拍手)

 弟子:最近ロシアでは、何回か観光客に対するテロが起きたので、多くの人は大陸で起きた恐ろしい迫害を聞きたくはありません。

 師:これも一種の妨害です。大丈夫です。真相を伝えるべきときは伝えればよいのです。実は旧勢力はどうしても妨害しようとしています。それらの妨害に影響されず、いつも通りにやるべきことを行えばよいのです。しばらくは難しくなりますが、それほど長引きません。

 弟子:字を修正することですが、大法の本だけが対象なのでしょうか? マスコミの仕事をしているので・・・。

 師:書いた常人の文章を変えないでください。常人はそれを読んで分からなくなったら、それではいけません。今は常人のことに関係ないのです。

 弟子:私にある良くない思想業力があります。私はずっとそれを認めておらず、排除もしています。しかし、長い間、なかなか排除することができません。それが私ではないとも分かっています。

 師:もし非常に良くないものであれば、取り除いてください。時にもう一種のやり方で消滅しても良いのです。その効果も非常に良いのです。必ずしも極端なやり方でそれを片付けるとは限りません。つまり、次の念を発することです。「宇宙で法が正される中で、私が法を正すことを妨害しないものに対して、適切な処置を取り、未来の生命になるようにします。善解されたければ、私から離れて、私の周辺で待ってください。もし本当に私から離れる力がなければ、私を妨害するための如何なる作用もしないでください。将来私が圓満成就することができれば、皆さんのことを善解します。それらの全く良くないもの、まだ私を妨害しているものは、基準に従い、残ることができなければ、根絶されるしかありません。私があなたを消滅しなくても、宇宙の法もあなたを残しません」。もしこの念を発すれば、極めて次元の低い生命にとって、本当に慈悲深いのです。まだ妨害の作用をしているものを根絶することもしやすくなります。

 宇宙で法を正すことに基準があります。このように行えば誰も不満を言えません。道理は非常にはっきりしています。消滅されるべきものは消滅されます。多くの次元の低いものを完全に消滅することができ、原則的に如何なる問題もありません。しかし、このような念を発したら、如何なる生命も何も言えません。まだ悪事を働くものにはこれ以上言う道理もありません。取るべき処置を取るしかありません。(拍手)

 弟子:師父の説法を翻訳するとき、原文のまま一字一字を翻訳すべきだと思っている学習者もいれば、外国語の言葉の習慣に従うべきだと思っている人もいます。

 師:私が思うには、一字一字で訳すとき、幾つかのアジアの言語ならまだ大丈夫ですが、特に西洋の言葉は訳しにくいと思います。近い言葉で最も表面にある意味を訳せば大丈夫です。最大限に元の意味を反映すれば良いのです。翻訳の中にいつもこういう問題があります。翻訳するとき、表面の意味に近ければ近いほど、良いのです。

 もう一つの質問ですが、口語的に訳したほうが良いと思っている学習者がいます。例えば、英語の『轉法輪』の中に完全に口語体になっているものがあります。このように訳したほうが分かりやすいと思っています。もちろん、何かの不都合のことはありません。実は私が思うには、正式の文法で最大限に元の意味を反映して訳したほうが最も良いのです。英語または外国語を専門としている人は、非常に方言っぽい口語をなかなか受け入れることができません。規範の文法であれば、誰も読むことができます。読み手が分からないのではないかと心配しないでください。多くの英語を話している学習者がたくさんいるのではありませんか? 彼らは皆読んで分かったのではありませんか? 問題はありません。

 皆さんが法会を開いていますが、時間は全部私が使ってしまいました。これは良くないでしょう。(拍手)(大丈夫という意味で) 挨拶がたくさんあります。

 弟子:スペイン、オーストリア、ハンガリー、ポルトガル、ベトナム、インドネシア、ニュージーランド、フランス、日本、オランダ、ベルギー、ドイツ、イタリア、イギリス、オーストラリア、ラトビア、アイルランド、シンガポール、大ニューヨーク地区、スコットランド、ラオス、イラン、ロシア、インド、チェコ、南アフリカの全ての大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手) ここに中国大陸からの挨拶もあります。

 弟子:広東、江門、河南、鄭州、除州、平頂山、西安、海南、文昌、唐山、佳木斯、山東荷澤、ハルピン、湖南、懐化、山東、高唐、河北平郷、新郷、三河燕郊、天津、北京大学、清華大学、中国科学院、山東済南、石家荘、湖南莱陽、南昌、洪都、浙江、富陽、寧波、チチハル、湖北、香港、上海、広州、遼寧、山海関、山東、広西、瀋陽、合肥、丹東、延吉、大連、湛江、貴州、重慶、成都、武漢、錦州、雲南、マカオ、珠海、蘭州、河北、吉林の全ての大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手) 質問がたくさんあるので、全部読み上げたら、今日の法会は全部私が話してしまうことになります。(拍手)(師父に続けて話してほしいという意味で) できるだけお話しましょう。(拍手)

 弟子:大法弟子が残した孤児のために基金を作りたいのですが、アドバイスをお願いいたします。

 師:これらのことは良いことで、行って良いのです。私は前からこのことをしたいと思っており、大法弟子が迫害され亡くなった後、彼らの子供が家を失い、他の人の家に預けられたりしているので、私は何もしないわけにはいきません。ですから、彼らをリストアップして、そして方法を考えて彼らを救出することを考えました。(拍手) 私たちは彼らを育てます。また、彼らのために学校を作ることもできます。(拍手)

 弟子:私がぶつかっている問題は、どの仕事がもっと重要で、もっと良く対処すべきなのかをどのようにしたら分かるようになるでしょうか?

 師:これはあなた自身のことです。(皆笑って) このことはあまりに具体的なので、師父に聞かないでください。

 弟子:数年前精神病にかかった学習者がおり、入院したこともありますが、この数年再発したことはありません。現在、法を実証する仕事に参加していますが、できるだけ皆の前に姿を見せないで、裏の仕事をやるようにとアドバイスしたほうが良いのでしょうか?

 師:これは良いアドバイスです。自分を制御することができず、法を学ぶ前に精神病にかかった学習者であれば、家で修煉して良いのです。当時私が法を伝えたときに、精神病患者は講習会の会場に入らないようにいつも言っていました。勉強したければ、私はあなたの面倒を見ます。家で学んでください。私は如何なる人も済度します。しかし、会場に来てはいけません。大法弟子のこの修煉環境を守らなければならず、妨害されてはいけません。ですから、重病患者と精神病患者は会場に入らないようにしていました。精神病にかかったことのある学習者は裏で何かをしたりすることができ、真相を伝えることを少なく行ったり、または行わなくても良いのです。

 弟子:大法の中で、殺人と放火を見て見ない振りしてはいけないと学習者に要求しています。大陸の学習者は今命を失っています、私はもうこれ以上家で待っていられないのです。天安門広場に行って「法輪功が素晴らしい、大法が私の命を救った」と人々に教えたいのです。

 師:今大陸はまだ非常に邪悪です。大陸学習者が迫害されているのを見て黙っていられないのですが、私は皆さんが迫害されることも見たくありません。迫害を制止するために、真相を伝えることに多く力を入れてください。師父である私にとって、まず考えるのはあなたの安全です。(拍手)

 弟子:私たちが芸術の創作をするとき、現在の人々に受け入れられる芸術と未来に存在すべき芸術との間のバランスをどのように取ればよいのでしょうか? 私たちは新しい芸術を切り開いているのでしょうか?

 師:大法弟子が主催のコンクールはできるだけ、より正しく、素晴らしくするようにしてください。芸術の創作から何を表現するのかは、題材の問題であるに過ぎません。創作のレベルは往々にして、観衆に受け入れられるかどうかの鍵です。

 弟子:私は意気消沈の状態に陥りやすいのです。生命の中の最大の苦痛は孤独であり、家族の暖かさはありません。この孤独感にもたらされた苦痛をなかなか取り除くことができません。私はどのようにこの問題を認識すべきなのでしょうか? これは私の歴史上の業力によるものなのでしょうか? それとも修煉の中で取り除くべき要素なのでしょうか?

 師:業力によるもの、または妨害であれば、根絶してください。一つの生命として、当時大法を得たときの興奮、誇り、他の人が得られないが、自分が得たという感覚はなぜ今なくなったのでしょうか? 精進していないのではないのでしょうか? そうではありませんか? 真相を伝える中で忙しくて、自分の気持ちを感受できなくなったのも、大法のことと衆生を救い済度することを行う中で、そうなったのです。なぜ孤独を感じるのでしょうか? 衆生を救い済度し、大法弟子が行うべきことを行っていれば、決してこういう気持ちはないはずです。法を勉強し、精進している中で、どうしてこういう気持ちを感じえるのでしょうか? 精進していないので、常人の気持ちを感じる暇があるのです。そうではありませんか?(拍手)

 弟子:最近ある学習者はずっと経済的に援助してくれています。そのため、私はニューヨークに留まり、多くのことや大法の仕事をすることができるようになりました。他の人からの援助を受けることはあまり正しくないと思います。師父にお伺いしますが、私の認識は正しいのでしょうか?

 師:大法弟子はみな多くのことを払っており、自分も払って真相を伝えています。もし他の人が何かを払ってくれることに頼っていれば、これは条件を掛け合って行っているのではありませんか? もし他の人が援助してくれなければ、もうやらないのでしょうか? 他の人のものを取るときに、相手に借りを作ったと思いませんか? 平気でいられるのでしょうか? もちろん特別な情況もあり、言い切ってはいけません。会社を経営している学習者は多く支払い、学習者が行っている何かの仕事をサポートすることは理解できます。しかし、普通の情況から考えれば、よくないと思います。真相を伝えることをしているに関わらず、やはり良くないと思います。もし長期的にここにいられれば、仕事を探して、空いている時間で真相を伝えればよいのです。これも大丈夫です。いずれにせよ、自分で経済上のことを解決すべきです。長く他の人からの援助に頼っていれば、それではいけません。

 私は法理からこのように言っていますが、実はそれらの神は皆さんを見ているとき、睨み付けているので、やはりこのようにしてはいけません。もしどうしても条件が整わなければ、家で大法弟子が行うべきほかの事をすればよいのです。私は条件が整っている人がここで真相を伝えるようにと言っており、そうではない人は地元に帰って、真相を伝えればよいのです。同じです。

 弟子:江××に属する海外のネットサイト○○がどのように海外の華人を毒しているのかについてお話をいただけないのでしょうか?

 師:これらのことは法会で話すほどの価値はありません。生命はどういう道を歩むのか、その結果に対して自分で責任を負わなければなりません。彼らがどういう道を歩むのかは、彼ら自身の選択です。彼らに分からせたとしても、作った借りをやはり返さなければなりません。人間は何をしても償わなければなりません。償わないことは絶対許されません。しかし、彼らは毒を放って、どれほどの人に害を与えたのでしょうか? この罪は山のごとく、天のごとく重いのであって、彼らには償いきれないのです。毒された衆生はあまりに多いのです。ですから、マスコミが悪いことをしたら、罪が重いのです。私は大法を破壊するということに対して言っています。

 弟子:ポーランドの弟子はどのように中国大陸の弟子を助けたらよいのでしょうか? ポーランドの弟子は師父にご挨拶を申し上げます。

 師:ありがとうございます。(拍手) ポーランドの弟子ですが、真相を伝えることはどこでもできると思います。時間があれば、他の地区で行っても良いのです。これは問題ありません。これも中国大陸の学習者を助けています。今中国大陸以外の学習者はいくらかの条件を切り開き、有効にそこの邪悪を抑制したと同時に、自国の学習者に表に出ることの重要性をも認識させました。これらのことは全部行って良いことです。もし他にも方法があれば、それも行ってよいのです。

 中国大陸の学習者に送金すること、これは行わないでください。このお金は彼らの手に届かないかもしれず、彼らも修煉しています。お金が多くなれば、彼らに人心が生じ、かえって執着をもたらしてしまいます。彼らは邪悪の環境の中におり、非常に厳しい地区もありますが、正しく行えば、師父はみな見守っています。彼らの道は自分で歩まなければなりません。師父は必ず考慮するのです。これらのことは根本的な問題ではありません。

 弟子:法を得たときに真に法を認識しなかった学習者は、自分に対する要求が甘く、これによって、周りの新しい学習者が彼らの良くない行動に影響され、修煉を続けたくなくなりました。彼らは救われるのでしょうか? 彼らに影響した学習者は相手を傷つけたことを補うことができるのでしょうか?

 師:学習者のせいで誰かが済度されなくなったら、これは非常に深刻な問題です。修煉者にとって、衆生を救い済度することしかできず、衆生をだめにしてはいけません。あなたはこの世で神になるまで修煉することができますが、人を台無しにしてしまうこともできます。この二つのことは重みが同じなのです。ですから、このことを軽視してはいけません。修煉の前に作った借りに関しては、既に区別され、これとは違います。修煉の中でまた何かをしたら、これは大変なことです。もし本当に誰かを台無しにしてしまい、その人が済度されなくなり、ひいては将来命までなくなったら、このことによって、あなたは永遠に神になることができません。これほど深刻なのです。ですから、くれぐれもこのようなことをしないでください。

 もちろん、意識的にしたことと無意識のうちにしてしまったことはやはり区別されます。しかし、私たちは衆生のためにやってきたのではありませんか? マイナスの影響によってもたらされた損失は非常に深刻なことです。そのとき、衆生を救い済度するという正念はどこに行ってしまったのでしょうか? なぜ相手の気持ちを考えないのでしょうか? 皆さんが修煉しているのは、相手を優先にし、自分を後回しにし、何かをするときにまず相手を考えるという正法の正覚ではありませんか? 他の人とトラブルを起こすときに、確かに新しい学習者に影響してしまいますが、なぜ新しい学習者の前でこのようにするのでしょうか? それとも自分のことを強調しているため、ほかの人を配慮しなくなったのでしょうか? 表面ではあなたは無意識的にやっていますが、実は新しい学習者を追い出しているのではありませんか?

 多くのことに気をつけなければなりません。正しく行わなければ、補うべきです。相手が新しい学習者で、私たちが法を広めたときに入ってきた人だから、学びたくなければやめればよいと安易に思わないでください。このように見ないでください。ご存知のように、あなたが法を広めたのはただ一つの条件だけであり、彼を大法弟子にするかどうかは師父が決めることです。師父が本当に導いて入ってきた人で、あなたに追い出されたら、これは小さいことではありません。しかも、人間はいったん大法を学んだら、既に大法の学習者になりました。この人のためにたくさんのことをしてあげなければなりません。多くのことをしてあげましたが、この人がやめたら、将来どうなるのか、皆さん分かるのでしょうか?

 弟子:もし旧勢力の迫害がなければ、師父がもともと私たちに按排した修煉の道はどういうものなのでしょうか?

 師:既に時も情況も変わりましたので、まだ聞く必要があるのでしょうか?

 弟子:正しい念と正しい行いを通じて、私たちは法がこの世を正すことがやってくるまで、この迫害を終わらせることができるのでしょうか?

 師:実は大法弟子の皆さん、皆さんの正しい念と正しい行いは法を正すことを手伝う中で、既に迫害を終末に向かわせています。(拍手) 皆さん考えてみてください。現在これらの邪悪はだいぶおとなしくなっています。もしあなたが強くなく、正しく行っていなければ、邪悪はなぜあなたに対して行動を慎んだのでしょうか? 学習者が捕らえられても、悪人が憚ることなく迫害をしなくなりました。なぜでしょうか? 将来大法弟子に裁かれることを恐れているからではありませんか? 大法弟子を迫害した邪悪の徒が将来、天地の果てまで逃げても、最後まで探し出さなければならないのではありませんか? 大法弟子が今回の迫害の中で迫害されても何も言わず、意気消沈して消えてしまったら、邪悪は何を恐れるのでしょうか? 彼らが遠慮することは何もないでしょう。皆さんが行ったこれらのことは今日の邪悪を怯えさせ、邪悪が大量に減少し、それらを抑制することができ、これによって、邪悪は恐れ、迫害することができなくなりました。最後にはこの邪悪の迫害は終わらざるを得なくなります。これは法がこの世を正す前に大法弟子がやり遂げたことであり、素晴らしいことです。

 弟子:集まって法を勉強したり煉功したりすることに参加しない学習者がいますが、このような学習者に危険があるのでしょうか? 彼らの恐れる心が取り除かれるように、私たちはどのようにすれば良いのでしょうか?

 師:私が思うには、新しい学習者に対して、性急にならないでください。ゆっくり進めばよいのです。しかし、できるだけ集まって法を勉強する活動に参加するようにと勧めてください。一緒に法を勉強するという環境は皆さんを高めることに不可欠なことであり、なくてはならないことです。当時、私はどうして皆さんにこれを教えたのでしょうか? この法の修煉形式のため、必ずこのようにしなければなりません。以前の人はなぜどうしても出家して修煉しなければならなかったのでしょうか? 彼らにあることが分かっているからです。つまり、世間に戻って常人と接触していると、常人のようになり、精進できなくなり、その上、彼らは副元神を修煉していたので、出家して集まるようにしたのです。修煉者の間で、お互いに促進しあい、比較しあい、修煉者ならではのことを話すので、修煉者の環境を形成できるのです。

 もしこの環境がなければ、皆さん考えてみてください、今日の大法弟子も同じで、常人社会に戻ったら、常人社会の環境に身が置かれることになります。自分が精進しようと思わなければ、今日本を読みたいから読みますが、明日怠けてしまったら、減らしてしまいます。この環境がなければ、なかなか精進することができません。なんといっても人間は修煉しており、人間の惰性、この世と各方面からの妨害もあり、自分だけではなかなか差を見つけることができません。さらに精進せず、本を多く読まず、法を多く認識しなければ、全く自分の執着に気づくことができません。ですから、必ず一緒に法を勉強し、煉功してください。

 今は迫害の時期なので、様々なことが原因で、一緒に煉功することができず、或いは常に一緒に煉功することができませんが、将来は必ず皆で煉功しなければなりません。中国大陸以外の地区では、多くの古い学習者は法を実証することに忙しくなっています。しかし、新しい学習者に対して、古い学習者は彼らのために環境を切り開き、彼らが一緒に法を勉強し、煉功するようにしてあげるべきです。

 弟子:(訳文)私は西洋人の学習者です。西洋人学習者を励まして、さらに多くの西洋人学習者が表に出るように師父からお話をいただきたいのです。今多くの大法の仕事は英語を母国語とする学習者が必要です。

 師:確かに精進すべきです。私はいつも考えていますが、大法弟子が作った大紀元は中国人社会で既に大きな影響力を持っています。実は大紀元は既に世界最大のマスコミになりました。大紀元は多くの国で発行され、全米に広まっています。私はアメリカの小さな町でも大紀元を見たので、発行範囲は非常に広いのです。さらにホームページもあります。しかし、これは何といっても、中国人という部分だけです。中国大陸以外の主流社会、社会の本当の主体ですが、アメリカは英語を話す社会であり、この部分が主体です。しかし、彼らに真相を伝える刊行物がなければ、それで大丈夫なのでしょうか? 口頭で伝えることだけに頼るのは、やはり限りがあります。たとえ、これでうまく出来るにしても、やはり、できるだけ、より人々に真相を認識させる方法を増やすほうがもっと良いのではありませんか? ですから、英文の大紀元はいつか成長してきたら、最も良いことだといつも思っています。実は他の国も同じです。(拍手)

 多くの主流社会のマスコミは中国と経済関係を持っています。中国の邪悪な集団に買収されたマネージャーや編集者もいます。今日の社会において、これほど厳しい迫害、これほど大きなことが起きているのに、国際社会は見てみないふりをしています。これは異常ではありませんか? これは筋の通る話なのでしょうか? これは犯罪なのです。しかも、このならず者の集団はほかでもなくこれほど邪悪なのです。大法弟子がもし各地区に自分のマスコミを持っていれば、これらの問題を解決することができます。もしこれらのマスコミが良い効果を得るためには、人的と物的の問題を解決しなければならず、人手を増やさなければなりません。ですから、この点から見れば、西洋人の学習者で参加している人は本当に足りないのです。このことに関して、関わっている学習者は非常に焦っています。

 もちろん、全ては徐々に良くなり、新しい学習者が入ってきて参加するようになります。新しい学習者は徐々に法を認識して入ってきて、全てが良くなります。当時の中国語の新聞も同じ情況であり、少ない人から始まり、そして多くの人が参加するようになり、最初何もできず、何も知らず、未熟なものから最終的にできるようになり、慣れてきて、成熟するようになります。ですから、新しい学習者で法に基づいて修煉できる人であれば、多くのことに参加してもらってよいのです。もし法に基づいて認識できなければ、まだ参加させてはいけません。なぜならば、多くのことを理解できず、法を実証することは自分でやらなければならないとまだ認識することができないからです。これも衆生を救い済度することであり、私たちが行わなければ、誰が行うのでしょうか?

 新しい学習者が理解できなければ、かえって彼にマイナスの影響を与え、彼を台無しにしてしまう恐れがあります。ですから、彼らのこの情況に配慮すべきです。私たちが行っているこれらのことは衆生を救い済度しているのであって、真相を伝え迫害を暴露しているのだと新しい学習者に分かってもらうべきです。古い学習者も新しい学習者から成長してきたので、徐々に新しい学習者も成熟するようになります。

 弟子:関を乗り越えるとき、私は毎回自分の汚い私心に気づくのです。もう長く修煉しているのに、まだきれいに取り除いていません。しかし、今は既に法を正すことの終盤に入ったのです。

 師:焦る必要はありません。これらのものは一層一層取り除かれていくので、現れてくることがあります。皆さんが本当にできないことであれば、師父はしてあげます。

 常人社会は大きな染物がめであり、いったん自分を緩めたら、侵蝕されてしまうため、絶えず修煉しなければならず、汚染されてしまうことを防御しなければなりません。いったん緩めてしまったら、良くないものがやってきます。皆さんは修煉者であり、常人の中で修煉できるように師父が皆さんにその部分を残してあげました。これも原因の一つです。目的は皆さんが常人社会に最大限に符合しながら修煉できるようにするためです。精進しないと、常人のこれらのものは隙に乗じられてしまいます。しかし、修煉者として、修煉の中で絶えず自らを修正し、良くないものを取り除くことができます。しかし、良くないものはやはりあります。自分の修煉が良くできていないと思う必要もなく、精神的な負担になる必要もなおさらありません。それなら、執着になります。良くないものがあれば、それを取り除けばよいのです。正々堂々と修煉してください。自分の行動は影響されないようにしてください。頭に良くない念が現れたら、すぐに取り除いてください。

 弟子:法を正す時間が早く進んでいるため、家族に真相を伝えるのが非常に難しいのです。どのように彼らに真相を伝えたらいいのか、手をつけようがないと感じています。

 師:家族の人に真相を伝えるとき、本当に難しいと感じている学習者がいます。実は私が思うには、多くの場合は、やはり相手が家族だと思い、他の人と違った対応を取ったからです。家族もこの世の衆生の一人と思えばよいのです。とりあえず相手があなたの親族と思わないでください。同時に彼の障碍がどこにあるのかを見て、それを解くことができれば何でも解決することができます。一般的に、真相を伝えるとき、相手に法を学んでほしいとまず思わないほうが、効果はさらに良くなります。

 弟子:私たちが非常に幸運であると分かっていますが、時々機嫌が悪くなります。これは私が修煉して良くできていない一面なのか、それとも業を滅している部分なのでしょうか。つまり業力という部分です。

 師:機嫌が悪くなるのも正常なことです。新しい学習者なので、人間がこの世でたくさんの観念を形成し、あなたの観念は異なる物事に対して異なる認識を持っています。これが良い、あれが良くないと思ったりして、人間にはこのような感じ方があります。これは人間の観念が反映しています。修煉をはじめたら、すぐに全ての観念が全部取り除かれるこれはあり得ないことです。ですから、観念上の反映は気分に影響してしまいます。これによって、機嫌が良くなったり悪くなったりします。

 これは修煉過程での中の情況です。徐々に法に対する認識がますますはっきりとなれば、あなたの正念は強くなります。衆生を見るとき、ますます慈悲深くなります。そのとき、情況は違ってきます。

 弟子:新しい『轉法輪』が出版されましたが、字を修正していない本、つまり古い『轉法輪』をどのように扱えばよいのでしょうか? 続けて使うのでしょうか?

 師:本であり、法なので、幾つかの文字だけだから、修正すればよいのではありませんか? そうではありませんか? やるべきではないことをやってはいけないのではありませんか?

 弟子:中国五千年の文化は皆宇宙の各天体の文化ですが、西洋の文化も遠い天体の文化なのでしょうか? 大法が広く伝わることと関係があるのでしょうか?

 師:西洋の神は西洋の人を造りました。東洋も、他の民族も、全て異なる神によって造られたのです。このため、必ずその神の体系の特徴を持っています。文化に触れましたが、神が人間のために人間の文化を作ったのであって、天上の文化ではありません。マンハッタンのこれらのビルは天上のビルと同じだと言っている人がいますが、同じではありません。なぜならば、これは現代科学によってもたらされたものであり、現代科学は宇宙人が持ってきたものだからです。中国の各時代の文化は縁を結びにきた生命たちの、各天国の特徴を持っていますが、人類に何を残すのかは神が目的を持ってコントロールしています。人間の歴史は法を正すために築かれた基礎だからです。西洋の文化は人間が生きていながら、法を正すことを待つために造られた表面の文化です。

 弟子:「真善忍」に回帰することは非常に難しいと感じています。どのようにしたら、根本から執着を取り除くことになるのでしょうか?

 師:新しい学習者は焦らないでください。多くのことは修煉の中で徐々に分かり、認識できるようになります。最も良い方法は本を多く読むことであり、必ず繰り返して本を読んでください。師父が教えたことは絶対あなたのためになることです。

 ご存知のように、中国大陸で法を伝えたわずか数年の間に一億の人が学びにきました。中国から離れた後、直接功を伝え法を説いていませんが、皆学習者はそれを伝え、九日間の勉強会を開いたりして、この法があるのをお互いに教えあっています。旧勢力は制御していますが、止めることができず、やはり多くの人が入ってきて学ぼうとしています。なぜこういう情況なのでしょうか? この法は本当に人の修煉を指導することができ、人を真に向上させ、生命の状態を変えることができるからです。中国大陸の邪悪はそこまで迫害を加えており、国際社会で大法弟子が受けた邪悪からの圧力も非常に強いものです。なぜ大法弟子は邪悪を耐え切り、乗り越えることができるのでしょうか? 彼らはこの法を知り、この法の中で、修煉の中で本当に向上したからです。もちろん、直ちに認識が高まるのも現実味のない話です。徐々に法を勉強することを通じて、何でも知るようになります。

 執着のことにいたっては、師父が今日あれこれを取り除くようにと教えれば、これは強制になり、あなたが心から取り除きたいということではありません。時間が長くなっていくうちに、師父がいつも言っていると、あなたは耐えられなくなるとき、不満が生じます。師父がなぜこのようにするのかと思ってしまうのです。自分で法理を通じて認識できるようになったら、あなたの生命にとって、このようにすることのメリットとデメリットが分かるようになります。これこそあなたの本当の向上であり、あなたは本当に執着を取り除くことができるのです。外的の如何なる束縛もあなたの意思からのものではなく、あなたの本当の向上ではありません。束縛と強制は永遠に人を変えることも向上させることもできません。束縛から離れると、人間はまた元に戻ります。これではいけません。

 弟子:99年の弾圧の後、強制労働収容所から出た一部の学習者は佛教を修めはじめました。実は恐れる心があるからです。

 師:私が思うには、恐れる心があれば、どこに行っても真の修煉にはなれず、圓満成就することもできません。佛教に入っていけば、佛教がどういうことなのかが分かるようになります。もちろん、素晴らしく行っている学習者と比べて、かなり劣っています。大法が彼にメリットを与えたときに、彼は来ましたが、大法が迫害されたときに、逃げてしまいました。メリットを得ましたが、迫害に反対するとき、大法のために声をあげたくなく、法を実証することもしたくありません。この生命は神から見れば、最も悪いものです。どのように彼を修煉させるかのことについて、善を勧めるしかなく、特別な方法はありません。何を手に入れたいのか、人間は自分自身で決めるのです。

 弟子:中東地域で戦争が後を絶たず、世の人々は法を得る機会がありません。大法弟子はどのように中東で法を広めるべきなのでしょうか?

 師:確かに非常に難しいことです。これらのことは全て旧勢力が仕出かしたことです。

 法輪功学習者への迫害について、アメリカ政府はこれが非常に重大なことだと分かっています。アメリカの立国の根本は信仰の自由であり、人権を重んじることです。アメリカの初めての移民はピューリタンであり、彼らは信仰の自由のためにこの国にやってきました。大法弟子への迫害はアメリカの最も根本的な利益に直接触れており、その立国の根本に触れています。それなら、アメリカ政府はなぜ何もしないのでしょうか? 私はアメリカを思いやって言っていますが、旧勢力が中東を撹乱し、アメリカを余裕のないようにし、中国に力を集中させ、大法弟子が迫害されていることに対して措置を取ることができないようにしています。

 アメリカ政府は現在テロリストに手を煩わされていなければ、この邪悪が今の社会でここまではびこっていることを決して容認しないと思います。なぜならば、アメリカが世界で演じているのは秩序の保護者という役割だからです。実はアメリカは国際警察なのです。神はなぜアメリカをこれほど強くし、裕福にしたのでしょうか? 神はアメリカが世界でこのことをするようにと按排したのです。中国というところは人類の芝居の主舞台であり、重要な芝居を上演するところです。しかし、この劇場の秩序は維持されなければならず、乱れてはいけません。ですから、実はアメリカは本当に神が按排したことを行っています。中国共産党はいつもアメリカのことを「国際警察」と罵っていますが、アメリカは確かに国際警察であり、神からそうなるようにと言われました。もしアメリカ政府がこの責任を果たさず、作用しなければ、神はアメリカをこれほど強くし、裕福にさせないのです。アメリカ人だから特別ということではなく、神はアメリカ人にこういう按排を与えたからです。(笑)

 弟子:私自身と周りの一部の大法弟子は最近子供を持つようになり、以前のようにたくさんの真相を伝える時間がありません。ちょっと悩んでいます。

 師:これは問題ないと思います。大法弟子で子供のある人がたくさんいます。もし子供が小さければ、時間をかけて世話しても大丈夫です。時間があれば真相を伝えればよいのですが、時間が少なければ補助的な仕事をすればよいのです。子供が手を離れるようになったら、もっと多く行えばよいのです。大丈夫です。

 弟子:(訳文)拷問展を行うとき、多くの常人は一日何度も通りかかり、既に真相資料を受け取ったのですが、中国の学習者はそれでも彼らに真相資料を配っています。

 師:たぶん学習者が交替したので、彼らが既に資料を受け取ったと知らず、また同じ資料を配ろうとしています。このことに気をつけるべきです。時間が経つにつれ、周りの人はよく知るようになり、既に真相を知っており、同じ資料をあげたことがありますが、また配ってあげたら、資源を浪費してしまうことになります。常人が配るように、配り終えればよいというようにしないでください。あなたは衆生を救い済度しているのです。でなければ、ここに何をしにきたのでしょうか?

 弟子:アトランタ、ジョージア州政府の上院は中国領事館の設立に力を入れて進めています。私たちの真相を伝えることに入れた力がまだ足りないのか、それともこれは旧勢力の妨害なのでしょうか?

 師:何かを作りたければ作れば良いのです。大丈夫です。領事館を作るかどうかは私たちと関係はありません。将来、誰の領事館になるのかも分かりません。(皆笑って) そうですね、私たちは常人のことに全く関わっておらず、私たちはただ、修煉者なのです。現在の中国がどうなったのかを見てみてください。中国共産党は今回本当に火山口に座ったのです。今にもつぶれそうになっています。表面では立派なように見えますが、実は既に救いようのないところまで来ています。表面の服装はきれいですが、中は既に腐っています。

 弟子:現在のニューヨークでの法を正す形勢はどういう段階に入ったのでしょうか?

 師:このことに段階はありません。真相を伝えることだけであり、人々に分からせ、世の全ての人々に真相を知ってもらうことです。実はあなたは全体の状態がどうなったのかを聞きたいと思っています。実は、皆さんがこのように真相を伝えていても、真相を知っている人の中でニューヨーク市に在住の人が多く、半分以上です。彼らはすぐ分かるようになりました。ニューヨークに在勤していますが、在住していない人で真相を知ったのはわずか一部の人です。今はこういう情況です。

 弟子:安全を考慮すれば、秘密を守らなければなりませんが、守りすぎると、学習者の交流を妨げ、皆さんのやる気に影響してしまいます。どのように対処すべきなのでしょうか?

 師:修煉者なので、何をしても相手のことを考えなければならず、大法のことはもっと考えなければなりません。ですから、他の人から教えてもらえなければ、気を悪くしてはいけません。大きな会議で話してはいけない大法の仕事があり、全ての人に知らせてよいということではありません。たくさんの人が知るようになったら、皆注意しなくなり、この人もあの人もしゃべってしまい、中国のならず者の集団のスパイに知られてしまいます。現在の盗聴は本当にひどいのです。電話の電源を入れても入れなくても、盗聴することが出来ます。ですから、安全のために、皆さんが行っている衆生を救い済度することが行われる前、広く知られてはいけません。このことは分かっていなければならず、学習者を理解してください。あなたに隠すためではなく、広く知られないようにするためです。例えば、皆さんは真相を伝える美術展を開きますが、開く前に領事館が既に電話をして、「もし彼らに場所を提供したら、気をつけろ、爆破されてしまうぞ」と美術館を脅かしてしまいました。如何なる下劣なこともやりました。広く知られてはいけないこともあるので、学習者として、全ての学習者はこのことを理解すべきです。

 弟子:大法のために多くの仕事をし、たくさん働いた学習者がいます。しかし、仕事の中でよく怒ります。このような人は修煉して圓満成就することができるのでしょうか?

 師:圓満成就までの話ではないと思います。なぜ怒るのでしょうか? もちろん、単なる怒るということから、この人の修煉が良くないと言えません。しかし、怒るということは確かに非常に良くない影響を及ぼします。新しい学習者に大きく影響し、相手がびっくりして修煉をやめてしまうのです。皆修煉しており、人間が修煉しているのであって、神が修煉しているのではないので、あなたは周りの人に誤解や妨害を与えることがあります。意見が違い、機嫌が良くなくても、穏やかに話さないといけません。大法弟子は邪悪の前でも、殴られてもやり返さず、罵られても言い返さないのではありませんか? 忍んでいるのではありませんか? 落ち着いて真相を伝えているのではありませんか? それなら、なぜ意見が違うときに怒るのでしょうか? 修煉者はなぜ怒るのでしょうか? 修煉者の間はなおさら怒ってはいけないのではありませんか? あなたが誰であっても、修煉をしているのです。なぜ私の弟子にいつも怒っているのでしょうか? 私の弟子にこのようにして良いと私は同意したのでしょうか?

 弟子:自分の執着があまりに強いため、法会のとき急いで師父の写真を撮りました。しかし、効果は良くありません。これは師父に対する不敬なことだと悟りました。

 師:ですから、撮らないでくださいと私は言ったのです。私に会うと、いつも写真を撮っている学習者がいます。私は別に気にすることはなく、きれいに撮れていてもいなくても大丈夫ですが、取った後あなたはまたつらく感じてしまいます。今後気をつけてください。このような場合、処理に困っている写真をいっそ全部私に渡してください。私は処理します。

 弟子:(師:これは字が多いですね)東洋と西洋の学習者は真相資料を配るときの行動が違います。西洋の学習者はいつもチラシを手に持ち静かに立っており、人々がとりに来るのを待っています。しかし、自ら取りにくる人は少ないのです。それに対し、特に台湾から来た学習者は礼儀正しく親切に相手に渡しています。いつもたくさん配っていますが、かえって西洋の学習者に注意されました。拷問展を行う場所で真相を伝えるときなおさらそうです。西洋の学習者が相手を待たずに、積極的に真相を伝えることを望んでいます。

 師:私たち真、善、忍を修煉している人は礼儀正しく人に接しなければならず、大法弟子の善を表すべきだと西洋の学習者はきっとこのように考えていると思います。彼らはきっとこのように考えています。ですから、直接相手に配るのではなく、取りに来るのを待っています。皆さんの考えは間違っていないと思いますが、人を救うことは切羽詰っていることです。大法弟子は家族や仕事を顧みず、さまざまな困難を克服し、経済的にも限られていますが、ここに来て真相を伝え、人を救っています。実は容易いことではありません。人を救っている以上、やはり積極的に行ったほうが良いと思います。しかし、礼儀が正しくなければなりません。

 礼儀正しく、積極的に行えば、相手が嫌がることはなく、私たちも資料を配ることができ、このようにしたほうが良いと思います。相手が受け取りに来るのを待っていれば、意念の中で相手を救いたいとか、取りに来るようにと思っているかもしれませんが、人間の一面が強くなってしまえば、分かっている一面が作用しなくなります。たとえば、マンハッタンの人は皆忙しくしており、頭の中で金儲けのことや、誰かに会いに行こうと考えており、またはこの商売を成功させたいなどを考えながら、足早に歩いています。彼が何か考えているとき、あなたの念によって彼の分かっている一面が資料を受け取りに行きたいと思っていますが、彼の人間の一面もとても強いため、すれ違ってしまうこともあります。ですから、やはり礼儀正しく声をかけて、積極的に行ったほうが良いと思います。

 西洋の学習者にとって、このように行うのはとても困るのです。人を邪魔すること、自分から相手を邪魔することに負い目を感じています。そうではありません。今人を救っているのだと思えば、問題はありません。(拍手)

 弟子:マンハッタンでビルの中の会社員に真相を伝えることにまだ多くの障碍があります。どのようにすれば、旧勢力が設けた様々な障碍とハードルを突破し、ビルの中の衆生が救われ得るのでしょうか? 師父に・・・

 師:実はビルの中に入って真相を伝えることですが、本当に入ったら、それも難しいのです。なぜならば、皆仕事をしているからです。相手が仕事をしていますが、私たちが真相を伝えに行ったら、ボスはきっと不機嫌になります。ですから、私たちに対して良くない考えを持つようになります。もちろん、全てがそういう情況ではないかもしれません。条件が整っている学習者はこのようにしても大丈夫です。会社員の場合、通常三つの時間帯に彼らと接触することができます。一つは出社する時です。もう一つは退社するとき、後はお昼の時間です。お昼には、多くの人はビルから出てきます。ですから、この三つの時間帯に私たちは意識的に彼らに対して真相を伝えたほうがより良い効果を得ることができるかもしれません。

 弟子:私は北京からの大法弟子です。来る前に必ず師父へご挨拶を申し上げるようにと他の学習者から言われました。(師:ありがとうございます。北京の学習者ありがとうございます)。(拍手) 師父がいつも私たちの身辺にいらっしゃると感じていますが、皆さんはやはりいつも師父のことを思っています。師父の話をすると、皆さんはいつも涙を流します。この二日間海外の大法弟子の活動に参加して、深く心を打たれました。私たちは邪悪のもう一つの中心地にいますが、迫害の時間が長くなるにつれ、決まったやり方で行うという状態に陥る学習者がいます。海外の大法弟子のように精進し、緊迫していません。ここでは本当にテンポの速さを感じています。全ての大法弟子は皆非常に頑張っています。私たちは海外の大法弟子との差を感じました。私は必ずマンハッタンで感じたこととニューヨーク法会の盛況を大陸の修煉者に伝えます。私たちは本当にスピードアップして、止まらずに精進しなければなりません。師父、ご安心ください。私たちはこのようにし、必ずこのようにします。

 師:私は信じています。(拍手) 実は、中国大陸では、国内外の大法弟子がこのように行い、このように努力することによって、邪悪を大いに震撼させました。それらの迫害を既にかなり抑制し、同時に大量の邪悪が消滅されました。このような環境の中で、恐れる心のある学習者はそれでも表に出ず、行わなければ、本当に機会を失います。師父が素晴らしい、大法が素晴らしいと分かっており、家で法を勉強し、隠れて修煉していると言っている人がいます。実は皆さんに大法を伝えたのは、皆さんに衆生を救い済度してもらうためです。皆さんにさらに大きな威徳を樹立させ、衆生のために責任を持ってほしいからです。私は言ったのではありませんか、 つまり将来の生命は他人のために考える生命であり、私(し)のための生命ではありません。この過程でこのように皆さんを作り上げているので、自分のことだけを考えてはいけません。何を恐れているのでしょうか? あれこれを恐れています。確かに厳しい迫害の中で学習者に迫害を受けてほしくはありません。しかし、今環境が徐々に変ってきているため、もっと良く行うべきです。実は、いままでずっと良く行っている学習者も厳しい迫害の中から歩んできたのではありませんか?

 ですから、中国大陸の学習者は本当に大陸以外の学習者を見習ってほしいのです。皆さんに対する邪悪の迫害を軽減するために、彼らはどのように行っているのかを見てください。彼らは本当に非常に大変です。毎日睡眠時間がとても少ない学習者がおり、一人ひとりはたくさんのことをやらなければならず、たくさんの仕事を分担しています。私が言っているのは少ない一部学習者のことではなく、多くの学習者のことを言っています。この点において、海外の学習者は国内の学習者と比べて、環境が良いのですが、大法弟子にとって精進するということにおいて、皆同じであるべきです。厳しい環境の中で、何も行わず、または正しく行うことができなかったのですが、それは環境によってもたらされたことかもしれません。しかし、現在情況が変ったため、表に出て正しく行うべきです。

 当時、多くの邪悪がのしかかってきて、三界の中に充満していました。空気の中にも邪悪があり、息をすればお腹に入ってしまうほど多かったのです。いたるところに邪悪があり、草木まで邪悪に司られていたのです。草に引っかかり転んだり、枝に顔を叩かれたり、壁の近くを歩いたら、壁が頭にぶつかってくるほどでした。これらのことが自然のことだとあなたは思いますが、そうではありません。これほど邪でした。現在邪悪が全部根絶され、環境はますます良くなりました。多くの地区の邪悪は大法弟子を見て、すぐ逃げてしまい、その地区に行く勇気はありません。これはその地区の学習者が良く行っているからです。マンハッタンにたくさんの弟子が集まっており、邪悪はなぜ来る勇気があるのでしょうか? これは旧勢力の要素がごみを掃くかのように邪悪をマンハッタンに追いつめ、かき集め、集中させ、大法弟子と神々に根絶してもらうようにしています。でなければ、今邪悪は決してここに来る勇気はありません。

 中国大陸ですが、現在のこのような環境下で、まだ表に出られない学習者は本当に機会を失います。もちろん、多くの学習者は非常に素晴らしく行い、続けて行っています。本当に素晴らしいのです。

 弟子:領事館で正念を発することに対して異なる悟りがあります。一式の功法を煉功する度に正念を発する、こうすれば邪悪は休む暇がないという学習者がいます。ここに善ではない念があるのでしょうか?

 師:大法弟子を迫害する邪悪に対して、根絶するほかありません。具体的なことは皆さん自分で決めてください。

 弟子(続き):これが常人の考え方であり、正念を発することは厳粛なことであり、法理から考えれば、求めずともおのずと得ることができ、自然の成り行きに任せるべきで、動功を終わってから一回正念を発し、静功を終わってから一回正念を発したほうが、自分の修煉が影響されないと悟っている学習者がいます。五式の功法を数時間の間に分けて練習すると、影響があるのでしょうか?

 師:何かの心を生じないでください。煉功は要求どおりにすればよいのです。正念を発することは決まった時間以外にいつするのかを皆さん自分で決めてよいのです。煉功のときは煉功に専念したほうが良いと思います。普通に煉功してください。正念を発することはいつでもどこでもして良いのです。疲れていなければ発してよいのです。問題はありません。消耗した全てはすぐに補充されます。皆さんの煉功は本当に人為的に行っているのではなく、あなたの煉功は機制を強めており、本当にあなたを高め、あなたのエネルギーを補っているのは自動的な機制です。皆さんは24時間功と法に煉られているため、正念を発するときいくらエネルギーを出しても減ることはありません。しかも、功能は自ら戻ってきます。他の消耗もすぐ補われます。なぜならば、あなたの基準がそこにあるからです。私は言ったのではありませんか? 功の高さは心性の基準の高さによって決められており、尺度があるのです。尺度がそこまで達していれば、功がそこまででなければいけません。すぐ補われるのです。実は功が伸びることは非常に簡単なことであり、心性を高めることが難しいので、功はなかなか伸びないのです。(拍手)

 全ての質問に全部答えました。(拍手)大法弟子はこの数年大法を実証し、真相を伝え、衆生を救い済度する中で、本当にご苦労様でした。多くの大法弟子は疲労さえ感じています。また多くの人々は各方面の困難を克服してこれらのことをしています。大法弟子は素晴らしいと言わずにいられないのです。実は私が皆さんを素晴らしいと言っていますが、私は神の言ったことを繰り返しているのです。彼らは皆さんが素晴らしいと言っているのです。私は確かに皆さんが素晴らしいと言っています。師父である私はもちろん弟子の肩を持つのです。衆生に納得させなければなりません。ですから、いずれにせよ、皆さんは法を実証する中で多くの困難と紆余曲折がありましたが、大法弟子の全体の情況はますます良くなっています。

 宇宙で法を正すことは必ず成功するのです。旧勢力の按排もそれを失敗させる勇気はありません。ただ旧勢力の按排は法を正すことを妨害し、それによって法を正す中の多くのことが破壊されました。ですから、旧勢力の要素も徹底的に根絶されます。大法弟子が永遠にこの世で法を正すことはあり得ないことです。法がこの世を正すその時は必ずやってきます。大法が宇宙で法を正すことはもうすぐ終わります。人間まで宇宙が銀河系から離れていくのを知っています。つまり、この全ての全ては、私だけが言っているのではなく、大法弟子だけが知ることができるのではなく、人間まで徐々に知るようになります。

 人間が信じない全ては人間の前に現れます。歴史上の全ての不可解な謎は人間の前に現れます。その時になったら、つまり法がこの世を正す時です。大法弟子が行った全ては大法が皆さんを造成するために払った全てを無駄にしませんでした。全体から見れば大法弟子が法を実証することは大法弟子が行うべきことを行い、果たすべき責任を果たしたと言えます。(拍手) これからまだ歩む道があり、行ういくらかのことがありますが、もう問題ではないと思います。最も厳しい時期は既に過ぎ去り、最も邪悪なときは既に終わりました。(拍手)これからの道はますます広くなり、全てがますます明らかになるはずです。皆さんもさらに成熟します。修煉者として、今まで以上に大法弟子の姿を表さなければなりません。法を正す全過程の中で、皆さんが払った全ての代価は未来大法弟子に補償されます。人類が受けた迫害と損失も未来において人類に対して補償されます。(拍手)大法は人類に未来を切り開きます。大法が広く伝わり、大法弟子が迫害されるという厳しい形勢下で、人間が正しく行動することができれば、このような人は福を得るようになります。このような人が人間として行うべきことをやり終えたので、未来は彼らのために本当の人類の生存環境を切り開かなければなりません。 

 近い将来すべてに変化が現れます。しかし、大法弟子として圓満成就する前、如何なる揺れもあってはいけません。今まで通りに行うべきことを行ってください。皆さんの一つの思い、一念が極端に走り、後の結果を考えず、大法のために考えていなければ、皆さんに教えますが、自分の道をしっかり歩まなかったことになります。この道は未来に残すものなので、皆さんはこの道を切り開かなければなりません。皆さんの修煉の目的は個人の圓満成就のためではなく、皆さんは衆生を救い済度しなければならず、同時に未来の衆生を手伝って未来を切り開いているのです。責任はとても大きいのですが、未来の報いも巨大なのです。皆さんがいくら多く払っても、将来得るものと正比例をなすことができません。ですから、皆さんは如何なる環境下においても揺れないでください。人類が大法の名誉を回復してもしなくても、新しい情況が現れても、現れなくても、大法弟子は衆生を救い済度すべきであれば、やはり相変わらずに行うべきです。圓満成就するまで、行うべきことを行ってください!(長時間の熱烈な拍手)