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法 輪 功

第二章 法輪功ファールンゴン



 法輪功ファールンゴンは佛家ぶっけ法輪ファールン修煉しゅうれん大法ダーファに源みなもとを発はっする、佛家ぶっけ気功きこう修煉しゅうれんの特殊とくしゅな方法ほうほうですが、一般いっぱんの佛家ぶっけ修煉しゅうれん方法ほうほうとは異ことなる独特どくとくなところがあります。本功ほんこう法ほうは本来ほんらい、きわめて高たかい心性しんせいを持もつ大根器だいこんきの修煉しゅうれん者しゃが学まなぶ、特殊とくしゅな強化きょうか修煉しゅうれんでしたが、より多おおくの煉功れんこう者しゃが向上こうじょうできるように、そして修煉しゅうれんに志こころざしのある多おおくの方々かたがたの要求ようきゅうを満みたすために、本功ほんこう法ほうの中なかから普及ふきゅうに適てきした修煉しゅうれん方法ほうほうを整理せいりしてここに公開こうかいすることにしました。それでも、それは一般いっぱんの功法こうほうで学まなぶものと一般いっぱん功法こうほうの次元じげんを遙はるかに超こえています。

 一、法輪ファールンの作用さよう


 法輪功ファールンゴンの法輪ファールンは宇宙うちゅうと同おなじ特性とくせいを持もった宇宙うちゅうの縮図しゅくずです。法輪功ファールンゴンを修煉しゅうれんする者ものは、功能こうのうと功力こうりきを速すみやかに伸のばすことができるばかりでなく、非常ひじょうに短みじかい時間じかん内ないに威力いりょくこの上うえない法輪ファールンを修煉しゅうれんして得えることができます。法輪ファールンは形成けいせいされれば、一種いっしゅの霊性れいせいをもった生命体せいめいたいの存在そんざいとなります。普段ふだんは煉功れんこう者しゃの下腹部かふくぶで自動的じどうてきに回転かいてんしてやまず、絶たえず宇宙うちゅうからエネルギーを採とりこみ演化えんかして、最終的さいしゅうてきには煉功れんこう者しゃの本体ほんたいのなかでそれを功こうに転化てんかさせ、法ほうが人ひとを煉ねる効果こうかを発揮はっきします。言いい換かえれば、人ひとがいつも煉功れんこうしていなくても、法輪ファールンが絶たえず人ひとを煉ねっているということです。法輪ファールンは内うちに向むかっては自己じこを済度さいどし、健康けんこう増進ぞうしん、知恵ちえの開発かいはつおよび煉功れんこう者しゃを逸脱いつだつから守まもってくれる作用さようがありますし、心性しんせいの劣おとっている人ひとから妨さまたげを受うけないよう修煉しゅうれん者しゃを守まもることもできます。法輪ファールンは外そとに向むかっては人ひとを済度さいどし、他人たにんの病気びょうきを治なおし邪気じゃきを祓はらい、あらゆる異常いじょうな状態じょうたいを直なおすことができます。法輪ファールンは下腹部かふくぶで絶たえず回転かいてんしており、右回みぎまわり(時計回とけいまわり)に九きゅう回かい、左回ひだりまわり(反はん時計回とけいまわり)に九きゅう回かい回転かいてんします。右回みぎまわりのときは、宇宙うちゅうからエネルギーを猛烈もうれつに吸収きゅうしゅうし、そのエネルギーは非常ひじょうに大おおきいものです。功力こうりきの増大ぞうだいに従したがって回転力かいてんりょくはますます強つよくなり、人為的じんいてきに気きをすくい上あげて灌頂かんじょうしてもこれには遠とおく及およびません。左回ひだりまわりのときは、エネルギーを放出ほうしゅつして、衆生しゅじょうを普あまねく済度さいどし、正ただしくない状態じょうたいを糾ただしますので、煉功れんこう者しゃのまわりにいる人ひとがみんなその恩恵おんけいを受うけます。我わが国くにで伝つたえられているあらゆる功法こうほうの中なかで、法ほうが人ひとを煉ねることのできる功法こうほうは、法輪功ファールンゴンのみです。
 法輪ファールンは最もっとも貴重きちょうなものであり、千金せんきんでもっても替かえ難がたいものです。わたしの師しは、私わたしに法輪ファールンを伝つたえてくれたとき、この法輪ファールンは誰だれにも伝つたえてはならないものであり、千年せんねんにわたって道どうを修おさめている人ひとでさえそれを得えようとしても得えられないのだ、と言いいました。われわれのこの法門ほうもんは非常ひじょうに長ながい年月ねんげつを経へて、はじめて一人ひとりの人ひとに伝つたえられるものであり、数十年すうじゅうねんで一人ひとりに伝つたえるようなものとは違ちがいます。ですから法輪ファールンはきわめて貴重きちょうなのです。いま、われわれはそれを取とり出だして演化えんかしましたので、本来ほんらいほどの大おおきな威力いりょくはなくなりましたが、それでもやはりきわめて貴重きちょうなものです。修煉しゅうれん者しゃがそれを得えれば、修煉しゅうれんの半分はんぶんが達成たっせいされたようなもので、あとは自分じぶんの心性しんせいを向上こうじょうさせさえすれば、将来しょうらいかなり高たかい次元じげんがあなたを待まっているのです。もちろん、縁えんのない人ひとは、将来しょうらい修煉しゅうれんしていけなくなりますので、法輪ファールンも存在そんざいしなくなります。
 法輪功ファールンゴンは佛家ぶっけ功こうですが、佛家ぶっけの範囲はんいを完全かんぜんに超こえており、宇宙うちゅう全体ぜんたいを煉ねっています。昔むかし、佛家ぶっけ修煉しゅうれんでは佛家ぶっけの理りを、道家どうけ修煉しゅうれんでは道家どうけの理りを唱となえましたが、誰だれも根本こんぽんから宇宙うちゅうを完璧かんぺきに説明せつめいできた人ひとはいませんでした。宇宙うちゅうも人間にんげんと同おなじように、物質的ぶっしつてきに構成こうせいされている以外いがいに、その特性とくせいの存在そんざいをもっており、「真しん・善ぜん・忍にん」という三文字さんもじにまとめることができます。道家どうけ修煉しゅうれんは主しゅとして「真しん」を悟さとり、真実しんじつのことを話はなし、真実しんじつのことをし、返本帰真へんぽんきしんして、最終的さいしゅうてきに真人しんじんになることを目指めざします。佛家ぶっけ修煉しゅうれんは「善ぜん」に重点じゅうてんが置おかれており、衆生しゅじょうを普あまねく済度さいどするために、大おおいなる慈悲心じひしんを生うみ出だそうとします。われわれのこの法門ほうもんは、「真しん・善ぜん・忍にん」を同時どうじに修おさめ、宇宙うちゅうの根本こんぽん特性とくせいから修煉しゅうれんして、最終的さいしゅうてきに宇宙うちゅうとの同化どうかを果はたします。
 法輪功ファールンゴンは性命双修せいめいそうしゅうの功法こうほうであり、功力こうりきと心性しんせいの上うえで一定いっていの次元じげんに達たっすると、世間せけんにいる間あいだにも悟さとりを開ひらく(功こうを開ひらく)状態じょうたいに到達とうたつし、修煉しゅうれんによって不壊ふえの身体からだを得えるよう求もとめています。法輪功ファールンゴンはおおよそ世間せけん法ほうと出世間しゅっせけん法ほうなど多おおくの次元じげんに分わかれていますが、志こころざしのあるすべての者ものが修煉しゅうれんに勤つとめ、絶たえず心性しんせいを高たかめていき、圓満えんまん成就じょうじゅできるよう期待きたいしています。

 二、法輪ファールンの形態けいたい構成こうせい


 法輪功ファールンゴンの法輪ファールンは霊性れいせいをもった、回転かいてんしている高こうエネルギー物質ぶっしつ体たいです。法輪ファールンは天体てんたい宇宙うちゅう全体ぜんたいの運行うんこう規則きそくに従したがって回転かいてんしており、ある意味いみでは、宇宙うちゅうの縮図しゅくずといえます。
 法輪ファールンの中央ちゅうおうは佛家ぶっけの「卍まんじ」符ふで、梵語ぼんごではSrivatsa(シェリーバトゥサ)、「吉祥きっしょうの集あつまるところ」(『辞海じかい』)という意味いみであり、法輪ファールンの核心かくしんをなします。色いろは黄金色こがねいろに近ちかく、その地色じいろは非常ひじょうに鮮あざやかな赤あか、外そとの輪わの地色じいろはオレンジ色いろです。四よっつの太極たいきょくと四よっつの佛家ぶっけ法輪ファールンが、交互こうごに並ならんで、八やっつの方位ほういに配置はいちされています。赤あかと黒くろからなる太極たいきょくは道家どうけのものであり、赤あかと青あおからなるのは先天せんてん大道だいどうのものです。四よっつの小ちいさな法輪ファールンも黄金色こがねいろで、法輪ファールンの地色じいろは、赤あか、橙だいだい、黄き、緑みどり、青あお、藍あい、紫むらさき、と周期的しゅうきてきに変化へんかし、色いろが非常ひじょうに綺麗きれいです(口絵くちえ参照さんしょう)。中心ちゅうしんの「卍まんじ」符ふと太極たいきょくの色いろは変かわりません。これらの大小だいしょうの法輪ファールンと「卍まんじ」符ふはみな自転じてんしています。法輪ファールンの根ねは宇宙うちゅうにおろされており、宇宙うちゅうが回まわり、各かく恒星こうせい系けいも回まわっているので、法輪ファールンも回まわっています。天目てんもくの次元じげんの低ひくい人ひとには、法輪ファールンが扇風機せんぷうきのように回転かいてんしているのが見みえますが、天目てんもくの次元じげんの高たかい人ひとには、法輪ファールンの全景ぜんけいが見みえ、それは非常ひじょうに美うつくしく、鮮あざやかなものであり、煉功れんこう者しゃをして修煉しゅうれんにおいていっそう勇猛ゆうもう邁進まいしんさせてくれます。
 

 三、法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれんの特徴とくちょう


(一) 法ほうが人ひとを煉ねる
 法輪功ファールンゴンを学まなぶ者ものは、速すみやかに功力こうりきと功能こうのうを伸のばすことができるばかりでなく、修煉しゅうれんによって法輪ファールンを得えることもできます。法輪ファールンは非常ひじょうに短みじかい時間じかんで形成けいせいされますが、いったん形成けいせいされると、その威力いりょくはこの上うえなく大おおきく、煉功れんこう者しゃを逸脱いつだつから守まもるとともに、本人ほんにんが心性しんせいの劣おとる人ひとに妨さまたげられないように守まもってくれます。理論りろんの上うえでも伝統的でんとうてきな修煉しゅうれん法ほうとはまったく異ことなっています。なぜなら法輪ファールンは形成けいせいされてから、絶たえず自転じてんを続つづける、霊性れいせいをもった生命体せいめいたいの存在そんざいであり、普段ふだんは煉功れんこう者しゃの下腹部かふくぶに絶たえずエネルギーを蓄たくわえているからです。法輪ファールンは回転かいてんによって宇宙うちゅうからエネルギーを採とりこみます。自転じてんして止とまらないからこそ、法ほうが人ひとを煉ねる目的もくてきを達たっすることができるのです。すなわち人ひとが四六時中しろくじちゅう煉功れんこうしていなくても、法輪ファールンは絶たえず人ひとを煉ねっているわけです。当然とうぜんのことですが、常人じょうじんは昼間ひるまは仕事しごとをしなければならず、夜よるは睡眠すいみんをとらなければなりませんので、煉功れんこう時間じかんは非常ひじょうに限かぎられています。二十四時間にじゅうよじかん絶たえず煉功れんこうしていようとして、いわゆるつねに練功れんこうのことを考かんがえておくというやり方かたではいけません。あるいはほかのどんな方法ほうほうを取とり入いれても、本当ほんとうに二十四時間にじゅうよじかんつねに煉功れんこうしているという目的もくてきを達たっすることは難むずかしいのです。しかし、われわれの法輪ファールンは絶たえず回転かいてんしており、宇宙うちゅうから内うちに向むかって大量たいりょうの気き(初期しょきエネルギーの存在そんざい形式けいしき)を採とりこむ一方いっぽう、採とりこんだ気きを昼夜ちゅうやを分わかたず、つねに法輪ファールンの各かく方位ほういに蓄たくわえ転化てんかさせ、気きをさらに高次こうじの物質ぶっしつに変かえ、最終的さいしゅうてきに修煉しゅうれん者しゃの身体からだで「功こう」に転化てんかさせます。法ほうが人ひとを煉ねるというのはこのことを言いうのです。法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれんは各かく流派りゅうは、各かく門派もんぱの丹道たんどう気功きこうの煉功れんこう学説がくせつとまったく異ことなっています。
 法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれんにおける最大さいだいの特徴とくちょうは、法輪ファールンを修煉しゅうれんすることであり、「丹たん」の道みちを歩あゆみません。現在げんざい伝つたえられているどんな流派りゅうは、どんな門派もんぱの功法こうほうにせよ、佛教ぶっきょう、道教どうきょうの各かく功こう派はにせよ、また佛家ぶっけ、道家どうけ、民間みんかんのものに関かかわらず、多おおくの旁門ぼうもんの中なかの修煉しゅうれん方法ほうほうにせよ、どれもこれも丹道たんどうを歩あゆむものであり、丹道たんどう気功きこうと呼よばれます。和尚おしょう、尼僧にそう、道士どうしの修煉しゅうれんは、いずれも丹道たんどうという道みちを歩あゆんでいます。死後しご火葬かそうすると、舎利しゃりが出でてきます。現在げんざいの科学かがく測定そくてい機器ききでもそれがどんな物質ぶっしつによって構成こうせいされているのか分わかりませんが、非常ひじょうに硬かたくて、綺麗きれいなものです。実じつはそれは他たの空間くうかんから採集さいしゅうした高こうエネルギー物質ぶっしつにほかならず、われわれのこの空間くうかんのものではありません。それがつまり丹たんです。丹道たんどう気功きこうで生存せいぞん中ちゅうに悟さとりを開ひらく状態じょうたいに達たっするのは非常ひじょうに難むずかしいことです。昔むかし、多おおくの丹道たんどうを煉ねる人ひとが丹たんを上うえへ引ひき上あげようとして、泥丸宮でいがんきゅうまで上あげるのですがそこで詰つまってしまい、結局けっきょく息いきができなくなって死しんでしまいました。人為的じんいてきにそれを炸裂さくれつさせようとする人ひとがいますが、炸裂さくれつさせようがありません。こんな例れいがありました。ある人ひとのお爺じいさんが修煉しゅうれんして成就じょうじゅできなかったので、死後しご丹たんをお父とうさんに吐はき残のこし、お父とうさんも成就じょうじゅできなかったので、死後しごその人ひとに吐はき残のこしたのですが、今いまに至いたってもその人ひとは相変あいかわらず何者なにものでもありません。とても難むずかしいのです! もちろん、良よい功法こうほうもたくさんあり、本当ほんとうに直伝じきでんを得えれば素晴すばらしいのですが、上級じょうきゅうのものを伝つたえてもらえない恐おそれがあります。
 
(二) 主しゅ意識いしきを修煉しゅうれんする
 人ひとにはそれぞれ主しゅ意識いしきがあり、普段ふだん何なにかをしたり、物事ものごとを考かんがえたりするときは、主しゅ意識いしきを働はたらかせています。主しゅ意識いしきのほかに、人ひとには一ひとつないしいくつかの副ふく意識いしきも存在そんざいしていますし、さらには家族かぞくの間あいだで先祖せんぞから伝つたわっている信息しんそくもあります。副ふく意識いしきは主しゅ意識いしきと同おなじ名前なまえをもっています。副ふく意識いしきは普通ふつう、主しゅ意識いしきより力ちからがあり、次元じげんが高たかいので、彼かれ自身じしんの特定とくていの空間くうかんが見みえ、われわれの常人じょうじん社会しゃかいに惑まどわされません。多おおくの功法こうほうは副ふく意識いしきを修煉しゅうれんする道みちを歩あゆんでおり、肉体にくたいや主しゅ意識いしきは単たんなる媒体ばいたいの役割やくわりしか果はたしていません。こういうことは、煉功れんこう者しゃには普通ふつう分わかっていないのに、得意満面とくいまんめんにさえなっている人ひともいます。人ひとは社会しゃかいに生活せいかつしているため、現実げんじつのものを捨すて去さるのは非常ひじょうに難むずかしいことです。とりわけその人ひとが執着しゅうちゃくしているものならなおさらです。ですから多おおくの功法こうほうは入定にゅうじょうの中なかで演化えんかすること、完全かんぜんに入定にゅうじょうすることを強調きょうちょうしていますが、入定にゅうじょうの中なかで演化えんかするとき、その人ひとの副ふく意識いしきがその社会しゃかいの中なかで演化えんかし、演化えんかの過程かていで向上こうじょうしているのです。そのうちあなたの副ふく意識いしきが修煉しゅうれんして成就じょうじゅし、功こうを携たずさえて行おこなってしまえば、あなたの主しゅ意識いしきと本体ほんたいには何なにも残のこりません。一生いっしょうの修煉しゅうれんが無駄むだになってしまいます。それは大変たいへん惜おしいことです。一部いちぶの著名ちょめいな気功きこう師しは、さまざまなすごい功能こうのうをもっており、高たかい名声めいせいを得えているのですが、その功こうが全然ぜんぜん自分じぶんの身体からだについていないことに本人ほんにんは分わかっていないのです。
 法輪功ファールンゴンは主しゅ意識いしきに焦点しょうてんを定さだめて修煉しゅうれんしており、功こうが確実かくじつに本当ほんとうにあなたの身体からだにつくように求もとめています。もちろん副ふく意識いしきもその恩恵おんけいを受うけるのですが、彼かれは従属じゅうぞくしながら向上こうじょうすることになります。われわれのこの功法こうほうは何なによりも厳きびしく心性しんせいを求もとめています。常人じょうじん社会しゃかいの中なかで、最もっとも複雑ふくざつな条件じょうけんの下したで心性しんせいを錬磨れんますることによって、向上こうじょうすることを求もとめており、まるで泥沼どろぬまから咲さき出でた蓮はすの花はなのようです。だからこそ、あなたの修煉しゅうれんの成就じょうじゅが許ゆるされるのです。法輪功ファールンゴンが貴重きちょうなのはまさにこのためであり、あなた自身じしんが功こうを得えるということが貴重きちょうなのです。しかしこれは非常ひじょうに難むずかしいことです。その難むずかしさはまさに、最もっとも複雑ふくざつな環境かんきょうの中なかで錬磨れんまする道みちを歩あゆむことにあります。
 煉功れんこうの目的もくてきが主しゅ意識いしきを修煉しゅうれんすることにある以上いじょう、つねに主しゅ意識いしきで自分じぶんの煉功れんこうを支配しはいしなければなりません。主しゅ意識いしきが決定けってい権けんを持もたなければならず、副ふく意識いしきにそれを譲ゆずり渡わたしてはならないのです。さもなければいつか、副ふく意識いしきが成就じょうじゅして去さっていくとき、功こうも持もって行いかれてしまい、本体ほんたいと主しゅ意識いしきに何なにも残のこらなくなります。高たかい次元じげんを目指めざして修煉しゅうれんしようとしているときに、主しゅ意識いしきが眠ねむっているかのように何なにも知しらず、何なんの功こうを煉ねっているのかも分わからないようではいけません。必かならず自分じぶんが煉功れんこうし、上うえを目指めざして修煉しゅうれんしており、心性しんせいを向上こうじょうさせているということを自覚じかくしておかなければなりません。そうしてこそはじめてあなたに主導権しゅどうけんがあり、功こうを得えることができるのです。あなたがぼうっとしている間あいだに、やろうとしていたことがやり遂とげられて、あなたにもどうしてそうなったのか分わからないときがありますが、実じつはそれは副ふく意識いしきが役割やくわりを果はたし、副ふく意識いしきが指揮しきを執とったのです。もし坐禅ざぜんの途中とちゅうで目めを開ひらけ正面しょうめんを見みたとき、向むかいにもう一人ひとりの自分じぶんがいたとすれば、それはほかでもなくあなたの副ふく意識いしきです。ところが、北きたに向むかって坐禅ざぜんをしているのに、突然とつぜん自分じぶんが北きたにいるのに気きづいたとします。どうして出でてきたのだろうか、と不思議ふしぎに思おもうでしょうが、それは本当ほんとうのあなたが出でてきたのであって、そこに坐すわっているのはあなたの肉体にくたいと副ふく意識いしきです。これは区別くべつできることです。
 法輪功ファールンゴンを修煉しゅうれんするのに、我われを忘わすれてはいけません。我われを忘わすれるのは、法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれん大法ダーファに適かないません。煉功れんこうでは、必かならず頭あたまがはっきりしていなければなりません。煉功れんこうのとき主しゅ意識いしきが強つよければ、逸脱いつだつすることがなく、たいていのものはあなたを害がいすることができません。主しゅ意識いしきが弱よわければ、何なにかがつけこんでくることがあります。
 
(三) 煉功れんこうは方位ほういや時間じかんを問とわない
 多おおくの功法こうほうは、煉功れんこうするのにどの方向ほうこうを向むいたらよいか、何時なんじに煉功れんこうすればよいかにこだわりますが、われわれはまったくそういうことを問といません。法輪功ファールンゴンは宇宙うちゅうの特性とくせいに従したがって修煉しゅうれんし、宇宙うちゅう演化えんかの原理げんりにしたがって修煉しゅうれんしているのですから、方向ほうこうや時間じかんを問とわないのです。われわれは法輪ファールンの上うえに坐すわって煉功れんこうしているのに等ひとしく、全方位ぜんほうい的てきであり、つねに回転かいてんしています。つまりわれわれの法輪ファールンは宇宙うちゅうと歩調ほちょうを同おなじくしているのです。宇宙うちゅうも銀河系ぎんがけいも運動うんどうしており、九きゅう大だい惑星わくせいも太陽たいようを巡めぐって回転かいてんしていますし、地球ちきゅう自身じしんでさえも自転じてんしているのですから、東西とうざい南北なんぼくなどどこにあるのでしょうか? われわれの言いう東西とうざい南北なんぼくは、地球人ちきゅうじんが地球ちきゅうの角度かくどから区分くわけしたものです。ですからどの方位ほういに立たって煉功れんこうしても、全方位ぜんほういに立たって煉功れんこうしていることになります。
 子ねの刻こくに煉功れんこうするのがよいとか、午うまの刻こくに煉功れんこうすればよいとか、あるいはこれこれの時間じかんがよいとかと言いう人ひとがいますが、われわれはそういうことは言いいません。なぜならあなたが煉功れんこうをしていなくても法輪ファールンがあなたを煉ねり、四六時中しろくじちゅうあなたの煉功れんこうを手助てだすけしており、法ほうが人ひとを煉ねっているのです。丹道たんどう気功きこうでは、人ひとが丹たんを煉ねりますが、法輪功ファールンゴンでは法ほうが人ひとを煉ねっています。時間じかんに余裕よゆうがあれば多おおめに煉功れんこうすればいいし、なければ煉功れんこう時間じかんを減へらしてもかまいません。全まったく自由じゆうです。
 

 四、性命双修せいめいそうしゅう


 法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれんでは、心性しんせいも修おさめるし命めいも修おさめます。煉功れんこうを通とおしてまず本体ほんたいを変かえ、本体ほんたいを捨すてずに、主しゅ意識いしきと肉体にくたいが一ひとつになって、全体ぜんたいで成就じょうじゅすることを目指めざします。

(一) 本体ほんたいを変かえる
 人間にんげんの身体からだは肉にくと血液けつえきと骨格こっかくからなっており、異ことなる分子ぶんし構造こうぞうと成分せいぶんを有ゆうしています。煉功れんこうを通とおして身体からだの分子ぶんし成分せいぶんを高こうエネルギー物質ぶっしつに転化てんかしますが、そうすることによって人体じんたいの構成こうせいは本来ほんらいの物質ぶっしつ成分せいぶんではなくなり、本質的ほんしつてきな変化へんかが起おきます。しかし、修煉しゅうれん者しゃは常人じょうじんの中なかで修煉しゅうれんしており、人ひとの群むれの中なかで生活せいかつしているのですから、人類じんるいの社会しゃかい状態じょうたいに背そむいてはいけません。ですからこのような変化へんかは、その人ひと本来ほんらいの分子ぶんし構造こうぞうを変かえるものではなく、分子ぶんしの配列はいれつ順序じゅんじょはそのままで、本来ほんらいの分子ぶんし成分せいぶんのみを変かえるのです。人体じんたいの肉にくは相変あいかわらず軟やわらかく、骨格こっかくは依然いぜん硬かたく、血液けつえきはもとどおり流ながれており、ナイフで切きりつければやはり血ちが出でます。中国ちゅうごく古代こだいの五行ごぎょう説せつによれば、金きん・木もく・水すい・火か・土どが万物ばんぶつを構成こうせいしているのですが、人体じんたいも同おなじです。煉功れんこう者しゃに本体ほんたいの変化へんかが起おき、高こうエネルギー物質ぶっしつが本来ほんらいの分子ぶんし成分せいぶんに取とって代かわるようになれば、その時点じてんで人体じんたいは本来ほんらいの物質ぶっしつ構成こうせいではなくなっています。いわゆる「五行ごぎょうの中なかに居いず」とはこのことです。
 性命双修せいめいそうしゅう功法こうほうの最大さいだいの特徴とくちょうは、人間にんげんの生命せいめいの進度しんどを遅おくらせ、老衰ろうすいを遅おくらせることにあります。われわれ法輪功ファールンゴンはまさにこのような際立きわだった特徴とくちょうを持もっています。法輪功ファールンゴンは次つぎのような道みちを歩あゆんでいます。つまり、根本こんぽんから人体じんたいの分子ぶんし成分せいぶんを変かえ、採とり入いれた高こうエネルギー物質ぶっしつを一ひとつ一ひとつの細胞さいぼうの中なかに蓄たくわえていくことによって、最終的さいしゅうてきに高こうエネルギー物質ぶっしつが細胞さいぼう成分せいぶんに取とって代かわります。すると、新陳代謝しんちんたいしゃが停止ていしし、その人ひとは五行ごぎょうを抜ぬけ出だし、他たの空間くうかんの物質ぶっしつから構成こうせいされた身体からだになり、われわれの空間くうかん時間じかんの制約せいやくを受うけなくなりますので、いつまでも若々わかわかしさを保たもつことができるようになるのです。
 歴代れきだいの高僧こうそうは寿命じゅみょうが非常ひじょうに長ながいのですが、今いま数百歳すうひゃくさいの人ひとが街まちを歩あるいたとしても誰だれにも気きづかれません。非常ひじょうに若々わかわかしく見みえるし、常人じょうじんと同おなじ身みなりをしていますので、見みた目めには分わからないのです。人間にんげんの寿命じゅみょうは、本来ほんらい今いまのように短みじかいはずはないのです。科学かがくの角度かくどから言いって、人間にんげんは二百歳にひゃくさいあまりまでは生いきられるはずです。記録きろくによれば、イギリスにフィムカスという人ひとがいて、二百七歳にひゃくななさいまで生いきました。日本にほんには満平まんぺいという人ひとがいて、二百四十二歳にひゃくよんじゅうにさいまで生いきました。我わが国くにでは唐とうの時代じだいに、恵昭えしょうという和尚おしょうがいて、二百九十にひゃくきゅうじゅっ歳さいまで生いきました。福建省ふっけんしょう永泰えいたい県けんの県志けんしの記載きさいによれば、唐とうの時代じだいの僖宗きそう中和ちゅうわ元年がんねん(紀元きげん八八一年はっぴゃくはちじゅういちねん)生うまれの陳俊ちんしゅんという人ひとは、元げんの時代じだいの泰定たいてい年間ねんかん、紀元きげん一三二四年せんさんびゃくにじゅうよねんに死去しきょしたので、四百四十三歳よんひゃくよんじゅうさんさいまで生いきたことになります。これらはいずれも記録きろくがあって調しらべられるもので、おとぎ話ばなしでも何なんでもありません。われわれの法輪功ファールンゴン学習者がくしゅうしゃは修煉しゅうれんによって、顔かおの皺しわが明あきらかに減へり、顔色かおいろがつやつやし、身体からだが非常ひじょうに軽かろやかになり、道みちを歩あるいても仕事しごとをしても疲つかれを感かんじなくなりました。これらは普遍的ふへんてきに見みられる現象げんしょうです。わたし自身じしんも数十年すうじゅうねん修煉しゅうれんして来きましたが、二十年にじゅうねんあなたの容貌ようぼうがあまり変かわっていないと言いわれました。ほかでもなくこれが原因げんいんです。われわれの法輪功ファールンゴンは命めいを修おさめる強烈きょうれつなものを持もっているため、法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれん者しゃは年齢ねんれいから見みて常人じょうじんと大おおきく異ことなり、見みた目めには実際じっさいの年齢ねんれいと一致いっちしません。つまり、性命双修せいめいそうしゅう功法こうほうの最大さいだいの特徴とくちょうは人間にんげんの生命せいめいの進度しんどを遅おくらせ、人間にんげんの老衰ろうすいを遅おくらせ、寿命じゅみょうを延のばすことができることにあります。
 
(二) 法輪ファールン周天しゅうてん
 われわれの人体じんたいは一ひとつの小宇宙しょううちゅうであり、人体じんたいのエネルギーが身体からだを一巡ひとめぐりするのを、小宇宙しょううちゅう循環じゅんかん、あるいは周天しゅうてん循環じゅんかんと言いいます。任にん、督とく二脈にみゃくがつながるのは、次元じげんから言いえば、まだうわべだけの周天しゅうてんであり、命めいを修おさめるのには役やくに立たちません。本当ほんとうの小しょう周天しゅうてんは、泥丸宮でいがんきゅうから丹田たんでんまで、中なかで循環じゅんかんしています。中なかの循環じゅんかんによって、身体からだを率ひきいて中なかから外そとへと広ひろげていき、百脈ひゃくみゃくを開ひらかせます。われわれの法輪功ファールンゴンは、初はじめから百脈ひゃくみゃくを開ひらかせるようにしているのです。
 大だい周天しゅうてんとは奇経きけい八脈はちみゃくの運行うんこうのことで、体中からだじゅうを一回ひとまわりします。もし大だい周天しゅうてんが通とおれば、その煉功れんこう者しゃが舞まい上あがる、という状態じょうたいが現あらわれるのですが、『丹経たんけい』に書かかれている「白日はくじつ飛昇ひしょう」とはこのことなのです。しかし通常つうじょうは、舞まい上あがらないように、あなたの身体からだのある部位ぶいに鍵かぎをかけます。しかし、道みちを歩あるくときは非常ひじょうに軽かろやかで、山登やまのぼりをするときは誰だれかに押おされているかのように感かんじる、という状態じょうたいがもたらされます。大だい周天しゅうてんが通とおるようになると、人体じんたいの内臓ないぞう各かく部位ぶいの気きを交換こうかんさせることができる、という功能こうのうも身みに付つくようになります。心臓しんぞうの気きが胃いに移うつり、胃いの気きが腸ちょうに移うつり、……功力こうりきの増強ぞうきょうにしたがって、体外たいがいにそれを打うち放はなつと運搬うんぱん功こうになります。このような周天しゅうてんは子午しご周天しゅうてん、あるいは乾坤けんこん周天しゅうてんとも呼よばれます。その運行うんこうだけではまだ身体からだを演化えんかするという目的もくてきを達成たっせいすることができず、もう一ひとつそれと対応たいおうする周天しゅうてんの存在そんざいが必要ひつようとされます。それは卯酉ぼうゆう周天しゅうてんと呼よばれます。卯酉ぼうゆう周天しゅうてんの運行うんこうは、会陰えいんまたは百会穴ひゃくえけつから突つき出でて、身体からだの陰陽いんよう両面りょうめんの境目さかいめ、つまり身体からだの側面そくめんを走はしります。
 法輪功ファールンゴンの周天しゅうてん運行うんこうは一般いっぱん功法こうほうで言いう奇き経けい八脈はちみゃくの運行うんこうよりずっと大おおきく、身み体全体からだぜんたいを縦横じゅうおうして交錯こうさくする気脈きみゃくが一斉いっせいに運行うんこうしています。ですから、身み体全体からだぜんたいが一気いっきに打うち通とおされ、打うち貫ぬかれ、一斉いっせいに回転かいてんするよう要求ようきゅうされます。われわれの法輪功ファールンゴンはこれらのものを自みずから持もっており、人為的じんいてきに煉ねる必要ひつようがなく、意い念ねんで導みちびく必要ひつようもありません。もしあなたがそういうことをすれば、間違まちがった方向ほうこうにずれてしまうことになります。わたしが講習会こうしゅうかいであなたの体外たいがいに気き機きを植うえ付つけましたが、それは自動的じどうてきに循環じゅんかんするものです。気き機きとは高たかい次元じげんにおける煉功れんこうに特有とくゆうなものであり、われわれの自動的じどうてきな煉功れんこうの一部いちぶをなし、法輪ファールンと同おなじように絶たえず回転かいてんし、身体からだの中なかの気脈きみゃくを率ひきいて運行うんこうしています。あなたが周天しゅうてんを修煉しゅうれんしたことがなくても、実際じっさいに気脈きみゃくがすでに率ひきいられて、縦横じゅうおうに一緒いっしょに運行うんこうしています。われわれの煉功れんこうの動作どうさは体外たいがいの気き機きを強化きょうかするためです。
 
(三) 脈みゃくを通とおす
 脈みゃくを通とおすのは、エネルギーを運行うんこうさせ、細胞さいぼうの分子ぶんし成分せいぶんを変かえ、高こうエネルギー物質ぶっしつへ転化てんかさせるためです。煉功れんこうしない人ひとの場合ばあい、脈みゃくは塞ふさがっており、中なかには非常ひじょうに細々ほそぼそとしたものもあります。煉功れんこう者しゃの場合ばあい、脈みゃくは次第しだいに明あかるくなり、通とおらないところが通とおるようになります。煉功れんこうに素養そようのある人ひとは、脈みゃくが広ひろくなります。高たかい次元じげんの修煉しゅうれんになると脈みゃくはますます広ひろくなり、人ひとによっては手ての指ゆびほどになるのもあります。とはいえ、脈みゃくが通とおること自身じしんが修煉しゅうれんの到達とうたつしたレベルや功こうの高たかさを示しめすものではありません。煉功れんこうによって脈みゃくが明あかるく広ひろくなり、最終的さいしゅうてきに脈みゃくという脈みゃくが一ひとつにつながるようになれば、その人ひとには脈みゃくもなければツボもなくなり、言いい換かえれば、体中からだじゅうが脈みゃくでありツボであるようになります。このような状態じょうたいになっても、まだ得道とくどうしたとは言いえません。それは法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれん過程かていにおける一ひとつの現あらわれであり、ある一ひとつの次元じげんの現あらわれに過すぎません。ここまで来くると、世間せけん法ほう修煉しゅうれんはすでに終点しゅうてんに達たっしたことになりますが、同時どうじに外観がいかんにも顕著けんちょな状態じょうたい──「三花聚頂さんかしゅうちょう」が現あらわれてきます。功こうはすでに形状けいじょうとしてみえるほど物凄ものすごく伸のびており、功柱こうちゅうもかなり高たかくなり、しかも頭上ずじょうに三輪さんりんの花はな──一輪いちりんは蓮花れんげに似にており、一輪いちりんは菊きくの花はなに似にている──が現あらわれてきます。三輪さんりんの花はなは自転じてんしますが、自転じてんしながら順番じゅんばんに回転かいてんもします。どの花はなにも一本いっぽんの天てんに通つうじる柱はしらがあり、とてつもなく高たかいのです。この三本さんぼんの柱はしらも花はなに従したがって順番じゅんばんに回転かいてんし、自転じてんしますので、頭あたまがずしりと重おもい感かんじがします。ただ、これでもまだ、彼かれは世間せけん法ほう修煉しゅうれんの中なかで、最後さいごの一歩いっぽを歩あゆみ終おえたに過すぎません。
 

 五、意い念ねん


 法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれんは意い念ねんを用もちいません。意い念ねんそのものは何なんの役やくにも立たちませんが、指令しれいを出だすことができます。本当ほんとうに役やくに立たつのは功能こうのうであり、それは霊体れいたいの思惟しい能力のうりょくをもっており、大脳だいのう信息しんそくの指揮しきを受うけます。しかし多おおくの人ひと、特とくに気功きこう界かいの間あいだではさまざまな説せつがあって、意い念ねんそのものによってさまざまなことができると思おもわれています。意い念ねんで功能こうのうを開ひらき、意い念ねんで天目てんもくを開ひらき、意い念ねんで病気びょうき治療ちりょうをし、意い念ねんで運搬うんぱんするなどと言いう人ひとがいますが、それは間違まちがっています。常人じょうじんのいる低ひくい次元じげんでは意い念ねんが感覚かんかく器官きかんと四肢ししを支配しはいしていますが、煉功れんこう者しゃのいる高たかい次元じげんでは、意い念ねんが昇華しょうかし、功能こうのうを操あやつって働はたらかすことができます。つまり功能こうのうが意い念ねんに支配しはいされることになるのです。これが意い念ねんについてのわれわれの考かんがえ方かたです。気功きこう師しが人ひとの病気びょうきを治療ちりょうするとき、手ても動うごかしていないのに病気びょうきが治なおったのを見みると、意い念ねんがその病気びょうきを治なおしたと思おもわれがちですが、実際じっさいは彼かれは功能こうのうを打うち放はなち、それを操あやつって病気びょうき治療ちりょうや何なにかをさせているのです。功能こうのうは他たの空間くうかんを通とおるので、常人じょうじんの目めには見みえず、知しらない者ものは意い念ねんがやったと思おもい込こむわけです。意い念ねんで病気びょうき治療ちりょうができると思おもって、人ひとを間違まちがった方向ほうこうへ導みちびいてしまう人ひとがいますが、こういう見方みかたは正たださなければなりません。
 人間にんげんの思惟しいは一種いっしゅの信息しんそくであり、エネルギーであり、物質的ぶっしつてき存在そんざいの一種いっしゅの形式けいしきです。人間にんげんが物事ものごとを考かんがえ、思惟しいするとき、大脳だいのうに周波しゅうはが生しょうじます。呪文じゅもんを唱となえると効きき目めの現あらわれることがありますが、なぜでしょうか? それは宇宙うちゅうにも周波しゅうはの振動しんどうがあり、あなたの唱となえた呪文じゅもんと宇宙うちゅうの周波しゅうはとの間あいだに共振きょうしんが起おきて、効きき目めが生しょうじるためです。もちろん良性りょうせいの信息しんそくであってはじめて作用さようします。なぜなら宇宙うちゅうでは邪よこしまなものの存在そんざいが許ゆるされないからです。意い念ねんは特定とくていの思惟しい方式ほうしきでもあり、高たかい次元じげんの大だい気功きこう師しの法身ほうしんは主体しゅたいの思惟しいから制御せいぎょと支配しはいを受うけます。法身ほうしんにも自分じぶんの思惟しいがあり、独自どくじに問題もんだいを処理しょりし仕事しごとをする能力のうりょくをもっています。つまり、それは完全かんぜんに独立どくりつした自我じがなのです。同時どうじに、法身ほうしんは気功きこう師しの主体しゅたいの思惟しいを察知さっちし、主体しゅたいの思惟しいに従したがって仕事しごとをすることもできます。たとえば気功きこう師しがある人ひとの病気びょうきを治なおそうとすれば、法身ほうしんはそこへ行いきます。その意い念ねんがなければ法身ほうしんは動うごかないのです。非常ひじょうに素晴すばらしいことを目めにした場合ばあい、法身ほうしんは自みずから進すすんでそれを行おこないます。まだ悟さとりを開ひらくまでには至いたっていない大だい気功きこう師しがおり、自分じぶんではまだ分わからないことがあるのですが、法身ほうしんにはそれが分わかっているのです。
 意い念ねんには霊感れいかんという意味合いみあいもあります。霊感れいかんは人間にんげんの主しゅ意識いしきから出でたものではありません。主しゅ意識いしきは知識ちしきの幅はばが限かぎられており、社会しゃかいに存在そんざいしない物事ものごとを行おこなうには、主しゅ意識いしきだけではうまくいきません。霊感れいかんは副ふく意識いしきから来きています。執筆しっぴつや科学かがく研究けんきゅうに取とり組くんでいて、どんなに脳のうみそを絞しぼり尽つくしても良よい考かんがえの出でてこないとき、ひとまず休憩きゅうけいして、外そとを一回ひとまわりしているうちに突然とつぜん、無意識むいしきのうちに霊感れいかんが湧わいてくる人ひとがいます。その勢いきおいでペンを走はしらせると、ものが書かけてしまうのです。これは主しゅ意識いしきが強つよすぎると、大脳だいのうが支配しはいされて、考かんがえを絞しぼり出だせないからです。ところが主しゅ意識いしきが緩ゆるむと、副ふく意識いしきが働はたらき出だして、大脳だいのうをコントロールするようになります。副ふく意識いしきが他たの空間くうかんのものなので、この空間くうかんの束縛そくばくを受うけず、新あたらしいものを作つくり出だすことができます。しかし副ふく意識いしきといえども、常人じょうじん社会しゃかいの状態じょうたいを超越ちょうえつし妨害ぼうがいして、社会しゃかい発展はってんの進行しんこうを妨さまたげてはなりません。
 霊感れいかんは二ふたつの面めんからきています。一ひとつは副ふく意識いしきが提供ていきょうするものです。副ふく意識いしきは世間せけんに惑まどわされないので、霊感れいかんを生うみ出だすことができるのです。もう一ひとつは高次元こうじげんの高たかい霊れいの支配しはい、指示しじに由来ゆらいします。高たかい霊れいから指示しじを受うけているときは、考かんがえが開ひらかれて、独創的どくそうてきなことを成なし遂とげることができます。社会しゃかい全体ぜんたいと宇宙うちゅうの発展はってんにはそれ自身じしんの特定とくていの法則ほうそくがあり、偶然ぐうぜんなことは何なに一ひとつないのです。
 

 六、法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれん次元じげん


(一)高たかい次元じげんの修煉しゅうれん
 法輪功ファールンゴンはきわめて高たかい次元じげんにおいて修煉しゅうれんしているので、非常ひじょうに速はやく功こうが伸のびます。大道だいどうはいたって簡単かんたんで易やさしいものです。マクロ的てきに見みれば法輪功ファールンゴンの動作どうさは少すくないのですが、しかしそれは身体からだの各かく方面ほうめんを制御せいぎょしており、現あらわれようとする多おおくのものを制御せいぎょしています。心性しんせいが追おいついてくれば、功こうは飛躍的ひやくてきに伸のびていきますので、人為的じんいてきにあれこれと苦労くろうしたり、鼎かなえを立たて竈かまどを設もうけ、薬くすりを採集さいしゅうし、丹たんを煉ねるなどということをしなくてもかまいません。どれだけ火ひを添そえればよいかとか、どれだけ薬くすりを採集さいしゅうすればよいかとか気きにする必要ひつようがないのです。意い念ねんによる導引どういんは非常ひじょうに複雑ふくざつであり、間違まちがった方向ほうこうへずれてしまいやすいものです。われわれはここで皆みなさんに最もっとも便利べんりな、最もっとも良よく、かつ最もっとも難むずかしい法門ほうもんを提供ていきょうしています。煉功れんこう者しゃの身体からだが乳白体にゅうはくたい状態じょうたいに達たっするには、他たの功法こうほうでは十数年じゅうすうねん、数十年すうじゅうねんないしもっと長ながい時間じかん修行しゅぎょうしなければなりませんが、われわれはあなたを一気いっきにそのレベルまで押おし上あげていきます。あなたがまだ感かんじないうちに、その次元じげんは通とおり過すぎてしまいます。ほんの数すう時間じかんの間あいだのことであるかもしれません。ある日ひ、あなたは非常ひじょうに敏感びんかんに感かんじとれたかと思おもうと、しばらくすると敏感びんかんに感かんじとれなくなることがあります。実じつはそれは大おおきな次元じげんを一ひとつ通とおり過すぎたということなのです。
 
(二)功こうの表現ひょうげん形式けいしき
 法輪功ファールンゴンの学習者がくしゅうしゃの身体からだは、調整ちょうせいを経へれば大法ダーファー修煉しゅうれんに適てきする状態じょうたいに達たっしますが、それがつまり「乳白体にゅうはくたい」状態じょうたいなのです。調整ちょうせいを受うけてこの状態じょうたいに達たっして、はじめて功こうが現あらわれてきます。天目てんもくの次元じげんの高たかい人ひとなら見みえるのですが、功こうが一旦いったん煉功れんこう者しゃの表皮ひょうひに現あらわれたのち、身体からだのなかに入はいり、再度さいど出でてきてはまた入はいるというように繰くり返かえしながら、一ひとつ一ひとつの次元じげんを通とおっていき、時ときには素速すばやく通とおっていきます。これは一回いっかい目めの功こうです。一回いっかい目めの功こうが出でた後あと、煉功れんこう者しゃの身体からだはもはや一般いっぱんの身体からだではなくなります。乳白体にゅうはくたいに達たっすれば、今後こんご二度にどと病気びょうきになることはありません。これ以降いこうはたとえここかしこが痛いたんだり、どこかの具合ぐあいが悪わるくなったりして、病気びょうきのように見みえても、それは病気びょうきではなく、業力ごうりきが作用さようをしているのです。二回にかい目めの功こうが出でたときには、この霊体れいたいは大おおきく成長せいちょうしており、動うごいたりおしゃべりしたりすることができるようになります。まばらに出でてくるときもあれば、隙間すきまなくぎっしりと出でてくるときもあり、互たがいにおしゃべりもします。この霊体れいたいには本体ほんたいを変かえるためのエネルギーが大量たいりょうに蓄たくわえられています。
 法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれんが非常ひじょうに高たかい次元じげんに達たっすれば、体中からだじゅうに「嬰孩えいがい」が現あらわれてくることがあります。彼かれらは非常ひじょうに腕白わんぱくで、遊あそび好ずきですが非常ひじょうに善良ぜんりょうです。このほかにもう一ひとつの身体からだ、すなわち「元嬰げんえい」を修煉しゅうれんして得えることもできます。元嬰げんえいは蓮花台れんげだいに坐すわっており、とても綺麗きれいです。煉功れんこうによって得えた元嬰げんえいは、人体じんたいの陰陽いんようの和合わごうからなるもので、男女だんじょの修煉しゅうれん者しゃとも修煉しゅうれんによって元嬰げんえいを得えることができます。元嬰げんえいは初はじめは非常ひじょうに小ちいさいのですが、徐々じょじょに成長せいちょうして、最終的さいしゅうてきには煉功れんこう者しゃと同おなじ大おおきさ、同おなじ姿すがたかたちになり、修煉しゅうれん者しゃの身体からだの中なかにいます。特異とくい功能こうのうのある人ひとはその人ひとを見みて、二ふたつの身体からだをもっていると言いいますが、実際じっさいはその人ひとの真身しんしんが修煉しゅうれんによってできあがったのです。このほかに、多おおくの法身ほうしんも修煉しゅうれんして得えることができます。要ようするに、宇宙うちゅうにある功能こうのうは法輪功ファールンゴンの中なかに全すべてあり、他たの功法こうほうで得えることができる功能こうのうは全すべて法輪功ファールンゴンでも得えられるということです。
 
(三)出世間しゅっせけん法ほう修煉しゅうれん
 煉功れんこう者しゃは煉功れんこうを通とおして脈みゃくを絶たえず広ひろげ、一ひとつにつなげることができます。つまり脈みゃくもなくツボもない状態じょうたいまで修煉しゅうれんすることができるのです。言いい換かえれば、体中からだじゅうが脈みゃくでありツボであるようになります。しかし、これでもまだ得道とくどうしたとは言いえません。それは法輪功ファールンゴンの修煉しゅうれん過程かていにおける一ひとつの現あらわれであり、ある一ひとつの次元じげんの現あらわれに過すぎません。ここまでくれば、世間せけん法ほう修煉しゅうれんではすでに終点しゅうてんに達たっしており、功こうも形状けいじょうとして見みえるほど物凄ものすごく伸のび、功柱こうちゅうもかなり高たかくなり、しかも頭上ずじょうに三輪さんりんの花はなが現あらわれてきます。ただこれでも、その人ひとは世間せけん法ほうの中なかで最後さいごの一歩いっぽを歩あゆみ終おえたに過すぎません。
 さらに一歩いっぽ前進ぜんしんしたとき、何なにもかも無なくなり、功こうを全部ぜんぶ身体からだの中なかの最もっとも深ふかい空間くうかんに沈しずめますので、その人ひとは「浄白体じょうはくたい」状態じょうたいに入はいり、身体からだが透明とうめいなものになります。そしてさらに一歩いっぽ進すすめば、「佛体ぶったい修煉しゅうれん」とも言いう出世間しゅっせけん法ほうの修煉しゅうれんに入はいります。それから出でてくる功こうは神通力じんつうりきの類たぐいのものになりますが、この時ときになれば、その人ひとの威力いりょくは無尽蔵むじんぞうで、とてつもなく大おおきくなります。そしてさらに高たかい境地きょうちに達たっするといよいよ大だい覚者かくしゃになります。全すべてはあなたがいかに心性しんせいを修煉しゅうれんするかにかかっていますが、あなたの修煉しゅうれんした次元じげんまで果位かいも到達とうたつします。大おおきな志こころざしをもつ者ものは正法しょうぼうを修煉しゅうれんし、正果しょうかを得えれば、それは圓満えんまん成就じょうじゅにほかなりません。