迷信とは何か
現代の中国人はこの迷信の二文字を口にすると、本当に顔色まで変わるほどになっていますが、それというのも、多くの人は信じない事をことごとく迷信と言っているからです。実際、迷信の二文字は「文化大革命」の時、極「左」の衣を着せられ、当時の民族文化に対する最も破壊力のある言葉、最も恐ろしいレッテルだったのです。ですから、それらの浅はかで頑固な人たちの最も無責任な口癖ともなったのです。甚だしいことに、それらのいわゆる唯物主義者と自称する人は、自分の知識以外のものや、科学がまだ認識していないものをことごとく迷信だと言っています。この理論に従って物事を認識するならば、人類は進歩しなくなり、科学も発展しなくなります。なぜなら、科学の新しい発展と発見はみな、前人がまだ認識できていなかったものだからです。ならば、これらの人々は自ら唯心論を実践しているのではないでしょうか? 人間がいったん何かを信じてしまえば、それ自体、夢中になっていることではないでしょうか? それでは人々が現代科学、現代医学を信じることは迷信ではありませんか? 人々の偶像に対する崇拝は迷信ではありませんか? 実のところ、迷信の二文字はごく普通の言葉なのです。いったん人々が夢中になって真理を含む何かを信じると、それはすなわち迷信であって、けなす意味はありません。ただ、それらの下心のある者が他人を攻撃するとき、この言葉にいわゆる封建的な内涵を持たせて、人心を惑わす力を持つ言葉にしてしまい、正しく判断できない人が同調するよう、より強くあおってしまったのです。
実は、そのいわゆる迷信という二文字は本来、このように用いられるべきものではなく、押し付けられた内涵も存在していません。迷信という二文字の言っていることは、悪いことではないのです。軍人が規律を迷信しなければ、戦闘力はありません。学生が学校と先生を迷信しなければ、知識を得られません。子供が自分の親を迷信しなければ、しつけることはできません。人々が自分の仕事を迷信しなければ、仕事をきちんとこなすことができません。人類に信仰がなければ道徳の規範はなくなり、それによって人心に善なる念がなくなり、邪念に占拠されます。この時の人類は道徳が急速に下落し、邪念の作用で周囲の人は、みな近い敵となり、私欲を満足させるためにあらゆる悪事をし尽くします。迷信の二文字にいわゆる否定的な意味を持たせたそれらの悪人は、自らの目的は達したものの、人間の本性から、人類を破壊してしまったのかもしれません。
李 洪 志
一九九六年一月二十二日
一九九六年八月二十九日修正