正 念
大法弟子がこの特殊な歴史時期に、邪悪生命からの大法及び大法弟子と世の人々への迫害を減らすために、正念を発することは、非常に肝心な作用を発揮しました。大量な邪悪は法を正す勢いが到来する前に直ちにきれいに取り除かれ、多くの損失が避けられました。しかし、邪悪はすでに自分の末日が見えたため、その現れ方もますます死に物狂いとなってきています。大法弟子はすでに衆生が救われる唯一の希望となりました。ですから、より有効に法を正す作用を発揮するために、皆さんは真相を伝える際、必ず正念を発することを重要視しなければなりません。邪悪から隙に付け入られないように、邪悪及び自分自身にある問題をその都度きれいに取り除くべきです。現在、一部の学習者は正念を発する際の要領をまだ得ていません。坐禅をする際の状態とまったく同じ学習者もいます。そもそも、一部の学習者は坐禅をする際に、寝てしまいそうになったり、頭がはっきりしていない状態だったり、または雑念にひどく妨害されている状態にあります。これは良い効果を収めることができません。また一部の学習者が、正念を発している際、一つまたはいくつかの邪悪のところに考えを集中させているので、発した功と神通は最大限の作用を発揮できませんでした。もちろん、特殊な情況下で、単独でまたは集団で統一して一つまたはいくつかの邪悪に対して正念を発する際、このようにすべきであり、しかも集まった力は相当強いものです。しかし、普段皆さんが毎日集団で正念を発する時、更に大きい範囲で邪悪を探すべきであり、毎日、毎回一つまたはいくつかの邪悪に対して行うのではありません。
やり方ですが、①精力を集中して、頭を絶対にはっきりさせ、理性的で、念力が集中しており、強大なものでなければなりません。宇宙の全ての邪悪を粉砕することができるという唯我独尊の勢いがなければなりません。②他の空間がまだ見えていない弟子の場合、口訣を念じ終えた後、強大な念力を集中して、「滅」という字を念じてください。この「滅」は宇宙天体の大きさと同じく強大になり、全ての空間は含まれないものがなく、漏れるものもありません。③他の空間の邪悪が見える弟子は、自分自身が把握している情況に従って行なってください。正念は強くあるべきであり、智慧を駆使すべきです。一正そのものは百邪を圧するものです。④正念を発する時、目を閉じても閉じなくても、効果は同じです。目を開けたままでする際、常人社会の全てを見ても見えないようにならなければなりません。
正念を発する際に、その現れがいくら激しくても、表面は穏やかなのです。特に職場または特別な場所にいる際、掌を立てても立てなくても、効果は同じです。強大な正念を保ち、考えが集中していれば、同じ効果を収めることができます。ただ、普通の情況下では掌を立て、蓮花手印をするべきです。
損失を減らし、衆生を済度するために、大法弟子の強大な正念を発しましょう! 皆さんの威徳を示してください!
李 洪 志
二〇〇二年十月十三日
海外の電話会議における説法
この本は、邪悪による学習者への迫害を暴露し、世の人々を救い済度することにおいて、ある程度の役割を果たすことができるので、常人社会で発行することができ、常人の中で大いに宣伝することもできます。常人向けの幾つかのウェブサイトで連載することもできます。しかし、学習者への妨害を避けるために、学習者の中で広く宣伝しないでください。いかなる事も学習者の圓満成就に向かう形式、法を実証する形式を妨害してはいけません。
内容について言えば、本の中に常人の心で表現しているところが多くあります。迫害を暴露する本を書くことに執着して邪悪に転向した部分は絶対に学習者の中で広く伝えてはいけません。転向が何を意味するのか分かりますか? 実は神に見えたのは、出て来て迫害を暴露したいと思ったのは耐えられなくなったからであり、外に出たい心こそ真に捨てられない執着なのです。大法弟子はいかなる状況のもとでも、たとえ迫害を暴露するためでも、絶対に邪悪に転向してはいけません。迫害を暴露すること自体は大法弟子の修煉の最終目的ではないので、常人の心が完全に取り除かれていない学習者は真似してはいけません。なおさら学習者向けのウェブサイトで学習者に広く宣伝してはいけません。
修煉は厳粛なことであり、皆さんが修煉することによって神に成就し、同時に皆さんが法を実証することもできるので、私は皆さんに大法を伝え、かつてなかった永遠の栄光を与えました。皆さんに単なる迫害を制止する中の常人の英雄になってもらうのではなく、皆さんは旧勢力の按排と迫害を否定しながら法を実証し、それによって神になっていくのです。
李 洪 志
二〇〇四年一月十九日
正念をもって悪事を制止する
現在、大法弟子を迫害している邪悪の要素は以前と比べて、本当に少なくなりましたが、悪人と凶悪な警官はまだ大法弟子に対して悪事を働いています。これは人間が直接神に対して罪を犯しているのです。ですから、各種の方式を利用して、例えば、邪悪な行為を暴露し、真相をはっきりと伝え、または直接電話をかけるなどの方法で制止することができます。
大法弟子が現在行なっている全ては皆、世の人々と衆生を救い済度することであり、迫害を暴露し制止しているので、邪悪による各種の迫害行為を認めてはならず、迫害の中で邪悪が思うままに大法弟子を迫害することをなおさら許してはいけません。もし、凶悪な警官と悪人が勧告を聞き入れず、ひたすら悪事を働いているのであれば、正念をもって制止することができます。大法弟子は正念が強く、恐れる心がない情況下で、正念をもって逆に悪事を働く者を懲罰することができます。凶悪な警官がスタンガンを使っていても、または悪人が薬物を投与して大法弟子を迫害していても、正念を用いて、暴行を加える者の身に電流と薬物が流れていくようにすることができます。掌を立てても立てなくても、正念が出れば、これを成し遂げることができます。
各種の迫害の中で、迫害を制止するために、正念を駆使して逆に悪人を懲罰することができます。中に学習者を殴打する人も含まれています。正念が強ければ、悪人の拳と足が悪人自身の身体に当たるようになり、または凶悪な警官と悪人が互いに悪事を働き合うようになります。更に、痛みと傷が全部悪事を働いた悪人と凶悪な警官の体に移るようにすることもできます。しかし、その前提は、皆さんの正念が強く、恐れる心がなく、常人の執着、不安と恨みの心がないことであり、その状態ではとても効果的です。正念が出れば、直ちに効果が見られます。正念を発する過程で、驚かず恐れず、悪人の暴行が止まらない限り、正念を発し続けます。迫害以外では、世の中のいかなる人、いかなる出来事にも使ってはいけません。大法弟子は人を救い善を行うことを根本としており、この正念は悪人が悪事を働くことを制止するためであり、他の悪人に警告し、世の人が罪を犯さないようにするためでもあります。その目的はやはり衆生を救い済度するためです。
李 洪 志
二〇〇四年二月十五日
正念で黒い手を取り除く
現在の状況について言えば、大法弟子を迫害することに参与している卑しい鬼は既に残りが極めて少なくなるまできれいに取り除かれ、たいした作用を働くことができなくなりました。この状況下で、旧勢力が当時三界の外から入れてきた、旧勢力にも淘汰される次元が低く悪くなった各種の神の中に、佛、道または他の神の形象をしているものがいます。これらは皆「成住壊滅」の旧い法理にとっくに解体され、淘汰されるべきものです。法を正すことが始まった時、それらを三界に入れた旧勢力の目的は、法を正すことを妨害させ、大法弟子を迫害することに参与させることです。
これらのことをすれば、大きな罪を犯してしまうと旧勢力に分かっています。法を正すことに直接罪を犯すことによって、地獄に落とされることを恐れ、それらは三界の外で三界内のこれらの悪い神(黒い手)を操り、これらの黒い手は更に卑しい鬼を操って、法を正すことを妨害し、大法弟子を迫害しています。この数年来、大法弟子に加えたいかなる迫害も、それらに直接に指図されて行われたのであって、その罪は計り知れないほどのものです。それらはすでに自ら犯したこれらの罪悪に責任を負いきれなくなりました。
旧勢力の全体が消滅されることと、これから消滅される最後の全ての要素は旧勢力の黒い手が極めて大きな罪悪を犯したことと関係しています。これらの黒い手は全ての大法弟子が修煉し始めたときから現在までのあらゆる出来事と、大法弟子の個人修煉の中で現れてきた全てのことを妨害することに参与し、あらゆる隙に付け入りました。黒い手の数は非常に多いのであって、この空間で表した形体は非常に小さいのです。大きいものはコインくらいの大きさで、小さいものはペンの先ほどです。多くのものはペンの先ほどの大きさです。私がこの数年の間に説いた法はそれらも聞いており、ずっとそれらに機会を与えているにもかかわらず、それらはひたすら最も邪悪なことをやっています。法を正すことが進むにつれ、更に大法弟子の正念の作用によって、それが利用できる卑しい鬼が足りなくなるまで消滅されたとき、これらの黒い手は自ら卑しい鬼がやっていることに参与し、直接大法弟子を迫害しており、法を正すことを妨害しています。
そのため、新しい学習者も古い学習者も含めて、全ての大法弟子は正念を発する時、具体的な目標に対して正念を発する以外、これらの黒い手にまっすぐ向け、徹底的にそれらをきれいに取り除いてください。同時に、正念を発する時、考えを更に集中させ、純粋で清らかにし、落ち着いて更に大きな能力を動員し、全ての黒い手と卑しい鬼を解体し、他の空間にあるこれらの最後の妨害をきれいに取り除いてください。
これ以上邪悪に隙に乗じられないようにし、人間の執着に妨害されないようにしてください。大法弟子が行うべきことをしっかり行い、最後の道をしっかり歩み、正念正行しましょう。
李 洪 志
二〇〇四年三月十六日
修 正
明慧ネットへ:
今後、すべての大法書籍の中の「目的」の「的」を全部「目地」の「地」に修正します。この「的」は法の内涵の中で「地」とまったく違う意味であり、これは現代人が中国古代文化の内涵を否定したことによってもたらされたことです。
また、「非常地」(非常にの意味)、「真正地」(本当にの意味)、「立体地」(立体的の意味)などの「地」の使い方は、その内涵も変えられており、「的」に直すべきです。目的地や場所の意味を指していない場合は、すべて「的」を使ったほうがよいでしょう。
また、「前进」の「进」の問題です。このままなら井戸の中に向かって歩くという意味になるので、やはり繁体字の「進」に戻したほうがよいでしょう。歩けば歩くほど佳いという意味だからです!
今までの大法書籍の中のこれらの字は、大法弟子が直せばよいのです。小さなナイフでその字を削り取ってから、手書きまたは印刷した字で直せばよいのですが、大法弟子が自ら直すのが最もよいのです。
李 洪 志
二〇〇四年三月二十六日
法を正す中で必要なのは正念であり、人心ではない
常人の心があまりにも重い大法弟子よ、私が皆さんを導き歩んでいるのは神の道ですが、一部の学習者はどうしても常人の観念を固守しています。今までの個人修煉の中で、皆さんはいつも大法からの恩恵を人類社会に与えるための恩恵だと思っており、魔難の中で、宇宙の中の邪悪生命が悪人を利用して大法弟子に加えた迫害を人為的なものだと思っていました。法が正される中、大法弟子が正念をもって法を実証する中で、邪悪が取り除かれ残りが極めて少なくなった情況下で、世の人々は目覚め始めましたが、皆さんはまた迫害の終了に対する希望を常人に託しました。
これは宇宙が法を正しているのです。この世は、巨大な天体が法を正すことによる衝撃を受けた時の、低次元生命の現れに過ぎません。人間は神に対して何ができるのでしょうか? 外的な要素がなければ、人間は神に何ができるのでしょうか? 人類社会での現れは高次元生命の制御によってもたらされたことに過ぎません。正念が強く、良く行なった大法弟子と比べて、あなたの大法に対する根本的な認識は本当に人間という次元に留まるしかないのでしょうか? それならば、あなたは一体何のために修煉しているのでしょうか? 人類社会で何かを達成するためなのでしょうか? 中国で何かを達成するためなのでしょうか? 大法弟子のこの世での人間としての一面のためなのでしょうか? 大法弟子がこの世で公正に世の人々から扱ってもらうためなのでしょうか? 私は人類社会で何かを成し遂げるために法を説いたのでしょうか? 皆さんが修煉の中で神に向かい、認識から徐々に人間を超え、生命の圓満成就と昇華という目的に達するために、私は皆さんを導いているのです。
目覚めてください! 歴史上最も邪悪な魔難も皆さんを目覚めさせることができなければ、法がこの世を正す時、驚愕と後悔の中で、自分が本当にだめだという自責と絶望の中で、真に修煉してきた大法弟子が圓満成就する際の壮観ぶりを目のあたりにするしかありません。これも自分自身が撒いた因果なのです。私は一人の大法弟子をも手放したくはありませんが、皆さんは真に法を勉強し、修煉する中で自らを高めなければなりません! 法を実証する中で世の人々を救い済度し、大法弟子として行うべき三つのことをしっかり行なってください。精進して下さい。常人の心による執着を放下してください。神への道はもう遠くはありません。
李 洪 志
二〇〇四年九月十九日
私からの棒喝
法を正す中で、宇宙の最後の全ては解体され作り直される中で、再び生成されます。法がこの世を正す時はますます近づいてきています。この五年間、大法弟子は法を実証する中で神の威徳を樹立し、この世の空間での正念正行は大勢の衆生と世の人々を救い済度し、大量の卑しい鬼と旧勢力の要素を消滅しました。常人社会での現れから見ると、邪悪の迫害が緩められ、衆生と世の人々は他の空間の邪悪生命と大法を妨害する要素のコントロールから解かれました。人々は大法弟子と世の人々に対する今回の迫害にはっきりと気付き、このことについて考え始めました。これによって、この世で大法弟子を迫害することに参加している邪悪の人々が恐れおののき、邪悪の本性が大いに弱まり、大法弟子への迫害を放棄した悪人さえいます。そのため、形勢は大いに改善されました。これは大法弟子が法がこの世を正す前の正念と正行の中でやり遂げたことです。大法弟子は法を正す中で作り出された、神々も刮目している生命であり、つまり大法徒になりました。大法弟子が法を実証する中で歩む道、つまり自らを修めながら、衆生を救い済度し、同時に宇宙の法を正すことに対する要求に合わせて、法を正すことにマイナスの作用を働いたり、大法弟子に悪事を働いたりする黒い手と卑しい鬼、及び旧勢力が按排した妨害、迫害の要素を解体し、きれいに取り除いています。これは即ち、大法徒が歩んだ完全無欠な修煉の道、偉大な神を圓満させ、成就させる道です。
それに対し、家に隠れていわゆる法を勉強している人は、如何なる口実があっても、全て放下できない執着があるからです。このような人はひいては小グループを作り、お互いに愚痴をこぼし合ったり、けちをつけたり、大法弟子が法を実証することと大法弟子が行なった全てに対して消極的な態度を取っており、学習者の欠点と修煉過程の足りないところを探したりして、ひいては国内外でデマを広めています。彼らがやっているのは皆邪悪を喜ばせることです。迫害の中で、邪悪を手伝っています。「私は『轉法輪』だけを読みます。新経文を読みません」と言っている人がいますが、あなたはまだ私の弟子なのでしょうか? はっきりと教えますが、99年7月20日以前は個人の修煉であり、法を認識する段階なのです。法を認識する中で、圓満成就まで至ることができますが、これは大法弟子の修煉の終わりではありません。その後のこの五年間は、他でもなく、形勢を逆にし、誰が本当にできるのか、誰ができないのかを見分け、真に修煉していない者を淘汰し、同時に真に修煉する大法弟子の威徳を樹立し、衆生を救い済度する五年間なのです。なぜ一つの生命のために、大法と私が自ら済度しなければならないのでしょうか? はっきり言えば、どのような生命が宇宙大法に済度されるほどの資格を持っているのでしょうか? 済度された生命はただ自分自身の圓満成就のためだけでよいのでしょうか? どのような人が大法徒に相応しいのでしょうか? 家に隠れていわゆる法を勉強している人なのでしょうか? 大法から受益だけを求め、大法のために捧げたくない人なのでしょうか? 特に大法弟子でありながら、迫害の中で大法のために正義の声を上げたくなく、いわゆる家で法を勉強すると言って大法から求めている、このような人はどういう人なのでしょうか? 皆さん自身で判断してください。
危険がすでにこのような人に近づいてきていることが師父に見えました。私は今回の迫害を含めて、旧勢力の按排を認めていません。しかし、法を正す中で衝撃を受けた旧い要素が遅かれ早かれ、このようにやることが私に分かっています。つまり、迫害が起こらなければよかったのですが、その場合、私はその情況下で皆さんが歩むべき道を用意します。迫害が起こったので、私はそれを利用して、大法弟子が法を実証する中で迫害を否定し、その中から大法弟子に威徳を樹立させています。皆さんの恐れる心、安逸を求める心、あなたの各種の願望に合っている道こそ大法弟子の修煉の道だと思っているのでしょうか? 歴史上のそれらの宗教の修行と信仰こそ、唯一の修煉だと思っているのでしょうか? もし三界と人類の歴史上の全てが皆宇宙で法を正すために按排されたことであれば、歴史はただ大法のために歴史の過程の中で、衆生と人類、及び人間の思考様式と文化を造ったに過ぎません。それによって、大法が広く伝わる時、人間はその考えで法を理解し、法とは何か、修煉とは何か、衆生を救い済度すること等々は何か、及び各種の修煉形式について理解することができるようになります。もしこういうことであれば、歴史上の全ての修煉と信仰は皆宇宙が将来法を正すために、この世で文化を築いたのではありませんか? 人間が神になる道とは何でしょうか? 天神まで私が人間に天に昇るための梯子を残したと言っています。
また今回の迫害の中で世の人々と同じように、師父が迫害に対してなす術もないと思っている人がいます。知っていますか? 旧勢力がこの世の魔の首魁を利用するために、いわゆる試練が終わるまで生きていけるように守っていることを除いて、魔の首魁も私の指揮に従って行動しています。私が飛び上がれと言ったら、飛び上がり、暴れよと言ったら暴れ、狂気になれと言ったら、そのようになると言っている人がいるのではありませんか? 皆さんも知っているように、私が何かを言ったり、書いたりすると、魔の首魁は大法弟子を迫害するならず者の集団のほぼ全員を率いて、昼夜を問わず、まず「学習」しなければならないのではありませんか? 現在、表面では政治闘争の中で締め出されましたが、これは魔の首魁を制御している邪悪と卑しい鬼らが作用しなくなったからではありませんか? そのため、人間はこのように魔の首魁を扱うことができ、このように扱う勇気があったのです。これは法が正された作用のほか、大法弟子が法を実証する中で、迫害に反対し、衆生を救い済度する中で、正念と正行で、迫害を暴露し、旧勢力の按排を否定した作用ではありませんか?
家族が迫害の中で拘束され、迫害されているにもかかわらず、あなたは皆さんと一緒に早く迫害に反対し、迫害を制止し、家族が受けた迫害を軽減するなどのことをせず、家で法を勉強すべきだと言って、学習者が行なったことに不平不満だらけです。あなたの家族が拘束中、受けた迫害が軽くなったり、または止まったりしたのは、大法弟子が邪悪と危険を顧みず、迫害に反対する中で、邪悪を暴露し、制止したからだということを知っていますか? 家族が釈放されたら、あなたは彼らに会わせる顔があるのでしょうか? 彼らのためにあなたは何をしたのでしょうか? 修煉している人は修煉している神ではなく、修煉の過程には誰にも誤りがありますが、肝心なのはどのように対処するかということです。誤りを認識できる人もいれば、できない人もいます。また、恐れる心など各種の要素に執着しているため、認識したくない人もいます。修煉は常人の政治闘争ではなく、なおさら権力と利益の競り合いでもありません。常人社会と官界で身についた観念と悪い習慣は常人の中でも軽蔑されているもので、修煉の中ではなおさら取り除かなければなりません。
修煉は他でもなく、人間が天に昇り、神になることであり、難しくないことがありえるでしょうか? 以前佛教の中で「棒喝」という言い方がありましたが、私は意気地のない、危険の瀬戸際に立たされた人にも棒喝を与えましょう。
李 洪 志
二〇〇四年十月十一日
政治に参与しているのではない
中共悪党が法輪功を迫害するという問題に対して、数年来、真相を知らない多くの中国人はずっと迫害は行うべきものだと思っています。これはその党が中国に対し半世紀にわたる統治の中で、すでに中国人にその党の党文化を注ぎ込んだため、もたらされた結果です。これによって、中国人は物事を判断したり、問題や人々の行動を考えたりする際、意図的に造られたこの党文化に基づいて思考してしまうのです。このように思想改造された中国人はすでに、正常な人類として物事を判断したり考えたりしておらず、その行動様式も正常な人類としてのものではなくなりました。このような党文化に作用され、人々は外国と言えば、意識の中で「中共悪党と対立している資本主義の国」という基点に立ってしまいます。実は外国こそ人類社会の正常な社会形態です。中国に存在している問題のことを言われると、中国人はすぐに「反中勢力」という基点から物事を見るのです。甚だしい場合、「中共」と言えば、「中国」のことを言っているのと同じであると思う人、「中華民族」のことを言うと、考えの中で「中共」と混同している人もいます。さらに、何かの問題を解決する際、まず思いつくのは人を懲らしめることであり、その手段はほかでもなく強制したり、打撃を加えたり、政治運動を起こしたり、弾圧、闘争などを行なったりするなどのものです。
現在中共が完全に腐敗し、危機勃発の絶体絶命の情勢の中、中国人が中共悪党を罵っている際も、その党が造った文化と意識の中でその党に反対しており、実はやはり党文化の中で党を見ているのです。ひいては、「あの党が無くなったら、中国はまだ存続できるのでしょうか」と考えている人もいます。中華民族の五千年の文化の中で、一つの王朝が去ると、いつも次の王朝がやってきたのではありませんか? 東ヨーロッパの悪党は解体しましたが、今それらの国は何ともないのではありませんか? 忘れてはいけないのは、人類社会は神が制御しているのであって、乱れさせようとしたら、乱れることになりますが、乱れさせないなら、誰もこの社会を乱すことができません。
中国人が西側社会に来てから、人々は中国人の言動を理解することができず、いつもおかしいと思っています。中共の指導者の外国訪問のときの言動を見て、西側の人は彼らの理性に問題があると思うのです。この党文化は中国人の思想と文化をどこまで変異させたのでしょうか? 中共中央階層の人自身もこの思想と行為および文化の変異から逃れることができません。このような人類の思想の変異によって、中共は中国の民衆に行なった各種の弾圧に対して合法的な理由を簡単に見つけることができます。「わが党は一貫して正しい」というスローガンの効き目がなくなった今日、合法的に中共の統治を維持するために、中国人の愛国心を利用したり煽動したりして、常に人々の愛国心を膨れ上がらせ、「あの党がなければ中国もない」「愛国はすなわち愛党」「愛党はすなわち愛国」などと、絶えず人々の思想を混同させ、繰り返し中国人を欺いています。
法輪功に対する迫害が失敗した後、またもや「法輪功は反中勢力と結託している」と言い出しました。法輪功が中共に迫害されている真相を暴露したら、すぐ「法輪功は国を愛していない」と民衆を煽動します。そのため、法輪功学習者が迫害を暴露し、真相を伝える中で、聞こうともしない中国人に本当に遭遇しました。彼らは党が言ったことは必ず正しいのであって、中共政府が言っていることは必ず正しいと思い、法輪功は本当に中共が宣伝しているようなものであると信じています。
大法は人間を済度しています。大法弟子は慈悲深いのです。人間の未来のために、迫害の真相を世の人々に知らせ、この迫害の邪悪さを認識してもらうのもこの迫害を制止しているのです。しかし、中共の「一辺倒」の天地を覆い隠すかのようなデマと宣伝の中で、中共のデマと宣伝に騙された人が確かにいます。その中に数回の政治運動を経験した人、ひいては迫害され、中共に騙されたと連呼した人もいます。また、生まれてから党の文化に教育され大きくなった人もいます。しかし、彼らの中に確かに多くの良い人と根基の良い人がいます。彼らはその党の宣伝と教育で完全に方向を見失いました。
こういう情況下でどのようにしたらよいのでしょうか? 大法弟子を迫害しているこの悪党を裸にし、中国人と世の人々に、彼らが信じている「偉大で光栄かつ正確」と常に自称しているこの党がいったいどういうものなのかを見てもらうしかないのです。大紀元新聞が『九評某党』を掲載してから、中共はまた「法輪功が政治に参与している」とデマを作り始め、人々を騙しています。そうですね、この党に言及する人がいれば、すぐ政治に参与しているというレッテルを貼られ、このように中国人を欺いています。実は「政治に参与する」ということの恐ろしさと良くない意味合いもその党が中国人に植え付けた党の文化です。中共悪党国家以外の国では、「政治家」はどうやら高い階層の名称のようです。
法輪功は政治に参与しません。これは実践の中ですでに証明されたことであり、世の人々にも認識されたことです。悪人と中共の迫害を制止し、暴露をしていることを政治に参与すると言われていますが、それならば、いっそのこと「法輪功とは何か」「中共悪党はどういうものなのか」「中共悪党はなぜ法輪功を迫害するのか」などのことを徹底的に説明しましょう。「法輪功とは何か」ということについて、大法弟子は全力を挙げて真相を説明する中ですでに世の人々に伝えました。全世界の人々も皆分かりました。そして、世の人々に中共悪党はどういうものなのか、なぜ法輪功を迫害しているのかを世の人々に見てもらえばよいのです。実はこれは迫害を制止しているのであって、政治に参与しているのではなく、私たちには政治的な企みもありません。私たちは修煉者で、神の道を歩んでいる人であり、世間を出ようとしており、この世の各種の名と利を求めたり、狙ったりもしていません。悪人と悪党に対する暴露は、邪悪の迫害を制止するためであり、邪悪に欺かれた衆生を覚醒させ、彼らを救っているのです。
党文化によって方向を見失った世の人々に誤解されないようにするため、私は中国大陸の大法弟子が真相を伝える中で『九評』に関わらないようにと言いました。しかし、法を正す形勢は凄まじい勢いで進んでおり、大法弟子が法を実証する状況も変化しています。最近、中共の偽りの宣伝は再び「焼身自殺」などのデマを大々的に取り上げ、偽の『九評』をまき散らし、世の人々に対する毒害を深めています。これは真相を伝え、衆生を救い済度することに今まで以上に障碍をもたらしました。世の人々に悪党の本性となぜ大法弟子を迫害しているのかを理解してもらうために、『九評』を知ってもらうことが必要になりました。
実は現在の中国人の中にまだ共産主義を信じている人がいるのでしょうか? 魔の首魁と現在在任中の中共中央の中からも本当に中共悪党を信じている人を一人も見つけることはできません。その党と魔の首魁は「法輪功に勝つ」と言ったその瞬間、神々はそれの解体と消滅を決めたのです。現在、神々はその党すべての要素を全面的に消滅しています。この最後の大事な時に、歴史上百年あまりもの間、共産悪党が犯した罪を肩代わりしたい人がいるのでしょうか? 中共悪党が犯した悪事にあえて協力する人は、きっと権力への欲望に目が眩んだに違いありません。実は共産邪霊を暴露することは人を指しているのではありません。『九評』は邪悪に毒害されたすべての衆生を救うためであり、中に中共悪党の党員と中共の最高指導機関の人、および一般の民衆が含まれています。その目的は、中共悪党の背後にある要素がどういうものなのかを各界の衆生にはっきりと認識してもらうためです。
実は世の人々が権力のため、この世の利益のために生きることは大きな間違いではありません。しかし、なぜどうしても人類を毒害する邪悪に仲間入りせずにいられないのでしょうか? 人間よ、目覚めましょう! もし皆さんに人間になる目的が失われてしまったら、それこそ最も恐ろしいことです! もし世の人々が本当に回帰の道を待ち望み、探しているのであれば、理性的になりましょう!
世の人々に一つの真理を教えましょう。神佛が世に下り、正法が伝えられれば、必ず乱す魔の妨害があります。各種の伝説、各種の宗教の中で伝わっていることが、今現在起きているかもしれません。人間の観念に自分の本性が遮られないようにしてください。ましてや神の道を歩んでいる人に罪を犯さないでください。
李 洪 志
二〇〇五年一月二十六日
新年の挨拶
中国大陸の大法弟子、全世界の大法弟子、新年明けましておめでとうございます! 乙酉の年が始まりました。この一年の中で、法を正す洪大な勢いは人類に変化をもたらします。そのため、皆さんは大法弟子が行うべき三つのことを一層良く行わなければなりません。執着を放下し、大法弟子として必ずはっきりと認識すべき迫害と、私たちを迫害している邪党の真の姿に、常人の心で対処しないでください。
私たちは政治に参与しておらず、人類のこの本当の邪教と張り合っているのではなく、なおさら人類の何かの政権を手に入れたいとも思っていません。迫害の中で私たちが党文化に惑わされた世の人々を救い済度しているということを必ずはっきりと認識すべきです。なぜならば、この部分の人はこの邪教を信じているあまり、真相を聞こうともしないからです。同時に、このことをはっきりと認識していない学習者にその邪悪な本質を認識させます。これも放下しなければならない常人の心であり、法を実証する中で必ず歩まなければならない一歩です。常人の観念で法を正すことと大法弟子の修煉形式を量らないでください。いつも常人の心のために、皆さんの認識を高める過程を長く延ばさないでください。皆さんは神の道を歩んでいる人であり、一つ一つの執着はみな障碍なのです。
師父が皆さんに歩ませる道は必ず正道です。冷静で理性をもち、正念の中で圓満成就に向かう道を歩み終えることを期待しています。
李 洪 志
乙酉年正月一日
二〇〇五年二月九日
最後になればなるほど、精進すべき
人間は修煉の中で、乗り越えなければならない関門がたくさんあります。人間は生まれてから、人類社会を絶えず認識していく中で、様々な観念が形成され、これによって執着が生じました。なぜならば、人類社会はほかでもなく、苦難と利益と享楽が共存している世界であり、いくらお金があっても、どの社会階層においても、人生には多くの苦難があるからです。苦しみによって人間は意識的または無意識のうちに苦難に抵抗してしまい、その目的は幸せな暮らしを手に入れるためです。したがって、幸せを求める中で、人間はいかに傷つくことなく、いかに良い生活を送り、いかに社会で出世し、功なり名を遂げ、いかにより多くのものを手にし、いかに強者になるかなどのために経験を積んできました。これらの経験を持つと同時に、人生の観念は形成され、観念はまた経験が実践されていく中で強化されました。
実は、人類社会の理は宇宙の中で逆になっています。人間が難に遭い、苦しみを味わうのは業を返し、幸せな未来を得られるようにするためです。修煉者の場合、正の理にしたがって修煉すべきです。苦を嘗め難に遭うことは業力を取り除き、罪を除去し、人体を浄化し、思想境地と次元を高める絶好の機会であり、大変良いことです。これは正の法理です。しかし、実際の修煉の中で、苦痛やトラブルがやってきて、心を刺激したとき、特に人間の頑固な観念を刺激したとき、やはりなかなか乗り越えることができません。ひいては試練を与えられているのだと分かっていても、執着を放下することができません。特に大法弟子がこの誘惑に満ちたいわゆる現実社会で修煉しているため、観念を変えることは、なおさら難しく、なおさら重要なことになります。ですから、私はいつも、修煉の中で法を多く勉強するようにと言っており、時々文章を発表して普遍的に存在する問題を指摘し、絶えず方向を修正しています。しかし、それでも修煉の道のりに時々新しい問題が現れてきます。現在の情況から言えば、大法弟子の修煉の中で現れてきた迫害の情勢は、宇宙で法が正される中、大法弟子が法を実証する中で、すでに激しく変化しました。修煉環境にしても、世の人々の認識にしても、みな根本的に変化しました。これは元々、法を正すことと大法弟子の修煉の後期段階の現れです。数少ない一部の学習者、ひいては古い学習者もこの時期、多かれ少なかれ意気消沈の状態に陥り、精進の意志を緩めてしまい、これも法を正すことの時間に対する執着、または正しくない後天的観念の妨害によるものだと認識していません。そのため、旧勢力が以前人類空間の表層に残した妨害の要素と邪霊、卑しい鬼に隙に付け入られ、これらの執着と人間の観念が拡大され強化されたことによって、この意気消沈の状態に陥ってしまいました。
実は皆さん考えてみてください。過去の修煉者は一生を費やしてはじめて歩み終えるこの道のりでも、一刻も怠りませんでした。大法に済度される生命の果位を成就させようとする大法弟子は、修煉の中で最も利便な修煉法門があるのに、法を実証しながら修煉するというこの最も偉大な栄光が瞬く間に去っていく短い修煉の間に、なぜもっと精進せずにいられるのでしょうか? この世で常人の中で修煉するのが大法弟子の修煉方式であり、しかも修煉の中で人心を直に指摘するのだと皆さんはすでに分かっています。人間の執着と、法を実証し衆生を救い済度することを妨害する観念はみな、取り除かなければならないものです。神の道を歩んでいる修煉者にとって、これら常人の心の執着を取り除き、これらの観念を変えることはそれほど難しいことなのでしょうか? もし修煉者がこれをも取り除きたくなければ、修煉者としての表れはどういうものなのでしょうか? もちろん、こういう情況にいる多くの弟子は実は最初、自分にある軽い執着または観念の妨害に気づくことができず、邪悪に隙に付け入られ、妨害の要素を強められたため、このようになったのです。認識したらすぐ追いついてくると思います。しかし、皆さんはこの最も偉大な神の道で、できるだけ回り道をせず、自らの将来に悔いを残さず、次元の距離が開かないようにすることが、私や皆さん、そして皆さんに期待を託している衆生の願いなのです。
李 洪 志
二〇〇五年十月八日
成 熟
ネット法会に掲載された中国大陸の大法弟子の文章を読んで、それぞれの文章が常人の心から書かれたものではなくなったと感じました。仕事を終わらせるための党の八股文に見られる、事実から乖離した偽りの書き方と内容や、恩賞を願い出るための「言わなければ誰も知らない」人心はもうありません。党文化の思考様式はほぼなくなりました。もう一つは、これらの文章から修煉の中で成熟したと感じました。
大法弟子の修煉形式はほかでもなく、常人の中で修煉し、法を実証し、衆生を救い済度し、迫害に反対するということです。前人が残した参考にできる修煉形式のない情況下で、修煉者はすべて自らの力で道を切り開きました。その上、それぞれ自分自身の道を証悟しなければならず、手本を作らないという要求があります。自分自身が歩んだ道はこれからの人の手本にしかなり得ず、代替できるものはなく、修煉した人だけが得ることになります。押し付けられた邪悪な圧制の下、参照できるもののない修煉の道のりで、最も現実的な人類社会という俗世の中で、日増しに堕落した社会気風に人心が急速に下落する中で、向上に対する大法の厳しい要求の中で、大法弟子は乗り越えてきました。文章の中で理性的な分析と足りないところを探す部分や、法を実証し、損失を減らし、ほかの修煉者がみな正念正行ができるようにするための内容、迫害された学習者のために考えたアイデア、もっと多くの世の人を済度するための交流が多く書かれており、見栄えだけの文言、雰囲気を強めるための語句はもうありません。文章は素朴で正確かつ清らかであり、人間の情のない文章は常人に書けるものではありません。なぜならば、修煉者の内なる境地は清らかだからです。
これは大陸の大法弟子がネットで発表した交流のための文章を読んだ後の感想の一部です。総じて言えば、多くの大法弟子が成熟し、修煉の形式および修煉者の修煉に対する認識が成熟したと感じました。人心がますます少なくなった理性的な行動は成熟したと感じました。すべての大法弟子がこのようにすることができれば、邪悪が根絶され、神佛が大いに顕れます。
李 洪 志
二〇〇五年十月二十九日
ペルー大法弟子への返信
ペルーの大法弟子へ
手紙を受け取りました。皆さんお疲れ様でした。皆さんの情況が、私には全部分かっています。
大法弟子の修煉はほかでもなく、常人の中で修煉することであり、これは歴史上かつてなかったことです。各自の道をしっかり歩むには、困難があります。困難に立ち向かって乗り越えることは、大法を実証し、衆生を救い済度し、旧勢力の按排を破り、迫害に反対するためです。これらのことはこれまでの歴史上の修煉にはなかったことであり、大法弟子は開拓者なのです。ですから、修煉の中でしっかり行うことができる時もあれば、どのように行えばいいのか分からなくなる時もあります。困難に出会ったとき、皆さんがとりあえず落ち着いて法を多く学び、正念正行さえできれば、乗り越えられない関はありません。
実践がすでに証明しましたが、大法弟子の道は正しく歩まれてきました。しかも、非常に素晴らしく歩んできました。法を正すことが進んでいくにつれ、全てはさらに良くなり、大法弟子はさらに成熟するようになります。皆さんが直面している困難も法を正すことの進展および皆さんの成熟と努力につれて解決できると、私は分かっています。皆さんがさらに良く行うことを期待しています。なぜならば、大法弟子は衆生の希望だからです。
李 洪 志
二〇〇五年十二月十七日
字を修正する原則
二〇〇五年十二月十四日の説明:
一、佛家、道家の修煉を指す時には、大法の修煉を指す時と同じように「煉」を使ってもよいです。
二、気功、または乱れたでたらめのものを指す時には、すべて「練」を使います。
三、人間を指す時には「像」を使い、神、佛にも「像」を使います。物事を指す時、または発音がxiangの第四声の時には、「相」を使います。動物を指す時は「象」を使います。
二〇〇五年十二月十六日の説明:
物体と図形を指す時にはこの「象」を使います。動物にも「象」を使います。
その他は「相」を使います。人、神、佛を指す時には「像」を使います。
二〇〇五年十二月十七日の説明:
指すものによって、「象」と「像」を使い分けますが、「対象」、「対像」の使い方は、固定した名詞としません。
一、詞を使うときには、詞の意味を考えて字を選択して使います。
二、字を使うときには、字の意味を考えて字を選択して使います。
三、一節の文章の中でも、その指す意味を考えて字を選択して使います。
四、今まで出版した大法書籍は、第三条に従って行なわなくても結構です。
李 洪 志
二〇〇五年十二月十八日
悪を取り除く
長い間、中共悪党の下劣なスパイはずっといわゆる「法輪功の情報」を収集しています。実は大法が伝えだされたのは、人々を修煉させるためです。法を伝えるとき、全てが公開の形で行われており、秘密はありません。悪党が大法弟子に対して理性のない邪悪な迫害を加えている中でも、海外では大法弟子が迫害に反対するために行なった全ても公開しています。ひいては、多くのことに関して、すべて文章にして明慧ネットで公に交流しています。実は邪党が下劣なスパイ活動を行なっているのは、一つは、理不尽な迫害に対して心細くなっているため、空威張りをしています。もう一つは、中共内部で欺き合い、偽の情報をねつ造し、ごく少数の人が法輪功への迫害を騎虎の勢いで途中で止めることができなくなり、迫害の口実を作っています。しかし、それらの自分の考えを持っていない人、善悪をわきまえない人、特に邪党の文化が注ぎ込まれ、全てのことに対して、正常な人にはない邪党の認識と論理の基準で善悪、良し悪し、すべきかどうかを判断する人は、悪党に都合よく利用されています。これらの人は完全に悪党の下劣な道具になっています。同時に、これらの人は大法弟子に対するこの迫害の中でこの上ない罪悪を犯したので、すでに許されなくなりました。
実はこの数年来、私が大法を伝え、衆生を済度する中で、全ての社会階層、全ての職業の人が含まれており、人に対して区別をしていません。大法に救い済度される中、衆生は平等であり、中にスパイという非常に良くない職業をしている人も含まれています。文学作品や芸術作品の中でこの職業の人を英雄に仕立てていますが、それは政治、民族主義、権力にとって必要であり、人間が言っている英雄です。これらの人は神から見れば、最も下劣で罪のある人、嘘つきであり、人類の道徳を破壊する者であり、その人格の表れは卑劣で厚顔無恥であり、その行為に罪があるのです。地方の一般の刑事事件の捜査員はこれらの人と区別されています。しかし、忘れてはいけないのは、人間が良いと思っていることも悪いと思っていることも、人類のことは全て神によって按排されています。人間に業力があるので、業力の輪廻と応報があります。神が行なわせないことは、人類が良いと思っていても悪いと思っていても、誰も行なうことができません。神が行なわせることなら、人類の行為はただ応報の現れの一部分に過ぎません。
法を伝えるこの数年の間に、確かに一部のこのような職業の人は、彼らの入ってきた目的が何であっても、大法を認識してから、本当の大法弟子になりました。このため、私はこのような人にずっと機会を与えています。なぜならば、これらの人の中に確かに根基の良い人がおり、生命の輪廻の中で前世はすべてとても良い人であり、また上界から下りて来た生命もいるため、今生はスパイだからといって、済度しないわけにはいきません。生命は尊いものであり、生命の過程も尊いものです。ですから、大法弟子がまだこれらの人から迫害を受けているにもかかわらず、私は彼らが目覚めてくることをずっと待っています。彼らを救うために、私はまだ迫害されている大法弟子に、彼らに真相を伝えるよう教えています。邪悪な者はこれを聞かないばかりか、業力もますます大きくなり、すでに救い済度されることができなくなるまで業力が大きくなりました。しかも、現在スパイの妨害は大法弟子を迫害する形勢になっており、これは決して許されないことです。大法弟子の修煉に対して、旧勢力が按排したこのような下劣なスパイを用いることは、決して認めてはいけないことです。修煉と人類のこれらの最も下劣なスパイとの間に、修煉上の必然的な関係は何もありません。したがって、私はもうこれらのものを認めません。人類の未来には、このような専門の機関や多くのこのような下劣な職業に従事する人も存在しません。
今から、私と神々は人類のこの職業の前途を全部取り上げます。一九九九年「七月二十日」以降、中共悪党が作り出した全ての下劣なスパイの人生の福を取り上げ、彼らが自ら作った罪悪を償う中で、ごく短い人生を歩み終わらせるようにします。特にアトランタ事件に参与し、画策に関わった全ての人は、彼らの人生の福が全部取り上げられます。今から、彼らは悪業を償う中で死ぬほどの苦しみを味わい、しかも非常に早いうちに相次ぎ死んでいき地獄に落ちます。まだ悔い改めなければ、全ての国内外の中共スパイに同じ結末が待っています。私は全ての衆生を救い済度していますが、未来を欲しがらない人によって、他の衆生の済度される機会が潰されることは許されません。
私は、まだ大法弟子を迫害しているそれらの人が、法輪功とは何か、悪党がなぜ大法弟子を迫害しているのかを真に分かることを期待しています。さらに、あなたたちに良い未来があることを強く望んでいます。
李 洪 志
二〇〇六年二月九日
至難の関から抜け出す
一部の弟子は法の勉強を重視せず、大法弟子に対する邪悪な迫害の中で、厳しい共産党の恐怖と高圧の下、恐れの心があるため、邪悪に隙に乗じられ、大法と大法弟子に対して、してはいけない悪事を働き、中共の国家安全部門、総参謀部、公安部門など悪党の諜報機関のスパイや、学習者内部の情報提供者になってしまいました。また、一部の人は邪悪に妥協したため、多かれ少なかれ、大なり小なり、修煉者にとって最も恥ずべきことをしてしまいました。しかし、一つの生命として、内心では大法が素晴らしいと分かっており、後になっていつも後悔しています。修煉に戻りたいのですが、中共のスパイに弱みを掴まれているため、悔やんでも悔やみきれません。戻りたいのですが、利用されたときに握られた弱みで、スパイに脅迫されることを恐れています。さらに、いったん大法弟子に知られてしまうと、大法弟子に会わせる顔がないことを恐れていて、進退窮まっています。
実は、この万古の機縁とこの世にやってきた本当の目的を失うことは、人に会わせる顔がないという執着より、一層、恐ろしいことです。修煉はほかでもなく修煉であり、修煉はつまり執着を取り除くことであり、人間の良くない行為と、あれこれを恐れる人心を含む、各種の恐れの心を取り除くことです。もともと執着と恐れの心があるため、道を間違えてしまいましたが、戻りたいときに、また恐れの心に縛られ、戻る道が阻まれています。
恐れの心は、人々に間違ったことをさせることができ、人々に機縁を失わせることもできます。恐れの心は、人間が神に向かっていくときの至難の関です。もともと、恐れの心のせいで、大きな間違いをしてしまいましたが、改めたいときに、ほかの人に知られることを、また恐れています。修煉は厳粛なことであり、このように恐れ続けていけば、いつになったら、恐れの心の束縛から解放されるのでしょうか? 特に、このすべてを隠しながら、学習者の中で一生懸命、大法の仕事をしている人は、この執着を放下しなければ、この犯罪行為と恐れの心を放下しなければ、大法弟子のすべきことをいくら多くしても、すべては間違いを隠すためにやっているのです。心にわだかまっているこの罪悪を放下し、戻ってくることができれば、行なったすべては浄らかなことであり、大法弟子の修煉の中のことです。
師父として、私は皆さんが修煉の中でした間違いにこだわったことはなく、皆さんが行なった良いことと成果だけを見ています。大法弟子にとって、皆さんも修煉と比類のない邪悪な迫害の中で乗り越えてきており、修煉の厳しさをよく分かっているので、間違いをした学習者をきっと理解できます。ですから、もう一度教えますが、この方面で間違ったことをした学習者は、できれば今から、この汚い重荷を放下すると公に表明し、大法に戻ってきてください。してしまったすべての間違いを公開してはじめて、スパイにつきまとわれたり脅迫されたりすることを振り捨てることができます。公開してはじめて、執着と恐れの心を放下することができます。私と大法弟子は、修煉の中で間違ったことをした学習者に対して、常人のように対処しないのです。私は当初、人類社会で法を伝え始めたとき、修煉の中でさまざまな状態が現れることがあるとすでに分かっていました。一人の人間が神に向かっていく修煉の過程の中で、人間が修煉しているのであり、神が修煉しているのではないため、修煉の過程で必ず間違いを犯したり、しっかり乗り越えられない関があったりします。もちろん、大きな間違いを犯した人もいます。肝心なのは、それを認識したとき、決心してそれを取り除くことができるかどうかということです。抜け出す決心があれば、これこそ修煉であり、これがすなわち修煉なのです。
私は道を間違えてしまった学習者が、これ以上間違いを重ねないことを望んでいます。これは、このような学習者に対する師父の最後の説法かもしれません。機縁を掴んでください。無量の神々は皆さんを見ています。私と大法弟子も、あなたたちが戻ってくることを心待ちにしています。
李 洪 志
二〇〇六年五月九日
小説『蒼宇劫』について
この部分の話は私が言ったことではありませんが、私が言ったことだと皆さんに思われたようです。当時、私が離れていたとき、確かに一部の人は皆さんのために焦っており、何らかのことをしました。実は、あの時期には、大法弟子ができるかどうかを見ていましたが、各種の状況が現れました。その間、本当に各種の人心の表れと正念の強い学習者の表れを目にしたのです。事はすでに過ぎましたので、私は大法弟子が最後のとき、できるかどうかだけを見ます。
ただ、小説は所詮、小説であり、大法弟子が大法を実証し、衆生を救い済度するとき利用している各種の形式の中の一つです。その中に大法弟子が修煉して体得したものがありますが、それを歴史と見なしてはいけません。法を正す過程は私が言わなければ、神もそのわずかしか知らないのです。
皆さんに教えたいのは、皆さんは様々な困難を乗り越えてきたので、くれぐれも心が浮き草のように、風が吹くと動いてしまうようになってはいけません。
李 洪 志
二〇〇七年五月十日
注: 以下はこの小説の中の一節であり、経文の中で言われた「この部分の話」は『』の部分を指しています。
『私が誰なのかを聞く必要はなく、大法弟子なら私のことを知っているはずです。宇宙の大法がこの世で破壊されることを決して許してはならず、直ちに表に出て大法を守り、すぐ北京に行き、省政府に行きましょう。まだ表に出てこない人は私の弟子ではなくなります。』
フランス法会へ
フランス法会に参加する大法弟子の皆さん、こんにちは!
大法弟子が現在行なっている全ては、いずれも真相をはっきりと伝え、世人を救い済度するためです。法会は法の勉強と修煉の体験、および現在の真相を伝え世人を救い済度することを総括するための交流会でもあります。同時に、足りないところを見つけ出し、今後さらに良く行うようにするためです。ですから、法会は必ず作用を果たさなければなりません。
この機会を借りて、各地の佛学会は役割を果たし、しっかりと責任を持ち、各地区の協調をしっかり行なってほしいと思います。いい加減にしてはならず、難しいからといって退くことはなおさらしてはならず、また異なる意見を持つ学習者を見捨ててもいけません。なぜならば、彼らはすべて、私の弟子だからです。
現在、各地区にまだ、集団活動の時の協調の問題があります。例えば、問題を話し合うとき、必要以上に自分を強調し、議論を長引かせる学習者がいます。このようにすると、大法弟子が衆生を救い済度し、法を実証することに影響してしまいます。強すぎる常人の心は邪悪に隙に乗じられやすく、かき乱され、事をうやむやのうちに終わらせてしまいます。このようなとき、佛学会の統一した按排に従うべきです。個人がどのように考えていても、心を放下して協力すべきです。全ての大法弟子が真相を伝えることこそ重要であると認識してほしいと思います。
最後に、法会が円満に成功して、大法弟子の正念がますます強くなることを願っています。
李 洪 志
二〇〇七年十一月二十一日
淘 沙
法を正すことは最終段階になり、宇宙の中のそれらの妨害の要素も学習者の中から精進できない人を引っ張りだそうとしています。例えば、一、理智がはっきりしていない人、二、行為が常軌を逸している人、三、執着心が取り除かれず、ますます膨張し、これによって強烈に外に向けて探し、外に向けて求め、理性を失ってしまった人などです。それらの妨害の手口は、これらの人に理性を失った執着の中で狂わせ、学習者を損ない、法を正すことを損なう悪事を行わせることによって、これらの人がやり直すことも非常に難しくなっています。なぜならば、ひとたび学習者に巨大な損害をもたらし、それゆえに一部の学習者が落ちてしまい、甚だしい場合、淘汰される対象となってしまえば、この巨大な罪業をどのように償うのでしょうか? しかも、彼(彼女)によって台無しにされたのが大法の学習者であるため、これは法を正す中で迫害の作用を働くものと何の違いがあるのでしょうか? これは邪悪なものと同罪です。
現在、スパイたちが学習者の名義で作った邪悪なウェブサイトはこのようなことをしています。甚だしいことに、美歌の名前を持ち出して人を騙しています。美歌は私のそばにいるのに、そんなことはあり得るのでしょうか? 現在、台湾の学習者に対して、比較的大きな妨害をもたらしています。しかも、一部の理智を失った人は学習者の中で、邪悪を手伝ってこのウェブサイトを広めています。このように行なえば、即ちあなたは邪悪側に立つことになり、学習者への迫害に参与し、学習者を台無しにしています。あなたがそれを広めたことが原因で学習者が台無しにされれば、これはあなたの償いきれない巨大な罪業となります。あなたをどうすればよいのですか?
いずれにせよ、法を正すことはまだ進んでいます。このスパイのウェブサイトを広めたことがあるすべての人は、できるだけ早く自分がもたらした損失を挽回し、あなたが広めたことにより、このスパイのウェブサイトの被害者になった人を呼び戻すように私は提案します。一人でも漏らせば、あなたはその人とともに淘汰されてしまいます。一人の生命が何を行なったにせよ、それに対して責任を負わなければなりません。これは宇宙の理です。師父は慈悲深いのであって、大法弟子は皆、人々を救っていますが、法を正すことは厳粛なことです。それらの一時的に愚かになり、悪人を助長して悪事をしてしまった人が自重するよう、希望しています。
李 洪 志
二〇〇八年二月二十六日
すぐに目覚めよ
修煉はほかでもなく、人心を取り除き、人間の執着を取り除くことです。一部の学習者は法を実証する過程で人心を持って事を行なっており、それによって自分の歓喜心を満たしています。しかし、採用されなかったり、不足を指摘されたりすると、恨む心が生じ、間違ったことを行うことも辞さず、事を乱さなければ鬱憤を晴らせないほどの気持ちになり、私が要求している、大法弟子が互いに協力し合って法を実証し、衆生を救い済度するということに逆行しています。この人心の執着によって、自らの行為またはある事において、自分が反対の立場に立ってしまい、これでもまだ大法学習者の行為ですか? これはまさに邪悪の行いたいことを行なっているのではありませんか? もしあなたが行なった良くないことによって、衆生、法を深く勉強していない学習者が救い済度されなくなり、またはその機縁を失ってしまえば、将来大法弟子が大圓満するとき、あなたは責任を負わず、その結果に責任を持たなくていいのですか? それなら圓満成就することができるのでしょうか? 圓満成就するためでなければ、何のために修煉しているのですか? 私はいつも言っていますが、宇宙の中に、ある理があり、つまりいかなる生命も、誰が何を行なってもそれに対して責任を持たなければならず、損失をもたらした人は償わなければなりません。特に法を正す期間中はなおさらそうです。私はいつも考えていますが、今になってもまだ理智のない学習者はどうなるのですか? 多くの業力は私が消してあげることができますが、自分で責任を持たなければならないことは自分でそれと向き合うしかなく、それはほかの人や師父が代わりにしてあげられることではありません。取り除かなければならない心、乗り越えなければならない関は、必ず皆さん自身で乗り越えなければなりません。
大法弟子が運営しているウェブサイトの清心論壇はいつも卑しい鬼のスパイに隙に乗じられ、一部の執着心のある学習者が中に入り混じって、彼らの活動場所になってしまいました。もうプラスの作用を果たすことができなくなったこの論壇は閉鎖されたあと、一部の学習者はまたほかのウェブサイトで活動場所を探しており、あなたたちは本当にこの活動にこれほど執着しているのですか? 人心により鬼を招いてきてしまうことを、皆さんは本当に分かっていないのですか? 「唐奇」という名の卑しい鬼のスパイは、皆さんの人心を気に入って、その隙に付け入り、ウェブサイトでこれほどはびこることができたのではありませんか? これほどはびこることができたのは、正念の足りない学習者が彼に活動場所を与えたのではありませんか? さらに、彼を「二番目の師父」と見なしている人もおり、このような人はまだ私の弟子なのですか? 私の子どもはずっと私のそばにおり、「唐奇」という名の卑しい鬼のスパイが作り上げた虚言を、なんと理性を失うほど信じて同調する人もおり、ほかの大法弟子に指摘されてもまったく聞く耳を持ちません。はなはだしいことに、卑しい鬼のスパイの邪説と虚言を一生懸命に広める人がおり、それによって一部の法を深く勉強していない学習者と新しい学習者は誤った道に導かれました。もし、このことによりこれらの人が誤った道に走ってしまい、救い済度される機縁を失い、将来淘汰される身になってしまえば、あなたはどのように償うのですか? これだけではなく、法を乱すことだけで、その責任はとてつもなく重いのです。師父は皆さんを脅かすことをしませんが、これらの意気地のない学習者を棒喝しましょう。修煉はほかでもなく、人心を取り除くことであり、どうしてかえって人心のための活動場所を探しているのですか? どうして修煉の中で執着して止まないのですか?
師が法を正すことを手伝うのは皆さんの願いであり、正念をもってはじめてやり遂げられることです。大法弟子が法を実証し、衆生を救い済度する中で、主流は非常に素晴らしいのであって、歴史上のいかなる修煉と宗教の形式も比べ物にはなりません。それは皆さんの誉れであり、師父の誉れでもあります。私は心から皆さんの将来の大圓満を嬉しく思っています。最後の道をしっかり歩むことは、必ずこのようにしなければならないことであり、師父の願いでもあります。
李 洪 志
二〇〇九年八月四日
きれいに片づける
これらの問題に対して、私はずっと何も言いませんでした。理由は二つあります。一つ目は、学習者に自分で修煉して成熟してほしいのです。成熟するまで修煉する過程でこれらの問題に気づき、自分で乗り越えてほしいと思っているからです。二つ目は、それらの組織者がどこまで逸脱するのかを見ます。人心を徹底的に表したときになってはじめて、私は指摘するのです。今、皆さんが問題に気づいたので、それについてお話します。
一部の学習者が行なった活動とプロジェクトは、目的は人を救い、師が法を正すことを手伝うためでしたが、行なっているうちにいつも学習者が参加しており、内部の活動になってしまいました。このままではいけません。一つは人を救うことができません。もう一つは学習者の修煉と衆生を救い済度することを妨害しました。少なくとも大量の人的資源を使ってしまいました。大法弟子は師が法を正すことを手伝っているので、この人的資源はあなたたちにこのように使われてはいけません。もう一つは、学習者が開設した一部のウェブサイトが衆生を救い済度することに作用を果たすことができれば、それを健全に続けてください。でなければ、妨害の作用を果たさないでください。特に大量の新しい学習者、法を深く勉強していない学習者と人心の強い学習者が誘われ、参加しているウェブサイトは、全部閉鎖するよう提案します。常人のウェブサイト、または大法のために何かを行なっている活動、あるいは学習者と自称してインターネットで活動することは、いずれも大法弟子が法を実証することと無関係のことです。特に政治活動ですが、大法弟子はこれから、参加しないでください。中共邪党を打倒することは修煉の目的ではなく、大法弟子が修煉して圓満成就することこそ、修煉の最終目的です。迫害を暴露するのは世の人々に邪悪をはっきりと認識してもらうためであり、それによって救われ済度されるのです。中共邪党を解体するのは天が定めたことで、歴史の必然であり、大法弟子がただそのために行なうのに値しません。学習者の中で、大法に近づいた初期に常人の幾らかのたわごとを聞いて信じてしまった人がおり、それは神が彼の心を試しているとは知らず、かえって大法弟子の修煉に対して疑問をずっと抱いています。何年も経ちましたが、まだ人心で大法を見るという執着と、政府と未来の権益に対する執着を放下していません。もう長い間あなたたちを待っていました。あなたたちの汚れた人心で大法のことを行なわないでください。大法弟子の修煉は厳粛なことです。自分がいくら分かっていると思っていても、実はいずれも当初の求める心があなたたちの心と智慧を迷わせたのです。今日まで歩んできましたが、ずっと神々にあざ笑われています。大法に近づいていますが入ってくることができず、なんと悲しいことでしょう。
もう一つの問題についてお話します。人心は安定しないものであり、常人に正念があるとは思わないでください。一部の常人は大法の法理を認めていますが、法にのっとって着実に修煉していません。マスコミで大法弟子のために声を上げ、迫害に反対したことがあるため、一部の学習者はその人が素晴らしいと思ってしまい、場合によっては大法弟子と同じように対処し、内と外の区別がつかなくなっています。さらに頭のはっきりしない人は、その人が言ったことを法として扱っています。人心が多くの人におだてられて得意となって、自分が誰なのかが分からなくなり、それによってどんな人心も生じ、何でも口にしてしまい、何でも行なってしまい、甚だしい場合、大法弟子の正常な修煉と法を実証することまで妨害してしまいました。実はこの状況は全部常人のせいにしてはいけません。一部の学習者は正念が足りず、理性がなく、法にのっとって仕事をしていないため、これらの大法を同情する常人を悪くしたのです。衆生を普く済度するので、どのような考えを持っている人も済度し、それによって学習者の中から様々な人心が表れてくることがあります。これらのことは私が法を伝える前にすでに知っていました。肝心なのは皆さんは法を多く勉強すべきです。法を多く勉強すればおのずと正念が生じ、法を実証する中で自然に法にのっとって仕事を進めるようになり、それによって道を正しく歩むことができるのです。師父は皆さんがいつも間違った道を歩んでほしくはありませんが、さらに皆さんが迫害されることも遭ってほしくないのです。多くの場合、皆さんが嘗めた苦は本当に人心によってもたらされたものです。人心が強いのにまだ悟ろうとせず、旧勢力は邪悪を利用して皆さんを強制労働収容所に入れてしまい、迫害するのです。
学習者の文章を読んだので、少し話をし、皆さんのためにきれいに片づけます。今後の道をしっかり歩むには、やはり皆さん自身にかかっています。皆さんがみな成熟するようになったら、次の段階が始まります。
李 洪 志
二〇〇九年八月六日
上記は、明慧ネットに2009年8月6日に掲載された学習者の文章「放任しないように、鬼を招かないように―正念をもって時間を大切にして人を救おう」に対する評注です。
ヨーロッパ法会へ
ヨーロッパ法会に参加する大法弟子:皆さん、こんにちは!
まず、ヨーロッパ法会が円満に開催されることを祈ります。同時に、意気地のない学習者に対して話します。
大法弟子には責任があるもので、何があってもこの世に来たときの誓願を果たさなければならず、あなたは当初、神の命と引き換えに、今日この宇宙での最も偉大な生命──大法弟子になれたのです。一部の学習者は修煉において、いつも外に向けて探し、外に向けて求め、外に向けて見ており、誰それが自分に優しくなかったとか、誰それの言ったことが気に障ったとか、誰それが非常に常人的だとか、誰それがいつも自分とトラブルを起こしているとか、自分の意見がいつも採用されないとか、それを理由に大法弟子が法を実証することをまったくしなくなり、ひいては怒った勢いで修煉をやめてしまいました。あなたは本当に誰のために修煉しているのか分からないのですか? この気に障ることが、あなたの修煉のためのものであり、あなたの人心を取り除き、あなたの執着を取り除いているのだと本当に分からないのですか? あなたが修煉を始めたその日から人生の道が修煉の道に変わったのではありませんか? あなたが遭遇したすべては偶然ではないのではありませんか? あなたは神の道を歩んでいるのではありませんか? 本当に聞こえの良いことばかり言われて、大法弟子が皆あなたを喜ばせることを言ってくれてはじめて、修煉したいと思い、向上できると思っているのですか? 怒った勢いで法を勉強しなくなった人、煉功をやめた人は誰と意地になって争っているのですか? 神ですか? 師父ですか? それともあなた自身ですか? 一時的に乗り越えられないのは理解できますが、長い間乗り越えられなかったのは厳重に誓約に違反し、法を正す中で分担すべき部分を行わなかったことになり、全体の進展に影響してしまいます。これは神から見て最も厳重なことです。大法弟子を迫害している邪悪生命は旧勢力に按排されており、制御されているのであって、表面ではそれらがいくらわめきたてて、悪事を働いても、それはこのようにするようにと指図されたのです。学習者自身がしっかり行なっていなければ、旧勢力だけでなく、宇宙のすべての神も許しません。時間はあなたにとっても、宇宙の無量の衆生にとっても差し迫っており、師父の話は厳しいようですが、長い間愚かになっている学習者は本当にこれからどうするのかを真剣に考えなければなりません。厳しい言葉で目覚められればと思いますが、それはあなたのためであり、師父である私のためでも、あなたの機嫌を損なった学習者のためでもありません。精進しましょう! それはあなたの誓約、あなたの責任、あなた自身が圓満成就に向かっていく道なのです!
最後に、法会に参加する大法弟子にとって実り多い法会になることを祈ります!
李 洪 志
二〇〇九年十一月二十二日
師が法を正すことを手伝うとは何か
長い間、一部の学習者に、大法弟子が行うべき三つのことに関してある肝心な問題が存在しています。つまり、どのように師に手伝うかの問題です。たとえば、師父が何かを話すと、または師父が皆さんに行なってほしいと決めたことについて、一部の学習者はいつも人心をもって師父を量っており、このことを師父はこのように行うべきだとか、このことをあのように行なったらいいなどと考えたりしますが、師父が言った事をどのように圓容させ、具体策を考えるかのことに心を用いているのではありません。さらには、師父の考え方を変えたい学習者もいれば、学習者の中で自分の考え方が良いと言いふらしている学習者もいます。また、人心から師父の決めたことを理解できない学習者がおり、消極的に対処しています。場合によっては、師父の家族に、ほかのやり方を取るための根拠を求める学習者さえいます。実は、師父が何かを行おうとする場合、それは無量の天体で法を正すことにとって必要だからです。人類という次元は低いとはいえ、高次元生命の低次元での反映と低次元の状態の現れであり、ここは法を正すことの中心点でもあり、すべての焦点なのです。あなたの考えがいくら素晴らしく見えても、この次元、この箇所、このことにおいて比べているだけであって、師父が行おうとすることが巨大な天体の数え切れないほどの次元でどういう作用を果たすのかがあなたに分かるのでしょうか? 学習者として、師が法を正すことを手伝いたいなら、師父が必要とすることに圓容するしかなく、これこそあなたが行うべきことであり、なぜ師父をあなたに手伝わせようとしているのでしょうか? なぜ法を正す中で大法をもってあなたの人間の考え方を圓容させようとしているのでしょうか?
この迫害を前に、大法弟子の中に、落ちてしまった人、ついて来れなかった人がたくさんいます。いずれも師父が行おうとすることを理解できず、人心で師父を量っているからです。たとえば、多くの人はなぜほかの宗教のようにこの迫害に対処してはいけないのかと考えるなど、いろいろな人心を持っています。歴史において、宗教の根本的な目的は人類の文化の基礎を築くためであり、人類が本当に待っているのは大法です。大法の要求こそ、修煉者の本当の行動様式と現れなのです。もちろん、ついて来れなかったことにはほかにも多くの原因がありますが、実はいずれも大法を真に認識できていないからであり、当然正念が足りなくなり、迫害される中で動揺してしまいました。
また、一部の人は修煉の中で常人だったときに染まったコネ作りや裏口工作などの悪習を取り除くことができません。たとえば、師父に自身の常人としての考え方を伝えることができないとき、師父の家族に訴え、そして学習者の中で師父の家族が言ったことを話すのです。皆さん考えてみてください。師父は法を正し衆生を救い済度するためにこの世に来たのであって、家族は師父の代わりでありえるのでしょうか? 師父の家族は皆さんと同様に、皆修煉者であり、しっかり修めることができなければ、誰も成就することができません。師父はこの世に来て、生々世々に多くの親、妻子、兄弟姉妹を持っていますが、誰が師父の代わりになれるのでしょうか? 師父がこの世に来て、皆さんと同じように、師父の弟子になる人、師父のこの世での親になる人、兄弟姉妹になる人、妻子になる人がおり、師父が法を正すことを手伝うという大きな仕事を成し遂げる過程で、各自行うべき具体的な仕事を行なっているだけです。彼らも自らを修めており、法理に対する理解が不十分という問題もあります。皆さんは彼らに何かを言わせてそれを法として用いており、これは法を乱しているのではありませんか? それによって師父の家族も大法に対して罪を犯すことになります。一人の大法弟子として、皆さんが分かっていなければならないことは法を正しているのは師父だけであり、師父がいなくなったとしても、法にのっとって行動すべきです。師父のどの家族の言うことにも従うべきではありません。これこそ大法弟子であり、師父の弟子であり、師が法を正すことを手伝っているのです。
長い間、一部の人はまだ邪悪なウェブサイトに追随しています。彼らはすでに大法から遠く離れてしまい、邪悪なウェブサイトのために偽の情報を広め、ひいては師父の家族のイメージを破壊している人さえいます。しかも、師父は大法弟子が開催する法会でかつて、邪悪なウェブサイトを聞かず、信じず、見ないようにと皆さんに話したにもかかわらず、どうしても聞かない人がおり、邪悪に深くはまっている様子で、今になっても理智がはっきりしない人がいます。間違った道を歩んだら、もう一回やり直すことができますが、間違いを犯したとき、邪悪なウェブサイトを宣伝したため、一部の人を駄目にしてしまったら、どうしますか? どの人の後ろにも救われることを待っている無量の衆生がいます。あなたのせいで、彼らは永遠に救われることができなくなり、どうしますか? 結果がどれほど深刻なのか、あなたに分かっていますか? 師父が言っても受け入れない人は師父が法を正すことを手伝う大法弟子と言えるのでしょうか?
「師が法を正すことを手伝う」とは大言壮語でも、空論でもありません。実は私はいくつかの問題を話しただけで、法を信じていない事例はまだたくさんあります。大法弟子として、千万年待ち望んでいることとは……。学習者としてあなたがこの世に来た唯一の真の願いとは……。師父として、法を正す中であなたと衆生を救い済度することができるかどうかに関して、成否は今回の劫難にかかっています。
李 洪 志
二〇一一年六月十日