李 洪 志
二〇〇六年二月二十五日
(熱烈な拍手)(弟子たち:師父、こんにちは! 師父、こんにちは!)
では、皆さんおかけください。皆さんありがとうございます。ご苦労様です。(熱烈な拍手)
瞬く間に、また一年が過ぎました。大法弟子が衆生を救い済度し、法を実証し、迫害に反対するこの過程の中で、私たちはすでに六年を経て、七年目に入ったのです。大法弟子として、皆さんはすでに法を正す形勢の変化を目にし、大法弟子に対する社会全体の認識とこの方面での変化も目にしました。形勢全体の変化は法を正すことの全体の形勢に関係しており、大法弟子が法を実証する中で働いた巨大な作用とも直接関係しています。つまり、大法弟子が行なったすべては無駄にならなかったということです。それどころか、大法弟子は巨大な成果を挙げました。皆さんが行なったすべては、一目瞭然であり、目に見えることなのです。皆さん自身もこれを感じています。つまり、六、七年が過ぎ去りましたが、現在、大法弟子として行なうべきことを決して緩めてはいけません。
皆さん自身はみな、分かっていますが、法を勉強し、修煉を通じて、自分が何を行なっているのかをはっきりと分かっています。私たちは決して常人の何らかの政治団体ではなく、娯楽のための常人の何らかのクラブでもありません。ここで行なっているのは修煉であり、生命が本質から高級生命に転化する過程なのです。つまり、在席の皆さんは皆、神の道を歩んでいる生命なのです。それなら、皆さんにとって、特にこの歴史の肝心な時期に大法弟子が法を実証し、衆生を救い済度する中で、行なったこのすべては最も重要なことです。
実は、皆さんが経験したこのすべてはみな、相当久しい昔にすでに按排されたことです。しかし、人類のいかなることも、特に大法弟子の修煉は、神の世界のようにすべて神が行なっている、ということにはならないのです。もし、そうであれば、神が直接行うことになり、大法弟子の修煉や、大法弟子が衆生を救い済度するなどのこともありません。上から下まで、できる人とできない人を選別すれば、済むことであり、今のようなこれらのこともないのです。ですから、人類は今回の歴史の中で、世の人々が知り得る数千年という過程を経てきたと私は言いました。地球の歴史から見れば、これは非常に短い過程なのです。それ以前の歴史も現代人と直接的、または間接的に関係しています。しかも、もっとはるか遠い昔の前回の地球で、すでに今回の法を正すことのために、一回予備演習を行ない、今回が本番なのです。見た目は常人の状態と同じですが、このすべては、法を正すことのために切り開かれ、今日の大法弟子が行なったこのすべてのために切り開かれたのです。この状態だけが衆生を救い済度することができ、この迷いの状態だけが生命を昇華させ、人心を見て、できる人とそうではない人を見分けることができます。もし、神が完全に常人社会で現れていれば、できる人とそうでない人を確定できなくなるのです。なぜなら、人間の心理活動はまだ、人間の本当の行為を代替することができないからです。それなら、人間は神を見たら、頭にきっと何の悪い考えもなく、いかなる執着心よりも、やはり神のほうが良いので、この人の本当の行為を見ることができなくなるのです。本当の神の前に現れるのは間違いなく、正念です。しかし、この生命はいったいどうなのか、できるかどうか、これほど長い歳月を経たため、このすべてはこの迷いの状態で見極めなければなりません。修煉も同じなのです。迷いの中だけが生命を最も速く向上させることができます。つまり、迷いの度合いが違いますが、この迷いの過程の中だけに向上ということがあります。迷いがなければ、向上ということもありません。以前、お話したことがありますが、神はなかなか次元を高めることができず、証明し悟ったその境地に留まるしかありません。なぜでしょうか? 神の前に現れているのは、すべて宇宙の真相であり、いかなる迷いもないため、修煉や、悟れるか悟れないかの問題も存在しなくなったのです。
先ほどの話は、つまり、困難の中でいくら長い時間を経てきたとしても、またはこれからいくら時間がかかるとしても、時間に執着してはならないということを皆さんに言いたいのです。邪悪がはびこるほど、大法弟子が衆生を救い済度することの威徳を表すことができ、緊迫している大事な時こそ、大法弟子の素晴らしさを表すことができます。確かに、皆さんは迷いの中で修煉しています。ですから、時に緩んでしまったり、時に妨害されるなどの状態が現れ、とても常人的になってしまう時さえあるのです。もちろん、これも修煉の過程の中での状態の現れです。このような状況でなければ、修煉ではなくなり、人間が修煉しているのではなく、神が修煉することになるのです。もちろん、神の修煉は存在しないことです。つまり、どのような状況でも、皆さんが問題を正しく認識できるかどうか、関をしっかり乗り越えることができるかどうか、執着心をどのくらい取り除いたのか、実はこのすべても修煉の実践であり、過程の中での現れなのです。関をしっかり乗り越えたことも、しっかり乗り越えられなかったことも正常なことです。一時的に愚かになって間違ったことをした学習者や、ある時期に精進できず、または乗り越えることができなかったり、ひいては間違ったことをしたからといって、この学習者が修煉していない、またはもうだめだと言ってはならないのです。実は、このすべては修煉の中での現れではありませんか? 修煉そのものを比較しているから、しっかり行なったかどうか、できるかどうか、執着しているかどうかを際立たせることができます。つまり、この過程でこのような現象がありますが、法を正す形勢全体と大法弟子が行なったすべては主流であり、全体は正しいのであって、非常に健全に前へと進んでいるのです。
ご存知のように、法を正すことに形勢の現れがあります。大法弟子は基本的に、法を正すことの異なる形勢に応じて必要なことを着実に行なっているのです。もちろん、修煉は生命を成就させる過程ですが、逆から言えば、本当に素質を備えていない人にとって、修煉の過程は淘汰の過程でもあります。ですから、ある状態が現れるたびに、必ずいくらかの人間の考えが現れてくるのです。人間が修煉しているからです。たとえば、これまで、いくらかの明確な形勢の変化がありました。1999年7月までは大法弟子の個人修煉の段階であり、1999年7月以降は、大法弟子は迫害に反対する中で修煉しているのです。『九評』が発表されたあと、「これは私たちの修煉と関係があるのでしょうか?」と思う人がいます。法をしっかり勉強し、正念が比較的強い人は、今回の迫害はほかでもなく、旧勢力が人類の悪勢力である中共悪党を利用して作用しており、中共というこの邪悪な政権下で、はじめてこの迫害が起きたことが分かっています。中共悪党という邪悪な政権がなければ、この迫害も存在しません。邪霊がいくら凶悪であっても、悪人を利用して悪事を働かせなければならないのです。世の中の一般の悪人なら、これほど大きな迫害の形勢を作ることができません。この邪悪なならず者の党が邪悪な政権を握っているから、邪霊の要素はそれを利用してこの迫害を引き起こしたのです。しかし、この問題について、どうしても理解できない人がいて、訳が分からなくなっています。なぜ訳が分からなくなったのでしょうか? 実は、私が思うには、最も肝心なのは、やはり恐れの心が作用しているのです。はっきり言えば、やはり執着心です。ほかはすべて口実なのです。
ここまでお話しましたので、大法弟子の修煉方式についてお話したいと思います。実は私はいつも皆さんに言っていますが、今日の大法弟子の修煉は大道無形という修煉方式を採っているのです。皆、常人社会に身を置き、社会でそれぞれの仕事を持っており、各自の社会階層にいて、異なる職業についており、それぞれ自分自身の異なる情況を持っています。つまり、完全に社会に身をおき、いかなる形式も持たずに修煉しているのです。ある法会で学習者は、「師父、私たちは無形の形を採っているのではないのですか?」と質問しました。無形はすなわち、形なのです。皆さんはここまで考えていますね。(笑) 実は皆さん考えてみてください、「無」とは何でしょうか? 以前、話したことがありますが、「空」を言えば、人間は何も存在していないと理解しています。また、「無」とは何もかも無くなることだと言っている人もいるのです。もし、「無」は本当に何もかも無くなるということであれば、「無」自体はどういうことなのでしょうか? 「空」は本当に何もかも無くなるということであれば、「空」自体はどういうことなのでしょうか? 本当に何も存在しなければ、呼び名も概念もないのです。つまり、大道無形の修煉は、実は一種の形のない形式なのです。
ご存知のように、歴史上、釈迦牟尼にしても、老子、イエスにしても、さらに多くの先史の覚者、聖人が法を伝え、道を伝えたとき、二つの方式を採用したにほかなりません。一つは、出家修煉、もう一つはキリスト教、カトリック教の方式です。ですから、歴史の経験から、人々は神に対して狭まった認識を形成し、一種の文化を形成したのです。生命の昇華、向上、修煉などなどのことを言うと、人々はすぐに、歴史上と現代のこれらの宗教形式を思いつきます。しかし、これらの宗教形式は宇宙の中の唯一の形式ではなく、数え切れないほどの神が各自で、実証したそれぞれの法を代表することができず、彼らがそれぞれ、成就した方式を代表することができないのです。各小さな次元にも神は数え切れないほどいますので、この二種類の形式は、なぜ、このすべてを代表することができるのでしょうか? 間違いなくできないのです。それでは、いったいどのくらいの修煉形式があるのでしょうか?
皆さんご存知のように、『轉法輪』の中には、佛家に八万四千の法門、道家に三千六百の法門があると書いてあります。実はこれも非常に小さな次元、限られた次元での認識であり、ただ人間に教えた認識でもあるのです。皆さんご存知のように、佛の上に佛がいて、天の上に天があって、神の上にさらに神がいます。この宇宙はいったい、どれほど大きいのでしょうか? 果てもなく限りもないのです。私は法を正す中で今日まで行い、最後のことを解決していますが、宇宙を構成するこれらの最も最も根本的な要素もそのように存在する巨大な生命であり、宇宙の中の高次元の生命にとっても比類なく巨大で、とうてい及ばない生命なのです。人間にとってなおさらのことです。つまり、宇宙にこれほど多くの巨大な生命がいて、中にいる神は自らの成就する方式があり、自分の宇宙に対する認識によって形成された法理を持っているのです。これは、私が人間の言葉で言い表しています。しかも、宇宙の中にさらに数千万の異なる巨大な体系が存在しています。これらの巨大な体系はもちろん、全宇宙の最後の法の正しを受けています。
皆さん、考えてみてください。この巨大な体系が全部、神であれば、彼らは次のように言うのではありませんか? つまり、「あなたたち佛はなぜ私たちより優れているのですか? 佛法をもって宇宙大法を伝え、佛法で全宇宙を正していますが、私たちの体系はあなたたちと直接、関係ありません。あなたたちはなぜ、私のところの法を正すのですか。あなたたちの体系の神はどうして、私の体系まで手を出すことができるのですか? あなたのそれらの法を正す方式は私の体系に適していますか? 生命の存在に対して、私たちとはまったく異なる認識を持っており、お互いの認識の多くは相容れないものであり、あなたたちの現れは私たちのところでどのように理解すれば良いのですか? 認識が合っていないのなら、なぜ私たちの法を正すことができますか?」 宇宙はあまりに複雑で、厖大であり、生命の存在方式、観念、生命に対する認識に大きな違いがあります。人間は自分がとても良いと思っていますが、二本の腕を振りながら、町を歩く人間をとても醜いと思っている神がいます。(皆笑って) 「私の二つの大きな羽、ライオンのような体、なんと威厳があることでしょう」と思っています。(皆笑って) それらのはるか遠いところにある、巨大な体系にいる神の生命に対する認識は、私たちの生命に対する認識となおさら、大きく異なっているのです。「あなたたちが認識した良し悪しと、私たちのところとは異なっています。法を正すとき、どうして私たちのところの良し悪しを量ることができるのでしょうか?」という考えもあります。生命の違いも非常に大きいのです。私が伝えた大法は、すべてを包容する宇宙の根本的な大法であり、ただ佛の形象と佛の理をもって表現しているに過ぎません。これらのことを、彼らは知らないので、このように考えているのです。
つまり、法を正す中で、すべての体系の生命に関係しているのではありませんか? もし全部含まれていれば、それらの生命の体系にいる神は、あなたがいったい誰なのかを知っておらず、あなたが思うままにすることを彼らは承知できるのでしょうか? 全宇宙のことである以上、彼らは参与せずにいられるのでしょうか? 各体系にその巨大な体系の主がいて、彼らは手をこまねいていられるのでしょうか?(笑) 実は彼らを全部含めて、彼らは自分の境地のことしか知りえないのです。彼らを超えること、または最後のことは、彼らはまったく知ることができません。ですから、彼らは「このことに私たちを含めている以上、あなたたちが思うままに私を処置するなど、黙っていられない。私も無量の衆生を持っており、私もできるだけ、選択してもらいたい」と考えているのです。この巨大な天体にあるこれほど多くの体系は皆、このように思っていれば、すべての体系は法を正すことに何かを働くことになるのではありませんか? これによって、この小さな地球は宇宙で法を正す中の焦点となったのです。
以前、この地球は宇宙で法を正すことの焦点だと、私はいつも言っていますが、この宇宙天体がどれほど大きいのか、誰も想像できなかったのです。皆さんにそれを認識する巨大な概念もありません。非常に大きいのですが、いずれも地球で彼らの表現方式を形成しました。具体的に言えば、人類は幾千万年を経たとしても、昔のことはさておいて、近代についてお話しましょう。前期の人類の文明が腐敗して、壊滅したあと、残った人は今期の人類に入ったとき、何の生活資料もない状態から、今日に至ったのです。現代科学の言い方で言えば、いわゆる石器時代から始まったのです。もちろん、この進化論は存在しないものです。いずれにせよ、今期の生命と関係のある歴史は、おおよそ一万年近くあり、近代の文明と関係のある歴史は七千年前後なのです。つまり、今期の文化の形成と関係ある歴史は大体、七千年くらいということです。この過程での生命の現れ、歴史が表したこのすべては、みな今回の法を正すことと直接関係しています。しかし、古代の歴史はただ、人間の考えの中で、人間が法と神を認識できるための基礎を築き、人間の生活様式を確立し、人間の理念、良いことと悪いこと、美しいものと醜いもの、善と悪を認識するなどなど巨大な文化の内函が含まれているのです。この時期の古代の歴史全体はつまり、人間の考え、人間の行為の基礎を築きあげる過程です。今日の人間の行為、人間が認識した良し悪し、衣服の選び方、物事の考え方、親や親族、友人、この社会のすべてへの対処の仕方、天・地・物に対する認識の仕方などは、実は長い歳月を経て、築かれたのです。さもなければ、人間の考えは空白なものであり、または獣と同じようなものです。それなら、私は今日、どのように法を説くのでしょうか? 神はどのように人体を利用して、この世に転生してくるのでしょうか? 神はどのように人間に対処するのでしょうか? ですから、人間に充分な認識過程と、それを整える過程を与えなければならず、乗り越えてきたのは今日の人類なのです。
しかし、人類の歴史の中で、幾千年が経ったとしても、今日のような社会形態はなかったのです。これまでは基礎を築くためでしたが、現在はそれを表しているのです。東洋にしても、西洋にしても、以前の人類の生活は比較的簡単なものでした。中国はずっと、神が文化を指導し、伝播する主要なところであり、近代に「中国」と呼ばれているのもこのことを意味しているのです。ほかのところにいる人は、人類の中心舞台の観客でありながら、それの脇役でもあります。これは歴史の過程と目的なのです。なぜ、現代になって、急にさまざまな文化や学説、さまざまな社会表現形式が現れたのでしょうか? これはほかでもなく、各宇宙の巨大な体系にあるものの人類の最低次元での現れによって引き起こされたことであり、その目的は選択されるためです。ご存知のように、中国にしても、西洋社会にしても、古代の社会に、いくつかの大きな宗教以外のいかなる領域にも、独立した文化体系と形式はなかったのです。たとえば、ルネサンス後の音楽や美術、近代の歴史にあった各種の学説、近代社会に見られる各種の職業の表現形式、人類の行為の正と反の表現も含めて、このすべては爆発したかのように、突然にやってきました。特にこの百年間、数千年も続いてきた人類社会をあっという間に現在の社会に変えてしまったのです。この世は渾々としているのに、科学が人類を進歩させたと多くの人はうぬぼれています。現代の教育によって、人々はただ、進化論の仮説に基づいて、人間がここまで進化したとか、社会はすでに高い科学レベルに達したとか、人類は自らの文明、現代の文明を創造したと思っているだけです。実はまったく違います。そのため、多くの人はこの思想に作用され、いわゆる科学がもたらしたこの文明を享受しています。現代の科学に教育され、神を信じていない人は魚が水を得たかのように、なんと楽しいことだろうと思って、思い切り享楽に溺れています。現代に変異した文芸形式も多く、それによってこの社会は何でもありという状態になってしまいました。
実は、神は人間にこのような生活を送ってほしいと思ったこともありません。人間は、人類社会の応報の過程や、因縁の相互作用を見ることができないため、いかなることにおいても、その本質が見えないので、後のことを考えずにやってしまうため、満足感もないのです。実は、社会はいくら多種多様になっても、たとえ現代の発展のレベルを超えても、人間はこれに満足することもできません。神は尽きることのない追求のために、人類を存在させているのでしょうか? 昔、人が一頭の良い馬を持っていれば、かなり優越感を覚え、馬に乗って町を歩くと、「本当に良い馬だ!なんと良い馬を持っているのだろう」と人々に羨ましがられていました。現代人が高級車を持っているときと同じ感じ方です。しかし、今日、誰かが馬に乗って町を歩いていれば、人々におかしいと思われてしまいます。人間にそのような認識と概念はすでになくなったのです。今の人は、高級車を運転している人を見ると、「なんときれいな車、宝馬(BMW)だ。(皆笑って、師父が笑って) この車は本当にきれい」と思うのです。人間は異なる状態で生活することができますが、生活の中での感じ方は同じです。人間に現代の生活の状態を与えなければ、人間はこの状態があることも知りません。数千年来、人間は正常な人間の状態で生活し、生活の趣から同様に満足感を得ていました。宇宙の中で、人間はほかでもなく、この次元の生命なのです。人間は今、車を持っていますが、もし空飛ぶ円盤があり、しかも現在のようなエネルギーを使用せず、一瞬に飛んで行って、一秒で目的地に着いてしまい、これほど便利なものを知っていれば、そのとき、車をほしがる人はまだ、いるのでしょうか? 「車ってどんなもの? もうかなり遅れているよ」と思ってしまいます。(皆笑って) 実は、現代人は本当にあの状態の中で生きていても、同様に満足しません。人間は相変わらず、もっと良いものを求め続けるのです。もちろん、人間が何かを創造できたのも、神の作用によるものであり、人間が行なってできたものではありません。今日、神は人間にこれらのものを与えましたが、人間に今の生活を送らせるためにこのようにしたのではなく、その目的は彼らの体系の繁栄ぶりを見せるためであり、それによって選択される機会を得ようとしています。つまり、人間はいわゆる研究の中で追求していますが、人間の追求によって得られたのではないということです。人間はこのなぞ、この真相を見ることができないため、現代化された社会の中で、思う存分に享楽しています。
しかし、これらのものは人々を楽しませるためのものではありません。神は人間をこのようにしようと思ったことはなく、目的は彼ら自身を表現するためです。仙人のように生きていると思っている人がいますが、もちろん、本当に神と比べたら、比べものにはならないのです。人間はこの環境の中で、さらに結果を考えずに行なっており、さらに神を信じなくなり、さらに業を造りやすくなり、さらに速く自らを壊滅させています。しかも、現代の工業はすでに、生態環境をひどく汚染し、物質を変異させてしまい、これらの問題を人類社会は永遠に解決できなくなったのです。これだけではなく、すでに宇宙のほかの空間にまでひどく影響してしまいました。宇宙は一つの循環している体系なので、この空間の生物が抽出した物質から、さらに高次元の空間にも更なる抽出が行なわれます。人類空間にいる生命は最初に抽出したものが不純であれば、次元の高い空間でさらに抽出したものも、各次元においてすべて不純になります。ですから、人類の現代社会の変異は、観念の変異も含めて、神にまで影響してしまい、高次元の生物をも変異させてしまったのです。なぜ、宇宙で法を正さなければならないのでしょうか? もちろん、このような変異は人類の空間で起きているだけではなく、巨大な宇宙天体にも様々な情況が現れましたが、私は人類社会での現れを言っているだけなのです。
実は、人類社会の近代に出現した、いわゆる豊かな文化は、異なる宇宙、異なるはるか遠いところにある、巨大な天体の神たちによって持ち込まれたのです。人間の言葉で言うと、それは彼らの体系の、生命を維持する方式であり、持ち込まれたのは、彼らの体系にいる生命の次元の向上と下降の法則の、最も低い人類社会での現れです。すべて、こういうものなのです。もちろん、これらのものは生命にとって、もし大法の指導があれば、この形式は生命を昇華させることができますが、良くない生命を下降させることもできます。「大道無形」からこれらの話に触れたのです。皆さん、考えたことがあるでしょうか? もし、この社会の多くの職業と分野はすべて、はるか遠いところにある生命が自らの体系から持ち込んだものであれば、大法弟子はこの環境で修煉し、各種の異なる職業の中に、すべて修煉している大法弟子がいれば、これはつまり法をもって、彼らを正しているのではありませんか? 彼らの存在を認めているのではありませんか? 彼らを救い済度しているのではありませんか?
もちろん、私は、人類社会での彼らの表現形式を全部人類に残すわけにはいきません。救い済度しているのは、それらの体系にいる衆生なのです。いかなるものも人類のところに来てしまうと、次元の関係で、すべて悪くなり、非常にレベルの低いものになってしまいました。もちろん、大法と大法弟子は、このレベルの低い形式そのものを実証してはいけません。宗教について言えば、本当に分かっている人は、宗教の形式を利用して自らを修めています。分かっていない人は宗教の形式を守っているのです。つまり、神は人類のこれらの形式をほしいのではなく、あなたにこの形式を利用して昇華してほしいのです。これらの形式を利用して昇華できれば、あなたはすなわち、法を実証し、神を実証し、衆生を救い済度しているのです。そうではありませんか?(拍手) 大法弟子が各職業で修煉しているのは、つまりそれらの体系にいる生命を認めていることであり、すべての衆生を救い済度していることでもあります。以前皆さんにお話しましたが、私が伝えているのは宇宙の大法であり、すべてが中に含まれているのです。考えてみてください。この法は大きくはありませんか? 無形になるほど大きいのだ、と私はお話しましたが、無形はすべてを包容しているのです。(拍手) 法を正すことは、全宇宙の生命を正しており、神が残したすべての原始的なものをできるだけ救おうとしています。
最初の頃、私が何を行なっているのかを知る生命はいなかったのです。宇宙人まで私がそれらの仲間だと思っていました。(皆笑って) 誰も知らなかったので、各境地にいるそれぞれの神は、今回私が法を正す中で、旧勢力の妨害に対して、見てみぬふりをしているのです。ですから、以前、お話したように、全宇宙の衆生はこのことに対して罪を犯しています。彼らは皆、私に借りがあります。なぜなら、私は彼らを救っており、この法はすべての生命の根本だからです。
実は、人類社会のいかなるものも、私に選択されたなら、私はそれを使って大法弟子を修煉させることができます。たとえば、以前話した音楽のことですが、音楽の勉強と創作の中に大法の指導があれば、その人は進歩でき、考えの中にひらめきが現れ、必要なものに気づき、思いつくことができるのです。それは神の啓示です。言い換えれば、どの領域にいても、あなたの技能が向上できれば、それは自分の境地を高めたあとの現れです。見た目では、あなたは良い人を目指しており、心を修めています。人間の角度から言えば、あなたは良い人になり、法を勉強し、内に向けて修煉しているから、行ないがますます良くなり、そのため、神はあなたに備えるべき智慧とひらめきを与え、勉強の中で多くのことを分からせ、さらに良いものを創造させ、もっとレベルの高い技術を身につけさせ、飛躍があるようにします。皆さん考えてみてください。人類社会の中で、いかなる正当な職業においてもこうすることができるのではありませんか? 仕事中のすべてをしっかり行なうと同時に、自らを修めていれば、あなたは向上することができるのではありませんか? 今日の社会で、私はどの形式を皆さんの修煉形式にしても、皆さんを成就させることができます。(拍手) 私はそれらの形式を選ばなかっただけなのです。私は皆さんのために、それらの形式ではなく、佛の形式を選びました。佛の形式で宇宙の法を説いており、同時に私が作り出した五式の功法と修煉方式を用いました。私は皆さんにこの方式で修煉するようにと教え、すべての佛、道、神、人間を含むすべての衆生を救っているのです。当然ながらそれほど多くの形式を、私はすべて選ぶことができません。私は佛の形式を選びましたが、実質上、私が説いたのは宇宙の大法なのです。形式上では、佛の理と法であり、佛の理と法に基づいて説いていますが、実質的に説いたのは宇宙の根本的な大法であり、私が皆さんに歩ませた修煉の道は、宇宙のほかの体系にいるそれらの大きな神のすべての道です。すべては正されており、すべてのものがこの法に含まれているのではありませんか? これは、すなわち大法なのです。
先ほどお話しましたが、『九評』が発表された当初、理解できない人がいて、これは政治に参与することになるのではないかと言っていました。政治とは何でしょうか? もし、私・李洪志が本当に皆さんを率いて、政治の中で修煉すれば、成就できないのでしょうか?(拍手) 必ずできます。修煉者が仕事の過程で、絶えず大法をもって自らの修煉を指導し、良い人、さらに良い人を目指し、大法で自らを精錬することができれば、あなたは絶えず向上し、昇華し、圓満成就に達することができます。もし、今日私が皆さんを率いて、君臣の方式で臣下の皆さんを率いて修煉していれば、修煉できるのでしょうか?(拍手) それも必ずできるのです。しかも、同様に必ず圓満成就できます。ただどのようにこの道を歩み、衆生に対して責任を負い、生命を向上させるかだけのことなのです。この大法の指導に従って行なえば、必ずやり遂げることができます。具体的なやり方において、私はそれらを選択しなかったのです。私たちはすでにここまで歩んできたので、今更選択しなおすことも不可能なことです。私たちはほかでもなく、この修煉形式、このような修煉方式なのです。
無明の中、迷いの中、人々はこの法の大きさを見ることができません。本当に見えたなら、修煉状態の中で現れた執着は神に対して罪を犯しているのに等しいのです。見えないからこそ、罪とみなされていません。精進してもいいし、認識が少し足りなくてもよいのですが、(笑) 相対的に言えば、迷いの中で修煉するという形式によって、修煉自体それほどの厳しさはなくなりました。「何でも分かり、何でも見えれば、なんと良いことだろう」と思っている人がいますが、そうすると、修煉の道は、少しの問題も起こしてはいけないほど狭くなります。悟りが開いたら、修煉ではなくなり、あなたはこれ以上修煉できなくなります。99年7月20日から始まった迫害の前、一部の大法弟子は高度な漸悟状態にいて、彼らは今回の迫害に反対することに参与できないのです。誰も彼らを迫害できなくなり、彼らも参与しませんでした。彼らは力を合わせば、今回の迫害を制止することができますが、彼らには何でも分かっています。先ほど、お話したのは修煉の形式のことであり、この角度から話して、皆さんの考えはまた、拡大され、一気に多くのことが分かるようになり、この大法がどれほど大きいのか、自分の責任がどれほど重大なのかについて、一層分かるようになったと思います。(拍手)
ここまで、お話しましたが、また話を戻したいと思います。大法弟子として、皆さんに素晴らしい過去があったと同時に、素晴らしい現在をも持つべきです。法を実証するときにしても、全体で大法のことを行なうとき、そして個人の修煉にしても、時に確かに満足のいかないところがあります。最も突出した、最大の問題は、つまり長期にわたって解決されていない問題であり、神がいつも私の耳元でささやいた彼らが最も不満に思っている問題でもありますが、私はこのことについて、今まで重点的に話したことはなく、厳しく言ったこともありません。なぜでしょうか? 大法弟子が今日、大法を実証する中で、少し人間の勇気も必要なので、私は今まで言わなかったのです。これを残して最後に言おうと思っており、時機がきたら言うつもりです。どの方面のことなのでしょうか? つまり、大法弟子は間違いがあったとき、人に指摘されたくないということです。誰からも指摘されてはならず、言われたらすぐに怒ってしまいます。自分が正しいときに、人から意見を言われたくないし、間違ったときも、人から指摘されたくないのです。言われると、すぐ機嫌が悪くなってしまいます。この問題はすでに、かなり深刻になっています。(拍手)
私はなぜ今になってはじめて話したのでしょうか? これまで、法を正す中、邪悪を暴露する中、皆さんの行動があまりに控え目になってほしくはないからです。あまりに控え目になると、真相を伝えるとき、充分伝えられない可能性があります。もし、真相を伝える中、相手から何かを言われると、皆さんが説明しなくなったら、それではいけません。今、皆さんは成熟し、理性的になり、どのように行なうべきかを分かっており、真相を伝えることに影響しなくなったため、私は今日になって話すことにしました。皆さんのこの面での問題はすでにかなり深刻になっています。修煉者として、皆さん考えてみてください。私は『轉法輪』と初期の説法の中で、「殴られてもやり返さず、罵られても言い返さない」と話したことがあります。相手につらく当たられても、一笑に付します。ほかの人の間にトラブルがあったとき、第三者としてのあなたも、「私はどのように行なうべきなのか、もし私はこのようなことに遭ったら、心性を守り、修煉者のように指摘と意見に対処することができるのか」と考えるべきです。修煉はほかでもなく、内に向けて探すことであり、自分が正しくても、正しくなくても自分の問題を探すべきです。修めることは、ほかでもなく、常人の心を取り除くことです。いつも批判と指摘を受け入れず、外に向けて人を批判し、相手の意見と指摘を批判しているのであれば、それは修煉なのでしょうか? あなたはどのように修煉していますか? いつも人の不足ばかりを見ていて、自分を見ることを重視しておらず、相手はよく修煉できましたが、あなたはどうなるのでしょうか? 師父はあなたの修煉が良くなることを望んでいるのではありませんか? なぜいつも、意見を受け入れずに、ほかの人ばかりを見ているのでしょうか? なぜ、内に向けて修めず、自分を探さないのでしょうか? 自分のことを言われると、なぜ機嫌が悪くなるのでしょうか? ここに座っている皆さんの中に、突然誰かに名指しされて罵られたとき、平然としていられる人が何人いるのでしょうか? ほかの人に指摘され、批判されたとき、心が動じることなく自分の原因を探す人が何人いるのでしょうか?
これは皆さんのせいではありません。私の大法弟子がよくできていないということではありません。(笑) 言うならば、師父が皆さんにこれくらいのことを残したのです。しかし、今日、このことを話したので、皆さんは今から、このことを重視すべきです。(拍手) 最近、いつも私にメモや手紙を書いてくれたり、伝言したりする人がいて、誰それがこのようにあのように間違っている、(皆笑って) 誰それにこのような、あのような問題があると言っています。私に全部分かっています。私はすべてをはっきりと分かっているのです。自分自身を修めてください。私は大法弟子の環境を互いに批判しあう環境にしたくありません。私はこの環境を、批評を受け入れると同時に、内に向けて探すことのできる環境にしたいのです。皆、自らを修め、すべての人が内に向けて探し、誰もがしっかりと自らを修めることができれば、衝突は少なくなるのではありませんか? この道理は、私が法を伝え始めた当初から、今日まで説き続けています。そうではありませんか? 修煉者は決して、叱責されることによって良くなるのではなく、師父である私の批評によって良くなったり、皆さんが互いに批評叱責しあうことによって良くなったりするものでもありません。皆さんが自分で自身を修めることによって、良くなるのです。師父が今日、ここまで法を説いたから、皆さんは今から、このことを重視すべきです。(熱烈な拍手)
心の準備をしておいたほうがいいでしょう。(皆笑って) 帰ったら、すぐこのことに出遭うかもしれません。しかし、出遭うとき、決して事前に予感できることではありません。(皆笑って) 矛盾が現れたとき、決して神のようにあなたを扱うことではなく、神のような現れ方でもありません。すべては常人の現れ方であり、常人と常人の間の矛盾の現れ方です。決してあなたの面子を配慮することはないのです。私・李洪志以外、特別な人はいません。決して人間のこの次元の理とこの次元の現れを超えるようなことはありません。ですから、すべては人間のこの次元の現れ方なのです。このことについて、大法弟子として、長く法を勉強し、修煉しているので、もっと具体的な道理は私が言わなくても、皆さんは知っており、分かっていると思います。
この問題は非常に突出しているのです。ご存知ですか? この数年、高次元の生命は私の耳元で再三にこのことを言っていますが、私は何を言われても動きませんでした。なぜなら、大法弟子に法を実証する中で、真相を暴露する勇気を持ってほしいと思っているから、このことを言わなかったのです。私は時期とタイミングを選んで、このことをし、この問題を話そうと考えていました。今日はもう時期なので、特にこのことをお話します。ついでに皆さんに教えますが、この問題は、我々全体の形勢の中ですでにかなり突出しています。すでにまったく指摘されてはいけないところまできている人がいます。私から見ても、もう言わなければいけないところまできています。マッチのように、こするとすぐに火がついてしまい、地雷のように、踏まれるとすぐに爆発してしまう人がいます。指摘されてはならず、言われると、承知しません。どんな意見も聞き入れられず、善意の、悪意の、意図的、または無意識的な指摘に対して、すべて受け入れられません。内に向けて探すことはなおさらしません。かなり深刻になっています。これは皆さんのせいではありません。今から、皆さんはこのことに気をつけるべきです。誰に言われても受け入れられるようにならなければなりません。心当たりがあれば改め、なければ気をつければよいのです。指摘と批判を前に、心が動じないようにすることができれば、あなたはすなわち、向上しています。(拍手)
自分自身に良くないところがあり、問題があると知りながら、人から言われたくない学習者がいると、いつもこのように言っている学習者がいます。もちろん、皆、他人を批判することを私は勧めませんが、問題に気づいたり、または真相を伝えることや、互いの協力に影響していれば、指摘してあげるべきです。私の法身もほかの学習者の口を通じて、あなたに悟らせるのです。皆さんはこれほど長い修煉の過程を歩んできて、多くの努力を払い、本当に大変苦労しました。皆さんが行なったすべては、私は全部見ており、本当に素晴らしいことです。しかし、先に話したことは最も根本的なところ、最も本質的なところから、この人が修煉者であるかどうかを証明しているので、人から指摘されたくないという執着を必ず取り除かなければなりません。ほかの面で、すべて良く行なっていても、この面が良くできなければ、あなたは修煉者とは言えないのです。以前の修煉者は、まずこの面に力を入れており、これは弟子を選ぶ時の条件でもありました。大法弟子が迫害され始めた99年7月20日以前、私はこのように要求していましたが、99年7月20日以降はこの問題を強調しなくなったのです。今日、私は再びこの問題を指摘して、同時に皆さんの形成した物質を取り除きます。(拍手) しかし、形成した習慣を改めなければならず、必ずそうすべきです。くれぐれも気をつけてください。これから、人から言われたくない人は、つまり精進していない人です。人から指摘されたくない人は、その人が表しているのは修煉者の状態ではありません。少なくとも、この点に関してこのように言えます。(拍手) この関をこれから乗り越えられない人がいれば、皆さんに教えますが、それは大変危険なのです! なぜなら、それは修煉者にとって最も根本的な問題で、最も取り除くべきものであり、必ず取り除かなければならないものだからです。取り除かなければ、圓満成就することができません。常人が大法弟子のことを行なっているようなことにならないでください。皆さんは圓満成就するためであり、福報のためではありません。
常人は大法のことを行ないたければ、できるのでしょうか? このようにする常人がいて、大法が素晴らしいと唱え、真相資料も配っています。大法弟子が行なっていることを常人が行ないましたが、彼は修煉をしておらず、このような人は大法弟子と同じように圓満成就できるのでしょうか? できません。しかし、これほど大きなことを行ない、しかもこの歴史の大事な時期で行なったのであって、この生命にどのように対処すべきでしょうか? それは本当に福報、大きな福報を得るようになります。在席の皆さんは長く修煉してきたのに、結局、福報を得てしまうということになってほしくはありません。(皆笑って) もっと偉大で、もっと輝かしいもの、生命の本当に素晴らしいすべては皆さんを待っているのです。ですから、大法弟子の修煉は福報を得るためではありません。これから、常人と接触するときだけではなく、大法弟子の間もこの面において、徹底的に変化させるべきです。ここまで話しましたら、皆さんはこのように行なわなければなりません。(熱烈な拍手)
ついでにあることをお話します。最近、大法弟子、特に北アメリカの大法弟子、ほかの地区にも同様なことがありますが、多くの大法弟子は新唐人テレビ局の新年特別公演のチケットの販売促進と公演の準備に参加しています。寒いので、皆さんは大変苦労し、いろいろと工夫を凝らしました。大法弟子は凍りつくような寒さの中で、チケットの販売促進のために薄着で街頭でパフォーマンスをしたのを見ました。皆さんはみな、このように行なっているので、互いの間に深く感じていないかもしれませんが、神の目には違うこととして映り、師父である私も、これを見て、とても感慨深いものがあります。皆さんは本当に素晴らしいのです。ここまで話したので、全世界の華人特別公演がなぜ、これほど重要なのかをお話したいと思います。この全世界華人新年特別公演は、どれほど大きな役割を担っているのかをご存知でしょうか?
中共邪党はこれまで、ずっと演芸の集いを、党文化を宣伝し、中国人を洗脳し、党文化を注ぎ込むための道具としてきたのです。大陸から出てきた人なら分かりますが、邪党は毎年、「春節交歓会」という特別公演を開き、番組は全部、悪党を賛美し、政治的色合いが強いものばかりです。しかし、新唐人の新年特別公演は規模がさらに大きく、「全世界華人特別新年公演」と名づけられています。全世界だから、当然、中国大陸も含まれているので、皆さん考えみてください、これは大きいことではありませんか? この「全世界」はつまり、国際という意味です。国際と名づけられた以上、国際のレベルに達していなければならず、そうではありませんか? 学習者も本当に素晴らしいのであって、この数年の特別公演をここまで素晴らしいものにし、レベルをこれほど高いものにしました。個人のレベルがどうであろうと、少なくとも観客に見抜かれませんでした。(笑)(皆笑って、拍手) 反応はとても良かったのです。ですから、俳優、監督、作曲、楽団などなどの個人のレベルが、高く要求されているので、基礎からやり始めなければならない部分があります。さらに、ご存知のように、以前、私が話したことがありますが、公演の全体の効果にしても、歌ったすべての歌、演奏された音符にしても、大法弟子のこのすべての行動は、ほかの空間では、法を実証する作用があり、放出されたエネルギーは相当大きいもので、邪悪を解体しているのです。さらに、未来の人は、大法弟子が行なったことを見習うのです。未来の人にどういう文化を残すのか、大法弟子は新しい文化を創り始めています。しかも、これは悪党の文化を一掃していることでもあります。そうではありませんか? これが原因で、中共邪党はそれほど悪質な妨害をしようとしています。公演の中で、直接的に法を実証し、衆生を救い済度する作用を果たしているため、影響はとても大きく、果たした作用も比較的、良いものでした。もし、私たちが続けて、絶えずこのように行ない、今のように数回開いて終わってしまうのではなく、もっと開催することができれば、どのくらいの衆生が救い済度されるのでしょうか? ご存知でしょうか? 公演を見た人は劇場を出たとき、すべての良くない考えが全部解体され、良くない考えは一切存在しなくなりました。(拍手) ですから、見た人はそれほど大きな感動を覚えたわけです。
私の話はこのくらいにしましょう。もちろん、皆さんはまだ聞きたいと私に分かっています。(笑)(拍手) この間の修煉に確かに多くの問題があり、学習者の間にもさまざまな思いがあると私に分かっています。それでは、少し時間を使って、質問に答えます。皆さんはメモを出してください。(拍手) 実際の問題を解決できるように、質問のメモを出す学習者は、それは聞くべき質問かどうかを考えてください。(笑) さもなければ、たくさんの質問が出されると、今日中にそれを読み終えることも、全部解答することもできません。では、メモを出してください。
弟子:私たちは定期的に電子メールで、各国の主流社会、政府、団体に人権の角度から、真相を伝え、邪悪を暴露して、とても良い効果を収めましたし、同時に数百万のアドレスを保存したデータベースも作りました。一部の人は、このような大事な資源が真相を伝え、邪悪を暴露することに主に使われるべきだと思っています。もう一部の人は、この資源をできるだけ多く利用し、各種の活動の連絡、声明、公演の広告、中国の人権擁護活動の呼びかけなどにも使うべきだと思っています。これはとても具体的な問題ですが、非常に重要なことでもあります。正しく判断できなければ、よくない作用を果たしてしまう可能性があります。
師:皆さんが今日、行なっていることについて、皆さんはまずはっきりと認識すべきです。皆さんは衆生を救い済度しており、このことと関係のないことは皆さんが必ずしも行なうべきことではないのです。大法弟子が迫害されている真相、大法を相手に伝えていれば、ほかの事は重要ではなくなります。
もちろん、これらの具体的な問題はそれぞれに判断すべきです。もし、相手を常人の人権擁護活動に参加させるためだけであれば、これは大法弟子の責任ではないのです。皆さんが運営しているマスコミは、これらのことに注目し、社会に情報を提供し、中共悪党を暴露してよいのです。しかし、この一点を皆さんは必ずはっきりと認識しておかなければなりません。つまり、皆さんは人権擁護のために存在しているのではなく、人権擁護という形式の出現は大法弟子が法を実証することに協力しているのです。(拍手) この主要なものと二次的なものをはっきりと分けなければなりません! もし、公演のチケットの販売促進のためであれば、これももちろん、相手に大法と大法弟子のことを分からせるためです。(笑)
弟子:私たちに一つの考えがあります。つまり、中国の現代史と中国の近代史に関する分かりやすいドキュメンタリー番組を作って、歴史に対する人々の誤った認識を正したいと思っています。
師:私はこれらのことを知っています。やっていいのです。
弟子:どのように歴史資料を判別し、正しいものを選び、そこから正確な結論を引き出すことができるのでしょうか?
師:歴史のことに関して、もし記録のフィルムがあれば、最も良いのです。それは偽物ではありえないのです。もし、様々な角度から、これらの出来事を究明すれば、それは必ず最も正確な結論を得ることができます。ただ、一つ気をつけるべきことは、中共悪党が発表したものは全部、偽物で、信じてはいけないということです。悪党はずっと、中国人民を騙し、民衆を欺いているのです。
弟子:西側諸国の主流社会の人々と団体に真相を伝え、邪悪を暴露する過程で、たくさんの良い反響がありました。具体的に何ができるのかと問い合わせをしてきた人もいます。そのため、学習者ではないが、私たちを支持する正義の人々が参与できるよう、私たちは「良知基金」を立ち上げました。質問ですが、迫害されている大法弟子に寄付した人がいますが、どのようにこのお金を渡したり、協調したりしたらよいのでしょうか? 将来、寄付や資金集めの問題をどう把握すればよいのでしょうか?
師:このことに関して、法を伝えた初期、すでにお話しましたが、大法修煉として、財物を集めてはならないのです。このようにしてしまうと、執着を助長するのみで、修煉に少しもよいことはありません。しかも、皆さんは、常人社会で修煉していて、常人に養ってもらう必要もないのです。もちろん、出家した大法弟子もいますが、それは特別なことで、私は普遍的なことについて話しています。こういう場合、お金を集める事に関して、私は完全に禁止しており、学習者の中で資金を集めてはならず、ほかの宗教のように社会で資金を集めてもいけないのです。これらのことを私たちはしません。
しかし、99年7月20日に迫害されはじめてから、このことに変化が生じました。大法弟子が真相を伝え、衆生を済度するために、資金が必要で、個人の収入に限りがあって、迫害も長く続いています。この問題を解決するために、迫害を暴露するための多くの資金が必要で、少なくとも、真相資料の印刷にお金が必要です。大法弟子が作ったテレビ局、ラジオ局と新聞は全部、お金が必要です。ほかにも多くのこと、多くのプロジェクトがお金を必要としているのです。この状況下で、私たちは各国の政府、または各種の基金団体、あるいは大手企業にスポンサーになってもらうしかないと、私は一部のプロジェクトを担当する大法弟子に話しました。しかし、実際、旧勢力はこのことを一生懸命阻んでいるのです。中国社会はこの数年、投資ブームで、各国から投資する人がいますが、中共に企業を妨害されるのを恐れて、法輪功には資金援助しようとしません。利益の前に皆、良心を裏切っているようです。こういう状況下で、なかなか企業から資金を得られないのです。
多くの学習者は真相を伝える過程で、確かにとても良い人に出会いました。彼らはこの迫害の邪悪さを知ったあと、自ら学習者に寄付しようとしています。この場合、どのように対処するのでしょうか? やはり、前にも言ったように、できるだけ民衆から資金を集めないことです。このようにしないでください。本当に自ら進んで寄付しようとする人がいれば、受け取っても構いません。最も資金が必要で、資金の足りないところに使えばよいのです。このようにするしかありません。私はこのことを勧めませんが、どうしても寄付したい人の場合、受け取らないと、かえっておかしいと思われます。それなら、受け取ってよいのです。場合によっては、皆さんの行なったことが相手に理解されてから初めて、相手を救うことができるので、本当にこういう情況であれば、受け取ってよいのです。
しかし、資金管理に問題が起きないようにしてください。いくつかのプロジェクト、一部の地区で資金管理に問題があると私に分かっていますが、あえて言いたくもありません。このことに問題を起こしてしまうと、私が思うには、あなたはもう修煉したくないでしょう。神々は皆、あなたを見ていますよ。修煉者にとって、あまりにも深刻な問題なのです。
弟子:現在、行なわれている民衆の人権擁護と迫害に反対する活動と、「三退」(共産党、共産主義青年団、少年先鋒隊からの脱退をさす)促進活動との関係をどのように正しく対処すべきでしょうか?
師:「三退」は、皆さんが人を救い、衆生を救い、中国大陸の人々を救うことなのです。中国大陸以外では、この問題はありません。すでにお話しましたが、東ヨーロッパの共産邪悪主義の陣営が全面的に解体したとき、そこの人々はすでに、彼らの行なうべきことを行い、邪党を解体しました。中国大陸の人はまだ、この実際の行動を起こしていないため、自らをきれいにしたければ、中共関連の邪悪組織から離れなければならないのです。
先ほどお話しましたが、人権擁護運動は常人のことであり、法輪功は決して政治団体ではありません。次のことをはっきりと覚えておいてください。つまり、中国大陸で表に出て邪党に反対する人にしても、公に法輪功のために声を上げた人にしても、彼らは神に按排され、大法弟子に協力している人であり、決して大法弟子が彼らに協力しているのではありません。マスメデイアが彼らの活動を多く報道し、注目するのは、問題はありませんが、どちらのほうが重要ではないのか、どちらのほうが重要なのか、何をすべきか、何をすべきではないかを混同してはならないのです。これらのことをはっきりと認識すべきです! 私たちは常人の政治団体ではなく、皆さんは完全にそちらのほうに入り込んではいけません。しかし、皆さんが自分のマスメデイアを利用して、多く報道し、迫害を暴露することができます。もちろん、表に出て直接、法輪功のために声を上げたから迫害された人もいますので、このことについて、皆さんは注目し、多く報道してよいのです。特に、彼らの安全に関して、絶えず見守るべきです。このように行なうのは問題ありません。良く聞いてください、皆さんは、協力していくらかのことを行なうのは良いのですが、大事なのは、この出来事は皆さんに協力するために現れたのであって、修煉と衆生を救い済度することだけが皆さんにとって最も重要なことです。このことをはっきりと認識すべきです。(拍手)
弟子:五式の功法の口訣をほかの言語に翻訳してもよろしいでしょうか?
師:初期の頃、英語に翻訳した際、正法の口訣を訳してはいけないと私はすでに、お話しました。なぜできないのでしょうか? 正法の口訣は宇宙の音、宇宙の多くの要素、宇宙の信息につながっているからです。それを念じれば、はじめて宇宙と協調する大きな作用を果たすことができます。もし、音を変えてしまえば、この作用を果たすことができなくなるのです。神には分かっていて、あなたが何を念じているのか、音を出さなくても、あなたの考えにあることは神に全部、分かっています。しかし、あなたは直接、それを使って作用することができません。ですから、私はずっと、皆さんに翻訳させなかったのです。
実は、私は以前から皆さんにお話していますが、中国の文化は神が人類に伝えた文化であり、半神文化なのです。ですから、中の多くの文化的な要素には深い内函があります。ほかの民族の言語の文字は天上にありません。中国のこの文字は天上の文字ととても似ていて、天上の文字の書き方と同じですが、筆画は違います。ほかの民族の文字は天上にはないのです。天上のある神がある民族の文字を使って何かを書いて、人間に示したと見た人がいますが、実は、それは神が人間に分かる文字を演化したに過ぎません。中国の文化は半神の文化であり、すべてが神の文化でもなければ、まったく神の文化ではないということでもありません。つまり、こういう状態です。
弟子:大法弟子のいない職業は将来、存在しなくなると思いますが、そうでしょうか?(皆笑って) 例えば、スパイなど。(皆笑って)
師:そうです。将来、スパイがおらず、この職業の前途を取り上げた、と私はすでに話しました。(拍手)ほかの職業が存在するかどうかについては、実は、私が知っているところでは、各職業に全部、大法弟子がいるようです。大統領レベルの人にもいると私に分かっています。非常に社会的地位の高い人の中にも修煉している人がいますが、彼らの現れが違うだけなのです。大陸の大法弟子は各職業にいます。どんな職業にも、大法を修煉している人がいます。
弟子:共産邪霊は最初、パリコミューンに現れたのですが、そこにまだ根があるのでしょうか? パリとフランスにまだ特別に存在しているのでしょうか? 現在、まだどのような影響があるのでしょうか?
師:共産邪霊の根はそこではなく、中国にあります。しかし、すでに抜かれました。悪党邪霊の全部、赤い悪龍の全体はすでに打ち砕かれたのです。長きにわたって、民衆の考えの中と各文化の領域に築かれた要素も取り除かれており、取り除かれる過程にあります。ほかの国に関して、悪党の国でなければ、直接的な影響はありません。
弟子:明慧ネット、特に多言語の明慧ネットの役割についてもっと教えていただきたいのですが。
師:明慧ネットの特徴は、中国大陸の大法弟子に対する迫害の真実を主に報道することです。それは邪悪を暴露する最も原始的な資料で、報道の99%以上、ないし100%が全部、真実なのです。明慧ネットはほかのマスメデイアとは違います。これらの真実の情況を多言語に訳してネットにアップしてよいのです。この能力と資源があれば、行なっていいのです。多言語の明慧を運営してよいのです。つまり、毎日の明慧ネットに掲載された記事を全世界の人に知らせることです。
弟子:旧勢力は、大法弟子の副元神に負の生命を配置することがあるのでしょうか?
師:そこまで考えないでください。(皆笑って) 旧勢力が、乗じない隙はないのです。歴史上の本当の私の大法弟子に対しても、それらは小細工を弄しています。しかし、これは大丈夫です。大法弟子が法を実証することの要求にしたがって行なうことができ、大法の要求にしたがって行なっていれば、問題はありません。
弟子:できれば、周りの大法弟子が一緒に正念を発して、徹底的に否定し、一掃することをしてもよいのでしょうか?
師:皆さんは正念を発して、自分自身にある良くない要素を根絶するとき、すでにこの要素が含まれています。大分前からすでに行なっているのです。
弟子:旧勢力が植えた円盤の機制は、大法弟子が衆生を救い済度することに対して、どう影響しているかについてお話をいただきたいのです。
師:各空間に一つの円盤があります。この円盤は実は、以前の宇宙の法の現れであり、宇宙全体のミクロからマクロまで、つまり、ミクロ的な粒子で構成された空間から、表面の最大の粒子から構成された空間まで貫いている円盤であり、円盤に軸があります。これはつまり、以前の宇宙の法の現れ方なのです。将来はこういう情況ではないので(笑)私は衆生に教えることができます。しかし、法を正すことに対して、それらはまた、特殊な円盤を作り、各空間にも小細工を弄しました。しかも、世の人々を巻き込んで、ひいてはそれらは、人体にもこの円盤を植えつけたのです。ですから、円盤が変化すると、地球上の人間に形勢の変化が現れます。まさに、これらのものが作用しているからです。法を正す中で、これらのものも根絶されており、すでに絶対的な作用を働かなくなりました。
弟子:大法弟子の全体が修煉して成熟することと、法を正すことの終了とどういう関係があるのでしょうか?
師:現在の状況から見れば、ほぼ同時に進行しているようです。
弟子:もし邪悪なスパイが家に侵入してきたら、自己防衛をしてよいのでしょうか?(皆笑って)
師:自己防衛はしてよいのです。実は、もし皆さんに非常に強い正念があれば、スパイを動けないようにすることができるのです。(拍手) しかし、逆から言えば、修煉者として、もし自分の心が不純で、正念が足りておらず、恐れていれば、この作用を果たすことができません。
弟子:「天国楽団」はどのように衆生を救い済度するのでしょうか? ご教示をお願いいたします。(皆笑って)
師:これを聞きたければ、教えてあげます。(拍手) ご存知のように、楽団は前回、ニューヨークのチャイナタウン、フラッシングでのパレードに参加した際、私に次の光景が見えたのです。つまり、楽団が演奏するとき、かなり強いエネルギーが放出されました。エネルギーの放出にしても、出した声にしても、音楽、音符そのもの、いずれも法を実証し、エネルギーを放射する作用を働いています。
チャイナタウンでパレードしたあの日、天上の各空間の数え切れない神、満天の神は太鼓を叩いていました。多くの天兵と天将は前へと突き進んでいたのです。大法弟子が吹いたラッパから放出されたエネルギーは非常に強かったのです。皆さんは映画で見たと思いますが、原子爆弾が爆発したとき、大きな衝撃波が生じるでしょう? それよりも強いものです。(拍手) 大法弟子が放出したエネルギーの成分は原子よりも強いからです。しかも、各層の粒子も非常に強いのです。つまり、そのとき、音が発せられると、一面が光ります。原子爆弾には、衝撃波が広がっていく過程があり、しばらくして、衝撃波の衝撃によって塵芥がもうもうと舞い上がるのではありませんか? 塵芥が納まった後、周囲がきれいになります。それに対し、演奏から放出されたエネルギーは一瞬のうちに、周囲をきれいにするのです。そして、光ったその先の衝撃によって舞い上がった巨大な煙と塵芥は、演奏によって放出された光が迅速に大きくなるにつれ、またすぐにきれいになります。遠い彼方で絶えず、煙と塵芥が舞い上がり、光がやってくるところで、周囲は、すぐにきれいになるのです。
ですから、町をパレードしたとき、たくさんの人が見物していましたが、そのとき、私は常人の考えを見ていますが、彼らはただ呆然としていたのです。(皆笑って) 特に中国人は、ぼうっーとして見ていて、考えはなくなったのです。どういうことでしょうか? 良くない考えは全部、一掃されてしまったからです。しばらくして、我に返って、(拍手)「あら、法輪功は本当に素晴らしいです」と言うのです。(拍手) また、「法輪功はアメリカ社会でいつ、これほど大きな楽団を作ったのか」と言う人もいます。(笑) アメリカ社会でも、これは大きな楽団です。突然姿を現し、多くの人が参加しているのです! 特に、楽団の主なメンバーは中国人であり、西洋人の大法弟子は少なく、ほとんど中国人です。ですから、チャイナタウンの中国人は見た後、かえって、中国人の面目を施したという気持ちを抱くようになったのです。(皆笑って) つまり、彼の頭に良くないものがすべてなくなり、良くない作用をする考えはなくなったということです。本当にこのような作用をしているのです。これは中国人に関して言っています。西洋人にとっても、それはとても珍しいことで、見たことがないのです。突然、中国人がたくさん参加している大きな楽団が現れたのを見て、多くの人は拍手して、「もう一回」とアンコールしています。ですから、効果はとても良かったのです。
もちろん、楽団の中に他の民族の大法弟子もおり、彼らもとても素晴らしいのです。なぜなら、大法弟子は一体だからです。実は、この楽団に参加した学習者は演奏のとき、自分自身もとても感動し、神聖さを感じていたのです。
弟子:来年の新年特別公演は、全世界で巡回ツアーを行ってもよいのでしょうか?
師:来年のことは、状況を見てから決めます。多くの資金がなければ、巡回ツアーを行なうことができないのです。ご存知のように、百数十人が移動すると、多額な費用が必要です。
弟子:西洋社会の政府役人は中共に影響され、その行動が良くないのです。彼らに真相を伝えるとき、「あなたの行為は、民主国家の役人ではなく、中共幹部のようである」と言ってもよいのでしょうか?
師:これは問題ありません。中共悪党の邪霊は、誰を操るのか定かではありません。あなたが西洋社会の役人なのか、それとも中共の幹部なのかは関係ないのです。考えが邪霊に適合してしまえば、操られます。
弟子:法が私たちに智慧を与えてくれると信じるべきでしょうか? 常人の授業を受ける必要があるのでしょうか? 最近、文章作りにいくらかの困難に遭いました。私はレベルを高めるべきなのか、それとも他に原因があるのでしょうか?
師:もし、文章作りの方向が正しければ、困難が少なくなります。さもなければ、難しくなります。また、ある問題に対する認識に問題があれば、難しくなりますが、問題がなければ、やりやすくなります。きっとこのようになります。大法弟子は多くの奇跡を起こしたのです。一部のことに関して、皆さんは勉強してよいのです。これはもちろん、問題はありません。しかし、たくさんの時間を費やして、数カ月、数年をかけて勉強してから、戻ってきて法を実証するのであれば、そのときは、もう終わっていると思います。(皆笑って) 勉強したのも無駄になります。ですから、私が思うには、一部のことに関して、自分で研究してみてください。大法弟子にとって、修煉者の考えでこれらのことを考えるほかありません。
弟子:『九評』はベトナム人にとって重要でしょうか? ベトナム人も脱党すべきなのでしょうか?
師:ベトナムにしても、キューバ、北朝鮮にしても、共産党が崩壊すると、それらも崩壊するのです。もともと、中共の勢いを助長するために、その存在は按排されたのです。もし本当に中共だけが残っている状況であれば、それらの人は全世界の前で肩身の狭い思いをするのです。実は、これは旧勢力に按排されたのです。大法弟子としては、修煉するだけです。中共悪党が法輪功を迫害しているから、大法弟子は中共悪党の迫害に対して、邪党を暴露して、迫害を解体しています。根は中国にあり、中共の要素が解体すれば、ほかは全部解体するので、特別に行なう必要はありません。これらの国もいずれも悪党の社会ですが、そこでは大法弟子に対する迫害が起きていないため、重点的に行なわないことにしています。将来、中共が崩壊すれば、すべてが崩壊し、おしまいになります。現在はそれらに触れないのです。
弟子:多くの大法弟子はたくさんの音楽や、詩、歌などの優れた文芸作品を創作しましたが、私たちはさらにこれらの作品を芸術的に編集して、社会に紹介してもいいのでしょうか?
師:もちろんよいですよ。私たちが作った作品を人々が皆歌っていれば、とても素晴らしいことではありませんか? もし、中国大陸の人々も含めて、全世界の多くの人が皆、「法輪大法が素晴らしい」と書いたTシャツを着ていれば、中共悪党は本当に成す術がありません。(皆笑って) 人民元の紙幣に「法輪大法が素晴らしい」、「脱党」を書いたと言っている人がいますが、(皆笑って) 私に言わせると、本当に良い方法です。(拍手) このお金を捨てることも、処分することもできないのです。(皆笑って)
弟子:北京市海淀区のすべての大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。私たちは師父に本当にお会いしたいのです!(師:ありがとうございます!)(拍手) 師父、ご安心ください。私たちは必ず、三つのことをしっかり行い、師父からの期待を裏切らないようにします!(師:私は信じています)(拍手)
師:数年前にこのように言われたなら、学習者が私を励ましていると思います。(笑)今は本当だと思います。私は信じています。
弟子:どのようにもっと有効に同性愛者を救い済度するのでしょうか?
師:衆生なので、全部、普通の衆生として救い済度すればよいのです。救える人なら、救ってください。同性愛者を特別な人として扱わないでください。特別扱いにすればするほど、救うことができないのです。普通の民衆として救い済度すればよいのです。救える人なら、救ってください。救えない人なら、救うことができません。
弟子:以前、録画して編集した煉功を教えるビデオテープの中に、師父が公安大学で説法されたときの場面があります。その背景に公安講堂に掛かっている邪党の旗が映っています。それを消したほうがよいでしょうか? それとも当時の歴史の記録として残したほうがよいでしょうか?
師:消してよいのです。当時、確かに中共を最も邪悪なものとして消滅するとは思わなかったのです。すべての衆生に機会を与えているからです。中共が法輪功を迫害しているから、宇宙の衆生にとって悪魔になったのです。ですから、中共を消滅し、一掃しなければならないのです。これはそれら自身の選択です。
弟子:ロサンゼルスのチャイナタウンにも、ニューヨークのように、他の地区の弟子が支援に行くべきでしょうか?
師:私が思うには、能力があって、条件が整っていれば、手伝いに行けばよいのです。ロサンゼルスの責任者にすでに、このことを話しました。
弟子:法を得て、脱党しましたが、恐れの心で大法に不敬なことをしてしまいました。すでに、亡くなりましたが、このような人に未来があるのでしょうか?
師:これは具体的な状況を見なければなりません。大法弟子にとって、脱党は第一義のことではなく、衆生を救い済度し、衆生を脱党させることが、第一義なことです。未来があるかどうかのことですが、彼は法を得たが、法を実証していないことを最も重要なこととして見なければなりません。
弟子:今年の新年公演は見た人が皆、良いと言っていますが、このやり方で衆生の心を触発するために、大陸の弟子が人々に(この新年公演の録画を)広く配ってもよろしいでしょうか?
師:いいですよ。
弟子:先史のときに定められた80%のものが、旧勢力によって強行に破壊されたと師父はおっしゃいました。これは当初、予定された未来の宇宙の限りない素晴らしさと圓容不滅に影響するのでしょうか?
師:それらが破壊したものは、按排されたものであり、新宇宙がどういう情況なのか、それらは見たくても見られないのです。さらに、大法弟子がもし、圓満成就まで修煉し、神や佛になり、自分の世界を作ろうと思えば、一念を巡らすだけででき上がるのです。なぜなら、神や佛の法は既成のものだからです。ですから、これは問題ではなく、たいしたことではありません。どのくらい壊滅されたのか、どのくらい失ったのか、これは欲しいかどうかにかかっています。欲しければ、何でもやり遂げるのです。ひいては、少しも違わないように回復させることさえできます。
弟子:約半年前、弟子たちはあるプロジェクトを始めました。しかし、責任者の嫉妬心が取り除かれていないために、弟子たちは自分の道を歩むことがとても難しくなったのです。その間、彼らが用いた手段は非常によくないもので、党文化のものが入っています。さらに、彼らの多くがもともと、責任者と佛学会に頼っているため、私たちに対する誤解はさらに深いのです。私はその間に多くのことをはっきりさせなかったのです。当時、これは私に修煉させていると同時に、ほかの学習者にも修煉の機会を与えていると悟っていました。しかし、邪悪も私たちと時間の争いをしているとは、思いつかなかったのです。結局、今の局面になってしまい、どうしたら良いのかが分かりません。
師:自分の考えが間違ったのではないか、と多く考えるべきです。トラブルの相手の行動が自分に不利であればあるほど、相手が間違っている、きっと彼が間違っていると思いがちです。修煉はとても複雑で、人心を取り除くことは最も難しいのです。内に向けて自分を多く探してください。ひたすら自分の心を探すのです。皆、自分を探して、一緒によく協調するのが最も重要なことです。
一部の具体的なことに対して、適切な意見を出すことは構いませんが、自分の意見が全体と協調しているかどうかをも見るべきです。責任者にとって、彼にも悩むところがあります。その仕事をしていないから、その角度から物事も考えていません。多くの学習者は学校から出てから、責任のある仕事をしたことがなく、経験がありません。ですから、プロジェクトを担当することは、彼らに対して試練でもあります。また、一部の学習者からの私あての手紙も読みました。ほかの人の問題を言っているのですが、行間に自分の修煉の中の不足がにじみ出ています。とても執着している人、ひいてはとても偏っている人もいます。また、人心をもって私に言っている人もおり、心の中の不満を訴えているのです。責任者として、必ず適切な意見に耳を傾けるべきです。責任者でない人も、自分の行なっている仕事を皆とよく協調すべきです。皆さんは、修煉しているのであって、仕事のために仕事をしているのではありません。
もちろん、言うべき意見はやはり話すべきです。すべてにおいて、大法弟子のように行なってください。プロジェクトの責任者は意見を聞いたら、自分を探し、自分が良くなるように修煉すべきです。このように行なった事こそ神聖なのです。
弟子:四川省資陽市、成都市、新疆ウィグル自治区伊犁市、ハルピン市、南京市、広西チワン族自治区南寧市、湖北省宜昌市、湖北省黄岡市、甘粛省嘉峪関市、遼寧省劉家地区、吉林省開安地区、杭州市、山西省、韶関市、福州市、吉安市、米国アラバマ州、ヒューストン市、シアトル市、飛天舞踏学校、カナダトロント市、シンガポール、ニュージーランド、日本、日本千葉県の大法弟子は、偉大で慈悲深い師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます!(拍手) 中国大陸の大法弟子と海外の大法弟子はほぼ、足並みをそろえました。以前、ある程度の違いがあり、特に数年前、かなり大きな違いがありました。最近、中国大陸の大法弟子はますます成熟し、冷静になったのです。このことに関して、中国大陸以外の大法弟子、つまり世界のほかの地区、ほかの民族の大法弟子は中国大陸の大法弟子に取り残されないようにしてください。(拍手) 頑張らなければなりません。
弟子:師父にお伺いしますが、国内外の民主運動活動家は大陸で起きた、人権擁護のためのハンストを応援していますが、大陸にいる大法弟子はこの運動に参加し、大法弟子の信仰の自由を守るべきでしょうか?
師:やはり、先ほどお話したように、大法弟子の修煉と衆生を救い済度することは第一義のことで、必ず行わなければならないことです。これらの活動の現れは、実は大法弟子に協力するためのものです。もちろん、大法弟子のために訴える弁護士が、悪党に迫害されているので、彼らを助けるべきです。彼らに協力していくらかのことを行なってよいのですが、度合いを正しく判断すべきです。私たちは政治団体ではありません。あなたは修煉者なのです。
弟子:一部の西洋人の大法弟子は、英語大紀元の仕事に全力を入れたため、大法弟子主催のほかの活動と法会にまったく参加する時間はありません。一部の中国人修煉者は、彼らが仕事をする執着の中に陥ったと思っています。師父にお伺いしますが、相対的に重要な活動があるとき、新聞の質を重視しないで、早く終わらせて、(笑い)ほかの活動に参加できるようにしてもよろしいでしょうか?
師:皆笑いましたね。質を重視しなければ、衆生を救い済度することができるのでしょうか?(皆笑って) これはやはりいけません。それなら、どうしましょうか? 今は、確かに困難があります。困難は一時的なものかもしれません。人手や資金が足りないので、きっと少数の弟子でこのことを行なっています。師父にはこのことが全部分かっています。実は中国語大紀元も、初期のときは同じ状態でしたが、その状態が長く続きませんでした。一時的にいくらかのことを遅らせたり、しばらくこの状態だったりするかもしれませんが、方法を考えて皆協力し合って、解決してください。これらの具体的なことは、私が思うには、やはり皆さんで話し合って、解決したほうがいいのです。
弟子:河北廊坊地区のすべての大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます! 弟子たちはとても師父に会いたいと思っています。
師:ありがとうございます! 廊坊地区の大法弟子、ありがとうございます!(拍手)
弟子:中国大陸で、何回も不法に監禁され、拷問を受け、迫害されましたが、相変わらず確固として精進している弟子がいます。一方、迫害に対して、どうしようもないと思い、安逸を求めるがゆえに、いまだに表に出られない弟子がいます。師父にお伺いしますが、何回も迫害されている弟子は、表に出られない弟子のために犠牲になり、耐えているのでしょうか?
師:そうではないのです。個人の修煉は個人のことです。表に出ていない人に対して、情況をよく把握してみて、助けてあげてください。
弟子:持続力、意志は先天的なもので、定められたものなのです。私は意志が強くないので、歯を食いしばって決心して努力すれば、何日間かよくなりますが、長くは続きません。とても悩んでいます。どこが誤ったのかが分かりません。頑張って法を学び、法を暗記しましたが、変わりありませんでした。法を勉強することを通じて、意志を高めたいという考え自体が、求めることだからでしょうか? それとも、やはり法の勉強が足りないのでしょうか? もし、自分自身を大切にすることができないことが、根本的な原因であれば、まだ救いようがあるのでしょうか?
師:もし、修煉がとても良くできている大法弟子が、理性的に大法とは何かを認識することができれば、きっと力を入れて行ない、この面において緩んでしまうことは決してありません。逆から言えば、精進していない弟子も法を勉強しており、法がとても素晴らしいと分かっていますが、法に則っておらず、正念も足りないので、認識はやはり高まらないのです。つまり、本当に法の貴重さを理解することができないから、なかなかやる気が湧いてこないのです。
弟子:刺身を食べることは殺生なのでしょうか?
師:刺身を食べることを含めて、ほかの人が殺した魚を食べるのは、殺生ではありません。しかし、昔の人なら皆、次の言葉を知っているのです。つまり「食べたものに償わなければならない」ということです。常人にとって必ずそうなります。人間は何を行なっても、償わなければならないのです。殺生したなら、来世、殺されたり、地獄に落ちたりします。大法弟子の場合、この問題はありません。特に、今日大法は常人の中で伝わり、これらのことを必ず解決しなければならないのです。つまり、大法弟子が圓満成就するための修煉を第一義にするのです。大法弟子が歴史上、作った仇と恨みは、修煉して圓満成就する過程で、向上の要素とし、さらに福報をもって、恨みを解消し、償うのです。
つまり、作った借りと怨恨は修煉して圓満成就する過程で、その相手に福報を与え、相手を救い済度しなければならないということです。これは間違いのないことです。なぜなら、師父は一人ひとりの大法弟子に修煉の道を按排した際、すでにこのようにし、恨みを解消することを按排したのです。将来、あなたが修煉して神に圓満成就したとき、あなたの世界の衆生になる生命もいます。もちろん、神の世界に行く衆生も神であり、下界の生命にとって、一足飛びで天に昇ったのです。生命はこの世での輪廻がいくら幸せでも、苦しみの中で輪廻しているのであって、いくら福があっても、境地は高まらないのです。いきなり高い境地の中の生命になり、誰もがこのようになりたいのです。以前、ある修煉の物語を話したことがあるのではありませんか? あるお寺で、和尚は説法しているとき、二羽の鳥が窓に止まって離れようとしないのを見ました。和尚は、「佛経を聞きたければ、人間に生まれ変わってから聞きに来なさい」と言いました。すると、二羽の鳥はすぐに飛び上がって、屋外の木にぶつかって、死んだのです。(笑) 二十年後、二人の若者がやってきて、出家したいというのです。(笑)つまり、こういう意味です。生命が天国世界に行けると知ったなら、これが何よりのことで、死んでも惜しまないのです。恨みでこれほど大きな福報を得られれば、もちろん嬉しいのです。
大法弟子として、皆さんが以前、作った借りは衆生に福報を与えることによって、解消されます。「それなら、これから何も構わず、人殺しも気にせずしてしまう」と思う人がいるかもしれませんが、それではいけません! 皆さんが修めているのは、慈悲であり、大法弟子は衆生のためになるように、修煉しています。本当に人殺しや放火などの悪事を働いてしまえば、あなたは修煉者ではなくなり、圓満成就できず、衆生に福報を与えるなどなおさらのことです。しかも、修煉中の魔難は精神的に作った借りを返しているのであって、悪事を働くことによって難が大きくなり、あなたは修められなくなり、修煉できなくなるのです。私が言ったのは、修煉の前に作った借り、または修煉の過程で正常に生きるために、生じたものを指しています。
生肉を食べることに言及しましたが、できるだけ食べないほうが良いのです。イエスもかつて、自分が造った人に「火を通したものを食べなさい」と教えたことがある、と私は覚えています。人間にとって、肉は必ず火を通してから食べるべきです。なぜでしょうか? 以前の修煉者もあることに気づいたのです。つまり、ある人または動物が死んでも、その体の細胞が死んでいないのです。細胞が死ななければ、各細胞の霊は、その人またはその動物の姿をしています。現在の科学も分かったのではありませんか? マウスの切片を光ファイバーでモニターに送ったとき、表示されたのは、マウスの形象なのです。つまり、あなたが食べた生肉は、たくさんの生きた動物なのです。
火を通した肉なら、霊はありません。生ものであれば、食べた後、どうなるのでしょうか? あなたは生きた動物をお腹に入れたことになります。それらが非常に小さいので、すぐには何も感じませんが、長くなると、大病になり、反応があります。人体は非常に特殊であり、人体そのものは宇宙と同じ構造をしているので、小宇宙と呼ばれています。食べたものが転生して出て行かないので、ずっとあなたの胃の中にいます。長くなると、生じた恨みと業力は、病の巣を作ってしまい、大きな業力となるのです。それによって、胃が悪くなり、ひどい場合、胃病、胃潰瘍、胃ガンになりますが、どんな可能性もあります。私は中国大陸で、生の蛇の血を飲む人を見たのですが、血のすべての細胞粒子は蛇であり、たくさんの蛇を飲み込んで、良いことでもあるのでしょうか?(皆笑って) 物質そのものは人体の能力で吸収され、転化されますが、霊はお腹に残るのではありませんか? ですから、くれぐれも生ものを食べないでください。現在、刺身が流行っていますが、これも非常によくありません。これは決して食文化ではありません。非常に良くないのです。ですから、生ものを食べてはならず、絶対食べてはいけません。特に修煉者として、決して生の肉を食べてはいけません。
しかし、火を通したら、霊は死んでしまうのではありませんかと言う人がいますが、実は霊体が去ってしまえば、表面はただの物質であり、修煉者は命を維持してはじめて、修煉することができ、ここで生きることができます。人間には人間が生きる形式があり、普通の生活で生じる業力は非常に少なく、修煉者の場合、もっと少ないのです。修煉者としてこのような業を滅するのは問題ではなく、来世で返す必要もありません。今生、圓満成就して神になれば、師父はあなたを助けて、解決してあげますが、あなた自身も修煉の中で滅することができるのです。ですから、修煉の苦しみの中で遭った厄介なことや、悩みはこの面の要素を含めているので、これらを押しのけないでください。先ほども言いましたが、良くないと言われたり、批判されたりすると、承知しない人がいますが、あなたはこの中に自分の業力があるのを知っていますか。
弟子:台湾の場合、台北、台中、高雄の各地に新年特別公演を行う必要があるのでしょうか? 大陸に真相を伝えることに影響するのでしょうか?
師:そのために大陸に真相を伝えることに影響を与えてはいけません。このことを私はこのように思っています。つまり、大法弟子は皆、北米、特にニューヨークのやり方をまねしているようです。師父がニューヨークにいると皆知っているからです。ニューヨークのやり方どおりにやればよいと思っています。そうではありません。なぜなら、情況が違うので、各地区は自らの情況に基づいて行うべきです。
台湾では、法輪功を迫害する人がおらず、台湾の絶対多数の人々が法輪功を理解しているので、台湾人にどのように真相を伝えるのか、台湾人に対してどのように彼らの頭にある中共悪党の要素を取り除くのか、これはかみ合わないのです。台湾にはこの問題は存在していません。もちろん、現在、中国の歴史をよく知らない若者がいますが、中共悪党が「統一戦線」をやれば、すぐ騙されてしまいます。それなら、悪党の邪悪さを台湾人に教えればよいのです。いずれにせよ、皆さんの情況に基づいて、自ら話し合ってください。
しかし、中国大陸と香港およびほかの地区の華人社会に真相を伝えることに、台湾の学習者は協力しており、これは非常に重要なことです。皆さんが行なったこれらの事を師父は完全に認めているのです。特に中国大陸に真相を伝えることに大きな力を発揮して、非常に良い効果を収めました! このことに関して、私はすでに数回、台湾の学習者にお話しました。このことは非常によく行なわれたのです。(拍手)
弟子:家族の何人も修煉しているのに、トラブルを解決できない大法弟子がいますが、これはなぜでしょうか? 激しく言い争う人もいるので、(皆笑って)修煉していない家族も大法を支持しなくなりました。
師:忘れてはいけないのは、人間が修煉しているのであって、神が修煉しているのではないということです。常人は間違いを起こしますが、修煉者も間違いを起こします。ただ、起こした間違いが少なく、あとで改めるのです。このようなことがあれば、きっと学習者がしっかり行なわなかったからです。たとえ大法弟子が行なうべきことをするためであっても、互いに喧嘩すべきではないのです。(皆笑って)
ここでちょっと話したいことがあります。家族になかなか真相を伝えられない人がいますが、これはあなたのやり方が間違ったからです。一つは、家族のどこが誤っているのかをあなたは分からず、何が原因なのか、あなたははっきり分かっていないのです。もう一つは、家族に真相を伝えるとき、皆さんはいつも、家族を救い済度すべき衆生としてではなく、自分の身内として見ています。あなたは修煉者で、常人を超えているのです。今生では皆さんは家族ですが、前世では、皆さんは家族ではない、ということを知っていますか? 今生では、彼女はあなたの妻ですが、来世になると、誰の妻になるかも分かりません。今生のあなたの子供は、前世、誰の子だったのか分かりますか?
修煉者として、このことをはっきりと分かっているはずで、常人の親族の観念にとらわれてはいけません。相手を一人の衆生、ほかの人と同じ衆生として、救い済度すれば、真相を伝えるときの効果は変わってきます。必ずこのようになります。まず、相手を自分の親族としてではなく、あなたが救い済度しようとする相手として、話せば、きっと違います。実は、彼の生命にも分かっている一面があり、今生ではあなたと家族ですが、来世にはほかの人と家族になると、彼の生命の本質は分かっているのです。しかし、本当に正念で彼を済度していれば、彼の真念ははっきりと分かることができ、彼も常人の情にとらわれなくなります。
弟子:邪党のブラックリストに載せられた海外の弟子は長年、中国に帰れないのですが、今は帰国して親族を訪問したり、法を実証する時機が熟したのでしょうか?
師:(笑)とりあえず帰らないでください。邪党のブラックリストに載せられたなら、邪党はあなたを迫害しようとしています。あなたを迫害しなくても、様々な手段であなたをまるめこむのです。できるだけ厄介なことを起こさないでください。ここで法を実証している以上、ここはすなわち、あなたが修煉する場所です。実はあなたを帰らせようとする要素も人心に対する試練かもしれません。なぜなら、修煉こそがあなたの道だからです。中国大陸では中国大陸の学習者が行なっているので、安心してください。彼らは必ずしっかり行うことができます。私には自信があります。(拍手)
弟子:正念を発することの重要性を知っていますが、ときに決まり事のようになったり、あるいは注意力が散ってしまったりします。ほかの学習者にも同じ情況があります。どのように正念を発して、本当に高めることができるのでしょうか?
師:このように話しましょう。大法弟子は圓満成就に向かっていくために、三つのことをしっかり行うべきであり、そうではありませんか? 正念を発することはその中の一つで、これほど重要なことなのに、なぜしっかり行わないのでしょうか?! なぜ、たいしたことではないとして、重視しないのでしょうか? すでにこれほど重要だとわかっていて、しかも三つのことの中の一つなのに、しっかり行なわないで、どうしますか?
多くの学習者が、正念を発するとき、いつもこのようになってしまうのを見ました。(学習者が正念を発するときに居眠りする様子を真似て)(笑)(皆笑って) 邪党のそれらの邪霊の要素はひたすら、あなたを眠らせるのです。眠ければ眠いほど、邪霊はそれを強めるのです。どうしてもあなたが正念を発することができないようにします。なぜなら、あなたが正念を発して邪霊を根絶しているからです。あなたが正念を発して、邪霊を根絶しようとすると、邪霊は妨害してくるのです。
大法弟子が修煉中のほかの空間の体は比類なく大きいのです。三界内の空間は大法弟子によって多くの部分に分割されました。このように話しましょう。さらに大きなことを言いましょう。つまり、未来の宇宙に分割された部分であれば、大法弟子はそれを全部包容しなければならないのです。あなたが包容する範囲内は、あなたが責任を負うべきであり、そこの良くないものと邪悪な要素をあなたが一掃しなくても良いのでしょうか? 必ず一掃しなければなりません。一部の大法弟子は正念を発することを重視していないため、自分が妨害されるだけではなく、それらの邪悪要素はほかの弟子をも妨害しているのです。自分が行なうべきことでさえ、しっかりできないのでしょうか? 自分の分をしっかり行なうだけでなく、ほかの人のも手伝うべきです。
弟子:大陸の弟子の中に、長期に警察の監視下に置かれている人がいますが、安全に気をつけていません。ほかの学習者が忠告しても聞き入れません。師父にお伺いしますが、どのようにしたらよいのでしょうか?
師:確かに安全に対してあまり気をつけていない学習者がいます。邪悪に釈放され、ひどく迫害されたのに、三日も経てば、もう忘れてしまったようです。あなたの安全がほかの大法弟子の安全にも影響しているので、このことに対して、必ず気をつけて、重視すべきです。旧勢力の要素に隙に乗じられないようにしてください。海外の多くの学習者は国内の大法弟子が安全に気をつけていないのを見て、忠告することもできず、ただただ焦っています。気をつけなければ、自分が迫害されるだけでなく、ほかの人にも損失をもたらしてしまいます。
弟子:私は96年に法を得た古い学習者ですが、今日初めて、お目にかかり、とても幸せに感じました。国内に師父にお会いしたことのない多くの古い学習者がおり、海外の学習者を羨ましく思っています。海外の学習者に師父を大事にしてほしいと思っています。海外に来る機会のある学習者は、できるだけ海外に残るべきでしょうか?
師:このことは自分で判断してください。もし海外で今まで以上にしっかり行なうことができ、国外の大法弟子が法を実証する活動に参加したければ、私は反対しません。帰ったら、引き続き迫害され、指名手配されるならば、必ず残ってください。もしこの情況ではなく、比較的安全で、国内にあなたに救われ、済度されるべき衆生がいるのに、まだ救い済度しておらず、またはまだたくさんの悔いが残り、再びしっかり行ないたければ、帰ったほうがいいと思います。師父はあなたにアドバイスをするだけで、具体的にどのようにすべきかは自分で決めてください。
弟子:河南省鄭州市大法弟子、イギリスの大法弟子、遼寧省鞍山地区のすべての大法弟子は、師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手)
弟子:私は煉功して、一年が経ちましたが、なぜか、最近いつも悪夢を見ています。私はしっかり行なわなかったのでしょうか?(師:西洋人の学習者です)
師:私は多くの説法の中で、新しい学習者の状態について話しました。一部の新しい学習者は、常人からいきなり、修煉者に向かっていく場合、すぐに借りの取り立てに遭います。このことは古い学習者なら、皆知っていますが、時々悪夢を見て、奇怪なことに遭ったりしますが、実はもうすぐ常人から抜け出し、怨念が解決されるときの表れなのです。一般の常人には応報があり、前世のときにできた借りは来世に返し、相手は私に借りがあっても、急いで返してもらうなどのこともせず、来世に返してもらうことにします。しかし、あなたが修煉し、三界から離れようとすれば、「借りはまだ返してもらっていない。離れてしまえば、見つからなくなるので、借りを返して欲しい」と思い、時間を前倒してあなたのところにやってくるのです。ですから、奇怪なことに遭います。しかし、師父はあなたを守ります。驚きますが、危なくはありません。いずれにせよ、大法弟子にとって、正念を強くすべきで、修煉者らしくこれらのことに対処すべきです。
弟子:山から帰ってきた学習者は、山にある碑文を写してある学法のグループに渡し、勉強会で繰り返して学習者に読ませていますが、『轉法輪』を通読していません。師父にお伺いしますが、このように行なってもよいのでしょうか?
師:もちろんいけません。私は数回、このことについて話したことがあります。つまり、私が山で、小範囲で説いた法を勝手にほかの人に伝えてはならず、さもなければ、大法弟子全体が法を実証することの情勢を妨害するのです。いつもこのようにする人がいるので、いっそのこと、説かないことにしました。ですから、最近聞こえてこなくなったでしょう?
いつも、うわさを広める人がいます。もちろん、これらのことは本人もこそこそやっているので、これ以上言わないことにしますが、今後このようにしないでください。大法弟子は正念が強くなければならず、修煉者らしくすべきです。常人の心が多く、いつも新奇をてらおうとしており、自分を顕示し、師父の前で特別たくさんのことを得た、とほかの人に言いたいと思っています。そういったことはなく、誰もが自らを修煉すべきです。私が説いた法はいくら多くても、あなたがしっかり修めなければ、同様に成就できません。
弟子:『九評』のシンポジウムを準備しているとき、共産国家から脱出してきた多くの人と接触しました。中に中国大陸以外の共産国家の人もいます。しかし、彼らは海外で落ち着いて生活していながら、母国への投資の機会を狙っているため、表に出て悪党の邪悪を暴露したくないのです。師父にお伺いしますが、どうしたらよいのでしょうか?
師:ほかの国に対しては、とりあえず重点として行なわないのです。しかし、真相を伝えることに関しては、衆生はみな、平等で同じなのです。私たちはすべての人に対して真相を伝えます。なぜなら、悪党の要素は世界的なもので、共産国家だけにあるということではないからです。いかなる人であっても、どういう態度を持つのか、それはその人自身のことです。
弟子:音楽や美術は厖大な天体からきたものですが、体育の場合はどうなりますか?(皆笑って)
師:体育の場合、多くのものをまとめて体育と呼んでいます。中の多くのものも異なる体系のものです。絶対的ではありませんが、多くのものは異なる体系からやってきたのです。なぜ、異なる体系がみな、やってきたのでしょうか? 法を正すことに関係しているからです。大法を伝える人は地球に転生してきて、ここで法を伝えますが、あなたは表面で、どのような形で法を伝えるのかに関しては、誰にとっても未知なのです。私はそのとき、具体的な選択もしませんでした。法を伝える直前になって、すべてが再び私の前に現れたとき、私は佛法、佛の姿を選んで宇宙の法を伝えることにしました。
弟子:海外の安全部門から中共スパイの名前を教えてもらいましたが、学習者に公表すべきでしょうか?
師:もう少し待ってください。大法に触れたから、もう少し機会を与えましょう。(拍手) 絶対に救えない情況にならない限り、私はこのような人を暴露したくはありません。私にはとても自信があります。この法がこれほど大きいのに、あなたを済度できないなんて、考えられません。(拍手) 以前、多くの学習者はしてはいけないことをし、昔多くの学習者は、そのような仕事をしていたのですが、皆大法を修めるようになりました。これが大法の威徳ではありませんか?(拍手)
弟子:正念を発するとき、大半の場合、入静できません。私が妨害されたからなのでしょうか? それとも私の次元が低いからでしょうか? 多くの場合、私が発した正念の作用はとても弱いと感じています。
師:このように話しましょう。新しい学習者の場合、もし正念を発するとき、あまり感じていなければ、主な原因は修煉の時間が短いため、体全体の変化がそこまで敏感にならなかったのです。実は、長く修煉している学習者の多くも必ずしも敏感とは限りません。なぜ、正念を発すると、寝てしまう人がいるのでしょうか? 彼は感じていないからです。
先ほど、話したことですが、迷いの中で修煉し、これほど大きな迷いの中で修煉しているから、あなたをそれほど高いところまで修煉させることができるのです。このような状態で、あなたに対する要求もとても高いので、正念をずっと強く持って歩んでいる人こそ、素晴らしいのであって、必ず圓満成就できます。普通、正念を発するとき、多くの学習者はそれほど敏感ではなく、はっきりと感じているわけではないのです。なぜなら、本当に作用を発揮する一面が、まだ修煉できていない部分から隔離されている上、しかも、完全に修煉できていないこの部分が主体だからです。最も主要な部分の正念が強いかどうかが、最も肝心なのです! 修煉の中で正念が強ければ、あなたはすなわち、向上しており、絶えず変化しているのです。正念が強ければ、あなたが発した正念も大きく、修煉してできたその一面も巨大な能力を発揮しています。修煉してできた一面は隔離されていて、人間も抑制されているので、同様に敏感ではないのです。この間隔がなければ、いくら敏感でなくても、それほど強大な力が発せられれば、あなたのこの部分にもかなりの震動があると思います。それほど強大な力なら、人間の体の修煉してまだできていない部分は耐えられないのです。
多くの学習者は正念を発することを重視していません。その大きな原因は敏感ではないからです。敏感かどうかに関わらず、師父に行なうようにと言われた以上、行なってください。必ず作用があり、決して形式的なものではありません! 師父は、決してあなたに役立たないことをさせません。(拍手) それならば、あなたに対しても、私に対しても、法を正すことや皆さんの法を実証することおよび衆生に対しても、意義はありません。しかも、正念を発することはすでに、これほど重要な位置に置かれたのです。皆さんは、必ず重視すべきです。感じられるかどうかに関わらず、強い正念をもって行なってください。時間が長くなれば、いずれ感じるようになると思います。
正念を発するとき、何も考えていないという入静の状態を要求しません。正念を発するとき、念があるのです。しかも、念は非常に強いのです。今、主に中共悪党の邪霊とそれらの黒い手、卑しい鬼を解体・消滅・根絶することを考えるのです。これは、完全に入静した状態とは、やはり違います。
弟子:私は十歳の女の子ですが、いつ子供の舞踏教室を作るのでしょうか。(皆笑って)
師:(笑)師父が作るのではなく、(皆笑って)師父が時々、手伝って協調するので、速く進められます。すべては大法弟子が行なっています。現在、講師陣の力がまだ限られているので、条件が整ったら、作ります。
弟子:師父、こんにちは。お伺いしたいのですが、現在、多くの大陸の学習者は邪悪に不法に監禁されていて、彼らの多くはまだ「三退」のことを知らないかもしれません。もし、中共を一掃するその日になって、不法に監禁された弟子が、まだ脱退声明を出していなければ、彼らに影響があるのでしょうか?
師:大法弟子にとって、あなたがすでに大法弟子なので、ほかはすべて、重要ではありません。しかし、修煉なので、どうしても常人の心が強く、正念が足りない人や、新しい学習者がいます。このような学習者なら、声明を出さないと、やはりだめです。精進している古い学習者で、もう長く修煉しているのであれば、このことは重要ではありません。つまり、そういうことです。最も大事なのは、やはり衆生を救い済度することであり、中共悪党に従って殉死しないように、常人に脱退を薦めることです。
弟子:師父、私は師父の写真の前に色欲の間違いを二度と犯さないと誓ったのですが、その後やはり、犯してしまいました。これによってすべてを失うのではないかと恐れて、とても胸が痛いのです。
師:このことは修煉者、大法弟子にとって、本当に恥なのです。佛教の中で戒律があり、色欲の戒律を犯したら、これは実に深刻なことです! ご存知でしょうか? 大法弟子は旧宇宙から脱皮し、古い法理から抜け出すことを目指していますが、旧い宇宙、旧い法理、旧い生命、すべてがあなたを牽制しているのです!
私は旧勢力の妨害について話したことがありますが、皆さんは考えたことがあるのでしょうか? これも牽制の要素なのです! 旧勢力、旧宇宙は何を最も重く見ているのでしょうか? まさに色欲であり、男女間の問題、このことを最も重く見ています。昔、これに関する戒律を犯したなら、お寺から追い出され、まったく修煉できなくなるのです。現在、神はどのようにこのことを見ているのでしょうか? 彼らが残した予言の中に、どのように言われているのか知っていますか? 彼らは、「最後に残る大法弟子は、みなこのことにおいて、純潔さを保った人です」と予言しました。つまり、彼らがこれらのことを非常に重く見ているので、このことにおいて戒律を犯した人、このことを正しく行なわなかった人であれば、旧勢力、宇宙のすべての神はあなたを守らないのです。その上、あなたを下へ落とします。それらは、あなた・李洪志が自分の弟子を放棄しないと知っているので、それなら、あなたに放棄させるように仕向けます。ですから、それらは間違いを犯した学習者が再三に間違いを犯し、最後に悪事を働き、反対の立場を取り、邪な悟りで頭がいっぱいになって、大法を破壊させます。それでもあなたがこのような学習者を見捨てないかを見ているのです。それらはまさにこのように行なっています。邪に悟った学習者がいますが、このような人は本心から邪悪のほうに行ってしまったとでも思っていますか? それはすべて原因があるのです。
ですから、このことに関して、くれぐれも気をつけてください。特に若い大法弟子ですが、結婚していなければ、男女関係があってはいけません。結婚した人の場合、なおさらこのようなことがあってはいけません。大法弟子は常人社会で修煉していて、もちろん結婚できます。これは問題ありませんが、決してこのことにおいて、間違いを起こしてはいけません! くれぐれも、旧勢力、邪悪生命に隙に乗じられ、修煉できなくなるまで迫害されてしまう、ということにならないようにしてください。そのようになれば、あなたは機縁を失ってしまいます。
師父が話したことは間違いのない真実なのです。精進したいと思っていても、思わなくても、どのように大法に入ったのかに関わらず、地球の数千年の按排はすべて、今日のことのためです。必ず時機を掴み、この機会を失わないようにしてください。実は、地球上の数多くの生命が大法に対してどのような態度を持っているかに関わらず、すべて無知の中で悪事を働いているのです。彼らは、自分が待っているのがこの大法だと本当に分かったなら、何があっても大法に対して悪事を働きません。
もちろん、私が話したこれらのことは、新しい学習者にとって、理解しにくいかもしれませんが、徐々に修煉しましょう。いつか分かるようになります。大法弟子はすでにこれほど長く修煉したので、多くの問題に対して、はっきりと認識しましたが、新しい学習者にとっては理解しにくいかもしれません。人類社会が評価するものは、すべて良いものとは限らず、人間が評価することを、神が賛成するとは限りません。
弟子:北米の多くの大法弟子は、何とかしてニューヨークやニュージャージ州に移ろうとしています。ほかの地方で仕事している弟子もアメリカ東部で仕事を探し、師父に近ければ近いほどよいと思っています。(皆笑って) このことは理解できますが、ほかの地区にも学習者がそこで法を実証する必要があり、特に一部の地区では、中共邪霊はまだ非常にはびこっています。
師:このことですが、一部の学習者が移動したのは、特技があって、ちょうど必要とされたからです。これは問題ありません。ほかの学習者は軽率に、盲目的に移動しないでください。自分の生活、ほかの面に困難をもたらさないでください。困難が生じたあと、今日の食事をどのように解決するのか、明日どこに住むのかを毎日考えていれば、法を実証することができなくなるのではありませんか? つまり、人為的に自分に困難をもたらし、修煉環境を破壊し、自分の法を実証する環境を破壊しないでください。いつか、私も西のほうに移ったほうがいいですね。(笑)(皆笑って、拍手) この忙しい時期が過ぎたら、私も場所を変えて、住んでみましょう。(皆笑って、拍手)
弟子:周りの長年修煉した年配の大法弟子は精神状態も、健康状態も非常に良くて、同年代の修煉していない人と比べて、かなり若く見えますが、やはり何らかの老化現象が見られました。
師:修煉の中で、表面の状態が完全に変化しなかったこの部分は、この空間の時間の制限から離れていません。もし、この空間の体がこの時間に制限されず、完全にこの空間の時間から離れるまで、修煉していれば、この時間はあなたに対して、作用することができません。一部の学習者はこのようになっていますが、すべてではありません。それぞれの修煉の道が異なり、按排された状態も異なります。多くの人の場合、修煉してできた一面は、間隔によって神の一面の影響を受けられないのです。
もう一つの原因はつまり、旧勢力の妨害の要素がまだ作用しているからです。以前、話したことですが、宇宙の神は人間を取るに足らないものだと思っていると言いました。人間は、神が慈悲深いと言っていますが、確かに彼らは慈悲深いのです。彼らが修めているのは、まさしく慈悲なのです。しかし、彼らの慈悲は人間に対する慈悲ではありません。彼は人間と関係ないのです。神が人間と接触するとき、人間は神の深い慈悲を感じるのですが、彼はこのような神であり、あなただけのための慈悲ではなく、慈悲は彼の状態なのです。実は、多くの旧宇宙の神は、大法弟子が高い次元まで修煉し、大法弟子が将来、宇宙の未来を決めるので、少しでも足りないところがあれば、上がらせないのです。このことに関して、これらの生命が無慈悲とは言えません。これは絶対、寛大に対処できることではありません。良いことをしたから、大目に見てあげるということはないのです。
当時、私は法を伝え始めたばかりのとき、これらのことのために、それらと対峙し、一年の時間を無駄にしました。しかし、その後そろそろ伝え始めないと、多くの学習者は法を得る間がなく、多くの衆生を救おうと思っても間に合わないと、私は考えました。ですから、多くのことに関して、私はずっとそれらと張り合っていました。当時、私は表面の体の転化が、修煉してできた部分と協調し、体を修煉の中で、人間の状態から離れさせ、修煉の弟子が自分の正念で人間と同じ状態を保つようにしたかったのです。これらの問題のために、私はそれらと一年対峙しました。当時、私はこのために法を伝えなかったのです。一年間、対峙していました。今になっても、私はそれらが堅持することを認めず、将来も決して認めないのです。これを妨害し、破壊することに関わるすべての生命は、必ず償いの中で解体されます。私は必要なものなら、たとえ歴史を戻してやり直しても、私のことをやり遂げなければなりません。これは法を正す中で、なくてはならない内容と過程です。これは法がこの世を正すことを指しているのではありません。
弟子:北京の大法弟子と張家口の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。師父は、説法の中で、中国人の50%を救い済度することができれば、たいしたものだ(原語ではありません)とおっしゃったことがあります。この数字は『佛性と魔性』の中で言及された二種類の物質の人類空間に対する制約と関係しているのでしょうか?
師:佛性と魔性が意味しているのはこのことではなく、宇宙を構成する要素の中に正と負という二種類の物質が存在しているということです。二種類の物質は下へ行けば行くほど、差異は大きくなり、正の物質はますます善になり、負の物質はますます悪になるのです。人間を造ったとき、物質の中にすでに善と悪の二種類の要素が存在しているので、造られた人間そのものに、善と悪の両方の要素があります。人間は理性を失い、大声で叫んで発散しているとき、まさに魔性の発作であり、魔性が作用しているのです。人間がとても慈悲深くて、温和で、優しく穏やかなとき、善の一面が作用しています。
正法正覚の修煉は、まさに皆さんに魔性を抑え、除去させているのです。以前の佛教の中では、修煉はつまり抑制するということで、魔性を抑制し、佛性を充分発揮させます。最後に抑制力が非常に強くなり、魔性がまったく作用できなくなり、鍵をかけられたかのようになります。今回の法を正すことは、全宇宙に根本的な変化をもたらそうとしているので、大法弟子は修煉の中で、微視的なところから調整され、必要のないものを直接取り除き、根本的なところから生命の状態を変えます。これは以前の修煉と違います。
弟子:政治は西側社会の人権と主権が民にあることの現れであり、「政治に参与する」とは、中共に歪曲された政治文化の現れである、というふうに認識してよろしいでしょうか?
師:中共は、自らが有利なとき、民衆に「政治に関心を持つように」と煽動するのです。特に「文化大革命」のとき、ご存知のように、「政治の面で落伍している」と言われると、つまり、この人は「思想が落伍している」、「政治に無関心」ということになります。しかし、悪党が脅威を感じたとき、政治に参与すると、違法とされます。悪党は様々な手段を巧みに弄しています。
一方、西洋社会では、政治とは、宗教範疇に属さず、個人的な行為でもない社会的活動を指しています。ですから、「法輪功が宗教であるかどうか」について、西洋社会は、法輪功が社会での政治活動に属していない社会活動なので、宗教であると結論付けています。法輪功に信仰があるので、宗教だと思っているのです。
ここで、ついでに皆さんにお話しますが、今後、私たちが宗教かどうかのことについて、普通の常人に対して答える必要はなく、これから答えなくて良いのです。人間がどう思っているのかは、好きにさせればよいのです。はっきりと聞こえましたか? 中国という社会では、宗教かどうかについて非常に明確な概念があり、宗教の場合、お寺や礼拝があり、入門するときの宗教形式が必要で、受戒し、洗礼を受けるのです。これは非常にはっきりとしており、このような人はまさに宗教の信者であり、宗教活動を行なっているのです。これらの儀式がなければ、宗教にはならないのです。これは西洋社会の概念と完全に異なっています。ですから、西洋社会で、普通の人から宗教かどうかを聞かれたとき、答える必要はありません。そんなに真剣に対処する必要もありません。もし、政府、社会団体、行政部門、議員から宗教だと言われたら、私たちは宗教ではないと言う必要はありません。もし、法律に関わる問題であれば、宗教の名義と条文で対処すれば良いのです。ですから、こういう場合は、宗教だと言ってもよいのです。特に法律に関わる問題の場合、このように対処してよいのです。皆さん、分かったのでしょうか? これは東洋と西洋の観念上の違いであり、私が説いた法に反していません。私はすでに『精進要旨』の中で「私たちは宗教ではありませんが、常人は私たちを宗教とみなすのです」と話したことがあります。このことについて、皆さんははっきりと認識すべきです。
弟子:師父にお伺いしますが、観光地で煉功し、真相を伝えるとき、掛けた横断幕は「中共の暴政」『九評』に関するものですが、これは衆生を救い済度することに対して、どういった作用があるのでしょうか? ご教示願います。
師:『九評』が発表された当初、社会の常人は、中国大陸の人も含めて、すべて各種の邪悪な要素、中共悪党の邪霊にしっかりと制御されていたのです。そのとき、『九評』と真相を伝えることが同時に行われるなら、救い済度されるべき人をなかなか救い済度することができません。そして、一年が経って、特に今になって、情況は変わりました。中共邪党の邪霊は普通の常人を制御できなくなるほど消滅され、今の人は皆、自分で物事を考えており、悪党の邪霊に制御されているのではありません。この状況下で、皆さんがこのように行なうのは問題ありません。
私たちが『九評』を配布し、人々に脱党を勧める目的も非常にはっきりとしています。皆さんは常人に次のように説明すればよいのです。つまり、中共悪党はすでに何年も大法弟子を迫害しており、この間、中共悪党に機会を与えており、人々も中共悪党が法輪功を迫害しているのだと分かっているのです。私たちは悪党にこの数年、機会を与えてきましたが、それでも悪党は迫害を止めようとせず、まだ引き続き大法弟子を迫害し、虐殺しています。それなら、私たちは悪党の迫害を暴露するほかありません。(拍手) 中共悪党の邪悪さと、歴史上の中国人に対する迫害と、現在大法弟子を迫害している罪悪を明かし、人々に悪党を認識してもらい、悪党がなぜ法輪功を迫害しているのかを認識してもらいます。悪党を解体することは、中国人と法輪功に対する迫害を制止する最も良い方法ではありませんか? 私たちは悪党の政権に興味はなく、政治的な主張もありません。私たちはただ、迫害を制止しているだけです。中共悪党の法輪功に対する迫害が続いている限り、私たちは迫害を暴露し、解体し続けます。(熱烈な拍手) 実は、このことは非常にはっきりとしています。誰もが中共悪党は法輪功を迫害しているのを知っているのに、なぜ、私たちが『九評』を配って、悪党を暴露してはいけないのでしょうか?
弟子:各地区で青少年管弦楽団を作ってもよろしいでしょうか? トロントの弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:先ほどお話した楽団の作用について、皆さんはすでに分かっています。各地の学習者もニューヨークで大きな管楽隊が作られたのを知っています。このような管楽隊は軍楽隊とも言います。最初は、軍隊の楽団だったのですが、のちに民間にも現れ、ずっと軍楽隊と呼ばれています。特に、近代になって、学生の中で比較的流行っていて、やはり軍楽隊と呼ばれています。中に、管楽隊と呼ばれるものもあります。この楽団を作るのは、実はたやすいことではありません。もし、ほかの地区で皆、このように行なうなら、能力や条件が整っていなければ、本当に大法弟子が行なっているほかの事に影響してしまいます。大法弟子が行なっている法を実証することは、何があっても、影響されてはいけないのです。
弟子:どのように国内からの文芸団体に対処すればよいのでしょうか? 「同一首歌」の名前を使わなくても、中共の文化を輸出しているので、同じように対処してよろしいでしょうか? どのように判断すべきでしょうか?
師:中国から派遣された文芸団体はたくさんあり、相手にする必要はなく、私たちと関係はありません。法輪功に対して何かをやっているのでなければ、相手にする必要はありません。中に大法弟子への迫害に参与した人がいれば、見逃してはいけません。
弟子:ドイツ、天津市、大連市、北京市、懐柔県、湖北省陰山県、浠水県、羅田県、武漢市、北京市朝陽区、海淀区、寧波市、唐山市、安徽省、重慶市、甘粛省、長春市の大法弟子は師父にご挨拶を申し上げます。
師:ありがとうございます。(拍手) 在席の中に長春市からの大法弟子もいると、私に分かっています。
弟子:法を得たばかりの新しい弟子は、法を正す時期の大法弟子と呼べるのでしょうか? 古い弟子と同時に圓満成就することができるのでしょうか?
師:新しい学習者の中に、確かに次の法がこの世を正す時期の大法弟子がいます。どの時期の弟子にせよ、法を得て入ってこられたのは、すでに簡単なことではありません。将来、真相が大いに現れて、皆法輪功のことが分かったときになると、入ろうと思っても、簡単に入ることができません。誰もが入りたければ、入れるというわけではなく、(笑)、今日の大法弟子の修煉とまったく違うため、今、入ることができれば、それに越したことはありません。
弟子:ある学習者は、協調人の段取りが悪く、目標をしっかり達成することができないと思って、自分が認識した法を実証する理に基づいて、別途独自で行なっています。彼のやり方は法を実証することに有益だと思い、彼を手伝って、一緒に努力しようと思っています。
師:このようなことは確かにあります。責任者は周到に考えておらず、または責任者は本当にこの面において、しっかり行なうことができませんでした。それに気づき、自ら進んでしっかり行なった学習者がおり、このようなことがたくさんありました。しかし、一緒に何かを行なうときに異議があり、一部の人を連れ出して、別のやり方でやろうと思う学習者がいます。皆さんに教えますが、責任者がしっかり事を行なうことができるかどうかに関わらず、協調して事がしっかり行なわれるようにすべきです。一部の人を連れ出して、別のやり方で行なってはいけません。このようにする人は間違っています。師父である私は認めません。
弟子:西側社会の大手企業から「中国に対する支援と投資を止めるべきなのか」と聞かれましたが、どのように返事すればよいのでしょうか?
師:利益を捨てて、中国に対する投資を止める、このようにできる企業はまだそれほどないと思います。もちろん、このようにすることができれば、これに越したことはありません。前回の説法の中でも話したように、中国大陸に投資して、中国人を裕福にし、中国人がいい暮らしを送れるようにするのは、問題ありません。私が反対しているのは、法輪功が迫害されている期間中、次から次へと大量に中国大陸にお金を注ぎこむことであり、これによって、中共悪党は法輪功を迫害する力をつけました。悪党が最も凶悪なとき、年間、国民総生産の四分の一を法輪功への迫害に使いました。なんと多額なお金でしょう! お金がなければ、法輪功を迫害できるのでしょうか? 絶対できません! 現在の中国人は誰もが悪党を信じていないので、悪党からお金をもらえなければ、決して悪党のために働かないのです。しかも、彼らは大法弟子が皆、良い人であると分かっているのです。お金をもらえなければ、悪人は悪事を働くのでしょうか?
弟子:他人の問題を指摘してはいけないとおっしゃっているのでしょうか? 時々、相手の問題なのか、自分の問題なのかが分からなくなります。
師:他人の問題を指摘してはいけないと言っているのではなく、大法弟子の全体の修煉形式は、一人ひとり内に向けて探す環境でなければならないと言っているのです!(拍手) 大法弟子の全体の環境は、お互いに批判しあう中で向上するというようなものに決してなってはいけません!(拍手) ですから、師父として、私は内に向けて探し、問題が現れたら、自分の問題を探すようにと皆さんを励ますしかありません。すべての人がこのようにすることができれば、これに越したことはありませんが、認識できなかった問題をほかの人が指摘するのは、もちろん間違いではありません。しかし、指摘するとき、必ず善意に基づかなければなりません。あなたも慈悲を修めているので、善意であるべきです。ですから、この二点に気をつけて、このように行なうことができれば、多くの問題は簡単に解決できると思います。
弟子:一部の西洋の知識人は大法の悪口を言って、しかも自分の意見を固持しています。これは重要なことでしょうか? どのようにしたら、彼らの良くない観念を破ることができるのでしょうか?
師:西洋人でありながら、大法が良くない、大法弟子が良くないと言っているのであれば、きっと中共の宣伝を聞いたからだと思います。大法弟子がどういう人間なのかを知らないのに、なぜ良くないと言えるのでしょうか? きっと邪悪がでっち上げた宣伝を聞いたのです。それなら、相手に説明すればよいのです。実はこの数年、皆さんはそのために真相を伝えているのではありませんか?
1999年7月20日に迫害が始まったそのとき、すべての中共のマスコミ、新聞、ラジオは国から省まで、省から県まで、これほど大きな中国のすべてのテレビ局、マスコミ、新聞、千以上のテレビ局、数百種類の新聞は、全面的に法輪功を弾圧、迫害しています。世界のすべての国のマスコミは、中国大陸から情報を取得し、法輪功を報道しており、いずれも中共を助けて、法輪功を迫害しています。そのとき、地球全体は真っ黒になっていました。多くの地域の人々は、法輪功がいったいどういうものなのかを知らないため、皆中共の邪悪な宣伝を聞いています。この数年、真相を伝える中で、このすべてを破ったのではありませんか? 大法弟子が今日、世の人々に刮目されるようになったのも、皆さんがこのように行なったからではありませんか?
つまり真相を伝えることは、中共悪党の卑劣なうそ偽りの宣伝を破るためであり、皆さんはこれをやり遂げました。しかし、真相が分かっていない人がまだいます。質問の中で学習者が話したこの問題はまだ存在しているので、皆さんは、すべての人がならず者の悪党がどういうものなのかを知るまで、引き続き行なってください。もちろん、すでに望みのない人もいます。あなたがどのように行なっても、もう無理です。このことも私に分かっています。ですから、皆さんが中国人の半数を救うことができれば、たいしたものだと言ったのです。ほかの地域も同じです。すべての人を全部救うことができるのでしょうか? 皆さんに教えますが、それは不可能なことです。皆さんはこの願望を持ち、衆生を慈悲深く思い、行なってもよいのですが、救われない人がいるからといって、行なわなくなり、または緩めてしまう、これは決してあってはならないことです。
弟子:私の仕事場に、中国領事館と緊密な関係を持っている人がいて、共産邪党に深く毒害されています。このような人はまだ救われるのでしょうか?
師:相手に真相を伝えればいいのです。これらの事実を見せて、本当に救うことができなければ、もう救いようはないのです。
弟子:大陸の学習者が二人目の子供を妊娠したのですが、出産すべきでしょうか? やむをえず中絶することと自然に出産することは、業を造ることに関して、違いがあるのでしょうか?
師:大陸には大陸の情況があります。ですから、師父は法理からすでに、ほぼ説きました。これらの具体的な情況について、大きな影響があるから、師父はここでお話したくはありません。しかし、中共悪党は人々に中絶を強要しており、全世界の人のひんしゅくを買ったのです。学習者として、命を守るのはもちろん間違いではありません。このように言うしかできません。具体的な情況は、具体的に見るべきです。
弟子:花崗岩の中に、なぜ生命がいないのでしょうか?
師:まだこういうことを聞く人がいますね。(笑) 人類が見たこの表面の花崗岩に生命がないと言っていますが、花崗岩を形成しているもっともっとミクロ的な物質はどういうものなのか、これはまた違ってきます。この次元での理は、ほかの次元で理ではなくなるかもしれません。低次元の法は高次元の法にとって、ひいては逆になっていて、間違っている法なのです。理は絶えず昇華するもので、皆さんはこのことをはっきりと認識すべきです。
弟子:ある人が積極的に大法のことを行なっていますが、人間が圓満成就したら、どこに行くのかを理解することができません。この人は師父を認めていますが、あまり法を勉強していません。彼の心のしこりを解きほぐすことができなかったのですが、私はどの点をしっかり行うことができなかったのでしょうか? 今日彼もここにいます。(笑)(皆笑って)
師:多くの常人に対して、皆さんは高く要求してはいけません。もちろん、あなたは大法弟子だから、相手に法を得て欲しいと心から切に思っています。言うまでもなく、大法弟子になれれば、その生命にとって最も良いことであり、これは皆さんの願いです。しかし、現実的な情況から言えば、人間がどこまで認識しても、その人が間違っているとは言えません。しかも、生命にとって、この時期に大法弟子に協力することができれば、この生命はすでに素晴らしいのです。彼にはきっと良い未来があります。必ずそうなります。なぜなら、今はいかなる時期とも違い、大法弟子が受難している時期だからです。
弟子:師父が話されたことをそのまま信じて、深く考えないという状態は正しいのでしょうか?
師:神から見れば、この人は本当に素晴らしいと思いますが、私はやはり本を多く読み、法を多く勉強するようにと言うのです。普段、私が説法するとき、皆さんは慈悲の場が非常に大きくて力も強いと感じ、多くの問題を解決することができます。しかし、私は普段の生活では、このようになってはならず、この力を使わないのです。しかも、私に常人のように考える功能があり、これを用意したのです。私はこれを使って生活しています。その場合、私は冗談を言ったり、普段の生活でのことを話したりしますが、師父が法に則っていないのではないかとあなたは思うのです。(笑)(皆笑って、拍手) 人間のところにいると、やはり面倒です。
弟子:スポンサーを探して、大紀元の一つの紙面を作ってもいいでしょうか? しかし、内容は私たちが決めます。主に文芸面になりますが。
師:スポンサーは一つの紙面をサポートする場合、スポンサーが紙面に何を掲載するのかについて、契約書にはっきりと記すべきです。
弟子:常人の仕事の中で、多く儲けたい、または昇進したい場合、仕事をしっかりこなすことによって、達成することができます。大法弟子が運営するマスコミと会社の中でも、努力を通じて、手に入れたいポストとお金を獲得してよろしいでしょうか?
師:社会の中で、仕事をしっかりこなしたなら、自然に昇進し、社長は機嫌が良くなったら、給料を上げてくれます。しかし、大法弟子が運営するマスコミの利益は限られており、社会にある大手マスコミの状態にまだ達していません。まだ達していなければ、あなたの考えは非現実的な話ではありませんか? どのように手に入れたい役職につくかということについて、このことを多く考えると、正しくないかもしれません。普通の執着ではないようですね。大法弟子は皆、ボランティアで行なっており、何かの役職につきたいと言っている人がいるとまだ聞いたことはありません。(笑)(皆笑って) 役職を欲しがるのは、大法弟子が考えるべきことではないでしょう。何かを得たいと思うのは、なおさら正しくないのではありませんか? 大法弟子がマスコミを作ったのは、法を実証し、真相を伝え、衆生を救い済度するためであり、しかも、無条件で、代価を考えずにやっています。役職を重く見ている人は誰一人もいません。もちろん、マスコミの運営が良くなり、給料を払えて、ひいてはボーナスも支給できて、手当ても厚くなれば、私も皆さんのために喜びます。前提はこの条件が整っていることです。
弟子:西洋の学習者と台湾の学習者と多く接触した後、邪党の文化環境に育てられた大陸の学習者は深く毒害されていると感じました。考え方から言動まで、本当にしっかりと根を掘り起こすべきです。
師:実は中国大陸の人が西洋社会に来てから、まず西洋社会のここがよくない、そこがよくないと批判するのです。なぜでしょうか? 皆中共悪党のやり方に慣れてしまったからです。時間が経つにつれ、悪党のやり方こそ、悪いもので、しかも非常に邪悪だと気づくのです。長い間、党文化を注ぎ込まれたから、このようになったのです。悪党以外の生活様式こそ、人間の自然な生活様式であり、誰もあなたに何かを注ぎ込もうとしません。ですから、海外で長く生活した人は、中国大陸に戻ると、大陸の人の話を聞いて、可笑しいと感じます。言っているのはみな、「党八股」の決まり文句で、邪党の文化はすでに人々の生活に浸透し、ひいては頭の隅々にまで浸透し、人間の行為、挙動、言語、また表情と目つきにまで悪党の文化が入っています。(皆笑って) もちろん、これは重要なことではありません。大法弟子の正念さえ強く、何が正しいのか、何が間違っているのかを知っていれば、これらの形成された習慣は徐々に取り除かれます。これらは重要なことではありません。
弟子:個人の修煉段階で、病業の関に遭う時、業を滅しているのだと分かり、耐えることと、法に対する堅い信念によって、乗り越えることができ、最終的に師父は業を消してくださったのです。しかし、法を正す修煉段階で、旧勢力とその黒い手や卑しい鬼、および悪党の邪霊による弟子の体に対する迫害は、病業と同じ現れ方ですが、旧勢力の迫害を認めてはいけないので、ひたすら耐えてはいけません。法に対する堅い信念と正念を発することによって、迫害を否定し、同様に背後の邪悪な要素を消すことができるでしょうか?
師:強い正念でも止めることができません。大法弟子は修煉を始めたその日から、あなたの人生は按排し直されたのです。つまり、あなたのこの人生は修煉者の人生となり、いかなることも偶然ではなくなり、偶然なことが現れることもありません。人生の道のりにあるすべては、あなたの向上と修煉と直接的な関係があります。按排が決まってから、誰も変えることはできません。変えてしまうと、天の法を犯すことになります。師父だけが変えられます。しかし、旧勢力はこのすべてを破壊するために、法を正すことによって動かされた旧宇宙の生命と一緒に、法を正すことに協力するという名の下で、法を正すことに参与し、巨大な間隔を作りました。私の法身はあなたの道を変えることができますが、大法弟子の修煉の道がすでに相当、細かく按排されたため、大法弟子のちょっとしたことを変えるだけでも、全部やり直さなければなりません。この巨大な工事は、法を正す洪大な勢いが押し進む中、大法弟子の個人の変化と同時に行われています。しかも、全宇宙の九十九パーセントはすでに、法によって正され、法を正す時期の大法弟子はすでに、最後の段階に向かっています。一人の生命を変えるために、宇宙の中ですでに法によって正され終えた部分をもう一回変えることをしてはいけません。ですから、多くの大法弟子は修煉の中で、しっかり行なうことができず、何かの問題が現れたとき、あるいは関をなかなか乗り越えられないとき、師父に直接、解決してほしいと思っていれば、師父は新宇宙と旧宇宙の、あなたと関連するすべての部分を全部やり直さなければなりません。法を正す中で、この数年間経験したことも全部変え、時間を逆戻りして、すべてをもう一回やり直さなければなりません。これほど大きな問題と関わっています。ですから、皆さんに教えますが、本当に変えてはいけません。修煉して到達した次元はあなたの次元になり、最後にそれ以上、上がっていけないのも、旧勢力の要素によって妨害されたことの現れです。実は、関を乗り越えられないことに、多くの要素があります。本当に早めに去ってしまった人は、三つのことを行なっていた大法弟子であれば、必ず圓満成就します。ただ、次元の違いがあります。
私が自ら、あなたの道を変えてしまえば、邪悪も隙に乗じてくるのです。新宇宙まで汚染されてしまいます。法を正すことは、絶対的に厳粛であり、修煉を始めるときにしてあげるべきことは師父が全部行ない、今はあなたの正念を頼りに関を乗り越えなければなりません。正念が強ければ、師父は手助けしてあげることができます。あなたの正念が充分ではなく、基準に達していなければ、師父は何かをしてしまうと、それほど大きなことに関わってしまいます。ですから、大法弟子の修煉の道がいったん、按排されると、基本的に誰も軽々しく変えてはならず、良いものも、悪いものもあなたに対して、成す術はありません。誰かがあなたに、特別に良いものを与えようとしても、それはできません。誰かがあなたに、あなたの修煉の過程に元々ない、特別なものを与えたり、あなたをもっと迫害しようと思っても、やり遂げることができません。しかし、あなたがしっかり行なわなければ、それによってもたらされることがあります。私が言ったことは分かったでしょうか?(拍手)
多くの学習者は、私が以前、常人の病気を治療するのを見ましたが、私はまったく手を動かす必要はありません。あなたを見るだけで、あなたは治るのです。あなたを見たとき、神通を打ち出したのです。私は体のいかなる部分からも神通を打ち出すことができます。打ち出したあと、あなたの病気はすぐに治ります。人間はなんと言っても、人間であり、「手を動かしていないのに、なぜ治るのか」と時に思ってしまうため、私は多くの場合、手を動かさなければなりません。いかなる病気でも、ほぼ、たちまち治るのです。常人のどの病気も私は治すことができ、全部治すことができます。しかし、大法弟子の場合は、違います。もちろん、ここまで話しましたが、皆さんの誰もここに常人を連れてこないでください。私は病気治療をしません。大法弟子が今日まで、修煉したのは、容易いことではありません。いかなる厄介なことにも割り込まれ、妨害されてほしくはありません。一人の常人の病気を治すために、その人の一生に関係してしまい、彼と各空間との因縁関係を解決してはじめて、彼の病気を治すことができます。その人が作った借りを全部善解し、借りを取り立てにくる生命にメリットを与えて、はじめてその病気を治すことができるのです。今、師父はこれらのことをしたくはないので、大法弟子の修煉過程にほかの厄介なことがないように、基本的に誰に対しても行なっていません。いったん、ある方面をきちんと対処することができなければ、厄介なことは直ちにやってきます。余計にやってきた厄介なことは、妨害をもたらすのです。ですから、基本的にこういう情況です。
弟子:悪人または、ほかの空間の邪霊が弟子をひどく迫害したとき、病院に行って、常人の対処方法を取った学習者がおり、注射を受けたり、薬を飲んだりして、病状を緩和しました。これは修煉者の体に大きな傷害を与えることになるのでしょうか? まだ修煉できるのでしょうか? 邪悪の体に対する迫害から抜け出せないとき、常人の手段を採ってもよいのでしょうか?
師:修煉者が重んじているのは、正念です。正念が強ければ、何でも食い止めることができ、何でも行なうことができるのです。あなたは修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです。(拍手)
早期のとき、すでに皆さんにお話しましたが、私は地獄から、すべての大法弟子の名前を消したのです。常人のすべての人は地獄の名簿に名前が載っています。以前、地獄の名簿に載っている大法弟子の名前を私はすでに、消しており、地獄から除名したのです。そこに皆さんの名前はありません。言い換えれば、あなたはまったく、三界内の生命ではなく、すでに常人ではないのです。ですから、正念が強ければ、何でも解決することができます。あなたの体に現れた病業は、関を乗り越えるためのものであり、見た目は、必ず病業の状態になり、決して神が病気にかかるような現れではありません。それなら、正念で対処すべきです。あなたは修煉者だからです。ですから、それは決して本当の病気ではありません。しかし、その現れ方は単純なものではありません。旧勢力がどのように思っているのかをご存知でしょうか? 「師父であるあなたは、病業についての法をこれほどはっきりと説いた」と思っているのです。そうです。当時、学習者がなかなか病業の関を乗り越えられないとき、私はこの方面のことを本当にはっきりと説きました。在席の学習者もこれを知っています。しかし、法理がいくらはっきり説かれても、修煉の難しさはこれによって軽減されることはなく、かえってもっと厳しくなるかもしれません。例えば、悟っただけではだめで、正しい念と正しい行ないがあってはじめて、乗り越えられるようになる、という情況です。修煉の中で、正念が強くなければ、関をしっかり乗り越えることができず、長引いてしまいます。しかも、正念が強くならなければ、自信を失ってしまうこともあります。自信を失って、邪に悟ってしまった人がいたのではありませんか? ですから、時に、皆さんは師父に法をもっとはっきりと説いてほしいと思っていますが、法理に対して堅い信念を持っていない学習者なら、これはあなたの修煉を代替することができません。もちろん、もう一つの側面から見れば、正念が強く、法理が分かった後、信念がさらに堅くなった大法弟子なら、いかなる関をも乗り越えることができるのです。
しかし、逆から言えば、新しい学習者、またはそれほど精進していないと自分も思っている人は、病気にかかって、やはり病院に行きました。行ってもよいのであって、修煉の過程として考えればよいのです。これから修煉がさらに良くなったときになると、どのように行なうべきかが、次第に分かってくるのです。修煉には、どうしても過程が必要で、人間に機会を与えなければなりません。もちろん、精進している学習者なら、何も言う必要はありません。心細くなった学習者が病院に行っても、師父はあなたを指摘しません。修煉の中の一歩一歩を全部しっかり歩んできた人は、誰もが敬服し、神も、師父までも敬服するのです。一人の弟子が順調に圓満成就し、(皆笑って)一回も転んだことがなければ、(皆笑って)、皆さんに教えますが、この人は神かもしれません。(皆笑って) もう一つの可能性は、師父の按排が悪く、関はあまりに小さいものばかりで、彼は全部乗り越えたということです。ですから、按排された関は、多くの場合、向上さえすれば、乗り越えることができますが、向上できなければ、乗り越えることができません。基本的にこういう情況です。間違ったら、修煉の過程の一つの状態としか言えません。この人がだめだ、またはこの人はもうこの状態でしかないと言ってはいけません。これは過程の中の状態に過ぎないのです。時に本当に正念が足りなくて、これ以上我慢できなくなりますが、どうしましょうか? それなら、病院に行ってください。(皆笑って) そうです。(笑) 病院に行けばよいのです。
道理は次のようになっています。つまり、神がどうして、常人に病気を診てもらうのでしょうか? 常人がなぜ神の病気を治すことができるのでしょうか?(拍手)(笑) これは法理なのです。しかし、表面では、あなたは本当にそれほど強い正念がなく、正しく判断できないとき、病院に行けばよいのです。心が不安になっていること自体、基準に達していないということで、そのままにしても、変化はありません。面子のために我慢し続けていれば、執着に執着が重なることになります。この場合、二通りの選択しかありません。一つは病院に行って、関を乗り越えることを止めます。もう一つは、心を徹底的に放下し、れっきとした大法弟子らしくなり、怨みも執着もなく、残るか去っていくのかを師父の按排に任せます。このようにすることができれば、つまり神なのです。
弟子:マンハッタンで真相を伝えることが終わって、各地の学習者はそれぞれのところに戻り、法を実証しています。大陸からの大法弟子は、自分の情況に基づいて、大陸に帰って、真相を伝えるべきでしょうか?(皆笑って)
師:迫害されて、出てきたのであれば、くれぐれも帰らないでください。すでに出てきたので、ここで真相を伝えましょう。もし、大陸に戻って、環境がそれほど厳しくなければ、別のことになります。それなら、帰ってください。問題はありません。もし、帰ったら危険があるのならば、帰らないでください。
弟子:新年の特別公演が、衆生を救い済度するために行なわれるのであれば、入場券をただであげて、金儲けのことを考えるべきではない、または値段を安くすべきだという考えは正しいでしょうか?
師:正しくはありません。大法弟子は法を正す時期の大法弟子です。当時、皆さんが大法の本を買うとき、私はただであげたくてたまりませんでした。しかし、これは法を正す時期の修煉者を相手に行なうことです。常人にとって、無条件で何かを得ようとするのは、この空間の理にも合っていないのです。大法弟子として、無条件に相手にあげることができますが、これは大法弟子の慈悲なのです。
しかし、大法弟子が運営しているマスコミがとても大変である、と皆さんは考えたことがありますか? 関わっていない人なら、分かりませんが、テレビ局、新聞、マスコミを維持するための費用はとても厳しいのです。マスコミの広告収入が大きく増えて、良い循環ができるようにと皆さんは考えています。これは私の願いであり、マスコミの運営に関わるすべての学習者の願いでもあるので、ずっと広告に力を入れています。新唐人テレビ局の特別公演を開催して、収益があれば、とても良いことではありませんか? ラジオシティのクリスマスの公演は、主催者も新唐人の演出やプログラムより劣っていると認めていますが、チケットはとても高かったのです。彼らは一カ月に九十回も公演をして、一年のすべての費用や給料を全部賄えたのです。それならば、新唐人はなぜこのようにしてはいけないのでしょうか?
チケットのことですが、新年特別公演のレベルと大法弟子が払った努力から考えれば、実はこの値段は高くはありません。アメリカのどこも同じで、アメリカの生活水準に地域の差はありません。本当の問題は知名度の問題なのです。チケットを買って、ほかの人にあげたいと思っている学習者がいて、チケットが安ければ、たくさん買って人にあげたいのですが、高いから買えないし、あげることもできないと思っています。たぶん、この問題があるから、文句を言っている学習者がいます。もちろん、このチケットは一律の金額ではなく、座席が違えば、安いのもあります。しかし、この二年の経験から、次回からチケットの値段を調整してもよいのです。または、大法弟子のための公演を一回開いてもよいのです。
弟子:大法弟子が法を実証するテレビドラマを制作したいのです。内容上、国内の場面が必要なのですが、どうしたらよいでしょうか?
師:実は場面の問題は簡単に解決できます。ご存知のように、映画の合成は簡単な技術です。必要な場面の背景だけを誰かに撮ってもらえばよいのです。
弟子:サンフランシスコに多くの同性愛者がいて、そこの多くの常人もこの行為に賛成しています。邪悪は師父の経文に書かれている、同性愛者に関する語句の一部を取り出して、大法を攻撃しています。師父にお伺いしますが、私たちは大々的に公に反論するのか、それとも毒害された人に個別に真相を伝えたほうがいいのでしょうか?
師:個別に真相を伝えればよいのです。相手にする必要はありません。ご存知のように、法がこの世を正すときのことに、今は絶対関わらないと、私ははっきりと線引きしています。旧勢力にしても、邪悪な卑しい鬼にしても、現段階でやるべきではないことを引き起こそうと思ってもできません。騒いでいるように見えますが、必要以上に相手にする必要はありません。私は自分が何をしているのかを分かっています。何か言われたら、それを考えますが、私が行なおうとすることは、決して妨害されることがありません。私は今日、法を正すときもこのように行なっており、全宇宙で法を正すときもこのように行なっています。つまり、誰からのいかなる提案も聞きますが、私はやはり、行ないたいことを行ない、誰もこれを変えることができません。(拍手) 皆さんも同じように、自分が何をしているのかをわかっていなければならず、正しい選択を確定したら、誰にも、どんなことにも妨害されてはいけません。大法弟子の修煉の中で、真相を伝え、衆生を救い済度し、迫害に反対する中で、様々なことが起こりますが、いずれも皆さんのこの最も重要なことが妨害されてはいけません。このことは必ず、正しく判断すべきです! 社会で何かの出来事が起きて、ひいては大法の迫害に反対することに有利なことが起きたからといって、大法弟子が皆修煉をやめて、そのことを行なってしまうというようになってはいけません。修煉は修煉なのです。
弟子:古代に、多くの見識ある君主や人は、自分の過ちを指摘してくれた人に感謝し、何の恨みも抱かないという高尚な物語があります。自分は批判を受け入れる面での修煉がしっかりしていないと痛感しています。弁解したいという心があるから、時に相手との意思疎通をきちんとすることができません。
師:弁解に触れましたので、(笑)思い出しました。中国大陸の学習者と台湾の学習者は問題に対処するときに違いがあると、このように言ってくれた人がおり、私も確かにそのとおりだと思っています。台湾の学習者が、もし、何かをしっかり行なうことができず、誰かに指摘されると、それを受け入れ、弁解をしません。しかし、中国大陸の学習者なら、何かをきちんと行なうことができず、他人に指摘されると、すぐに「あなたは分かっていません。当時はこういう情況、ああいう情況だったのです」と言うのです。(笑)(皆笑って、拍手) 本人も直接反論するのが、修煉者としてよくないと知っているので、遠回りして責任から逃れようとし、弁解しています。間違ったら、それを認め、素直に認めればよいのです。間違ったことをしたら、それを間違いとして認めます。間違いを認める勇気のある人こそ、ほかの人から認められ、敬服されます。このような人は神までも敬服するのです。(拍手) この道を最後まで歩んだ人は、神に「どの時期にも人からの批判に正しく対処したのですか? それを見せてください」と聞かれると、何にも見せるものはありません。(皆笑って) 何の間違いもなく、誰からも批判されたことはないとあなたは言うのですが、これはあり得ることでしょうか?
人間として、間違いがないのは、あり得ることでしょうか? 修煉しているのは人間であり、間違いがないのは、なぜあり得るのでしょうか? それなのに、あなたは間違いを認めたことはなかったのです。(皆笑って) これでは漏れるところがあるのではありませんか? 修煉の中で漏れがあるのではありませんか? これから、私は、誰が間違いを認めることができるのかを見てみます。(皆笑って、拍手) 間違いを起こさない人がいるのでしょうか? 間違いがあってもたいしたことではありません。しっかり対処すればよいのです。そうではありませんか? しかし、肝心なのはあなたのその心です。修煉して人心を取り除くことではありませんか? いつも避けて、拒んで、それを取り除こうとしなければ、それこそ大きな問題なのです。
弟子:サンフランシスコのチャイナタウンで真相を伝えることの重要性と特殊性についてお話をしていただけますか?
師:あのチャイナタウンのことをご存知でしょうか? あの町のすべての店舗はほとんど、大陸と取引しています。店主は皆、大陸から来た人です。ベイエリアでいくらしっかり行なっても、そこの華人はばらばらに住んでおり、中共悪党は居場所がありません。しかし、ばらばらに住んでいる人もよくチャイナタウンに行くので、あそこをおろそかにしてはいけません。中共悪党に立脚する場所を一つでも残してはいけません。(拍手) どこにあっても、それを取り除くべきです。決してこの悪魔に人を害させるわけにはいきません。
弟子:真相を伝える中で、多くの常人は大法が良いと分かり、大法弟子に善意をもって接していますが、脱党したくはありません。このような人に未来があるのでしょうか? どのようにしたらよいのでしょうか?
師:人間がどのようにしたいのか、自分自身が決めることです。皆さんが行なうべきことであれば、大法弟子は必ず、それをやり遂げなければなりません。自分に対してやましいことがないようにしてください。
弟子:私がいる地区の大紀元時報は、資金面で大きな困難に遭遇しました。この場合、マスコミの仕事に関わっている弟子の中で、資金を集めて、問題を解決してよいのでしょうか?
師:このことは、私がしたことはありません。なぜなら、法を伝える初期のとき、私は資金を集める行為を絶対に許さなかったからです。後期に入って、とても困難な時期でも、大法弟子から資金を集めることにずっと同意していません。実は、大法弟子は皆、自分の収入で大法を実証しており、これは素晴らしいことです。これは資金集めではなく、自分自身が心からそうしたいのであって、威徳なのです。もし、それらの宗教のやり方を採れば、やはり大法を損なうと思います。ですから、私はずっとこのようにしておらず、皆さんにもこのようにしないようにと言っているのです。資金を集めてはいませんが、皆さんは自ら積極的に行なっています。前者の場合、受け身的で、後者は心からこのようにしたいと思っているのです。大法弟子は法を実証しており、威徳は大法弟子のものになります。もし私が資金を集めて、行なったことの威徳は大法弟子のものではなく、私のものになります。皆さんはできるだけこのように行なわないでください。どうしても困っていれば、一部の余裕のある学習者と相談してみてください。
弟子:救い済度される人の数は半分だとおっしゃいましたが、これは中国人の人口の半分なのか、それとも全世界の人口の半分なのでしょうか?
師:まだ結論を出していません。私は、中国人の半分を救うことができれば、師父である私は皆さんのことを嬉しく思い、衆生のために嬉しく思うと言ったのです。皆さんには、今日の中国人がすでにどのようになっているのか見えないのですが、見たら、びっくりします! 中国での環境がどうなっているのか見えないのですが、その真実が人間の目の前に現れたら、とても恐ろしい光景です。悪党は中国人を鬼にしてしまい、人間の行為はすでに、相当低下し、人間の最低レベルよりも、すでにはるかに下がってしまったのです。その上、法輪功への迫害がさらに加わります。
弟子:タイの大法弟子を代表して、尊敬する師父にご挨拶を申し上げます。プサン、ドイツ、瀋陽市、遼寧省朝陽市、長沙市の大法弟子、湖南省の不法に監禁されている大法弟子は、偉大で慈悲深い師父にご挨拶を申し上げます!
師:ありがとうございます。(拍手) 大陸のある弟子から挨拶をもらっていますが、名前を伏せておきます。大法弟子を守らなければなりません。
弟子:ネット技術を開発している日本の学習者と一緒に仕事をするとき、いつも以前、道を踏み外した学習者に出会います。これに対して様々な意見がありますが、技術力のある学習者が少ないので、このような学習者と一緒に仕事をしてもいいのでしょうか? 師父にご教示をお願いいたします。
師: 道を踏み外して、間違いを起こしましたが、戻ってこられれば、何よりです。最も恐ろしいのは、未だに執着と迷いの中にいることです。もし戻ってきて、再び大法弟子の中で悪いことをしなければ、皆さんが具体的な状況を判断して決めてください。これらのことは、師父に決めさせないでください。
弟子:ラジオ放送の評論番組に、大法に反対しておらず、邪党に反対している人であれば、できるだけ多く常人を招いて参与させることは、大丈夫でしょうか?
師:大丈夫でしょう。これは問題ないと思います。評論番組を作るためなので、大丈夫でしょう。
弟子:妻はある技術関係のプロジェクトに参加しており、多くの時間と精力を費やしましたが、協調人から不公平な待遇を受けていると思い、ほかの学習者に協力したくありません。そのため、現在彼女の技術は法を正す仕事のために役立っていません。彼女がずれてしまうのではないかと心配しているので、師父の慈悲深いご教示をお願いいたします。
師:実は、心を放下できず、関が大きくなって、耐えられなくなったということです。自分が気づいていないのでしょうか? あなたはすでに大法弟子の修煉状態から離れ、法を実証する環境から離れようとしています。
人に触れられたくない自分の心が、人から刺激されると、本当に辛いことです。また、どうしても人の意見を聞きたくない学習者もいれば、自分の意見が採用されなければ、機嫌が悪くなる人もいます。これはすべて人心であり、とても頑固な人心なのです。あなたの言ったことは、必ず採用されなければならないのでしょうか? 何度も根気よく説明してもだめだと言っている人がいます。実際の客観的な情況は、あなたが想像しているような簡単なものなのでしょうか? 多くのことに関して、全体からの協調が必要です。また、あなたと一緒に仕事をする人は、本当にあなたほど修煉がよくできていないかもしれませんが、だからといって、その人はもう大法弟子ではないのでしょうか? そのため、協調し合わなくなってもいいのでしょうか? しかも、あることに対して、誰もが自分の考えを持っているので、いくらよい考えでも、採用されないかもしれません。そのため、協力をしなくなるのでしょうか? プロジェクトの責任者は、出された意見と全般の事とのつながり、相互の間の関係を考えなければなりません。これは責任者の考えとほかの人の考えが異なっていることの根本的な原因です。
一部の学習者は、自分の技術が最も高いと思って、否定されたら、自分でやると思っています。実は、あなたはすでに、意地になっています。このようにすべきではありません。責任者はきっと自分なりの考えを持っています。大法弟子なので、お互いにどのようにすれば、より良く協力できるのかを考えるべきです。自分の意見がいくら良くても、採用されなければ、皆がよいと思っているやり方に協力し、よい結果を得られるように手伝うべきです。しかも、修煉なので、できるだけ自分が行なうべきことをしっかり行なうのです。自分の技術が採用されれば、はじめて修煉が向上できるというわけではありません。どのようによく協力しあい、これらの仕事を一緒にうまくこなしていくのかを考えるのが、修煉者の状態であり、これこそ、最も重要なのです。
私の話はこれくらいにしましょう。質問に全部答えました。(熱烈な拍手) 一部の質問は大会の組織者から取り除かれたかもしれません。時間の関係で、確かに全部答えられません。ですから、毎回の法会で、彼らは重複している質問、または法会全体にとって大きな作用のない質問を取り除くようにしています。いずれにせよ、修煉者として、必ず修煉者のやり方、修煉者の考えで物事を考えなければならず、決して常人の考えで物事を考えてはいけません。あなたがぶつかったいかなる問題も単純なことでも、偶然なことでもなく、常人の中の問題ではありません。必ず修煉に関係があり、あなたの向上に関係があるのです。あなたは修煉者なので、あなたの生命の道は変えられ、あなたの修煉の道は新たに按排されたものなので、この道に偶然なことはありません。しかし、その現れ方は必ず偶然の状態なので、この迷いの中、常人と同じ状態の中で、はじめてあなたが修煉しているかどうか、あなたの修煉がよくできているかどうか、あなたがこの次々と現れてくる関を乗り越えられるかどうかを見ることができます。これこそ修煉であり、これこそ正しい悟りの道なのです!
法を正す時期の大法弟子は、現在はこの状態です。将来は違います。将来の大法弟子の修煉はこの状態ではありません。この時期の大法弟子は厳しく要求されており、責任が重大で、背負っている歴史の使命があまりに大きいため、(拍手)迷いの中で修煉するという状態は非常に重要になりました。感じることができず、自分の修煉の実質が見えないから、精進しないというようにならないでください。皆さんくれぐれも気をつけてください。多くのことについて、修煉の環境の中で、あなたは間接的に知り、分かるようになるはずです。さらに、大法の法理もあり、これらのことは、充分にあなたの正念を強めることができると思います。
師父が説いているこの大法の法理について、在席の中に、以前佛教や道教の中で、いくらかの本を読んだ人、ひいては居士になった人、あるいはどこかで修煉したことのある人がいますが、それらの法理に、ここまで説明されたことがあるのでしょうか? これほど洪大で、これほどはっきりと説かれたことがあるのでしょうか? これは歴史上、かつてなかったことです。もし、でまかせで言っているのであれば、決してこのようなことが現れず、皆さんが見たそれらのことも決して起きないと思います。悪党の邪霊もそれほど恐れることはないはずです。私、李洪志が話したことは、常人の知識で考えると、すでに現代人の知識と現代知識の範疇をはるかに超えています。場合によっては、多くの学問の分野で言われている謎をも、私は説き明かしました。これらは本の中で見つかるものでも、社会で学べるものでもありません。皆さんは修煉の中で分かっていますが、これは佛法であり、宇宙の大法、宇宙の真理を真に解き明かした法なのです。私は人類にとってもっと興味深い多くのことを話すことができますが、それは次の段階で行うことです。人類の起源や、それらの細かいこと、歴史上の異なる時期の謎、人類の異なる時期のさまざまな事件、歴史上のさまざまな人物、人間が信じていない未確認現象、神仙なども含めて、すべて未来の人類社会に現れてきます。そのとき、私は違うやり方で、将来の弟子を導き、違うやり方で彼らに修煉状態を与えます。今は、この状態なのです。
大法弟子は、圓満成就に向かっていく最後の一歩まで、やり遂げるかどうかの試練を受けなければなりません。修煉が終る前の最後の一歩も、あなたにとって非常に肝心な試練になる可能性もあります。一歩一歩は皆さんの修煉、皆さんの試練に対して、ますます重要になっています。最後の段階になって、特にこのようになります。皆さんが知っている旧宇宙のそれらの乱れた神は、それらが存在している限り、最後まで左右しようとしています。あなたがだめになったら、それらは必ず手を尽くしてあなたを落とします。それらは、李洪志があなたを見捨てないのを知って、さまざまな手段を使ってあなたを落とすのです。人間の一念がしっかりしていなければ、自分を動揺させてしまいます。ですから、最後になればなるほど、皆さんに対する試練も厳しくなり、もっと肝心になるのです。
長い間、このように迫害されている状況下でも、大法弟子は依然として、動揺することなく、絶えず法を実証しており、とても大変です。得たものが容易に手に入れたものではないので、なおさら気を緩めてはいけません。くれぐれも一時的な愚かさで、または徐々に自分に対して気を緩めてしまうために、修煉状態から離れるようなことにならないでください。機縁を失えば、すべてはおしまいになります。邪悪は手を尽くして、あなたを引き落とすようにしています。一部の神は、あなたたちが修煉して上がっていくことを望んでいないのです。皆さんが「それらは私たちのために考えており、私たちが修煉して上がっていくためにやっている」という考えを持ってはいけません。そうではありません! それらは、あなたたちが上がって行かれないように手を尽くしてあなたたちを引き摺り下ろしています。皆さんはこのように認識すべきです。実際もこの情況なのです。異なる境地の神はそれぞれの境地の考えを持っており、法が正される中で、それらは宇宙の最終的な真相が見えないので、法を正すことと大法弟子に対して、認めようとしません。真相を知っている神だけが、ことの重大さを分かっており、でたらめにやっていないのです。もし、全宇宙の今回の法を正すことが失敗したら、宇宙は二度と存在しなくなり、すべては解体してしまいます。物質の本源まで解体してしまうため、物質のない天体の中で新たに何かを作り上げようとすれば、その過程はとても恐ろしい時間の経過になります。しかも、その機縁とその条件がなければ、ものを形成することもできないのです。
大法弟子なら、皆知っていますが、私が説いたことは、ますます次元が高くなり、大きくなり、ますます法を正す中での一部のことを明らかにしてきました。新しい学習者や、精進していない学習者にとって、あなたの理解力を超えたら、ますます理解できなくなるかもしれません。仕方がありません。私は、法を正す全体の形勢から、法を説かなければならないので、このように話すしかありません。法を得たすべての人が、法を大事にし、今回の機縁を失わないように望んでいます。以前、説法の初期に、私は「もし、私があなたを済度できなければ、誰もあなたを済度できない」と話したことがあります。実は、済度できないだけでなく、このような機縁は二度とありません。なぜなら、今期の人類はここまで来て、すでに最後に至ったからです。今回の法を正すことと、法がこの世を正すことが終わると、次期の人類はすでに新人類になり、残された人も変化が生じ、外形まで変化が生じるのです。
話はこのくらいにしましょう。最後になって、ますますしっかり行ない、くれぐれも怠らず、緩めず、無頓着にならないように望んでいます。また、先ほど話しましたが、大法弟子に欠けていて、漏れているのは、互いの批判を受け入れられないという問題です。他人からの正面の意見、ひいては反面の意見をも受け入れなければなりません。心を突かれることを拒んではいけません。この心は今から、全部取り除かなければなりません。これは、私が普段の説法の中で、皆さんに少しずつ向上することを要求している問題とは違い、これは非常に肝心な、最後の大きな問題であり、今すぐ取り除かなければなりません。話はこのくらいにしましょう。(熱烈な拍手)
後ろの学習者ははっきり聞えたのでしょうか。 聞えたでしょう?(拍手) 後ろの学習者は離れていますが、大丈夫です。私の無数の法身は皆さんの後ろにいます。(笑)(弟子たちの熱烈な拍手)