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大 圓 満 法

一、功法の特徴



 法輪佛法は佛家上乗の修煉大法であり、宇宙の最高特性である「真善忍」に同化することを根本とし、宇宙の最高特性を指導として、宇宙の演化原理に基づいて修煉する。よって我々が修めるのは大法大道である。
 法輪佛法は直接人心を指し、心性を修煉することが功を伸ばす要だと明確にしている。心性が高ければ功もそれだけ高い、これは宇宙の絶対の真理である。心性は徳(徳は一種の白色物質)と業(業は一種の黒色物質)の転化を含み、常人の各種の欲望、各種の執着心を捨てることを含む。また苦の中の苦に耐えられるなど、また多くの方面の次元を高めるために修めなければならないものを含む。
 法輪佛法はまた命を修める部分があり、これは佛家上乗大法の大圓満法の動作を通じて煉らなければならない。動作は一方は強大な功力を用いて功能と機制を強め、従って法が人を煉ることに達する。もう一方は身体の中でまた多くの生命体を演化し出す。高いレベルで修煉すれば元嬰すなわち佛体が出て、また多くの術類のものを演化し出し、これらのものはいずれも手法を通じて演煉する必要がある。動作はこの大法の圓容圓満となる一部分であり、これは完備な一式の性命双修の修煉方法であり、大圓満法とも言う。それでこの大法は修め煉ることを必要とし、修が先で、煉は後である。心性を修めず、ただ動作を煉るだけでは功は伸びないのである。ただ心を修めるだけで大圓満法を煉らなければ、功力は阻まれて、本体も変化できない。
 更に多くの縁のある士と多年修煉して功が伸びない人が法を得、初めから高い次元で修煉し、迅速に功力を増長してずっと圓満に達するようになるために、特に私が過去万古はるか久しい昔に証悟した修佛大法を伝え出した。この法は圓容明慧で、動作は簡単精練であり、大道は至簡至易である。
 法輪佛法の修煉は法輪を中心とする。法輪は霊性のある旋転の高エネルギー物質体である。私が修煉者のために下腹部に下した法輪が毎日24時間旋転して停まらず(真に修める者は私の本を読み、あるいは私の説法録画を見、私の説法録音を聞き、大法学習者に従って学んで煉っても法輪を得ることができる)、自動的に修煉者の煉功を助ける。つまり、修煉者はいつも功を煉っていなくとも、法輪はかえって絶えず人を煉っている。これは現在世界で伝え出されたあらゆる修煉法門の中で唯一「法が人を煉る」に達することができる修煉方法である。
 旋転している法輪は宇宙と同じような特性を具えており、それは宇宙の縮図である。佛家の法輪、道家の陰陽、十方世界の一切、法輪の中に反映されないものはない。法輪は内旋(時針回り)すれば自らを済度し、宇宙の中から大量のエネルギーを吸収して、「功」に演化する。法輪は外旋(逆時針回り)すれば人を済度し、エネルギーを放射して、衆生を済度し、一切の不正確な状態を正す。修煉者の近くにいる者は皆受益する。
 法輪大法は修煉者を宇宙の最高特性――「真善忍」に同化させるもので、他のいかなる功法とも根本的な区別があり、その独特なところは主に以下の八つの点である。
     

 (一)法輪を修煉し、丹を煉らず、丹を結ばない


 法輪は宇宙と同じ特性を具えており、一種の霊性のある旋転する高エネルギー物質体である。それは修煉者の下腹部のところで旋転して停まらず、絶えず宇宙の中からエネルギーを採集し、エネルギーを演化し、そしてそれを功に演化し、それゆえ法輪大法を修煉すれば功が伸び功を開くことはとても速い。千年の修道者もこの法輪を得たがっているが、彼は得られない。目下、社会で伝え出された功法は全て丹道を歩み、全て丹を結ぶものであり、丹道気功と言う。丹道気功の修煉者は生きている間に功を開き、悟を開くことに達することは非常に困難である。
 

 (二)人は功を煉っていないが、法輪はかえって人を煉っている


 修煉者は毎日仕事をし、勉強をし、ご飯を食べ、寝るなど、人は24時間も煉功することはできない。しかし法輪がいつも回って止まらず、それは24時間修煉者を助け煉功をし、これで人はいつも煉功していなくとも、法輪はかえって絶えず人を煉っていることになる。簡単に言えば、人は功を煉っていないが法が人を煉っている。現在世界で、国内あるいは国外を問わず、伝え出されたあらゆる功法の中で、誰も仕事と煉功の時間の矛盾の問題を解決しておらず、法輪大法だけがこの問題を解決し、唯一法が人を煉るに達することができる功法である。
 

 (三)主意識を修煉して、自ら功を得る


 法輪大法は主意識に対して修煉し、修煉者に明白に自らの心を修めさせ、一切の執着を放下させ、本人の心性を高めさせる。大圓満法の中で煉功する時、ぼんやりとしてはならず、自分を忘れてはならず、いつも主意識で自分を支配して煉功する。こうして煉り出した功が自分の身体に生まれ、自ら功を得、自分でこの功を持って行ける。法輪大法が貴重なところは自らが功を得ることにある。
 千万年来、常人の中で伝え出された他の功法は皆副意識を修めるもので、修煉者の肉体と主意識はただ媒体の作用をするだけである。圓満の時、副意識は修めて上がって、彼は功を持って行くが、修煉者の主意識と本体は何も持つことはなく、一生修煉しても今までの功が水の泡になる。むろん主意識を修煉する時、副意識も一部の功を得て、彼は自然に従って向上する。
 

 (四)性を修め、命を修める


 法輪大法の性を修めるとは心性を修めることを指しており、心性の修めることを一番に置き、心性が功を伸ばす要だとしている。つまり、次元を決定する功は煉ってできたのではなく、心性を修めることによって修めてできたのであり、心性の高さが功の高さである。法輪大法の言う心性は、「徳」に含まれる範囲よりずっと広く、徳を含む各方面の内容がある。
 法輪大法の命を修めるとは長生の道を指しており、煉功を通じて本体は変化し、本体を捨てず、主意識と肉体が一つになって、全体の圓満成就に達する。命を修めることは根本から人体の分子成分を変え、高エネルギー物質で細胞成分に代替して、別の空間の物質で構成した身体になる。この人はそれでいつも若さを保つようになり、根本の問題から着手するので、法輪大法は真の性命双修の法である。
 

 (五)五式の功法は、簡単で学びやすい


 大道は至簡至易である。巨視的にみれば、法輪大法の動作はとても少ないが、煉るものはとても多くとても全面的で、身体の各方面を制御しており、出るべき多くのものを制御している。五式の功法を全部修煉者に教える。初めから修煉者の身体のエネルギーの塞いでいるところを疎通させ、大量に宇宙のエネルギーを吸収し、極めて短い時間の内に体内の廃棄物を排除し、身体を浄化させ、次元を高め、神通を加持し、浄白体の状態に入る。この五式の功法は遥かに一般の通脈法、あるいは大小周天を超えており、彼は修煉者のために一番便利で、一番速く、一番良い、しかも一番得難い修煉法門を提供した。
 

 (六)意念を持たず、偏りが出ず、功の伸びが速い


 法輪大法を修煉することは意念を持たず、意守せず、意念による導引をせず、従って法輪大法の修煉は絶対安全であり、偏りが出ないことを保証できる。法輪も修煉者の煉功に偏りが出ず、心性が悪い人の侵入を受けないことを保証でき、また自動的に一切の不正確な状態を正すことができる。  修煉者はとても高い次元に立って修煉するので、苦の中の苦に耐え、忍び難い事を忍び、心性を守り、専一にして実修することさえできれば、幾年間の内に「三花聚頂」に達することができ、これは世間法修煉の中で達する最高の次元である。
 

 (七)煉功は場所、時間、方位を講ぜず、功を収めることも講じない


 法輪は宇宙の縮図である。宇宙が旋転していて、各星系が旋転し、地球も自転し、東西南北の区別は無い。法輪大法の修煉者は宇宙の特性に基づいて煉っていて、宇宙の演化原理に基づいて煉っているのである、だから、どの方位に向かうことも問わず、いずれも全方位に向かって煉っているのである。法輪がいつも旋転しているので、時間の概念も無く、いつ煉功しても良い。法輪が旋転して止まらないので、修煉者もそれを収めて止めることはできず、だから功を収める概念は無く、勢を収めるだけで、功を収めない。
 

 (八)私の法身の保護があり、外邪の侵入を恐れない


 一人の常人は突然高い次元のものを得たら、それはとても危険で、生命はすぐ脅威を受ける。法輪大法の修煉者は私が伝えた法輪大法を受けた後、真に修めるにあたり、私の法身の保護がある。修煉を堅持さえすれば、法身はずっとあなたの修煉が圓満となるまで保護する。途中あなたが修煉しなくなったら、私の法身は自ずと離れていく。
 多くの人は、彼らが高い次元の法を敢えて伝えない原因は、彼はこの責任を持てず、天も許さないからである。法輪大法は正法であり、修煉者は大法の要求に基づいて心性を守り、執着心を除去し、修煉中いかなる不正確な追求も放棄さえすれば、一正は百邪を圧し、どんな邪魔もあなたを恐れ、あなたの向上と関係の無い何人もあなたを敢えて侵入しない。だから、法輪大法は理論上で伝統的な修煉方法と全く違い、各家、各門派の煉丹学説とも違う。
 法輪大法の修煉は世間法と出世間法など多くの次元に分かれる。修煉は初めからすでにとても高い起点にあり、修煉者と長年修煉して功が伸びない人のために一つの一番便利な法門を提供した。修煉者の功力と心性が一定の次元に達してから、世間で金剛不壊の体に成就することを実現し、功を開き悟りを開き、全体で高い次元に昇華することに達する。大志を持つ者は正法を学び、正果を得、心性を高め、執着を取り除いて初めて圓満となる。