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延吉での説法 質疑応答

李 洪 志



弟子:生まれつき結跏趺坐ができるのは、根基の良し悪しに関係があるのですか?

師:これにはあまり大きな関係はありませんが、絶対にないとも言えず、とても複雑な原因があります。長期にわたって労働していた人、あるいは足を組んだことのない人は、組み始めると非常に辛くなります。

弟子:元始天尊は、宇宙の中の最高の覚者ですか?

師:実は、これらはすべて常人の思考方式で、それ自体が不敬です。元始天尊の功は如来より少し高いのですが、最大の神ではありません。

弟子:宇宙はやはり真・善・忍を真理とするのですか?

師:宇宙は真・善・忍という特性を備えており、次元が高いほどますますはっきりと現れます。

弟子:自分の根基などの要素で定められた次元まで修めた後、もしまだ上へ修めたいなら、続けて常人の中で修煉をしなければならないのでしょうか?

師:そうです。別のところでは修められません。常人の状態においてのみ、最も修めやすいのです。ただし、他の次元の中で修められないわけではありません。例をあげて話しましょう。その人は苦を嘗めることがないので、修めることも非常にゆっくりとなり、場合によっては修められなくなります。心性を向上させる機会と環境がなければ、彼は修められません。高い次元で人と人、生命と生命の間にはまったく矛盾がないだけでなく、すべて自由自在なので、彼はどうやって修めると思いますか? 非常に難しくなります。

弟子:この法門の中で修めて圓満した後は、佛の状態の生老病死を経なければならないのですか?

師:何が佛の状態の生老病死でしょうか? 皆さんに教えますが、高い次元においても成、住、壊という要素が存在しており、それは生老病死と関係があるとも私は話しましたが、それは彼ら自身の同等の次元での現れです。しかしそれは、はるかに遠くて不可思議な、天文学的数字より更に大きな年代の数字なので、あなたはまったく気にする必要はありません。

弟子:まず無生老母を拝んで、その後、佛を拝むとの言い方があるようで、無生老母はどういうことでしょうか?

師:無生老母などはどこにいるのでしょうか? まったくこのような神はいません。常人の中で現在、でたらめな言い方はとても多く、まったくそういうものは存在しません。皆さんに教えますが、一部の邪法、狐やイタチ、ハリネズミ、蛇などのものは、別の次元のことが分からないので、正法の覚者はそれらに構いません。それらは自分が高いところまで修煉したと思っていますが、自分より高いものに触れたことがないので、自分より高いものの存在も信じません。それらはどんなことでも憚らずに口にし、天は二番目で自分は一番だと言いますが、心性を重んじることもなく、多くの用語を作って世を乱し、法を乱しています。皆さんは我々の一門が伝えたものに基づいて修め、様々な乱れたものを放下してください。

弟子:先生の師父たちはどうして会場でひざまずいているのですか? また会場には蓮の花が満ち溢れ、神兵や神将もいますが?

師:どの人も私の師父ではありません。上の世界では、誰でもこのように私に接しなければならず、ただあなたたち人間は知らないだけです。彼らが佛や道なので、即ち私の師父だとあなたは思っていますが、彼らより次元が高い人は数多くいます。誰それを見て、すぐに私の師父だと思わないでください。私が法を説くときには、上から下まで護法の神は非常に多くいます。あなたに見えたら、見えたでいいのです。他の学習者にも見えた人がいます。

弟子:太極や八卦の中で触れた住宅や先祖の墓、風水といったことを、先生に解釈していただけますでしょうか?

師:これらのものは早く捨ててください。これらはすべて世間小道のものです。私はあなたに大法を伝えていますが、皆さん知っているように、一人の修煉者として、あなたのすべては変えられています。これらのものは修煉者に対してまったく作用を果たさないので、あなたは放下しなければなりません。あなたの執着心は取り除かなければいけません。風水が作用しているとばかり考えていたなら、それこそ執着心です。そうなると、そのような状態が本当に現れるかもしれません。それはあなたの執着心を取り除くためです。

弟子:生命は両親から与えられたもので、親孝行をすることは、業を返すことになりますか?

師:それは業と関係がありません。人が生きているのはすべて情のためで、人はこの情のために生きています。子供が親孝行をするのも情のためで、親が子供を可愛がるのも情で、すべては人間の情です。当然、別の角度から言うと、親が子供を生み育てたので、子供も親に対して孝行しなければならず、こうするのは当然の理です。親に対して良くしなければ、常人の理から言っても通らず、高い次元から見ても通りません。ただし、修煉するならば、このような情を徐々に放下しなければなりません。

弟子:私たちの法門は、観音と弥勒の法門を超えていますか?

師:観音には法門がなく、弥勒にもないので、それは魔が法を乱して作り出したことです。あなたはこの法をよく学んだら分かりますが、実は多くのことを私は既に説きました。私たちが煉っているものは宇宙ほど大きなもので、それが何なのか考えてみてください。どうしてそういった邪法と比較するのでしょうか?

弟子:三年前に佛門に帰依しましたが、受戒していません。今後、法輪大法を修煉することに対して、影響がありますか?

師:そのような形式さえとっていないのに、どうして帰依と言えるでしょうか? あなたは帰依しておらず、ただ佛教を信じているだけです、こう言うしかありません。いわゆる帰依したとしてもかまわず、どんな影響もありません。佛は宗教を重んじず、人の心だけを重んじます。帰依とは、佛に帰依したのではなく、宗教に帰依したのです。どの門を修めるかということは、あなた個人のことです。佛教の中で修めたいというなら佛教の中で修め、法輪大法の中で修めたいなら、法輪大法の中で修めてください。皆さんがここにやって来たのはすべて縁によるもので、私は皆さんに責任を果たさなければいけません。皆さんに教えますが、現在の佛教の中では非常に修めにくくなり、この末法の時期になって大変乱れており、和尚は自己を済度することさえも非常に難しくなりました。こういうことをあなたに教えなければ、私は責任を果たしていないことになります。

弟子:先生、元嬰は主意識が修めたものですか? 副意識はどんな果位を成就するのでしょうか? 元嬰が成就して別の空間に行ったら、誰が元嬰と本体を支配するのでしょうか?

師:あなたの主意識が主宰しているこの身体で修めたものです。副意識は、私たちの法門では将来、あなたの護法として同時に得道します。元嬰はあなた自身が修煉してできたものなので、当然あなた自身が支配します。別の空間に行くなんて、どういうことですか? あなたが主宰しなければ、元嬰は動くことさえもできません。彼はつまり圓満した後の身体であり、すなわち佛体なのです。

弟子:どんな状況の下で、自分の功能を使うことができますか?

師:この質問を出した人がもし講義を聞いたことがなければ、私は大目に見ることができます。今日は十回目の講義になりますが、あなたはまだ功能を使うことが気になっています。功能を使って何をするのですか? どんな事をするのですか? その執着心をどうしてまだ取り除いていないのでしょうか? もちろん修煉者として功能は出るべき時に出て、使える時に自ずと分かるはずです。こういったものに執着してはいけません。如何なる求める心を持っていても、法を得ることはできません。

弟子:法輪大法の学習者は、修煉を通して異なった次元に達しますが、数年後の彼らの行き先はどうなのでしょうか?

師:代償を払えばその分だけ得る、最もよく修煉できた人は圓満成就になります。修煉が少し足りなくても、将来の次元は悪くありませんが、三界を跳び出すことができないかもしれません。本当に果位を得てこそ、はじめて三界を跳び出すことができるからです。よく精進して非常に高くまで修められる人もいますが、修煉を疎かにしている人であれば、少し得られますが、三界内の異なる次元の天人になることができます。

弟子:法身はどんな状況の下で、去って行ってしまうのでしょうか?

師:あなたが修煉者でありさえすれば、彼はあなたが圓満成就するまで見守ってあげます。もし修煉しなくなり、まったく修煉をやめてしまったら、彼も失望し、本当にだめだと思ったら諦めてしまいます。法輪も同じで、あなたが修煉しなくなったら、常人としてこのようなものを持つことが許されますか? 持っていても意味はなく、修煉しなければ、法輪はあなたに何の働きもしないからです。

弟子:元神や主元神、また識神は同じ意味ですか?

師:主元神とはつまりあなた自身です。あなたが何を考え、何を行ない、普段何をするか、それがあなた自身です。副元神はあなたと同時に母胎から生まれてきて、あなたと同じ名前を持ちます。しかし彼とあなたには違いがあり、あなたがどんな事を行なっているのか彼には分かりますが、彼がどんな事を行なうかはあなたにはまったく分かりません。従って根本からいえば、同一の神ではなく、彼はあなた自身ではありません。あなたは、自分が何かをしようと思い、何かを行なおうとして、はっきり分かっている時こそ、本当のあなた自身です。人間はこのような生命で、従来からこのような形式なので、みんな副元神を持っています。元神というのは概括した言い方ですが、概括して言えば、副元神も元神もその中に含まれているから、元神、元神と言っています。我々は主元神と副元神を分けて言っています。識神とは道教で使われる言い方で、彼らは主元神のことを識神と言います。

弟子:妊娠した後、法輪大法を煉ることができますか?

師:できます。問題ありません。以前ある人が、妊婦が法輪大法を煉ると法輪がお腹の中で回るので、胎児は耐えられますかと質問しました。皆さんに話しますが、それは同じ空間には存在していません。もし同じ空間に存在するなら、法輪がお腹の中で回れば腸も耐えられないので、同じ空間には存在していないのです。それぞれの空間にみな、あなたの身体の存在形式があります。

弟子:私は身長が低いことに悩んでいます。お尋ねしますが、背が高くなることはできますか?

師:どうして何でも私に聞こうとするのですか? 私は煉功者に教えているのです。こういった執着心を抱いて修めていけますか?! 背が低いことはあなたの修煉に影響しますか? 私のところで教えているのは高い次元へ修煉する大法です。あなたは常人として、外見が完璧な常人になりたいと思うなら、私のところではなく、病院に行って整形手術をしてください。こんなに長い時間をかけて十回も講義をしたのに、私が何を話したかも分からない人がいます。あなたはどうしてこういったことを私に質問するのでしょうか? 常人のことに私たちは関与しません。あなたはこのような執着心を抱いて講義を聴きに来ても、何も得られません。ただ、法を学ぶことを通して、あなたはきっと分かるようになると思います。

弟子:法輪大法を煉る前に、按摩をしてもよいでしょうか?

師:按摩をしてどうするのですか? 法輪大法の大脈や気機が運行する時、あなたのために何もかもしてあげているのに、按摩をして何をするのですか? あなたは我々の教えたとおりに煉ればそれでよいのであって、教えていないものを決して加えてはいけません。そういうものには、様々な気功の目茶苦茶に乱れた信息や偽気功の信息があり、何でもあるのです。何も加えてはならず、意念さえも加えることはできません。純粋に修煉してこそ、速いのです。

弟子:私は体育の教師です。私は学生に他の門派の功法、例えば一指禅や太極拳などを教えるように求められています。どうしたらよろしいでしょうか?

師:それなら法輪大法を教えましょう。そうすると、本当にこの上なく良いことです。もちろんあなたが法輪大法を煉りたいので、このようにあなたに教えるのです。他のものを教えると、本当に良くありません。もしあなたが法輪大法を煉らないというなら、私も関与しません。本当に修煉するなら、専一にしなければなりません。実はこの類いの具体的な問題に、私はまったく解答したくありません。あなた自身が酌量しながら対処できるはずです。

 他の気功の手法を使って、病気治療を行なってもいけません。使えば、別のものを加えたことになり、それらはすぐにやってくるので、あなたの功はやはり乱れます。
 
弟子:他の功法の録音テープを使って煉功をしてもよいですか?

師:そういったものはみなその一門の信息を帯びています。私がこれほど言っているのに、どうしてまだ分からないのでしょうか? 法輪大法を煉るなら、法輪大法だけを煉って、それらのものに触れてもいけません。ちょっとでも触れたら、すぐにあなたの身体に憑いてきます。神を招くのは易しいが、送り出すのは難しいと言われるように、あなたはそれを追い払うことができません。私の法身も関わりたくありません。あなたの悟性がこんなに悪くて、法をこれほど説いているのに、あなたはまだこのような状態なのですか! そうだとすれば、あなたに様々な失敗を経験させ、失敗の中で悟らせ、あなたのその心を取り除かせるのです。

弟子:ゲップをする時に出た気は、呑み込みますか、それとも吐き出しますか?
 
師:ゲップの気を呑み込んでどうするのですか? 吐き出します。身体を調整する時にゲップで出てきた気のほとんどは廃棄物で、汚い気です。それは内臓の中の汚い気です。

弟子:善意から、他の功法を煉る人を止めさせてもよろしいですか?

師:いけません。人というのはそういうものです。どの門に入ろうと、その人自身が選ぶことです。法輪大法が講習会を開催すると、いつも一部の偽気功も同時に講習会を開きます。その場合あなたはどの門へ入りますか? 人が法を得ることは容易ではなく、正法を得るのはなおさら難しくなります。皆さんに教えますが、善を勧めてもその人が聞かないなら、もうそれまでです。彼は佛になりたくないのに強引に止めさせて、佛になるように強要する道理がどこにありますか? その人が自分の心で修めようとしなければなりません。彼は修煉したくないのに、あなたは彼を左右することができますか? 彼がたとえ魔になりたいとしても仕方のないことです。つまりこのような道理なのです。

弟子:一式の功法を煉り終えた後の結印した状態と、次の功法を始める時の結印は、分けて別々にしなくてもよいでしょうか?

師:そうです。次の一式を始める時、両手を解く必要はなく、結印のままで次の功法につなげます。ただし、九回やることが要求される功法は、必ず九回やってから止めて結印し、それから続けます。なぜこのようにしなければならないのでしょうか? 高い次元で煉功するには無為を重んじるので、如何なる意念もないからです。いつまでも回数を数えてはいけません。高い次元で修煉する時、いつまでも録音テープを聴いていてよいでしょうか? 録音テープを聴く目的は、私たちの一門の音楽が良いエネルギーを帯びているからです。また、音楽を聴いて煉功者の一念が万念に代わり、他の良くないことを考えず、雑念が入らないようにさせるためです。主にこのような目的です。高い次元で修煉する時、皆さん考えてみてください。いつも音楽を聴いたり、回数を数えたりするでしょうか? いけません。煉功は毎回九回するので、こうなると、その機、私があなたに植え付けた気機、機制も九回に固定されるのです。高い次元で修煉する時は、回数を数える必要はまったくなくなります。あなたが煉功する時、九回になると、その機は自動的に作用をし、その力は非常に大きくて感じとることもできます。その力であなたの手は自動的に下腹部で合わさり、九回になると手は自動的に法輪を推し回すことを始めます。高い次元になると、あなたの手は機に従って動くのです。

弟子:貫通両極法の時、まず二つの空の筒を想像するのでしょうか?

師:そうです。貫通両極法の時、皆さんの考えの中に、自分の身体は一本または二本の空の筒のようだと想像します。貫通する時、エネルギーの流れは身体の中で何の障碍もなく通る、主にこの意味です。ただ煉功する際に、いつも自分は空の筒だと思う必要はなく、煉功する前にその考えをちょっと加える程度でよいのです。

弟子:立っていることが続けられなくて、坐ったまま煉功してもよいでしょうか?

師:この大法の要求は本当に修煉できる人のために出したものです。立てなくても煉りたいと思っていますが、こうして煉れば煉功の要求を満たせないため、機も歪められてしまい、私たちの要求とは異なってしまいます。

弟子:念佛したり、佛を拝んだりするのは、修煉に影響がありますか?

師:影響があります。佛教を信じる人に教えますが、佛教の中の法は佛法のすべてではなく、それはただ佛法の中のほんのわずかな一部分にすぎません。佛教徒はこの現実を認める勇気がありませんが、実は経書の中にも述ベられています。どの法門を修めるかは厳粛な問題です。あなたがどの法門を修めたいと思っても、私たちは反対しません。あなたはひたすら修めてください。この法門を修めようとすれば、この法門だけにしてください。修煉は不二法門なので、昔は佛教の中でも混同して修めることを許しませんでした。彼の名前を念じるのは、彼に見守ってほしいためではありませんか? そうでなければ、なぜ彼の名前を念じるのですか?

弟子:中国で流行している気功の中で、どれが正法に属していますか?

師:偽物は本物より何百倍も多いのでその名称まで明かすことはできません。何でもはっきり説明したら、修煉はあまりにも易しすぎるのではありませんか。ただし、皆さんはある程度識別できるはずです。

弟子:楞厳経(りょうごんきょう)は、釈迦牟尼自身が伝えだしたものですか?

師:楞厳経ですが、皆さんに教えますが、釈迦牟尼は自分で楞厳経や金剛経、心経などを伝えたと言ったことはありません。釈迦牟尼が在世中、何々といった経書を自分が伝えたと言ったことや、名前を付けたこともまったくありません。後世の人は釈迦牟尼が説いた法を整理してできた経書に名前を付けて、何々経、何々経と呼んだのです。すべて後世の人が整理して、経書に名前を付けたのです。それらは釈迦牟尼佛が在世中に説いたもの、時間や場所、対象などとは違いがあります。後世の人が整理した時の理解や、意識的或いは無意識的に加えた変更、記憶が不完全なものなどが重なり、経書の中に佛のものは既に多くありません。

弟子:家の中に祀っている佛に、線香をあげてもよいでしょうか?

師:あなたが望むならあげてください。佛は皆互いに尊敬し合っています。皆佛家なので、これだけを尊敬してあれを尊敬しない、といったことはありません。皆佛家なので、皆敬う必要があります。ただし、どの法門を修めるかは厳粛な問題なのです。敬うとは敬うことであり、修めるとは修めることです。

弟子:法輪大法を修煉する人は、葱、生姜、大蒜を食べることができますか?

師:皆さんに教えますが、常人が料理を作る時に葱、生姜、大蒜を入れても問題はないと思います。集団で修煉していない場合、他の人の妨げにならないので、あなたが少し食べても、それほど多くなければ問題ありません。こういうものは刺激的な臭いが強いからです。一方、味噌をつけて葱を食べるのが仕方ないほど好きだというと、それも癖になり執着です。つまり私たちはこういうことを追求しません。刺激的な臭いがある食べ物は神経を強く刺激し、癖になりやすいのです。同時に、修煉してあなたの身体から出てきたそれらの生命体も、この臭いに耐えられません。酒を飲むことも同じであり、皆さん考えてみてください。このような問題なのです。もちろんあなたは常人の中で修煉しているので、執着しなければ少し食べてもかまいません。あなた自身で正しく対処してください。私たちは常人の中で修煉するので、最大限に常人と同じようにしてもよいのです。ただし、あなた自身は煉功者の基準で自らを律するべきです。

弟子:はじめて講習会に参加し、三、四日経っただけで、法輪の回転を感じる人がいるのはなぜでしょうか? しかも、どこにも法輪があり至るところで回っていると感じています。しかし、三回講習会に参加しても何も感じない人もいますが?

師:この法輪大法を学んで、この法は素晴らしい、これは正しいと感じて、講習会に何回も参加した人がいます。しかし、病気を治そうとする心を根本から放下しておらず、何回か多く講習会に参加すれば、病気が良くなると思っている人もいます。どんな心理状態を抱える人もいて、講習会に参加した人が皆修煉しに来た人や、法を求めに来た人とは限りません。また、もともと敏感ではない人もいて、当初法輪が回り始めた時に分からず、安定してからは、なおさら分からないのです。とても敏感な人でも、当初法輪が回っていたのを感じても、だんだんと感じられなくなります。どうして感じないのでしょうか? 法輪が順応してからは、あなたは感じなくなるので、順応してまた何を感じるというのですか? 普段、胃が動いているのをあなたは感じますか? つまり身体の一部分になった時、あなたはもう感じなくなります。血管の中の血液は流れていますが、あなたは感じますか? つまりこういう意味です。

弟子:私は今、韓国へ行こうとしていますが、韓国人が法輪大法を学びたいなら、彼らに教えてもよろしいでしょうか?

師:勿論よろしいです。韓国語で彼らに翻訳してあげてください。あなたが訳して、彼らに伝えてあげてかまいません。大法は全人類に伝えなければなりません。

弟子:一人が法を学べば家族全員が受益できると言いますが、ほかの家族が法輪大法を学ばず、功も信じなくて、時には皮肉な言葉を投げかけてくるのです。それでも彼らは受益することができるでしょうか?

師:この問題は二つの面から見なければなりません。あなたを刺激する人は、この法に対してあなたの心が動揺するかどうかを試練しているのかもしれません。家族があなたの耳に障るような話をするのは、業力を取り除くのを手伝っているのかもしれず、これには多くの要素が存在している可能性があります。もちろん特殊な場合を除いて、一般的な情況では、一人が煉功すれば家族全員が受益するのはいうまでもありません。あなたの家の場も整理してあげなければならず、当然このような場の中で、家族は受益することになります。もう一つは、家族の誰かが魔に制御されている可能性がありますが、それは逆から見れば良いことで、あなたの修煉の意思を固めることができ、動揺しなければ、師父もきっと整理してあげるはずです。

弟子:一心に法輪大法を修煉し、真剣に修煉すれば、つまり法輪大法の弟子となりますが、羅漢果位まで成就できずに死んでしまう場合は?

師:先ほど私が話したように、代価を払った分だけ得ることができます。ですから、修煉して圓満したいと思うなら急いで修煉しなさいと言ったのです! 寺院の中で、なぜ釈迦牟尼の坐像がある殿堂を「大雄宝殿」と言うのでしょうか? 佛法を修煉するには、雄獅子のように勇猛に精進すべきだと釈迦牟尼が言ったからです! それゆえ当時の人は彼を雄獅子とみなしていました。更に言うと、私たちは性命双修であるため、本当に精進すれば、必ず生命が延長されて圓満できるのです。

弟子:先生の弟子になりたいのですが?

師:皆さんに教えますが、私は真に法輪大法を修煉する人を、みんな弟子として導きます。あなたにこれほど多くのものを与え、これほど多くのものを植え付け、法もここまで説き、功も教えてあげて、更に私の法身があなたの煉功を見守っています。これはつまり、あなたを弟子として導いているのではありませんか? 昔、一人の弟子にしか伝えない独修の法門でも、このように導くことはありませんでした。あなたに教えますが、私は前人がこれまで行なったことのないことを行ない、最も大きな門を開きました。しかし私たちは昔のような形式を重んじません。皆さんはひざまずいて叩頭し、拝んだだけで私の弟子になったつもりですか? 我々はこのような形式を重んじません。なぜ重んじないのですか? 皆さん考えてみてください。あなたが修煉しなければ、弟子になったとしても何の意味があるのでしょうか? あなたは法輪大法の弟子と自称し、叩頭して入門の儀式も行なったし、李洪志も私を弟子として認めたと言っても、ここから離れるとあなたはすぐ元の木阿弥になり、法輪大法を汚すことを行ない、この法の要求通りに行なわなければ、それでも弟子と言えますか? そうすることによって我々の名声を汚すかもしれません。だから我々はこのような形式を重んじないのです。あなたが修めれば、即ちこの一門の弟子なので、私があなたに対して責任を負いますが、あなたが修めないなら、この一門の弟子ではないので、私はあなたに責任を負いません。つまりこのように対応するのです。
 
弟子:貫通両極法を煉る時、「想像」や「感覚」は要求に符合しないのでしょうか?

師:そうです。感覚も必要なく、想像も必要ありません。あなたは一心に煉功するだけで、何も考えないで静かに煉ってください。

弟子:人が話をする時、その人が話す前に、いつも私はその人が何を話そうとするのか知ることができるのですが、どうしてでしょうか?

師:あなたに他心通の功能が現れたからです。あなたがきちんと煉功すれば、それを強めることができます。ただし良くないことをするのに使ってはいけません。良くないことをしなければそれを維持することができます。他人があなたを悪く思っても、あなたは怒ってはならず、煉功者の基準に従って自らに要求してください。

弟子:私は遠い上海にいますが、もし煉功中に疑問が生じたら、誰に連絡すればよいでしょうか?

師:上海は遠いとは言えません。学習者の間で互いに切磋琢磨するのはとても良いことです。一部の人は講義を聴きましたが、私の話が多すぎて、すべてを覚えることは無理です。録音してよいので、できるだけ録音を多く聴いてください。上海に最も近いのは合肥の輔導站です。上海は私を招いたことがありますが、いつも最後には確定できませんでした。上海の学習者は少なくなく、学びに来る人は多いので、互いに切磋琢磨して向上すればよいのです。上海、武漢、広州、鄭州、重慶、成都、いずれにしても、全国のほとんどの大都市に我々法輪大法の輔導站があるので、連絡すれば良いのです。実はこの法に基づいて行なえば、皆悟れると思います。私は法を系統的に伝え出したからです。将来、本も出版するので、修煉によりいっそう便宜を提供します。

弟子:坐禅する時、いつもよい香りがするのですが?

師:それは正常なことで、とても正常です。このようなよい香りは、他の空間からくるものです。

弟子:講習会に参加したことはありませんが、法輪を得ることができるでしょうか?

師:本当に法輪大法を修煉する人は、本に照らして学び、真に本の要求に従って行なうなら、同じように得ることができます。つまりあなたが本当に修煉すれば、きっと得られます。

弟子:寝ているうちに法輪を手で触ったのですが? はっきりと覚えています。左の胸元で、手で押すと左右に動かすことができました。しかし目が覚めてから手で触ると、もうそこにはありませんでした。

師:それはあなたが別の身体を主宰して触れたのです。そうですね、目が覚めてから、この身体を触ってもそこにはありません。肉身が完全に同化して、はじめて触れることができるのです。

弟子:この宇宙の特性である「真・善・忍」の「忍」の字は、常人社会でよく理解できますが、高い次元では争いやトラブルがないのに、どうして忍が必要なのでしょうか? 宇宙にどうして忍が必要なのでしょうか?

師:この宇宙はあなたが理解しているようなものではなく、それは相当に複雑で巨大な系統です。有形の人類が存在する以外に、また無形の人類も存在しています。私たちはよく空間と言いますが、高い次元の空間にも、彼らの次元の問題が存在しています。あなたに教えますが、多くの遠いところにも、私たち人類のような身体が存在していて、このような色身は相当多く、宇宙全体にあまねく分布しています。そればかりか、異なる次元には異なる覚者がいて彼らにも互いの社会的関係が存在しています。その上、更に高い次元にもこのような存在の形式があります。あなたが理解している忍は、人間の考えに基づいて理解している忍ですが、忍には更に高い内涵があります。これがなくて成り立つのですか? あなたが常人の角度に立ってこの大法を理解しようとすれば、まったく理解できません。

弟子:夫婦の間で、徳を失うことがありますか?

師:あります。あなたがいつも妻を殴っていたら、私の見るところ彼女に借りがあることになり、あなたがいつも夫を罵っていたなら、同じように彼に借りがあることになります。皆、人であり生命であり、誰と誰の間にもみなこのような業力の関係が存在しています。子供と親の間にも、このような関係が存在しています。子供の肉身はあなたが与えたのですが、命は決してあなたが与えたものではないので、子供をあまりひどく扱ってはいけません。子供としては、親には少なくともあなたを生んで育ててくれた恩義があるので、親を尊敬しなければならず、そうでなければ、あなたも親に借りがあることになります。

弟子:講習会に参加して今になっても、私の足の病気はまだ良くなる気配がありませんが?

師:あなたはその心を放下できていませんね。私はあなたの病気を治すために来たわけではありません。あなたが放下できなかったら、私には何もできません。病気があるのはかまいませんが、その心を放下できないなら困ります。その上、あなたが修煉を信じなければ、なおさら仕方がありません。ここでは修煉者だけの面倒を見るのです。私の法身は常人の面倒を見ないし、私も自らあなたの病気を治療しません。あなたが病気を治したい考えやその思いを捨てず、自分を煉功者と見なさないならば、どうやってあなたの面倒を見るのでしょうか? 私は病気を治しに来たのではなく、佛法を伝えに来たのです。

弟子:夢の中で天目のところで法輪が回っているのが見え、また白い物質も見え、それに武術の達人も見えましたが?

師:それは夢ではなく、本当にあなたに見えたのです。それは正常なことで、何が見えても正常なことです。それに執着したり、追求したりせず、自然に静かに観察していればよいのです。

弟子:よく全身が高く大きくなり、空の感じがするのですが?

師:そうです。人の身体、他の空間にある身体が煉功する時に大きくなることがあります。他の空間の身体や元神は大きくなったり、小さくなったりすることができます。自分がとても小さくなったと感じる人も、とても大きくなったと感じる人もいますが、これはみな正常な現象で、煉功する時に現れることです。功が伸びると身体の容量も増大しているからです。

弟子:五式の功法で第一、第三、第五式に、男が左で女が右の動作がありますが、どちらが陰、どちらが陽なのでしょうか?

師:左側を陽と見て、右側を陰と見ます。背中を陽と見て、前面を陰と見ます。上半身を陽と見て、下半身を陰と見ます。

弟子:地球上の衆生は、もうこれ以上輪廻しないのですか?

師:輪廻は主にこの地球上の生命に対して言っていることで、どうして輪廻しないのでしょうか? 人は人になるのが目的ではなく、人になっている機会を掴み、しっかり修煉すべきです。来世ではどういうものに転生するか分からず、人体を持たなければ修煉することは許されません。しかし人々がみな修煉することはあり得ず、たとえ皆が修煉していても全員精進するとは限りません。人類社会は永遠に存在します。

弟子:夢の中で先生にサインをお願いしましたが、自分の名前を書いてくれました。その上に先生から心性についてのお話も聞きました。しかし目が覚めてから気が付いたのですが、夢の中の人は全然先生に似ていません。

師:そうです。皆さんはくれぐれもこういった事に注意してください。彼はどうして夢の中であなたにサインをしたり、心性の話をしたりすることがありうるでしょうか。我々の看板を掲げてでたらめな話をするかもしれません。皆さんはくれぐれも注意してください。これはサインを求めるという執着が引き起こしたことです。実際のところ、この法を既に明白に説きましたが、あなたがそれに照らして行なうかどうかの問題です。私たちは再三強調していますが、皆さん考えてみてください。覚者は夢の中で法を説いてはいけないのです。説いたら天機を漏らすことになり落ちてしまうので、彼は夢の中であなたに法を説く勇気がどこにあるのでしょうか? つまりこのような問題です。私はこれらの事を再三話していますが、すべて魔の妨害なのです。

弟子:先生は、心性を修めずに煉功動作だけで功を得ることはできないと話されていますが、狐の類いというものは心性を講ぜず、ただ練功の動作だけをやっているのに、どうして功を得ることができるのでしょうか?

師:常人にも一定のエネルギーは存在しますが、非常に少ないのです。根基の良い人は先天的にとても大きいエネルギーを帯びています。動物の類いは他の空間で常人社会に惑わされず、エネルギーが見えます。それでそれは盗んだり練ったりして、ほんの少しの功を得ることができます。しかし高まることは許されません。人の根基が少し良ければ、功を煉ると、心性を修めなくても功をほんの少し伸ばすことができます。なぜでしょうか? 彼の心性は元々少し高いかもしれませんが、彼の心性基準がそこにあるからです。しかし、真に修煉しようとするなら、きちんと修めなければなりません。そうしなければ、これ以上高く伸ばすことができず、正法を得ることはできません。一般の人が修煉しようとするなら、真に心性を修めなければならず、そうして、はじめて抜きん出て、跳び出すことができるのです。他の空間のそれらはほんの少しエネルギーを得ることができ、人もほんの少しエネルギーを得ることができますが、何も大したものではありません。千年道を修めても、万年道を修めても佛の小指の一ひねりにも耐えられず、何ものでもないと私は話しました。ただし常人の中で、それは非常に不思議な力があるように見えます。

弟子:南方の一部の都市は業力が非常に多いと言っている人がいますが、私は上海の大学に在学しており、影響を受けないでしょうか?

師:皆さんに教えますが、末法時期になるとどんなところにも、良い人もいれば悪い人もいます。しかし業力の多さから言えば、各地はそれぞれ環境が異なります。ある角度から見ると、人の思想が際立って悪い地域もあります。

弟子:先生の写真を天目で見ると、藍色が黄金色に変わっていますが?

師:これは正常なことです。天目が開いたら、異なる空間には異なる色が見えます。

弟子:法輪世界は宇宙のどの方向、どの位置にあるのでしょうか?

師:宇宙には人々が認識する方向感覚はありません。法輪世界はどんな所で、どのくらい遠いのか、その距離をどのように量かれるでしょうか? 常人のキロメートルでは計測できません。ただし、私の身体には反映してくることができます。私はそれと繋がっているからです。それゆえ、学習者は私の身体の後ろに山や川、楼閣や東屋があるのが見え非常にきれいです。多くの学習者がこれらの景勝を見たと私に話しました。実はあなたがその一部分を見たのです。

弟子:法輪世界と浄土の極楽世界との違いは何でしょうか?

師:法輪世界はより大きく、次元も更に高く、つまり更に遠いのです。

弟子:私は既に牧師から洗礼を受けたことのあるキリスト教徒ですが?

師:同じく大法を修めることができます。法輪大法を煉りたいのなら煉ればよいのです。どちらも正法修煉なので、誰かがあなたを懲罰することはありません。どの法門を修煉するかは自分の一存で決めることです。教えますが、キリスト教も正教ですが、ただ末劫の末法時期にきたので、今の人はその教義を歪めて理解しています。ただし、私はイエスの天国に東洋人がいるのを見たことがありません。当時、イエスとエホバは彼の教えを東方へ伝えさせませんでした。

弟子:技術を研究し、努力して文化と知識を学習することは、執着になりますか?

師:技術者であるなら、職場であなたの本職は研究を行なうことです。成果を出せず、成績を上げられなかったら、私の思うところでは、勤務先で与えられた仕事と給料に申し訳が立ちません。煉功者はどこにいても良い人でなければなりません。仕事は当然、立派にやり遂げなければならず、それは執着ではありません。どういうことでしょうか? あなたは他の人のために利益をもたらし、社会の多くの人のために価値を作り出しているからです。少なくとも勤務先のためであり、あなた一人のためではありません。これはあなたが常人社会において行なうべきことです。文化と知識を学ぶことは執着になるかといえば、我々も文化と知識を学ぶことを尊ばなければならないと私は話しています。知識がなければ、この法も理解しにくくなるからです。学生が大学へ進学したいと思う心は執着ですか? いつも大学へ上がることばかり考え、家族にも進学するように口うるさく言われ、精神的な圧力を強く感じれば、これは執着だと私は思います。それは執着ではありませんか? 先日私が話したように、あなたが自分の責務を立派に果たし、両親や学校にも申し訳が立ち、しっかり勉強すれば得るべきものを得られるのではありませんか? しっかり勉強しなければ、大学へ上がることができるのですか? しっかり勉強すれば、得るべきものが得られるのではありませんか? よく勉強できれば、きっと大学へ上がることができます。いつも思って追求しているなら、それこそ執着です。

弟子:先生の講義を聞いてから、常人のことに対して興味がなくなり、昇進や他の本に対しても、興味がなくなってしまいました。これは正しいのでしょうか?

師:その通りです。実はこれは自然な現象です。煉功と思想の昇華に従って、常人の中のことは、常人という次元のもので低いのであり、つまらないものだと気付きます。あなたの思想境地が昇華してきたからです。私はこのような言葉をよく言ったのではありませんか? 煉功者が高い次元に達した時、常人との間に大きな溝があることに気付きます。あなたが言いたいことは常人が聞きたがらず、あなたも常人に話そうとは思いません。常人が話している事は、あなたはまったく聞きたくありません。何千年来、ああだこうだとぶつぶつ、ぶつぶつ語っており、常人の中のたかが知れていることなので、あなたは聞きたくありません。往々にして修煉者の口数が少なく、話したがらないのもその原因で、そのような現象が現れてきます。昇華するに従って、あなたはきっとこういったことを、ますます気にしなくなったと感じるでしょう。

弟子:第五式の功法で四つの静止する動作は、それぞれどのくらい保持するのですか?

師:功能加持という動作は、長時間煉ることが要求されるものです。仕事のある人は毎朝、録音テープの時間に従えば十分ですが、実は具体的な時間というのはありません。第五式の功法は簡単ですが、難度は非常に高く、長時間坐ることが要求されます。長く坐れない人もいますが、それほど長く坐れなければ、できるだけ坐ればよいのです。坐る時間を均等に分け、前の三つの動作と両手結印の時間を等分にしましょう。実は坐禅する時、最後に入定に入る時間をもっと長くしてほしいのですが、今のあなたにはそこまでできないので、ゆっくり煉っていってください。今固く規定しても、まったく現実的ではありません。

弟子:同僚が邪法を練っています。これからもその人と長く一緒に仕事をするので、どうすればよいでしょうか?

師:邪法を練っているとすれば、練っているものが良くないものだとその人に教えます。その人に何を言ってもそれを練りたいなら、好きにさせればよいのです。仕事の面では、その人と正常に交際してもかまいません。正法修煉は何も恐れることがないので、気にすることはなく影響されません。

弟子:今回の講習会に参加した学習者は、法輪大法の弟子になれるのですか?

師:この事については既に話したことがあります。本当に修煉するならば、私はあなたを弟子として導きます。修煉しないなら、あなたを弟子としません。

弟子:法輪大法を学んだら、功法以外の知識を学ぶことができますか?

師:それはかまいません。数学、物理学、化学や幾何学など、常人の中の知識を勉強してかまいません。あなたはまだ常人の中で生活しているので、法輪大法を修煉するだけで、常人の中の事をしないのもいけません。

弟子:煉功する時に、口の中で唾液が出ると、どのようにすればよいですか?

師:それを吐き出さないでください。唾液ならば飲み込みましょう。私があなたに自動的な機を植え付けたので、それを気にする必要はなく、自然に飲み込むようになっています。唾液を常に吐き出す人がどこにいますか。金津玉液なので、煉功者は唾液を貴重なものと見なしています。

弟子:世の中には悪い人、悪い考えを持つ人がいます。このような人はもともと悪の報いを受けるべきですが、善い行ないをして他人を助ける人が逆に良い報いがないのはなぜでしょうか?

師:つまり、善人は苦労をしてつらい目に遭っていても、悪人は楽に暮らしているのはなぜか、という意味ですか? 皆さんにお教えします。善人が苦労をしてつらい目に遭うのは、高級生命から見ると、人は人になるために生きているのではなく、ここまで堕ちて来たあなたに、戻っていく機会を与えるために、あなたは人になったのです。それでもまだ悟らず、ここでもまた悪事を重ねて業を造れば、業力の報いが現れます。覚者から見ると、これらの業力を早く返すことができれば、あなたはここから離れることができるのです。良い人であればあるほど、彼らはあなたに業を早く返させます。業力を返す時、あなたは苦しい思いをして、ひどい目にも遭うのではありませんか? そのため往々にしてとても良い人は、かえっていつも苦しい思いをしてひどい目に遭います。良いことをしても人々に理解されず、罪を着せられたり悪人に陥れられたりします。また功績を立てても、他の人にそれを奪われてしまいます。よくそういう事に遭うのです。私たちから見てもこういう道理なのです。これは良い人が往々にして楽に暮らせない原因の一つですが、すべてがそうではなく、業力の多さと関係があります。あなたに業を返させた後、苦海から早く離れさせることが目的です。その悪人をどうしますか? 悪人に対しても慈悲の観点から見るのです。悪人が悪事を働く時は人に徳を与えています。悪事を働いた分の徳を人に与えます。こういう人は何も分からないまま自分に害を与えているのです。それなのに、どうやって彼を構うというのですか? 誰も彼を罰したいとは思いません。彼自身が自分を害しているのに、またどうして彼を罰するのですか?! 彼は悪事を働いても罰せられることなく、構う人もいません。彼は狂ってしまったようなので、誰も彼に構いたくありません。なぜでしょうか? 彼はただ自ら壊滅されるのを待つだけで、死ぬ時に徹底的に壊滅され、何もかも無くなってしまうからです。つまりこのような道理なのです。人の考えている良し悪しは逆になっています。

 常人が人の善悪を量る基準は、個人の角度から考えています。自分に対して優しければその人が良いと思い、あるいは自分の観念から見て良いと思えば、その人が良いと思ったりしますが、それはいけません。あなたに優しければその人が良いと思うなど、あなたの考えはやはり限られた常人の観念であり、その基準も低いのです。この宇宙の特性こそ、善悪を量る本当の基準なのです。

弟子:私はデパートで色々な佛像を見た時、頭が重く感じましたが?

師:そうです。隙があればすぐに乗じる悪者がいますが、大法の修煉者には影響は及びません。

弟子:以前、佛教の言葉に触れたことがあります。煉功する時に、たまに噏叭轟弥……と出ることがあるのですが?

師:これは密教のもので、密教の呪文です。今は邪道なものもそれを念じて使っており、道家でさえも念じています。今はとても乱れているので、こういったものに妨害されてはいけません。眠っているうちに大手印、様々な手印をする人もいますが、すべて放下し、それらの手印をしてはいけません。私があなたに教えたのはこれだけなので、これだけに従って煉ってください。

弟子:食中毒が発生したら、どうすべきですか?

師:本当に修煉する学習者は、めったにそのようなことには遭わないのです。本当に修煉する人なら、修煉に関係のない難に遭遇しても、すべて避けることができます。必ずその通りです。どれほど大きな難に出遭っても必ず避けられますが、前提条件は本当に修煉する人でなければなりません。修煉の基準に達することができず、常人の中でまったく心性を向上させない人なら、その時どうなるか分かりません。こんなに長い間煉っていても、病気はどうして良くならないのか、と私に質問した人がいます。では、あなたの心性はどうなのですか? 少し動作を煉っただけで、病気が良くなると思っているのですか? 我々はあなたの病気を治しに来たのではなく、我々のところは修煉であり、こういう問題ではありませんか? 食中毒と言うなら、私の見るところでは、私たち学習者の中にはこれまでこのような現象はありません。もし誰かが本当にこのような事に出遭ったなら、茶碗を砕いてでも口に入れないようにするでしょう。もしあなたが本当に中毒になったなら、やはり病院へ行かなければなりません。なぜなら、あなたは自分をしっかり制御できず、自分が真の修煉者でなければ、このような問題が起きると、やはり本当に医者に診てもらいに行かなければならないからです。煉功者として、普通こういった事は起きるはずがありません。

弟子:法輪大法を煉る人は、献血しても問題ないでしょうか?
 
師:もちろん絶対献血しないようにとは言いませんが、あなたの血液を人に輸血してあげるなら、たいへん貴重なものになります。こういった事は法輪大法の学習者や弟子にはあまり見られませんが、このことに関して絶対とは言えません。どうしてもあなたが献血しなければならないときなら、そうするしかありません。

弟子:毎年の祝祭日、少なくとも年に一度、テレビの形式を用いてでも、学習者たちに先生の顔を見せていただきたいのですが?

師:それはテレビ局のする事です。実はそのようなことは縁に従うべきです。

弟子:煉功する時、「喜」の字に覆い被せた布が持ち上げられ、その字を私に見せたのですが?

師:それはあなたが法を得たこと、法を学んでいることを啓示しているのです。

弟子:業力が非常に大きな人が、功が比較的高い人といつも一緒に煉るなら、功が高い人に対して何か影響がありますか?

師:ほんの少しの影響もありません。功の高い人から見ると、業力は何でもありません。

弟子:法輪はどういう情況で変形するのですか?

師:他の功を混ぜ入れて煉ったり、意念の中に他の功の意念を混ぜ入れて煉ったりしても変形します。外力により永遠に法輪を壊すことはできません。

弟子:宇宙の中の成、住、壊は自ら演化した結果ですか、それとも大覚者に制御されているのですか?

師:この宇宙はこのような存在形式なのです。同時にこの宇宙はまた相当偉大な覚者が制御できます。しかしそれも自然に生まれて自然に滅ぶという、宇宙の理に従っています。滅ぶかどうかは彼に関係なく、爆破しても彼に害を及ぼさず、彼は新たに造ります。宇宙の歴史はあまりにも長くて、佛道神は考える必要がないのですが、人にとってそれはとても恐ろしいことです。

弟子:私のお腹の中で法輪が回転し、熱を発して張ったりすることは正常なことですか?

師:おや、あなたのお腹の中に法輪があり、それは高級生命なのに、あなたはどうしてまだ不安を感じるのですか? 法輪があなたを害するはずがあるのですか?! 言葉を変えて言えば、それは佛なのですよ!

弟子:延吉には「文革」の前に五つの廟がありましたが、「文革」の時に取り壊されました。今再び建てられているそうですが、法輪大法の学習者はお金を寄付してよいですか?

師:私が思うには、こういった事に関わらないほうがよいのです。他人が寄付するのは他人のことで、彼らは彼らの法門のものを修めます。

弟子:私は真剣に法輪大法を煉ると決心しましたが、いつもこのように思って自分に要求することは、執着と言えますか?

師:自分に良い人になることを要求するのは、執着とは言えません。返本帰真したいと思うなら、人の本性が出たので、かえって執着を破ることができます。

弟子:私は居士ですが、楞厳経を読んでもよいですか?

師:私たちには法輪大法を修煉する本があり、あなたはそれを読めばよいのです。将来はまた他の本も出版されます。あなたがいつも楞厳経や金剛経、あれこれの経を見ると、その一門のものを修煉することになるのではありませんか? つまりこのような問題です。私はあなたがそれを見ることに反対しません。あなたはその一門を修めればよいでしょう。二股かけてはならず、そういう意味です。

弟子:軽度の精神病がある人に教えることは?

師:あなたはこういった面倒を引き起こさないほうがよいと思います。その人は自分を制御できず、聞いても分からないからです。その人の頭が外来の信息によって制御される時、どんな魔でもその人を妨害できるので、その時にあなたは後始末ができません。その人が変になった時には、どんな魔でも彼を制御できるので、彼は良い作用を果たせないばかりか、大法のイメージを破壊することにもなります。我々がこれまで精神病の人に学ばせたくなかったのは、つまりこういう意味です。彼はまったく制御できず、その時になるとどんな魔でも彼を妨害して、何もかも破壊してしまうので、煉っていてもすべて無駄になります。

弟子:数日前、友人が家に来た時、憑き物がついてきました。翌朝、私が煉功すると、その憑き物も一緒に煉功して、その後去って行きました。これはどうすればよいでしょうか?

師:このような事に遭うと、私の名前を呼んでみてください。実はこれもあなたを試しているのです。こういった事はとても複雑です。

弟子:如何に大法を護りますか?

師:我々は人と争ったり闘ったりしてはいけません。その人を相手にしなければよいのです。修煉者が妨害に出くわすことは、つまり試練なのです。

弟子:法輪大法の悪口を言う人がいますが、どのように対処しますか?

師:その人に構わないでください。もしその人が強気で言い、横暴で筋を通さないなら、彼と同じようにするのですか? その人に構わず、相手にしなければよいのです。実は、これも心性を試練するために現れたことです。

弟子:あなたが私たちにくださった法輪は、強くなることがありますか?

師:彼はますます強くなって、自分でも大きく変わったり、小さく変わったりできます。別の空間では変化することができます。

弟子:煉功する時にまだ入静することができませんが、邪法を煉り出してしまうようなことがあるでしょうか?

師:そのようなことはありません。あなたは悪い事を考えず、自らを煉功者として律し、思想業力が頭の中に反映して生じた悪い考えを排除すればよいのです。

弟子:樹木には霊性があるとおっしゃいましたが、それは修煉できますか? 佛になれますか?

師:人以外は、正法を得て修煉することは許されません。樹木だけでなく、万物には皆霊があります。ただ正法を修煉して得道することが許されるのは人に限ります。

弟子:大法を煉っていますが、祖先の位牌を祀ることはできますか?

師:いわゆる祖先というのは、あなたの先天の祖先ではありません。それは得道した人でもなく、高い次元の佛でもなく、ただ低次元の霊魂なのです。それの心性には限りがあるので、あなたの修煉を妨害するかもしれません。あなたにそのような心があるならしっかり修煉して、正果を得た後、その人たちを済度するようにしましょう。

弟子:煉功して慈悲心が生じると、涙が流れるのでしょうか?

師:二つの情況があります。涙を流す煉功者は、私を見ても煉功する時も涙を流します。これはどういう事でしょうか? つまり、私があなたの身体を整理して、多くの良くないものを取り除いたと同時に、この上ない貴重なものを与えたのを副元神が見たため、非常に感激しているからです。しかしあなたの主元神はこれを知りません。なぜいつも涙を流すようになるのでしょうか? 彼に見えたからです。もしあなたの主元神が本当にそれを見たら、どのようにお礼を言っても、私に対する感謝の心を表わしきれません。もう一つの情況があります。一定のレベルまで修煉したら、慈悲心が出て、涙が流れることもあります。しかしそれは情況によるのです。殺生や、苦しめられる人を見たとか、いずれにしても情況によって、涙が流れるようになります。これこそほかでもなく慈悲心が出てきたのです。

弟子:煉功している時、突然用事ができたらどうしますか?

師:用事ができたらどうすればよいかについて、私は話したことがあります。私たちは煉功を終了する時の動作にもこだわらないので、立ち上がってすぐに行き、やるべきことをやればよいのです。法輪はあなたが体外に出したエネルギーを、すべて回収してきます。

弟子:法輪樁法を煉る時、両腕に法輪の回転を感じて、はじめて丸く抱いていると言えるのでしょうか?

師:そうとは限りません。回転を感じない人もいますが、この中の八十パーセントから九十パーセントの人は回転するのが感じられます。

弟子:修煉する際に、金や銀のアクセサリーをつけたままで大丈夫でしょうか?

師:煉功する時はできるだけこういったものをつけないほうが良いのです。実は、それをつけるのは顕示心のためでしょう。結婚した人が指輪をつけるのは結婚した印なのでかまいません。気を練る場合にはそれは阻害の作用を果たします。金や銀も一種の黄色か白色の物質を発することができ、それは気のようなもので、一定の阻害の作用を果たすことがあります。なぜならそれは、常人の身体の中の気より強いので、阻害できるのです。しかし煉功を阻害することはできません。一部の人はそれで魔よけができると思っており、様々な心理状態があります。煉功しているのに、どうして邪なものを恐れるのですか? 正法を修煉するなら、何も恐れることはありません。

弟子:煉功する時、いつも手が熱くなるのですが?

師:その通りです。病気はすべて陰性に属するものです。煉功者には時に陰陽がはっきり分かれる状態が現れます。身体の半分は冷たく、半分は熱いという状態です。それは更に位置が換わることもあり、こちらが冷たくなって、あちらが熱くなるのです。これはすべて正常な状態で、陰陽がはっきりと分かれる状態に属します。

弟子:法輪大法を煉る人は、死去した人に叩頭して構いませんか?

師:あなたはもし本当の煉功者で功が出たのであれば、それは本当にあなたの叩頭に耐えられません。あなたが叩頭したら、それはきっとびっくりして遠くまで逃げてしまいます。もしそれが良くない生命であれば、あなたの叩頭で、それを殺すことができます。もちろん常人にはこういったことがわからないのです。修煉者はお辞儀をしたり、佛の礼儀を表す手の仕草をしたりしてもよいと思います。死去した人に叩頭してはいけません。それらはまだあなたの済度を待っているのに、あなたはなぜそれに叩頭するのですか。

弟子:心性が向上しないことによって、坐禅する時、痛くなることがありますか?

師:心性が向上しても、足が痛くなります。

弟子:下腹部で両手を合わせる時と、両手で法輪を時計回りに四回押し回す時、手はずっと蓮花掌のままですか?

師:そうです。すべて蓮花掌です。五式の功法の最初から最後まで、ずっと手はこの形です。

弟子:ある刊行物で発表されているのですが、狐が人に化けることは本当のことでしょうか?

師:宇宙はもともと非常に複雑なのですが、ただ人は信じないだけです。私たち煉功者はこういったことに関わらないようにします。これは私たち煉功者と関係がないので、こういう質問は出さないでください。

弟子:周易を研究していますが、法輪大法を煉ることはできますか?

師:その中には幾らか他のものを帯びているので、放下したほうがよいと思います。それは大法に比べるとあまりにも小さいので、大法を修める人が研究するに値しません。もし、それがあなたの正常な仕事であれば、別の事柄になります。

弟子:人という次元の業力は非常に重いのですが、どうして大根基の人が現れるのでしょうか?

師:一般的にはみな理由があり、みな理由があるのです。

弟子:神通加持法に力を使うと、気機と互いに矛盾しませんか?

師:手印をする時は前腕が上腕を導くので、前腕と手首の間、手の指まである程度の力を使います。神通を加持する時になると体を緩め、完全に緩めます。機と巧みに協調がとれています。

弟子:どの次元まで煉功したら、はじめて法身が生まれるのですか?

師:法身はすべて佛の姿をしています。髪は藍色で、黄色の袈裟を着ています。修煉がその次元まで達したら、はじめて法身を修め出すことができます。

弟子:薬を飲むことはできますか?

師:もし法輪大法を修煉するなら、薬を飲んではいけないのかと私に尋ねた人がいます。あなたが薬を飲もうと飲むまいと、私は構いません。私のところでは、煉功者は煉功者の基準に従って行なうことを要求しているだけです。あなたはこの基準を守れず、このような心性基準に従って行なわず、薬を飲まないことで問題が起きると、あなたは李洪志が薬を飲ませないと言うかもしれません。皆さん考えてみてください。あなたが自分を煉功者と見なすことができないために問題が現れたので、薬を飲まないと、当然危険が現れることがあります。常人とはつまりそのようなものです。学習者もそれを新しい学習者の入門条件や規定にしてはならず、相手にそれを悟らせることです。ただし助言することはできます。

弟子:子供を教育する時、やむおえない場合、子供を叩いたり叱ったりするのは、自分に業力をもたらすことになりますか?

師:子供はしつけなければなりません。しつけずに子供を放任し、親としての責任を果たさなければ、あなたも徳を失うことになります。子供はやはりしつけるべきです。子供が言うことを聞かなければ、少しきつくしつけても構いませんが、子供を動物のように扱ってはいけません。それは決して、してはいけないと、はっきり分別してください。子供をしつける時にかっとなってはならず、本気で怒ってはいけません。あなた自身にも忍という問題があるのです。忍とは怒ってから耐え忍ぶのではなく、怒らないことです。子供の本当の命はあなたが与えたものではなく、子供にも先天的に由来したところがあり、彼も独立した生命なので、理性的に子供をしつけるべきです。

弟子:もし憑き物の功を練ったら、どういう結果をもたらしますか?

師:それなら、あなたも取り憑かれて常に身体の精華が取られることになります。

弟子:法輪大法の修煉においては、功の爆発がありえますか?

師:ありえません。代償を払った分だけ得ることになります。爆発することはありえません。

弟子:煉功場では、早くから結跏趺坐ができ、しかも長い時間坐れる人は、よく煉功できていると思われますが?

師:坐れる時間が長ければ、その人はこの方面でよくできているのです。全体的にその人の修煉がどうかと言うと、坐れる時間の長さや、功能で判断するのではありません。この人に功能が現れ、天目の次元が高いから彼のレベルが高いと思い、彼を崇拝したりしてはいけません! 善し悪しを量る唯一の基準はすなわち、その人の心性の高さを見ることです。大法の基準で心性の高さを量り、人の修煉のレベルを判断するのです。将来、一定の次元に達したら、その人の身体の色からも、次元を見分けることができます。なぜでしょうか? その色とは、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、有色、無色という九種類の色に変化するからです。白くなり、全身が白っぽくて白色になった時、この人は既に世間法の最高次元まで煉ったことになります。無色になるまで煉った時、もうそれは透明体の過渡状態に進み、世間法を出ることになります。そのため赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の色を見て、その人の修煉の次元を見分けることができます。最初は彼の身体は赤で、紅色です。羅漢法の修煉に至った時、また赤、橙、黄、緑、青、藍、紫が改めて現れますが、しかしその色は世間法修煉の色よりずっと綺麗で、透明なものになります。初果羅漢を出て、正果羅漢の修煉に入ると、また赤、橙、黄、緑、青、藍、紫ですが、その色はよりいっそう綺麗で、絶えず上に向けて昇華するのです。つまり、あなたの身体から発する光や功の色まで、みなこのように変わります。

弟子:機制と気機はどう違うのですか?

師:機制というのはあなたの身体に植え付けて、あなたの功を生成したり伸ばしたりするなどの要素で、あなたの身体を変化させ、あなたに必要なすべてを修煉し出すことができます。元嬰が生まれることなども含まれており、それらを一括して機制と呼んでいます。そして気機とは、あなたの体外で植え付けた、あなたの手を動かさなくても、あなたの手を導いて煉功するものです。

弟子:朝鮮族の方が聞いても分かりませんが、法輪を得るのに影響がありますか?

師:ここに来た大多数の人はみな縁がある人だと思います。多くの人は漢民族の言葉を聞いても分かりませんが、病気は既に良くなっています。なぜなら根基の良い人は得るべきものが必ず得られるからです。その中には根基が良いかどうかという問題があります。

結語

 ここ数日間、私はずっと話してきましたが、もうこれ以上話しません。多くの学習者は私が贈る言葉をほしいと思っていますが、一人一人に贈ることはできません。皆さんが修めるかどうかはあなた自身のことなので、私は皆さんにまとめていくつかの言葉を贈ります。当初、私が功を伝える時には多くの魔難に遭遇しましたが、それは想像を絶することでした。当時、私はこのような考えをしっかりと抱いていました。非常に高いところの大覚者たちは、私がとても耐え難いことを受けているのを見て、「忍び難きは忍びうる、行ない難きも行ないうる」と言いました。私はこの二つの言葉を皆さんに贈りたいと思います。私がこの功を伝えることは今日までにして、まずしばらく一段落します。私も少し休んで整えます。

 私は功を伝える過程で、学習者に対しても、社会に対しても責任を持つことを常に念頭においてきました。功を伝える全過程で収めた効果は比較的良く、わりと理想的なものでした。一部の少数民族の学習者は漢民族の言葉を聞いても分かりませんが、それでも同じように比較的理想的な効果を収めました。佛家には縁を重んじるという言葉があります。皆さんがここに坐っているのも、実は縁なのです。このような縁があるからには、皆さんはこの機会をつかんで失わないでください。このような縁があるから、それを大切にして、すでに勉強し始めたので、それを続けていってほしいのです。そうすれば、高い次元を目指して修煉するつもりはなくても、努力した分は得られ、少なくとも身体の健康を改善でき、次元を高めることができるのです。それは必ず達成できることです。もちろん、我々の目的は、高い次元を目指して本当に圓満成就できる人を導くことです。先日私は言いましたが、ここで何千人が法を聞いているとはいえ、私に言わせると、あまり楽観視していません。どのくらいの人が本当に修煉を続けられ、最も理想的な目標を達成できるのか分からないからです。皆さんが決心して、修煉を続けていくことを私は願っています。先ほど贈った言葉のように、最後まで修煉し続けていく人こそ真の黄金なので、最後までやり遂げた人こそ本当に圓満できるのです。

 佛を修める方法自体はそれほど難しくありませんが、常人社会の中で、常人の執着心を放下することは最も難しいことです。しかし幸いにも私は今日、このような道理、高い次元の法を皆さんのために伝え出したので、皆さんはこの法に従って修め、煉功していくことができます。昔は多くの人が高い次元へ修煉したいと思っても法を得られず、法がなければ上に修めることができませんでした。今の便利さはまさにこの点にあり、この法を皆さんのために、家の玄関口まで送り届けています。昔は多くの人、各地域にもそのような人がいてどこかへ名師を探しに出かけ、修めて学びたいと思っていました。我々の法門は人心をまっすぐに指すため、最も便利な法門で、修めることが最も速いと思います。あなたはどこかへ弟子入りに行かなくてもよく、私は既にこの法をあなたの家の玄関口まで届けてあげたので、あなたが修煉できるかどうかを見てください。修煉できるならば、あなたはすぐに修め、修煉できなければ、今後二度と修煉のことを考えなくてよいのです。つまりこのような道理です。講習会の全過程において触れた問題は比較的次元が高く、話した内容も皆さんがこれまで聞いたことのないものばかりでした。気功師だけでなく宗教の中においても、多くのことをこのように高くはっきり知ることは許されません。そのため、私は前人が行なったことのない事を行ない、大きな門を開いたと言ったことがあります。しかも多くの事は既にはっきり伝えたので、これ以上まだ修められないと言うなら、それはあなた個人の問題です。もちろん我々は皆さんに対して責任を持ち、法も理もはっきり説明し、更にあなたを守らなければなりません。

 我々の煉功場は、一般の場ではありません。煉功場全体に覆いが被せられており、他の功法の人が入って煉りたくても、我々の学習者の中に入って来ても、彼は我々のこの覆いの中には入れません。それは風船に覆い被されているようなもので、あなたが煉功場の真ん中まで入ったとしても、その覆いの中に入ることはできません。この場全体のエネルギーは強く、私が整理するまでもなく、私の法身が直接この事を行なっているからです。あなたには私の法身がいて守っているので、彼は必ずそのような事を行なっています。私は皆さんにどれだけのものを与えたのでしょうか? 私もこれ以上詳細に話したくはありません。最終的な目的は、皆さんに本当に法を得させ、修煉できるようにする、これだけが目的です。皆さんは今後の修煉の過程において、絶えず向上し、絶えず自分の功を高め、皆さんが圓満成就できることを希望しています!